檸檬・蒼穹・闇の絵巻

 檸檬  

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさへつけてゐた。焦燥せうさうと云はうか、嫌悪と云はうか──酒を飲んだあとに宿酔ふつかゑひがあるやうに、酒を毎日飲んでゐると宿酔に相当した時期がやつて来る。それが来たのだ。これはちよつといけなかつた。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また脊を焼くやうな借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなつた。蓄音器を聴かせて貰ひにわざわざ出かけて行つても、最初の二、三小節で不意に立ち上つてしまひたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けてゐた。

 何故なぜだか其頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えてゐる。風景にしても壊れかかつた街だとか、その街にしても他所他所よそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあつたりがらくたころがしてあつたりむさくるしい部屋が覗いてゐたりする裏通りが好きであつた。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまふ、と云つたやうな趣きのある街で、土塀が崩れてゐたり家並が傾きかかつてゐたり──勢ひのいいのは植物だけで、時とすると吃驚びつくりさせるやうな向日葵ひまはりがあつたりカンナが咲いてゐたりする。

 時どき私はそんな路を歩きながら、不図ふと其処そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか──そのやうな市へ今自分が来てゐるのだ──といふ錯覚を起さうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないやうな市へ行つてしまひたかつた。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂ひのいい蚊帳かやと糊のよくきいた浴衣ゆかた、其処で一月程何も思はず横になりたい。ねがはくは此処が何時の間にかその市になってゐるのだったら。──錯覚がやうやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失ふのを楽しんだ。

 私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様しまもやうを持つた花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になつてゐて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそつた。

 それからまた、びいどろと云ふ色硝子いろガラスたひや花を打出してあるおはじきが好きになつたし、南京玉が好きになつた。またそれをめて見るのが私にとつて何ともいへない享楽だつたのだ。あのびいどろの味程かすかな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなつて落魄おちぶれた私に蘇つてくるせゐだらうか、全くあの味には幽かな爽かな何となく詩美と云つたやうな味覚が漂つて来る。

 察しはつくだらうが私にはまるで金がなかつた。とは云へそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰める為には贅沢ぜいたくといふことが必要であつた。二銭や三銭のもの──と云つて贅沢なもの。美しいもの──と云つて無気力な私の触角にむしびて来るもの。──さう云つたものが自然私を慰めるのだ。

 生活がまだむしばまれてゐなかつた以前私の好きであつた所は、例へば丸善であつた。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落しやれた切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持つた琥珀こはく色や翡翠ひすゐ色の香水壜。煙管きせる、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあつた。そして結局一等いい鉛筆を一本買ふ位の贅沢をするのだつた。然し此処ももう其頃の私にとつては重くるしい場所に過ぎなかつた。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取の亡霊のやうに私には見えるのだつた。

 ある朝──其頃私は甲の友達から乙の友達へといふ風に友達の下宿を転々として暮してゐたのだが──友達が学校へ出てしまつたあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取残された。私はまた其処から彷徨さまよひ出なければならなかつた。何かが私を追ひたてる。そして街から街へ、先に云つたやうな裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立留つたり、乾物屋の乾蝦ほしえび棒鱈ぼうだら湯葉ゆばを眺めたり、たうとう私は二条の方へ寺町をさがり、其処の果物屋で足を留めた。此処でちよつと其の果物屋を紹介したいのだが、其の果物屋は私の知つてゐた範囲で最も好きな店であつた。其処は決して立派な店ではなかつたのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物は可成かなり勾配の急な台の上に並べてあつて、その台といふのも古びた黒い漆塗うるしぬりの板だつたやうに思へる。何か華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人を石に化したといふゴルゴンの鬼面──的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まつたといふ風に果物は並んでゐる。青物もやはり奥へゆけばゆく程堆高うづたかく積まれてゐる。──実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかつた。それから水に漬けてある豆だとか慈姑くわゐだとか。

