戦争

 かういふことを私が言つたら、人は私を痴者たはけといふだらう。

 さうだ。私は痴者だ。また人は私を懐疑家だ、空想家だといふだらう。しかし、私はかれらからさう言はるべき筈がない。どちらが間違つてゐるか。まあ、私の言ふことをよく聞いてからにしてもらひたい。

 海のかなたで、大戦争があるといふが、私はそのことを時々口に出して話すが、実は心の底でそれを疑つてゐるのだ。「戦争があるなんて、それは作り話ぢやないのかしらん。私及び私のやうな人間をだまかそうと思つて、誰かがうまくたくらんだ作り話ぢやないのか知らん。」と思つてゐるのだ。

 新聞がそつくり、この作り話をあたかも実際あるもののやうに、そのまま、真実らしく報道して、この世界のどこにも、こんな大事件は起つてゐないものを、あるなんといつて大形おほぎやうに叫び立ててゐるのだらう。そして、これが真実のことでなくて、作り話であるといふことを中にはとつくに感附いてゐるものがあるので、それでこの世間はこんなに余裕があつて、みなが落着いてのんきに笑つたり、話をしたりまた芝居を見物するものもあれば、贅沢な真似などをして平気でゐるのだらう。そして、戦争のことを真面目に考へて、気をんだり、慌てたりしてゐる者を、眼元に笑ひを含んで眺めてゐるのだらう。私には、かれらが馬鹿正直に作り話を信じてゐるものをさも面白がつて見てゐる顔付を見て、もうとつくから、これが作り話であることを看破かんぱしてゐるのだ。それで、

「大戦争があるなんて、それは誰かの根もない作り話ぢやないか?」   

と、大声にわめいて、まだそのことを知らない者に警告をしてやらうと思はぬでもないが、元来臆病な性質に生れ付いた私は躊躇してゐるのだ。これが、二人や三人の間柄での出来事ならばなんでもないが、少なくとも新聞が総がかり、通信者が総がかり、世間一般が大騒ぎをやつてゐる大仕掛のことなので、全然それが作り話に過ぎないとは、容易に言ひ出せんのである。

「どこに、作り話だといふ証拠があるか?」と問はれたら、私が返答に困るだらうと思ふ人があるにちがひない。しかしその時は私はかう答へる。

「みなが笑つた眼付をしてゐるぢやありませんか。その顔がちやんと嘘だといふことを語つてゐます。これより確かな証拠がどこにあらう。それに実際、みなが大騒ぎをしてゐない。」

 どう考へて見ても、戦争があるなら、こんな史上未曽有みぞうの大戦争がこの地球の上で始まつてゐるものなら、大騒ぎをしないといふ理由がない筈である。一日に五万人も、十万人も死んだり、殺されるといふ新聞の報道が事実であるなら、誰でもかうしてぢつとしてはゐられない筈である。

 現在、この街に住む吾人は、海のかなたの遠いことは眼で見ることが出来ない。新聞で知るより他に途がないのだ。

 眼は知るがために顔に附いてゐる。文字は知らすために書かれてゐる。もし新聞紙の上の報道がみづから見たと同じく真実であるなら、知るといふことに二つはない筈だ。実際自身が見て驚くことも、これを他から聞いて驚くことも心の驚きに変りがない筈だ。

 この街では、一日に二人や三人は、自動車や電車や、また過失から工場の歯車に捲き込まれて死に、汽車に轢かれて惨死を遂げる。これをのあたり見たものは大騒ぎをする。

 また新聞で詳細の顛末を知つたものは、自動車や、電車に対して憤慨する。そして、車掌や、運転手は拘引されて、処罰される。かういふ事件に対して、人々の心の底にひそんでゐる至誠の観念は動く。人道主義者は叫びを上げる。それに対して疑ふ者が一人もあらう筈がなく、至当のこととしてうなづかれる。

「人生は、これがために保たれて行く。人間はこれあるがために至上の権利をこの地上に於いてつて行く。」

 と、かれらは言ふ。

 わづかに一人の死がこれである。それが一日に五万人、十万人となく非道な殺戮さつりくに遇ふ。中には抵抗力を持たない女がある。子供がある。眼にこそ見えぬけれど、海のかなたの同じ人間の間に起りつつある出来事である。見ないからといつて、知つた上は同じことである。これに対して騒がないのはどういふことだ。あまり驚かないのはどういふ理由であるか。自動車の笛の音まで音楽的にし、活動写真の看板絵でさへ残忍なのは撤去させるほど神経過敏になつてゐる人間に、これが感じられない理由はない筈だ。それが感じられない理由はかうだ。——

「毎日の新聞記事にはもう飽きが来てゐる。何々夫人が避暑に行つたとか、何子爵が死んだとか、その葬式がどうだつたとか、雨が降つて貧民窟に浸水したとかいふやうな記事には飽きが来てゐる。それで一つ非常な大仕掛な作り話でも載せて、みなを驚かせてやらうとたくらんだものだ。」

 すると、始めのうちこそは、読者はちよつと驚いたやうだ。しまひにはその記事にも飽きて驚かなくなつてしまつた。この前ガリシヤで死んだ露西亞ロシヤの死傷に較べると、今度の伊太利イタリヤの死傷の方が少し多いやうだとか、いやアルメニヤ人の死んだ数よりはすくないやうだとかいふ位のものに過ぎない。

 しかし、これがもし真実のことなら、どんな鈍感でもかうしてはゐられる訳はないのだが、どうせ作り話なのだから、口先ではなんと言つても、頭の中では関係のない他のことを考へてゐる。

 かういふ理由だから、今、新聞が「戦争はもう終つた。海のかなたが平和になつた。」と言つたら、かれらはまた容易に、心の中では撞着があつてもどうでも口真似をして万歳を唱へるだらう。それで非道のために死んだ人のことなどは忘れてしまつて、ふたたび真理が輝いたと信ずるだらう。

 こんなことは、真実に良心があるものには到底出来ないことだ。昨日まで人殺しをしてゐた人間が、一夜を明ければ善良な人間とおのづからなるとは思惟しゐすることが出来ないことだ。この国の法律に於いても、殺人犯の罪人が不問に附せられるまでには十年の時日が経たなければならない。一昼夜や、二日で殺人犯の罪が時効消滅するとは意外な事実である。

 一体真理とはどんなものか? 人道とはどんなものか? そして、戦争といふ名目でした殺人だけがどうして正しいのか? どうしてその罪が罰せられないのか? 戦争に行つて死んだ人間の死と、電車や、自動車や、汽車で死んだ人間の死と、どこが異つたところがあるのか?

