羽 化
水 に
両手をかぶせる
手の平と水の表面をつきやぶって
ゆりかもめが侵入する
つばさの音がふくらんでくる
(うまれたんだ 空間をつきやぶって
(うまれたとき ふるえる音にのってきたんだ
(うまれるとき震動するんだ 摩擦して越境するんだ
ひとしずく はねかえり
ゆびにとまってゆれている 水玉
里芋の葉をころがるみたいに るりっと
表面張力にのったまあるい光の船
光 は
ひそかに羽化しはじめる
光って水に影をのばしてゆく
陽の射す岸辺を 泳ぐ人は
みな 花に似る
そめいよしの の
散りぎわ 江戸彼岸
大島ざくらのらせんが花芯に浮きたつ 宵
幹のなかをうずまいてスパークする 水
つきあげる血は 摩擦音をのみこんで
明日へと潜伏する葉の荒ぶる息だ
花吹雪 羽化登仙をもくろむ葉の芽に
もう 毛虫がたかっている
散りしくはなびらに
わたくしの両手を翔ばす
タチアオイ
タチアオイの谷へ向かう
ラルフ・ソレッキのまっ白いテキサス帽がゆれている
七歳
袋小路はわたしの秘密の砦だ
黒い塀と白壁の蔵にかこまれた窪地
そこには初夏の小虫が群れていて
銀いろに光る水が音をたてていた
水の湧き出る場所をさがして水に指をつきさすと
幾重にも水輪がひろがってゆく
水輪は タチアオイの太い茎にぶつかって
波だちながら視界からはみだしてゆくのだった
茎は小虫をさらう水音をうけとめて
わたしの背丈の二倍もあるところに
綺麗な花を咲かせていた
赤紫 白 桃いろ
タチアオイが湧き水の淵から
白壁の蔵にそって何本もつきでていた
タチアオイの陰にすわりこんで
葉や花茎からもれる光に隠れあそんだ日
踊りの時間は暮れていった
葉茎をしなわせて花首をとると
花粉が指にしみこんだ
タチアオイを髪にのせてくるくるまわっていた七歳
わたしといっしょに回転していた八万年後のタチアオイたち
遙かなタチアオイの谷にとだえたネアンデルタール人の遺伝子たち
湧き水の底でわたしを呼んでいた だれか
七歳
袋小路はわたしの秘密の砦だ
洞窟
イラク
シャニダールの谷
土煙り
タチアオイの花粉を胸に抱いた
死せる人骨にほほえむ
ラルフ・ソレッキの
まっ白い帽子がゆれた
* 一九五○年代から六○年代にかけてシャニダール洞窟を発掘調査したソレッキ。八万年前の地層からタチアオイ、アザミの花束を胸に埋葬されたネアンデルタール人の人骨を発掘した。
カスケード山脈の水と炎と
三月
ロッジの長椅子にもたれて
暖炉の炎を浴びている
〈薔薇と鳥はインディアンのタペストリーだよ〉
ゆらゆらと 渦巻いて
きれぎれにはじく
炎のなかにひとの輪郭がゆらめいて
わたしの瞳孔のぐるりの縞模様
まっ赤なアイリス
シマシマの迷宮に似た
虹彩 の網目をくぐりぬけてくる
(熱い炎だ
この木炭は
カスケード山脈の木の匂いがするんだ
小枝にまっ白い雪をのせたまま焼かれていった
深い雪の匂いがするんだ
だから
木にこもった雪解け水が
炎のなかで雪を舞わせるんだ
夕暮れる手で木炭を割る
樹木とからだの接合部分を確めながら
増殖する炎の動きを確めながら
雪舞い
匂ってくる炎
(ああ ゆきさきもあしあとも消されてゆく深い雪だ
水が 火の裏に
したたって 透きとおって
ふいに
背後から
夕暮れの川がせりあがってくる
火の粉をつけたわたしのからだを
のみこみにきたのだ
川波が 夕陽に映える
巨大なとぐろを巻いた川の蛇体は
雪の巻貝となって
わたしのなかへとうねってくる
