陶器の鴉
陶器製のあをい鴉。
なめらかな母韻をつつんでおそひくるあをがらす、
うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。
嘴の大きい、眼のおほきい、わるだくみのありさうな靑鴉、
この日和のしづかさを食べろ。
槍の野辺
うす紅い昼の衣裳をきて、お前といふ異国の夢がしとやかにわたしの胸をめぐる。
執拗な陰気な顔をしてる愚かな乳母は
うつとりと見惚れて、くやしいけれど言葉も出ない。
古い香木のもえる煙のやうにたちのぼる
この紛乱した人間の隠遁性と何物をも恐れない暴逆な復讐心とが、
温和な春の日の箱車のなかに狎れ親しんで
ちやうど麝香猫と褐色の栗鼠とのやうにいがみあふ。
をりをりは麗しくきらめく白い歯の争闘に倦怠の世は旋風の壁模様に眺め入る。
憂はわたしを護る
憂はわたしをまもる。
のびやかに此心がをどつてゆくときでも、
また限りない瞑想の朽廃へおちいるときでも、
きつと わたしの憂はわたしの弱い身体を中庸の微韻のうちに保つ。
ああ お前よ、鳩の毛竝のやうにやさしくふるへる憂よ、
さあ お前の好きな五月がきた。
たんぽぽの実のしろくはじけてとぶ五月がきた。
お前は この光のなかに悲しげに浴みして
世界のすべてを包む恋を探せ。
むらがる手
空はかたちもなくくもり、
ことわりもないわたしのあたまのうへに、
錨をおろすやうにあまたの手がむらがりおりる。
街のなかを花とふりそそぐ亡霊のやうに
ひとしづくの胚珠をやしなひそだてて、
ほのかなる小径の香をさがし、
もつれもつれる手の愛にわたしのあたまは野火のやうにもえたつ。
しなやかに、しろくすずしく身ぶるひをする手のむれは、
今わたしのあたまのなかの王座をしめて相姦する。
つめたい春の憂鬱
にほひ袋をかくしてゐるやうな春の憂鬱よ、
なぜそんなに わたしのせなかをたたくのか、
うすむらさきのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ、
なぜそんなに わたしの胸をかきむしるのか、
ああ、あの好きなともだちはわたしにそむかうとしてゐるではないか、
たんぽぽの穂のやうにみだれてくる春の憂鬱よ、
象牙のやうな手でしなをつくるやはらかな春の憂鬱よ、
わたしはくびをかしげて、おまへのするままにまかせてゐる。
つめたい春の憂鬱よ、
なめらかに芽生えのうへをそよいでは消えてゆく
かなしいかなしいおとづれ。
林檎料理
手にとつてみれば
ゆめのやうにきえうせる淡雪りんご、
ネルのきものにつつまれた女のはだのやうに
ふうはりともりあがる淡雪りんご、
舌のとけるやうにあまくねばねばとして
嫉妬のたのしい心持にも似た泡雪りんご、
まつしろい皿のうへに、
うつくしくもられて泡をふき、
香水のしみこんだ銀のフォークのささるのを待つてゐる。
とびらをたたく風のおとのしめやかな晩、
さみしい秋の
林檎料理のなつかしさよ。
まるい鳥
をんなはまるい線をゑがいて
みどりのふえをならし、
をんなはまるい線をひいて
とりのはねをとばせる。
をんなはまるい線をふるはせて
あまいにがさをふりこぼす。
をんなは鳥だ、
をんなはまるい鳥だ。
だまつてゐながらも、
しじゆうなきごゑをにほはせる。
洋装した十六の娘
そのやはらかなまるい肩は、
まだあをい水蜜桃のやうに媚の芽をふかないけれど、
すこしあせばんだうぶ毛がしろい肌にぴちやつとくつついてゐるやうすは、
なんだか、かんで食べたいやうな不思議なあまい食欲をそそる。
十六歳の少年の顔
──思ひ出の自画像──
うすあをいかげにつつまれたおまへのかほには
五月のほととぎすがないてゐます。
うすあをいびろうどのやうなおまへのかほには
月のにほひがひたひたとしてゐます。
ああ みればみるほど薄月のやうな少年よ、
しろい野芥子のやうにはにかんでばかりゐる少年よ、
そつと指でさはられても真赤になるおまへのかほ、
ほそい眉、
きれのながい眼のあかるさ、
ふつくらとしたしろい頬の花、
水草のやうなやはらかいくちびる、
はづかしさと夢とひかりとでしなしなとふるへてゐるおまへのかほ。
雪のある国へ帰るお前は
風のやうにおまへはわたしをとほりすぎた。
枝にからまる風のやうに、
葉のなかに真夜中をねむる風のやうに、
みしらぬおまへがわたしの心のなかを風のやうにとほりすぎた。
四月だといふのにまだ雪の深い北国へかへるおまへは、
どんなにさむざむとしたよそほひをしてゆくだらう。
みしらぬお前がいつとはなしにわたしの心のうへにちらした花びらは、
きえるかもしれない、きえるかもしれない。
けれども、おまへのいたいけな心づくしは、
とほい鐘のねのやうにいつまでもわたしをなぐさめてくれるだらう。
──昭和十一年十二月刊「藍色の蟇」より──