 私は、海のかなたで、今戦争があるといふことを信ずることが出来ない。しかも有史以来未曽有の大戦争があるといふことをどうしても信ずることが出来ない。

 今日も太陽は平和にこの国土を照らして、悠々として西の地平線に沈んで行く。人々はさも愉快さうに路を歩いてゐる。時刻になると大小幾多の劇場は開かれ、汽車は常の如く観光の旅客や、新婚の人々や、その他いろいろの人間を乗せて、一分間も定刻に間違はないやうに注意して、出たり入つたりしてゐる。酒場では景気の好ささうな労働者が好い機嫌に酔つて、扉を排してよちよちと立つて行く者もあれば、また卓に向つて気焔を上げてゐる者もある。

 試みに、電車の停留場に来て幾種かのその日の夕刊を買つて、瓦斯ガスの青い光りの下で開けて、論説欄を読んで見ても、一つとしてこの人生のためを思はぬ思想の表現はないといつてゐる。ひとりこの都会のために言ふのでない。ひとりこの国のためのみに言ふのでない。世界のために叫び、人生のために論じてゐるのだ。

 それは、さうでなければならぬ筈だ。

 独逸ドイツで発明された良剤は日本へもやつて来る。日本で製造された品物は米国へも輸出してゐる。かうして世間は互に便宜を計り、文明は人生の幸福をはかり、全世界の人間の苦痛を共同して除去し、幸福を一つにしようと企ててゐる。誰も、これを真実のなすべきこととして疑ふ者がない。

 今、一日に五万の人間が一時に殺されたり、十万の死傷があることが作り話でなく、実際あることなら、どうして、ここにかれらがそれと知つて、あんなに平気で道を歩いてゐられよう。どうしてあんなに贅沢な風をして、芸者といつしょに自動車に乗つて、けもののやうな顔付をして笑つて行くことが出来よう。

 これが私の疑問であつた。

 しかし私は世間見ずである。私はよく自分といふものを知つてゐる。そして、世間を見ないのは性癖にもよるのである。ただこの街を歩くばかりである。そして途上を行く人々を見て、その顔に深刻ななにものの影を認めることが出来ないので、かう判断したまでである。もし私が取引所へ行つて見たなら、そこでは日々に来る戦報の結果によつて、そのたびに紛乱をきはめてゐるかも知れない。また鉄工場に行つて見たなら、そこでは戦地に輪送する弾丸を製造し、大砲や、小銃を製造し、その他の兵器を製造するために、鉄槌の音がかまびすしく、歯車がうなりを立てて廻転してゐるさかんな光景を見るかも知れない。また港では武装した商船の出入が頻繁であつて、無線電信局は間断なく来るかなたからの消息を伝へるに急であるかも知れない。そして私一個の頭だけでは殆んど想像し尽くされない繁忙と緊張とが程隔たつた所に現出されてゐるかも知れない。それを私が知らずにゐるのかも知れない。それらの光景や人心の激動は平時にあつては決して見られない現象であつて、ただ最も危急の場合である戦時に於いてのみ見られる光景であるかも知れない。

「お前がそれを見ないから知らないのだ。そして戦争はないなどと馬鹿げきつた勝手の空想に耽るのだ。」と、誰か私を見てののしる人があるかも知れない。

 私は成程世間見ずだ。そして、この社会に於けるそれらの光景に接しないことも事実だ。しかし、それがために、もし私にむかつてかく言ふ者があるなら、これに答へて、

「鉄工場が忙しかつたり、汽船が武装したり、無線電信が頻繁に来たり、また株が暴騰する。それが一体なんであるか? 吾等の生存に関して必ずしも知らなければならぬ事実であるのか? 少なくとも生存の第一義として、考へなければならぬ事実であるのか?」

 私には、同じ地上に同じ権利を有して、同じく生活する人間が血を流すといふことが、もつとそれよりは重大な事実である。ひとり私が考へるばかりでなく、人間の一人である限りはみなにとつて考へなければならぬ重大な事実である。

 みながそれを知らない筈がない。然るに私は路を歩いてゐて、かれらの顔にこのうれひと痛みと怖れとの色を見ることがない。若い女が華美に着飾つて、紅い唇をして歩いて行く。男は、また女に眼を附けて、戦争なんかといふことは、てんで頭に考へずに、なにか他の享楽的のことを思ひながらにたにたと笑つて行く。その間に、傲慢な顔付をした金のありさうな奴を乗せた自動車が青い煙を路に残して走つて行く。

 私は、またこの地上に於いて、しかも同じ日の同じ時刻に於いて、手を断たれ、足を落され、胸をゑぐられ、悲鳴を上げて倒れる者が幾百、幾千、幾万かあるといふ事実を疑はざるを得ない。もし、これが真実のことであるなら、かうして自分達は、ここでぢつとしてはゐられない筈だからである。

