1 八ヶ岳の猫
ぼくがあの猫にはじめて会ったのは、もう何年も前の、この山にようやく雪の来たころのことでした。
今ではもう、あの猫がほんとうにいたのかどうか、どうもほんとうだと言える自信がなくなってきています。もしかすると、あのころぼくは長い夢をみていたのかもしれません。その夢のなかの猫が、あの猫だったのかもしれないなあ、という気もします。
いつもの冬より暖くて、ちょっとものたりないような日がつづいていました。カラマツやダケカンバやシラカバが葉を落としつくして見とおしのよくなった森の向こうに、まだらに白くなった山が見えていました。八ヶ岳の峰々のうちでいちばん高い赤岳と、それにつづく横岳です。
この山々の中腹の森の中にある山荘で、ぼくはひとりで本を読んでいました。読んでいたのは曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』という、江戸時代の長い小説です。暖いとはいっても標高一八〇〇メートルもある森の中のことですから、大型のストーブを焚いて、そのわきのこたつに入り、ときどきビールやウイスキイをのみながら、八犬士の活躍する物語にひたっておりました。
ある日、昼のうちは明るい光が射しておだやかだったのですが、日が暮れだすころから風が出てきました。山に特有の風です。どこかでゴオーッとかヒュウーッと唸る音がして、しばらくすると大きなかたまりのような風が目の前を駆けぬけてゆき、木々がしなり、家がガタガタミシミシ揺れるのですが、そのひとかたまりの風が吹きすぎると静かになり、やがてまた山のほうからつぎの風が起こってくるのが聞こえるという、そういう風です。
風が通ってゆくときはストーブの炎がはげしく揺れます。煙突から風が吹き込んでくるからです。その勢いが強いと炎が吹き消されてしまいストーブが使えなくなるので、風の通るたびにはらはらします。
うす闇の空を背景に、黒いシルエットになった木々が風の通るたびにしなっていました。風はひとつ来るごとに大きくなり、目の前の太いカラマツまでぐぐぐーっと傾き、小枝が折れて飛んでゆきます。やがて木のかたちも見分けられない闇が森をおおって、風と風のあいだが短くなってきました。
こうなるとストーブはもう使えなくなり、部屋の温度がぐんぐん下がってゆきます。夜中、寒暖計を見ると零下三度になっていました。外は零下一〇度とか一五度になっていたでしょう。しかたなく布団に入ったのですが、風の音が気になってなかなか眠れません。
半分眠っていたかもしれません、ぼくの耳に異様な音が聞こえてきました。風の音の底に、ウウウーッともぐぐぐーッとも聞こえる音――なにか野獣の唸り声のようなものが聞こえてきたのです。
背筋がぞくっとしました。この山の森にはリスやキツネや野ネズミはいます。カモシカもときどき出てきます。しかし、夜中にそんな唸り声を上げる動物はいないはずです。森の夜でほんとうは恐いのは人間ですが、どうも人間の声でもなさそうです。
布団のなかでからだがこわばりました。たぶんもう目はさめていたと思います。耳を澄ませると、大小の風が通りすぎるなかで、とりわけ大きい風の音にまじって、その唸り声のようなものが聞こえるようでした。
なんだろう?
ばけもの?妖怪?
そんなふうに思ったのは、読んでいた八犬伝のせいかもしれません。馬琴の書いたあの物語には、現実ばなれした話がつぎつぎに出てきます。八人の犬士そのものからして、それぞれ霊玉を持っていて伏姫の霊力に守られているのですが、物語のかなめかなめに霊力を持った動物が出てきます。善い霊獣も悪い霊獣もいるわけですけれども、犬をはじめ、狐や狸や猪などいろいろな動物が霊力を持ってあらわれるのです。
もう何日も馬琴のその世界にひたりきっていたぼくには、風のなかの唸り声があたりまえの動物のものとは思えませんでした。
戸をあけてたしかめてみる勇気はありません。布団のなかでからだをこわばらせて、朝の来るのを待つばかりでした。
やがて風がゆるみ、風と風とが間遠になると、あの唸り声も聞こえなくなり、いつかぼくは眠っていました。
つぎの朝目がさめたとき、風はすっかりおさまっていました。カーテンをあけてみると、その冬山荘にきて初めての雪が降りしきっていました。急に下がった気温で、さらさらの細かい雪が森の木々をかすませて降っています。あけがたから降ったのか、バルコニーの床にも手すりにも五センチあまりの雪がつもっていました。
バサッと音がして手すりのわきのミヤマザクラの枝からカケスが飛び立ち、いちめんの白い森に青と黒のあざやかな翼を見せて消えてゆきました。
雪の大好きなぼくは、ガラス戸を大きく開けて森の雪景色を見ていました。風はほとんどないのですが、部屋のなかにもちらちらと雪が舞いこんできます。空気がピリッとしまっていて、睡眠不足の目がさえてゆきます。
――この雪、一日じゅう降るだろうな。あしたあたり、雪道踏みをするかな。
そんなことを考えていたとき、カラマツの大枝が上下に大きく揺れて、粉雪が舞ったのです。枝から何かが飛びました。
ハッとしてあとずさりをしたのですが、見るとバルコニーの手すりの雪の上に、一匹の獣がいました。カラマツの枝から、降りしきる雪のなかを跳躍してきたのです。
あっ、と声をあげて、ぼくはガラス戸に手をかけて、閉めようとしました。
ニャオーン。
猫の鳴き声でした。
えっ、猫?
ぼくは一瞬、猫とは信じられませんでした。こんな山のなかに猫がいるわけはないし、それに、見たところ、猫と似ているけれども何か別の野獣に思えたのです。
戸に手をかけたまま、および腰でその獣を見ると、手すりに四つ足で立っている獣は、茶系の虎猫のようですが、ヒョウかチーターのように腰がくびれていて、ライオンのように平べったい大きな鼻を持っていました。雪のなかで目が金色に光っています。
ニャーオ。
猫のあまえる声でした。
「お前、猫?」
声をかけると一歩前に出て、目を細め、もう一度、ニャーオと鳴くのです。ゆうべ聞いていたあの唸り声の主だったらどうしようと思ったのですが、
「おいで」
と手をさしだすと、雪を蹴散らせて部屋に駆け込んできました。
どこかの山荘に連れてこられて迷子になっていた猫なのだろうか。それがごく普通の推測ですが、そんな家猫――それもたぶん都会暮らしをしていた家猫が、この山のなかで生きつづけられるものだろうか。冬の山で食べ物があるだろうか。夜の寒さに耐えられるだろうか。でも、こんなにすぐ人間に近寄ってくるのですから、やはり元は家猫だったのだろうと思うほかありません。
それにしても、変な猫です。そのころ東京のぼくの家にも六匹の猫がいたのですが、その猫たちとはどこかちがっています。猫というより、小型の野獣という感じがするのです。そして、そのくせぼくが冷蔵庫から出してきたハムを、ぼくの目の前でゆっくりと食べているのです。人間であるぼくを信頼しているようでした。
彼――というのはこの猫はオスでした――とぼくとの共同生活が始まりました。
ぼくが本を読んだり原稿を書いたりしているあいだ、彼はこたつの掛けぶとんのへりで寝ています。
「運動不足になるよ。すこし外へ行ってきたら」
ぼくが自分のことを棚に上げてそう言うと、ぼくの言葉がわかったのか、ひと声あまえ声で返事をして、のっそりと立ち上がります。ガラス戸を開けてやると、バルコニーへ出て手すりに飛び乗り、カラマツの大枝ヘジャンプして行きました。
「早く帰っておいで」
