野の菊
我が家には庭がありません。庭はおろか、空き地も無いのです。
気がつけば、「家」と「庭」との二文字が結合し、「家庭」の一語は出来ていました。
そうか…。
で、狭い駐車場の南側、石塀のきわに、プランターが数個据えたことです、庭の無い家庭を補うつもりで――。
二、三年前の、あれで初秋のころでしたろう。
農協直売所のかたわらの涸れた側溝に咲く、一茎の野の菊が、私の眼を射ました。重なりあう芒や雑草の狭間から、楚々として薄紫の花を際立てていました。刻み入りの葉の緑は、浅かったように想われます。
――私はそれを、大切に、根っこごと失敬してしまいました。しかし、家まで持ち帰るのは複雑な気持ちもあり、けっこう難儀しました。そして、件のプランターへ、丁寧に植え込みました。
自然の現象でありましょうが、やがて花が終え、実が落ちて、プランター狭しとばかりに芽生えました。そのさまは、文字通り「苗床」と呼べるほどの早変わりです。草丈の伸びも目に見えて、疎抜くような騒ぎでありました。
私は、疎抜いた苗草をすぐにまた隣のプランターへ、盛り土を掘り返しもせずに移植したのです。
ところが、何としてか数日後、その苗草は一斉に萎えてしまいました。土中に野菊の厭う異物が混入していたのでしょうか。名状しがたい哀しみに襲われまして、私は、しばしが間、プランターの両端に手を掛け、無念…呆然、反省に浸っていました。
ところが再び迎えた秋初めです、もう忘れかけていた彼女たちが、南側の石塀ぎわに在って、開いた花冠を往還の方へ軽く捩り始めていました。往還を隔てた向かいの庭木の後ろからは、朝な夕な真っ赤な太陽が昇り、落ちていきます。地球に光と熱と命を与える太陽が……。
花たちは、蕾を閉じた蛇の目傘のように見せていたり、はたまた細長い花冠の両端を、そおっと内側へ傾けてみたり……と、それなりに藝をしているかのように窺えます。
古里を野に持ついわゆる野菊は、強靱そのものでありますが、その終焉は寂しいのもです。
芯を突き上げて野菊の花終る 高浜年尾
彼女たちは、芯を突き上げて実を落とし、萎えて尚、私たちの心を癒してくれています。
老婆なる私は、今朝も鈍い光沢の金属製のドアを開け、プランターの前へと斜めに走り、体を「く」の字に曲げたまま、花のいのちの明るさとつよさに陶然としています――。
椋 鳥
長瀬橋に近づくにつれて、異様な騒音が聞こえる。私は日ごと、この橋の袂まで来て踵を返している。
わずか二十分足らずであるが、川辺の散歩を続け始めて一年数か月が経つ。
だが、音に気づいたのは最近であり、空梅雨の蒸し暑い夕暮れだった。早朝歩くことが多いせいでもあろうか。
一定のリズムを持った騒音は、東京電力真岡営業所の側面に立つ欅あたりに集中している。私はそれを、冷房の室外器の作動音と納得していた。広大な事務所ゆえに、致し方ないと考えて──。
欅の大樹は三本並び、前を道路が長瀬橋に向かって走っている。その道と川辺の道路がつくる交差点の一角に、三角形の花園公園がある。
六月二十四日の午後七時少し前である。
白い頤を宙に映して欅を見上げている少女がいた。園の入り口でうろたえている。
「鳥だわ!!」
少女は叫んで小砂利を撥ねると、植え込みを抜けて走って来た。鳥が合唱する木の下を避けて通ったのではなかろうか。
時に、行きずりの紳士が、椋鳥の集団であり、少し先の公園から移動したものであることを、懇切ていねいに教えてくださった。
「二、三千羽はいるだろうな!!」
紳士は、鳥の排泄物で汚れた道路を振り向いて、橋を渡り始めた。
私は、欅の頂に鳴き交う鳥の大群に仰天した。塒入り前の騒動なのであろう。
声を音と勘違いした己に恥じ入りながら、しわ深い頤をしばし宙に向けていた。
傍らの送電線には、ほぼ等間隔に黒い鳥の影が連なっている。しかも椋鳥は、胸にややふくらみを見せ、電線の数本を埋め尽くしていた。
鳥の図鑑によると、
〈全身黒っぽく、顔に白い羽毛があり腰は白い。くちばしと脚は橙色。〉
とある。近距離ではカラフルであろうが、私にはただ黒く映るだけである。
何と、さらに数百羽の群鳥が我が頭上高く、円を描くかのように、飛翔しているではないか!!そして、そのまた上空を椋鳥は点のごとく群舞している。低く高く、相似形をなして円周の一部を重ねていた。
特にリーダーはいないという椋鳥界の団結を仰ぎ見て、人間社会の醜さが、身にしみるのであった。
干潟や湿地の埋め立て、山林伐採により、多くの野鳥の棲処が失われている昨今である。椋鳥とて、同様の被害者であろう。
しかし、この現実はどうしたことか!!