 私には妙な癖がある。「死」といふ文字を見ることが嫌ひである。単に嫌ひといふのでない、なんとなく平常でさへ不吉の兆に思はれて、一種病的な精神作用に心を苦しめることがある。新聞の三面には、一日にこの活字が三つか四つない日は稀である。しかし時によると不思議に一つもない日がある。それに気附いた時に私はなんだか目出度い日であるといふやうな気がする。少なくも今日一日は、悪いことがなくてすむだらうといふやうな感じがして、好いしるしのやうに思ふのである。そして、その黒枠くろわくや、死の活字の入つてゐない所謂いはゆる目出度い新聞紙はなにを包んでもいいやうにも思はれて、私はそれで原稿を包んだり、版画を巻いたり、またその他身の周囲に置くものを包むのに、用ひて置く。すると行李の底から、いつそれを取り出しても、黒い太い死亡広告の枠や、また「死」といふ活字が決して眼に入ることがなくて、それがために平静の神経をそこなはずにすむことが出来るのである。

 ある時は、一日の新聞紙に「死」の活字が二つある時がある。そして、二つしか全くない時がある。私は三つないとなんとなく不安を覚える。そして、どうかもう一つあつてくれればいいと、一面、二面、しまひには四面に載つてゐる講談の中から、広告の部面まで「死」といふ活字を探すことがある。

 それほど、「死」といふ活字が私に与へる感じは深い。私の神経は、この字を見るとしばらくその不思議な形の上に染む。次いで限りない不安と、恐怖の念とが湧いて来る。

「死」を考へる時、四辺あたりが全く真暗になつてしまふのである。

 それがこの頃の新聞を見ると、

 死、死、死、死、……その数が二十ある時がある。二十五ある時がある。……数へ切れなくある時がある。……

 かうなると、もう私の神経は平気なものだ。これは嘘だと思ふからである。一人の死でも死といふことは怖ろしいことだ。どんなに人間の力を尽くしても、それをどうすることも出来ないほど死といふ自然の力は怖ろしいことだ。もし死といふものが金の力で救はれるなら、百万円を投ずる者があるかも知れない。一億投ずる者があるかも知れない、百億投じても死が救はれるものなら、安いといつて喜ぶ者が出るかも知れない。

 それは死が怖ろしいといふよりも、この「生」が貴いからだ。またとふたたびその人にあつては得られないほど、貴いからである。「生」は絶対の力である。自然力の他、なにものもそれに手を触れることの出来ないほど、貴い絶対のものだからである。

 これをもわきまへずに、権限ををかして生命を奪ふといふことはなんたる罪悪であらう。なにを得るために、自己の生命を犠牲にするのだ。しかも一日に三万、五万、一分間に五千、六千、一秒間に五百、千、そんなことがあらう筈がない。

 もし真実だつたら、これを聞いただけで、気が狂つてしまふだらう? みなが気狂きちがひにならないのが不思議でないか?

 私は畳の上に腹這ひになつて、病的に落ち込んだ瞳を凝らしながら、「死」の活字を数へてゐた。そして、いくつとなく眼にその活字は止つたけれどなんでもなかつた。さながら、戦争で死んだと書いてあることは、ことごとく電報の誤謬ごびうであらうといふやうな気がして、事実と思はれない。そればかりでなく、戦争といふことが、真面目な事実として考へられない。

 罪のない人間を誰も本気で殺すことが出来ないからだ。気狂でない限り、良心のある者は真面目に殺人は出来ないからだ。「戦争は遊戯である。」といふ意味で認めるより他の意味で考へることが出来ない。

 一日に五万、もしくは十万の人間が死んだり、殺されるといふことが、私には作り話であるとしか信じられない。

 造船所や、取引所の株を有しない私は、わざわざそこへ行つて見る必要がない。ただ暇の折、銀座を通り、神田を歩く。三越からは有象無象うざうむざうの人間が、虚栄に燃えた物欲しさうな眼付をして溢れ出る。三階には新柄の陳列会が催されて楽隊がしきりにやつてゐる。

「ここの有様は、どうだ?」と私の心は叫んだ。

 十字街を横切つてカフェーの前を通れば、そこには客が充満してゐる。高価な西洋酒が惜しげもなくがれる。舶来煙草の香がせ返るやうだ。

「外国から品物が来ないなんて、嘘のこけだ!」と私の心は叫んだ。

 そして、眼を縦横に配ると、街の両側を、美しく紅、紫、青さまざまに着飾つた人間の群が悠々として織るがやうに、漫然として流れるやうに歩いてゐる。電車が行き、自動車が通る。

「これが交戦国の光景か? そして、自分等の最も親しい骨肉がこの瞬間に血を流して苦しみ、倒れ、死す。さういふことがあつてもこれで自然なのか?」と私の心はふたたび叫ぶ。

 私は路の上に立つて更に考へた。

「この都会には人道主義者がゐる。社会主義者がゐる。理想主義者がゐる。実行本位の基督教者クリスチャンがゐる。徹底を標榜する社会改革者がゐる。そして、ここが最も人生に密接な関係を有する幾多の文明の醗酵地である。それであるのに戦争があるならこの有様は一体なんだ!」と私は繰り返して言つた。

「戦争があるなんて嘘のことだ。宗教家や、学者がかうして平気で黙つてゐるところを見ると、彼等は本当のことを知つてゐて黙つてゐるのだ。そして、私のやうな馬鹿正直な者が気を揉んで騒ぐのを内心をかしがつて見てゐるのだ。」と私は思つた。

「あの人達は、私共より本を沢山読んでゐる。従つて物の道理も分つてゐる。たとへ彼等がその実馬鹿者共であるとしたところが、こんな場合に黙つてゐるほど臆病者であるまい。」

