一 武田終焉
天正九年(1581)遠州高天神城が、徳川、織田の連合軍により奪還されてから武田の衰運は歴然としていた。甲州恵林寺の快川紹喜は武田を救うべく妙策として、勝頼と信長の和親を計画した。快川の意を受けた愛弟子の武田宗智は、美濃、山城の妙心寺派諸老の協力を得、上洛した。信長が高野山を焼き打ちし、僧千人を斬り殺したと京では信長を非難する声が高まっている最中の事である。
正親町帝は快川に国師号を賜う親書を出した。武田と関係の深い快川に国師号を賜うという事は、帝が信長の権力を心よからず思っておられると宗智は思い、親書を押し頂いて禁裏を下った。同行した快川の弟子の南化も美濃崇福寺の協力を得たのであるが、帝の援護の甲斐もなく和親の計画も実現するには至らなかった。
宗智は甲斐に戻る途中の三河で、東条城へ運ばれて行く大量の兵糧を見た。領民に聞くと、毎日の様に運ばれていると言う。織田信長が甲斐攻めの為の兵糧ではないかと噂が流れていた。武田を恐れていた信長が露骨に甲斐進攻準備しているからには、武田の衰運を確かめたのであろう。武田の家臣の中で信長か家康に内通している者が居るのだと、宗智は思った。兄、信玄の代になってから甲斐は敵の侵入を知らない。他国で見た戦火が甲府でも起きるのであろうか、敵意を示した者には徹底した憎悪をむき出しにする信長の事だ、老若男女をかまわずに殺すであろう。安土城で、留守居の女房衆が息抜きで寺に参詣しただけで、女房衆と僧侶達の首をはねたと、京で宗智は聞いた。
甲斐に帰ってみると、新府城に通じる道は夜具や家財を運ぶ荷馬車が絶え間なく行き来している。馬車は躑躅ケ崎の館ばかりではない。武家屋敷からも運ばれていた。
宗智は新府の城に行く前に躑躅ケ崎の館に寄って見ようと思った。途中の武家屋敷では屋敷ごと移転するのであろう、取り壊していた。館に入る前に甥の江介(信玄の六男)の屋敷に寄って見た。在甲中は自分と妻のお吟の住まいでもある。屋敷の前に人だかりがしていた。
「何か有ったのか」宗智は胸騒ぎを覚えて、人だかりの後ろから声をかけた。
「和尚様でしたか、よくは存じませぬが信貞様のお留守に賊が入ったそうで御座います」
近所の内儀らしい女が答えた。
「そうか」宗智は人垣を掻き分けて入って行った。
目付衆の坂本武兵衛が配下の者を使って、荒らされている屋敷内を片付けていた。宗智を見ると小走りにやって来て、
「宗智様お帰りなされませ。今朝方賊に入られました。見廻りが居りながら申し訳御座いません」
「家の者は誰も居らぬのか」
「信貞様は高遠に、お吟様は信勝君の供をして新府の城に昨日お立ちになったばかりで御座います」
「何か大事な物でも盗まれたのかな」
「信貞様がお帰りになりませぬと分かりません」
「おお、派手に荒らして有るわ」宗智は中を見てあきれた。
「近所の者は移転の為の取り壊しかと思った様で」武兵衛は恐縮している様であった。
近所といっても広い屋敷の事、何が有っても分かる筈がない。
「勝頼殿は館かな」
「館には留守居番だけで御座います」
「この屋敷は引っ越しせぬのか」
「一条様の屋敷と、この屋敷はそのままだそうに御座います」
この屋敷には信玄の供養塔が有るからだと思った。賊は何を目的で忍び込んだのであろう。この屋敷にはそれ程大事な物は無い筈で、有るとすれば江介が祖父信虎より貰った名刀左文字位で有る。それとも、藤原定家が自ら注釈を書き込んだ「伊勢物語」の原本を妻のお吟が武田家の書庫から借り出していたのかも知れない。日頃お吟が見たいと言っていた。宗智は誰も居ない館に行っても無駄になると思い、新府とは逆の恵林寺に向かった。正親町帝から賜うた親書を一刻も早く師の快川に渡したかったからである。恵林寺に帰った宗智は、室伏村の日吉ケ丘でも賊に入られた家が有ると聞いた。江右衛門屋敷だとすぐ閃いた。賊の目当ては財宝の在処を秘めた親鸞の掛軸ではないかと気が付いた。自寺の全応院も狙われたかも知れない。宗智は快川に報告を済ませ江右衛門屋敷に急いだ。夕暮れの日吉ケ丘に愛犬竜の声を聞いた。竜だ、竜に違いない。声を聞いただけで宗智の胸は感激で込み上げてくる。宗智を感知し竜が屋敷から駆けて来る。「竜!」手を広げる宗智の胸に飛び付いて涙を流す竜。顔は白くなっているが足は衰えていない。二十二年、人間の年にすれば百歳近い。子供の無い宗智とお吟にとって竜は子供同然である。
「竜、達者でいたか、よしよし」宗智の眼も潤んで来る。醜い人の世の中に竜と居ると真情にふれ平和を感じる宗智である。
宗智は久し振りに江右衛門屋敷の囲炉裏に姑の美祢と向かい合った。
「信長が攻めて来ると噂が流れていますが真でしょうか」
「信長はその支度に掛かっています。上杉に備え、柴田勝家、毛利には羽柴秀吉、四国の長宗我部には丹羽長秀を、あとは総力を挙げて武田を潰しにかかるでしょう。徳川、北条を加えれば総勢十万は下らないでしょう」
「北条もですか」
「氏政殿も妹が居るので正面には立たぬと思うが。武田には勝目が有りません」
「この婆も覚悟して居ります。その時はお屋形様(信玄)のおそばに参ります。長く生きすぎました」
「義母上、何を申されます。今日まで長らえたのは武田の行く末を見守る為に先祖が守っていたからです。お吟も江介もこの宗智が守ります。武田の血は絶やしません。織田の軍勢が甲府に入った時は全応院に落ちのびて下さい。あの山奥迄は敵も来ないでしょう」
「ここにも敵が来ると思いますか」
「街道筋ですからね」
「村の者は、武田は必ず勝つと信じています」
情勢を知らぬ村人がそう信じている事は、武田の兵達もそう信じている事だと宗智は思った。其の夜、江右衛門屋敷に泊まった宗智は、織田軍が甲斐に攻め込んで来た時の事を想像して眠れなかった。十万以上の敵を相手に勝てるとは思えない。長篠合戦で、指導する立場にあった中堅の将士を多く失い、寄せ集めの兵で何日持ち堪えられるか。領土の外でばかり戦っていた兵が、国内で戦う事になれば、家族や財産を守る為に集団から離脱する者が出るのではなかろうか。統率力に欠ける勝頼の元では有りうる事だ。それに勘定高いのは勝頼の重臣跡部大炊助だけではなく、甲斐領民はそうした考えを少なからず持っている。恩賞目当てに味方を裏切る者も出よう。国が滅びる時は人心も変わる。裏の任務についた時、兄信玄からその事を教えられ、又事実もこの眼で見て来た。諸国の人々と接してみると甲斐人の気質も良く分かる。元亀三年秋、信玄が上洛準備の為、御用米を四郡の百姓総代に集めさせた。一万八千俵がすぐに集まった。一人三分あて九万三十両が支払われた。兄信玄は領民の気質を良く知っているから買い上げたのである。信濃や上野の場合は買い上げではない、借りるのである。それでも喜んで貸してくれる。信玄は後で高い利息をつけて返すからである。信玄でさえそうしてきた。まして、諏訪の出の勝頼にとっては遣りにくかろうと宗智は思っている。同じ甲斐でも虎犬は主が死ねば食を絶ち自ら死ぬと言われる。宗智の脳裏に竜との日々が蘇る。二十二年愛と信頼の結びつきであった。
快川が国師号を賜わり、自らその儀礼に追われている内に天正九年も暮れようとしていた。甲斐の禅界にとって此の上もない喜びであった。しかし一方では武田の命運が尽きようとしていた。和平工作も不備に終わった。快川としては時流を諦観し、それにすべてを委ねるしかなかった。
木曽の興禅寺から祝いの品を送られた快川は、その礼に宗智を木曽に立たせた。宗智は興禅寺の門前で寺から出て来た深編笠を持った武士と出会った。柳生宗厳である。武士は宗智の顔を見ると会釈して急いで立ち去った。宗智は武士の眼を見て、数年前、伊那の駒場、長岳寺から兄信玄の遺体を運んで行った時、出会った武士だとすぐ分かった。上泉伊勢守と関わりが有る御仁だと知っている。案内の若い僧は大和の柳生の方だと言った。柳生宗厳とはあの御仁か。旅先で、新陰流の剣法を編み出そうと上泉伊勢と競っていると噂を耳にした。
「どなたか他に客が見えて居るのですか」宗智が取次の僧に聞いた。
「はい。山村様がおい出になって居られます」
「新左衛門殿が来ているのですか」
「御家老の山村様です」
山村新左衛門なら宗智も知っていたので、会いたいと思ったが、家老の山村とは面識が無かった。木曽義昌の家中で知っているのは山村新左衛門と茅村平右衛門の二人だけである。姪の真理姫が木曽義昌に嫁いで来た時、輿添えとして二人が選ばれた。いわば木曽の見付(監視役)である。家老の山村と柳生宗厳はどの様な関係に有るのであろう。城でなく寺で会うとは何故か。大和と木曽。宗智は福島城に行く道々二人の関係をおしはかりながら歩いた。
暮れには必ず挨拶に見える木曽義昌が今年は来ない。煩っているのか見て来る様、勝頼から頼まれていた。新府城の普請で勝頼は義昌にかなりの負担をかけている。義昌はその事を根に持って恨みに思っているのかも知れぬ。
義昌は福島城には居なかった。夫人である姪の真理の話では国境の砦に仕置に出掛けて行ったと言う。夫人に泊まっていく様に勧められたが、昨夜泊まった日義村の徳音寺と約束して来たので宗智は福島城を後にした。
徳音寺の近く迄来た時、薄暗くなって来た道を武具を着けた三十人位の兵達が福島城とは反対の方角に急いで行った。宗智は戦が始まったのかと思った。城を出で馬場の横を通った時、荷駄が沢山積んであった。それもかなりの量である。そればかりか、街道に面した処に俄造りらしい鉄沓屋が軒並みに建って有る。木曽は馬の産地だからといって、あの様に沢山の鉄沓屋が店を出しては商えない筈である。荷駄の事を徳音寺で聞いてみると、新府城の普請の礼に勝頼が兵糧を送ったのではないかと言う。宗智はその様な事は聞いていない。確かに木曽は山だけで米の収穫は無いと言っても良い。義昌が武田を裏切る?…‥、然も有りなんと思う。高坂弾正でさえ、上杉に通じていたと後になって聞いた。飛騨と美濃の国境警備だけの木曽義昌に織田の誘いが有ったのかもしれない。兵糧は織田方から運び込まれたので有ろう。宗智は疑惑を深めた。
高遠城で元日を迎えた宗智は、二日、甥の盛信が新府城に年賀に行くと言うので同行した。蔦木宿の本陣で佐渡に渡った大久保長安と、はからずも会った。三年ぶりであった。
「長安、どうして居った。案じていたぞ」
「佐渡の帰りに御座います」雲水姿の長安は日焼けして逞しく見える。
