雪のワルツ(抄)

さすらひの子が拾ひたる歌留多かな   大正七年、作者十七歳

 

霧ほうほう峰渡る見ゆ芒風

 

寒明けと言ふ朝からの牡丹雪

 

炉べり叩いて油虫追ふ炉の名残

 

舟底の浪の音聞く秋の風

 

一つ残りて濁りをつつく家鴨かな

 

窓一ぱいの月を寒しと母が言ふ

 

冬日さすテーブルの上なにもなし

 

コスモスの盛り白雲流れゆく

 

短日の筆のかたまり噛みつぶす

 

汽車の明り田にさせば散る夜の色

 

炭はねて涙かはきし笑ひかな   遠く赴く妹と弟、別れを惜しみて相抱く

 

明日のいのち知らず薯こぐ日あまね

 

稲妻のある時はが胸ささん

 

虫に心のふとゆけば地のゆらめくよ   関東大震災三句

 

り返す月の揺らぎを見入りけり

 

笑ひ声そこに固まる秋の雨

 

明けをまたたく田の真ン中の誘蛾灯

 

橘が匂へばそこら明るいぞ   親友・小松砂丘の工房竣成

 

くちほほけて蜘蛛の眼のみが澄むことか

 

菊活けて呉れし子がをともせとふ

 

空の青さが障子に映り茶の甘き

 

ほととぎす水の冷え呼ぶ夜明かな

 

顔を剃る兵士秋晴れいふとなき

 

たかむらの中の秋日に据りぬ

 

穴底にカンテラのなれも時雨るるや   道路工事の朝鮮人に

 

コレラの薬撒いて雨来し曼珠沙華

 

月入りて山はうつうつ時雨れける

 

声かけんか冬日南濯ぐ脊にふれんか

 

鮟鱇の腹に射す日の切られけり   大正十五年

 

萬歳の浜に出てすたすたゆきし

 

襟巻に埋めても頬のやつれかな

 

情願の唾をのむ煖炉さかんなり

 

耕しわかし我が俥石ふみぬ

 

あをし春空二階から朝の水捨てる

 

濯ぎ水流さるる音の遅日かな

 

花一と枝とほくよりかざしくるものぞ

 

旅立ちの襟剃つてゐる薄暑かな

 

夕はるばるとつづく花菜は夢か

 

繭売つて呉れてさらさら茶漬喰ふ

 

水兵と母と葉桜の雨の家

 

雷火打つ麓の町の寝しづまり

 

人の子の日傘まはしてあかるさよ

 

それだけの水撒いて庭に灯を入れよ

 

蝉逃げしつぶやきの突如唄ひ去る

 

机の脚の四本揃つて夜を寒み

 

夕風や蜻蛉のかげの地につかず

 

凧一つの夕空となりて声なき子

 

夜の青葉動かねば青さ極まりぬ

 

昼ちかきねむり雀の子鳴いてをり

 

青東風あをこちや家借るときめし畳の香

 

鉛筆をとがらして蚊に食はれゐる

 

二人となつて盆燈籠を灯したり

 

蝉とらぬ子は松の皮むしりをる

 

うすものの女夜汽車に痩せてゐる

 

青葉の鳥のひねもす鳴いて名を知らぬ

 

ぬれてきし汝が汗匂ふ秋の雨

 

秋風や粥をすすりて塩の味

 

夜霧濃くて花売娘花売れず

 

米を積む師走は荒き人づかひ

 

水仙花くきくき鳴いて生けられず

 

東風こち吹くと医者が出てゆき灯ともりぬ

 

紙雛の胸ふくらみて居たりけり

 

夜店の金魚どれも影もち泳げるよ

 

蚊帳の風灯をまぶしがる赤ン坊   昭和三年長男出生

 

検温器秋灯にかざしなれにけり

 

五月雨の沼は夜すがら光りけり

 

たまご吸ふてわれ生きんとす夜半の春

 

島への田植舟かな若き母も漕げる

 

ミシン踏む雪解陽炎頬にさして

 

ふるさとよ母よ夏雲は高く候

 

ぬかるみに我が顔見たる夜寒かな

 

巣藁運ぶ夕雀かな子に教ふ

 

汝は日永の鳥ぞペリカン欠伸せよ

 

泣く子の頭撫でて早春の地の白さ

 

