中原中也詩選

春の日の夕暮は穏かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は静かです

 

ああ! 案山子かかしはないか――あるまい

いななくか――嘶きもしまい

ただただ月の光のヌメランとするまゝに

従順なのは 春の日の夕暮か

 

ポトホトと野の中に伽藍がらんは紅く

荷馬車の車輪 油を失ひ

私が歴史的現在に物を云へば

あざける嘲る 空と山とが

 

瓦が一枚 はぐれました

これから春の日の夕暮は

無言ながら 前進します

らの 静脈管の中へです

 

 

  サーカス

幾時代かがありまして

  茶色い戦争ありました

 

幾時代かがありまして

  冬は疾風吹きました

 

幾時代かがありまして

  今夜此処ここでの殷盛さか

    今夜此処での一と殷盛り

 

サーカス小屋は高いはり

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

 

頭倒さかさに手を垂れて

  汚れ木綿の屋蓋やねのもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

それの近くの白い灯が

  安値やすいリボンと息を吐き

 

観客様はみないわし

  咽喉のんどが鳴ります牡蛎殻かきがら

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

   屋外やぐわいは真ッくら くらくら

   夜は劫々こふこふと更けまする

   落下傘奴らくかがさめのノスタルヂアと

   ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

  秋の一日

 

こんな朝、遅く目覚める人達は

戸にあたる風とわだちとの音によつて、

サイレンの棲む海に溺れる。

 

夏の夜の露天の会話と、

建築家の良心はもうない。

あらゆるものは古代歴史と

花崗岩のかなたの地平の目の色。

 

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、

私はしやくと広場と天鼓のほかのなんにも知らない。

軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、

紫のしやがんだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

 

   (水色のプラットホームと

   はしやぐ少女と嘲笑あざわらふヤンキイは

   いやだ いやだ!)

 

ぽけっとに手を突込んで

路次を抜け、波止場に出でて

今日の日の魂に合ふ

布切屑きれくづをでも探して来よう。

 

  みちこ

 

そなたの胸は海のやう

おほらかにこそうちあぐる。

はるかなる空、あをき浪、

涼しきかぜさへ吹きそひて

松の梢をわたりつつ

磯白々とつづきけり。

 

またなが目にはかの空の

いやはてまでもうつしゐて

ならびくるなみ、なぎさなみ、

いとすみやかにうつろひぬ。

みるとしもなく、ま帆片帆

沖ゆく舟にみとれたる。

 

またそのぬかのうつくしさ

ふと物音におどろきて

午睡の夢をさまされし

牡牛をうしのごとも、あどけなく

かろやかにまたしとやかに

もたげられ、さてうち俯しぬ。

 

しどけなき、なれがうなじは虹にして

ちからなき、嬰児みどりごごときかひなして

いとうたあはせはやきふし、なれの踊れば、

海原はなみだぐましききんにして夕陽をたたへ

沖つ瀬は、いよとほく、かしこしづかにうるほへる

空になん、の息絶ゆるとわれはながめぬ。

 

 

  汚れつちまつた悲しみに……

 

汚れつちまつた悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる

 

汚れつちまつた悲しみは

たとへば狐の革裘かはごろも

汚れつちまつた悲しみは

小雪のかかつてちぢこまる

 

汚れつちまつた悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは

倦怠けだいのうちに死を夢む

 

汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気おじけづき

汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

  無題

 

  1

 

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、

私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、

酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝

目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら

私は私のけがらはしさを歎いてゐる。そして

正体もなく、今ここに告白をする、恥もなく、

品位もなく、かといつて正直さもなく

私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。

人の気持をみようとするやうなことはつひになく、

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに

私はかたくなで、子供のやうに我儘わがままだつた!

目が覚めて、宿酔ふつかよひいとふべき頭の中で、

戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら

私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。

そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、

今朝はもはや私がくだらない奴だと、ら信ずる!

 

  2

 

彼女の心は真つすぐい!