三日ばかりのうちに、よく食べたので、おかなも腰も太くなっていたのですが、みごとな跳躍でした。カラマツの枝からダケカンバの枝に移り、モミの枝に移って、森の奥へ入って行くのです。まるでリスのような動きでした。
――うちの猫たちには出来ないなあ。
そう思うと、不気味です。あれは、ほんとうに猫なんだろうか。枝渡りはするし、なんだか人間の言葉がわかるみたいだし……。
ひとりで八犬伝を読みつづけていると、そんな不安がまた頭を持ち上げてくるのでしたが、いっとき止んでいた雪がまた激しく降りはじめた夕方近く、今度はツガの木からバルコニーに跳び降りてきた彼が、入れてやるとからだをふるって雪をはらい、ぼくの膝に乗ってのどをごろごろ鳴らすものですから、
「やっぱり、普通の猫だよなあ。さあ、そろそろ晩めしを作るか。アジの干物でもあるといいんだけどね、魚はもう品切れなんだよ。牛肉がすこしあるから、すきやきはどうだろう?」
そんなふうに言ってみるのでした。
二人で(正確には一人と一匹で)晩ごはんを食べながら、彼の名前を考えました。こうやって共同生活を始めたのですから、名前がないと不便です。
名前は、しかし、便利のためだけのものではありません。名前というものには、なにか不思議な力があります。名は体をあらわすと言います。馬琴も八犬伝に出てくるたくさんの人物の名前を実によく考えてつけています。
いい加減な名前をつけるわけにはいきません。赤ちゃんに名前をつけるときにも、たいていの親は一生懸命考えます。考えるだけでなく、考えた名前の吉凶をうらなってもらったりもするものです。
「さて、君の名前だけどね、どんなのがいいかな。やっぱり、ここ八ヶ岳にちなんだのがいいよねえ」
八ヶ岳の「八」をもらって、八郎というのはどうだろうか。でも、ハチローというと、どうも犬の名前という感じがするなあ。略してハチだと、忠犬ハチ公になってしまう。
八ヶ岳の「岳」をもらって、タケとしてもいいんだけどね、おタケさんと呼ぶと昔風の女の人の名前になるなあ。それとも、岳はつまり山のことだから、ヤマならいいか。いや、これは名というよりも姓のほうだ。うん、山をフランス語でモンというから、モンがいいか。
ぼくは、小さく「モン、モン」と言ってみました。
わるくはない。なかなか呼びやすい名前だし、かわいい感じもある。
「でもねえ、モンキーと似てるなあ。ぼくがサル年生まれだから、縁があっていいと言えばいいんだけどね、それに君は枝渡りがうまいから猿型の猫とも言えるんだけど、いまいちピンと来ないなあ」
そんなことを言っているうちに彼は、ぼくの作った簡単すきやきの肉とキャベツとしらたきを食べて、デザートに牛乳を飲んで食事を終わり、ぼくの頭に跳び乗りました。前の日からときどき、彼はぼくの頭に乗って遊ぶのでした。床からぼくの頭までひらりと跳び移って、その狭い台の上でうまくバランスをとるのです。はじめは、うっかり頭を動かしたら落ちまいとして爪を立てるのではないかと思って、彼が頭上にいるあいだは首をなるべくまっすぐに立てて動かさないようにしていたのですが、つい頭をかたむけたとき彼は爪ひとつ立てずにバランスをとっていました。サーカスの球乗りみたいに足の位置を変えるのです。
ためしに首を右、左と傾けてみると、そのたびうまくバランスをとっています。彼の四本の足のやわらかな肉がぼくの頭をかるく押してくれて、いい気持ちです。
「君はまだ若いんだなあ、そんなことをして遊ぶんだから」
その彼とぼくの遊びが、ぼくがまだすきやきをつつきビールを飲んでいるうちに始まったというわけです。
「さて、モンもだめだとすると、じゃあ、八ヶ岳の主峰赤岳にあやかるのがいいかな。赤岳の赤から、レッドというのはどうだろう? でも、これも犬みたいか。フランス語ならルージュ(rouge)だけど…… 。そうだ、つづめてルーというのはどうだ?」
ぼくが思わず頭をあおむけにすると、彼はすいとぼくのおでこに移動して、そのとたん、彼の体重がほとんどなくなったような感じになりました。彼はおそらく三キロ以上あると思いますが、ぼくの頭上にいるときはなぜかとても軽いのです。ぼくの首が疲れることはありません。その軽い彼が、ルーという名はどうだと言ったとたん、いなくなったかと思うほど、数秒間もっと軽くなったのでした。まるで返事をしてくれたようでした。
「よし、それじゃ、ルーにきまり。ルーに乾杯だ」
ルーは頭から下りて、ぼくがビールのコップをかたむけるのを、手にあごをのせて眺めていました。
フランス語の辞書を持ち出して、ルーという言葉を引いてみると、まず、車輪とか舵輪という意味の roueがありました。円型でまわるものがルーです。ルーレットもそこから出ている言葉です。ぼくはルーに説明してやりました。いま思うとすこし変ですが、そのときぼくは、ルーがぼくの話をわかってくれるように感じていました。
「円というのはね、完全なかたちなんだよ。いい名前だ、うん、最高の名前だよ」
もうひとつルーがありました。焦茶色、朽葉色という意味の rouxです。髪の毛なら赤毛ということになります。もちろん絵具でいう赤ではなく、茶色の髪のことです。『赤毛のアン』の赤毛です。茶色い犬を赤犬と呼ぶ、あの赤毛です。
「ルーの毛も rouxだから、ぴったりだしね。それに、ルーが男でよかったよ。女だったらフランス語は女性形になって、rousseになってしまう。ルッスじゃどうもねえ」
それから一週間ばかり、ルーとぼくとの暮らしがつづきました。雪の日もあり、晴れの日もありました。
青空のひろがる寒い朝、バルコニーの手すりにルーがねそべっていたとき、ダイヤモンドダストがきらめいたこともありました。
「ルー、寒いだろ、こたつにおいでよ」
ガラス戸を開けてルーに声をかけたとき、ルーのまわりの空気がきらきらと光りはじめたのです。目に見えないほどの小さな粒が、朝の光りのなかで無数にきらめき、ゆっくりと降っていました。それは雪の結晶の核ができはじめている状態であることを、ぼくは知っています。ふつうは何千メートルもの高い空で核ができ、ゆるやかに降下しながら雪の結晶を発達させて、白い雪になって地上に降ってくるのですが、こういう高い山で気温の下がったとき、ちょうど高い空とおなじような状態が生まれ、雪の核が降りだすことがあるのです。それが、ダイヤモンドダストです。ダイヤモンドを細かい粉にしてまきちらしたように光るのです。空気の分子が氷になって光っているように感じられます。
ルーも、ダイヤモンドダストに見とれていたのでしょう、ぼくの声にも振り返らず、ひげをぴんと立てたまま身うごきひとつしないでいました。
ルーのまわりにダイヤモンドダストがきらめいて、ぼくはふっと、ルーがそのきらめきのなかに消えてしまうように感じました。
夜、ルーはぼくの布団に入って寝ました。猫の体温は人間の体温より高いので、ぼくは大助かりです。冬の山では風の強い夜が多く、寝るときはストーブを消しておくことが多いのです。煙突からの逆風で不完全燃焼を起こしたら眠っているうちに死にかねないからです。ルーが布団のなかでぼくの胸にもたれて寝ていると、ほっかりとあたたかくなって、ストーブなしでも寒さを感じません。それだけでなく、外はどこまでも闇のこの森の中でひとりぽっちでいるのと、ルーといっしょにいるのとでは、心のあたたかさが違います。
ルーとぼくは、猫と人間という別種の生物ですけれども、ここにいるとその違いよりも、おたがい生きものだ、友だちだ、という気持ちのほうがずっと強いのです。