夕風や金魚を埋めてゐるこども

 

子の三輪車よく走る音の夕落葉

 

鴨鳴いて元日の雲行き暮るる

 

ふるさとの枯野の色を見てありく

 

桜散つてしばらく風と遊ぶなり

 

春泥のはねあげて職業紹介所

 

水に飛んで夏帽われを見るごとし

 

郵便局の裏口の猫にさす秋日

 

わが病めば赤き小さき蟻来たり

 

誰もまだ来ぬ秋日さむくて椎拾ふ   代々木八幡亜浪句碑序幕式二句

 

秋風に笙乗れば神見えらし

 

霜夜の電車遠明りして車庫に入る

 

初荷馬飾られてゐて尿ゆばりしぬ   昭和十年

 

葬儀出るまで紋付の日向ぼこ

 

枯草に防毒面を脱ぎし笑ひ

 

通夜の灯に透けてはらからの夏羽織   母死去二句

 

骨壷の温みに堪へず夕花菜

 

汗の背中拭いて貰うて吃りゐる

 

ふり返る子の顔遠く陽炎かぎろひぬ

 

シャープ鉛筆細く光れば雨も春

 

日記久しく病を書かず秋灯下

 

降る雪を頬にふれさせて眼のない子

 

夕焼けて夕焼けて凍る河北潟

 

棺の中に寝て聞く経の寒さかな

 

足もとの艸に秋風わく見ゆる   鵬于の写真に題す

 

目を閉ぢてすなはち見ゆる白き菊

 

思ひ立ち秋夜歩みてひとりなる

 

しばたたきしまつげは霧をふかしと言ひぬ

 

命二つつひに隔たり菊白し

 

夏帯の解かれて腰の細さ消ゆ

 

靄夜毎こめて街あり年移る

 

おほみいくさ思はしむ冬日あきらかに

 

香港陥落す夕焼冬木のアパートに

 

防火水充たして除夜の星うつくし

 

更けて火鉢の火の色を愛すいとまあり

 

夕べに魚の飛ぶ蘆近く芦遠く

 

雪光に盲ひて笑めりスキーの娘

 

子の外套赤きを買ひて雪待たる   昭和十九年次男出生

 

壕埋めて汗と涙をまぎらはす

 

虫しげき夜の静けさに馴れむとす

 

人込みの息ふれ合へる夕時雨   闇市

 

通夜の灯の及ぶ庭草を見て見ざり

 

去年の落葉今年の落葉鴨眠る

 

枯櫟かれいちゐ鳥逃げてより銃声す

 

隔たりて住めば夜空の露けくて

 

手形期日明日に迫れり雪降れる

 

草の実をとって子のズボン畳まれる

 

硝子戸にうつる若草に人歩めり

 

門松立てて世界経済の中に居る

 

門松の根のあるごとき艶を見つ

 

アンドレ・ジイドわが山焼を遂に見ず   ジイドを悼む

 

落武者のやうな五月人形飾りけり

 

山の風吹き入りうごく夏座敷

 

虹二つかかれば空の大きさよ

 

大ダリヤ白きを活けて亜浪翁

 

日盛りに踊りけいこの板の音

 

枯枝に冬日がさせど人は亡し   恩師亜浪先生急逝

 

人が来るたびに時雨れて通夜更けし

 

骨埋めて銀杏落葉を踏み帰る

 

ストーブに白樺燃えて山の霧

 

東京都靄につつまれ年を越す

 

楪葉ゆづりはのなくて蜜柑の葉をしきぬ

 

星の夜の桜咲き充つ神龕ずしのマリア

 

ジイド読めば瓶のあやめの白冴ゆる

 

白泡くづれ海女あま現はるる土用浪

 

グラヂオラスの蜜吸ひ蜂は蕊となる

 

朝顔のこぼれ種咲きみな白し

 

葱汁の熱きを愛し新聞読む

 

マスクして看護婦の瞳ほほえみぬ

 

繭玉の髪にふれたる赤黄揺れ

 

子に重き菓子の袋を蝶訪へる

 

少年の下駄蜂の魂昇天す

 

ぬかるみに子の手袋が燃えてゐる

 

春雨に暮れんとす離宮御紋章

 

元日の顔して雀塀の上

 

以上百五十句