正月といふ月は何となく、心忙しい、気のそはそはする月で、落附いて読書などするには不適当な月である。其癖、正月程出版界の賑かな景気のよい月はない。殊に雑誌はどれもどれも沢山の小説を掲載するので、正月に出る小説の数はすばらしいものだ。其読書に不適当な月に、そんなにどつさり小説が出るんだから、一々精読、再読して、動きのとれない批評をする事などは、非常の難事である。僕は今こゝに、僕が読んだ丈けの範囲に於て、各作者の武者振の如何であつたかをざつと紹介するを以て満足しやうと思ふ。尤も同じく「読んだ」といつても、朝、早く机に向て読んだのと、夜、遅く床の中で読んだのと、心持のよい時読んだのと、わるい時読んだのと、天気のよい時読んだのと、わるい時読んだのと、叮嚀に読んだのと、ザツと読んだのと、批評の標準がキチンと一致し難きものあるべきを恐れる。又ちよいちよい新聞雑誌に出た批評などと自分の考の違ふのを見れば、自分の批評眼といふものも高いのか低いのか疑はれる。然し僕は自分で読んで、自分の趣味に照らして、自分で判断して、自分の信ずる処を正直に書く丈けである。不充分な所、間違つた所は勿論あらうが、故意に筆を曲げたり、若くは他人の説を受売して附和雷同した批評よりは、いくらか取得があるかも知れない。少くとも僕は自ら詒かざるを快しとする者である。
田山花袋氏
花袋氏は此の正月に最も目覚ましい活動をやつた一人である。「文章世界」に出した「古驛」は紀行文と抒情文とを交ぜたやうなもので、且つ叙景は文字を多く使て居る割合に、印象が不明で、抒情は妙にセンチメンタルの所が多く、花袋氏の寧ろ短所ともいふべき方面を暴露した作であるが、「早稲田文学」に出た「一兵卒」。「中央公論」に出た「土手の家」。「太陽」に出た「縣道」の三編は皆相応に読み応へのある作であつた。
「一兵卒」は日露戦争に出た一兵卒が脚気で重い足を引ずりながら、前方にある自分の隊に加はらうと思つて、病院を出て、荒漠たる満州の野を歩く。……目に入るもの、総て戦争の光景。弾丸の轟く響は遠く耳に入る。彼は妻の顔を思ひ出す。子供の時代の事を思ひ出す。神楽坂の縁日の事を思出す。かくいろいろの事を思ひ出して歩行いて、一寸とした洋館のやうな処で休む。脚の疼痛が激しくなつて非常に困しむ。遂に脚気衝心になつて、見ず知らずの二人の兵隊の通り一片の言葉――「本当に可愛想です、何処の者でせう」などいふ言葉――を聞きながら死ぬと云ふ趣向である。近頃段々流行つて来たとか聞く内観的、内部的描写で、戦争、戦場といふものを大きな背景にして、其前に便りなき、哀れな、病める一兵卒――殊に其一兵卒の心的苦悶を描いたものである。世間では非常に傑作、又は非常に深酷な作だといふ人もある様である。材料は成程深酷なものである。然し之を読んで正直の所、僕は深酷だとも何とも思はなかつた。これ丈けの材料を使て、自分の頭で今一度組み直し考へ直して見なければ深酷にならないやうな気がした。今少し藝術らしく、印象を残すやうに書けないものかしらと思つた。今少し順序よく描写したら二十頁の此作と同じ感じを十頁以内で感じさせるによささうなものと思つた。僕は同じ脚気衝心を書いたものだが、去年の「隣室」の方がもつと感じが深かつたやうに思ふ。然し此篇で僕の最も感じた事は、今迄概して粗略な書き方であつた氏が、余程文章に骨を折て来て、文調なども大いに重んずるやうになつた事である。「銃が重い、背嚢が重い、脚が重い」なども其一例である。之れは甚だ慶賀すべき事であると思ふ。概していへば此篇は技術の上に於て氏の従来の作よりも優れ、又材料の選択もよいが、全体の描写の上に於て深酷なるべきものを深酷に感ぜしめ得なかつたといふ、欠点がある。然し兎に角注目すべき一作品といつてよからうと思ふ。