渦巻螺旋の芯には
まっ赤な眼が夕陽みたいにひとつ
ゆらめいている
赤い眼はぎらぎらと風景をおおい隠す
突然
雷
の
火柱となって
暖炉の炎に分け入ってくる
水も
火も
螺旋の眼をもつ時の化体であったのか
アリゾナだより
ギルデッド・フリッカー(Gilded Flicker)
コツ、コツ、クイッ、クイッ、
サボテンをノックする音
アリゾナの
蒼い空に響く音
雷雨の襲来前に
ギルデッド・フリッカーが新しい家をつくってるんだ
金色の啄木鳥 Gilded Flicker
日本語の〈ハシボソキツツキ〉なんて呼び名は
とってもカビ臭い
ねぇ
あんたはギルデッド
黄金仮面さ
羽に陽を浴びてキラキラ光ってる
ギルデッド
サボテンから甘い水をもらって
コツ、コツ、クイッ、クイッ、
酔っぱらってクイッ、ウイッ、
すっかりママの腹袋におさまってしまったギルデッド
キョロ キョロ 穴から顔をだす
サボテンは
あんたのカンガルー・ママだね
地平線に見とれてわたしは
ギルデッド・フリッカーの嘴の意味を反芻する
巨大サボテンを活性化させるのも
倒すのも
あんたの気ままな嘴しだいだってことを
サボテンと蝙蝠
夜
満天の果実がきらめく
アリゾナ
何億光年を隔てた銀河 星の光が
わたしの頭上を横切る宇宙の使者の光の船が
一瞬
ビッグ・バンの嵐のように降りそそぐ
渦巻く光のエナジーの下
甘く熟れたサボテンの黄色い実が
光の水を表皮にうすくにじませている
サボテンは
岩場の洞窟に棲む
砂漠の
蝙蝠を待っているのだ
〈サボテンの実を食べると熟した柿の味がするよ
〈なぜ サボテンと蝙蝠は共生するの?
〈蝙蝠が何かをまきちらすんだって
〈何かって?
〈花粉だよ サボテンの蜜をもらって花粉をまきちらすんだ
わ た く し
森の椋や榧の実に
何か蜜のことばを発したか
そっと 花粉の枝をゆらしてきたか
剥がしてゆく
甘皮
栗
わたし
爪に
一滴
いのちのしずく
牛や豚や鶏 魚
その すずなりの木の
きらめく深夜
水の音
水。 壜の匂い
せかいの水、に、楔をうって
わたしは捜す、その出口を
ひかりのすずしげなひとさし、ひとつぶの微笑に魅入られた
背骨、が、ゆらり、そりかえる
ゆらゆらとひかりにゆれる水
の
鈴
すずは鳴りひび、き
リ、リ、リ、リリリ。ゆかしい音のひとつぶ
ひとつぶ。ひとつぶ。を、背にならべて
ゆすってみる
鈴蘭の匂う背骨に、とおく、ふかく、つきささる。リ、リ、リ、と
ゆすられて
ひかったまま割れてゆくもの
割れたまま水を呼びこんでゆくもの
ボトル・ネックをめざして
噴きあがってくる水
しめあげた出口のむこうにひろがるおそろしくしろい
鈴蘭の花、が、あなたの背骨にならんでいて
わたしに楔をうちつける
わたしは捜す、鈴蘭の出口を
すず、らん、の、穴たち。その一粒。一粒。
(あ、(な、(た、
息を吹きこんでゆびで穴をおさえて鳴らす
死んだ恋びとの骨でつくったインディアンの骨楽器
その呼び声 あふれ出る声
そっと あなたはいうだろう
(ケーナを吹いてごらん
神経細胞はリリアンみたいにほどけるやさしい水の音だ
八 衢 YACHIMATA
光の粒子をくっつけて
天空から ふつふつと湧きでてくるもの
地底から ふつふつと湧きでていたもの
(なぜツジではミチが交差するのだろう
朝の辻でわたくしは立ちどまる
風をかんじてあたりを見まわす
瞬間
ぐらぐらと地面が揺れ動いた
午前七時二十三分、震度四!
