年年歳歳

   一

 

 一ゆれすると復員列車はゆつくり動き始めた。ベルも汽笛も鳴らなかつた。日は暮れかけ、こまかい雨がガラスの窓を雫になつてつたつてゐる。微光の中に荷物と一緒に折り重なつて乗つてゐる人々の脂じみた顔が見える。車内灯はついてゐない。道雄の周りは皆、上海から一緒に帰つて来た海軍の者ばかりである。「ハシレ」「イソゲ」とかれて、雨と汗とでべとべとになりながら、DDTの消毒、荷物の検査、證明書の交付、金銭の支給、食料と煙草と外食券の配給、と眼の廻るやうな数時間であつた。博多の町がどんなに焼けてしまつたか見る暇もなかつた。列車が動き出すと、すつかりすんでしまつた――何もも。興奮が少し醒めて、一つの落ち着きが箱の中を流れた。人々の心に次第に、故郷の山や、日の光る畑や、川の流れが湧いて来た。妻や子供たちや父ははの面影も浮かんだ。列車は鈍い音を立ててゆつくりゆつくり進んでゐたが、又一揺れすると停つてしまつた。日はすつかり暮れた。

「これで名古屋まで行くのか。」

「いくらただで乗せても、電気ぐらゐつけろ。」

 兵士たちはどなつた。何だかどなつてみたかつた。口でいふ程不平なのではない。電気がともらなくて焦立つやうな神経はとうにどこかで失つてゐた。雨に濡れた窓の外を何か売声のやうなものが近づいて来る。少し窓を上げて見ると、

「卵はいりませんか、たまご、たまご。」

 風と一緒に呼び声が入つて来た。一人通り過ぎると又一人来た。女の声も子供の声もある。煙草、するめ、卵、菓子。兵士たちは食料があるので、買はうとはしない。ただ珍しい。あちらでも、こちらでも窓が開いた。

「卵いくらだ。」

「五円。」

「五円?」

 初めて聞く内地の物の値段だ。高いといふ気持と、安いといふ感じがへんに入り交つて感じる。上海では電車賃が七十円もした。

「たかい? ぢやあ二円にまけとくよ。いらない?」

 女の物売りだつた。顔は見えなかつたが声は綺麗だつた。横に停止してゐる貨物列車との間を、小足にきざみ乍ら呼んで行く。顔を出して見てゐると、向ふから黒い影が来て、一人の物売りの前に立ちふさがつた。制服らしいボタンが薄く光つてゐる。低い声で二言三言何かいふと、黒い影は一つかみ何か掴んで、つと足早に消えた。列車は又ゆつくり動き出した。

「どこだらう?」

「香椎ぢやないか。」

「香椎はちがひます。どこかわからない。」

 幾人か、兵士たちは暗い窓からのぞいて物売りたちに、

「さよなら。」

「さよなら。」

 と呼び掛けた。電信員や特攻隊の若い兵士たちであつた。

「さよなら。」

「さよなら、元気でね。」

 物売りたちは遠ざかり乍ら答へた。カタンカタンと列車がポイントを割つて行く曲り道にも、一人女の物売りが立つてゐた。

「元気で。さよなら、勝つて帰るんなら、ばんざい、といひたいね。」

 声は流れ、籠と手は、ばんざい、の恰好をしてゐた。

 ぼつ、と薄明く電灯がついた。わつ、と兵士達は歓びの声をあげた。列車は臨港線から本線へ入つたらしく、速度が急に増して来、それにつれて電灯も明々と輝き出した。

「それつ。」

「いいぞ。」

 外は闇で、車窓のガラスには兵士たちのどすぐろい笑顔が鮮かに写つた。電灯はますます輝き、眩いばかりに水のやうに透明な光が流れた。

「おや。」

「明る過ぎる、をかしいぞ。」

 誰かが言つたと思ふと、青い光がひらめき、列車の中は再び闇になつた。車窓をシグナルの赤い灯がゆらりと揺れて流れた。もう二度とともりさうもなかつた。兵士たちは疲れが出て、一人、二人と眠りこけて行つた。

 

   二

 

 眼をつむると道雄の心に浮かび上つて来る。黄浦江を、文字通り埋めつくして二列に浮かんでゐたLSTやアメリカ艦船の長い長い列。どの艦にも高々と電探の空中線がそびえ、キャセイ・ホテルの上流からは塗具の色も新しい重巡洋艦が、青味がかつた眩い発光で、頻りと僚艦を呼んでゐた。スピイカアからは絶えず音楽が流れ、セイラアたちは白い帽子を斜にかぶつてワイヤアを巻いてゐた。岸の楊柳は芽をふきつくして、重油の光る江水に影を落してゐた。何年前だつたらう。往年の「武藏」の勇姿が浮かぶ。横須賀の港口近く巨体を浮かべて、同じ眩い発光信号が僚艦を呼んでゐた。

