『ガキ帝国 悪たれ戦争』を観る可能性を探って

2018年2月17日アテネ・フランセ文化センターに「脚本で観る日本映画史~名作からカルトまで~」の第2回、山口和彦監督の『怪猫トルコ風呂』(75 脚本:掛札昌裕、中島信昭)を観に行った。山口和彦といえば、志穂美悦子主演『女必殺拳』シリーズ(脚本:鈴木則文、掛札昌裕他)がアメリカで人気があり、DVD発売もされている。

 昨年開催された第42回トロント国際映画祭のオープニングナイトで「ウルフガイ 燃えろ狼男』(75 脚本:神波史男)が上映されている。同年に公開された映画だけに見逃してはならない1本だ、とお茶の水まで足を運んだ。

 当日、受付で「『ガキ帝国 悪たれ戦争』を上映しよう!」と書かれたA4サイズの紙をもらった。

 1981年に公開された西岡琢也脚本、井筒和幸監督『ガキ帝国 悪たれ戦争』が今回の企画で上映候補に選ばれながら、東映からフィルムの貸し出し許可が得られずに上映を断念せざるを得なかったというのだ。

 上映ができない理由は、「モスフードサービスが認めないから」だという。株式会社モスフードサービスが認めない理由は、この映画の中で「この店の肉はネコの肉や」というセリフがあったから、というものが通説だった。

 日本シナリオ作家協会ニュース第443号の「『ガキ帝国 悪たれ戦争』上映拒否問題 報告」でも「怒りをこめてふりかえれ」で文化事業WG長の佐伯俊道氏が「7月7日にモスバーガーで行われた交渉で、モスの執行役員・社長室長は我々にこう発言した。

「以前、映画を観たが、『この店のハンバーガーは猫の肉』と主人公が叫ぶシーン等があり~」と書いている。

「シナリオ」2017年11月号に「『ガキ帝国 悪たれ戦争』という映画」を寄稿している映画ジャーナリストの大高宏雄氏にも、しつこく再確認した。現在、4月26日にテアトル新宿で開催される第27回日本映画プロフェッショナル大賞の準備に忙しい大高氏は、「問題になっている猫のセリフはなかった」と話してくれた。

 とするとこれは独り歩きした「怪猫伝説」なのか!

 株式会社モスフードサービスの執行役員・社長室長氏が『ガキ帝国 悪たれ戦争』をご覧になられたのは、いつ、どこの劇場でのことだろうか。ないものを観たとするなら、やはり怪猫の仕業か!

『ガキ帝国 悪たれ戦争』の著作権を持つ東映が上映はまかりならぬ、と言う。

 著作権法第22条の2には「著作者は、その著作物を公に上映する権利を専有する」。

 大高宏雄氏にフィルムの状態をたずねたところ、「プリント状態は良く、誰にでも観せられる」と太鼓判を押す。

 株式会社モスフードサービスは『ガキ帝国 悪たれ戦争』の著作権を持ってはいない。著作権を持っているのは、東映と徳間書店だ。

 著作者が正当な理由をもって「上映まかりならん」と言うなら、合法的に公に上映する機会は永遠に持てないのだろうか?

『ガキ帝国 悪たれ戦争』を観るためには長生きすること

 合法的に公に観ることはできる。それは『ガキ帝国 悪たれ戦争』の著作権保護期間が満了した時だ。今の日本では映画の著作権の保護期間は70年だ。

『ガキ帝国 悪たれ戦争』の著作権の保護期間が切れるのはいつか?

 それは著作権法第54条による。

「映画の著作物の著作権は、その著作物の公表後七十年(その著作物がその創作後七十年以内に公表されなかつたときは、その創作後七十年)を経過するまでの間、存続する」。

 クランクインした日の70年後でも、井筒監督が契約書にサインした日から70年後でもなく、公開後70年を経過した日に著作権の保護期間は満了、消滅して晴れてパブリックドメインとなる。

 すなわち『ガキ帝国 悪たれ戦争』の著作権保護期間は、劇場公開が1981年9月12日なので、1982年1月1日から保護期間が開始され、2051年12月31日に著作権の保護期間が終わって著作権が消滅する。