「佐渡に一人で渡ったと左太夫から聞いていたが、さぞ苦労したであろう」
「冬の佐渡は寒さがこたえます」
「財宝の在処は見付かったのか」
「財宝とは金鉱山に御座います。これはその川から採取した砂金に御座います」
長安は帯紐の結び目を解いて中から砂金を手の平に出した。黄金色の砂金が手から漏れ落ちる。宗智は驚いた。
大久保長安は三年の間、砂金を採取しながら金鉱山を探し歩いていたのである。親鸞が残した掛軸の謎とは佐渡に眠っている金鉱山であったのだ。大久保長安を佐渡に行かせたお吟に、一刻も早く知らせてやりたいと思った。
新府城では正月早々、金の話題で縁起が良いと喜んでいた。その矢先、木曽から奥方付きの茅村平右衛門が密かにやって来て、義昌が逆心して織田信長についた事を告げた。勝頼始め年賀に来ていた盛信、従弟の信豊、重臣の長坂釣閑、跡部大炊助も驚いた。長坂と跡部は虚言で有ると言って、平右衛門を押し込めて追究した。長安を連れて帰りかけていた宗智が呼び戻されて平右衛門と会った。
「義昌殿は仕置に行ったと於真理が申していたが、御嶽城ではなかったのか」
「岩本城に行ったのです」
「荷駄は何処から来たのか」
「織田からです」
宗智は疑惑が解けた。真理と会った時、何か言いたい様な素振であった。真理は夫、義昌が裏切った事を知っていたのだ。父の信玄も生みの母三條も此の世にいない。同腹の兄の義信が跡を継いでいたのなら、すぐにも知らせたかも知れないが、兄も此の世には居ない。実家と言っても勝頼は異母の兄妹、同腹の兄妹は目の見えない竜宝と穴山夫人だけ。人質として甲斐に居る義母と義妹の事を思って、言い出せなかったのかも知れない。あの折り自分に漏らしていたら、無事木曽福島を出られぬ事を知っていて、自分に言わなかったのかも知れぬ。それ故茅村平右衛門に言い付けて、自分の後を追わせたのに違いない。
「拙僧から勝頼殿に申し上げよう」宗智は勝頼の処に急いだ。
勝頼は緊急軍議を開く為に重臣達を招集した。平右衛門は奥方を守るという約束で帰された。甲信の国境の山々から時ならぬ狼煙が上がった。陣触れである。
近在諸国の隠密達も狼煙を見て国元に走った事であろう。当然、木曽義昌も狼煙に気が付き織田に使いを走らせ、自らも鳥井峠に備えた事であろう。天正十年一月六日の事であった。
勝頼は従弟の典厩信豊に木曽義昌を討てと命令した。信豊は一旦小諸城に帰り、手勢八百を率いて木曽に向かった。
木曽義昌は鳥井峠に陣して信豊勢を迎え撃った。同じ数でも山岳戦になると木曽勢が優勢であった。
鳥井峠で信豊が敗れて退いた知らせを受けた勝頼は、諸将に国境を護らせ、自からは二万の軍勢を率いて諏訪に出陣して行った。途中蔦木の陣屋で、織田軍の先鋒が伊那口に向かっている報を聞いた。
「織田の先手は誰か」報せにきた小笠原源与斎の忍びの者、竜馬の小八に聞いた。
「河尻秀隆と森長可に御座います」竜馬の小八が答えた。
勝頼は織田の先手が来る前に木曽義昌を討っておかなければと思い、諏訪上原城に本陣を置いた。
二月六日、伊那滝沢要害城が城兵の反乱により自落した。勝頼に付いて諏訪に来ていた宗智は、城兵の反乱はこれから先、諸城でも起こるのではないかと思った。軍議を開いても纏まらず、信豊などは仮病をつかい五度の談合も三度しか出ない。宗智は本陣を塩尻まで進める様に進言した。
勝頼の本隊が塩尻峠まで出れば、伊那諸城の兵も気強く裏切りも出ない。上杉景勝に援軍を乞う事になっても、後詰めとして出陣して来るに違いない。このまま諏訪から出なければ上杉の援軍も来ない。強いと思われて来た武田軍が、滝沢要害城の様な無様な負け方はしたくないと思った。しかし勝頼は諏訪から動こうとしなかった。
新府城大手門から毎日の様に早馬が上がって来る。そのたびに各曲輪から留守居の兵が本丸に通じる路に走り出て来て情報の噂をする。
「今の知らせは何処からだった」
「百足衆だから諏訪からだ」
「聞いたか、十四日に松尾城がやられたそうだ」
「飯田城では味方の兵が城を捨てて逃げたそうだぞ」
「大島城では武田信廉様が勝ったそうだ」
「馬鹿、勝ったのではねえ、負けて逃げ帰ったと聞いたぞ。勝頼様に黙って甲府に帰っちまったと」
「織田勢はどの辺まで来ているのだ」
「分からねえ」
兵達は不安そうに集まって来る。又一騎が兵達の間を駆け登って行った。
「おい今のは商人だ」
「素破だ」兵達は馬が駆け登って行った稲荷曲輪の方を見ながら又寄って噂する。
日吉屋伝兵衛は稲荷曲輪の門前で馬から降りると、城番の案内で本丸に走って行った。
「ここで待たれよ」取次の城番が伝兵衛に言った。
取次が奥に行くと、伝兵衛は表に出て辺りを見廻した。新府城を見るのは初めてであった。屋根などは板葺で間に合わせに造った様な感じである。番衆の警備も手薄で大手門を入る時、聞かれただけである。
「伝兵衛殿か」女の声がした。
伝兵衛は慌てて振り返った。お吟が玄関先に立っていた。
「お吟様」伝兵衛は玄関に走って頭を下げた。
「奥へ参りましょう、今日奥方様は武田八幡に祈願に行かれました。伝兵衛殿が来られるからには火急の事でしょう、代わってお吟が承りましょう」お吟は伝兵衛を奥に案内していった。
「穴山様から、徳川勢の動きに付き何か知らせが御座いましたか」伝兵衛が聞く。
「何も聞いておりません」
「やはり来て居りませぬか。徳川家康が一昨日、浜松を出て駿河に向かって居ります。その数約二万、明後日あたりには駿河府中に入りましょう」
「穴山殿は何故知らせて来ぬのでしょう」
「その事に御座います。穴山は裏切ったようです」
「まだ諏訪の勝頼様は知らないでしょう。すぐに知らせなくては」
「それがしが参ります」
「使い番が居ります。伝兵衛殿はお疲れでしょう」お吟は使い番の控え所に急いだ。
本来なれば穴山梅雪は親類衆筆頭として勝頼に付いて行くべきなのに、逸早く駿河に帰ってしまった。「肝要な時に何時も居らぬ」と勝頼が言っていたのを思い出した。
梅雪の夫人は、たわいない事で国に帰ったまま新府にも来ない。梅雪は最初からそのつもりでいたのかも知れない。梅雪の裏切りが他の家臣達に知られると、勝頼を見限り離れて行く者が出るのではないか、使い番には徳川の動きのみ知らせ梅雪の事は歌に書いて持たせる事にした。
諏訪の上原城には伊那方面よりの戦況を知らせる早馬が連日の様に到着する。どの使者の知らせも味方不利の報のみである。
「御注進!」の声を聞いただけで、又かと重臣達も勝頼の元を厠へ行く様なふりをよそって離れる。
「申し上げます。織田信忠、滝川一益、河尻秀隆勢、高遠に向かっているとの知らせに御座います。それから新府よりの使者が参って居ります」使い番が勝頼に報せた。
「すぐこれに」勝頼は何事かと思った。新府からは何んの知らせもないので案じていた。
「申し上げます。十八日徳川家康浜松を出て駿河に進攻中に御座います」
「穴山からの使いか」使い番に勝頼が聞いた。
「お吟様の使いに御座います。これを御大将にとお預かり致しました」
使い番は小さく折った紙片に封印したものを差し出した。勝頼はその場で封印を切って開いて見た。
梅の雪浜吹く風にとけるなり
お吟が書いた句を見て最初何んの句であろうと思った。見ているうちに勝頼の顔色が変わった。梅の雪とは穴山梅雪の事、浜吹く風とは浜松の家康の誘いの意味、とけるなりは裏切った事だ。
「家康の知らせ、誰がもたらした」
「伝兵衛とか申す商人に御座います」
日吉屋伝兵衛だ。本来なら穴山に忍ばせてある目付けが来なければならぬのに、同じ江尻の伝兵衛が来るとは、穴山が徳川に付いた事は間違いない。穴山の裏切りを知ったお吟の即興の句だと思った。他の者に知られぬ為の計らいだ。徳川が出て来れば北条も出て来るで有ろう。西も東も南も皆敵。勝頼は上杉景勝に援軍を要請するしかないと思った。梅雪奴。勝頼は腹わたが煮え繰り返る思いであった。
駿河の田中城を落とした家康が、駿府館に入ると知らせを受けた穴山梅雪は家老の保坂常陸介を呼んだ。
「常陸介、手は打ってあろうな」
「はっ、今頃家康殿、眼を細めて居りましょう。江尻きっての美人ですから」
「明日朝、黄金千枚を届けるのじゃ。駿河半分などとは申さぬ、せめて甲斐穴山領だけ安堵で良い。その様に申し上げるのだ」
梅雪は家康が大の女好きと聞いていたので、家臣市河七郎左衛門の娘を駿府館にいる家康に送った。明日は黄金千枚。江尻城に入城の際は、秋山虎康の美人の娘おまつを自分の娘として披露する準備もぬかりなかった。
柳生宗厳が工作に来ていた頃と情勢が変わり武田が不利になって来た今、これ以上望めば悪い結果になると分かっている梅雪である。総大将は織田信長である。信長の気質を聞いている梅雪は、信長の機嫌をそこなう事だけは慎まなければと思っている。裏切った事を勝頼はまだ知らぬであろう。知ったとて武田には反攻する力もあるまいし、自分が武田を去れば武田は滅ぶ。長篠合戦以後、常にそう思い続けて来た。だが今になってみれば、自分が裏切らなくとも武田の運命は衰退し、新しい勢力に変わるであろう。名門甲斐源氏を残す為にはこれも止むを得ない。血縁からしてみれば勝頼より自分の子の勝千代の方が源氏の血を多く引いている。「甲斐源氏存続の為じゃ」穴山梅雪は呟いた。
梅雪が徳川に寝返った事をお吟からの句で知った勝頼は、その事を重臣達には言わなかった。重臣達の中には、駿河を護る為に江尻に行った穴山から何んの連絡も来ぬので、穴山が心変わりするのでは無いかと思っている者もいた。連日の軍議も、使いの知らせを待っているだけで無駄な時を過ごして成すすべもない。
伊那に残る高遠の城が落ちれば、敵は塩尻、諏訪に攻め込んで来る。味方は自落し、織田勢は捨てた城を拾って来るようなものである。今日又、勝頼を驚かす報が来た。北条氏政が駿河に進入し戸倉城を降し、吉原に陣した知らせである。そうした凶報が入るたびに諏訪の陣から兵達の姿が少しずつ消えていく。郷里に逃げ帰って行くのである。寄親の将達も見て見ぬ振りをする有様である。その様な中にあって、信玄の五男、仁科盛信の守る高遠城だけが強固に持ち堪えていた。
松姫を迎えに行った江介もまだ高遠城に留どまっていた。城の前面は昨日から敵方が付け城を築きはじめた様である。高遠城は完全に孤立して、忍びの者達が南に面する三峰川を利用して諏訪との連絡を取っていた。