森のリスやカケスも、なつかしいという感じです。まして、おたがいの体温を感じ合っているルーは、家族のようになつかしいのです。ルーのほうも、きっとそうだったと思います。森のどこでどうやって生きてきたのかは知りませんが、ルーは森で生きられなくなってぼくに助けを求めて来たのではなくて、やはり「なつかしさ」といったものに動かされて、ぼくのところに来てくれたのだと思います。猫と人間は同じ哺乳類ですし、そのなかでもずいぶん近い種族なんですから。獣医さんのところで猫の解剖図を見たことがありますが、体内だけ見ると人間の解剖図かと思うくらいのものです。それに、猫と人間は古代エジプト以来、共に生きてきた長い歴史がありますから。
ぼくが東京へ帰る日が近づいていました。山の家での日々はぼくにとってとても大切な時間です。ひとことでは言えないのですが、山の自然を見て感じている時間が、ぼくという人間のいのちの根っこを養ってくれています。でも、東京には東京での用事がありますし、それだけではなく、東京にある家族との時間もまた大切なものです。その時間を含めてさまざまな東京の時間を生きるからこそ、山の時間が生きるのです。どちらの時間も大切で、二つの時間はちょうど二枚のトランプを合わせて立てたように、おたがいが支えになっていて、片方をはずすともう一方は倒れるほかないのです。
そんなわけで、東京へ帰る前の晩、ぼくは布団のなかでルーにそのことを話しました。できればルーといっしょに東京へ帰りたいと思ったのです。
「ルー、ぼくはあした東京へ帰るんだ。よかったらいっしょに行こう。うちには六匹の猫たちがいるし、きっとルーと友だちになれると思うよ。みんなルーとおなじ日本猫なんだ。ペルシャ猫とかシャム猫とか、外来種系の猫はいないんだ」
ルーとの一週間ばかりの暮らしで、ぼくはルーがぼくの言葉を聞き取ってくれているような気になっていました。
「ルー、君はぼくの言葉がわかるみたいだ。そんな気がするんだ。返事をしてくれているってことも、感じでわかる。でも、ぼくにはルーの言葉のこまかなところまでは、やっぱりわからない。もしできたら、ぼくの夢の中に入ってきて話してくれないかなあ。夢でなら君との会話ができそうな気がするんだけれど、どうかしら?」
そんなことを言ったのは、ぼくの妄想を口にしてみただけのことなのですが、その晩ルーはほんとうに、ぼくの夢に入ってきてくれました。
ルーは昼間と同じルーでしたが、ぼくが猫になっていました。白猫か黒猫か虎猫か、どんな大きさの猫か、そこはよくわからないのですが、とにかく猫になっていたのです。ルーの言ってることがはっきりわかります。人間の言葉に直してみると、こんなふうな会話をかわしました。
「ルーッテナマエ、ボク、キニイッテル。イイナマエ、アリガトウ」
「キニイッテクレテ、ウレシイヨ」
「モシカシテ、タマナンテツケルカトオモッテ、ハラハラシタ。タマダッテワルクナイケド、アンマリニモ、イエネコノナマエダカラ、ボクニハ、ニアワナイ」
「イエネコニナルキハ、ナイノ? ボクトイッショニ、トウキョウヘイカナイノ?」
「ウン、ワルイケド」
「ドウシテ?」
「ムカシカラ、ボク、コノヤマニイルンダモノ」
「マイゴニナッタンジャ、ナカッタノ?」
「マイゴナンカジャ、ナイヨ」
「ムカシカラッテ、イツカラ?」
「………」
「フユノヤマ、サムイヨ。ダイジョウブ?」
「………」
ルーのまわりがきらきらして、ルーはその光りのなかに消えてゆきました。
その夢の晩は吹雪になっていました。とうとう本物の冬がやってきたのです。朝起きてみると新雪が二○センチばかりつもって、粉雪が降りつづけていました。モミやツガなどの常緑樹は厚く雪をのせて枝が垂れています。カラマツやダケカンバなどの落葉樹は裸枝を白くふちどっています。吹雪はおさまっていましたが、ときどき思い出したように赤岳のほうから大風が吹きおろしてきて、つもった雪を巻き上げて木々の姿をかくします。
そのなかで、リスが枝から枝へ渡っていました。
――そうか、リスはこの冬山で生きているんだ。真冬はマイナス三○度にもなるこの山で、ちゃんと生きている。吹雪なんて気にもしていないみたいだ。ルーがこの冬山で凍死したり餓死したりするんじゃないかと心配するのは、余計なお世話らしい。リスと同じように生きる方法を身につけたら、なんでもないわけだ。それがどんな暮らしなのか、ぼくにはわからないけれど、ルーはリスの生き方を知っているにちがいない。
それに、ルーはどうも普通の猫とはちがっているようです。猫の体重では枝から枝へ渡るのは、よほどしっかりした枝でないとむつかしいはずですが、リスのように渡ってゆくのですから、それだけでも変な猫です。もっとも、ほんとうに変だと思ったのはぼくが東京に帰って東京の時間にもどってからのことで、山にいるあいだは、あまり不思議には思っていませんでした。
帰りの荷物をリュックサックに詰めてから、ぼくは念のためもう一度ルーに聞いてみました。
「もう一度きくんだけど、やっぱり東京へは行かない?」
ルーがにっこり笑ったように思いました。そして、はじめにやってきたときの逆の道を通って、つまりバルコニーの手すりからカラマツの枝へ移って、そのとき吹いてきた大風の雪けむりのなかへ消えてゆきました。
ぼくは、せめてものことに、残っていた食料を、パンだとかハムだとか薩摩揚げだとか、ダンボールの箱に入れてバルコニーの隅に置きました。ルーはそんなものなしに生きていける猫だとは知っているのですが、その食料でぼくとの日々をなつかしんでくれるのではないかと思ったからです。
山から下りる道は、深いところは膝までもぐり、ときどき地吹雪に巻かれもしました。でも、はればれして、いい気分でした。こういう雪のなかを歩くのが好きなのです。そして、それ以上に、ルーとの日々が神様からの贈りもののように思えて、思わずひとりで笑顔になっていました。この十数年、山の家で雪を見てすごしたことは数多くありますが、ルーとの数日のような日々は初めてのことでした。
2 ルーの旅
東京に帰ってからも、ルーのことをよく思い出しました。ぼくの書斎の机の前に大きなガラス窓があって、そのすぐ外にハナミズキの木が立っているのですが、その裸枝を見ているとカラマツやダケカンバの裸枝が思い出され、あれらの枝を渡っていったルーの姿が見えるような気がするのでした。東京にほんのすこし雪が降った日はとりわけルーが思い出されました。ハナミズキの枝が雪で白くなり、冬山の森を思わせるのです。その晩はおそくまで、机の前に坐って暗闇のなかの雪のハナミズキをながめていたものです。
「ルー、もう一度、夢に出て来てくれないかなあ」
そんな独り言を言ってもみたのですが、その後ルーはずっと夢に入ってきてくれませんでした。
年が明けて真冬の山荘にまた出かけたときにも、ルーはやってきてくれませんでした。ダンボール箱の食べものはすっかりなくなっていましたが、ルーが食べてくれたかどうかはわかりません。リスやカケスが食べたのかもしれないし、キツネや野ネズミのおなかに入ったのかもしれません。
春近い残雪の季節に行ったときにも、その十日間ばかり本を読んだり原稿を書いたりしながら、いつも外が気にかかっていました。ルーが、きっとやってくる。ぼくとまた暮らさないまでも、顔を見せに来てくれるはずだ。そう思って、しょっちゅう森に目をやっていたものです。けれど、ルーはあらわれませんでした。
――どうしたんだろう? 事故にでも遭ったのだろうか? 雪崩にやられたとか……。それとも薄氷を踏みやぶって川に落ちたとか……。いや、あの身軽なルーが氷を踏みやぶるわけはない。雪崩が心配だけれど、ルーは雪崩のおきそうなところまで行くのかしら? 富士見岩のあたりだと、あぶないけれど。
