序 章
母を連れた小旅行の計画でした
旅の支度をうながしますと
そんな話は聞いていないと母は言います
紅葉を楽しみにしてくれたはずなのにと思いながら
宿のパンフレットを広げました
するといきなり形相を変え
「年寄りを粗末にして世間が通ると思うのか」
怒鳴りながら居間を出てゆきました
母が機嫌を損ねると数週間というもの
不穏な空気が家中を重たく包むのが常でした
ところが何時からでしょう
不機嫌は数時間の内に消え去るのです
それは今年の梅雨明けの頃からでした
今朝あれほどいきり立っていた母は
庭に咲いた菊の花を異常に喜び
家中の者達を呼ぶのです
夕餉のテーブルを囲んだ時でした
お前達も旅行くらいしたらどうだ と
心遣いの出来る人に戻るのでした
僕等夫婦は母の老いが目に見え始めたこの数年
一緒に映画を見ることさえ出来ませんでした
そのことを知っているのか知らずにか
うちの若い者達は出不精だと笑います
近所の噂人達がそれを信じて
「お金を残してどうなさるのよ」と言いました
僕にとっては腑に落ちない話ではありますが
そんなことで母の心の居所が良いのなら
それでいいと思うことにしたのでした
友人にこの話をしたことがありました
「それはどちらかが嘘を言っている」
無遠慮に彼は笑いながら言いました
僕の母は昔から嘘を言う人ではありません
僕にしても自分に嘘を言う必要がありません
考えられるのは年老いて人格が変わり
母は嘘を言う人間になったのかも知れないのです
今朝のことを忘れてしまう などということが
本当に人間にはあるのでしょうか
僕は母を肩越しに疑りの眼を向けたものでした
母は今廊下の籐椅子に座っています
自分の家族を守り続けて来た僕の母です
病院で脳の断層写真を見せられるまで僕は
母がアルツハイマー病であったなどとは
蚊の羽音ほどにも気付きはしませんでした
数カ月経った今にして思えば
これが母に起こった事件の序章だったのでした
母の螢
「昨夜は廊下を一晩中走っていました」
介護員からそんな報告を聞きました
「お義母さん眠むたいでしょう」妻が言いました
「忙しいからねえ大変なんだよ」
母の心は眠れないほど忙しいようでした
大事な仕事に今も関わっているかのようです
談話室から歌声が聞こえてきました
「お義母さんも螢の宿を歌おうか」
「オルガンが苦手でねえ」
「でも教えて貰ったんだよね」
母の目に螢の群れが現れたのでしょうか
「川の形に光っているよ」
指さしながら妻と一緒に歌います
螢の群が小川に添って遠く続いているようでした
僕も少年の頃に見た母の生家の光景を
その指先に感じていました
歌い終わると疲れて母は目をつむります
螢の雪崩れる夢の中にいるのでしょうか
寝顔が笑ったようでした
「螢の夢でも見ているのかな」
何気ない僕の言葉に
「良かったねお義母さん」
妻は声を掛けました
僕の目から螢の川に夜霧の露がにじみます
子供を寝かせつけるように
妻は母の背をさすっていました
いつまでも妻は小声で螢の歌を歌っていました
赤子をあやすような笑顔の頬には
涙の跡が光っていました
僕の母を妻は泣いてくれたのでした
施設からの帰りです
「お義母さんと三十一年暮したのだわ」
妻がポツリと言いました
僕の知らない母の青春の思い出を
からくり細工を開けるように話すのでした
訓導になったばかりの若い頃です
不得手であったオルガンを
音楽科出の青年教師に教わったのだと
そんな母の初恋を
僕は妻から聞いたのでした
近い父 遠い母
父が病床にあった時のことです
どんな看護も家族にかなうものはない
そう言って父は入院を嫌っていました
これまで描き溜めた油絵を枕元に並べ