今朝方、敵方の大将織田信忠からの書状を携えて使いの陣僧が来た。書状には、木曽、小笠原、下条衆はことごとく降参し大島も自落した。勝頼は昨日、諏訪を引き新府に退いた。誰を頼みに何時迄籠城するのか、開城すれば褒美として黄金百枚を出そう。その様な内容の書状であった。
盛信には勝目の無い戦いだと分かっている。しかし自分は信玄の子として誇りが有り武士として意地も面目もある。城と共に果てると決めていた。だが妹の松姫までも城と共に果てることは忍びなかった。何んとしてでも落ち延びさせたいと思った。
「信貞、頼みが有る」盛信は弟の江介を呼んで言った。
「承りましょう」
「於松と一の姫を連れて落ちのびてくれ、一の姫はまだ三才になったばかりだ」
「信貞は兄上と共に」
「この役目そなたしか居らぬ。於松も一の姫も死なすは不憫じゃ、城を出るのは今日しか機が無い。使いの僧を夕方迄に帰すが、それ迄に立ってくれ。土地の者を案内に付ける。入笠山を越えれば甲斐だ。この城が落ちる迄は敵は諏訪に入らぬと思う」
「土地の者とは百姓ですか」
「山室川にそって二里行けば赤坂という村に出る。案内の者はそこの寺の僧だ。信頼出来る僧ゆえ、案じなくとも良い。信貞も甲府に家臣達を置いて来ているのであろう、葛山にも」
家臣達の事を考えれば帰らぬわけにはいかない。江介はすぐ支度にかかった。
「信貞様、昌行の詩歌で御座います。御宿監物殿にお渡し願えますでしょうか」副将の小山田備中守昌行がやって来た。
家老の監物と小山田昌行が詩歌の友だという事は江介も知っていた。別れの詩歌で有ろうと思った。
「承知した必ず監物に渡し申そう」
「信貞様の武運をお祈り致します。さらばで御座います」
「兄上を頼みます」江介は別れぎわに小山田昌行の手を握った。
昌行は弟の大学も妻もこの城に連れて来ていた。其の日、江介一行は松姫と一の姫を守って城を出た。
「於松、別れになるやも知れぬ、姫を頼むぞ」盛信は馬場口から出て行く松姫に声を掛けた。
「はい兄上」松姫は三才の一の姫の手を引いて馬場から三峯川に通じる小路を降りて行った。曾ての婚約者織田信忠と、同腹の兄盛信が明日は戦わなければならぬ。戦国の無情さに松姫の心は悲しい。落葉して冬枯れの様になった木立が川風に揺れる風景は、松姫の心を更に悲しくさせる。
「姫、急ぐのだ」江介の声が一行を励ます。
一刻後、血だらけの耳を押さえた織田方の使いの僧が、籠城方の返書を持って大手門から追われる様に出て行った。
三月二日未明、織田信忠は攻撃を開始した。尾根続きの搦手には自ら旗本勢を率いて向かい、大手には森、団、毛利、河尻などに攻めさせた。織田勢十二万に対して城方は二千五百人。攻撃は激しく、城方は鉄砲をはじめ、あらゆる武器を持ち出して障害物を並べ、石を投げ、木材を投じ、煮え湯をかけして防戦する。盛信も先頭に立って戦ったが傷つき退って全軍の指図に当たった。
「大手門を開けろ!」小山田昌行が叫んだ。
門が開くと昌行を先頭に弟大学、渡辺金太夫始め五百余人が一丸となって群がる敵の中に突撃して行った。
織田勢は城方一人一人を囲んでは討ち取る。城方は七度も敵陣を切り崩し大手門を閉めた。引き揚げて来た者は小山田昌行以下僅かであった。昌行は傷つきながらも自刃する妻を引き寄せ手伝った。「許せ、後から行くぞ」
織田勢は大手門を破り城内になだれ込んで来た。盛信も昌行も傷付いた体を起こして襲って来る敵を斬り倒す。諏訪勝右衛門の妻は盛信に群がる敵に向かって刀を振りまわす。
「殿!御自刃を!」若衆の一人が盛信に背を向け敵に立ちはだかった。
盛信はあわてず己が頚に刃を当て引いた。春の桜の真っ盛りだった。
勝頼は諏訪を引き、新府城に帰る途中の蔦木で、穴山梅雪が徳川に寝返った知らせを忍びの者から聞いたが、すでにお吟から聞いていたので動揺もしなかった。新府に帰って見ると、城内が混乱していた。補佐役である跡部は途中で脱走し、長坂釣閑も落ち着かず脱走先を見付けている様である。親類衆の小山田信茂と重臣の真田昌幸だけが国元にも帰らず勝頼に付いていた。
三月三日、高遠城から落ちて来た武者が七人、傷ついた体で新府にたどりついた。その者達が語るところ高遠は半日で落ちたと言う。
「信貞と於松も自刃したのか」勝頼が落ち武者に聞いた。
「信貞様は、松姫様と一の姫を守って前日落ちて行かれました」
「何処に落ち延びたのだ」
「存じません」
「無事で居てくれれば良いが」
「諏訪より早馬が到着しました」小姓が知らせに来た。
「これに」
使い番は足音高く入って来た。気が高ぶっている様である。
「申し上げます、織田勢諏訪に入り諏訪社に火をかけまして御座います」
「なに諏訪社を焼いたと申すのか」
「はい」
勝頼の顔に血がのぼった。
「社が焼けるのを見ながら、木曽義昌が北に向かったと土地の者が申して居ります」
「深志城を攻めるつもりでしょう」真田昌幸が横合いから言った。
「己れ木曽義昌、人質の母娘を磔にせよ!」勝頼は目を釣り上げて怒った。
新府城内では最後と思われる軍議が開かれた。勝頼は城に火をかけて落ちると言った。「父上、信勝はこの城を枕に、せめて武田の武士らしく討死しとう御座います」
十五になったばかりの信勝は、それ以上言えなかった。生みの母は信長の血を引いていたので、ひけめを感じているのに違いない。特別に軍議の席を許されたお吟が、けなげな信勝を見て眼頭を押さえた。守役として今日迄育てた竹王丸が、軍議の席に出て初めての発言である。悲しい発言であった。武田の世継として立派だと思った。
「西上野の手前の岩櫃城へ引き籠り、一戦遂げられては如何なるもので御座いましょう。箕輪には内藤大和守殿も、小諸には典厩信豊様も居ります」真田昌幸が意見を出す。
「昌幸殿、それは無理だ。信州峠に出るには長坂迄行かねばならぬが、敵は諏訪から甲斐に向かっている。途中敵の先衆と出会うかも知れぬぞ。それより岩殿城に一時お退きになっては」小山田信茂が真田の意見に反対する。
「叔父上、積翠寺の要害城はどうじゃ」勝頼が宗智を見て言った。
「この時の為に父が築きました城ですが、父の頃は敵もせいぜい一万か一万五千、十八万からの敵に攻められれば半日も持ちませぬ。それに積翠寺から多良峠を落ちましても、帯那山を通り黒平峠を越え、国境の大弛峠を越えれば信州の川上村に出られますが、この季節では峠は深雪にて馴れたる者でも越える事は出来ません。信勝殿の申す通り、この城にて最後の花を咲かせましょうぞ。兄信玄のお遺言通り信勝殿に家督を譲りなされば、勝頼殿もお気持ちが楽になりましょう」
宗智に言われる迄、家督の事は忘れていた勝頼である。
「そうであった、一年早いが信勝の環甲の礼をこれより挙げよう。昌恒、楯無の鎧をこれに」
「はっ」土屋昌恒が床の間の鎧を下げて来た。
「お吟叔母、信勝を手伝って下され」勝頼がお吟を見た。
軍議の席がにわかに環甲の礼に変わった。環甲の礼は武田一門の惣領職相続につぐ重要な儀式で、嫡子が元服した際、家宝の楯無の鎧を着用して臣下に世継ぎであることを公表するものである。礼の師は武田家と盟約を結ぶ友邦国の大名か、京の公卿が当っていた。信玄の元服式には京より勅使が下向し、従五位下大膳大夫兼信濃守に任ぜられた。
その四十年後の今、孫の信勝は祖父筋に当たる信長に追われ、落城直前で形の違った元服をした。
軍議は小山田の意を入れて岩殿城と決まった。小山田信茂はこの城と運命を共にしようとは思っていなかった。この城には母もいる、岩殿城に行けば助かると思っている。
「勝頼様、急がねば今日中に甲府に入れませぬ」小山田信茂は礼が終わるのを待ちかねて勝頼を急がせた。
「心残がせぬ様、城を焼いて甲府に参る」勝頼は決意した。
一方、江介に守られた松姫一行は、釜無川の円井の里で陽が暮れてしまった。新府城は一里先である。山ばかり歩いて、姫達は疲れて歩くのもやっとである。韮崎の方角の空が赤く見える。誰の眼にも火事だと分かった。
「あれは新府城の方角では」石黒八兵衛が指差して言った。
「城が燃えているのだ」江介が言った。
「どうしましょう兄上」松姫は不安そうに江介を見る。
「この先に宗泉院という寺が有る。そこまで参ろう」
「信貞様、八兵衛が見て参ります。先に寺に行って下さい」
八兵衛は夕闇の街道を走った。橋を渡って左に坂道を登ると七里岩の上に出た。新府城が燃えているのがはっきり見える。城は敵の手に落ち味方は崩れたと思った。それにしては敵の影が見えぬ、八兵衛は明かりが見える農家に行って声をかけた。
「あの火事は城の様だが、敵が来たのか」
荷造りをしていた百姓が驚いて振り返った。
「甲斐の者だが、あの火は新府城か」
「そうだ。お前様はどっちから来た」
「高遠から落ちて来た」
「今朝も高遠から落ちて来た侍が何か食わせろと寄った。もう荷造って何も食わせる物はねえ」
「物乞いではない。様子を見に寄ったのだ。まだ敵は来ぬのだな」
「織田は本当に来るのかね」
「来る。城に火を付けたのはお味方か」
「勝頼様が火を付けて甲府へ行ったそうだ」百姓は又荷造りを急ぐ。
「馬を欲しいのだが、売ってくれる者はいるかな」
「俺達も荷物を運ぶのに困っている。昼間、城の侍が来てみんな馬を集めて行った。川向こうに行けば手に入るかも知れんな 」
八兵衛は戻る途中で馬を一頭見付けて街道に出た。街道沿いの家はみな空家になっており人影もない。振り返ると新府城の炎が夜空を赤く焦がしていた。
その頃、勝頼は甲府にたどり着いて一条信竜の屋敷に入った。甲府に残っていた江介の家人達が、半手衆等と炊き出しをして一行を迎えた。其の夜は一条屋敷、江介屋敷や付近の寺に分散して一夜を過ごす事になった。旗本達は一晩中、篝火や薪を燃やし不安の気持ちで警戒に当たった。夜更けに一条屋敷から戻って来た宗智を迎えて、お吟は奥の間に入った。
「江介と於松はまだか」宗智は戻ると先ずその事をお吟に聞いた。
「はい」
「明朝、岩殿城に向かうが、お吟は信勝殿に付いて行くが良い」
「お前様は」
「ここで江介達を待って後を追う」
「明日中に笹子峠を越えられましょうか」
「女子供の足では無理ではないか、念の為、大善寺には使いを出した」
「室伏の母上は大丈夫でしょうか」
「三郎を恵林寺と室伏に走らせた。万が一の時は全応院に行く様に言って有る」
「岩殿城から先は何処に抜けられます」
「岩殿城に籠っても敵は大軍、長くは持ちこたえられぬ。お吟、信勝殿を送ったなら、そなた京に行け」