 呉淞を抜錨してから半日、書類の整理に疲れて、後甲板に出て見ると、いつか濁つた水は遠くなつて、一年半ぶりに見る青い波が、舷側に白く砕けて、泡立つてゐた。船は軽くピッチングをしてゐる。

「副官、見張当直のない航海は初めてです。」

 一人の下士官が云つた。道雄はわけもなく涙ぐみさうになつた。

「船長にたのんで当直に立たせてやらうか。」

「冗談ぢやない。結構です。」

 下士官は笑つて、ぽいと煙草を海に投げた。レエルから乗り出すと、青い波は泡に崩れ左舷のプロペラが金色に光り乍らついついついと水の中を泳いでゐた。船が舵を上げるとプロペラは騒々しく空廻からまはりしてしぶきを飛ばした。

 博多に入港した夜、大尉の襟章と袖章とを脱すと道雄はそつと水に捨てた。重油の浮いた静かな波が、白い紙に包んだ大尉の徽章を弁当殼と一緒に流して行つた。船の明りが水に落ちてそれを照らしてゐる――。

 眼を明けると列車は真暗なまま走り続けてゐる。

 未だどうしても帰つて来たやうな気がしない。もつともつと烈しく衝き上げるやうな喜びが、自分をとらへるかと思つたが、何事もない。平凡な気持だ。無暗にいそがしかつただけだつた。広島の父ははの事が心の影だらうか。広島。上海の片隅の小孩こどもでも原子爆弾の広島は知つてゐた。眼の悪い母と、中風で半身の利かぬ父と二人の老人が、生きてゐてくれとはのぞめなかつた。ただ姉と甥とがもしかして助つてゐてくれれば、と思ふだけだつた。

 終戦後、機会のある毎に、丹念に見た写真も、新聞も一つ一つ心を暗くするものばかりだつた、便りは勿論来なかつた。

 列車は関門トンネルを越えた。いつか道雄もねむつた。

 どのくらゐ睡つたか。列車の停る勢でふと目覚めると、山口県の小さい駅だつた。時計は夜半の三時を少し廻つてゐる。向ひのフォオムの電灯の下では、駅員が積み上げられた味噌樽から余念無く味噌を盗んでゐる。夜食でも作るのだらう。見てゐた者は笑ひ出した。笑ひ声で人が又起きた。

「駅員さん、電気はつかないのか。」

「銀蝿するならもつと大仕掛けにやれよ。」

 駅員はこちらを見てにやりと笑ふと味噌を取り終つて、ゐなくなつた。雨がいつかやみ、濡れた窓から駅の明りが射してゐる。

 列車が動き出した。道雄は物憂く又眠りに落ちて行つた。

 次に醒めた時は、もう厳島いつくしまの黒い大きな影が見え、空は少し白んでゐた。くれの田舎の下士官は早く起きて身仕度みじたくをし、はしやぎ切つてゐる。

「帰ると丁度お袋の奴、何にも知らんで、裏の戸口で飯を炊いとるぢやらう。後から行つてわツと驚かしてやらにや。」

 乾パンを齧り乍ら、楽しさうにしやべつてゐた。

「家のある奴は羨しいな。」道雄は言つた。

「さう悲観したもんでもないですよ。帰つて見にやわからんよ。」

「大ていわかつてる。」

 広島が近づくにつれて、夜は明けはなれ、兵士たちは眠りからさめて、真剣な顔で窓の外に原子爆弾の被害が近づくのを待ちかまへた。それは又初めて見る内地の町の変り果てた姿でもあるわけだつた。

「全く俺もどこに帰つていいか、途方に暮れるよ。」

 愈々いよいよはつきりさせられる時が近づいて来た。自分がどういふ環境の中へ投げ込まれるかわからぬのが心もとないが、恐ろしいといふ感じはなかつた。父母の死を、はつきり確めて、その時どんな衝動を受けるか、当り前の事のやうに平気でゐられさうな気がした。

 

   三

 

 廿日市を過ぎ、五日市を過ぎ、列車は広島の郊外にさしかかつてゐる。

「家は沢山あるやないですか。大丈夫や副官。」

「馬鹿、ここは未だ広島ぢやないんだ。」

 果して己斐を通過すると被害があらはになつて来た。初めしばらく家がまばらに残り、大地震のあとのやうに傾いてゐるのが見えたが、すぐに何も無くなつた。線路の右と左には、見渡す限りの瓦礫の原がはても無く続いてゐる。全く「原子沙漠」といふ感じだつた。道雄は唾をのみ込み乍ら、食ひ入るやうに変り果てた故郷の街を見つめてゐた。