椋鳥は群れ飛びながら、一心に下界を見つめている。愚かな私の姿をも……。
六月二十五日、長瀬橋の袂に朝が来た。
あたりは、静まり返っている。すでに椋鳥たちの一日は始まっていた。
最高の勲章
思わず傍らの辞書を手にした。そして私は、「神技」を引いた。
〈人間ばなれした、すばらしいわざ。〉
このような極くあたりまえの解説に、私は幾度もうなずいて納得した。
──第十八回冬期オリンピック長野大会開催中、かの清水宏保選手がスピードスケート男子五〇〇メートルで、最高の金メダルを胸にした日(二月十日)のことである。
ゴールに飛び込んだ彼は、自己のタイムを確かめるや、両手をもぎれんばかりに突き上げて喜びを爆発させた。
私の両腕に鳥肌が立ち、胸の鼓動は高鳴り、一緒に涙しながら深い感動を覚えたのだった。私は、スケート競技のルールはもとより、その他についても不勉強であるが、日本が初参加した一九三二年のレークプラシッド大会から、実に六十六年めにして初の悲願達成であるという。彼の活躍は、日本スピードスケート界始まって以来の快挙であろう。
己れとの戦いで勝ち得た最高の勲章を、清水選手は、母親の首に笑顔で掛けてあげた。そのシーンは、古き良き時代の「親孝行」の昔語りを彷彿とさせた。身長一六一センチの清水選手のあの英姿を、私は「小さな巨人」と、永久に称え崇めていたい。
お母様に注がれる優しい彼の面差しが、ご主人の遺影を抱いて泣き崩れるお母様の、神々しいまでの姿と一体になり、今もなお私のまなうらで揺れている。
二月十七日、私はくだんの辞書で、「鳥」をしらべた。だが、私はその説明では物足りなく思えた。
それは、ノルディックスキーのジャンプ団体の岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜各選手による五輪初の金メダル獲得の歴史的瞬間であり、白馬村の風の中の彼らに、私は正しく「鳥」を見たからである。
大飛行を遂げた彼らのそれぞれのことばには、人間としての深み、味わいがあり、その偉大さは私の五体をゆさぶり続けた。
すべてが藝術であり、私もいつしか祭りに加わり、興奮の坩堝の中で、アナウンサーと競り合って叫んでいた。
こうして、テレビ各局のドラマが繰り返し放映される最中、いつも取り乱している私であった。
時に、孫娘(小学二年生)が居間に現れ、私に近づいて来た。
「おばあちゃん、金メダルと賞状です」
彼女は、細く切った赤い千代紙をつないで、くさりを拵えたようだ。同じ紙をハートに象り、「金」と記して、くさりの中央にセロテープで止めてある。
〈渡辺通枝どの。あなたは少しいばっているけど、いつもじむちょうでがんばっているので金メダルをあげます〉
市立もうか小学校渡辺葵よりと、左下に小さく書いてあった。
恥ずかしい限りである。
私は現在七十五歳であるが、家業(学習塾)の事務を執る傍ら、合間に好きな随筆も認めている。
ライバルを自分として努力し続ければ、必ずその人なりの最高の勲章はあるはずだと信じながら……。「神技」には、とうてい及ばないけれど──。
堰の音
ふるさとの川、五行のほとりを、私にしてはかなりの速度で歩いています。強風に逆らいながら──。でも、なぜか、今日の私は元気です。
レースふうの黒い上衣は風に煽られ、何度も裏を返しておりました。また、飛ばされそうになる帽子のつばを、私は繰り返し両手で押さえていました。
この散歩コースの終点は、川の東西に架かる長瀬橋までと、おおよそ定めております。わずか二、三十分で歩ける道程です。
川沿いには、隣家の前の四辻を東へ二、三分というところです。
五月十八日の午後七時十五分ごろでした。私は、夕食後休むことなく川辺りを歩き始めようとしました。嫁は、いつものように履物を揃えて、私を見送ってくれます。
──川筋からは、蛙の鳴く音が賑賑しく私の行く手を追いかけて来ます。