「一人ではいやで御座います。お前様と一緒ならお屋形様(信玄)の元なりと」
「京から戻る時、陽光院様と約束したのだ。お吟は必ず守ると」
「陽光院様はその様な」
「お吟を甲斐に遣ったわ、この陽光院じゃと申された。お吟は果報者よ、院のお心に報いねばな。疲れたであろう、もう休むが良い」
「お前様は」
「積翠寺に行って見る。夜明け迄には帰る。江介と於松が案じられてな」
宗智は荻原弥右衛門を江介屋敷の警戒に残して、三枝政長と武井政介を連れ積翠寺に急いだ。途中何組も離脱して行く兵達と会った。やはり思った通りである。離脱者を説得して要害城に引き止める役を日向玄東斎に頼んでおいた。
一度離脱した者は勝頼の元に置いても又逃げ出すであろう。宗智はこの者達に惨めな思いをさせたくなかった。戦わなくとも良い。見せ掛けの囮になって敵を要害城に引き付ければそれだけで良いと思っている。積翠寺は、離脱して来た兵士でごったがえしていた。
「待ってくれ、聞いてくれ」日向玄東斎が兵士達を制していた。
城番の駒井次郎左衛門も、離脱兵士の一人一人に松明を持たせ要害城に登る様に説得している。
「御苦労であった。松明を持って行ってくれ。本丸で夜食を用意して有る」
次郎左衛門の家臣達が多良峠に登る峠道と、深草観音に通じる道を塞いでいるので、離脱組はいやでも要害城へ登らなければならないのである。宗智は積翠寺から夜の甲府を眺めた。闇の彼方に無数の篝火が小さく点の様に見える。甲府に不安の一夜を明かす武田の将兵だ。明日になれば甲府の街は人間雪崩のように大変な事態になるであろう。篝火を見詰める宗智の脳裏に様々な事が去来する。
不安の一夜が明けた。勝頼一行が甲府を後に東へ向かって行った。甲府に着いてすぐ伝馬三百匹、人夫五百人を国中へ割当ててあったが、その者達は山野を逃げ惑って一人一匹も甲府には来なかった。
奥方は輿のはずであったが、一夜の中に担ぎ手も逃げてしまった。仕方なく馬に草鞍を置いてお乗せする。家臣の多くは女房子供を連れて山に逃げ、地方出の者は郷里の山奥に逃げた。領民達の中には騒ぎにまぎれ空家に押し入り財宝をかすめる者もいる。
混乱の中を勝頼に付いて行く者は五百人足らず、しかも女子供が多い位であった。里垣の善光寺の門前を通る時、供の男女は一様に手を合わせ、「我らを極楽浄土に迎えさせ給え」と祈った。
「次郎、そなたは善光寺にて信貞と於松を待っていよ。わしは勝沼まで行く。何か有った時は恵林寺に走れ」宗智が江介の又従兄弟の武井次郎に命じた。
「はい。承知致しました」次郎は善光寺に踏み止まった。
兄の政介は積翠寺に、広瀬三郎は東光寺に、岩窪の屋敷には荻原弥右衛門を、信貞と松姫が立ち寄りそうな所には、それぞれ信貞の家臣を残して、宗智は勝頼の後に付いて行った。岩殿城に無事行き着けても勝頼親子は助かる見込みは無い。城と運命を共にするであろう。盛信が果てた今、信玄の血を引く男子は竜宝と江介しか居ない。信長は眼の見えぬ僧竜宝でも容赦しないであろう。江介だけは何んとしてでも助けたい。お吟共々京に逃れさせよう。国に居れば恩賞欲しさに訴える者もいる。「お吟は禁裏より遣わした者、如何なる事態に至りても守護せよ」宗智は陽光院のお言葉を思い出した。お吟を守る者は自分と江介と一部の家臣しか居ない。宗智は道々その事を考えていた。昨夜は江介と松姫を探して一睡もしていない。笛吹川を渡ると、三枝政長を恵林寺に行かせた。甲斐禅寺の住持の多くは快川の元に集まって居ると、長禅寺に立ち寄った時、聞いていたので、老師快川和尚の事は心配ないと思ったが、使いの者として政長をやった。
日暮れ近く一行は勝沼の柏尾山大善寺にたどり着いた。甲府を出る時、家臣達の多くが居なくなっていたので、出発に手間取り、笹子峠を越える事は出来なかった。
大善寺は聖武天皇からの寺号(柏尾山鎮護国家大善寺)と御宸筆を受けて以来、代々皇室の祈願所として武家の棟領達の手によって保護されている名刹である。信長といえども大善寺には手を下すまい。一行の多くはそう思っていた。
真田昌幸は新府で別れ、小山田信茂は勝頼を岩殿城に迎え入れる支度といって、昨夜の内に甲府を立っていた。
勝頼は側近の旗本三百人と女子供五十人と共に、大善寺の薬師堂で一夜を明かす事になった。武田の運命もこれ迄と感じとった十九才の奥方は、心も重く沈んでいる。その様な奥方の為に、あえて真田昌幸の進言も入れず、岩殿城を選んだのは、郡内(都留市)が奥方の実家に近いからで、万が一の時を考えて実家に逃がしてやりたいと思う計らいからである。
三月六日、大善寺から一里先の駒飼に先に立った小原丹後守は、小山田信茂の連絡を待っていたが、半日経っても何も連絡が無かった。丹後守は痺れを切らして家臣の中から足の丈夫な者を選び笹子峠を見に行かせたが、日暮れに成ってもその者達は帰って来なかった。大善寺の勝頼の元に使い番の小山田弥助が駒飼から駆けて来た。
「申し上げます。小山田信茂様の使いの者は参りません。小原殿は今宵駒飼にて使いの来るのを待つとの事で御座います」
「誰ぞ見にやったのか」
「はい。物見の者を行かせましたが戻って来ませんでした」
勝頼は峠を見に行った小原の家人は逃げたのだと思った。一夜明ければ又何人かが離脱する。織田信忠の軍勢が何処まで進んで来たか物見を出したが、その物見も二組とも今だに戻って来ない。今日あたり新府城に来ているであろうと思うと気が急く。
「明日は笹子峠を越えようぞ」勝頼は自分に言い聞かせる様に言った。
その日、安土城を出て岐阜城に入った織田信長は、高遠城で討ち死にした武田盛信の首級を実検した。そして長良川原に晒させた。
勝頼から援軍の要請を受けていた上杉景勝は、家臣の斎藤朝信を信濃長沼に出陣させたが自らは春日山城を動かなかった。
朝から降り出した雨は、夜になると増々激しく降り続いた。足止めされた大善寺の勝頼の元に、明け方武井次郎が使いで来た。次郎は戦ったらしく生々しい返り血を浴び、手傷を負っていた。
「申し上げます。昨夜我が殿、信貞様、松姫様、盛信様の一の姫様を守り善光寺に入られました。殿の下知をお待ちで御座います」
「信貞も於松も無事であったか、そちの名は」勝頼が痛々しい次郎に声を掛けた。
「武井次郎に御座います」
「次郎、これより急ぎて信貞に申せ、松姫を守り、どこぞ身を隠す様この勝頼が申していたと伝えよ」
「はっ、かしこまりました」行き掛けた次郎に勝頼が声を掛けた
「途中織田勢と合わなかったか」
「石和で敵の物見二人と出会いましたが斬り捨てました」
「早く行け、信貞が危ない」
「はっ」次郎は薬師堂を出て石段を降りて行った。敵の物見を斬った時、受けた足の傷から又血が流れ出して来た。
「次郎、おまちなさい」お吟が次郎の後を追って来た。
「次郎、手傷を負っていますね、手当をせぬと」
「大丈夫です、これしきの傷」
お吟は持って来た晒し布で傷口を結わえながら、
「全応院に落ちる様に言うのです」
「次郎、命にかえても殿と姫をお守りします」
「頼みましたよ、次郎、死んではなりませぬ」
お吟は馬に鞭打って駆けて行く次郎の姿が小さくなるまで石段に立って見送っていた。又従弟の次郎が今日ほど逞しく見えた事はなかった。笑顔が江介と似ている。松姫の侍女絹と添わせてやろうと思っている。
次郎が善光寺の門前まで来ると、西の方に織田の先手と思われる旗が見えた。次郎は見付からない様に、少し引き返すと小路に入って善光寺に駆け込んだ。
「殿、敵の先手と思われる軍勢が迫って居ります」
「どのあたりか」江介が次郎の声を聞いて本堂から出て来た。絹も出て来て次郎を見る。
「金手あたりかと思われます。勝頼様一行は大善寺にて雨をしのいで居りました」
「お吟叔母も一緒か」
「はい、勝頼様は、姫様を守り、どこぞ身を隠す様に申されました。お吟姉上様は全応院に行く様に申されました」
「分かった。これより立とう」
「表から行くと敵に気付かれます。裏山をお行き下さい。山に向かって尾根伝いに行くと八幡村の水口に出られます」
「次郎は行かぬのか」
「この傷では足手纏いになります」
「傷を負っていのるか、次郎」
「殿、その姿では目立ちます。白い陣羽織だけでも次郎がお預かりします。これより先、武井江介と元のお名を」
「分かった、全応院で会おう」
「しばらくここに止まり後から参ります。お急ぎください」
「次郎捕まるなよ」
「さらばで御座います」
江介は松姫を急かせて裏山を登って行った。途中振り返ると、今登って来た山裾から煙が上がっている。織田軍勢の姿が盆地のあちらこちらに小さく動いているのが見えた。
「信貞兄様、あれは」
「東光寺が焼けているのだ。善光寺は敵に囲まれているぞ」
「次郎様は大丈夫でしょうか」絹が次郎を案じて言った。
「次郎の事だ、案じる程の事もなかろう。急がねば今日中に全応院には行き付けぬ」
江介は一行を急かせた。別れぎわに言った「さらば」の言葉が江介には気懸かりであった。次郎は一行を逃がす為の囮になるつもりで居たのかも知れぬ。武井姓を名乗れとは自分の身代わりになる心算か、笑顔が自分とそっくりだと誰も言っている。
急な山路で姫達の苦痛に耐える荒い息づかいが聞こえる。次郎死ぬなよ。江介は又振り返った。
河尻秀隆の軍勢が善光寺境内に続々と入って来る。善光寺に陣を置くのであろう。
「武将らしき者一人捕らえまして御座います。如何致しましょうや」
馬から降りた秀隆の処に同心らしい武士が走って来て告げた。
「一人か、他に誰もおらぬのか」
「はい」
「その者をここに連れて参れ」
程なく片足を引きずった陣羽織の武士が、縄をかけられ引かれて来た。江介の陣羽織を着た次郎である。
「落ち武者か、名を名乗れ」河尻秀隆が次郎を見据えた。
「葛山信貞」次郎は河尻秀隆をにらんで言った。
「信玄の六男信貞か」
「いかにも」
「勝頼はいずこに居る」
「高遠から落ちて来たので、勝頼兄の事は知らぬ。盛信兄の最後を聞きたい」次郎は河尻秀隆につめ寄った。
「盛信は流石信玄の子よ、見上げた死にざまであったわ」河尻が言った。
聞いた次郎が河尻秀隆の顔を見て微笑んだ。
「何故笑った」秀隆は馬鹿にされたのかと思って怒って言った。
「兄を褒めて頂き、嬉しゅう御座る。早く首を打たれよ、冥土の土産にその方の名を聞いておこう」
「河尻秀隆だ」
「河尻殿、冥土で会うぞ」次郎が又笑った。