「第一戦争を種に、金儲けをするといふことは政府が許すまい。人間の血や、はらわたを売つて不正の利益を得るなどといふやうな畜生は、警察が見て黙つて取り締らずに捨てて置く理由わけがない。」と私は思つた。

 私も、戦争は作り話であるとして、さう分つたら、なにもひとり気を揉まずにみなといつしよになつて黙つてゐようかと考へた。そして、新聞に出た作り話を、やはり彼等と共にまことらしく信ずるやうな顔付をして、

「今度、伊太利イタリヤがひどく独逸ドイツにやられましたな。なんでも第二の白耳義ベルギイになるといふことです。独逸が敵の女子供を両軍の間に密集さして伊太利軍の弾丸避たまよけにしたさうです。」

「残忍きはまることをするものですな。」

「しかし、もうかうなつては仕方がないでせう。なにしろ独逸は強いもんだ。」

 彼等は、内心敵国の独逸を讃美してゐるのだ。

 寒気が急に加はつた日に、私は感冒にかかつた。いつも風を引くと私のは重いのだ。熱が三十九度以上になつたので、捨てて置けず近所の医者にかかつた。いつもかういふ時、どこの医者からくれる薬も、白い紙に包んだ少量な苦味のする_らかなアンチピリン剤である。しかるにこの医者からもらつたものは、それよりはやや多量にうどん粉の混つてゐるやうな、ざらざらとした白い粉薬であつた。これを飲む時、なんとなく私は不快と不安心とを同時に感じた。

 明くる日、私は如才じよさいのない医者の顔を見た時に、

「あの昨日もらつた薬はなんですか。」といた。

「あれですか、やはりアンチピリン剤です。」と医者は答へた。

「いつものアンチピリンとちがひますな。」

「そんなことはありません。」

「外国品ですか?」

「戦争で、外国品は来ません。」

 私は、ふと舶来酒を飲んだり、舶来煙草をつてゐる人間を眼に描いた。カフェーで見たあの知らぬ男の顔が同時に浮んで来た。

「戦争で、薬品が欠乏してゐます。非常に価が上りました。」と医者は言つた。

「嘘でせう?」

「どうしてですか。」

「みな好い加減なこと言ふんでせう。」

「へへへへ。」と、如才のない医者は変な顔をして苦笑した。そして鞄の柄を握ると、

「御免下さい。」と、彼は、その日は慌だしく帰つてしまつた。私は寝たままこの偽善者の後姿を憎悪の瞳で見送つた。

 一日、次のやうな会話が妻との間に起つた。

「子供に着物を拵へてやらなければいけません。」と彼女が、子供の様子を見ながら言つた。

「まだそれでいいぢやないか。」と私は答へた。

「ふだんはなんですけれど、学校に式のある時はメリンスか銘仙で拵へてやらなくちや……。」

「そんないいものはいらんよ。」

「だつて女の子ですもの。」

 私はかういふ話になるといつも不快を感ずる。家内の者が私のしてゐることに心から同情を持つてゐないと思ふのだ。

「さう物質的ぢや困るよ。俺のことも考へればいいのだ。」と私は言つた。

「だから妾はなにを着てゐてもいいのです。ただ子供だけは普通にしてやりたいと思ひます。」と、彼女が答へた。

「それで普通ぢやないか。」

「かういふ家庭に生れれば、子供だつてそれに甘んじなければならん。」と私は言つた。彼女は黙つてゐた。

 いつも私は彼女と争ふたびに、「今のこれは真実の自分等の生活でない。きつと未来に於いて明るい、自由な生活らしい生活がどこか、遠い所に自分を待つてゐるのだ。」と、空想するのが例である。この時、私にはそんな空想が浮んだ。

「それぢやいけんのか?」         

「だつて、世間普通にしてやらなければ、この頃は平常ふだんですら、それ位の風をして学校へ子供が行きますから。」と、彼女は悄然として答へた。

 私は、かういふことを聞くたびに、常に世間を敵視する念が湧く。彼女も敵である。世間も敵である。私の心は限りない憎悪に燃える。

「男の先生はさうでもないですけれど、女の先生は綺麗な着物を着て行く子供にはやさしくするし、汚ない風をして行く子供にはぞんざいにすると言ひます。」と、彼女が言つた。

「本当か?」と、私は子供を見返つて、鋭く聞いた。

 子供はただ黙つてうなづいた。

 その時、私は容易に言葉が咽喉から出なかつた。胸に重苦しい、いらいらするものがつかへるのを感じた。それは激しいいきどほりの情である。しかしそれを洩らす対象が、今そこに居なかつたので、空しく深く胸の底で思ふより途はなかつた。——学校で子供に修身を教へる。それになにが書いてある。なんのために教へるのだ。なんのために知るのだ。またなんのための知識なのだ。しかも教へるその教師が——と思ふと、私の心は暗くなつた。

 彼等の上に、怖ろしい迫害、窮迫、残虐、追放、敗戦のあらゆる惨苦が来ればいいのだ。その時、彼等は始めて目醒めるだらう。どうせ俗人のことだから、卑しい人間の一人だから。それにしても、子供をやる学校のことが考へられた。学校は果して神聖な所か? 俗物が教鞭をつてゐるすべての学校といふものが——。次に私の胸を襲つて来たものは、なにも人生のこと、世間のことを知らぬ憐れな純潔な子供等の身の上であつた。子供等が学校で、教室に入つて、正しく机に向つて、教師の言ふことを聞いてゐる有様がありありと目の前に浮んだ。

「メリンスか銘仙で拵へたらいくらかかるのだ。」と、私は彼女に聞いた。

「戦争で高くなつてゐるのですよ。一昨年の倍に上つてゐるのですよ。」と、彼女は興に乗つて言つた。

「戦争!」と私は叫んだ。もはや、戦争のあるといふこと、ないといふことは問題でない。たとへ戦争が作り話であつたにせよ、今は「戦争」といふことが至る所で私の上にたたつてゐることが事実である。