彼女は荒々しく育ち、

たよりもなく、心を汲んでも

もらへない、乱雑な中に

生きてきたが、彼女の心は

私のより真つ直いそしてぐらつかない。

 

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に

彼女は賢くつつましく生きてゐる。

あまりにわいだめもない世の渦のために、

折に心が弱り、弱々しくさわぎはするが、

しかもなほ、最後の品位をなくしはしない

彼女は美しい、そして賢い!

 

かつて彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!

しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。

我利々々で、幼稚な、けものや子供にしか、

彼女は出遇であはなかつた。おまけに彼女はそれとらずに、

唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。

そして少しはいぢけてゐる。彼女は可哀想だ!

 

  3

 

かくは悲しく生きん世に、なが心

かたくなにしてあらしめな。

われはわが、したしさにはあらんとねがへば

なが心、かたくなにしてあらしめな。

 

かたくなにしてあるときは、心のまなこ

魂に、言葉のはたらきあとを断つ

なごやかにしてあらんとき、人みなはれしながらの

うまし夢、またそがことはり分ち得ん。

 

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて

悪酔の、狂ひ心地に美をもと

わが世のさまのかなしさや、

 

おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、

人にまさらん心のみいそがはしき

熱を病む風景ばかりかなしきはなし。

 

  4

 

私はおまへのことを思つてゐるよ。

いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、

昼も夜も浸つてゐるよ、

まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。

 

私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。

いろんなことが考へられもするが、考へられても

それはどうにもならないことだしするから、

私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。

 

またさうすることのほかには、私にはもはや

希望も目的も見出せないのだから

さうすることは、私に幸福なんだ。

 

幸福なんだ、世のわずらひのすべてを忘れて、

いかなることとも知らないで、私は

おまへに尽せるんだから幸福だ!

 

  5 幸福

 

幸福はうまやの中にゐる

わらの上に。

幸福は

和める心には一挙にして分る。

 

  かたくなの心は、不幸でいらいらして、

  せめてめまぐるしいものや

  数々のものに心を紛らす。

  そして益々ますます不幸だ。

 

幸福は、休んでゐる

そして明らかになすべきことを

少しづつ持ち、

幸福は、理解に富んでゐる。

 

  頑なの心は、理解に欠けて、

  なすべきをしらず、ただ利に走り、

  意気消沈して、怒りやすく、

  人に嫌はれて、自らも悲しい。

 

されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。

従ひて、迎へられんとには非ず、

従ふことのみ学びとなるべく、学びて

汝が品格を高め、そが働きのゆたかとならんため!

 

 

  時こそ今は……

 

    時こそ今は花は香炉に打薫じ ボードレール

 

時こそ今は花は香炉に打薫うちくんじ、

そこはかとないけはひです。

しほだる花や水の音や、

家路をいそぐ人々や。

 

いかに泰子、いまこそは

しづかに一緒に、をりませう。

 

遠くの空を、飛ぶ鳥も

いたいけな情け、みちてます。

 

いかに泰子、いまこそは

暮るるまがき群青ぐんじやう

空もしづかに流るころ。

 

いかに泰子、いまこそは

おまへの髪毛かみげなよぶころ

花は香炉に打薫じ、

 

 

 在りし日の歌 抄

 

  含羞はぢらひ 

なにゆゑに こゝろかくはぢらふ

秋 風白き日の山かげなりき

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなびちゐたり

 

枝々の みあはすあたりかなしげの

空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ

をりしもかなた野のうへは

あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちゐたり

その日 その幹のひま 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

あゝ! 過ぎし日の ほの燃えあざやぐをりをりは

わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……

 

 

  月夜の浜辺

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打ち際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを、たもとに入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打ち際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

   月に向かつてそれはほうれず

   浪に向かつてそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは

指先にみ、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

 

 未刊詩篇 抄

  寒い夜の自画像 (2・3)

 

    2

 

恋人よ、そのかなしげな歌をやめてよ、

おまへの魂がいらいらするので、

そんな歌をうたひだすのだ。

しかもおまへはわがままに

親しい人だと歌つてきかせる。

 

ああ、それは不可いけないことだ!