 また其処の家の美しいのは夜だつた。寺町通は一体に賑かな通りで──と云つて感じは東京や大阪よりはずつと澄んでゐるが──飾窓かざりまどの光がおびただしく街路へ流れ出てゐる。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接してゐる街角になつてゐるので、暗いのは当然であつたが、その隣家が寺町通にある家にも拘らず暗かつたのが瞭然はつきりしない。然し其の家が暗くなかつたら、あんなにも私を誘惑するには至らなかつたと思ふ。もう一つは其の家の打ち出したひさしなのだが、その廂が眼深まぶかに冠つた帽子の廂のやうに──これは形容といふよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げてゐるぞ」と思はせる程なので、廂の上はこれも真暗なのだ。さう周囲が真暗なため、店頭にけられた幾つもの電燈が驟雨しううのやうに浴せかける絢爛けんらんは、周囲の何者にも奪はれることなく、ほしいままにも美しい眺めが照し出されてゐるのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒らせんぼうをきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立つて、また近所にある鎰屋かぎやの二階の硝子窓をすかして眺めた此の果物店の眺め程、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。

 その日私は何時になくその店で買物をした。といふのはその店には珍らしい檸檬れもんが出てゐたのだ。檸檬などくありふれてゐる。が其の店といふのも見すぼらしくはないまでもただあたりまへの八百屋に過ぎなかつたので、それまであまり見かけたことはなかつた。一体私はあの檸檬が好きだ。レモンヱロウの絵具をチューブから搾り出して固めたやうなあの単純な色も、それからあのたけの詰つた紡錘ばうすゐ形の恰好かつかうも。──結局私はそれを一つだけ買ふことにした。それからの私は何処へどう歩いたのだらう。私は長い間街を歩いてゐた。始終私の心ををさへつけてゐた不吉な塊がそれを握つた瞬間からいくらかゆるんで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であつた。あんなに執拗しつこかつた憂欝が、そんなものの一くわで紛らされる──或ひは不審なことが、逆説的な本当であつた。それにしても心といふ奴は何といふ不可思議な奴だらう。

 その檸檬の冷たさはたとへやうもなくよかつた。その頃私は肺尖を悪くしてゐていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り合ひなどをして見るのだが、私の掌が誰のよりも熱かつた。その熱い故だつたのだらう、握つてゐる掌から身内に浸み透つてゆくやうなその冷たさは快いものだつた。

 私は何度も何度もその果実を鼻に持つて行つては嗅いで見た。それの産地だといふカリフォルニヤが想像に上つて来る。漢文で習つた「売柑者之言」の中に書いてあつた「鼻をつ」といふ言葉がれぎれに浮んで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込めば、つひぞ胸一杯に呼吸したことのなかつた私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇つて来て何だか身内に元気が目覚めて来たのだった。……

 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずつと昔からこればかり探してゐたのだと云ひ度くなつた程私にしつくりしたなんて私は不思議に思へる──それがあの頃のことなんだから。

 私はもう往来を軽やかな昂奮かうふんはずんで、一種誇りかな気持さへ感じながら、美的装束をして街を闊歩くわつぽした詩人のことなど思ひ浮べては歩いてゐた。汚れた手拭の上へ載せて見たりマントの上へあてがつて見たりして色の反映をはかつたり、またこんなことを思つたり、

 ──つまりは此の重さなんだな。──

 その重さこそ常づね私が尋ねあぐんでゐたもので、疑ひもなくこの重さはすべての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思ひあがつた諧謔心かいぎやくしんからそんな馬鹿げたことを考へて見たり──何がさて私は幸福だつたのだ。