ぼくは、二、三度散歩に行ったことのある富士見岩周辺の急斜面を思い出したりして、心配したものです。
――せめて夢に入ってきてくれて、ひとこと、ゲンキデイマスと言ってくれたら安心なんだがなあ。
山の家にいると、ルーが夢にあらわれても不思議はない気になるのです。布団に入って眠る寸前、おまじないのようにして、「ルー、おいでよ」と二、三度くりかえすのですが、見るのは別の夢ばかりでした。
一日ごとに心配がつのっていきます。ぼくは富士見岩へも行ってみました。そのへんは標高二千メートル近いところですから、まだ残雪が多く、もしルーが雪の下になっているとしても、新緑のころにならないと見つからないのですが、雪崩の起きた跡がないかと一帯を歩いてみたのです。ぼくの目では、身軽なルーが逃げきれないほどの大雪崩はなかったようで、すこしホッとしましたが、ルーの行動圏がこのへんだけだという保証はないわけです。広い八ヶ岳のなかにはかならず大雪崩がいくつかあるはずです。でも、それをさがして歩くわけにもいきません。不安は消えないまま山荘に帰ってきました。
カラマツの芽ぶきがはじまった頃にも、山の家に行っているあいだに、近くの森や富士見岩のあたりを歩いてみたのですが、ルーの姿は見あたらず、ルーは夢のなかにもあらわれませんでした。木々の若葉は毎年ぼくをうっとりとさせるのですが、ルーのことを思うと、気持ちがしずみがちでした。
――会えなくてもいいんだ。元気でいるとわかるだけでいいんだ。
カケスやシジュウカラやウグイスなどの森の鳥たちにルー捜索を依頼したいくらいでしたが、残念ながらぼくには鳥の言葉がわかりません。リスにたのむのが早道だろうとも思うのですが、これもぼくには不可能なことです。新緑のころは鳥たちがことに楽しげにさえずっていて、いつもの年なら思わずこちらも口笛が出るところですけれど、そんな気にもなれませんでした。
そのときの帰りも、山荘への往復に乗り降りする小海線の野辺山駅までの十数キロを歩いて下りて、どこかでルーがひょっこり出てこないものかと、きょろきょろしながら歩いたのですが、駅に着いてみたらまだ列車の時間までにだいぶん間があったので、駅前にある歴史民俗資料館に入ってみました。
そこで、気になるものを見てしまったのです。
八ヶ岳のふもとに営まれていた遠い昔の人びとの生活をしのばせる発掘品は、この一帯の土地の歴史を語っていて興味ぶかかったのですが、それとは別に、この土地の動植物の展示の一つに、大きなイヌワシの剥製がありました。
その説明を読んで、どきりとしたのです。このイヌワシは、たまたま無風状態の高原で猫を一匹まるごと食べてしまい、そのぶん体重は増えるし、つかまえる風はなしで、ばたばたもがいていたところを棒切れで叩かれて剥製にされてしまったというのです。ずいぶんドジなイヌワシだとおかしかったのですが、つぎの一瞬、
――そうか、ワシは猫を食べるのか!まさかルーはワシに食べられてはいないだろうな。
雪崩の心配に、ワシの心配までが加わってしまいました。山荘のあたりでワシを見かけたことはありませんが、それだって気がつかなかっただけのことかもしれません。それからは山の家に行くたび、上空を見るくせがつきました。ワシやタカが飛んでいないか気にかかるのです。
いつか朝日連峰の谷川の川原にいたとき、上空を滑空してゆくクマタカを見たことがあるので、山荘の近くを流れている杣添川の川原に行ってみたりしました。ワシやタカを見るとしたらそんな場所ではないかと思ったのです。さいわいそういう猛禽類の大型野鳥は見かけませんでしたが、ぼくが見なかったからといって、彼らがいないという証拠にはなりません。食べられた動物の骨が残っていないかと、川原の石のあいだをさがしあるいてもみました。
東京の家にいたり山の家にいたり、旅に出かけたりして、やがて夏になりました。
その夏のさかりのこと、ある雑誌の企画で、ぼくは野辺山にある電波天文台の所長さんと対談することになりました。ぼくが一週間ばかり山荘にいるあいだの一日、野辺山まで下りて電波天文台をお訪ねすることになり、晴れすぎるほど晴れた或る朝、駅まで歩いて編集の人とカメラの人に落ち合い、大きなパラボラアンテナのある天文台に行きました。
さしわたし四五メートルもある、巨大なおわんのようなパラボラアンテナは、小海線の列車の窓からも、山の上からも、いつも見ていたものですが、近くに行ってみると、あらためてその大きさにびっくりします。それに、パラボラアンテナはそれ一つと思っていたら、ほかにも中型小型のがたくさんあって、それらがレールで移動できるようになっていたのにもおどろきました。八ヶ岳を背景にして、ちょっとSF映画のような装置群が並んでいるのです。
「よく晴れてますから、外で話をしませんか」
「賛成ですね」
気さくな所長さんが賛成してくださって、手前にパラボラアンテナが見え背後に八ヶ岳の全容が一望できる草っ原に出て、二人で草の上にあぐらをかいて話をしました。
電波天文台は電波で宇宙を探求するわけですから、光を出していない天体まで観測できるということです。宇宙の奥の奥を見ているのです。星や星雲の誕生と成長と崩壊のサイクルとか、宇宙そのものの気の遠くなるような時間の話を聞いていると、なにか気持ちが澄んできます。ぼくのからだを作っているすごい数の原子は、何十億年何百億年という時間でみれば、かつて宇宙の隅々に散らばっていたかもしれないのだし、いつかまた宇宙の隅々に散って漂ってゆくかもしれない。そう思うと、いまここにいるぼくという一個の生物はまさに奇跡とも思え、心の底からありがたいことだと感じられもするし、だからこそ大事にしなくてはいけないなあと思う。また、いずれは宇宙に帰ってゆく身で、しょうもない日々の小事にくよくよするのは愚かだなあ、とも感じられます。
かんかん照りの太陽の下でしたが、高原の風のさわやかさと、所長さんの話の悠大さとで、すずしく澄んだ気持ちでした。
「そうですか、あのパラボラが宇宙のリズムを聴いているんですねえ」
そう言ってパラボラアンテナを指さしたとき、ぼくはつづいて、
「あれっ? なんでしょう、パラボラのおわんのへりに何かいますよ」
とすっとんきょうな声を出してしまいました。
逆光でよくわからないのですが、三○度くらい傾いていたパラボラアンテナのいちばん高くなったへりのところを、何か生きものが歩いていました。
「へんだなあ。ちょっと失礼」
所長さんがけげんそうな顔で立ち上がり、パラボラアンテナの下の研究室へ向かいました。
しばらくして帰ってきた所長さんが、笑いながら、こう言ったのです。
「猫でしたよ。あんなところに、どうやって登ったものですかね。いやあ、鳥みたいに身の軽い猫ですなあ」
「身が軽い猫ですって?」
ぼくはもう腰を浮かせていました。
「そう。様子を見に行った研究員が猫好きでしてね、猫だとわかったもので声をかけたんですな。するとパラボラの急斜面を一気に駆け下りて来て、彼の頭にぴょんと乗ったって言ってましたよ。ハハハ、変な猫です」
「で、その猫、いま研究室ですか?」
「いやあ、あっというまに逃げ出して、見えなくなっちまった」
ぼくはそのとき、どんな顔をしていただろうか。
――ルーが生きていた!ちゃんと元気でいたんだ!
うれしくって、涙があふれそうでした。生きていて、このあたりにいるのなら、いつかまた、きっと会える!