降りくる悲しみを少しもうけとめないで、

安易で架空な有頂天を幸福と感じ

自分を売る店を探して走り廻るとは、

なんと悲しく悲しいことだ……

 

    3

 

神よ私をお憐れみ下さい!

 

 私は弱いので、

 悲しみに出逢であふごとに自分が支へきれずに、

 生活を言葉に換へてしまひます。

 そして堅くなりすぎるか

 自堕落になりすぎるかしなければ、

 自分を保つすべがないやうな破目はめになります。

 

神よ私をお憐れみ下さい!

この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。

ああ神よ、私が先づ、自分自身であれるやう

日光と仕事とをお与へ下さい! 

                   (一九二一・一・二○)

 

 

  冷酷の歌

 

   1

 

ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。

泣きわめいてゐる心のそばで、

買物を夢みてゐるあの裕福な売笑婦達は、

罪でございます、罪以外の何者でもございません。

 

そしてそれが恰度ちやうど私に似てをります、

貪婪どんらんの限りに夢をみながら

一番分りのいい俗な瀟洒せうしやの中を泳ぎながら、

今にも天に昇りさうな、わくのやうな胸で思ひあがつてをります。

 

伸びたいだけ伸んで、拡がりたいだけ拡がつて、

恰度紫の朝顔の花かなんぞのやうに、

朝は露にうるほひ、朝日のもとにゑみをひろげ、

 

夕は泣くのでございます、獣のやうに。

獣のやうに嗜慾しよくのうごめくまゝにうごいて、

その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。

 

   2

 

絶えざる呵責かしやくといふものが、それが

どんなに辛いものかが分るか?

 

おまへの愚かな精力が尽きるまで、

恐らくそれはおまへに分りはしない。

 

けれどもいづれおまへにも分る時は来るわけなのだが、

その時に辛からうよ、おまへ、辛からうよ、

 

絶えざる呵責といふものが、それが

 山羊の歌 抄

 

  春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて

どんなに辛いか、もうすでに辛い私を

 

おまへ、見るがいい、よく見るがいい、

ろくろく笑へもしない私を見るがいい!

 

   3

 

人には自分を紛らはす力があるので、

人はまづみんな幸福さうに見えるのだが、

 

人には早晩紛らはせない悲しみがくるのだ。

悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。

 

長いものうい、それかといつて自滅することも出来ない、

さういふいたましい時が来るのだ。

 

悲しみ執ツしつこくてなほも悲しみ尽さうとするから、

悲しみに入つたら最後むときがない!

 

理由がどうであれ、人がなんとへ、

悲しみが自分であり、自分が悲しみとなつた時、

 

人は思ひだすだらう、その白けた面の上に

涙と微笑とを浮べながら、聖人たちの古い言葉を。

 

そして今なほ走り廻る若者達を見る時に、

いまはしくも忌はしい気持に浸ることだらう、

 

嗚呼!その時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、

人よ、苦しいよ、絶えいるばかり…… 

 

   4

 

夕暮が来て、空気が冷える、

物音が微妙にいりまじつて、しかもその一つ一つが聞える。

お茶を注ぐ、煙草を吹かす、薬鑵やくわんが物憂い唸りをあげる。

床や壁や柱が目に入る、そしてそれだけだ、それだけだ。

 

神様、これが私の只今でございます。

薔薇(ばら)と金毛とは、もはや煙のやうに空にゆきました。

いいえ、もはやそれのあつたことさへが信じきれないで、

私は疑ひぶかくなりました。

 

しをれたねぎにらのやうに、ああ神様、

私は疑ひのために死ぬるでございませう。

 

 

  (なんにも書かなかつたら)

 

   1

 

なんにも書かなかつたら

みんな書いたことになつた

 

覚悟を定めてみれば、

此の世は平明なものだつた

 

夕陽に向つて、

野原に立つてゐた。

 

まぶしくなると、

また歩み出した。

 

何をくよくよ、

川端やなぎ、だ……

 

土手の柳を、

見て暮らせ、よだ

 

   2

 

開いて、ゐるのは、

あれは、花かよ?

