私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路の
あらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さ
へも闇を招いてはゐない。
私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。
あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静
かな接吻をも惜しみはしない。今はあの銅色の空
を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オ
ールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行
くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光
るあの白痰を掻き乱してくれるな。
私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない──土瀝青
色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松
茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたの
だらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の
習ひであつた……
夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に
立ち騰るかの女の胸の襞を、夢のやうに萎れたかの女
の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の
中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全
能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつて
しまつたのだらうか? 私はあまりに硬い、あまりに透明な
秋の空気を憎まうか?
繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの
「虚無」の性相をさへ点検しないで済む
怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき
時だ──金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市
にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝
生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、
錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよ
う。