「土手の家」に至ては確かに作者第一の佳作。――前代には貸座敷であつて今は旅店兼料理屋をして居る家がある。其家の主婦を初め、女中共が朝から晩まで、情夫の話、食物の話、着物の話を為通し。殊に其主婦は其実母と情夫を奪合ひして居るやうな淫風に染み込んで居る家である。其処に使はれて居るお源といふ子守女が、みんなが未だ小供と思て居るのに、人知れず船宿の息子と出来て、川ぞへの土手の家であひゞきをやつて居るといふ事を書いた者だ。全体が随分ひどい事実であるが、作者の態度が超然的で、只事実を事実として書いて居るので、何等の醜感を起さしめないのは氏の非常なる長所である。殊に此篇に於ては氏の何時も陥り易い筋書風を脱して、具体的に描かれて居るのは非常の進歩である。且つ背景などもアツサリ書いて、而かもよく出て居り、お源が船宿の息子に引張られて舟に入た、其舟の中の趣などもハツキリ出て居る。処々に同じ言葉の重複などはあるが此篇によつて氏は簡潔に而かも具体的に書く手腕をも持て居ることを示したものと思ふ。
「縣道」は少し散漫な作である。溺死した夫の死骸を、妻たるものが、其冷たさも、醜さも忘れて、裸体になつて自己の膚で温ためて生き帰さうとして居ることに興味を以て書いたとすれば、前後の釣合のわるい作である。背景などもクド過ぎる様である。然し決して悪い作ではなく、随分見所のある所もある。只作者は此女の所為が愚民の迷信で、且つ夫たるものに対する熱情から出て居るもののやうに見て居るらしいが、溺死した人には焚火よりも人の肌の温もりが有効といふのは実際事実な相で、何処の漁村でも、見ず知らずの溺死した男を抱いて寝る女が沢山にある――又是丈けは夫も黙つて許して置くといふ話である。作の価値に関係のない事かも知れぬが、参考の為めに一言して置く。
小栗風葉氏
「新小説」に出た「婿えらみ」。「新思潮」に出た「七人め」。「趣味」に出た「解脱」。「中央公論」に出た「歪力」。以上の四篇が風葉の名を署して正月の文壇にあらはれた。而かも「婿えらみ」はトルストイの「アンナカレニナ」の第十二回から第十五回までの翻訳で、「七人め」は三十七年の「文藝界」に出した「親と子」の上と下とを省いて、其中丈けをちよつと書き直した丈けのものである。
尤も「婿えらみ」は趣向もよく(長篇の一節を切り離してもこうキチンとよく出来る所を見てもトルストイなどは実にエライものだ)又文章も力もあり、調子もよく、殆んと翻訳と思はれぬ程よい作になつて居る。(訳した人は風葉でなからうが、文章はむろん風葉が大いに筆を加へたものだらう。)只、翻訳とも何とも断はらぬのは余り感心せぬ。又「七人め」の如きは前後をとつた為めに却てわるくなつて居るやうに思ふ。
右のやうな訳だから風葉の創作は「解脱」と「歪力」の二篇丈けである。「解脱」は長篇の一部であるから、悉しく批評する訳に行かぬが、余程力を籠めて居るものらしく、短い割合には読み応へがする。只今少し多く出して貰ひたい気がする。「歪力」は文章は氏のことゝて流石にむだがなく、締つて書かれて居るし、又人物もモデルがあつて、其モデルを僕等が知て居るので、作以外の面白味もあるが、普通の人には余り面白いものでないかも知れぬ。要するに正月に於ける氏は大した武者振を示さなかつた一人である。
徳田秋聲氏