「家はどの辺ですか。」

「待て、待て。もう少しして二つ目の鉄橋を渡るとその左側だ。」

 もしかして、と思ふと道雄は興奮して来た。ゆるいカアヴを画いて列車は走つてゐる。鉄橋にかかる。

「綺麗なもんだ。」

 彼は成るべく落ちつくやうにした。何もありはしなかつた。家の辺りも北の果から南の果へ同じ焼野原である。昔は汽車から見えなかつたビルディングの残骸がぽつんぽつんと見えた。焼けただれて黒く尖つた木々の姿は不気味だつた。同情してゐて呉れた兵士たちは黙つた。

「でも麦が生えてゐる。」

 誰かが言つた。ほんとにさうだつた。焼けあとに麦がよく伸びてゐた。それは何か心を明るくした。

「とにかく降りる仕度をしよう。」

 彼はどしんと席に腰を下ろした。窓から出なければとても出られない。列車は駅に入つた。

「ひろしま――ひろしま――のりかへ――長い間、皆様――祖国の―― 一層の――再建のため」

 喧騒の中をスピイカアの声がとぎれとぎれに入つた。

「ぢやあ、隊長、若田、平谷、おう海老原。さよなら。元気で、さよなら。」

 別れはいやであつた。彼はうしろを見ず、走るやうに階段を降りてしまつた。

「加川大尉、もし困つたらうちへ来なさい。矢野の駅で下りて聞きや、すぐわかる。」

 呉の下士官だつた。

「ありがたう、ほんとに厄介になりに行くかもわからない。」

 その下士官とも別れた。

 

   四

 

 駅前に巡査の派出所があつた。それを見ると急に道雄はたよる気持が強くなつた。

「あの、復員者ですが、家の者がですね、もし生きてるか死んでどうなつたか確かめるとしたら――市役所へ行くとすると、市役所は今どこにありますか。」

 巡査は興味がなささうだつた。

「もとの所にあります。」

「あの――白島のK町の辺りは勿論無いでせうな。」

 今見て来た事を聞いた。我乍らつまらない気がした。

「さうですな、無論ないですよ。」

 歩き出すよりほかなかつた。これと言つて行く先も浮かばず、自然に家の焼あとの方へ足が向つた。トランクを背負ひ、手提鞄を持ち、歩くとすぐ汗ばんで来る。早くは歩けなかつた。道は、これが昔通つたあの道かと迷ふ程様子が変つてゐた。所々バラックが立つてゐる。「大衆食堂」「甘い甘いぜんざい、五円」「代用うどん、五円」などとしてある。空地には、此処かしこに麦が植ゑてある。近近と彼は沁み入るやうな気持でそれを見て歩いた。朝の露に濡れて心地よい緑であつた。空はよく晴れてゐた。立木が炭になつて、によつき、によつきと残つてゐる。それは手を硬ばらせて焼け死んだ人の死骸に似てゐると思つた。

 朝早く、勤めに出るらしい人に時折行きちがつた。どの人も云ひ合はせたやうに、磨いてない破れた靴をはき、肩から雑嚢をさげてゐる。道雄の姿を一通りぢろりと眺め下ろしてすれ違つて行つた。向ふから二十七八の女がリュクサックを背負つてやつて来る。髪を短く切つて、汚れた洋服を着てゐた。彼はその女にどうも見憶えがあるやうな気がした。女もこちらを見てゐた。行き逢ひかけて二人とも立ちどまつた。思ひ出したのだ。小学校の同級生だつた。

「まあ、加川さん。どうなさつて、今、どちらから。」

 彼の方は名前をはつきり思ひ出せなかつた。

「中支から復員して来ました。あの、もしか家の者の事御存知ないでせうか。」

「あら、いいえ。いつかお姉さんにお眼にかかつた事があります。お元気でした。ええ、怪我もちつとも。」

 ああ、姉だけは確かに助かつてゐて呉れた。彼は嬉しくなつた。

「両親は死にましたか。」

「さあ御両親は――あの、お母さん、お母さん。」

 少しうしろからその人の母親がこちらへ歩いて来る。見憶えがあつた。彼はあらためて小学校の友達を見た。未だ嫁いでないらしい。伸びるものが伸びそこなつたやうに妙にふけて見えた。