おー 底つ八衢
ソコツヤチマタにのって驀進してきたものがいる
わたくしの足を蹴りあげて
わたくしの足に照準を定めたもの
地底の迷路をアリアドネーの糸たぐって
YACHIMATAにのってやってきた
西から東へ
午前七時二十三分
閉じこめられていた
コーネリアスのからだがぶっ飛んだ
西の底つ猿田毘古、コーネリアスよ
地の割れ目からぬっと両手をあげてでてきた
コーネリアスの指は草をつかむ指
(ながい眠りの底でサルタビコ・コーネリアスは志摩の海人の夢にであっただろうか 貝にはさまれた手の傷あとも鮮やかに春のさきがけの青草をつかみ西から東へ 恋人は春に地上にもどる青草 コレー、ペルセポネー、それら なつかしい表記の芽がわたくしの網目にひっかかるときひとつになる呼び名 四季のめぐり うるわしい青草コレー、ペルセポネー、種子は冥府王の冬の妻 コーネリアスの両手が恋人をつかんで這い出るとき わたくしの目の虹彩は東の天降る猿田毘古の恋人妻天宇受売をとらえゆく 夢境はすでになく 東西は洋に溶けて一枚の布の表裏 その波のあとさき 未来と過去 コーネリアスとサルタビコは午前七時二十三分、ついにわたくしの虹彩にかさなった)
天降りの神々を天の辻辻で先導しすぎて地底におちたパイロットよ
天降り
底つ降り
根降り
夢境はその波のあとさき
を のぞくものに降りかかる
YACHIMATA
コーネリアスが握りしめた
青草と天の八衢
神々を降ろしたもうた猿田毘古の握りしめた陽は
フォッサ・マグナからひそかにそれて
わたくしの位置で交差する
わたくしは猿女君の血をひく伊勢志摩の海の女
現世の辻は目の裏にひそんでいる
澄みきった空からの一滴
がらんとした石積みの古い水汲場から
キラッと光って水の音がはねかえってくる
その水のひびきに
アメノヤチマタはふるえて航路はゆがむ
猿面冠者パイロット サルタビコは雲の門をぬけようと
着地の瞬間の幻を自演する
未来からきて核戦争の瓦礫の山に埋もれたパイロット、コーネリアスよ
午前七時二十三分 マグニチュード五・三!
一瞬 ソコツヤチマタの航路は開かれた
上昇する揺れのなかで
コーネリアスの顔は苦痛にゆがんだ
地球のヤチマタを握る者へ聖水の楔を打つために
コーネリアスは 地震とともにめざめたのだ
おー、底つ八衢 上昇するコーネリアス
おー、天の八衢 下降するサルタビコ
辻辻辻、辻は十字にぶつかりあうところ 溶けあうところ
交点 は
わたくしだ
下降と上昇の交点こそ
わたくしの禊の場である
衢 の
目はふたつ
一瞬がつらぬき瞬間がうけとめる
目合
わたくしは地表の交点である
存在しないかにみえて
わたくしを揺り動かす航路を
わたくしは天空に向けた
髪のいっぽん、いっぽんのアンテナで感知する
髪よりながい太陽の境涯を
* ”天の八衢”は天上から降るときの道に幾筋も分かれる辻の意味。その辻にいて神々を先導したのが『古事記』(上巻)によると猿田毘古神である。
* 二○○一年二月二十三日午前七時二十三分、東海地方に起きた地震(震度四、被害なし)から突然インスピレーションをうけて書いた作品である。
帯
仮ひも
が ねじれて
隼人瓜のつるが巻きついた
ゆれている空
ぶらさがっている隼人瓜
の なかにわたしがのみこまれていく
きき耳たてて糸はざぶーん、ざぶーん
ミトコンドリアDNAの白い海原が光る
母のそのまた母がゆれてあくびする
娘のそのまた娘の
骨格があかい
潮がさして燃えているようだ
(ここは白萩ですね
(ここは耳あかりですね
(ここは千里眼ですね
隼人瓜 ひとつ ころがって
仮ひも
を するするとたぐりよせる
と 空がひっくりかえる
(おお、イナンナ*、あまてらす**
破れた空の裂をつぎあてて呼んでみる
えんどう豆からも母たちを呼ぶつるの手がのびて
隼人瓜の娘たち