私は例によって、暮れ方の長瀬橋の少し手前で、次第に冷めてゆくガードレールに身を預けました。鉄製の、焦茶に塗られて輝くそれが、私は感触も併せて好きなのです。
また、もしや昨日の、あるいは一昨日の温もりが消えずにいたらと、私の掌はそおっと探っています。時しもそこには、堰のしぶく白色が、映っては弾かれておりました。
そして、眼下の堰を切る音──それは、あたりのもろもろの雑音を、喚きながら少しずつ浄化しているかのようです。この連続する音の流れは、日日、または時間帯によって異なることは言うまでもありません。
堤の下の川ぶちに凝集されたその声音は、耳を劈き、私はあたかも洗礼を受けているように覚えるのです。これは飽くまでも今夕のこの瞬間に限られたことなのですが──。
旅を知らない私にとって、秘境ともいえるこの場、この状態において何をか大声で叫びたい気持ちでいっぱいです。もはや私の眼は潤み、彼岸の街灯の明かりは青白くぼやけています。肩が、足が、震えてきました。
……私は七十六歳にして、今なお現役で家業の事務を執っております。優しい家族に囲まれて、幸せの飽和状態の中にあり、それが慣れっこになっているのかもしれません。
──堰は声音をさらに凝集させ、私に自戒を促しているようです。蛙の鳴く音も、堰に旋律を合わせています。
私はいつも口ずさむ童謡を、いつになく大声で歌い始めて踵を返しました。百歩ほど歩いて、何ということもなく、来た道を振り返りました。すると、川向かいの方の堰が、声音をことさら凝集させて、対岸に立つ私を呼び続けているのでした。
忙しそうに車道を行き交う車が、堤の雑草を照らしては去って行きます。
街灯と離れる箇所に生い茂るヒメジオンは、時に花の面を薄紫に染め、菜の花の黄は細やかにライトを撥ねていました。
ヒメジオンの恥じらう色香……菜の花の黄金の光、暮れ残る川辺にて、私はこの一瞬を愛でております。
堰の音は、風と共に遠のいてまいりました。
布を編む
二階のミシンを、居間に下ろしたいと思うこの頃です。
「これだけのミシンは、なかなか無いですね!」
過日、この希少な足踏みのものを、修理してくださる方が、そうおっしゃっておられました。「これだけの……」とは異常な古さのことなのです。部品の調達には、かなりの手間暇がかかったようでした。
最近私は、洋服箪笥に眠り続ける十数年前のスカートを取り出し、見直しています。
それらを解いて、布地を四角、あるいは長四角にと、できるだけ効率良く切り揃えて、接ぎ合わせるのです。つまりスカート作成のための布地を編む試みを始めたのでした。
「布を編む」――これは、私だけの言い回しでありましょうが……。
無地、縞もの、柄ものなど、また、布の厚さ、色合いをも考慮して配列を決めるため、畳の上に前記の布片を並べてみます。時に、黒無地を挿入すると、全体的に引き締まることに気付きました。
そうはいえ「現代」でなかったなら、この編み上げ布地は通用しなかったと思います。幸いに、この手の「細工」が今、流行りつつあるのです。
そんな次第で、幅八十センチ、丈一メートル(ロングスカートのため)の、スカート着分つまり前後二枚を編みます。
左手に編むべき布群を抱え、右手は階段の手摺りを繰りながらミシンに近付きます。十四段を上がり切るもどかしさ、気が逸ります。
私は病む膝を抑え、左右の足を一段毎に揃えてから階段を上がるのを常としていますが、今日の私は異うのです。老いの身も心も踊らんばかりにはしゃいでいます。唯一無二の「私だけの布」を編み出すのですから――。
躾の上を弾むミシンの針が、これまた希少な音を寄せ、中表なる布地が私を覗きます。そして、遥かなる思いを呼び覚ますのです。
次なる端布に染みる花たちが、またしても私を覗き込むようにして、ミシン台の向こうに垂れて去っていきました。
それらの布たちは、遠い日、月賦で買い求めたものでした。