「お母さん、加川さんよ。中支から帰つていらしたんですつて。ねえ、加川さんの御両親はどうなさつたかしら。」

「死んだんでせう。違ひますか。」

 彼は死んだら死んだと早くはつきりさせて欲しかつた。

「まあ、まあさう。おめでたうございます。どんなに御苦労なさつたでせう。まあ何を仰言いますか、お二人とも中々お元気でゐらつしやいますよ。先日も、もうだいぶ前ですが、お米の配給所でお母様にお眼にかかりました。」

「え? 本当ですか、本当に生きてるんですか。」

「本当ですとも。ほんとに本当ですよ。今ね、牛田のたしかA町にゐらつしやいますよ。もとのお邸の下には谷さんがバラックを建てて住んでゐらつしやいますから、あすこへ寄つて、よく聞いてお帰りなさいませ。」

「なんだ、生きてたんですか。」

 彼はずるい事をした時のやうににやにや笑ひ出した。何と礼を言つていいかわからなかつた。

「ぢやあお気をつけていらつしやい。どんなにお母さんがお喜びになるやら。」

 さう言はれて別れた。にやにや笑ひはどうにもとまらなかつた。

 教へられた谷といふ親戚の家へ行つて見ると、そこではおぢいさんと主人とが即死し、女子供だけが残つて、バラックに住んでゐた。色々話を聞いた。姉も甥も確かに無事だつた。満洲にゐた兄も、終戦の一個月前北平に転勤してゐた。彼は何かに恵まれてゐるやうな気がした。子供が荷車に荷物をのせて家まで案内してやるといふ。彼は感謝し乍ら、子供に荷物をまかせた。子供と一緒に土手の道へ上る。家のあつた跡には、石燈籠が二つ、洗面所がぽつんと一つ残つてゐる外、すべてがらがらの原つぱだつた。石燈籠が立つてゐるのは妙な気がした。ガラス瓶が飴のやうに延びて、くつついてころがつてゐた。川を渡す橋はへの字型に歪んでゐる。然し川の水は矢張よく澄んで流れてゐた。

「小母ちやんの所へは時々遊びに行くの。」

「ううん。」と子供はかぶりを振り、「小母ちやんは目が悪うて不自由なんぢやけん、お母ちやんがあんまり行つたらいけんいうてんぢや。」

「坊や、荷物は僕が押して行くから、一寸先へ走つて行つて小母ちやんに報らせてくれんか。」

 子供は素直に頷くと、走り出した。少し走つて立ちどまり、振りかへつて彼に道を教へた。そして又走つて行つた。

 

   五

 

「まあまあ、まあ、坊やが来て何をいふやらと思うたら、あんた帰つて来たのか、ほんとに帰つて来たのか。」

 母はめがねをはづし乍ら出て来た。

「さあおあがり、靴をはよぬいで、さあ。」

「よく生きてゐて。私はとてもお母さん、生きてるなんて。」

「さうやろうとも、さあ。」

 言つたまま顔をそむけて泣いてゐた。

 障子がひらいて、父がこたつに向ふむきにあたつてゐた。

「お父さん帰りました、よく生きてて下さいました。」

 父は不自由さうに身体を道雄の方へねぢむけると、ぢつと見てゐたが、何も言はず、

「おう、おう。」

 と、入歯のない奇妙な口元をぽかんとあけ、うめくやうな声を出すと、「う、う、う。」と啜り泣きだした。二階から甥の浩がとぶやうに降りて来た。

「おかへり、道兄さん。僕もう帰つて来ると思つた。いつも駅に行つて復員者らしい人つかまへて様子さぐつてた。だけどおぢいさん、おばあさん生きてたなんて不思議でせう。」

 道雄は父母が泣いてゐるので、眼のやり場がなく、浩に「うん、うん。」と頷いて間の抜けた返事をした。母は涙をふきふき、

「初めは大丈夫と思うてたけど、まる半歳になつても便りはなし、こつちから出した手紙は戻つて来るし、ひよつとしたらどこどで死んでしまうたかと思うて……」

「お母さんは、ああいうて心配ばかりするが、俺は自信があつた。新聞をみても、もう大方帰る頃とは思うてをつた。」

 ふるへる手の甲で涙をふき乍ら父も言つた。歯がないため、息が抜け、ひどく老い込んだ感じだつた。

「そんな、私の事は、わたしはずつと元気だつたんです。然しこの七ケ月の間、お父さんお母さんは亡くなつたものと、すつかり思ひきめてゐたのに。広島で降りようか、山口の家の墓へ行かうか、まつすぐ一度東京へ出てから、骨をさがしに帰らうか、と迷つたりしました。どういふ訳で生きてゐられたの、夢のやうといふが、ほんとに夢みたいで……」

