国会開設願望ノ建言依頼書<1879年>

 そもそモ国会ナルモノハ、吾々同胞ノ人民ガその天賦ノ自由ヲ存立シ国事ニ参与シテ一国議政ノ権理ヲ恢復スルニ於テ一日モ欠ク可カラザル要具ナリ。けだシ民権ハ各自人文ノ自由卜自治制度トニ依テ存立スルモノニシテ、しかシテ自治制度ヲ確定シ自由権理ヲ保全スルノ道ハ民撰議院即チ国会ヲ興起スルニ在リ。ノ府県会ノ如キハ、畢竟ひつきよう国会ト相待あひまつテ其ノ用ヲ為スモノニテ、国会ヲかきテ決シテ充分ノ作用ヲ為スあたハザルモノナリ。故ニ国会ニシテ猶ホ開設ノ挙アルニ至ラザル間ハ、府県会ハ唯狭隘ナル権限内ニ制セラレ、僅カニ以テ一府一県ノ地方税徴収ノ下問ニ答議シ行政官ノ便利ニ供スル器具タルニ過ギズ、到底羽翼うよくナキ鳥ノ如ク、毫モ自由ニ飛翔シ真成自治ノ業作ヲ為スヲ得ズ。何ンゾ天賦ノ自由ヲ存立シ民権ヲ伸暢シテ一国議政ノ権理ヲ全フスルヲ望ムベケンヤ。是レ吾々人民ガ府県会ノ開設ニ満足スル能ハズ、進ンデ国会開設ヲ願望スル所以ゆゑんノ第一ナリ。

 レ国ナル者ハ人衆相合あひがつスルノ称ニシテ、斯国このくにハ則チ斯国人民ノ相聚あひあつまりテ建ツル所ノモノナリ。既ニ各自人民ガ相聚あひあつまりテ斯国ヲ建テシモノナラバ、各自皆ナ斯国ノ事ヲ負担シともニ共ニ斯国ノ独立ヲ保全シ国政ニ参与シテ邦家ほうかノ利害ヲ任ゼザルカラズ。是レ国民各自ガ固有ノ義務ナリ、権理ナリ。然レドモシ国会ヲ欠クトキハ、国民ハ何ニ依テ能クその国事ヲ負担シ国政ニ参与シテ邦家ノ利害ニ任ズルノ実ヲ挙ゲンヤ。且ツ倩々つらつら方今はうこん我国ノ形勢ヲ按ズレバ、国会開設ノ事ハ国家ノ為メニ一日モ猶予スベカラザル急務ナルヲ知ルナリ。何トナレバ、条約改正未ダ行ハレズ国権ややモスレバ振ハズ、若シ一歩ヲ誤マレバ、我国ノ死命ハまさニ外国人ノ手ニ制セラルヽニ至ランモ亦夕測ル可カラザル者アレバナリ。去レバ政府独リ国事ニ専任セズ、宜シク国民ヲシテ之ヲ分担シ国政ニ参与シテ邦家ノ得失ニ任ゼシメ、愛国忠勇ノ気概ヲ発揮シ協同団結シテ以テ国権ヲ振作シ独立ノ主権ヲ保全セザル可カラズ。之ヲ奈何いかンゾ一日モ黙々坐視スべケンヤ。是レ吾々ガ進ンデ国会開設ヲ願望スル所以ゆゑんノ第二ナリ。

 ツヤ、政府ノ財政ヲ監督シ税額ヲ議定シテ之ヲ賦課スルノ権理ハ則チ正当ニ吾々人民ガ掌有スベキ固有ノ権理ニシテ、此ノ権理猶ホ政府認容スル所トナラザル間ハ人民ハ決シテ天賦ノ自由権理ヲ享有セル者ト謂フ可カラズ。何ンゾ僅カニ地方税徴収ノ下問ニ答議スル府県会ノ狭隘ナル権力ニ止マル者ナラズヤ。そもそモ大蔵ノ財庫ハ人民公共ノ財庫ニシテ、政府財政ノ得失ハ則チ国民ノ財政ノ得失ナレバ、人民ガ自カラ之ヲ管理スルハ至当ノ条理ナリ。故ニ国会ヲ興起シテ、国会議院ニ於テ歳入税額ヲ議定シ国費ノ支給ヲ承認シ、及ビ之ヲ監督スルノ権理ヲ恢復センコトヲ要求スルハ、吾々人民ニ在テ一日モ油断スベカラザル肝腎ナル理財上ノ急務ナルヲ知ル可キナリ。是レ吾々ガ進ンデ国会開設ヲ願望セズンバアル可カラズトスル所以ノ第三ナリ。