 何処をどう歩いたのだらう、私が最後に立つたのは丸善の前だつた。平常あんなに避けてゐた丸善が其の時の私には易やすと入れるやうに思へた。

「今日は一つ入つて見てやらう」そして私はづかづか入つて行つた。

 然しどうしたことだらう、私の心をみたしてゐた幸福な感情は段々逃げて行つた。香水の壜にも煙管きせるにも私の心はのしかかつてはゆかなかつた。憂欝が立てめて来る、私は歩き廻つた疲労が出て来たのだと思つた。私は画本の棚の前へ行つて見た。画集の重たいのを取り出すのさへ常に増して力が要るな! と思つた。然し私は一冊づつ抜き出しては見る、そし開けては見るのだが、克明にはぐつてゆく気持は更に湧いて来ない。しかのろはれたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでゐて一度バラバラとやつて見なくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなつて其処へ置いてしまふ。以前の位置へ戻すことさへ出来ない。私は幾度もそれを繰返した。たうとうおしまひには日頃から大好きだつたアングルの橙色だいだいいろの重い本まで尚一層の堪へ難さのために置いてしまつた。──何といふ呪はれたことだ。手の筋肉に疲労が残つてゐる。私は憂欝になつてしまつて、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めてゐた。

 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだらう。一枚一枚に眼をさらし終つて後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐはない気持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。……

「あ、さうださうだ」その時私はたもとの中の檸檬を憶ひ出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「さうだ」

 私にまた先程の軽やかな昂奮が帰つて来た。私は手当り次第に積みあげ、またあわただしくつぶし、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加へたり、取去つたりした。奇怪な幻想的な城が、その度に赤くなつたり青くなつたりした。

 やつとそれが出来上つた。そして軽くをどりあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据ゑつけた。そしてそれは上出来だつた。

 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひつそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまつて、カーンと冴えかへつてゐる。私はほこりつぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張してゐるやうな気がした。私はしばらくそれを眺めてゐた。

 不意に第二のアイディアが起つた。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎよつとさせた。

 ──それをそのままにしておいて私は、何喰はぬ顔をして外へ出る。──

 私は変にくすぐつたい気持がした。「出て行かうかなあ。さうだ出て行かう」そして私はすたすた出て行つた。

 変にくすぐつたい気持が街の上の私を微笑ほほゑませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだつたらどんなに面白いだらう。

 私はこの想像を熱心に追求した。「さうしたらあの気詰りな丸善も粉葉こつぱみぢんだらう」

 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街をいろどつてゐる京極をさがつて行つた。

 ──大正十四年(1925)一月同人誌「青空」に初出──

 

  蒼穹

 ある晩春の午後、私は村の街道に沿つた土堤どての上で日を浴びてゐた。空にはながらく動かないでゐるおほきな雲があつた。その雲はその地球に面した側に藤紫色をした陰翳いんえいを持つてゐた。そしてその厖大ばうだいな容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら茫漠ばうばくとした悲哀をその雲に感じさせた。

 私の坐つてゐるところはこの村でも一番広いとされてゐる平地のへりに当つてゐた。山とたにとがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺めるにも勾配のついた地勢でないものはなかつた。風景は絶えず重力の法則におびやかされてゐた。そのうへ光と影の移り変りは渓間にゐる人に始終あわただしい感情を与へてゐた。さうした村のなかでは、渓間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかつた。私にとつてはその終日日にいた眺めが悲しいまでノスタルヂックだつた。Lotus-eaterの住んでゐるといふ何時も午後ばかりの国──それが私には想像された。

 雲はその平地の向ふのはてである雑木山の上に横たはつてゐた。雑木山では絶えず杜鵑ほととぎすが鳴いてゐた。その麓に水車が光つてゐるばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡つてゐる野山には静かなものうさばかりが感じられた。そして雲はなにかさうした安逸の非運を悲しんでゐるかのやうに思はれるのだつた。