種子の窓からブレスレット型環状配列にのっていく
ふつふつと塩漬けの母が蘇る
すっと 帯山から
仮ひも
を 抜く
ひっくりかえって 結びあがった
わたしの帯の配列記号
母のそのまた母たち
イナンナにも あまてらすにもわかるまい
この帯芯模様の彩りは
* シュメール神話の女神
** 天照大神
拈華微笑
六月
雨が濡れ縁の木目にしみとおって
この世へもどりはじめた鼓動のように
とぎれとぎれにみちをひろげて
わたしの足裏を誘いこむ
木目のいびつな輪にすいよせられて
足のくぼみに花がたつ
(虹のたつ日はいつも若葉の枝をしなわせていた濡れ縁
円形ではなく
楕円であったり
半円のまま とぎれてしまっていたり
凹凸の浅い木目は つと立ちあがったわたしの足を滑らせて
指紋をうつしとってゆく
雨の夜 わたしの
うすれた指紋の数だけ太る濃い木の精よ
バウムクーヘンをかじる
わたしの指はこってりと脂がのってコリコリあまい
うすれた指紋を立ちあがらせて
まっすぐの輪切り
雨戸をあけて摺り足で濡れ縁を滑る
縦に切られた木は年輪の染みもなく
ながいひとつのきりたつような血をひそませて
時間のえぐれた余りを隠しもっていた
濡れ縁に坐ると
ばあむくうへんをかじった口が
水びたしになる
縦切りの潔い木目がふわっとひろがって
濡れ縁と庭の境を
ハート型の菩提樹の葉で埋めつくすのだ
立ちあがろうとして膝をつくわたしを巻きこみ
木目の淵から縛りあげてくる樹の息
雨水に溶けこむ樹液と
樹液を薫りたたせる雨水との
めぐりあわせに縛られて濡れ縁に
わたしは足を濡らしつづけている
ここに坐っていることの幻影を
幻影のなかでみていることの 余白
時間のえぐれに坐っていること
濡れ縁と化しても樹液を吐きつづけた薫る木の
黄の小花がゆれおちてくる
ふたたび みたび……
水にとけて
ふりむくとひと波のなかで
ちいさな花を拈んでいるひと と
その花に微笑するひと が
水のほとりを
涼しげに染めあげている
* 拈華微笑=インドの霊鷲山で釈尊が説法されたとき、大衆に小さな花を拈んで示されると、弟子の摩訶迦葉だけがその意を悟って微笑したという故事からきた言葉。以心伝心。
エシュロン
投網する 愛人から逃れて
春の雨にぬれて咲く
連翹 雪やなぎ
水仙は水にひそむ仙人だ
水と光の時空を手繰りよせて
地中に卵状球形の鱗茎を張りめぐらせて
花から渦巻く暗号をキャッチする
地中に頭をつっこんで養分を吸いあげる
ナルキッソス、ナルシス、水仙
鱗茎は 地中海沿岸から
シルクロードをとおってわたしの庭までやってきた
根は 雲根のかたさだ
深山の岩間からうまれてたちのぼる雲の内部は石
雲根 水を吸う石 石の根 鱗茎
(地中の鱗茎は「愛人」*のスパイ・ネットワークにひっかからないよ
(地中には電波がとどかないんだ
(水仙は仙人だから、とっくの昔に傍受を予知して地中にもぐりこんだのさ
(地中には地中の、水中には水中の繁栄があるんだ
(きょうから水仙をナルシス・エシュロンと呼ぼう
「エシュロン」のパートナーである英国では、すでにピカデリーサーカスのようなロンドンの目抜き通りで通行人の挙動を監視するモニター装置が日夜、公然と作動している。**
わたし スーパーで買い物する
自分の姿をモニターテレビに映して
ポーズする
(鏡って植物的ね
* 三沢基地にあるエシュロンのコードネーム
**(グローバル化の裏側で動き出した「情報支配」) (『VERDAD(ベルダ)』’00年4月号より)
なわとび
なわとび
の
なわがしなる
低い唸り音をひいて
空間がブレる
と
もう まばたきの間にせかいは高速にのって球のなか
縄ヒモの描く円が地表を蹴りあげ 削りあげて
瞬時に あたらしい球体をころがしつづける
そのなかを転げながらわたしは
まばたきもせずにとびつづける