 少なくも私一個人にとつては、この戦争は迷惑を感じてゐる。恐らく欺瞞と奸譎かんきつなる手段とによつて不正な利益をむさぼらうと思はないすべての人間にとつては、「戦争」が悪い結果よりなにものをももたらさないことは疑ふべからざる事実に相違ない。

 それほど、重大な「戦争」を、なんでみなは黙つてゐるのだらう。そしてわづかに特殊の人間によつてこれらの権利が自由にされてゐるのを黙つて見てゐるのだらう。まだ善人の多数が悪人等と争つて敗けるほど、この世界が堕落したとは考へることが出来ない。過去の歴史を顧みるのに、真に人道のために、正義のために血を流した戦争はいくらあつたか? 大抵は仮面によつてなし遂げられた人類の暴戻ばうれいな悪事が繰り返されたばかりである。

 彼等は自分を知らないのだ。自分の生命に関し、自分の財産に関し、そして、人生そのものの意義を知らないのだ。またこの世界が自分の世界であり、多数者の世界であるといふことを知らないのだ。そればかりでない、自由に考へるといふことすら知らないのだ。みなが目醒めた時には、この世界の上がどんなに美しくも、また幸福にすることも出来るのに、みづから小さくなつて眼をふさいでゐる。世界の霊魂はまだ深く眠つてゐる。畢竟ひつきやう、無智から、臆病から、迷信から、私慾から、偶像を築き上げて、それに命ぜられるがままに動き、命ぜられるがままに死んで行くのだ。

「誰が戦争をしようなどととなへ出したのか。そして、誰がそれに雷同をしたのか。広い世の中である。五人や十人は、もしくは百人や二百人は、そんな気まぐれなことを考へるか知れない。けれど一日に五千人、五万人、十万人の人々が血を流して倒れ、現に幾百万の人間が戦つてゐるなどといふことは、どうしても有り得べからざることである。やはり『戦争』があるなんて、世間を面白がらせる作り話だらう?」と、私の心は囁いたのであつた。

「君だけは、よくこの作り話にごまかされない、感心だ。始めから、うたがつてゐた。君だけは遂にごまかせない。ぢや、君だけに真実のことを教へてやらう。君だけにだぜ。やはり、君のいふやうに、作り話なんだよ。」

 姿を見せないで、どこか気味の悪い調子を帯びた声で、不意に、後から私に言つた者があつた。

「お前は、誰だ?」と、私は声のする方を向いて問うた。

「幽霊だ。弾丸に当つて死んだ幽霊だ。なんのために死んだのか? 誰の射つた弾丸に当つて死んだのか? なんの怨みがあつて殺されたのか? すべて死んでからも分らない。君の考へてゐるやうに、『戦争』といふものは、作り話にしか過ぎないものだ。俺などは作り話を真実にして影も形もない所へ突貫とつかんして死んだのだ。」

 それから後、私がなんと言つても、もう幽霊は答へなかつた。

 寒い風が、枯れた木立の頂きをかすめて広野を吹いてゐた。

 木枯の吹くうちに、私は黙つて首垂うなだれて坐つてゐた。地上の草は既に枯れ尽くしてゐる。そして、来年また緑色の芽を萌{ふ}くまでには、物憂い長い、鉛色の冬を過さねばならぬ。

「来年の春になつて、花が咲くのを私は見ることが出来るであらうか?」と思つた。

 それほど、人間の命は分らないものであつた。ほんたうに考へて見れば、夢のやうだ。まだ私は家に帰れば、長男がゐると思つてゐる。どうしても彼が死んだといふことが分らない。私には死といふことが信じられない。そして、ふたたび永遠にあの児に遇ふことが出来ないといふことをどうして信ずることが出来よう。

 木枯が痩せ細つた痛々しげな梢や、小枝や林に突き当る叫びは、さながら針で神経を刺されるやうに感じた。そして、ぢつと眼を閉ぢて、どこに私が坐つてゐるといふことも全く忘れて、考へてゐると、眼の前にあの永久に忘れられない日の悲痛な幻影がまざまざとして蘇生よみがへつて来る。

 さうだ、あの魯鈍ろどんな赤ら顔の看護婦がストーブに火をどんどん焚いて、その上に水盤を置くことを忘れてゐたのだ。その時、私の神経はもうそんなところにまで気が附かないほど、ただ子供の上に注がれてゐた。その間に室中の空気が乾燥し切つてしまつた。私は、だんだん息苦しくなつた。子供の顔の色はだんだん変りかけて来た。その刹那せつな、院長が室に入つて来ると、火の燃え移つたやうに激しい大きな声を出して看護婦を叱り附けた。

 同時に、窓の硝子ガラスから、鋭く差し込んで来る光線をさえぎるために、カーテンが下ろされた。水がなみなみとブリキの金盥かなだらひに汲まれて、ストーブの焼け切つてゐる下に置かれた時分には、もう子供にとつては遅かつた。脳膜炎を起した後であつた。

 私は、自分にも分らないことを言つて叫んだ。その時は、もう取り返しが附かないことをした。そしていつたいそれは誰の罪だ。さうそれをこの刹那明らかにしなければならない。今、それを明らかにする責任と義務とは、ここにかうして立ちつつある父親われみづからにあると考へたからだ。しかし、次の刹那に於いて私の頭は非常に疲れたもののやうであつた。俺は夢を見てゐるのだ。全く要らぬ心配をしてゐるのだ。なに子供の病気は癒るに相違ない。奇蹟がきつとあるに違ひない。自分達の身の上には、もつとこの奇蹟があるに違ひない。私は、家に残されて来てそのままとなつてゐる子供の玩具を眼に浮べた。きつと子供は明日の今頃は家に帰つてその玩具をもてあそんで外の風の吹く中で遊んでゐるだらうと思つた。そして子供が死につつあるといふことを全く知らないもののやうであつた。