取り囲んで居る者達は信貞が狂ったのではないかと思った。次郎は、見破られまいとして江介に成り切っている内に腹がすわって来た。次郎は声を出して笑った。
「気色悪い、早よう斬れ!」河尻秀隆は言い捨てて本堂の方に去って行った。
織田の甲斐追討軍は甲府盆地に侵入した。街は人馬で埋まり、兵達は若い女を見れば捕らえて犯し、落武者と見れば手当たり次第斬った。盗み、強姦、狼藉の限りを尽くしたのである。織田信忠の布陣している一条屋敷には、伝令や物見がしきりに出入りする。
「申し上げます。河尻様善光寺にて葛山信貞を捕らえ討ちまして御座います」
「信貞も討ったか、勝頼はまだ見付からぬのか」信忠が言った。
「物見がまだ戻って居らぬ故」滝川一益が横から答える。
「恵林寺、向嶽寺はどうであった」
「立寄った形跡は御座いません」
「要害城は」
「もぬけの空で御座います」
「勝沼の大善寺には行って見たのか」
「柏尾山に入れば大殿の御勘気にふれますので」
「何故に」
「若殿にはお聞き及びで御座いませぬか、如何なる身分の者といえども、柏尾山境内で乱暴狼藉を働いてはならない。山林竹木伐採を許さず。これは大殿の命令で御座います」
「乱暴や木竹を切らなければ良いであろう、陣僧を物見に出せ。武田一族の者は僧であれ女であれすべて捕らえよ。手にあまれば斬れ」
無情なところは父信長によく似ている。家康や北条氏政が甲斐に入る迄に、完全に甲斐を制覇しておきたい焦りが見える。これも総大将の父信長がまもなく甲斐に入ると信忠は思っているからである。
三月十日、昨夜武田一族の左衛門が人質の小山田信茂の母を連れて大善寺を逃げた。その騒ぎで勝頼は仮眠も出来ず朝を迎えた。
「殿、小宮山内膳が参って居ります」
「内膳が予を討ちに来たのか」
「殿最後の戦いに参陣すると申して居ります」
「参陣と申したのだな」
「はい」
勝頼は急いで薬師堂を出た。小宮山内膳は堂の縁に控えていた。
「殿、御勘気を蒙りし身なれど、殿の供を仕りたく参りました」
小宮山内膳はやつれた勝頼の姿を見ると眼を潤ませて言った。
「内膳よく来てくれた。嬉しく思うぞ」
長坂、跡部、秋山等の重臣と仲が悪く、勝頼から勘気を蒙っていた小宮山内膳が、逃亡する者のみ多いなかに一党を連れ参陣したのだ。勝頼にしてみればこんなに嬉しい事はなかったのであろう。
「殿、聞くところによりますれば、徳川家康は穴山と共に甲斐市川に入ったとの事で御座います」
「当てにしていた穴山が予を討ちに、閉門したそなたが駆付けて参るとは。落ち目になった時、来てくれるのが本当の友と父が申されていたが、予はそなたの様な良き家臣を持って幸せだ。許せよ内膳」
「もったいのう御座います」
「あそこに居るのは母と妻であろう」
「はい、供をさせて下さりませ」
「又七近こう参れ」勝頼は縁の端に控えている内膳の弟小宮山又七を手まねいて言った。 若い又七が走り寄って控えた。
「又七、これより母と姉を護り落ちよ」
「殿、お供しなければ侍の道理に背きまする」内膳が言った。
「主命じゃ」勝頼が強く言い切った。
内膳を嫌った長坂も跡部も秋山も七日前に脱走した。その事を思うと、内膳の母や妻を道連れにしては内膳に対して面目がたたないと勝頼は思ったからである。
十一日、暁、勝頼一行より一足先に大善寺を立った宗智とお吟夫妻は、大久保長安に武田の御旗と盾無し鎧を持たせ、柏尾山麓を西に向かい自寺全応院に逃れる途中、織田滝川軍の物見らしき一団を発見し、勝頼に知らせるために引き返した。しかし勝頼一行は立った後であった。自寺に逃れるには道の無い尾根伝いを牛奥に向かって行くしか無かった。尾根の頂から東南を望むと、半里先の谷間道を勝頼一行らしき人影が見える。
「お前様、あそこを行くのが勝頼様一行では」お吟が見付けて指差した。
「あれがそうだ、無事に行き着けるといいが」宗智は一行に向かって合掌し頭を下げた。お吟も長安も一行の無事を祈った。東の沢に日川が蛇行し、その向こうの小さな集落の中に、武田縁の天目山棲雲寺が見えた。半里下がった日川添いに田野の集落が見える。三刻後に此処が武田終焉の地に成ろうとは、宗智もお吟も思っても見なかった。
勝頼は大善寺を出て駒飼に着いた。駒飼に止まっていた小原丹後は、小山田から連絡が未だ無いと報告した。敵、滝川一益の手勢が甲府を立って甲州街道を東に向かっていると聞いた勝頼は、もはや笹子峠を越えるしかないと、自ら峠に向かって急な道を歩いて登って行った。一行が峠近くに来た時、行手に鉄砲の音がした。
「小山田の裏切りだ!」先頭を行った兵が叫びながら下がって来た。
小原丹後も引き返して来て、
「殿、小山田が裏切りました。ひとまず駒飼迄お引きなされ」
一里の山路を一行が駒飼まで引き返して行く。はるか笛吹川の方角に織田軍の旗が小さく見えて来た。
「殿、岩殿城はあきらめなされ。日川の谷を二里行った処に武田ゆかりの天目山棲雲寺が有ります。天嶮といい一戦するに足りる足場、ひとまずそこまで参りましょう」土屋惣蔵が言った。
夜明け前、御旗と楯無鎧は宗智とお吟に持たせ落ちて行かせたので、勝頼にしてみれば身軽な気持ちで、土屋惣蔵の進言通り棲雲寺行きを決意した。
心残りは、妻も宗智に頼んで行かせたかった。笹子峠が越えられぬと初めから分かっていればそうしたであろう。
駒飼を引き返し、日川に沿って一行は登った。従う者は僅か百人、武士は五十人に足りない。勝頼はじめ武士は馬を降り、代わりに女子供を馬に乗せ渓谷の路を登って行った。
田野を過ぎると急流に沿った路は険しく、馬を捨て一行は歩いて竜門の竜が見える処まで来た時、恩賞目当ての土民をあやつる牢人によって行く手を遮られた。
「この様な事になろうと知っておれば、韮崎の城でどうにでもなった。この様な野末に屍を晒すは無念じゃ」勝頼は惨めさを隠し切れなかった。
「もはや後もどりより方途は御座いませぬ。惣蔵ここにて殿を務めます。今の内に早く御引きなされ」
「惣蔵さらばじゃ」
「どこまでも落ちのびなされませ」
勝頼一行を再び田野へ戻した土屋惣蔵は、一人しか通れぬ絶壁の岩角に立って敵を待ち伏せた。藤蔓を片手に、寄って来る敵を片手で斬り日川へ蹴り落とす。惣蔵は夢中で数え切れぬ程斬り、突き、蹴った。斬っても斬っても新たな敵が来る。
「ここにいたぞ!」頭の上で声がした。惣蔵は上を見た。
大きな岩が落ちて来て惣蔵を連れて行った。惣蔵の体は激流に消えて見えなくなった。
女連れの一行が曲り沢まで来ると、川下の水野田を滝川一益の軍勢が登って来るのが見えた。老女が其の場所に座ってしまった。それを見た女子供達もそれに習った。
「皆の者、これまでだ。勝頼と共にいさぎよく参ろう」悲愴な声であった。
勝頼が沢を曲がり切ったとき、「お屋形様さらばで御座います」老女の声が聞こえた。
子供が泣き叫ぶ声、哀れな絶叫が河瀬の音に空しくかき消されていった。
「戦とは酷きものよ。許せよ」勝頼りが呟いた。
「殿、我等は高畑に敵を引き付けます。その間にこの丘にて御最後を!」
勝頼に促した小宮山内膳は、丘の前をわずかな手勢を率いて丘の東にある高地に走って行った。
勝頼は田野の氏神社らしい丘に登って振り返った。妻と信勝と従兄の麟岳和尚、温井常陸介の四人だけであった。最後迄付いていた女子供の姿は無かった。途中の崖から飛び降りて自害したのだと思った。
小さな沢を隔てた東の畑で、小宮山内膳、武井新衛門始め、わずかな家臣達が、多勢の敵と戦って居る有様が木立の向こうにちらついて見える。下を見れば滝川勢が続々と押し寄せる。鉄砲音にまじって激する声が身近に聞こえて来る。
「和尚、疲れたのう」勝頼はかたわらの石に腰を下ろした。その時鉄砲を持った兵が二人登って来て、三間位の処から一斉に撃った。弾は勝頼をさけて信勝の足に命中した。麟岳和尚が走って行って二人の兵を斬り倒した。
「勝頼殿、早く」和尚が叫んで後ろを向くと、夫人は守り刀を抜いて口に含みうつむきに伏した。和尚は倒れた信勝をかかえ起こすと、
「信勝殿、和尚と共に参ろうぞ」
信勝は麟岳和尚に支えられ、父、勝頼を見た。父の悲壮な顔は苦悩から解放された様に爽やかに見えた。
勝頼も信勝を見た。まだ童顔の残っている信勝の顔が悲しく痛ましい様に見えた。そんな信勝に勝頼は首肯いて見せた。
信勝は刀を抜くと、左手で和尚の肩を握り締め差し違えた。それを見届けた温井常陸介が、勝頼の後ろに廻ると大刀を抜いて構えた。「介錯仕ります」常陸介の悲壮な面が涙していた。勝頼は腰刀を頚に当て、静かに眼をつむった。山桜の花弁が夕暮の木立の中に散っていった。時、天正十年三月十一日。勝頼三十七才、信勝十五才、夫人は十九才であった。
信玄の次男で盲目の次郎信親は、信州海野城から甲府の長元寺(現、入明寺)に匿われていたが、武田滅亡を悟り、前妻(穴山梅雪の娘)との間に生まれた男子信道(顕了、長延寺の跡取り)を伊那の犬飼村に逸早く逃亡させていた。盲目故、武田の為に何も出来なかった自分を悔やみ、せめて武田の正統を残す為の計らいで有ると考えたからであった。その夜、田野での悲報が伝わると、長元寺境内で自刃した。竜宝は四十二才の穏やかな生涯を切腹という形で閉じた。住職の栄順は織田方の武田狩りから遺骸を隠すために寺内に埋め、紅梅を一本植えて墓標としたのである。
二 課せられた使命
宗智とお吟が全応院に帰り着いたのは、日の出少し前であった。出迎えた犬達を見て、美祢と作吉が来ている事がすぐ分かった。歓喜した竜が宗智とお吟に代わる代わる飛びつく。白の姿も見える。連れて来た大久保長安に若犬の黒狼が吠えた。
「仲間だ、よしよし」宗智が犬を宥めた。
宗智の声を聞いて作吉が走り出て来た。
「よう御無事で」安堵した作吉の顔がすっかり老け込んで見えた。
「江介達は来て居るか」
「皆様御無事で昨夜落ちて参られました」
「それは良かった。変わった事は無いか」
「はい」
「作吉、しばらく表を見張っていてくれ」
宗智はお吟と長安を先に入らせ、用心深く周囲を見廻してから入っていった。
囲炉裏の間から尼僧が立ってくる。美祢であった。
「宗智様、お吟…‥」
「母上」お吟は美祢を見ると張り詰めていた気持ちがゆるんで涙がこみ上げてきた。
「よう御無事で」美祢が上がり端でお吟の手を取る。
「江介達は」宗智が奥に目をやる。
「地下屋にて寝て居ります。ここ数日眠っておらぬ様で。勝頼様は如何なされました」
「今頃は笹子峠を越えて岩殿城に向かわれていると思います」