 父はまた、「う、う、う。」と子供のやうに声をあげた。母は前掛を顔に押しあてて泣いた。浩だけが元気さうに、

「僕、丹前を出してあげる。」

 と押入から行李をひきずり出したが、一寸手を休めて考へてゐると思ふと、急に顔が硬ばり、「わつ。」と行李の上に俯せつてしまつた。

「何だい、何だい。」

 と言ひ乍ら道雄も泣けて来た。

「よせよ、もういいよ。」

 と肩に手をかけると、つとはづして、走つて縁に出た。箒を取つて掃く真似をしながらぼろぼろ泣いてゐた。道雄は、あまりいふといけないと思ひ、障子を開けひろげて縁に出た。縁先にも小さい庭に麦とそら豆が気持よく延びてゐた。

「七十年住めないなんて嘘なんだね。麦がよく出来てるぢやありませんか。」

 父はそれで気持が晴れたらしく、

「おう、お前も少し草取りでもしてくれ。手入が行届かんから、あまり伸びとらんぢやらう。」

 さう言つて麦生むぎふを見た。不自由なからだになつてからも、すきな畠作りが忘れられず、小言を言ひいひ浩や母に作つてもらつて楽しんでゐるやうだつた。母もどうやら落ちついた。

「さあとにかく朝御飯にしませう、今お味噌煮たちます。」

「君はどうしてる。」

「広島の高等学校、大竹に今あるんだけどね、受けるけど、自信ないよ。隣りのラヂオがうるさくて勉強出来ないよ、カム、カムエヴリボディなんて、馬鹿な歌。道兄さん何で帰つた、LST? 海軍の船かい。」

「帰つたのか、リバティだよ。母さんどうしてる、今。」

 聞くと義兄が華北から早く引揚げ、一緒に東京にゐるのだつた。

 心配事は一時間ばかりの間に一つ一つみんな煙のやうに消えていつた。谷の子供はいつの間にか帰つてしまつてゐた。

「何もかも。こんな運のいい家族は広島にはゐませんよ。」

 朝飯の膳に坐り、味噌汁の湯気が上るのをたのしく見乍ら彼は云つた。

「さうとも、さうとも。家も着物も焼けた事、わたしらもうとうに、何とも思うてへん。皆さんのおかげで食べる物もどうやらあるし、あんたが帰つてくれたし、何もいふことない。毎日仏さんに祈つてました。」

「お母さんはの、すぐああ簡単にいふが、新円ちふもの知るまいが、預金は封鎖されて、売る物もなし、呑気な事を考へとるとお前も困るよ。」

「知つてますよ。新円で千円もらつたんだもの。」

 道雄は笑つた。何十日ぶりかの味噌汁も、新鮮な漬物も実にうまかつた。彼は香りの高い茶を何杯も飲んだ。

「道兄さん、終戦後苦労した? なぐられた? どんな物食べてたの。」

 浩は自分の興味のある事を頻りにきいた。

「このトランク向ふで買つたの。」

「ああ、赴任した頃買つたんだ。今開けよう。何や彼や少しあるんだ。」

 これが、上海米、これが缶詰、石鹸、キャンディの袋、シャツと一緒に一つ一つ引き出した。

「一袋二千円の飴、馬鹿みたいだらう。でもみんな無事だとわかつてたら、無理してもつと買つて来るんだつた。僕には誰に食べさすあてもなかつたものね。」

「まあ二千円の飴。一つよばれよか。」

「どれどれ。」

 父も手を出した。浩が金色の紙をむいて口に入れてやると、歯のないあごであぐあぐと噛んだ。

「一つ残らず、みんな食べて下さいよ。何にもいらないよ。上海の物価はね、何しろ電車賃が、七十円、儲備券でいふと一万四千円。」

「をかしくなつてしまふね。」

 浩も母も笑つた。

「お前、何か食べたいものあつたらいうとおくれや。晩には小豆が一二合ある、赤い御飯でも炊きませうか。」

「有がたいな。何でも嬉しくて美味しいけど、さうだな、牡蠣とか鮎とか、塩辛とか、むやみにそんなものが食ひたいけど。」

「鮎はあんた無理だよ。牡蠣なら駅前の闇市で売つてるやろ、一休みしたら買うて来るか。」

「東京へ電報も打つといい。僕も一緒に行く。」

 浩が言つた。

「よし買ひに行かう。じやんじやか買つて来て、がぼがぼ食べちやはう。」

「おいおい、一時の手当を貰つたからというて、調子に乗ると、あとで後悔するぞ。昔のやうにはいかんぞ。」

 父の得意の小言が始つた、と道雄は思つた。いやな気はしなかつた。母が食器片づけに手を伸ばすと、ふとみにくい火傷のただれが眼についた。

「お母さん、その傷は?」

「ああ、この傷?」

 母は爆撃の朝、窓に向つて新聞を見てゐた。不意に青い、眼のくらむやうな光が閃いたと思ふと、途方もない風が来て、家は傾き、からだは投げ出されて、眼鏡がどこかへ飛んだ。