 しかし『ガキ帝国 悪たれ戦争』を観たいと熱望されている人たちの何割が、2052年に存命しているのだろう!? 井筒監督は晴れて著作権保護期間が切れる2052年には百歳を迎える。

 何としても著作権の保護期間が切れる前に上映の方法を探さなくてはならない。

 映画の著作権の保護期間について述べたので、脚本の保護期間は映画と違うことをここで記しておきたい。

 脚本の著作権の保護期間は70年ではありません。シナリオを書いた脚本家、すなわち著作者の死後50年だ。

 たとえば、鈴木尚之氏が単独で書き上げた『飢餓海峡』(65 監督:内田吐夢)の脚本の著作権の保護期間は、鈴木尚之氏が亡くなられたのが2005年11月26日だから、その50年後になる。正確には2056年1月1日だ。2005年1月1日に死んだ人も、2005年12月31日に死んだ人も、著作権の保護期間のカウントスタートは、2006年の1月1日である。では同じ鈴木尚之氏が書いた『沓掛時次郎 遊侠一匹』(66 監督:加藤泰)も著作権の保護期間が同じかというとそうではない。『沓掛時次郎 遊侠一匹』は、鈴木尚之氏と掛札昌裕氏の共同脚本だ。共同脚本の場合、最後に亡くなった人の死後50年は保護期間だ。なので『沓掛時次郎 遊侠一匹』の脚本の保護期間がいつまでかを私はここで記すことはできない。掛札昌裕氏が元気で活躍中だからだ。掛札昌裕氏が長生きすれば長生きするほど、共同脚本の著作権保護期間は延びていくのだ。

 それはまさにスケート競技のチームパシュートのようなものだ。チームパシュートは3人一組で走り、一番最後にゴールした選手の記録で勝負が決まる。3人で脚本を書き上げた場合、複数名で共同作業として書き上げた脚本の著作権の保護期間は、最後まで長生きした脚本家の死亡年の翌年から50年カウントされる。とすると共同脚本の場合、若くて元気で長生きしそうな脚本家をひとり加えておくのが、長期間、著作権料が取れる、と考えられる。だが、ひとつ気を付けなくてはならないことがある。もしも最後まで長生きした脚本家が天涯孤独で相続者がいなかった場合、その脚本家の著作権は亡くなった年の大晦日を待たず、死亡した日に消滅、直近で死亡した2番目に天国に召された人の死亡日の翌年1月1日からのカウントは変わらない。

営利を目的としない上映なら可能か?

 著作権法第38条では、営利を目的としなければ公に上映等ができると規定されている。つまり『ガキ帝国 悪たれ戦争』も営利目的でなければ、上映できるのだ。例えば小・中学校、高等学校という教育現場ならば上映できる。また、関係者だけでなく、少人数であれば『ガキ帝国 悪たれ戦争』を観ることができるが、それではあまりに寂しすぎる。著作権法で少人数とは、何人までか定められてはいないが、あまりに少人数では寂しすぎる。やはり映画は大画面で大勢で観て、感動や驚き、笑いを共有するものなのだ。

 上映について署名活動が行われているが、いっそのこと「著作権法」改正の署名をするのはどうだろう。「著作権法」は、ここ数年間にも改正している。

 飯田橋佳作座がパチンコ屋になるなんて想像していなかった私は、「飯田橋佳作座で『ガキ帝国』シリーズを観たい」と思います。他の映画も観たいです。でも佳作座は存在しないので不可能ですが。

 同じように、観たい……何とか改正していただいてでも、という現実的に無理な切望です。

上映を阻止する株式会社モスフードサービスについて

 1981年に劇場公開が打ち切りになったのは、株式会社モスフードサービスからの抗議ということは「シナリオ」2018年1月号などに詳しい。

「モスのイメージを損ねる」、「うちの会社にメリットはあるのか」と株式会社モスフードサービスは発言しているようだが、『ガキ帝国 悪たれ戦争』は、思想又は感情を創作的に表現した著作物であり、産業の発達に寄与しようとして創られたものではない。あくまでも文化の発展に寄与している。私としては、文化の発展という視点に立って、もう一度株式会社モスフードサービス側には、考えていただきたい。