「無事落ち延びて下されば良いが‥…此の櫃は楯無鎧では御座いませぬか」長安の背負っている鎧櫃に目を止めて驚いたようである。
「御旗も入って居ります。それからこちら大久保長安」
「お名前は聞いて居ります。江介の婆、お吟の母じゃ、さあ、こちらにお上がりなされ。粥など進んぜよう」
「母上は何時髪を下ろされたのです」
「此処に来る前、快川様に恵照尼という法名を授けて頂きました。宗智様から言われた通り、食糧その他、作吉に運び込ませて有ります。落ち着くまで此処にて忍びましょう」
織田信長は武田縁故の者をどこまでも捜し出すであろうと宗智は思った。信長のやり方を知って居るだけに、この全応院も安全とはいえない。お吟が見付けた大石の場所で、交代で見張る事にした。そして黒狼を連絡に使った。
翌日の昼、東光寺が焼かれた時、裏山に逃げていた三郎が様子を知らせに来た。勝頼一行が棲雲寺に逃れる途中、田野で自刃した事を告げた。小山田が裏切ったのだと、宗智は思った。
「殿が善光寺で捕らわれて討たれたと噂が広まって居ります」
「次郎だ。わしの身代わりになったのだ。あの時連れて逃げればよかった」江介は悲しかった。
「織田は、出て来た者は召し抱えると触れを出して居ります」
「それは罠だよ三郎。政長、政介が恵林寺に潜んでいる。夜に形を変えて此処に来るように言っておけ。そなたは母と村の山に隠れるのだ。すぐに立て」
「はい。今後の連絡場所は何処に致しましょうか」
「此処で良い。母を此処に連れてきても良いぞ」村の山に居るより顔見知りが居ない、此処の方が安全だと宗智は思った。
武田の家臣を信長が寛大に受け入れる筈がない。宗智はそう思っている。それ故、荻原弥右衛門を駿東郡の葛山に行かせ、江介の家臣達に警告させた。七日目の昼。犬の黒狼が長安の知らせを見張り場から運んで来た。織田勢らしい七人が、大滝不動の下を登って来る知らせである。敵が大滝不動に来る迄に始末しなければならぬと宗智は思った。
「江介、八兵衛、儂と来い。敵は七人だ。他の者は地下屋に隠れておれ」
三人は大滝不動に向かって走った。宗智は走りながら、
「八兵衛、人を斬った事が有るか」と聞いた。
「八幡村で恩賞目当ての土民を二人斬りました」
「八兵衛は一人だけ斬れ。後の六人は儂と江介で斬る」
人を斬った事のない叔父が斬る心算でいると江介は思った。途中の水場で刀の柄に湿りをくれた。大滝不動まで来ると、石段を登って行く七人の後ろ姿が見えた。宗智が隠れろと、無言で指示する。三人は木立の中に身を隠して身構えた。
「早く降りろ」石段の上から怒鳴る声がした。
七人が夫婦らしい者を縛り上げて石段を降りて来る。縛られている男の方は武士らしいが見覚えが無い。七人は宗智達に気付かず行ってしまった。
「夫婦者であろう、見覚えがあるか」宗智は小声で二人に聞いた。
江介と八兵衛は首を横に振った。
「此処まで敵が来るとは安堵出来ぬな」
「叔父上、全応院は武田縁の寺故、必ず敵も探し出すでしょう」
「於松を逃さねばならぬな」宗智は戻りながら考えた。
自分達が全応院に来ているのを、先の夫婦は見ているかも知れない。あの者が口を割れば敵は必ず来る。武蔵に逃れるより他に行く処なぞ無い。北条領なら信長も手が出せぬで有ろう。大菩薩峠を越えて行く処で、知り合いといえば八王子の金照庵。向嶽寺縁故の寺で一度行った事が有る。そうだ。そこに松姫を逃がそう。宗智は戻ると作吉を見張りに残して書院に一同を集めた。江介、松姫、美祢、石黒八兵衛、大久保長安と五味伝之丞、姉の絹の七人であった。
「明日、武蔵の金照庵に松姫を連れて逃れる。信長の元に居るより北条の庇護を受けた方が安全じゃ。儂はこれより向嶽寺に行き、書状を頂いて来る。それまでに支度をしておいてくれ」
「御旗と楯無はどうするのですか」江介が聞く。
二品を受け継ぐのは、今は江介唯一人である。敵の手に渡したくないと宗智は思った。
「御旗と楯無は国の外に持ち出す事は出来ぬ。地下屋に置いて参ろう。母上とお吟と作吉の三人は犬と共に残れ。万が一の時は大石の有る見張りの場所に隠れろ。あそこなら見付かる事はない」
皆に旅支度を急がせて、宗智は於曾の向嶽寺に急いだ。裏街道には織田勢の姿は見えないが、村の辻々に三郎が言った高札が立てられてあった。どの家も戸を閉めて人影も見当らない。勿論畑にも。村中を野良犬が餌を求めてうろついている。野良犬を見て狼の事を思い出した。信玄在世の時、大菩薩嶺を越え、石丸峠から牛ノ寝の尾根を小管村に出た。途中の狼平で、狼の声を聞いた事が有った。狼煙に使う狼糞を集める為の小屋で一夜を明かした事が有った。あの時の夜は満月であった。宗智は昔に思いを馳せた。明日もその尾根道を行かねばならぬ、明日は満月だ。今でも狼が居るであろうか。前方に向嶽寺の森が見えて来た。織田勢の一隊が村の中を駆けて行くのが見えた。
向嶽寺には織田兵の姿はなかった。逃亡先から出て来た武田の家臣等が、笛吹河原で多勢殺された事を学僧の一人から聞いた。やはり、思った通りであった。夜になって政長、政介が百姓姿で全応院に来た。其の夜は松姫との別れの為に一同が書院に集まって名残を惜しんだ。松姫が生まれた夜、兄信玄と大きな流星が此の地に降ったのを見た。その隕石で本尊を作り、兄は全応院を宗智に開山させた。松姫の幸せを願って建てた寺が、松姫の為に役立つとは不思議な因縁である。
夜明けを待って一行は険しい山路を登る事にした。松が長年飼って来た犬の白と松の悲しい別れを宗智は見るに忍びなかった。
「姫、白も連れて行こう。竜、お前も供をしろ」
犬達も宗智の言った事が分かったのであろう。見送りのお吟の手を離れて駆け上がって来た。途中で松姫は後ろを振り返った。美祢達三人が手を振っているのが見えた。大菩薩峠までの路は険しい。白は途中で動きを止めてしまった。伝之丞が白を抱き抱えて登る。江介に手を引かれた松姫も足が痛むようで有る。
「姫わしが背負ってやる。肩につかまれ」
「でも江介が大変でしょう、何んとか歩けます」
「武蔵までは遠いのだ、無理をするな。早くしないと皆から離れてしまうぞ」
待っている江介の逞しい背に姫は身を委ねた。忘れもしない十一才の秋だった。江介と恵林寺の裏路を歩いた時の事を松姫は思い出した。放光寺からの帰り路で江介に赤トンボを捕まえてもらった。あの時「大菩薩に連れてってやる」と江介は言った。落人として大菩薩峠に登るとは夢にも思わなかった。兄を殺し、武田を滅ぼした敵将が、かっての許婚とは、何と皮肉な定めであろう。信忠への憎しみと、江介への思慕の念が複雑な炎となって脳裏を駆け巡る。好きな江介の温みを感じ、幸せ感に浸っていると落人の我が身を忘れそうになる。
「辛くは有りませぬか」
「気にせんでも良い」江介は姫の体を深く背負い直して登った。愛する姫の温みを背に感じていると、辛さや苦しみにも耐えられる。二人が一体になっている。ただ其れだけで泡沫の幸せを感じる。地獄に落ちても二人一緒なら良いと思う。
血を分けた兄妹でありながら、成人するまで別々に育った二人、禁断の恋と知りつつ一度は唇を会わせてしまった二人。
「江介、少し休みましょう」沢の水場を通る時、背中の姫が江介を気遣った。
「八兵衛が登って来る迄、そうしょう」江介は松姫を降ろした。
下を見ると、殿の八兵衛の姿はまだ見えない。少し先を伝之丞が白を抱えて姉の絹と登って行く後ろ姿が見える。江介と姫の仲を知っていて、皆は気遣って離れて歩くのであろうと江介は思った。それに、纏まって歩くと目立つからでもある。
岩の間からちょろちょろ流れ落ちる水を江介は手で掬って飲んだ。焼け付くように乾いた喉を潤すと、姫を見て余裕の顔を見せた。
汗ばみ上気した江介の凛凛しい顔を見ると、松姫はたまらなく胸が燃える。自分を武蔵迄逃がした後、お吟叔母を護って、宗智と江介が京の今出川大納言を頼って逃れると耳にしている松姫は、これきり江介とも会えないかも知れないと思うと、思いきり江介に甘えたいと思った。
「江介、松にも飲ませて」姫はほんのり頬を染めた。
姫の態度を察した江介は、手の平に貯まった水を口に含み姫を見た。目を閉じた姫に口移しで飲ませた。
松は素直に受け入れた。水が喉を通っていくと、江介のすべてを飲み取ったような気持ちになった。
放心したかの様な姫の美しい顔を見つめていると、血を分けた兄妹であることが、たまらなく辛く思う江介である。姫は尼に成るのではないか。一瞬、江介の脳裏に予感が走った。
「我が儘ばかりすみませぬ」江介と瞳を合わせると又頬を染める。
視線をそらした江介の眼に、登って来る石黒八兵衛の姿が見えた。
「八兵衛が来た。さあ、行くぞ」背を向ける江介。
松は、ためらいもなく体を預け、逞しい江介の肩を抱いた。
「しっかり掴まっていよ、手を離すぞ」
江介は石に掴まっては登り、木を握っては這うように登る。すぐ眼の下に岩だらけの獣路が上に続いている。
「大丈夫?」
「もうすぐだ」
石ころや木が無くなって熊笹の獣道になった。絹が松姫を案じて待っていた。
「兄上、もう歩けます」皆の前では江介を兄上と呼ばなければならぬ切なさ。
三人は熊笹のなだらかな平原の獣道を頂上めざして登って行った。一面の熊笹が上まで続き、其の先は頂と空が接して見える。
「此処は放光寺の帰りに白く見えた処だ。向こうに恵林寺の森が小さく見える」
江介は額の汗をふきながら指差した。
「覚えています。あの折り兄上は赤とんぼを捕まえてくれましたわね。水車小屋のある野道で」
「姫様、森が二つ見えるでしょう。右手の小さな森が放光寺、左が恵林寺」
「絹の里でしょう」
「松尾の社も見えるわ」絹が懐かしそうに言った。
「もうすぐ頂きだ、皆が待っている。さあ、今一息だ」江介が二人を促す。
一陣の山風が熊笹を揺らしていった。その度に囁くような微かな笹の歌が、落人の心を悲しませる。
拳大の石を敷き詰めた様な頂きで宗智達は先に来て待っていた。
「於松大丈夫か」宗智が心配そうに声をかけた。
「兄上に背負って頂きました」
「無事で良かった。此処は大菩薩嶺の賽の河原と呼ばれている処だ。峠はあの尾根を向こうに下りた処に有る。政介達が見に行って居る間、一休みしよう」
一足先に長安に背負われてきた盛信の一の姫も、松姫を見ると安心したのか、幼い体で駆け寄ってきた。高遠で父母が討ち死にした事をまだ知らない一の姫を見ると、松姫は姪が哀れに思えてならなかった。一の姫の手を握って眼下を望んだ。