「お父さんお父さん。」と呼ぶと、どこかから、「おいおい俺は此処にをる、此処にをる。」といふ声がした。見ると右の肩から袖へ着物がちろちろと火を吐いてゐる。急いで着物を破り捨てた。

「その時これ丈、やけどしました。長いことんで臭かつた。」

 と母は話した。

 べとべとのシャツを替へ、軍服を背広に着替へると道雄は浩と二人、籠をさげて、家を出た。昨夜の雨はすつかりあがつて、先程通つた道には四月の明るい日が降つてゐた。むしやうに晴々とした気持であつた。下水の水は小川へ落ちてろんろんと音を立ててゐる。

 「無敵の艨艟 勝利のつばさ

  波をおさへて ゆるぎは」

「兄さん兄さん、そんな歌今頃唱ふと、なぐられるよ。」

 浩が笑ひ出した。彼も笑つた。道々浩の話を聞くと、友だちや親戚や、恩師や、亡くなつた人は指に余つた。

「嫁さんもらふかな、一つ。」

「母さん(道雄の姉)もそれがとても楽しみなんだつて。妹が一人出来るわけだし、僕にも、とても若い叔母さんが出来るわけでせう。」

「姉さんそんなこと言つてたか。」

「あのね、道兄さんが可愛いいお嫁さんもらふことばかり考へて暮してるさうだよ。然し、にくらしいのを貰つたらうんといぢめるさうだよ。」

「馬鹿いふな。」

 又二人は笑つた。郵便局で二三本電報を打ち、市場で、牡蠣と海鼠なまこと、牛肉とねぎとを買つて電車に乗つた。バラックも未だちらほらとしか見えない町を、電車は満員で走つてゐた。

「なうなう、そこのおごうさん(おかみさんの意)、切符はどうしましたか。払うて降りてつかあさいよ。お粥を食うてやつとるんぢやけんなう。」

 運転手がしやべつてゐるのを聞いても矢張彼は楽しかつた。

 

   六

 

 広島に一週間過ごした。その間に、浩と二人宇品うじなの海へ汐干狩に行つて、蛤やあさりを二升も拾つて来て母を喜ばせたり、疲れもなほり、気持もおちついた。軍隊の生活が、時には遠い昔のやうにも思はれた。彼はそろそろ東京へ出ようと思つた。それをいふと母は少しがつかりしたやうで、

「復員切符は未だしばらく使へるねんやろ。」と言つたが、とめはしなかつた。浩は入学試験が近づいた。ある日、谷の家に挨拶旁々かたがたよると、

「道ちやん、もう少しゐて親孝行してあげなさいよ。」

「うん、それもさうだけど、就職のこともありますし。」

 道雄は生返事をした。急行券を買ひにゆく途中だつた。

「せめてお母さんを一度どこかへ遊びに連れて行つてあげなさいよ。小父さんがあのお身体だから、中々おもてへ出なさることもないのよ。」

 これには一寸虚をつかれた感じだつた。さういへば母はきつと永い間焼跡さへ歩いたことはなかつたらう。自身の眼も不自由だし、父が片時も一人でほつとけない身体だし、彼は急に母が可哀さうになつた。急行券を手に入れて帰つて来ると、母に、