 しかし、それは二十分とは経たなかつた。

「お前の空想がなんになる! やつて来るものは厳肅にやつて来る! そら! 死がやつて来た! 死が! 死が!」と私は耳元で叫ぶ声を聞いた。

 眼の前には、注射器や、いろいろの薬品が置かれてゐるのが、ありありとこの瞬間に私の眼の中に映つた。つづいて白い髭の生えた院長の顔、赤いネクタイをかけた年若い医者の姿、白い服を着た魯鈍な看護婦、他の看護婦、それらの姿がはつきりと私の眼の中に動いた。この時、なほ私は、かの魯鈍な赤ら顔の肥つた看護婦を見て、「馬鹿に背の低い女だ。」と心で批評するほどの余裕があつたのは事実だ。しかしその作用は一種の神経が異常に働いてゐる刹那の病的現象であることを知る。そして、まだ子供は助かるだらう。私の子供に限つて、助からなければならないと思つてゐたのは事実だ。

 五分間ばかり経つと、

「たうとう駄目でした。こんなに手を尽くしましたけれど、かう急激に来ましたのは、仕方がありません。……お気の毒の至りです。」

と老院長が言つた。

 その声が、私の住む世界とは関係のない異つた世界から起つて来たもののやうに、氷に心臓が触れたやうに、私は冷やかに感じた。そして、全く夢から醒めて、今度こそは確かに赤裸々な現実を見詰めたのである。この社会はどつちを向いても、私の心の世界とは同じものでなかつた。各自がみな異つた神経に動き、異つた感情に生きてゐるといふことを知つた。そして、眼前に私の子供が死んでゐた。子供は死の苦しみをただひとり自身の小さな体に経験して、この無関係な冷やかな社会の中に、寂蓼と苦痛の底に死んで行つたのであつた。私は、始めて子供の感情に立ち入つて、その苦しみを経験するやうな気持がした。そして、同時に私一人が、やはりこの苦痛を心の裡で経験するだけであつて、誰もここに立つてゐる者、また、この病院外にある広い社会に現在かうしてゐる瞬間も、笑つたり、語つたり、また歩いたり、いろいろなことをしてゐるたれ一人、真に同感も、同情もするものがないのだと知ると、怖ろしさと、憎しみのために気が狂ひさうになつた。

「親をはじめ、たれ一人、真に子供の苦痛に同感してやるものがなかつたのだ! 子供が死につつある時、死の苦しみを経験してゐる時に、俺はなにを思つてゐたか?」

 かう考へた刹那、私は胸が張り裂けさうになつて、つひ後方うしろに卒倒してしまつた。

「早く、葡萄酒を持つて来い!」といふ声を私は微かに、遠くで聞いた。

 明くる日、強烈な石炭酸が子供の顔の上から体一面に振りかけられた。そのために棺の中に子供の顔を包んだいろいろの花が見る間にしをれるばかりであつた。残忍な眼付をした巡査は、人々を子供の棺に近付けなかつた。私は胸が引き千切られるやうであつたけれども、もはや両方のこぶしに力が入らなかつた。

 寒い、寒い、冬の日であつた。その日は木枯が止み間なく吹いてゐた。四五日前に降つた雪が屋根の北側や、路傍や、物蔭に白く消えずに、堅く硝子のやうになつて残つてゐた。子供を乗せたガタ馬車が木枯の吹く中を広野のぬかるみを躍りながら、遠く、遠く、野末の火葬場の方に走つて行つた。

 私は、木枯の音を聞く。今、どこに坐つてゐるのだか分らない。そして、永遠に忘れることの出来ない光景を眼に描いて、永久に拭ひ去ることの出来ない悔悟の念に胸を締め付けられるのである。

「一人の死なんて、なんでもないぢやないか?」と、この時、また幽霊がやつて来て、私に話しかけた。

「だつて、まだなんにも知らない子供の死だ。どう思つて見ても可哀さうで、あきらめられない。」と、私は力なく首垂れたままで答へた。

 すると、幽霊は、足音はしないけれど、私の身の周囲まはりを廻つてゐるやうに、今度は右の耳の方で、

「さういふけれど、今度の戦争を見よ。白耳義ベルギイや、ルマニーや、伊太利で、どれほど子供が独逸人の手にかかつて殺されてゐるか知れない。なにも知らない子供を弾丸の楯にしてゐるでないか。」と、幽霊は言つた。その声には悲しみもなければ、憐れみもない。ただ冷やかに聞えた。

「いつたいそれは作り話でない、ほんたうのことなのか?」と、私は頭をもたげて叫んだ。

 けれど、もう幽霊は答へなかつた。なんと言つても答へなかつた。

 ただそこには肅殺として幾年前の子供の死んだ日のやうに木枯が吹いてゐる。私は、ぢつとしてゐることが出来なかつた。

「子供を弾丸の楯とする? ほんたうのことか! ほんたうのことか!」と、叫びながら、私は、鋭く吹く木枯の中を突つ切つて、曠野を駆け廻つた。

*   *   *

 この郊外にはFが住んでゐる筈であつた。私はふとFを思ひ出した。往年悲痛な心の経験をめてから彼は独身で暮して来た。彼の心は冷やかになつてゐた。彼は読書に日を送つてゐた。めつたに町へも出なければ、またいろいろの人とも遇ふことを嫌つてゐた。けれど、彼はみづからを淋しいとは思はないらしかつた。彼の目は落ち込んでゐた。その底に水晶のやうに澄み切つた輝きを帯びて、ぢつと誰でも見据ゑる癖があつた。