「新小説」に出た「残骸」は氏も断はつて居る通りモーパツサンの翻訳で、(英訳にはReilcs of the pastとあるものゝ)翻訳文も大したものでないから評をせぬ。「趣味」に出た「背負揚」も何だか翻案物のやうな気がされる作で、前半は確かに氏の筆と合点されるが、後半は前半と少し調子が違つて、趣向文調もすつくり合て居ないやうな気がした。わるい作と思ふ。ひとり「文章世界」に出た「かくれ家」は氏ならでは到底書けぬ作で、新春文壇中に於ける一佳作である。奥さんも、旦那も、仲働のお仲も、此三人の関係も、此三人の住んで居る所謂かくれ家も、其家に起た事件も、落附いた、底光りのする、幽韻のある筆で実によく描かれて居る。読んで居ると場景ありありと眼に写つて来る。非常によい作である。要するに秋聲氏は此「かくれ家」一篇を以て新春文壇に大いなる寄与をなしたといつてよいと思ふ
國木田獨歩氏
氏の作は「中央公論」に出た「竹の木戸」。「文章世界」に出た「二老人」。共に見所のある作である。
「竹の木戸」は氏が「窮死」に書いたやうな「生活問題」の方面へ、進んで行た作でお源といふ植木屋の女房が、貧故に隣家の炭を盗み、其事が露見し相になつたのを恐怖し、夫に向て量り炭も買ひ得ぬ今の境界を愁訴する。すると物も言はずにひよいと出て行た夫が炭を一俵持て来た。処が其炭も亦炭屋から盗んで来たのだといふ事が分つたのでお源は遂に自殺をするといふのが中心の思想で、これに隣家の人物――殊に其下婢のお徳などを取り合せて一篇をなして居る。自殺をするといふのが、少し唐突で、且つお徳との軋轢も今少し結末があつて欲しい気もするが、氏の作風が明かに一転化して来たといふ事実は極めて注目に値するし、又隣家の諸人物の性格も一々よく書き分けて居る処は流石に獨歩である。傑作とはいへぬが、獨歩氏に興味を持て居る人は充分注意すべきものと思ふ。
「二老人」は石井翁といふ仙人主義の人と、河田翁といふ世路のせち辛いのに跼蹐して居る人とを描いたもので、暢びりした、ゆとりのある、趣のある作である。終りの方で河田翁に「私は大変な事を仕て居るんだ」云々と自分の身の上を語り出させた処はちとわざとらしいが(少し終りを急いだのだらう)面白く出来て居る。両者を比較して見やうならば「竹の木戸」は研究的に苦心して書いた作で、「二老人」の方は興味を以て、書いたものだらうと思ふ。
要するに正月に於ける、氏の武者振より推測するに今後は従来と異つた見地に於て大いに活動をするだらうと想像される。
眞山青果氏
「中央公論」に出た「男五人」は、其キビキビした筆致、其精細緻密な観察に於て、容易に他人の及ぶべからざる力量のあることを充分に示して居る。「男五人持ちや」のうだつが上がらない唄を歌ふ、放縦な、勝気な、負嫌ひの女主人おせんは固より、脇師のつばくろ
爺さんも、又房州のローカル、カラーも充分によく出て居る。那古の海岸の叙景など殊によい。只東京へ来てからの所が、説明式になつて居るのは少し慊らないが、説明式に出来得る程度のことは遺憾なく書き尽されて居る。感興横溢の作ではないが、苦心惨憺、氏の力量の甚だ恐るべきを示した作である。
之に反して「趣味」に出た「妹」は寧ろ感興の作で、三分の二位まで、ずつと一息に気が張つて、妹も、兄もなかなかよく出て居る。只終りの方が稍々書き足らぬ感があり、初めと少し釣合がとれぬので、切角の作をそれ程でなくしたやうな憾がある。然しなかなかよい作で、一月の「趣味」では無論第一等の出来であらう。只「男五人」に比ぶれば、少し読み応へがせぬやうな気がする。
「文章世界」に出た「紫」は余り概念に過ぎ、且つ余り理智で以て書いたやうな――作者の弱点をあらはしたやうな作でよくない。只「秋晴の朝、日は冷たく白芙蓉の弁に射して居た。紫苑、秋萩、秋の草、秋の花の盛りである」の句は好きな句だ。「新潮」に出た「癌腫」は未完であるから、今後の発展は分らぬが、描写の精細な割合には情趣がないやうである。「新聲」に出た「別れ際」は旧作と聞いたが、成程筆にも幼稚な所もあリ、趣向も大したものでない。要するに氏の作は五篇で、例によつて其数は最も多いが、見所のあるのは「男五人」と「妹」の二篇で、此二篇によつて、氏の力量手腕、所謂大家の塁を摩するものあるを充分に示して居る。氏も正月文壇に最も活動した一人である。