すっぽりとつつみこまれた高速の膜が遮る砂嵐
砂も土も円の外へ放たれてゆく
放射状に交差する砂嵐と陽光が
銀いろの波模様をからだに映してゆく
空はまっ青だ
ターコイズ・ブルー
あのとき わたしはサングラスとマスクで光と砂を遮っていた。いま なわとびの輪の内側にすっぽり収まると顔もからだも自然の透明な膜につつまれて 無防備の感触がやわらかく大脳中枢を刺激する。(ああ 千の蓮の花びら)透明な膜のまわりをめぐる光と砂の縞目模様は乾季のカリガンダキ川のように銀いろに螺旋の鱗をひからせて蛇行する。未踏の峰ニルギリを左前方にして カグベニからジョムソンをめざしていくと魚の鱗のようにひかって眼下に蛇行するカリガンダキ川。魚も棲まない川。まぶしくうねる川模様にふと わたしは屏風絵の水のうねりを重ねていた。屏風絵の底に水音をひびかせる川の流れと ヒマラヤの雪どけ水を流す川が目裏で合流してひかっていた。その川の瀬音にも似たK氏*の言葉が耳底に張りついていたからか。
〈アンダームスタンの中心地ジョムソン(Jomoson)のジョムとは統合であり、ソンは三である。日本語の根っこは、ここムスタンにあるんです。ジョムソンとは、つまり三つの統合のことです〉
標高二八○○メートル。アップ・ダウンをくりかえすうちに ムスタンの荷負の少年たちとすれちがったのだ。大きな麻袋を背負った十歳前後の少年の一団が 素足にゴムぞうりの姿で黙々と一列に岩山を越えていった。ふりかえると麻袋が歩いている。ふりかえると〈ナマステー〉と合掌する。澄んだ眸。はっとしてわたしはサングラスとマスクを取りはずした。雪山に反射した光の洪水が押しよせて アイリスの点と光の線が交響する。眸がすがすがしく痛い。あのときからだ。わたしがサングラスとマスクをはずしたのは。
ターコイズ・ブルー
もしかしたら わたしは
磁気嵐の目のなかに入りこんだのだろうか
ブルーなブルーなブルー (青のなかのゆううつ
まばたきもせずにとびつづけるわたしの
このゆったりとした呼吸は すでに
わたくしの内部がある一点に集中していることをかんじさせる
ありもしないものとあるはずのものとの
接点
縄ヒモがつくる球体とその球体を生みだす瞬間のヒモ
の接点に
突如として食い込んでくるもの
ブルーなブルーなブルー
鍛冶屋の鉄床とハンマー とびちる火花)
たとえば ガンジスの支流
聖なるパグマティ川**
の川岸で頭髪を剃られている死人が
死人に見えなかったように
頭髪を剃っている者の明るく弾む右手がまわすものは
なわとびのヒモである
(陽光にひかる剃刀の先で死人は逆ドミノとなり
倒れる端から起きあがり
宇宙のヒモへと吸いこまれてゆく)
輪の球に入っていったひとは
花輪車の心棒にのっかって
出口の針穴をまわしているよ
わたしとは逆まわりの球のなかで
見えたり
隠れたり
――おお嬢さん おおはいり***
鬼のヒモが
ゆったりと口をあけて
円を描く
* 近藤亨氏。元新潟大農学部助教授。ネパール・ムスタン在住。世界の秘境といわれる極貧の高地に住む人々のために私財をつぎこみ家族と別れてヒマラヤ中腹に大農場を夢みる人。高地で初めてりんごなどの果樹栽培に成功。十和田湖のニジマスの子の養殖にも成功する。76歳の近藤氏に’98年2月偶然出会う。
** バグマティ川…カトマンズを流れる。
*** なわとび歌
塩 壺
朝
クローゼットを開けると
そこは
レモンバームの畑だった
縁にギザギザの歯型の波を刻んで
葉はハート型に立っていた
縁にギザギザの回路をもつわたしの分身を
うすみどりの草々にひそませて
クローゼットを閉める
と
たちまちレモンバームは背丈がのびて等身大に繁ってくる
六月の雨を吸って
果樹園の葡萄が色づく日
クローゼットを開けると
一陣の風が渦巻いて
そこに兄が立っていた