ちなみに私は、子育ての時期、酒豪の夫のもとに在って、洋裁の内職に夜を徹すること、しばしばでした。
躾を解いて居間のアイロン台の前に座し、縫い目は趣くままに返りたい方向に押さえます。そして、すべての縫い目に星止め(押し縫い)を施します。
こうして編み終えたスカート着分は、畳の上に広げられたり畳まれたりと、なれ合うように私の手に触れています。
そして今、私のウエストライン辺りから垂れて、姿見の奥の方を彩っております。
長い歳月を経て編まれた布地は――我が人生をそのまま接ぎ合わせたように思われてなりません…。
落 花
今朝、私は気になる落花を見た。さながら落ち椿のような桜花を、である。
家から近い長瀬公園を囲うサツキの植え込みの彼方此方に、模様のようにそれが伏せっているのだ。時たま上向きのものもある。褐色に紅葉したままのサツキの枝葉に掛かり、花びらを二、三枚返しているのも見える。
うてなは五枚の花弁が微かに重なる辺りを、そおっと押さえるようにして乗っている。渋いえんじに染め上げて……。
花柄はーセンチ足らずの所で、痛ましくもぎ取られていた。水っぽい切り□に、花から外れためしべの子房が見え隠れしている。
蜜を啜った小鳥たちが放った跡形でもなかろうが。なんとも、うれわしげな風情である。
――枝を張り巡らせて、七分通りに咲き誇る桜の大樹のそれよりも、私は、この落花がいとおしくてならない。
すぼめた左掌にニ輪の落花を載せ、左耳を傾けると、何かささやく声がする。私は、陶然とするのであった。
花吹雪などという美辞が、我が脳裏を馳せてゆくが、花がふぶくには、時期の早いのにも私は気付いている。
落花が一輪ずつ点在する光景、つまりその造形は、昨日吹き荒れた東風、或いは川風の恩恵ではなかろうか。
私は、風の神に首を垂れた。公園の前の道路、そして遊歩道を隔てて、我がふるさとの川五行が南へ南へ流れている、季の移ろいを映しながら……。
今、落花に見入り、天然の美に私は言葉を失っている。朝まだき散歩の終点、親しんだ長瀬橋のことも忘れてしまっている。
常日頃、出不精を誇る、私。
されど、されど、天にも地にもああ私ひとりの花見――落花を掌中に、裏からも表からもその優美を静かに味わえた。
私は左掌をすぼめたまま踵を返して公園裏の駐車場に出た。フェンスの裾の狭苦しい箇所に、タンポポ、スミレが丈低く咲き競っている。タンポポは、昨日のそれが再び開いて遊んでいる。イヌノフグリは眩しそうに瞬いて、遠い桜木を謳歌しているかのようだ。
道ばたに名も知らず繁る雑草に触れようと私は腰を屈めた、が、掌にある桜の花びらが気になり、右手が伸ばせない。ニ輪の落花は、まさに桜色に匂い、陶然とてのひらに包まれはなやいでいた。
スカートは語る
今日も洋服箪笥を開いて奥の方を覗いています。十数年前から眠り続けるスカート、又、更に古めかしい上衣などを見直しているのです。
そして、それらを解いて四角や長四角に切り揃えます。それでも、忘れ得ぬ思いに胸を突かれ、元の場へ戻すこともあります。
幅八十センチ、丈一メートル(ロング丈のため)のもの、つまりスカート着分前後二枚の布を編みます。配色等を考慮して接いだ布の縫い目には、星止めを施します。
このところ私は、こうして「布を編む」ことに凝っているのです。
かれこれスカート八着分程編み終えたでしょうか。それを畳の上に広げては見入っています。
あの布、この布から……と、代わる代わるに遠い思いが浮き沈みして、終いにはそれがぼけてかすんでしまうのです。
――濃紫の臈纈風花柄の布編を編むときのことでした。解こうとする両手が震えて竦みます……。
二十二年前、家の改築を計画中の折りでした。仕立ておろしのこの服を身につけ、T銀行に借り入れを申込みに行ったのです。臆面も無く、取り引き皆無の銀行へ……。担保無しで、多額の借り入れに応じて下さった方の優しさが甦ってきます。