 私は眼を渓の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半島の中心の山彙さんゐからわけ出て来た二つの渓が落合つてゐた。二つの渓の間へ楔子くさびのやうに立つてゐる山と、前方を屏風びやうぶのやうに塞いでゐる山との間には、一つの渓をその上流へかけて十二単衣ひとへのやうな山褶やまひだが交互に重なつてゐた。そしてそのはてには一本の巨大な枯木をそのいただきに持つてゐる、そしてそのために殊更感情を高めて見える一つの山がそびえてゐた。日は毎日二つの渓を渡つてその山へ落ちてゆくのだつたが、午後早い日は今やつと一つの渓を渡つたばかりで、渓と渓との間に立つてゐる山の此方側が死のやうな影に安らつてゐるのが殊更眼立つてゐた。三月の半ば頃私はよく山を蔽つた杉林から山火事のやうな煙が起るのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸ひする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であつた。しかし今既に受精を終つた杉林の上には褐色がかつた落ちつきが出来てゐた。瓦斯ガス体のやうな若芽に煙つてゐたけやきならの緑にももう初夏らしい落ちつきがあつた。けた若葉が各々影を持ち瓦斯体のやうな夢はもうなかつた。ただ渓間にむくむくと茂つてゐるしひの樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたやうになつてゐた。

 そんな風景のうへを遊んでゐた私の眼は、二つの渓をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識しらずしらずそのなかへ吸ひ込まれて行つた。湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであつた。

 それは一方からの尽きない生成とともにゆつくり旋回してゐた。また一方では捲きあがつて行つたへりが絶えず青空のなかへ消え込むのだつた。かうした雲の変化ほど見る人の心に云ひ知れぬ深い感情を喚び起すものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅のなかへ溺れ込んでしまひ、ただそればかりを繰返してゐるうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へたかまつて来る。その感情はのどを詰らせるやうになつて来、身体からは平衡の感じがだんだん失はれて来、若しそんな状態が長く続けば、そのある極点から、自分の身体は奈落のやうなもののなかへ落ちてゆくのではないかと思はれる。それも花火に仕掛けられた紙人形のやうに、身体のあらゆる部分から力を失つて。──

 私の眼はだんだん雲との距離を絶して、さう云つた感情のなかへ巻き込まれて行つた。そのとき私はふとある不思議な現象に眼をとめたのである。それは雲の湧いて出るところが、影になつた杉山の直ぐ上からではなく、そこからかなりのへだたりを持つたところにあつたことであつた。そこへ来てはじめてうつすり見えはじめる。それから見る見る巨きな姿をあらはす。──

 私は空のなかに見えない山のやうなものがあるのではないかといふやうな不思議な気持に捕へられた。そのとき私の心をふとかすめたものがあつた。それはこの村でのある闇夜の経験であつた。

 その夜私は提灯ちやうちんも持たないで闇の街道を歩いてゐた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の恰度ちやうど戸の節穴から写る戸外の風景のやうに見えてゐる、大きな闇のなかであつた。街道へその家の燈が光を投げてゐる。そのなかへ突然姿をあらはした人影があつた。おそらくそれは私と同じやうに提灯を持たないで歩いてゐた村人だつたのであらう。私は別にその人影を怪しいと思つたのではなかつた。しかし私はなんといふことなくつと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めてゐたのである。その人影は背に負つた光をだんだん失ひながら消えて行つた。網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり──遂にはその想像もふつつり断ち切れてしまつた。そのとき私は『何処』といふもののない闇にかすかな戦慄せんりつを感じた。その闇のなかへ同じやうな絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、云ひ知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。──

 その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟つた。雲が湧き立つては消えてゆく空のなかにあつたものは、見えない山のやうなものでもなく、不思議なみさきのやうなものでもなく、なんといふ虚無! 白日の闇が満ち充ちてゐるのだといふことを。私の眼は一時に視力を弱めたかのやうに、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色に煙りあがつたこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚出来なかつたのである。

 ──昭和三年(1928)三月「文藝都市」に初出──

 

  闇の絵巻

 

 最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて語つたところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さへあれば何里でも走ることが出来るといふ。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのださうである。

 私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄せんりつを禁じることが出来なかつた。

 闇! そのなかではわれわれは何を見ることも出来ない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫つて来る。こんななかでは思考することさへ出来ない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことが出来よう。勿論われわれは摺足すりあしでもして進むほかはないだらう。しかしそれは苦渋くじふや不安や恐怖の感情で一ぱいになつた一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだらう。裸足はだしあざみを踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。