対談の途中でしたから、もう一度草の上に腰を下ろしました。腰を下ろしたというよりも腰の力がぬけてぺたんと坐ってしまったというほうが正確です。腰が抜けるのはびっくり仰天したときとか急に強い酒を大量に飲んだときのことと思っていましたが、喜びすぎても腰が抜けるということを初めて知りました。
「あれ、あなたの頭の上……」
所長さんが目をまるくしています。編集者とカメラマンもあっけにとられた顔です。
「えっ?」
ぼくが顔をあおむけると、ぼくのおでこの上に、猫がいました。まるで体重が消えてしまったみたいで、言われるまで気がつかなかったのです。
とりみだしてはいけない、と思いました。こっそりと深呼吸をしてから、声をおさえて言いました。
「やあ、ルー、おかえり」
ルーは飛び下りて草の上で大きくのびをしました。前足をそろえてのばし、お尻をもちあげる猫たちの例のスタイルです。
「なんだ、あなたの飼猫でしたか」
「いえ、そういうわけでも……。でも、まあ、友だちです」
ぼくは口ごもりました。ルーとぼくの関係はそう簡単には説明できません。
「友だちですか、そりゃ、いいですなあ」
所長さんが屈託なく笑って、それ以上のことはたずねなかったので、ほんとにほっとしました。
そのあとの対談のあいだ、ルーはしばらくぼくの膝のわきに坐っていて、終わりごろはまた頭に乗っていました。今度はルーの存在が感じられるほどの重さがありましたが、雪の山荘のときと同じで、ぼくの首はまったく疲れませんでした。
「仲がいいんですねえ、でも首いたくなりませんか」
カメラマンはそう言いながら、シャッターチャンスとばかりに、何枚も写真をとっていました。あとで雑誌に載ったその写真はなかなかの評判で、何人もの人から、あの写真はよかったと話しかけられたり、手紙や葉書をもらったりしたのでした。宇宙科学者とぼくが草の上にあぐらをかき、そのぼくの頭に猫がいて、うしろには大パラボラアンテナと八ケ岳が写っている写真です。なにしろ八ケ岳という大自然の造型を背景に、草という植物と猫という動物、そして人間という動物とその動物の宇宙への好奇心をみたすパラボラアンテナという道具とが一枚のなかに写っているのですから、これはもう「自然」というか「宇宙と生命」というか、なにかそんなタイトルをつけてもいい写真です。とてもシンボリックな写真でした。もちろん、その第一の功績はルーのものです。
その午後、ルーはぼくといっしょに山の家に帰りました。空はあいかわらずよく晴れていたので、三時間あまりかけてゆっくりと登ったのですが、ルーはそのあいだもずっと、帽子をのせたほどの軽さでした。
「ルー、どこへ行っていたんだい? どこか遠いところ?」
その一瞬、ルーの目方が原稿用紙一枚くらいになりました。
「そうか、遠いところか。ぼくもあれからいろいろ旅はしたけれどね。いろんな山の森もあるいたし、船に乗って小さな島にも出かけた。ルーの旅はどうだった?」
するとルーの目方は何分の一秒か、ティッシュペーパー一枚ほどになりました。
ルーは、すごくいい旅をしたにちがいありません。それも遠いところへ、です。だから長いあいだ音沙汰なしだったのだと、ぼくは納得しました。雪崩やワシの、心配をしていたことは言わないでおこう、そんなことを言ったらルーにわらわれてしまう、と思ったものです。
山荘につくとルーはしばらく森へ出かけていましたが、暮れかかるころもどって来て、前のようにぼくとその晩をすごしました。けれど運わるく、つぎの日はぼくの東京へ帰る日でした。せっかくルーと再会できたのに、東京にどうしても帰らなければならない用事があったのです。
残念でした。でも、いつかまたルーに会えると思いました。今度はルーの音沙汰がなくても安心していられる、ルーはかならず帰ってくる、と思いました。もう、いっしょに東京へ行こうなどと言う気はありませんでした。
ところが、つぎの朝、ぼくが洗濯物をすませ、戸閉まりをはじめても、ルーはバルコニーの手すりで眠っています。猫たちの眠りを見ているとうらやましくなります。これか眠りというものだというふうに、全身全霊で、眠っているものです。
――ルーまた会いたいね。せっかくの睡眠を邪魔したくないから、このまま帰るよ。気が向いたら、ぼくの夢の中にもおいでよ。大歓迎だ。
ぼくは前日と同じように晴れ渡った空の下を駅に向かって歩きだしました。
ニャーオ。
びっくりしました。いつのまに先まわりしていたのか山荘の前の道をほんのすこし行った道のわきの笹のなかから、ルーが顔を出したのです。
「見送ってくれるんだね。ありがとう」
そう言って腰をかがめると、ルーはひらりとぼくの頭に乗りました。
「ルー、残念だけどね、今日は東京へ帰るんだよ」
でも、ルーは頭から下りません。
「えっ、ルーも東京へ行くの? ほんとう? いいの?」
なぜだか、ルーはぼくといっしょに東京へ行く気になったようでした。旅のくせがついたのかもしれないと思いましたが、とにかくこんなにうれしいことはありません。理由など聞かなくて結構です。
夏のことで小海線の列車は超満員でした。ぼくたちは窓際の席に坐れましたが、つぎの清里駅ではすごい人で、発車をおくらせて詰め込んでも乗りきれなくてプラットフォームに取り残された人たちがいました。
混んでいる列車で動物を連れているので、ぼくはまわりに気がねしていました。ルーのための料金も払ってありますが、
――困ったなあ。
という気持ちでした。すると頭上のルーがすこし重たくなったようでした。
清里から乗ってきた若い女性、というよりまだ半分子供のような女の子たちが、
「きゃー、頭に乗ってるぅ」
「変な猫ぉ!」
「でも、かわゆいよ」
「そうかなあ、猫ってあんな鼻? なんかちょっとおかしいよ」
「もしかして猫とライオンのハーフ? げえええっ!」
「そういうの、ほら、イノシシとブタのハーフのこと、イノブタっていうじゃない。キャットとライオンだったら、キャットン?」
「ライキャットだよ」
「アハハハ」
「ケケケケ」
わる気のない会話なんですが、ぼくはちょっとだけムッとしました。ルーのことをそう軽々しく話してほしくなかったのです。
ルーがぐんと重くなり、つぎの瞬間ぼくの膝に下りていました。女の子たちはもう別の話をしていました。
富士山が大きく見えてきました。ぼくはルーを窓まで持ち上げて、
「あれが富士山。日本列島でいちばん高い山なんだ」
と小声で教えました。
「それから右手の山のむこうから高い山が出てるだろ。あれが北岳、二番目に高い山」
鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳も見えていました。
気がつくとルーはまた軽くなっていました。
ぼくは、やっとわかりました。それまではルーが一瞬軽くなるのはイエスという返事だと思っていたのですが、どうもそうではなくて、うれしいときに軽くなるようです。体重の増減は喜びとか気持良さの増減と関係しているようです。うれしいと軽くなり、逆のときには重くなる。
小渕沢に着き、特急列車は混むので甲府行きの普通列車に乗り、甲府で八王子行きに乗りかえ、八王子から立川、立川から南武線で武蔵溝ノ口に出て、東急線で二子玉川園乗りかえで緑ヶ丘駅まで帰ったのですが、そのあいだ、ルーの重さの増減を新発見のその目で見てみると、たしかにルーは気持ちよく感じているときには軽いのです。車窓からの景色や車内の乗客たちに、微妙に反応していることがわかりました。
立川からの南武線はがらがらに空いていたので、ルーはまたぼくの頭に乗り、ぼくは頭上のルーにおしゃべりをしていました。
「ルー、旅はおもしろかった? いや、この列車の旅ではなくて、去年の冬からのルーの長い旅のことさ。ぼくたちが山の家でいっしょに暮らしたのが去年の十二月で、いまはもう八月だから、ざっと八ヶ月間もの旅に出ていたんだろ」
そんなことを言っているうちに、ぼくはつい、うとうとしていました。