泉鏡花氏
「草迷宮」といふ単行本はまだ読まぬから兎角の評を下し難いが、「新小説」に出た「雌蝶」は一読するに大分骨が折れた。骨を折て一読したが何等の感興が湧かぬ。寧ろ非常にイヤナ感じがした。文章もわざとらしく、思想も作り物らしく、僕は実につまらぬものだと思つた。
廣津柳浪氏
「新小説」に出た「壁一重」は満州に居る馬賊の頭領の妻君大柳仮名子なる変チキな女性を描いたものである。余りに芝居向きなもので、一向に面白くない。氏の如き描写的手腕を持て居る人が、こんなものを書いて居るとは情けないものだ。「文章倶楽部」に出た「眞か偽か」。
米光関月氏
「趣味」に出た「編輯人」。可もなく不可もなし。
徳田秋江氏
「新潮」に出た「人影」。余りに事実に忠実ならんとしたもので、作としては価値の少ない者となつた。去年の「早稲田文学」に出た「食後」などには到底比較されぬ。只横浜の埠頭の景色を書いた所丈けはなかなかよく出来て居る。
吉江孤雁氏
「太陽」に出た「まをし児」。一種の紀行文のやうなもの、文字を多く使て居る割合に、情景が明瞭に出て居らぬ。氏の何時もの作より遥かに劣る。
窪田空穂氏
「趣味」に出た「預品」は小島といふ自分の昔の先生の性格を描いたもの、可もなく、不可もないが、表面の事実ばかりでなく、今一歩深く切り込んで書いて欲しい。こういふ種類のものなら、獨歩氏などは夙くの昔に数段の上の作品を出して居る。「太陽」に出た「昔の家」は読まず。
岡田八千代女史
「新小説」に出た「鴬」は、俳優と名家の令嬢との間に生れた一女子が、父の華美な、贅沢な生活を思ひ起して羨ましく、自分も父の血統を引いて俳優たる資格ありと小学校教員を廃して、自分と関係あつた男の後から直ぐ上京して某俳優の内弟子となつて見たが、芝居の事は一向やらせずに毎日の行儀や仕事が七面倒なので、面白くなく、又男をこしらいたから、やがて其家を飛び出すだらうと云ふ事を書いた、つまらぬものだ。書き方など旧くさくつて一向見栄がしない。「新思潮」に出た「白蛇」は読まないから評なし。
嵯峨の屋氏
「新小説」に出た「その正月」は夫の名は八郎兵衛、妻の名はお妻といふから「鰻谷」のやうな悲劇でも書いたのかと思つたら、大違ひ、アーメンだの、神様だのつて馬鹿に西洋くさいものであつた。のんだくれの夫が、妻子の窮状、信仰に動かされて、正月元日にクリスチヤンになつて、洗礼を受けるといふお目出たいものだ。今少し旨く、真実らしく書かれさうなものだ。つまらぬ作だ。
坂本四方太氏
「ホトヽギス」に出た「長靴」。書き方には流石に老練な所はあるが、大したものでない。
寒川鼠骨氏
「ホトヽギス」に出た「烏」。写生的な所に面白い所がある。前半がよい。
大塚楠緒子女史
「趣味」に出た「蛇の目傘」。嫌やな作だ。「顰むもよし、笑めば猶よき匂やかな」云々以下数行、浜香の容貌を形容した文字など、漱石氏の「虞美人草」でも模したやうで非常に忌味だ。女史は好んで藝者のことなど書くやうだが、只文字ばかり艶麗なのを選んで、情趣といふものが出て居ないので甚だ慊らぬ感がある。
小山内薫氏
「趣味」に出た「掏摸」も「文章世界」に出た「手」も「新小説」に出た「騎兵士官」も、みんな僕は嫌ひだ。何か外国のものでも読んで、趣向を得てそれを才で以て捏ねつて書いたやうな気が見えて面白くない。此中では「騎兵士官」が比較的よからうが、矢張り漱石氏を模したやうな、軽薄なやうな処があつて嫌だ。一体模するといふ事が甚だわるい事だ。「掏摸」などは、掏摸の例を以て弟に関係あつた女に弟を思ひ切らするといふ、実に薄つぺちな、わざとらしい嫌なものだ。作物に対する氏の態度は甚だしく、才と智に囚はれて居るやうだ。