 我ガ政府ハ寛仁ノ政府ナリ。決シテ自由民権ヲ圧制スルノ政府ニラザルナリ。然レドモ政府ナル者ハその力以テ人民ヲ制スルニ足リ、その権以テ人民ヲ圧スルニ足ルモノナリ。故ニ国会ヲ開設シ憲法ヲ確定シテ以テ政府ノ権力ヲ平生ニ制限スル所ナカル可カラザルナリ。何トナレバ、政府ノ寛仁ハ之ヲ恒久ニたのムべカラズ。寛仁ノ政略ニ出デ恩典ヲ以テ容認セラレタル自由ハ、決シテ真成ノ自由権理タルヲ得ザレバナリ。いはンヤ又国会ノ設ケタル実ニ国家ノ急務ニシテ、国家ヲ富嶽ノ安キニ置キ天皇宝祚万歳ばんぜいナランヲ祈願セバ、すみやカニ憲法ヲ制シ、内閣大臣ヲシテ天下ノ責ニ任ジ、国会議院ヲシテ之ヲ弾劾セシムルノ制度ヲ確定セズンバアル可カラズ。何トナレバ、天下ノ責ヲあげテ之ヲ君主ノ一身ニ帰シ、一国ノ興敗、人民ノ休戚、万機ノ得失、悉皆しつかい君主ノ任ズル所卜ル、是レ革命変乱ノよつテ起ル所以ゆゑんニシテ、国家ノ為メむし如斯かくのごとき危殆きたいナルモノアラザレバナリ。レ国会ヲ興シ憲法ヲ制シ大臣ノ権限ヲ定メテ自カラ天下ノ責ニ当ラシメ、いやしクモ国家民人ノ利害得失ニ関スルモノ内閣大臣独リ之ニ任ジテ君主ヲわづらハサズ。是レ英国ノ治安能ク美ヲ万邦ニほしいマヽニスル所以ゆゑんニシテ、仏国王路易ルイガ遂ニ顛覆てんぷくくわヲ免レザリシ由縁ゆゑんナリ。けだシ仏国路易王ルイわう顛跌てんてつノ変ハ、則チ国会ヲ興シ憲法ヲ定メ大臣責任法ヲ設ケズシテ、民人ヲシテ王室ヲ切歯憤怨せつし・ふんえんセシムルニ起因スルモノナリ。故ニ仏国ヲシテ其二三十年前ニ於テ一大変革ヲ行ヒ、国会ヲ開設シテ民権ヲ伸暢シ、憲法ヲ定メテ大臣ノ責任ヲ厳ニシ、以テ一国ノ人心ヲ調和セシメタランニハ、ニ王后ヲシテ身首しんしゆ其処そのところヲ殊[異]ことニセシムルニ至ランヤ。縦令たとヒ民心ノ憤激ニ逢フモ内閣ヲ一変スル而己のみ、何ンゾ革命ノ変アランヤ。然ラバ則チ今日我国皇室ノうれへハ、国会未ダ起ラズ大臣責任法未ダ定マラザルニ在リ。国会ノ設ケハ皇基ヲ堅安ナラシムルニ於テモ亦タ最モ下民ノ祈願スベキ所ナルヲ信ズルナリ。

 回思スレバ、副嶋そへしま、後藤、板垣ノ諸君ガ民撰議院ノ建議ヲ奉リテヨリここニ既ニ六年ノ星霜ヲ経過シ、尚早論者漸ク跡ヲ社会ニたち輿論よろんハ業すでニ国会開設スベシト云フノ一点ニ帰シタルニ、今日ニ至テ猶ホ其開設ノ挙ニフヲ得ズ。吾々人民ハ実ニ渇望ニ堪へズ。今日ノ願望ハ直ニ不得止やむをえざるノ熱心ニ出ヅルナリ。嗟呼ああ我ガ県会議員タル諸君ヨ、諸君ハ吾々ガ信任シテ地方参政ノ代理ヲ托スル所ノ人士ナリ。吾々ハ今県下一般ノ人民ニかはりラニ托スルニ国会開設建言ノ事ヲ以テセントス。ねがはくハ吾々ガ平生ニ尊信スル所ニ背カズ、此ノ熱心ノ渇望スルトコロヲ取テ之ヲ元老院ニ伸達シ、人民ノ為メ国家ノ為メニ速カニ奮発シテ国会開設ヲ懇請アランコトヲ敢テ依頼ス。幸ヒニ自任スル所アレ。頓首再拝。

  明治十二年十一月三日

                  新庄  厚信印

                  西   毅一印

                  中川 横太郎印

                  村上  長毅印

                  万代  義勝印

                  小林  樟雄印

                  竹内  正志印

                  谷川  達海印

                  前田 清太郎印

                  速 水  洵印

                  小松原英太郎印

 

〔国立国会図書館蔵「川村正平文書」〕