ぼくが、無数の星のきらめきのなかにいます。蚊のような、いやもっと小さな虫になってダイヤモンドダストのなかを漂ったら、こんなふうかなと思っていました。ダイヤモンドダストとちがうのは、星々が暗黒の空間にちらばっていることです。
ぼくはすごいスピードで動いているようでした。ぼく、というより、ぼくみたいな何かです。星々の景色はどんどん変わっていきます。
まわりの星が少なくなり、ふっと心細くなったころ、気がつくと足もとのほうに、天文学の本で見たのと同じ渦巻きの光の集団がありました。
ぼくたちの銀河系じゃないか。するとここは銀河系の外なのか。
「ソウデス。ボクガ、タビヲシテ、ミテキタ、ケシキデス」
「ルー。ソウダッタノカ。ソレデ、パラボラアンテナノトコロニ、カエッテキタンダ?」
「……」
宇宙がぐらりと揺れて、星々がいそがしく動き、どこかへ吸いこまれるように飛んでゆきます。宇宙がどんどん明るくなってゆきます。黒い空間はなくなってそこらじゅう光の海です。赤い光がいつのまにか青い光になり、いつか白く輝いていました。
きっと時間が逆行しているんだ。ビッグバンまでもどるのだろうか。とすると二百億年だったか、そのくらい逆もどりしてゆくわけだ。ぼくのような何かが、そう考えているようでした。こわくはありません。しん、とした気持ちです。ぼくのからだはなくて、気持ちだけがあるみたいでした。
夢からさめると、ルーが頭上で四本の足をそろえ、背中を高く持ち上げました。見えないのですが、わかりました。猫が目をさましたときによくやるポーズです。ぼくの夢のあいだ、ルーも眠っていたようです。
3 東京のルー
東京の家では、ぼくが頭に猫を乗せて帰ったので、ぼくのオクサンも息子たちも、びっくりしていました。
「ほら、前に話した猫さ。去年の冬、八ヶ岳の家にしばらく来ていた猫だよ。きのうひょっこり再会したんだ」
うちの家族は全員猫好きですから、大歓迎です。オクサンはすぐに猫缶を開け、牛乳も皿に入れてやり、その晩はアジの干物をごちそうしました。もちろん、前からいる六匹といっしょにです。
ぼくは、名前はルーだということと、その名前の由来をみんなに話し、きのう偶然電波天文台で再会したいきさつも話しましたが、ルーの重さの変動のことや夢のなかでの会話のことなど、ルーが普通の猫とちがっている点は、だまっておきました。ぼくの頭がおかしくなったと心配させるのは、あまりいいことではありませんから。
けれど、頭に乗るという変わったくせだけはかくせません。みんな面白がって自分の頭に乗せてみるのですが、ルーはすぐ下りてしまいます。どうやらぼくの頭にだけ乗ることに決めているようです。おかげで、頭上でルーの体重が軽くなることも、ばれないですみました。
「肩に乗ってお買物について行ったりする猫なら見たことがあるけど、頭に乗るのはめずらしいわね」
オクサンはいつかまた子猫を飼うことがあったら、最初から肩に乗るようにならして、買物にも旅行にも連れてあるくつもりなのです。
「この猫、トミーとよく似てるなあ」
次男の言うとおり、実は、ルーはトミーそっくりなのです。毛の色が似ていても不思議はありませんが、目鼻立ち、とくに鼻がよく似ているのです。
「だけど、どこか違うなあ。顔の造作なんかそっくりだけど、感じが全然ちがう」
それも次男の言うとおりです。はじめてルーに会ったとき、ぼくも同じことを考えたものでした。そして、東京の家でトミーとルーを見比べてみると、ますますそう思います。
トミーは根っからのドジで臆病猫です。そこがかわいいのですが、来客などに言わせると、
「変わってますねぇ」
「あんまり猫らしくないわね」
ということになり、なかなか、かわいいとは言ってもらえない。ほかの五匹は、あらかわいい、とか、いい顔だ、とかほめられるのですが、トミーだけは別です。
まあ、変わった猫ということでは、トミーもルーも変わっています。ただ、その変わりようがちょっと、どころか大いにちがっているのです。
トミーはうちで唯一のオス猫です。ほかの五匹はメス猫です。
トミーはドジで臆病なくせに、自分はうちの猫たちの家長だと思っているらしいところがあります。それに好奇心も強いほうですから、ルーがやってくるとすぐ、おっかなびっくりでひげを前に張りながらですが、ルーに近づいていきました。
ルーのほうからもトミーに近づきました。トミーがあわてて後ずさりをし、毛が逆立ちはじめたのですが、そのトミーの目の前でルーがごろりと横になったものですから、トミーのほうも安心したようで、ルーの鼻先に自分の鼻を近づけ、すぐにルーの頭をなめはじめました。
ルーはごろごろとのどを鳴らしています。三毛猫のサチもやってきてルーの耳をなめています。
野良猫や迷子猫が入ってくると、たいてい大さわぎになるのですが、あとの猫たちもちょっとルーの匂いをかぎに来て、それっきり無関心になったようでした。
「これなら大丈夫だ。ルーが東京についてくるとは思わなかったからね、電話をする間もなかったし、うちの猫たちとうまくやれるかどうか気になってたんだ」
長男は東京で別のところに下宿をして暮らしていますが、この日はちょうど帰って来ていて、久しぶりに家族四人そろっての夕食になりました。ルーの歓迎会もかねての夕食です。ビールで乾杯をしたあと、長男が言いました。
「ルーって、なんだか、ものすごく頭のいい猫みたい」
ぼくは、ひやりとしました。ルーが普通の猫でないことは、なるべく誰にも知らさないでおくほうがいいと思っていたからです。前からの六匹の猫と同じがいい、六匹が七匹になっただけでいい、ぼくの頭に乗るくせだけはしかたがないけれど、ほかの猫たちと仲良くさえしてくれたらそれでいい、そのほうがぼくの家族も猫たちも無事平穏でいいと思っていたのです。
「うん、わりと頭がいいみたいだけどね、特にいいかどうかなあ」
そんなふうに、ごまかしておきました。
「別荘に連れてこられていて、迷子になったのかしら。それだったら飼主が心配してるわよ」
「そうかも知れないけど、前に会ってからもう八ヶ月も経ってるからね。だけど、いちおう管理事務所に知らせておくとするか。飼主がもしあらわれたら、お返しするさ」
ぼくはルーが迷子猫でないことを知っていますから、安心です。飼主が名乗り出てくることはありえません。
そんなふうにしてルーはわが家の一員となり、とくに変わったこともなく日が過ぎていきました。ルーもわが家の暮らしに満足しているようでした。庭の木に登ることはありましたが、山で見せた枝渡りはしませんでした。
ぼくは翌月も山の家へ出かけましたが、ルーは東京の家に残しました。ルーが東京の暮らしによくなじむようにと思ってのことですが、ぼくの心の底には、山へ連れていったらまたルーがいなくなるような不安があったようです。ほかの猫たちと差別をしていたわけではありませんが、ルーがいると気持ちが落着いて、もうずっといつまでもうちにいてほしいという気になっていました。
ルーがときどき書斎に入ってきて、机の上にねそべります。トミーやサチたちも同じことをしますが、ルーが来たときは、
「おいでよ」
と言って、ぼくは自分の頭を叩きます。ルーがさっと頭に乗り、ぼくはその珍妙な格好で原稿を書くのです。これが、楽しいのです。そのときルーの体重はだいたい毛糸の帽子ぐらいになっているのですが、もちろんこれは秘密です。「よく重くないわね。首がこらないの?」
「ああ、ちょうどいい頭のマッサージさ。ルーがときどき踏みつけてくれるんだよ」
まあ、そんなふうに、ごまかします。
ルーがうちに来て二ヶ月ぐらいした頃、電波天文台の所長さんとの対談の載った雑誌ができてきました。
あの写真が大きく出ています。
京都にいる親友の動物大好き奥さんから、もう翌晩、電話がかかってきました。とっても楽しくって、さっきからずっと見ているという電話です。そんな電話があっちこっちからかかりはじめました。あの猫がお宅にいるのなら今度見に行くという人もいます。
「ルー、おまえ、なかなかの人気だよ」
次男がルーを膝に乗せて頭をなでてやると、ルーもごきげんのようでした。