 闇のなかでは、しかし、しわれわれがさうした意志を捨ててしまふなら、なんといふ深い安堵がわれわれを包んでくれるだらう。この感情を思ひ浮べるためには、われわれが都会で経験する停電を思ひ出して見ればいい。停電して部屋が真暗になつてしまふと、われわれは最初なんともいへない不快な気持になる。しかし一寸ちよつと気を変へて呑気のんきでゐてやれと思ふと同時に、その暗闘は電燈の下では味はふことの出来ない爽やかな安息に変化してしまふ。

 深い闇のなかで味はふこの安息は一体なにを意味してゐるのだらう。今は誰の眼からも隠れてしまつた──今は巨大な闇と一如になつてしまつた──それがこの感情なのだらうか。

 私はながい間ある山間の療養地に暮してゐた。私は其処で闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでゐるやうに見える谿向たにむかふの枯萱山かれかややまが、夜になると黒ぐろとした畏怖ゐふに変つた。昼間気のつかなかつた樹木が異形いぎやうな姿を空に現はした。夜の外出には提灯ちやうちんを持つてゆかなければならない。──月夜といふものは提灯の要らない夜といふことを意味するのだ。──かうした発見は都から不意に山間へ行つたものの闇を知る第一階梯かいていである。

 私は好んで闇のなかへ出かけた。たにぎはの大きなしひの木の下に立つて遠い街道の孤独な電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだらう。私はその光がはるばるやつて来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めてゐるのを知つた。またあるところでは渓の闇へ向つて一心に石を投げた。闇のなかには一本のゆずの木があつたのである。石が葉を分けて戞々かつかつがけへ当つた。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂が立騰たちのぼつて来た。

 かうしたことは療養地の身を噛むやうな孤独と切離せるものではない。あるときは岬の港町へゆく自動車に乗つて、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄させた。深い渓谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けて来るにしたがつて黒い山々の尾根が古い地球の骨のやうに見えて来た。彼等は私のゐるのも知らないで話し出した。

「おい。何時まで俺達はこんなことをしてゐなきやならないんだ」

 私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思ひ出す。それは渓の下流にあつた一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰つて来る道であつた。渓に沿つて道は少し上りになつてゐる。三四町もあつたであらうか。その間にはまれにしか電燈がついてゐなかつた。今でもその数が数へられるやうに思ふ位だ。最初の電燈は旅館から街道へ出たところにあつた。夏はそれに虫がたくさん集つて来てゐた。一匹の青蛙がいつもそこにゐた。電燈の真下の電柱にいつもぴたりと身をつけてゐるのである。暫らく見てゐると、その青蛙はきまつたやうに後足を変な風に曲げて、背中を掻くねをした。電燈から落ちて来る小虫がひつつくのかもしれない。いかにも五月蠅うるささうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立留つてゐた。いつも夜更けでいかにも静かな眺めであつた。

 しばらく行くと橋がある。その上に立つて渓の上流の方を眺めると、黒ぐろとした山が空の正面に立塞たちふさがつてゐた。その中腹に一箇の電燈がついてゐて、その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。バアーンとシンバルを叩いたやうな感じである。私はその橋を渡るたびに私の眼がいつもなんとなくそれを見るのを避けたがるのを感じてゐた。

 下流の方を眺めると、渓が瀬をなして轟々くわうくわうと激してゐた。瀬の色は闇のなかでも白い。それはまた尻つ尾のやうに細くなつて下流の闇のなかへ消えてゆくのである。渓の岸には杉林のなかに炭焼小屋があつて、白い煙が切り立つた山の闇をひ登つてゐた。その煙は時として街道の上へ重苦しく流れて来た。だから街道は日によつてはその樹脂臭い匂ひや、また日によつては馬力の通つた昼間の匂ひを残してゐたりするのだつた。