「あさつて発つことに決めたよ。」

 と言つた。

「さうか、もう少しゆつくりしてゆくとええけど、あんたの都合もあるでせう。東京は食糧難やさうやけど。」

 と母は云つた。父も浩も彼が発つことを喜ばなかつたが、とめはしなかつた。

「お母さん、明日ね、こんな天気だつたら、どうです、花見につれて行つてあげようか。」

「そりやよからう。是非つれて行つてあげなさい、お母さんも長い苦労だ。水いらずで弁当でも食べて来なさい。」

 父が横から言つた。

「はあはあ、お花見か。今じぶんお花見でもあるまいけど、そんなら連れて行つてもらほかなあ。」

「浩に半日ばかりお父さんのこと頼んでおけば出れるでせう。」

「僕何でもするよ、安心して行つていらつしやい。」

「俺の事は心配いらん。自分でやる。心配はいらん。」

 自分でやれるわけはなかつたが父は言つた。

 夜、道雄は角の下駄屋から玉子を四つわけてもらつて来て、そつと戸棚へ入れておいた。並んで床に入ると浩が言つた。

「いいな、おばあさんと道兄さんのお花見なんてほんとにいいな。」

「なんだ、羨しいのか。」

「ううん、さうぢやないよ。」

「てれくさいぜ、馬鹿。」

 父がふすまの向ふから言つた。

「何がてれくさいか。心ある人が見たら感心してくれる。」

「浩にえらいわるいなあ。」

 母の声だ。

「まあいいさ、そのうち小遣でもたくさん貰つて宮島へでも行つてこいよ。」

「さうだね、パスしたらね。」

 そのうちみな寝入つた。

 あくる朝は気温がさがり、よく晴れた朝だつた。彼は起きて麦の雑草を取つてゐると、父と母と何か言つてゐるのが聞こえて来た。

「俺の溲瓶しびんはその上へあげずにおいてくれ、といつも言うとるぢやらう。落ちて来さうな気がしていかんだ。」

「さうですか、畳の上へおいとくとかへつて危いよつてに上げるんですが、あきまへんか。わたしは眼が悪いし、道雄や浩は乱暴やし、なんど引つくりかへして大騒ぎしたかわからんのに。」

「さうか、さういふなら畳の上でもよろしからう――お前はしかしどうしてさう俺のいふ事を聞くのが嫌ひかなう。」

「何もさう意地悪くいひなさらんでもええでぢやろ、そんなら上へあげましよか。」

「いや畳の上でよろしい。」

 彼はいやな気がした。草を抜き終つて手を洗ひに台所へ廻ると、母が柴を折つてゐた。

「お父さんがなあ、どうにも時折ひねくれはるよつてなあ。やまひのさせるわざでしやうないけど。」

「御飯は炊かないの。」

「…………」

「お母さん、弁当はもういいの。」

「お花見はまあやめとこか。」

「なぜ。」

「半日つぶして帰ると仕事が多うなるのもつらいし、歩くのも足のまめが痛いし。」

「それならそれでいいけど、残念だな。」

 道雄は所在なく又庭へ帰つて縁に掛け、そら豆の花を蝶がわたるのを眺めてゐた。

「何してる。」

 便所から出て来て浩が聞いた。

「おばあさん機嫌が悪いよ。」

「おぢいさんと又何か言ひ合つたらしいね。」

「うん。」

「お花見は?」

「やめだよ。」

「困るなあ。」

 浩は困つたやうな顔をしてみせた。

「そのうちなほるよ、いつでもさうだよ。」

「さうかい、相かはらずだね。」

 案の定、暫くすると台所で母がごそごそ鍋を掛けたり湯を沸かしたりしてゐる気配がした。浩が道雄をつついた。道雄は知らぬ顔をして台所へ入つて行つた。

「やつぱり連れて行つてもらほか。」

「弁当を早くしなきや駄目ですよ。」

「もう三十分ほど待つてもろたら出来ます。」

 ふすま越しに父が呼んだ。

「おいおい。」

「はいはい。」

「一寸たのむよ。」

「おしつこですか。」

「うん。」父は尿を取つてもらひながら、「行くなら早う行かんと、昼になつてしまふぞ。」

「さう言はつたかて、お二人のおひるの仕度もしとかな困りはるでせう。」

 道雄は浩に戸棚の卵を見せた。

「卵なら買はなくてもまだあつたらしいよ。」

「まあいいよ、二つ持つて行く。あとの二つおぢいさんとひるに茹でてでも食へよ。」

 

   七

 

 小麦の畠の上で高く小さく雲雀が鳴いてゐた。折れてゆがんだ橋を渡ると、川風が少し寒い。水は青く澄みとほり、小波が日の光を砕いてゐるのは、昔のやうに美しかつた。三寸から四寸くらゐのはえが泳いでゐる。時々きらりと銀色の腹をひるがへした。

「お母さん、はえがゐますよ。」

「さうか、どこに。」

「あすこの淀んだ深いところ。」

 母は欄干から乗り出すやうにして水面を見てゐたが、

「わたしには見えへん、大きなはえか。」

「四寸くらゐのがゐる。」

「さうか、取りたいなあ。」

「何もなくちや取れないよ。行きませう。」

 土手になつた道を歩く。両側は片づけられない瓦礫や、錆びた鉄屑がいつぱいに散らかつてゐる。その合ひに、家の跡にも小路のほとりにも麦が伸びてゐた。所々に菜の花が見える。南の方に、焼けたままのビルディングが、驚く程近く見えた。