野上八重子女史
「新小説」に出た「紫苑」。書き方の明瞭な点は女史の従来の作物よりも一段進歩して居る。只父から貰つて来た短刀を夫に示したら夫の心が解けたとあるが、夫が妻を余所余所しくした動機が分らぬので、此理由も胸に響かない。(妻君が妻君としての決心が固まつて居なかつた為めとしか受取れぬ。)作全体としては価値はないが、部分部分としてよい。父の刀剣をいぢつて居る処などは少しわざとらしいがよく出来て居る。
「ホトヽギス」に出た「柿羊羹」。これも悪くはないが、吉田さんの恋物語なるものが、神秘くさい、小供らしいもんで(作者は暢気で趣味ある積りかも知れぬが)嫌やだ。
鈴木三重吉氏
「中央公論」に出た「引越」。大変に評判のわるい作である。之を弁護すれば、自分の雑誌に出たものだから褒めるのかと邪推する人があるかも知れんが、実際僕はわるい作と思はんから、少し之を論ずる。此作は趣向丈けをいへば、下宿屋の冷やかな、温かみのない生活に厭いて、素人屋に移つた書生が、其おかみさんのやさしく情味のあるやうなのを、大いに喜んで居た所が、其情味といふものは全く口ばかりで、自分が大事にして居た雀を、自分の留守中に物も喰はせずに殺して了つたのに、腹が立つて宿更へをするといふ事を書いたもので、作者はアツサリと、其主張があらはに出ないやうに勉めたもの、いはゞ沢消しのやうな作品であるから一般の人が其光りを認めぬのも無理はない、殊に雀に関する幼時の事をエピソートとして、而かもシヤツチの釦鈕を附けながら話させる所の手際などは、氏の非常なるアーチストたるを示して居る。この作の一般に受のわるかつたのは、かゝる趣味を持た人の比較的少いことを証拠たてたものに過ぎないと思ふ。
小栗籌子女史
「新潮」に出た「媒酌」。女史の処女作である。某事業家の妻君が、郷里に帰て、昔の親友――男女と渾名された沢子といふ、今年廿七になつてまだ夫もなく、容貌も余りよくない女を訪ふ。沢子は日頃の元気に似ず愚痴をならべて淋しさうにして居る。これは夫欲しさの為めであると分る。因て婿を世話しやうと自分の遠縁の医学士に口を掛ける。すると其学士の母も乗気になり、学士も異議がないといふので、何だか話が纏まり相になる。処が媒酌に立つた自分が学士と逢て見ると立派な男で、自分の夫よりも数倍優つた男で、沢子さんには過ぎた男で。何だか此話を毀して了いたいやうな気になる。一寸沢子にケチをつけて見たが、学士は平気で、貰ふ気である。家に帰れば沢子は来て返事を待て居る。妬ましいやうな、馬鹿にしたいやうな、卑しむやうな惑がむらむらと湧くが兎に角出来さうな事丈けをいつて了ふ。其結婚の時は祝ひの席に臨まず帰国してはがき
で祝てやるといふ趣向を、しまつて、むだのない、鋭い筆で書いてある。確かに一佳作である。風葉氏の「弟娵」よりも、もつと自然なよい作である。
水野葉舟氏
「新思潮」に出た「再会」。自分の感情に囚はれて了つて、他には其感情が余りよく徹らぬものとなつて居る。モデルの人を知て居て読めば興味があるが作としては感服せぬ。「新小説」に出た「北国の人」は誰だかもいつたやうに「東北の人」といはなければなるまい。全体としては纏まつて居ないやうだが、部分部分には氏一流の感じをよく出して居る処がある。「太陽」に出た「さあちやんと安井」は読まぬ。
長谷川二葉亭氏
「趣味」に出た「血笑記」、アンドレフの作の一節の翻訳である。感じを書いたものであるらしいが、何となく誇張のやうに思はれて僕は好かぬ。然し全体出て見なければ何とも評は出来ぬ。
夏目漱石氏