 橋を渡ると道は渓に沿つてのぼつてゆく。左は渓の崖。右は山の崖。行手に白い電燈がついてゐる。それはある旅館の裏門で、それまでの真直ぐな道である。この闇のなかでは何も考へない。それは行手の白い電燈と道のほんの僅かの勾配のためである。これは肉体に課せられた仕事を意味してゐる。目ざす白い電燈のところまでゆきつくと、いつも私は息切れがして往来の上で立留つた。呼吸困難。これはぢつとしてゐなければいけないのである。用事もないのに夜更けの道に立つて盆槍ぼんやり畑を眺めてゐるやうな風をしてゐる。しばらくするとまた歩き出す。

 街道はそこから右へ曲つてゐる。渓沿ひに大きなしひの木がある。その木の闇は至つて巨大だ。その下に立つて見上げると、深い大きな洞窟のやうに見える。ふくろふの声がその奥にしてゐることがある。道のかたはらには小さなあざがあつて、そこから射して来る光が、道の上に押被おしかぶさつた竹藪を白く光らせてゐる。竹といふものは樹木のなかで最も光に感じ易い。山のなかの所どころにれ立つてゐる竹藪。彼等は闇のなかでもそのありかをほの白く光らせる。

 そこを過ぎると道は切り立つた崖を曲つて、突如ひろびろとした展望のなかへ出る。眼界といふものがかうも人の心を変へてしまふものだらうか。そこへ来ると私はいつも今が今まで私の心を占めてゐた煮え切らない考へを振るひ落してしまつたやうに感じるのだ。私の心には新しい決意が生れて来る。ひそやかな情熱が静かに私を満たして来る。

 この闇の風景は単純な力強い構成を持つてゐる。左手には渓の向ふを夜空をくぎつて爬虫はちゆうの背のやうな尾根が蜿蜒ゑんえんつてゐる。黒ぐろとした杉林がパノラマのやうに廻つて私の行手を深い闇で包んでしまつてゐる。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿つて街道がゆく。行手は如何いかんともすることの出来ない闇である。この闇へ達するまでの距離は百メートル余りもあらうか。その途中にたつた一軒だけ人家があつて、かへでのやうな木が幻燈のやうに光を浴びてゐる。大きな闇の風景のなかでただそこだけがこんもり明るい。街道もその前では少し明るくなつてゐる。しかし前方の闇はそのためになほ一層暗くなり街道を呑みこんでしまふ。

 ある夜のこと、私は私の前を私と同じやうに提灯ちやうちんなしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現はしたのだつた。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいつて行つてしまつた。私はそれを一種異様な感動を持つて眺めてゐた。それは、あらはに云つて見れば、「自分も暫らくすればあの男のやうに闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立つて見てゐればやはりあんな風に消えてゆくのであらう」といふ感動なのであつたが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であつた。

 その家の前を過ぎると、道は渓に沿つた杉林にさしかかる。右手は切り立つた崖である。それが闇のなかである。なんといふ暗い道だらう。そこは月夜でも暗い。歩くにしたがつて暗さが増してゆく。不安が高まつて来る。それがある極点にまで達しようとするとき、突如ごおつといふ音が足下から起る。それは杉林の切れ目だ。恰度ちようど真下に当る瀬の音がにはかにその切れ目から押寄せて来るのだ。その音はすさまじい。気持にはある混乱が起つて来る。大工とか左官とかさういつた連中が渓のなかで不可思議な酒盛をしてゐて、その高笑ひがワツハツハ、ワツハツハときこえて来るやうな気のすることがある。心がぢ切れさうになる。するとその途端、道の行手にパツと一箇の電燈が見える。闇はそこで終つたのだ。

 もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖の曲角で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。私は最後の安堵あんどとともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜がある。霧にかすんでしまつて電燈が遠くに見える。行つても行つてもそこまで行きつけないやうな不思議な気持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまふ。遠い遠い気持になる。

 闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度といふことなく歩いた。いつも同じ空想を繰返した。印象が心に刻みつけられてしまつた。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残つてゐる。それを思ひ浮べるたびに、私は今ゐる都会のどこへ行つても電燈の光の流れてゐる夜を、薄つ汚なく思はないではゐられないのである。

 ──昭和五年(1930)九月『詩・現実』第二冊に初出──