――オデュッセウスの旅にでるよ
光る声で兄は微笑った
肩からギザギザのレモンバームの葉が生えて機関銃みたいな肩のカメラをす
っぽり隠していたので
兄の左肩はもう緑の平地だった
――ね、オデュッセウス、緑の平地は いつも何かを隠してるわ。
平地をめくると何が現れるかわかんないわ。
――平地をめくると、そこには海がひろがってるのさ。ほら、モーゼが紅海をめくっ
たとき、陸が現れたように。
オデュッセウスは荒海を越えてゆくんだ。
――あたしはハーブを育てるわ。レモンバームもペパーミントもバジルもスイートマ
ジョラムも、みんなあたしよ。
あたしが食べてあたしが種を蒔いて、また食べて、あたしのなかから生えてくる
の。でも、海の水をのんでも土は生えないわ。
――ボクのオデュッセウスは神に護られて旅にでるところさ。
――あたしはペーネロペイアよ。求婚者がレモンバームを踏み荒しにくるかもしれ
なくってよ。
兄は激しくわたしの口をふさいだ、唇で
わたしはあわててクローゼットを閉めた
レモンバームのギザギザの葉が一枚、クローゼットにはさまれながらわたし
の指を撫でた
それからわたしは
もうもどらないかもしれない兄を塩壺に閉じこめた
二十年間オデュッセウスはイタケー島へ帰らなかった
クローゼットは閉じたままだ
わたしは春ごとに種を蒔く
レモンバームのうす緑の葉
純白のテーブルクロス
塩壺のちいさな穴から塩をそっとふりかけて
葉が萎れてゆくのを眺める
(しずかに細胞はしんでゆくのだ。はげしくまたうまれてくるのだ。
塩につつまれてレモンバームは消化される
塩壺の縁に隠れて
わたしは
兄のカメラが機関銃に似た血の塩であることを嗅ぎ分けていた
クローゼットは閉じられたままだ
二十年後、オデュッセウスは帰ってきた
ペーネロペイアと息子テーレマコスをつれて
戦火のベトナムからヨーロッパへ、そしてゲッセマネへと放浪した傷心のオ
デュッセウスは
塩辛い黒海を泳いでセーレインに誘惑されたのだ
兄のレンズは逆光に引きよせられた
わたしの塩壺から溢れた塩は もはや だれも泳がせはしない
この塩は
ピリッと夜をつきさす陽のスパイスだ
オデュッセウスの剣だ
六月の雨に果樹園の葡萄がかすかに匂ってくる
朝
クローゼットを開けた
レモンバームはすっかり食べつくしたはずであったのに
あたらしい葉をクローゼットの縁までひろげている
そのまんなかに
レモンバームを噛みながら兄が立っていた
――オデュッセウスの旅にでるよ。
――世界の空模様は?
――大丈夫だよ、妹。返還直後の香港からベトナムへ。
兄の肩で緑の真新しいカメラがゆれる
レモンバームのなかへ緑の平地へ沈んでは浮かびあがる循環の日々
陽のスパイスをいっぱい効かせて
もう
わたしはクローゼットを閉めた
りはしない
春分点
三月
春分点に
くっきりと尾鰭を映して
魚の時代は過ぎる
魚座から水瓶座へ移行する惑星の
喉元めがけて
ゆめにぬれたわたしの
地軸をなげる
声をなげる
喉
と
つぶやいて
そのひびきにひそかに痙攣して
湿った声の表皮を剥がす
剥がした声の渦巻くところ
わたしの喉は
あおい惑星の喉とつながるのだ
ヒクヒク
赤むけた喉の粘膜から
ひらかれてゆく涼やかな呼吸法を
まなびとるときがきたのだ
オープンマインド
草や樹木のそよぎ
いつか
あなたがしたように
そっと
右手で喉首を撫でていく
喉と胸のつなぎめのちいさな窪み
――ここはボスポラス海峡だよ
西と東のつなぎめ
首とからだのつなぎめ
きつく押さえればいのちの泡だつところ
ここは太陽の昇るところだ
三月
萌え出る新芽の痛みにふるえながら
春分点で
わたしの呼吸は
あおい惑星の呼吸につながる
* 春分点の太陽は魚座を背に約二千年間昇りつづけたが水瓶座へ移行する。二万六千年の周期をもつ地球の歳差運動。