亡夫(当時職員)の定年退職半年前ぐらいのことだったでしょうか。
「どちらを裾の方にしましょうか?」
長いお付き合いのFさんも、布地をさすりながら、面を傾けてにこやいでいます。
お茶を淹れる嫁も同然でありました。
かくしてFさんから、懇ろに仕立て上がったスカートが順次届きます。玄関先のチャイムに響く彼女の声に、私は炬燵から跳び立ったためか、僅かな段差につまずいています。
身を包む時の感触たるや、接ぎ目を抑える細かい星止めのせいでありましょうか、ほのかな温もりが通います。しかもしなかやに……。
それは、それぞれの布目に染みる「情念」でもありましょう。
<今日はいずれにしましょうか>と、衣紋掛けにたれるスカートを選っています――と、かの布片達が精彩を放って、私に迫ってきます。
私は、布を編む際に必ず黒を配色しました。それ故に、それらのスカートに黒の上衣を着け、堂々と外出用としています。
五月の連休の終わるころでした。
某デパートのブランドの売り場にて、「イタリー製ですか?」と、店員の方に問われました。
お世辞とは申せ、胸がときめく思いでありました。けれど私は、恥ずかし気な様で、その一区画を足早に通り抜けました。
老いのお陰でありましょうか、積年の思いを秘めた布片がここにあります。
それなのに、今の私は老いを忘れているようです。
鶴
「鶴は千年亀は万年」――中国の神仙譚から出たことばのようである。実際には鶴は九〇年、亀はニ○○年ぐらいとされているらしい。ものの本で読んだ覚えがある。
我が家では、昨年の暮れあたりから、折り鶴に凝っている。
その千代紙は、下の孫娘(小学三年生)が、ファイルに仕舞ってあるままを、私に手渡してくれたものである。あとは、市内在往の次男が、銀座「鳩居堂」で買い求めた土産の中の一品であった。
後者は雅な色合いの「友禅折り紙」「手すき千代紙」等々であり、その正方形に折り目をつけるのが勿体ない程であった。
孫娘は、分厚い『おりがみ百科』を、重たげに自分の部屋から抱えてきた。
慣れた手付きでページを繰ると、早くも赤や桃色の折り鶴を傍らへ重ねた。鶴は、羽を広げ横臥したり、そおっと一休みしたりして、テーブルの上で寄り添っていた。
……彼女は、やおら立ち上がると、MDプレーヤーのリモコンのスイッチを押した。
これは、操作もままならぬ私へ、小山に在る長男から贈られたものである。
「あの時、この歌第一集」――「ふるさと」「雪」等のメロディーが、鶴を折る指先を、撫でるように流れていく。我が身心は安らぎ、幼いころの追憶が脳裏を過ぎる。
上の孫娘(小学五年生)も、ムードに誘われ、千代紙の色を選び始めた。少々もたつきはしたものの、数分後真っ白い折り鶴が指先の間におっぽを見せた。更なることに、両頬を膨らませ、大げさに息を吸い込んでは吐きして、鶴の胴体を広げていた。
何と私は、嫁の手解きをニ羽も受けておりながら、三羽目に至ってもなお難儀している。ちなみに私の折り紙は、チラシをきちんと四角に切り揃えたものである。
何事も長い期間中、繰り返しの訓練を怠れば、こうも忘却してしまうのだろうか。
息子たるや、ごく素直に炬燵の一辺に陣取ると、鼻唄交じりで鶴折りに挑んだ。やがて顔面は引きつり、家族のどよめく中、漸くにして口ばしとおっぽが、羽の空隙から突き出てきた。
こうして鶴を折ることにより、家族の心は固く一つに結ばれる。ここへ誰かが入ろうと、鶴を折る心で一緒になるのではなかろうか。
下の孫娘は、いつの間にやら千代紙で箱を拵え、「鶴のお宿」にと色を合せて、中へ鎮座させている。
折り紙の群れは、嫁の手で大きな盆に載せられた。孫娘がお盆にちらりと触れたその刹那、鶴は囁くように微かに羽ばたいた。
折り鶴には、白、グリーン、ブルー等と、寒色の千代紙がよく似合う。優美であり、そこはかとない気品が漂う……。
かくして、我が家のニ十一世紀は、「鶴は千年」で幕を明けた。