「虞美人草」の後でもあり、且つ三十回位の短篇といふやうな噂だから「坑夫」といふ題を、「東京朝日」に見た時は、今度は極めて痛快勁抜なもので、「べらんめい」口調で、坑の中で火花を散らすやうな事を書くんだらうと思つたが、出て見ると、想像とは正反対、極めて理屈つぽい、学者めいた、暢気過ぎたもので、今日まで廿二三回出たがまだ鉱山に着かないで居る。自分のいつた一語、一話悉く、心理的解説を施し、自分のなした一挙一動悉く学理的説明を附したもので、読んで、ウンザリする処が少くない。又「松原の方で発展して呉れなければ」とか、「自殺はいくら稽古をしても上手にならないものだと云ふ事を漸く悟つた」とか「牛から馬、馬から坑夫」といつたやうな、茶化した悪戯言が多いので非常に嫌な処がある。「虞美人草」以前の氏は変幻出没端倪すべからざる概があつたが、近来は少し型に入り過ぎたやうな気味のあるのを慊らぬやうに思ふ。
柳川春葉氏
「新小説」に出た「残者」。少し拵へ過ぎて居る気味があつて余りよくない。「新潮」に出た「出勤前」。全体としてはわるくなく一句、二句非常によい処もあるが、又不穏当な形容詞や、不自然な会話などもちよいちよいある。要するに中作である。「趣味」に出た「飯時分」。今少し深酷になり相な作を左程深酷でないものにして了つたのは惜しい。而し氏の中ではこれが一篇よいやうだ。母を死なしめ、許嫁をこはして了つた恨があるといふが、どういふ事をしたのか具体的の事が分らぬので、相手の男に対する感情が不明である。又終わりの方からいへば題名も「空腹」とでもいつた方が妥当だらうと思ふ。
三島霜川氏
「新小説」に出た「ドブ」。よい作だ。尼と虚無僧との間に出来て、ドブの中に棄てられて、顔に大きな疵のある男が棄児だといふ事を知てからグレ出して、大酒を飲んで、世人を敵として、終にドブにはまつて社会を呪ひながら死ぬといふ趣向は別に新らしくもなく又筆も少し乾いて居るが、居酒屋で酔ぱらつて居るあたりの筆は旨いものだ。氏の一佳作だ。氏は理屈の入つたものを書いては却て隙間のある作を出すが、箇様な世から見離された、又世を見限つたやうな人物を書かせては他人が及ばぬ手腕をそなへて居る。「新聲」に出た「雨の夜」はよくない。
伊藤左千夫氏
「ホトヽギス」に出た「隣の嫁」。非常の佳作である。田園の気に充つ満ちた作品で、情景共に双絶、ツルゲネフの恋物語にも比し得べきものと思ふ。最後の二頁許りは少し収りがわるい、が其他は一点の批難がない、おとよさんは素より、其他の人物おはまも省作も、清蔵も、政さんも兄の夫婦も皆よく出て居る。只如何に崇拝して居ればとて、おはまがおとよさんを悪まぬのは少し妙だが、人物も先づ無難といつてよい。殊に雨の日の仕事場の光景はありありと描かれて只々敬服の外な<、おとよさんの家の風呂場の処もなかなか艶に出来て居る。此前の「野菊の墓」よりは僕は更らによいかと思ふ。
生田葵山氏
「明星」に出た「神経衰弱」はゴルキーの「二狂人」からでも思ひ附いたやうなものでつまらない。又「趣味」に出た「味噌汁」も矢敗の作であるが、「新小説」に出た「姑」はなかなか見所ある作である。が処々にわざとらしい誇張の筆使ひもないではないが、「自分は先づ嘲笑ひたくなつて。」「女は直ぐ之だ。自分の情を動かした愉快な部分は忘れて了て其れから来た苦痛を他人に塗り付けたがる!」とか、「長く男の情に接しない飢渇が歴々」――云々となかなか好い処がある。又全体の着想も、若く夫に別れて永い間寡婦を立て通した姑が、其嫁も早く夫に別れて淋しいのを見て自ら慰めて居るやうな、若い男の嫁に近付くのを妬みて、自分は酒などを呑めば妙に若々しくなつて、男の手にさわるのを嬉しがつて居て、而かも世間体は何処までも堅気な感心なお婆さんとして通て居るといふ姑をよく捕えて居る。此姑を迷はさうとする所など確かに葵山の特徴を出して居る。
正宗白鳥氏
