追悲荒年歌
ちゝのみの 父はいまさず、
はゝそばの 母ぞ かなしき。
はらはらの我と、我が姉
日に 夜に 罵ばえにけり。
怒ります母刀自見れば、
泣き濡れて くどき給へり。
そこゆゑに、母のかなしさ。
家荒れて 喰ふものはなし。
庭寒く 鳥もあそばず。
あはれ かの雀の子らは、
軒の端ゆ 顏さし出でゝ
ちゝと鳴き くゞもり鳴きて、
聲やめぬ。ふた聲ばかり――。
雀子も、餓ゑ寒からむ。
あはれ/\ 喰ふ物やらむを――
腹へりて 我も居にけり。
頻々に いたむ腹かも。
晴るゝ日の空の靑みに、
こだまするもの音もなし。
靜かなる村の日ねもす――
村びとも みなから飢ゑて、
ま晝すら 寢貪るらむ。
朝明よりものにい行きて、
歸り來し姉のみことの、
我を見て あはれと言らし、
町人の、姉にくれたる
蕎麥の粉の練れる餅の
燒きもちひ 喰へと言ひて、我に給びたり。
くるゝ時、我を見し目の
姉が目の さびしかりしを
髣髴に 今も忘れず。
ひた喰はゞ 片時の間ぞ。
喰はざらば 腹ぞ すべなき。
蕎麥もちひ 惜しみ、たしみて
ねもごろに 我が喰ひをるに、
ほろ/\と とすれば崩えて
もろくくづるゝ蕎麥の粉の すべもすべなさ
反歌
いとけなくて 我は見にしか。野山にも 交
らひ淺き若うどの群れ
なか/\に 鳥けだものは死なずして、餌ば
み乏しき山に 聲する
家に養ふものは しづかになりにけり。馬す
ら あしを踏むこともなし
幼き春
わが父に われは厭はえ
我が母は 我を愛まず
兄 姉と 心を別きて
いとけなき我を 育しぬ。
童にて 我は知りたり――
まづしかる家の子すらに、
よき親を持ちて ほがらに
うれしけき日每遊びに、
うちあぐる聲の たのしさ。
陰深き家の 軒べに
其を見ると 彳み居れば、
おのづから 爪咋はれつゝ。
よき衣を 我は常に著
赤き帶 高く結びて、
をな子の如く裝ひ ある我を
子らは嫌ひて、
年おなじ同年輩の輩も
爪彈きしつゝ より來ず。
たゞ一木 辛夷 花咲き
春の日の ほろゝに寒き
家裏の藏庭に居て、
つれ/″\と、心疲れに
泣きなむと わがする時――
隣り家と 境ふ裏戶の
木戶の外に 人は立たして、
白き手を 婉にふらせり。
我が姉の年より 長けて、
わが姉と 似てだに見えず
うるはしき人の立たして、
我を見て ほの/″\笑める――。
しば/\も、わが見しことを
今にして、思ひし見れば、
夢の如 その俤薄れ
はかなくも なりまさるなり
もの心つけるはじめに
現しくも 見にける人
年高くなりぬる今し、
思へども、思ひ見がたく いよゝなり行く
反歌
春早き辛夷の愁ひ咲きみちて、たゞに ひと
木は すべなきものを
白
梢高き轆轤木の 花
下枝深き常山木の 花
花低く這ふ 鴉瓜
卯月の村は、せつなきほど白くて、
さらになほ 白じろと 咲きつゞく――。
空木の花の 赤く褪變りたるが、
稀まれに いと安けくて、
村びとの心を 悲しがらしむ
夏日感傷 四章
道のべの 聲澄む時
日の光りさやけき晝
唐松の繁み立つ道に、
わが影の あまり幽けき
×
道の上の晝の幻
たちまちに 過ぎ行きにけれ――。
翡翠のあさき裳の色
ひたすらに 風に靡きて
×
思へども すでに漠々し。
山陰の白沙の上に
わかれ來し人を思へば、
かつ/″\に 頬をつたふもの
×
鳥の子の かならず出でゝあそび居し この
山陰を 見むと來にけり
やまと戀
をみな子よ。我が名を知るや――。
女ごの群れに向ひて
ことゞひも爲ずて 過ぎ來し
我の齡の五十ぢの末の――
晩年に言ひ出る言の、
くど/\し 老いのくり言
澀面みつゝ 然勿嫌ひそ――。
をみな子の住める家居は、
門べすら 淸くかゞやき
飼ふ犬の聲も はなやぐ――。
女ごのよれる牕べの
二藍の牕かけ搖り
洩る詠の聲 やみて後――
なほうたふ聲ある如く
にほひつゝ 道にひゞきぬ――
をみな子の著せる衣の
花ぐはし 櫻のたもと――
照りぐはし 春のふり袖――
結ひ垂るゝ金の高帶――
家出でゝ來る そよめきは、
謠はざる歌と とよみて
若人の心を ゆりぬ――。
をみな子は かく好かりけり――。
女ごのよかりし世には、
男の子らの道行きぶりの
姿すら 淸くしまりて、
言ふことも 訛濁みては言はず――
しきしまの やまとの國の
若き世代の恩寵滿りて
憑しみ深く ありしか
をみな子よ。すこし裝はね――。戰ひに負けし寂しさ
國びとの瞳さへ 萎み 佗しさは 骨に徹れり――。
あゝ骨に透る――悔い哭き――。
しかすがに 然うらぶれて
をみな子は 道行くべしや――。
若き日は いとも貴し。若き日に復や還らむ。
かぐはしき深き誓言 日の本の戀の盛りに――、
女子と物言ひ知らず 無用に過ぎにしわが名
懇ろに悔いつゝ言ふを 空言と聞くこと勿れ。
をみな子よ――。戀を思はね。
美しく 淸く裝ひて 誇りかに道は行くとも、
倭戀 日の本の戀 妨ぐる誰あらましや――。
戀をせば 倭の戀。
美しき 日の本の戀。戀せよ。處女子
反歌
たはれめも 心正しく歌よみて、命をはりし
いにしへ思ほゆ
をとめ子の淸き盛時に もの言ひし人を忘れ
ず。世の果つるまで
道のべに笑ふをとめを憎みしが 芥つきたる
髮の あはれさ
ゆ き
きさらぎの小野の雪。
靜かなる夕凍みに、
人ゆきて還らざる
道に出でゝ もの思ふ。
きさらぎの夕じみに、
道のべの ほの白く
あわ雪の消えのこる
思ひこそ はかなけれ。
あわ雪の消えなくに、
ほの/″\と 積み來たる
けはひこそ かそかなれ――。
夜に入れば、はてもなし、
葎
しづかなる夕に 出でゝ、
ほのかなる道を 往き來す。
かそかなるもの 來寄りて、
我が肩に ふれつゝ過ぎぬ――。
わが耳や 何をか聞きし――。
我が心知らぬ ことばを――。
さゝやきて ものぞ去りにし。
しづかなるゆふべの道に、
かな葎 一つ 穗を搖る