『ガキ帝国 悪たれ戦争』の上映と株式会社モスフードサービスの商品の試食・試飲会のイベントなどは、他のハンバーガーショップではできない独創的な催しになると思いますよ。

 個人的には、日本発の企業としてアジア・オセアニアに留まることなく、ワールドワイドな展開をしてもらいたい企業だと思っているが、もし日本以外の国で、同じ理由で上映禁止を強いるのならば、映画という知的財産を侵害するとして、日本の一企業をどんな眼差しでみることだろうか。それこそ企業のイメージを損なう、と思うのだが。

 実はこれは書こうか、書くまいかずっと悩んでいたのですが……。でも著作権法で定められている以上、やはり書かなくてはならない。

 著作権法第62条を読むと、法人が解散消滅した場合、著作権は消滅し、以後誰でも好き勝手に利用できるパブリックドメインになってしまう。

 そうなると海賊版とか猫どころの騒ぎではなく、もうやりたい放題、し放題。

 もちろん束映や徳間書店が解散消滅するなんて、有りえないし想像したくないけれど、何が起こるかわからないのが世の中。著作権法にあることは、企業として想定しているはず。この場合は、創業者の遺志など通用しないのですが。

 私は約10年前から日本文藝家協会と著作権管理委託契約を交わしている。また日本ペンクラブの電子文藝館委員の一人として、脚本家でありながら、生前、日本ペンクラブ会員として活躍した、八木保太郎氏、八木隆一郎氏、野田高梧氏、菊島隆三氏、市川森一氏らの著作権について考えなくてはとここ最近、思っている。

 だが著作権について知れば知るほど、日本の映画と海外諸国の映画の差を知り愕然としている。

 正直、日本の脚本家は日本の映画監督に比べて、まだ恵まれている、と思う。

 たとえば今年オスカー監督賞を『シェイプ・オブ・ウオーター』(17 脚本:ギレルモ・デル・トロ、ヴァネッサ・アイラー)で受賞したギレルモ・デル・トロや『レヴェナント 蘇えりし者』(15 脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、マーク・L・スミス)や『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14 脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ニコラス・ジャコボーン他)のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥらメキシコ人の著作権の保護期間は百年だ。それに引き換え日本では、映画製作会社を職務著作(法人著作)とする映画を監督した映画監督にあるのは、著作者が死んだときに相続の対象にならない「一身専属権」である著作者人格権だけなのだ。

「公表権」も「同一性保持権」も「氏名表示権」も、映画監督の死とともに消滅してしまうのが、今の日本だ。

 こんなにも差があるのに、このことを知らない映画評論家が、「3大映画祭を目指すクオリティの映画を創れ」と要望するのは、日本の映画監督にはちょっと酷かなあ、と感じている。

 本来なら『ガキ帝国 悪たれ戦争』が観ようにも観ることができない現状をどう打破すべきかについて書かなくてはならないのに、著作権絡みでいろいろなことを述べてきたが、基本は映画というエンターティンメントを少しでも楽しみたい、という単純な思いなのである。

 私の疑問は、もし株式会社モスフードサービスが抗議をし、上映中止に追い込んだのが『ガキ帝国 悪たれ戦争』でなく、外国映画だったらどうだったのだろう、ということ。日本は1886年に成立したベルヌ条約の加盟国のひとつである。他のベルヌ条約加盟国の映画にも同様のセリフがあるとされたり、描写があるとされたりした場合にも抗議して上映を禁止するのだろうか。

『ガキ帝国 悪たれ戦争』は、東映と共に徳間書店の共有著作物である。もしこの騒動を当時の徳間書店社長である徳間康快氏が知ったら、徳間氏はどう思い、どんな発言をすることだろう。

『コクリコ坂から』(11 脚本:宮崎駿、丹羽圭子/監督:宮崎吾朗)を観ていたら、ふくよかでおおらかで若者を温かく包み込む学園理事長の姿に在りし日の徳間氏を思い出した。

 私は共有著作権を持つ、徳間書店の考えも聞いてみたいと思っている。かつて末端の部下として働いていた私からすると、にこやかに上映を許可してくれそうな気がする。