何の、花かよ?

薔薇ばらの、花ぢやろ。

 

しんなり、開いて、

こちらを、むいてる。

蜂だとて、ゐぬ、

小暗い、小庭に。

 

あゝ、さば、薔薇さうびよ、

物を、云つてよ、

物をし、云へば、

答へよう、もの。

 

答へたらさて、

もつと、かうか?

答へても、なほ、

ジット、そのまゝ? 

 

   3

 

鏡の、やうな、澄んだ、心で、

私も、ありたい、ものです、な。

 

鏡の、やうに、澄んだ、心で、

私も、ありたい、ものです、な。

 

鏡は、まつしろ、はすから、見ると、

鏡は、底なし、まむきに、見ると。

 

鏡、ましろで、私をおどかし、

鏡、底なく、私を、うつす。

 

私を、おどかし、私を、浄め、

私を、うつして、私を、なごます。

 

鏡、よいもの、机の、上に、

一つし、あれば、心、和ます。

 

あゝわれ、一と日、鏡に、向ひ、

つば、吐いたれや、さつぱり、したよ。

 

唾、吐いたれあ、さつぱり、したよ、

何か、すまない、気持も、したが。

 

鏡、許せよ、悪気は、ないぞ、

ちよいと、いたづら、してみたサア。

               (一九三四・一二・二九)

 

 

  詩人は辛い

 

私はもう歌なぞ歌はない

誰が歌なぞ歌ふものか

 

みんな歌なぞ聴いてはゐない

聴いてるやうなふりだけはする

 

みんなたゞ冷たい心を持つてゐて

歌なぞどうだつたつてかまはないのだ

 

それなのに聴いてるやうなふりはする

そして盛んに拍手を送る

 

拍手を送るからもう一つ歌はうとすると

もう沢山といつた顔

 

私はもう歌なぞ歌はない

こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない

               (一九三五・九・一六)

 

 

  聞こえぬ悲鳴

 

悲しい 夜更よふけが 訪れて

すみれの 花が 腐れる 時に

神様 僕は 何を想出したらよいんでしょ?

 

痩せた 大きな 露西亜のをんな

彼女の 手ですか? それとも横顔?

それとも ぼやけた フイルム ですか?

それとも前世紀の 海の夜明け?

 

あゝ 悲しい! 悲しい……

神様 あんまり これでは 悲しい

疲れ 疲れた 僕の心に……

いつたい 何が 想ひ出せましよ?

 

悲しい 夜更は 腐つた花瓣はなびら――

  噛んでも 噛んでも 歯跡はあともつかぬ

  それで いつまで 噛んではゐたら

  しらじらじらと 夜は明けた

               (一九三五・四・二三)

 

 

  夏日清閑

 

暑い日は毎日つづいた。

隣りのお嫁入前のお嬢さんの、

ピアノは毎日聞こえてゐた。

友達はみんな避暑地に出かけ、

僕だけが町に残つてゐた。

撒水車が陽に輝いて通るほか、

日中は人通りさへ殆ど絶えた。

たまに通る自動車の中には

用務ありげな白服の紳士が乗つてゐた。

みんな僕とは関係がない。

偶々たまたま買物に這入はひつた店でも

怪訝けげんな顔をされるのだつた。

こんな暑さに、おまへはまた

何条買ひに来たものだ?

店々の暖簾のれんやビラが、

あるとしもない風に揺れ、

写真屋のショウヰンドーには

いつもながらの女の写真かほ

中原中也記念館