「早稲田文学」に出た「何処へ」は氏の従来に比類なき長篇である。五十八頁出て未だ未完である。未完であるから全体の出来栄はよく分らぬが、僕は世間でいふやうなエライ作ではないやうに思ふ。主人公健次の性格が余りに風変りなので、今の世には一寸あり相にも思はれない。あつても僕等には左程同情のない人間である。桂田の奥さんの会話などは余程まづい。氏の骨を折つた事丈けは充分に分るが、骨を折つた割合には見応へのしないものゝ出来るのを恐れる。而し細評は完結の上にする。
「太陽」に出た「玉突屋」は寥々たる短篇であるが、佳作である。最後の「百年も千年も云々」の句は少し誇張だが、其他は一点の批難もない、玉突屋の光景、ゲーム取りのボーイの様が、アリアリと浮んで、氏の従来に比類ない程具体的によく描かれて居る。氏の一段の発達と見て可なりと思ふ。「文章世界」に出た「六号記事」は木版業者の津坂某の性格スケツチにして一通り描かれて居る。先づ可なりの出来といふべきである。要するに今年に於ける氏は又昨年の花々しい後を受けて充分活動すべき意気込みも力量も充分なることを示して居るやうに思ふ。
高濱虚子氏
「ホトヽギス」に出た「病児」は啻に虚子作中第一の佳作たるのみならず又新春文壇に於ける佳作と思ふ。沢子といふ五歳になる病児をいたはる親心、此病児の病気を中心として陰晴する家庭の空気、実によく描かれて居て一点の批難ない。渾然たる名什、永く文壇の飾りとするに足るだらう。殊に最後に宴会から帰て来て、病児の寝姿を見る一段の如き、印象明確、余情揺曳、何等の巧手、何等の妙腕。此篇に比すれば「新小説」の「有間」など劣ること数等。
其他の作家、作者、僕の見ざるもの、知らざるもの極めて多からうが、これで御免を蒙る。作者を以て言へば二十九氏。作品を以て言へば五十余篇。之れを僅々数頁の間に網羅せんとす、其孟浪杜撰固よりいふまでもない。謹んで罪を作者及び読者に待つ。
「中央公論」明治四十一年二月号 一月廿一日筆
夏目先生
〇 三月の中央公論に「夏目漱石論」と題して先生に対する諸家の評論を集める積りですと、先生に手紙を上げたら次のやうな御返事があつた、「夏目漱石論が来月の中央公論に出る由聊か恐縮致候。先達中より大分漱石論が出で申候。もう沢山に候。出来得べくんば百年後に第二の漱石が出て第一の漱石を評してくれゝばよいとのみ思ひ居候。」先生の抱負如何を見るべし。
○ 其後先生に逢つたら「僕はこれからどの位ヱラクなるか分らんぢやないか、今から僕を評するなんてよして貰いたい。それに生きて居る人を評すると云ふ事は、いろいろの利害関係上どうも公平に行くものでない。評するなら其人が亡くなつてからの事だ」といふ意味の事をいはれた。けれども生きて居る中に評に上らないやうな人なら、死んでからは滅多に評される気遣はない。生きて居らるゝ中に評さるゝのはお嫌かも知れないが、これはヱラクなつた御不承ぢやと諦めて頂きたい。
○ 先生はなかなか義侠心が強くつて、困つた書生や知人などに金銭を与へ又は助力を与ふることなどは屡々であるが、然し一方にはなかなか利害にも明かな人で一時の感情に動かされて一生の損失を招ぐ様な事は決してせぬ人である。御自分の作物についても総て印税になさるなども、「本屋は相当の利益があればよい、本屋が無暗に儲ける――作者以上に儲けるなどはよくない事だ。」といふ意味であるらしい。権利思想の余程強いやうに見えるのは、先生は英国を余り褒められないに拘らず、英国風の感化がある事だらうと思ふ。
○ 先生は余程瓢逸な処があつてハ……と軽く笑て居らるゝ処などはどう見ても俳人のやうだが、然し下女なんかゞ用事を聞違ひて埒明かぬ時や他人から見当違の評を受けられた時などは随分癇癪を起されて顔色を変へらるゝ時などもあるやうだ。