会津の裏磐梯の風景を見入っていました
「これは誰にもあげるなよ」
父の言い残した言葉です
現在居間の中央に飾られているその絵です
死の一月程前からは起き上がれなくなりました
日一日と衰えてゆく姿を見ました
帰宅後僕は必ず具合を尋ねましたが
「まあまあだねえ」答えはいつも同じです
しかし僕の目には明らかに
昨日よりも濃い死の相を
いやが上にも感じさせられたものでした
僕は一日おきに父の髭を剃りました
「お前は床屋になると良かった」
礼の代わりに必ず言う言葉です
アフタークリームを延ばし終わると
何に納得してなのか深くうなずいたものでした
病床の中で父は
じっと何かに耐えているように見えました
それを思い出すたびに
僕は父の人生を考えるのです
耐えることとは
耐えていることさえも気取られないこと
それを父から教わったように思います
「人生はこれ一回でけっこうですな」
それが父の哲学でした
可愛がった孫娘が顔を出した時でした
「この子は誰だ」と聞くのです
居合わせた人達は返事のしようもありませんでした
するといきなり「よし 許す」大声で言いました
許されぬ子だとでも思い違いをしたのでしょう
肺ガンの痛みを押さえるモルヒネで
脳は朦朧としていたのです
けれども人を許す気持ちは薄れてはいませんでした
父の余命が幾ばくも無いことを
医者から聞いて僕は知っていましたが
不思議に悲しくはありませんでした
亡くなる三日前の事でした
痛みも感じなくなっていたようですが
うわごとに家族が顔をつきあわせた中に目を覚まし
「いい家族だった」
芝居がかったセリフを言った父でした
「それを言うのはひと月速いよ」
僕は冗談で返したつもりだったのですが
何故十年と言えなかったか今尚悔やまれてなりません
父は八年前に身罷りました
残った母は明るい施設のひと部屋にいて
毎日妻が見舞います
休日は僕も弟も顔を出します
会話はことごとく辻褄は合いません
でも答えは肉声で返ってきます
それなのに僕の心は
何故か深い悲しみ襲われるのです
死ぬという現象は
思うほど遠い世界のことではないのではないか
生きていながら心が繋がらないことこそが
遥かに遠い世界を思わせるかも知れない
母の寝息の聞こえる側に正座しながら
母との距離を僕は見つめているのでした
曇天の祈り
部屋に近づくと
呪文にも似た声が聞こえてきました
開け放たれているドアから顔を突き出し
部屋の中を伺いました
ベッドに座り壁を見つめ
しきりに何やら唱えている老婆
それは体の萎えて縮んだ
手ばかりが異様に大きい
僕の母の祈りの姿でありました
「ミツコ ヨシオ ミツコ ヨシオ」
母は僕と妻の名を繰り返し唱えていたのです
「ほら ヨシオの到着」
幼子をあやすように声を掛けました
母は僕の顔に半ば驚き半ば安堵し
「ああ、これで間に合った」
どんな夢とどう連結したのでしょう
穏やかな顔に戻って嬉しそうに言いました
「僕とミツコを呼んでたの?」
何気なしに聞きました
すると母は
「何もかも忘れちゃいそうだから
二人だけは忘れないように呼んでたの」
それを聞くと僕の喉に痛みが走り
何の返事も出来ませんでした
ほとんど壊れてしまった脳の片隅で
母は自我崩壊に気付いたのでしょうか
必死に息子と嫁の名を呼び
自分を支えようとしたのでしょう
現実が潮解するような底知れない不安と恐怖が
母の心を容赦なく襲っているのだと思います
僕は部屋をそっと抜けだし廊下に出ました
突き当たりの非常口近くで窓を開けると
素知らぬ顔の曇天が格子の向こうに垂れていました
灰色の雲の中に僕は父を思い描き
『早く迎えに来てあげて』
思わず曇天に手を合わせ
そんなことを口走っておりました