椀を伏せた様な塩の山が浮かんでいる様に見える。笛吹川が蛇行する甲斐盆地の半分が広がり、その向こうの鋭い山並が晩春の陽を受けて紫色に霞んで見える。何時の日かまた望むことが出来るであろうか。松姫は涙ぐんだ。東には初めて望む名も知らない山々が見える。あたり一面に誰が積んだのか小石の山が出来ている。美祢から賽の河原の話を聞いていたので松姫も積んだ。父の為に、母の為に、義信兄の為に、勝頼兄の為に、盛信兄の為に、信勝の為に、お姉上様の為に。祈りながら積んで涙する。
江介は見るに堪えられず、遠くに視線を移す。限りなく広がる空と山波が悲しみを解き放ち、残った者に課せられた道が見えてくる様な気がする。
「おおい!」声がする南尾根に政介と政長が手招きをしている。
峠の様子を見に行って戻って来たのだ。
「行くぞ」宗智は先に立って、なだらかな木の無い裸尾根路を登って行った。
一行もその後に続く。尾根に立つと目の前に富士が見えた。八ケ岳も、高遠から越えて来た入笠山も見える。壮大な光景である。
「姫、良く見ておけ…‥」
江介は甲斐ともお別れだと言おうとしたが、それではあまりにも姫が哀れで、口まで出掛かったが言えなかった。
お吟叔母が京に行ってしまえば美祢の外に身寄りは居ない。もう甲斐には未練もない。未練が有ったとて居場所が無いと思うと、まだ見ぬ武蔵の国を思いはかる松姫である。
「陽の有る内に狼平まで行こう、そこで一夜を明かす」宗智が指図した。
宗智に付いて一行は峠に向かって下った。
宗智は、恩賞目当ての土民が峠に隠れているのではないかと思い、険しい賽の河原の道を選んだのである。
「この峠を越えれば織田勢も来ぬであろう」峠を越える時、宗智が言った。
大菩薩峠から石丸峠はすぐであった。尾根を横に行き狼平に出る頃は春の陽が西の山脈の上に傾き掛けていた。物見をしながら落ちて行くのは容易なことではなかった。しばらく行くと小屋が見えた。政長が先に行って安全を確かめて手まねいた。
尾根を境に東は木々が茂り、西は一面の熊笹であった。その間の平らな処に無人の小屋が有った。
「暗くならぬうちに薪を集めるのだ」宗智に言われて男達は木々の中に入って行った。
「政長、来て見ろ」政介は石の脇に獣の糞らしき撞なりを見付けて政長を呼んだ。
「乾いているが、これは狼の糞だ」政長が言った。
「狼煙に使うあれか」
「そうだ」
「あの小屋は糞を集めに来る者が泊まる為の小屋か」
「裏街道のお助け小屋ではないのか、狼煙衆がその為に造ったのではなさそうだ」
「ここは狼の厠か」
「まさか。番衆が集めて置いたのさ」
二人は忙しく薪を集め、小屋と木立の間を往復した。
夜になると満月が不思議な夜景をつくり出す。尾根道を堺に東は黒く、西は白く明暗の夜景である。小屋の外で火を囲んで政介、政長、八兵衛が番をした。
小屋の中でも小さな焚火を囲んで肩を寄せながら寒さを凌いでいる。松姫も絹も一の姫も疲れて眠った。長安も一の姫をずっと背負って疲れたのであろう、足を投げ出して眠りこけて居る。伝之丞は白と体を寄せ合って小屋の隅に座っている。宗智と江介は小屋の入口で皆を見守るように、ずっと押し黙った侭である。
甲高い遠吠えの様な狼の咆哮を政介は微かに聞いた。子供の頃、婆が死んで野辺送りの帰りに聞いた声と同じである。村の誰かが狼だと言ったのを覚えている。
「政長、今のは狼の遠吠えではないか」
「お前も聞いたか」
二人は、夕暮れに狼の糞を見ているだけに狼が出たのだと思った。
満月の夜は山犬(狼)が遠吠えする。村には昔から言い伝えられてきた。だから村人は満月の夜は山に近付かない。
「狼は何匹位の群をつくっているのだ」政長が政介に聞く。
「春は十匹位と聞いているが、見た事がないので分からぬ」
「八兵衛様は狼を見た事が有りますか」政長は狼に興味があるようである。
「ある」石黒八兵衛は眠そうに答えた。
「犬とどこが違うのですか」又政長が聞く。
「痩せた白を思いはかれば良い」八兵衛は白を思い出した。
森林の咆哮は数が増え、次第に近付いてくる様である。小屋の中で宗智と江介は顔を見合わせた。高く鋭く力強い咆哮。明らかに近付てくる。宗智は外に出て行った。
「狼が出た。火を絶やすな」宗智が政介達に言っている声が聞こえる。
「白!どこへ行く、戻れ」伝之丞の声に江介が脇を見ると、伝之丞が白を追って表に出て行った。江介は急いで立ち上がると外に出た。小金沢山の方角に白がゆっくり歩いて行く姿が見えた。伝之丞が後を追って行きかけた。
「伝之丞危ない。戻れ!」宗智の声を聞いて伝之丞は戻って来た。
「離れると襲われるぞ。狼の群はすぐそこに来ている」宗智が伝之丞を諭した。
「それでは白は?」伝之丞は理解できなかった。
「姫を守ろうとしているのだ。けなげな白よ」
宗智は傍の竜を見た。竜も狼の臭いを嗅ぎ付けたのであろう、上を向いて尾をゆっくり振っている。警戒の時の行動だ。時折白が行った方角に向かって唸り声をあげる。宗智は竜の首輪を握りしめた。
狼の咆哮は数が増して来た様である。江介は白が生まれた時の事を思い出した。父犬は村人が狼犬と呼んで、恵林寺の近くに飼われていた犬である。快川も生まれたばかりの白を見て「狼によく似ている」と言った。
白は賢い犬だ。足手まといになるよりは姫を守る為に、動けぬ老体を狼の餌食に成ろうと行ったのだ。と江介は思った。
「けなげな白よ」と言った宗智叔父の眼がうるんでいた。
「白は狼の声を聞いて血が騒いだので有ろう、群に帰って行ってしまった」松姫にはこう言おうと江介は思った。
月明かりの中に白の姿がはっきり見える。白は立ち止まって小屋の方をじっと見詰めている様であった。(姫、無事に落ちなさい、白は幸せで御座いました)そう言っている様であった。急かせる様な狼の咆哮に従うのか、白の哀れな姿が暗い木立の中に吸い込まれて行く。「しろ!」悲しみにむせぶ江介の圧し殺したような別れの声が、暗い森林の彼方に消えていった。
甲府の一条屋敷に通じる道の両側には、信長入甲に備えて強制動員された町民や百姓達が、信長を迎える為に犇めいていた。前もって触れが出され、迎えに出ない家は武田の残党と見なし捕らえるという厳しい達しである。万が一に備え、滝川、河尻、森の軍勢が警備に当たり群集に睨みをきかせている。群集の中には、信長とはどんな武将であろうと興味を持っている者もいた。
長い軍列の中央に武将達を前後に従え、余り見掛けない南蛮胴を着け大栗毛に乗った信長が行く。白い首巻きで得意気な顔は見るからに繊細な神経の持ち主と分かる。群集を驚かせたのは、信長のすぐ後に従って歩いて行く二人の黒人であった。初めて見る大きな黒い人。群集の眼は信長より二人の黒人に向けられている。其の群集の中に、百姓姿に変装した江介の眼が信長をずっと追っていた。
其の日、武田を裏切った穴山梅雪、木曽義昌、小笠原信嶺等は徳川家康に連れられて信長に伺候した。
信長は三人に旧領安堵とした。滝川一益には上野、信濃の二郡を与え、穴山の本領を除く甲斐を河尻秀隆に、徳川家康には駿河を授けた。
武田の一族は諸処で捕らえられて討たれた。逍遙軒信廉は鮎川の河原で、一条信竜は市川で、今井、山県の二世達は郡内(都留市)で、曽根、長坂、跡部等は誘われ出て来て甲府で、最後に勝頼を裏切った小山田信茂も、善光寺に出て来て老母と共に殺されてしまった。典厩信豊も小諸に逃れ、心変わりした味方に殺された。
信長は甲府を出るに当たり気掛かりな事が一つ有った。恵林寺の快川和尚である。快川は正親町帝より国師号を授かった僧である。理由なしに討つことは出来ぬ。入甲に際し使いをもって快川に出迎えを命じたが快川はそれを拒否した。
信長は、国師快川であろうとも勝者に媚て、自分を甲府に出迎えるであろうと思っていたのである。群衆の面前で勝者の自分に跪かせる考えでいた。武田を滅ぼしてからの信長は何も恐れる者が無くなっていた。
快川が拒否した事は自分に対する挑戦である。恵林寺と快川の処分をしなければならぬと考えた。
「快川を討つにあたり何か大義名分をたてずばなるまい。何かあるか」信長が言った。
「御座います。佐々木承禎(元近江国守)を快川が匿いおると聞き及んでいます」河尻秀隆が恐る恐る申し出た。
「義昭の犬か。義昭も…‥雉も鳴かずば打たれまいものを、今頃は毛利あたりで予を討てと扇動しているのであろう。承禎を捕らえることにして、恵林寺に行き、快川に甲府に出てくるよう申すのだ。行け」
河尻秀隆は手勢を連れて恵林寺に疾走した。
信長は多くの寺寺を焼き、僧達を殺してきた。国師の称号を賜った快川だけは自分に従わせたかったのである。快川を敵に回すことが恐ろしいのである。国師は天皇に仏法を説く高僧だから、今までの様にはいかない。大義名分を立て、成敗奉行を立て筋を通さなければならないと思った。
二刻程して河尻秀隆が恵林寺から戻ってきた。
「秀隆戻りまして御座います」
「快川は会見に応じると申したか」
「恵林寺立ち入りを断られまして御座います」
「何、断った?」
「佐々木承禎を匿い逃がした事は事実と分かりまして御座います」
「そうか、よし。これで名分が立つ、一人も逃さず寺ごと焼き殺してしまえ!」
「殿、お待ち下され。快川は正親町帝より国師を賜った僧に御座います」明智光秀が言った。
「黙れ禿。言わしておけば、本来ならばこの役目その方の役ぞ。快川とは同じ一族であろう。朴念仁の処は似おるのう、たわけ」信長はいきり立って光秀を怒った。
明智光秀は信長の命令で家臣のほとんどを幾内の守りに残し、わずかな側臣を連れて参陣していた。武田勢と戦う事もなかったので肩身の狭い思いをしていた。快川と同じ土岐一族というので、信長は快川を服従させる役を自分にさせようと思っていたらしいが、何を思ったのか止めてしまった。その役を河尻秀隆に命じたのである。
甲斐遠征中、朝廷から信長に、将軍でも関白でも太政大臣でも、望みのものを授けるから甲斐の戦を中止して入京せよと、自分を通して達しが有った。その時、信長は「予は神だ、神の上には何も居らぬ」と朝廷の声を入れる様、進言した自分を威嚇した。
勝頼が新府城を捨てた時、武田縁の寺、宝泉寺、東光寺、長禅寺、長円寺等の長老初め老若百五十余人の僧達は戦乱から逃れて恵林寺に参集していた。これ等の僧の中にはすでに織田軍によって寺を焼かれた僧もいた。信長の会見申し入れを拒否した快川に、若い僧の中には、会った方が良いと言う者もいた。