○ 今の創作壇に先生程本を読んだ人は無論あるまい。先生の書架には斯学のオーソリチーになるやうな大著述が多くて、片々たる一時の流行物などは.余りないやうである。際物ばかり読んで多読を誇りたがる某々氏とは非常の相違である。先生の思想も見識もしつかりして力があり、根底があるのは多くは先生の悪書俗書を読まれぬ所から来て居る事と思ふ。
○ 先生は哲学、心理学、生物学、社会学等何でもやられたやうだ。殊に哲学に於ては余程の研鑽を積まれたやうに見ゆる。禅学の研究もなかなか深いやうで、自から座禅をやられた事もあるやうに聞いて居る。禅学のよい本は大抵読まれたらしく、思想に於て文章に於て其影響を受けて居らるゝ所も少くはないやうである。
○ 先生は余程早筆の方である、「一夜」は二日、「二百十日」は二三日、「薤露行」は一週間、「坊ちやん」は学校に出て居て十五日、「野分」も十五日許りで書かれたやうである。「草枕」は非常に長くかゝつたといつて居らるゝが、それでも廿日とはかゝらなかつた(尤も学校休暇の時なれど)やうである。原稿は非常に奇麗で、消したり直したりした所は滅多にない。而かも其れが清書したのでもなんでもなく、ぶつつけ書きである。筆を執て紙に臨まるれば想も詞も共に滾々として湧き出るものと見える。若し湧き出ぬ時があつて一句にして筆が止る時があつても、意に満ちた次の一句が出て来る迄は容易に筆を下されぬものと見える。「一度書いたものを書き直す時があつたら、別に今一つ新らしいものを作る」とまでいはれて居る相である。
○ 先生の作物で一番よく上手に書けて居るのが「カーライル博物館」かも知れない。何でも先生の話に「漾虚集」を校正する時「カーライル博物館」とか「一夜」とか比較的すらすらと書いたものは何遍よんでもよいが、「幻影の盾」とか「薤露行」のやうな比較的骨を折つたものは処々にイヤになる処があるといはれたやうに記憶して居る。先生の傑作はといへば「坊ちやん」でお手のものといへば「坊ちやん」「二百十日」「猫」等であらう。「草枕」は誠に驚くベき作で、部分部分に何ともいはれぬ妙味はあるが、全体としては作者の余りに苦し相な様子が見えて「坊ちやん」など程心持ちよくは読めぬ。
○ 「虞美人草」は非常によい処があるが、又左程によくない処もあるのは、先生が新聞小説を初めてやられて今迄多くは一気に呵筆せられたるものを、長日月に亘つて結構剪截等に意を用ひなければならなかつた為めかと思ふ。「坑夫」に至ては先生一流の説明が多過ぎて先生作中で一番見劣りするやうだ。尤も九十何回といふ長いものがまだ半分しか出ぬから、これからどうなるか分らぬが、今迄出た丈けで以て欠点の非常に多い作だといふ事はいへやうと思ふ。
○ 人或は今日先生の評判稍々下り加減なのを見て先生が極端に褒められた反動で、作物がわるくなつた訳ではないと云ふ人がある。それは大いに一理ある事と思ふ。先生の作物を精読した事がなく、只衆に和して褒めて居つた人の大部分は、只反動的に悪口をいふやうになつたらう。然し僕等は熱心に先生のものは研究して居る。僕は先生の将来については無論計ることも出来ず先生の事であるから又どんなすばらしい作物をドンドン出されぬとも限らぬとは思つて居るが、新聞物を書かれてから――少くとも今度の「坑夫」などは確かに先生の今迄のものに比べて見劣りする事は疑はないと思ふ。
○ 先生は原稿を頼まれてもなかなか安請合はせぬ。其代り請負つたら是非共書く。人物のしつかりして居らるゝ事、身を持することの高き事等は今の他の作者とは大いに面目を異にして居らるゝ。
○ 先生の文章の妙、詞藻の豊富、学識の高遠、等は皆人の知る所、重ねていふの要を認めない。故にいはない。
「中央公論」明治四十一年三月号