「あいつは傲慢だ。」と、言つて、当年の学友はFをあまり訪ねなかつた。私は、常に彼は世間の普通の人のやうに茫然として日を送つてゐないと思つた。この生活に対し、また死といふ問題に対して深く考へてゐると思つた。

「Fを訪ねよう。そして、この怖ろしい有り得べからざるやう思はれる虐殺や、殺戮さつりくについて彼がどんな意見を抱いてゐるか訊いて見よう。」と私は思つた。そして、一筋の細い路の上を走つた。

 Fは冷やかな人間であつたけれど、一面従順に近いところがあつた。心ではどう思つても、しばらく相手の言ふことに従つて、黙つて反対をしないところがあつた。私が、それから間もなく、彼を淋しい、うす暗い家から外へ誘はうとすると、彼は読書を止めていつしよに外へ出た。

 二人は、ふたたび風の吹く野原に立つた。そして、私は、Fに向つて、「戦争」について語つてゐた。

「僕には、どうしても真実にあることとは信じられない。作り話だとしか考へられない。」と、私は、この時眼を前方の一点に注いでゐる、少し青ざめたFの顔を見ながら言つた。

 Fは今始めて、頭の中で戦争といふ問題に触れたのでない。彼も前からそのことについて考へたことがあるやうに、そして、私の疑つてゐることに彼もまた思ひ至つたことがあるやうに、彼は私の語るのを聞く時に同感するところもあるといふ風に、黙つてうなづいてゐたのであつた。私は、この様子を見て、Fもまた私と同じ意見に立つてゐるかと思ひ、内心喜びを催したのであつた。しかし、彼がある好意を持つて他人の語るのを聞く場合に、よくうなづくのは癖でもあつた。ただ彼の顔に、それは面白い問題である、考へるに足る問題であると思つてゐることが、色に現はされてゐた。私はそれによつて、一層勇気付けられた。この思想家であり、人生に対して真面目な観察者である、淋しい友の同感を受けることは、どんなに力強い嬉しいことであるか知れないからであつた。たとへ彼が全然私の意見に同意しなくとも、少なくもこの友から、私の日頃抱いてゐる思想を理解せられることは、非常に嬉しいからである。

「もし、戦争が真実にあるなら、そして、海のかなたで、同じ運命の下に生活する人間等が血を流してゐることが真実であるとしたなら、どうしてこの眼前の社会がこんなに平気に愉快さうに、また虚飾に流れてゐることが出来ようか?」と、私は、声に力を入れて、調子を高くして言つた。そして、Fのこれに対する批評を聞かうと思つた。二人の間にはしばらく沈黙があつた。日頃からの疑ひと、不平と、矛盾とをことごとく打明けてしまつた私の心は、限りない平静と、悲しみとを感じたのである。その刹那の心持を言葉に確然と現はすことは出来ない。ただみな孤独である。Fも私も孤独である。のみならずこの地上の人々はみな同じやうに孤独を経験してゐる。かくて互にそのことを知りながら、なほ人生は、全く相抱いて同じ霊魂に生きることが出来ないといふ、幽かな意識に他ならなかつた。

 私は歩きながら、杖で路傍の枯れ残つた草の葉を叩いてゐた。うす紫色に、赤に、黄色に、褐色に枯れて行く草の、糸のやうな茎には、小さな黒つぽい実がなつてゐた。それが思ひがけなく、不意に叩かれて、はらはらと湿つた地の上に落ちる音が聞えた。そんな有様にも私の眼はぢつと止つた。そして、知らず知らずの間に私はかうして来年新しく緑色の芽をこの地上にきざす草の種子をいてゐるのだと思つた。私の心は偶然なことに微笑した。そして、Fの語るのを待つた。

「戦争はたしかにあるでせう。しかし不思議ではありません。」と、Fは答へた。

 この答へは——少しも彼が疑はない——この答へは意外であつた。私は彼を振り向いた。彼の眼は依然として、前方の一点を見詰めてゐた。その眼の底には、いつもの冷やかな輝きがあつた。

「同情とか、同感とか言ひますけれど、それは不可能なことを強ひるものです。その場合、同じやうにその事実を経験しないものに、どうして、同じ心が分りませう。苦痛や煩悶が分りませう。」と、彼は言つた。

 私は、Fが自身のことを語つてゐるのだと思つた。彼自身がかつて、苦痛を経験した場合に、自分以外のすべての周囲が冷淡であつたそれを語つてゐるのだと思つたほど、彼は確信をもつて言葉を強めた。

「戦争をしてゐる者は、自分以外の彼等ではありませんか。なんでこの街に住んでゐる人々に戦争がありませう。なんで戦争といふことが分りませう。人々は言葉で『戦争』と言ひますけれど、形のないことを話し合つてゐるのです。戦つて血を流してゐる人間だけに『戦争』があるばかりです。」

「なんのために戦争をするかといふに、ただ生きるためです。より幸福に生きるためです。なんのために、戦争を肯定するかといふに、やはり幸福に生きるためです。より多くの利益を奪ふためなのです。」

「君は、戦争を善いことと思ひますか。他を殺して、みづからを益することを善いことと思ひますか。」と、私は問うた。

「すべての物の価値は、ひとり生きてゐる人間にとつてあることです。死んだ人間には、なんにもありません。死んだ人間に戦争といふことがなんの意味がありませうか。生きてゐる人間にとつて、戦争が幸福を持ちきたすものなら、戦争も大いに善いことにちがひありません。」と、Fは少しも彼の言ふことに矛盾を感じてゐないらしかつた。

「死んだ人間を可哀さうと思ひませんか。」と、私はふたたび問うた。

「誰も心から、自分は死ぬと思つてゐる者はありません。夢を見てゐたり、なにか幻影に迷はされて、それに心が溺れてゐるものは一層幸福でありますけれど、さうでないものでも、口先では死ぬかも知れんと言ひながら、やはり心の中では、俺だけは死なない、生き残るだらう。なにかの奇蹟によつて、他人が死ぬ揚合でも、俺だけは死なないで生き残るだらうと思つてゐるのです。そして、ただ生だけに附随する誘惑——名誉、光栄——尊敬などといふことを考へてゐるのです。最後まで考へてゐるのです。負傷して、血を流して倒れてゐる刹那でも、まだ自分だけは助かると思つてゐるのです。彼等にあるものは、やはり生といふ意識ばかりです。死を考へるものは、生きてゐる人間が、徒然つれづれに考へる空虚な空想に過ぎないのです。」と、Fは真面目に言つた。私はなんたる冷酷な彼の見方であらうと思つた。果してさうだらうか?