二、三日して、テレビ局から電話が来ました。動物番組のなかでスタジオで数人の人に話をしてもらう部分があるので、そこに出演してほしいという話でしたが、ついては雑誌に載っていたあの猫をつれてきて頭に乗せて話をしてもらえないかということでした。
ルーをテレビに出すのは気がすすみませんでした。そんなことをすると、知らない人からまで電話がかかったりするものです。なかにはいやがらせもあると思います。ですからいったんはお断りしたのですが、しばらくして知り合いのプロデューサーの方から電話があって、ぜひにとのことです。その人はひろく自然についての番組を手がけている方で、つくっている番組に共感することも多く、お会いしたときにもいい感じの方でした。その人からぜひと言われると、引き受けなくてはならなくなりました。見世物扱いは決してしないという話でもありました。
ほんとうは、こっそりルーの考えを聞いてからとも思ったのです。しかし、猫に聞いてからお返事をしますと言うわけにもいかず、録画の日どりを約束してしまいました。ぼくの気の弱さでした。失敗でした。
当日は、動物連れというのでテレビ局から迎えの車が来ました。ルーはさいわいおとなしく膝で眠って行ってくれました。
山で暮らしてきたルーが、ほんとうの意味で都会というものを見たのは、この日が初めてだったでしょう。ぼくの家のあたりは東京とはいっても、せいぜい近くに三、四階建てのマンションがいくつかあるくらいで、あまり都会という感じのしないところです。雑草の茂る空地もあり、古い木々のある神社やお寺もあります。
ところがこの日は、都心にあるテレビ局へ行ったのですから、いきなり都会のなかの都会へ行ったわけです。
猫は好奇心のつよい動物です。ルーもはじめはエレベーターやテレビカメラなどに興味を持っていたようです。リハーサルのときには、たくさんのライトや、ヘッドホーンをかぶったフロアディレクターなどをめずらしく見ていたようでした。
ところがリハーサルを終わって本番のための打合せをしていたとき、出演者の一人が冗談に、こう言ったのです。
「猫なんてだいたい役立たずですよ。このごろはネズミ捕りもしませんからね。犬とはくらべものにならない。だけど今日の猫は別ですな。ちゃんと出演料を稼ぐんだから」
冗談口とはわかっていましたが、ぼくはちょっと心外で、
「猫の出演料なんてもらいませんよ」
と言い返したものです。
「それじゃ、やっぱり役立たずだ、アハハ」
ぼくがムッとしたとたんでした、頭上のルーがぐんと重くなったのは。
ルーはぼくの頭をのけぞらせて、とびおり、ドアの外へ駆け出しました。すぐに追いかけたのですが、どこにも見当りません。若いディレクターも探してくれました。受付の女性や守衛さんにも訊いたのですが、誰も見かけていません。
録画撮りといってもスタジオの使用時間が決まっていますから、ルーがみつかるのを待ってもらうわけにはいかず、ぼくはうわの空で本番の録画をすませました。番組の責任者のプロデューサーが恐縮して、そのあといっしょに探しまわってくださったのですが、どこへ消えたのか、ルーの姿は見当りませんでした。
「私の責任です。申訳ありません。いや、なんとか見つけます。見つけしだい私がお宅にとどけます。今日はもう時間も遅いですから、お帰りいただいて……」
「ぼくのほうこそ、すみません。番組をぶちこわしてしまって……。それに、こんな時間までつきあってもらって、お忙しいのにすみませんでした」
十日ばかりして、痩せて汚れたルーが家に帰ってきました。いつ帰ったのか、ビデオで昔の映画を見ていた次男の膝にすっと入ってきて、そのまま眠ったそうです。ぼくがルーのことを気にしながら木曽の森へ出かけていた間のことです。オクサンは同窓会に出かけていて、その日は次男がひとりで家にいたのです。
「疲れてたみたいだから、膝で眠らせておいたら、映画一本分身うごきもしなかった」
ルーが帰ってきたことは旅先からの電話で知りました。予定を一日早く切り上げて東京に帰り、その晩、書斎でルーにあやまりました。
「ルー、ほんとに、ほんとに、ごめん。テレビをことわらなかったのが悪かった」
ニャーオ。
ルーは甘え声を出してくれました。ぼくの目から涙が流れました。
「年をとると涙もろくなっちまってねえ。でも、帰ってきてくれて、ほんとによかった」
だけど、十日ばかりのあいだ、ルーはどこにいたのだろう。ルーならその日のうちにも帰れるはずなのに。
「わかった。東京見物をしていたんだろう。どうだった、どんなところを見てきた? ルーの目で見た東京を知りたいなあ。また夢に入ってきて、教えてくれないかな」
けれど、その晩も、それからあとも、ルーは夢に入ってきてはくれませんでした。
気がつくと、ルーはあまり出歩かなくなっていました。ときどき庭の桜の木に登っているくらいで、たいてい居間のソファーで横になっています。
「なんだか、ルーの元気がないな」
「そうなのよ。食欲もおちているし」
やっぱりテレビ局へ連れて行ったのが悪かった。それに、山の空気と比べたら東京の空気は汚れすぎている。水はもちろん良くない。ルーが山で何を食べていたのかは知らないけれども、いわば自然食の暮らしから今は人工食になっているわけだし、からだの調子が狂うのは当然かもしれない。ほかの猫たちはこの環境と食事で育ってきて、それがからだにいいわけはないけれど、それなりに馴れている。だけどルーは、いきなりこの都会暮らしに入ったのだから、考えてみると、これはあぶない。東京ではルーは生きて行けないのかもしれない。
「ルーはやっぱり八ヶ岳の猫なんじゃないかなあ。山へ連れて帰ろうか」
「でも、冬の山は寒すぎるわよ」
「いや、とにかくルーはこのあいだの冬を山ですごしてる。東京に置くよりはいい」
「迷子になっていたあいだに山に馴れてしまったのかしら」
冬が近づいていました。最初にルーと会ってから、やがて一年になる頃でした。
ぼくと次男とで、ルーを連れて山の家に行くことにしました。何日行っていることになるかわからないけれども、ルーが元気になるまでいることにして、それでもどうしても駄目だったらもう一度東京の家に連れて帰ることにしたのです。念のために獣医さんから薬をもらって行きましたが、なるべくなら薬は飲ませないつもりでした。
4 ルーが飛ぶ
小渕沢から小海線に乗りかえて、やがて列車が木立ちのなかを走るころになると、ルーがそわそわしはじめました。
「窓を開けて森の匂いをかがせてやろうよ」
「うん、そうだな」
ルーのひげが立ちます。
「もう元気が出てきたみたいだ」
「ほんとだ、このぶんなら大丈夫!」
実際、山荘に着くと、ルーはあっというまに森に入って行きました。雪がまだ来ていなかったためか、例の枝渡りではなく、笹の中へ消えていきました。ルーの通ってゆくところの笹が揺れるので、方角がわかります。ルーは山の高いほうへ向かっていました。
「このまま帰ってこないかもしれないけど、それならそれでいいと思う。やっぱり東京が合わなかったんだなあ」
「どこまで行ったのかな。赤岳はもうまっしろだけど、雪のあるところまで行ったのかなあ」
夕方になると、ぐんぐん気温が下がってきました。まだ体力のもどっていないルーのことが心配でした。
雪の赤岳が夕日に赤く染まっていました。反対側には富士山がシルエットになって、まわりの空が赤くなっています。
みるみる冷えてゆく夕焼けを見ていたら、
ウウウーッ。
大風の底に聞こえていた、あの唸り声でした。カラマツの大木の下の笹が揺れて、ルーがもどってきました。
三日もすると、ルーはほとんど元にもどりました。ぼくたちといっしょに食べるぶんは、ルーにとってはおやつみたいなもののようです。森でちゃんと食べてきているようでした。
昼のうちはほとんど森へ行っていました。森がルーに精気をつけているらしく、一日ごとに元気になり、ぼくたちをすっかり安心させてくれました。
夜、ルーはストーブの前にねそべり、暖さを楽しんでいるようにも見えましたが、ストーブの火の音に耳を傾けていたようです。火の音の変化に合わせて、ひげが動いていました。