 桜の古木が一株、大枝の中ほどから折れて地に垂れさがつたまま豊かに花をつけてゐた。

「爆風で折れたんだらうね。」

「さうやろな。折れてもきれいに咲くもんやなあ。少し折つてくれへんか。お父さんに持つて帰つて見せたげよ。」

「向ふにいくらでもあるよ。」

「さうかてまあ、二枝ほど折つとくれ。」

「此処のは誰かの家の桜でせう、折るのは悪いよ。向ふにある、きつと。」

「さうか。」

 母は納得し、またよちよち歩いた。道雄は一足一足数へるやうに母に添つて歩いた。元の工兵聯隊の所を廻ると長寿園の桜の林が見えて来る。

「見えますか、満開だよ。」

「はあ見えますとも、ほんによう咲いてるらしいな。」

「誰もゐないな、昔はたいへんだつたけど。」

「今どき悠暢な、お花見に来る気にもなりはらへんのやろ。」

「此の辺から下へ降りよう。」

 道雄は母の手をひいて土手下の芝生の道へ降りて行つた。細い路は川に沿つてうねくねと桜の中へ続いてゐる。芝生はそこ此処と耕されて、野菜や麦が植ゑてあつた。路が細いのと右下に川があるので、母はよけい歩きにくくなつた。

「大丈夫?」

「はあ大丈夫。」

 草履が辷つてつるつるしてゐる。

「大丈夫かな、ほんとに。」

「一寸歩きにくいな。恐いわ、やつぱり。」

「悪いことをした。元の道に帰りませう。」

「帰るにも帰られへんが。」

「押してあげる。」

 道雄は、よいしよよいしよと、軽い母の身体を土手の道まで押しあげた。草履が脱げて足袋はだしになつた。桜の林まで来ていい道をえらんで又川べりへ降りて行つた。桜はこずゑを交へて九分咲きの淡い色が空をおほつてゐる。樹々は彼が子供の時からの古木であつた。桜の木々にまじつて桃も咲いてゐた。食べたいやうな桃の色が美しかつた。

「此処らで弁当を食べませうか。」

「さうしましよ。何か掛けるもんないか。」

 彼はその辺から木の床几しようぎを一脚かついで来た。群れ咲く花の下に人の気配はさらにない。床几に腰を下ろすと、川べりの木杭に水がひたひたと音をたててゐる。風が来ると桜が少し散つた。母は古い銀煙管を出し、粉煙草を二服ほど吸つた。道雄は煙草を忘れて来たので、母の煙管を借りて吸つた。

「さあ食べとくれ。」

 新聞紙をしき、その上に弁当箱を二つ開いた。虫が飛んで来て、胡麻塩をかけた白い飯の上に落ちた。牡蠣の天ぷらもこんにやくの煮たのも大層うまかつた。

「お父さんの大事な黒砂糖を一かけら持つて来てあるよ。」

 と言つて、母は半紙にくるんだ砂糖のかけらを出した。

「こつちは卵を二つ持つて来た。」

 生卵はきらひだと言つて母はどうしても食べず、道雄は一人で二つの卵をちゆうちゆう吸つた。坐つてゐると川風が寒い。食事をすますと二人は立ち上つて帰り途についた。下枝の方は折られてしまつて、高い所は手がとどかず、折つて帰る筈の桜は結局折れなかつた。母の髪に桜が散つた。

「西中町の方から廻つて帰らうか。」

 焼けあとに、白い道がまつ直ぐのびてゐる。道の角に、小石を重しにして、雑誌や新聞を売つてゐる人があつた。

「何か買はう。」

 彼は言つて、二つ三つ見た後、アサヒ・グラフを一冊買つた。初めて買ふ内地の雑誌だつた。表紙を開くと、写真に梅の花が咲いてゐる。画面の下半分は花で、あたりは東京らしい焼け跡だつた。右の上に崩れさうな白い三階の建物が見え、花の下では一人の老人と三人の女とが、土を耕してゐた。左の肩に、

  年年歳歳花相似  (年年歳歳、花、相ヒ似タリ)

  歳歳年年人不同  (歳歳年年、人、同ジカラズ)

 と唐詩が記してあつた。

「お母さん見てごらん。」

 母は目から遠く離して、写真を眺めた。

「ほんに花がよう咲いてること。やつぱり焼け跡と見えるな。人が畠をしてはる。」

 川べりを去ると風はやみ、あたたかい陽は母と道雄の肩を射した。

 

──昭和二十一年(1946)九月「世界」──