「ルマニーや、ガリシヤ、白耳義や、伊太利で行はれた子供の虐殺といふことについて、君はなんとも考へないのか。」と、私の声は覚えず激して震へた。

「虐殺は虐殺です。同情は畢竟同情です。殺される者は彼です。自分でない彼です。生きてゐる者は自分です。死ぬのは彼であつて、自分ではないといふ考へがあるがために、この怖ろしい考へのために、子供を殺し、女を殺し、老人をも殺すのです。また、この怖ろしい考へがあるがために、他人が現在、この地上に於いて同じ時刻に於いて、血を流して殺し合つてゐるのを知つても、平気で笑つたり、語つたりしてゐることが出来るのです。そればかりでない、言葉の上で、文字の上で戦ひを鼓吹こすゐしてゐるものすらあるのです。」

「然らば、君はこの事実をどういふ考へで見てゐますか?」と、私は言つた。

 Fは、考へてゐたが、

「私ですか? 私は、あなたのやうにこの人間を高尚なものに見てゐないのです。人間といふものを善くも、美しくも、また貴いものだとも考へてゐないのです!」と、彼は、きつぱりと最後に言つた。

 これで分つた! 二人は根本に於いて人間に対する考へが違つてゐたのだ。

 二人はやや歩き疲れた。土手の枯草の上に腰を下ろして、またしばらく黙つてゐた。

 林の木立は悉く神経を露出してゐた。木枯に肉を洗ひ落された枝が、気味悪さうに冴えた雲のない空に黒く浮き出てゐる大地の上はうす暗くなつて行つた。そして、血の海をさながら前に臨むやうに入日の余炎は重々しく、濁つて地平線を焼いてゐる。

 視界の際涯には、幽かな、さまざまな、灰色に、黒色に、形の分らない異様の物象が悪夢のやうに、漠然として明滅してゐる。

 二人はその時、依然として黙つてゐた。

 私は、いつまでもそれらの物象から眼を放さなかつた。——炎の燃える下に、血の流れに浸つて壊れた砲車が転覆してゐる。軍馬がたふれてゐる。剣を上げたまま士官が仰向けになつて木の幹に半分体を支へて倒れかかる。ある者はうめいてゐる。ある者は水に渇して苦しい叫びを上げてゐる。そして、「一杯の水を恵んでくれるものがあつたら、その時はこのまま死んでもいい。」とさへ思つてゐる。ある者は、その上におほひかかつてゐるしかばねを力いつぱいで押し除けて、その下から這ひ出さうとしてゐる。胸をそらすと横腹には、ゑぐられた赤黒い穴があいてゐる。血が吹き出て、もう出尽くしてしまつたやうに口を開けてゐる。そこからはらわたみ出てゐる。その男は妙な口附をして、顔をゆがめるとばつたり前のめりに地の上に伏してしまつた。程隔たつた所には、暗い塹壕が曲線的に深く地に喰ひ入つてゐる。その中で、うごめいてゐる獣だか人間だかの黒い影がある。そこには熔岩の流れたやうに、どす黒い煙が上つて、ぷちぷちとはぜる音が聞えて、真赤な火がひらめくかと思ふと消える。消えるかと思ふと閃めく。ちやうどその時、すべてを包む厚い、濃い、夜が物の上に垂れかかる。

 忽ち、私は、可憐な子供等が寒さと、飢ゑと、怖れにをののいて、ある者は泣き、ある者は叫びながら幾十人が一塊りとなつて、広い空地に右を向き、左を向き、互に誰か迎へに来てくれるだらう? いつ迎へに来てくれるだらうか? と思ひながら、やがて日の暮れるのも知らずたたずんでゐる。この時、規律正しく、一列になつて兵卒の一隊が前方に現はれる。指揮刀が曇つた空の下で白光りに閃めく。やがて一隊の兵卒は止る。そしてこつちに向く。なにか士官が命令する。ふたたび指揮刀が閃めく。兵卒は肩の銃を執つて一斉にこつちに向つて狙ひを定める。この瞬間子供等は自分達が、今殺されるといふことを知らない。「打て!」の号令に火蓋ひぶたは一斉に切られる。急に子供等の悲鳴が聞える。小さな体に起る死の刹那の叫びが聞える。やがてそれらの声が聞えなくなる。日暮方の曇つた空の下には、罪もなくして虐殺された幾多の死骸が散乱する。その上を寒い風が吹き、それらの肉をついばまうとする群鴉ぐんあの啼声がして、黒い影が無数に輪を空に画くのである。「ああ。」と私は覚えず溜息を吐いた。

「正義! それは畢竟空虚の叫びであらうか。そして、この私の頭に渦巻く考へ、それは畢竟一種の贅沢な詩的空想に過ぎなからうか?」私は顧みて、自分と違つた意見を有してゐる友を見た。——寒い、寒い風が吹く。――

 その時、Fはやはり冷やかな眼で、ぢつと前方の一所を見詰めてゐた。