寝るときは、ぼくの布団に入ったり、次男の布団に入ったりしていましたが、頭に乗るのはやはりぼくの頭だけと決めていました。そうそう、野辺山駅から歩きだしてしばらくすると、ルーが久しぶりにぼくの頭に乗ったのでした。風のつめたい日でしたから、ぼくは毛皮の帽子をかぶっているような具合で、次男をうらやましがらせたものです。
次男のほうは登山用大型ザックにいっぱい、駅前で買った食料を詰めて、上りがきつくなるとさすがにへたばっていましたが、ぼくのリュックは父親特権でごく軽く、八ヶ岳の峰々をながめながらのんびり登ってきたというわけです。
それはともかく、ぼくは、ルーとの別れの近いことを直感していました。それは今日かもしれない、明日かもしれない。ルーが森から帰ってこない日がまもなくやってくると感じていました。
その前に、もうすこしルーとの時間をつくりたい。
「あした、ルーといっしょに、山の散歩に行かないか」
「でも、ルーひとりで出かけてしまうよ」
「ルーの出かける前に、ぼくの頭に乗せて散歩に出よう」
「じゃ、富士見岩へ行こう。あそこ、ずいぶん長く行ってないから」
翌朝はいちだんと冷えこみ、空の青が澄んでいました。
ルーは万事承知という顔で、自分からぼくの頭に乗ってきました。
森をあるくのは若葉の頃と紅葉の頃がことにいい気分ですが、ひっそりした初冬の森もわるくありません。ゆるやかな登山道を登りながら、ぼくは次男に話していました。次男に話しているのですが、ルーにも話しているつもりでした。
「ルーが東京のうちにきた頃のことだけどね、冬になったらルーを三、四日こっちに連れてこようと思ってたんだ。そのころになったらルーもすっかり東京生活になじんでいるだろうと思って、ルーにお里帰りをさせるつもりだった。山でいなくなったら困るという心配がないわけではなかったけれど……。そしてルーの様子をみて、駅の向こうのスキー場へ行こうかと考えていた。ルーを頭に乗せて、ルーといっしょにスキーをしたら、まわりの人たちはびっくりしそうだけど、楽しいと思うよ。ところが、あのテレビ局事件だろ。ルーとのスキーはあきらめた。ルーはスキー場は嫌いだと思う。ルーが雪好きなのは去年の冬で知ってるけど、それは森の雪の話さ。スキー場のような人工空間はルーには合わない。だいいち、あのスキー場は人工雪スキー場だもの。ルーは逃げ出してしまう、ちゃらちゃらした若者も多いしさ」
「ふうん、そんなこと考えてたのか。でも、よくわかるよ。東京のうちのルーしか知らなかったけど、山に来てみたらルーはなんだか別の猫になったみたいだ。こっちに来たら、どんどんトミーと似なくなった。似てることは似てるんだけど、どう言うのかなあ、外側は似ていて内側は別っていう感じ。一日ごとにそうなってる。そりゃ、スキー場は行かないほうがいいよ」
頭上のルーが風のように軽くなりました。
ちょっとした急斜面を登って富士見岩の上に出ると、その名のとおり真正面に、五合目ぐらいまで雪で白い富士山が澄んだ青空の下に見えていました。
またすこし行くと、かなり開けた笹原があります。笹原のなかにところどころ、カラマツやダケカンバやウラジロモミが立っているだけです。
ルーは笹原を駆けまわったり木に登ったりしています。このあたりのことは隅々まで知っているというふうに見えました。
横岳の頂上から大きな白い雲が張り出していました。よほど高い雲のようです。上空に強い風があるらしく、その雲がいろいろにうごいています。雲の一部がのびてきたかと思うと、薄くちぎれてゆく雲が青すぎるほど青い空に、思いもかけない美しい形を描きつづけ、そして次第に青空に吸いこまれて消えてゆくのです。そしてまた、雲の一部がのびてきて、いまの雲とはまるっきり別の造型を見せて空にとけてゆく。
これほど美しいものがあったのか。
次男も地面にあおむけになって雲を見ていました。
ルーは山で、こういうものを見て生きてきたのだ。森の芽ぶきも、紅葉も見て生きてきている。山の夕焼けも朝焼けも、ルーの暮らしの一部なんだ。ダイヤモンドダストも、降りつづく雪も……。それらすべてがルーのいのちのリズムになっている。都会にはないものばかりだ。でも、なぜ、東京について来たのだろうか。それは、いまもわからないことです。
ルーはときどき、ぼくたちの坐っているところにもどってきました。なんだか、もどってくるたびに、すこしずつ違っているように見えましたが、ルーがとても喜んでいることだけはわかりました。
その夜、雪になりました。ときおり家を揺るがす風が吹きぬけていきましたが、おおかたはしんしんと降りつづいて、つぎの朝起きて見ると、さらさらの粉雪が二、三〇センチもつもっていました。
三人(二人と一匹)の朝食がすむと、ルーがバルコニーの手すりの雪を舞い上げて、カラマツに飛び移って行きました。そして、あの枝渡りをしてモミの木のあたりで見えなくなりました。
次男が目をみはっていました。
「すごい! ルーって、あんなに身軽だったのか。知らなかったなあ」
「ルーは、もう帰ってこないよ。山へ帰って行ったんだ」
ぼくは、そう確信していました。
「そう言えば、ゆうべ、ルーの夢を見たんだ。夢のなかで、すごいジャンプをしていた」
雪のつもったバルコニーで、次男がそう言いました。
「どんな夢だった?」
「夜明けの富士見岩にルーがひとりで立っていたんだ、富士山が切絵のようなシルエットだった。富士山のまわりの空がまっ赤に燃えていた。もっと上空に横に長い雲が四段か五段になってのびていて、その雲が赤や赤紫や紫に光っているんだ。そして、ルーが、富士見岩からその空に大きくジャンプした。それだけなんだけど、とにかく、はっとするくらい、きれいだった」
次男には言わずにおいたのですが、ぼくも、そっくり同じ夢を見ていたのです。
――ルーがぼくたちに、さよならを言ってくれたんだ。ありがとう、ルー。
次男はそれでも夕方、ルーが帰ってこないかと、暗くなるまで森を見ていました。
「おとうさんのカンが当たったね。やっぱり帰ってこなかった」
「うん。これでいいんだ。いい猫だったよ、ルーは。いろいろ考えさせてもくれたし」
ぼくはその晩、かなりたくさんビールを飲んだものです。ぼくしか知らないルーの秘密を話しそうになりましたが、思いとどまりました。話せば身をのりだして聞いてくれるはずです。でも、なぜだかルーが、「ヒミツニシテオイテクダサイ」と言っているような気がしたのです。
ぼくは、そのかわりに、こんなことを言っていました。
「トミーがいるからいいよ。いや、ルーの代わりってわけじゃない。ドジで臆病なところが、また、とってもいいんだな。ルーにはない魅力がトミーにはある」
それから何年かして、ある冬、ぼくはまた山の家に来ていました。オクサンと二人で来ていたのです。
朝から雪になっていました。朝食のトーストを食べながら、ぼくがふっと言いました。
「ルーはいまごろ、どうしてるかなあ」
「ルーって?」
「ルーはルーだよ」
「なに、それ?」
「ほんとに覚えてないの? ほら、いつか雑誌に写真も載ったじゃないか、天文台での対談のときの写真……。ぼくの頭に乗っかって写っていた猫のルー」
「変なこと言って。ゆうべずいぶん飲んでたから、そのせいね」
うん? オクサンはルーを知らないらしい。オクサンの記憶力がそんなに衰えているわけはないから、知らないというほうが正しい。
どういうことだ、これは。
東京に帰ったらあの対談の切りぬきをさがしてみなくては。
だが、待てよ。もし、雑誌の写真にルーが写っていなかったら、どうしよう。
それに、その写真にルーが写っていたとしても、そこにルーの姿を見るのはぼくだけで、オクサンにもほかの人にも見えないとしたら、これはコトだぞ。
ぼくは、次男にきいてみれば、はっきりすると思いました。でも、「そんな猫、うちにいたことないよ」って言われそうな気がして、きくのはやめました。これからも、きくことはないでしょう。