「国は奪われ外護も滅んでしまった今、何んの面目があって他にまみえられようか。勝者に媚、中立を唱えれば、生命と寺の安堵は図る事は出来るかも知れないが、それでは武田を踏みにじる事になる。老師の中にはすでに寺を焼かれ、弟子達を殺された者もいる。わしは禅僧の信念を貫くつもりじゃ。明日になれば信長は攻めて来よう、皆はわしにかまわず脱して下され」
「老師様を残して去る事は出来ぬ」東光寺の藍田和尚が言った。
其の日、快川は若い僧の何人かを、衆の為、法の為に生きよと悟して逃がした。
信長が、恵林寺僧衆成敗奉行を設けたと情報を手に入れた宗智は、快川の身を案じ江介を連れ、明け切らぬ恵林寺への道を急いだ。境内は静かであった。
「間に合った」宗智は快川の居間になっている方丈を叩いた。
「老師様、宗智に御座います」
快川は二人を居間に通すと錠を下ろした。
「二人共無事であったか、松姫は無事落ち延びたのか」
「一先ず金照庵に落ち着きました。それより老師様、すぐに恵林寺を落ちて下さい。信長は恵林寺僧衆成敗奉行を、津田九郎次郎ほか三名の者に命じたそうに御座います」
「筋を通すつもりか。悪逆の限りを尽くした信長にも人を遇する道は心得ている」
「老師様、感心なさっている時では御座いません。もはや一刻の猶予もなりませぬ」
「宗智殿、わしは信長と戦う。他の老師も皆同じ気持ちじゃ。それよりお吟殿を連れ三人して京に逃げよ、国に居ると何時か捕らえられる。江介は武田の正統ただ一人の血筋、生き残って下され。今出川卿の元に身を隠されよ」
「宗智、老師様を置いて参れませぬ」
「信長は勝頼殿のお首を土足で汚し、その上、京に送り晒せと言ったそうじゃ。そこもとが奪取せずして誰がしようぞ、行け師命じゃ。それから江介、わしの愛弟子らしく法に生きるも良し、土に生きるも良い、武士として生きたくば信長を討て」
「江介、師のお言葉生涯忘れませぬ」
「宗智殿、今より兄弟子、末宗を名乗り、衆の為、法の為仏祖正脈を絶えざらしめよ」
「末宗師は?」
「わしと共に大死に生きる事を誓った。これは儂だと思うが良い」快川は着かけた袈裟を宗智に与えた。
「有り難く頂きまする」
「江介にはこれを。開いてみよ」快川は愛用の扇子を江介に与えた。
江介は扇子を開いて見た、快川の筆で、(安禅不必須山水、滅却心頭火自涼)と書いてある。
「どうやら信長の手勢が見えたようだ」快川が呟いた。
境内に入って来る軍勢の足音が朝の静寂を破る。かなりの人数の様だ。
「一人も逃すでない!山門に追い上げろ!」指図する者の声がここまで聞こえて来る。
宗智と江介は快川に急かされて、抜け道の水路を中腰になって手探りで行った。南出口の方角が明るく見える。江介は水路の空間に顔だけ出して左の方を窺う、指図している武士が正面に見える。敵の居る方角に水路口が向いているので、水路の中に動きが有れば発見される。江介は素早く顔を引っ込めた。「叔父上、今はいけません」江介は宗智の耳元に小声て言った。
頭上の石橋を、快川のいる方丈の方角に走って行く具足の音が聞こえる。
「山門に登れ!早くしろ!」僧達を急がせる怒鳴り声が又する。
「快川はまだ見付からぬのか」荒々しく指図する声がすぐ近くから聞こえる。
軍馬の嘶きにまじり、近くの民家から険しい犬の吠声があちらこちらで起こった。
「居たぞ、快川が居たぞ!」後ろの方角で叫ぶ声がする。
二人は薄暗い抜け道の中で顔を見合わせた。頭の上を草履の音が行く、その後を荒々しい足音が追う様に聞こえた。
「快川か」今度は赤門の方から特徴のある声がした。
「いかにも」まさしく師の声である。
「快川紹喜、山門に上がられよ」又赤門の方からの声。
「奉行とはその方か、名を申せ」快川の声。
「津田九郎次郎、主命により御成敗仕る」
「成敗はわし一人で良かろう、他の者を解き放せ」
「ならぬ!火をかけよ!」津田九郎次郎の喚く声が聞こえた。
「焼き殺すつもりだ。悪逆信長」腹の底から出る宗智の怒りの声を江介は初めて聞いた。
薪に火が付いて弾ける音が聞こえて来る。僧が唱える経が次第に大きくなる。
「山門を焼けば次は寺に火をかけるぞ。方丈が焼かれれば此処から煙が出る。水路の水が煮え湯にならぬ前に抜け出すのだ」宗智が江介に促した。
「はい」
「敵の眼が山門に集中しいてる時が機だ」
「分かりました」
江介は再び首を出して窺う。橋の前を煙が流れ、兵達の眼が山門に注がれているのが分かる。
「敵は山門の方を見ています」
「まだ早い」宗智が江介の袖を引く。
山門が騒然として来た様子である。経にまじって悲鳴と苦しみの声がする。
「逃げ出れば斬れ!」赤門から荒々しい声。
燃え上がる炎の音。紅蓮の炎に煽られて、互いに体を寄せ合って苦しみもがき、もだえ焦がれ、焔にむせび灼熱地獄の有様が二人の脳裏をかけめぐる。
「諸人、即今火焔裏に座して如何か法輪を転ず。各々転語を著して末後の句を為せ」
宗智と江介は力強い快川の声を聞いた。
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し‥…喝!」
「おお!」敵方から驚きの声がした。
「快川が火の中に飛んだぞ!」兵達の声が聞こえた。
「江介行け」宗智が江介の背を叩いた。
江介は水路の中を北の取り入れ口に向かって這って行った。信長を追って京に行く。
思い知らせてくれる!。怒りを心に燃やした江介は闇の中にかっと眼を見開いた。
師は信長に屈せず火定したのだ。宗智は江介の後を這いながらそう思った。
四月三日恵林寺破滅。老若上下百五十余人焼き殺される。快川が信長と戦う武器は、死に臨んでの泰然自若とした態度だけであった。快川は禅僧の信念を貫き自ら火を決意したのである。快川国師八十一才であった。
京の六条河原に晒されていた勝頼親子の首級が、何者かに持ち去られたと噂にのぼったのは、五月に入ってからであった。
嵯峨野角倉に居るお吟の元にも、甥の医師吉田宗恂が施薬院で患者が噂しているのを聞いて来た。お吟は妙心寺に身を寄せている夫宗智と、今出川大納言の処に居る江介の二人が奪取したのだとすぐ分かった。
二人の外に、厳しい警戒の中に近寄る事は出来ないと思った。
「宗恂、江介はどうして居りますか」
「御園意斎様の手伝いに時折り見えて居る様です」
宗恂の勤めている施薬院は、今出川大納言屋敷の横手である。三人が京に来て、陽光院(誠仁親王)の二条御所で別れてからまだ一度も会っていない。
今出川と妙心寺に居る間は二人共安全である。三人の連絡は二条御所の庭番の風間二斎がしてくれる事になっている。
その二斎が陽光院の使いでやって来た。お吟は二条御所へ歩きながら、昨日宗恂から聞いた勝頼親子の首級の事で、院の御召しであろうと思った。二条御所に行くと今出川晴季が来ていて、面識のない公家と僧と町人風の男を紹介した。
「義姉のお吟殿だ、こちら三条実綱卿と本因坊算砂殿、連歌師の里村紹巴殿だ」
「お吟に御座います」
「実綱卿は三条西実枝卿の四男で三条家を継いで居られる。江介とは従兄に当たる。里村紹巴殿は陽光院様のお子、和仁親王様の連句の教授じゃ、算砂殿は日海と申し、嵯峨の寂光寺の僧で初代本因坊じゃ。まあお楽になされ」
算砂と紹介された僧は院で度々お目にかかった事があるが、自分と同じ密偵の任務に就いて居るのかもしれないとお吟は思った。今出川晴季は二条御所に度々来ているとみえて勝手をよく知っている様である。
「大納言様、江介はお役にたちましょうか」
「痒い所に手が届く様じゃ、昨日から妙心寺に行って居る。帰りに寄って行くが良い」 お吟をまじえた五人が信長の話で刻を過ごすうち、陽光院(誠仁親王)が入って来た。
「お吟、勝頼の首が何者かによって持ちさられたそうじゃ、知っておるか」
「はい、宗恂から聞きまして御座います」
「信長も武将にあるまじき行為じゃ、国師を火にかけるとは。帝はお怒りになられて居られる。快川と日向守(明智光秀)とは同じ土岐の一族であるそうだな」
「はい、その通りに御座います」
「日向守の家老の斎藤利三に紹巴を引き合わせてくれ。今日来てもらったはその事じゃ。この実綱も斎藤利三とは縁者だそうだ、紹巴との繋ぎの役、以後お吟が致せ」
陽光院はお吟の任務を一度解いたが、再び任務を命じたのである。陽光院は甲斐の出来事を聞いて何かを決意した様子である。
その日以来、お吟は斎藤利三と里村紹巴と院の間を数回往復した。院が何をお考えになっているのかお吟にも、うすうす分かっていた。信長の動きを見張る役目は風間二斎で、街の噂を施薬院から持ち帰るのは医師の宗恂である。あの日、今出川と三条と紹巴の話を聞いていて、正親町帝を始め公家達が信長に戦慄している事が分かった。
一向一揆攻め、村重一族皆殺しの異常な暴虐といい、恵林寺の焼討ちといい、信長は癲狂(精神病)ではないかとお吟は思った。
宣教師フロイスや明智光秀には「自分は神だ」と言ったそうである。甲斐に入甲した折り、領民に己を敬拝せしめる手段として快川に自分を出迎える様に命じたが、快川が応じなかった為に暴虐したのだ。帝がお怒りになるのも無理もない。当分の間、忙しくなるとお吟は思った。
其の日、お吟は夫宗智を案じて妙心寺に行った。宗智と江介が居た。廿日ぶりである。宗智に付いて一室に通されると、床の間に小さな壷が二つ並んで置いてあった。勝頼と信勝の首を荼毘にして入れてあるのだとすぐに分かった。
「どちらが信勝殿ですか」お吟は宗智に聞いた。
「こちらだ。見るも哀れであったので、江介と二人で荼毘にした。お吟、信勝を抱いてやってくれ」
お吟は宗智の言う通り骨壷を両手に包む様にして胸に持っていった。お吟は信勝が竹王丸といった小さな頃を思い出して涙した。
「信勝殿、お吟と甲斐に戻りましょうね」お吟はむせび泣きながら言った。
「わしが勝頼殿をお連れしよう」宗智も眼を潤ませていた。
俺は信長の首を取って戻る。江介は心に誓った。江介は京に来てから気を使っているのであろう、少しやつれた様である。
「甲斐に何時戻れるか、当分京に居る方が安全ではないか」宗智が呟いた。
「それが早く戻れるかも知れませぬ」お吟が呟きに答える。
「叔母上は何か知っているのですか」
江介に聞かれたがお吟は言わなかった。里村紹巴や斎藤利三と会うたびに、信長に何か起こるのではないかと思う様になった。二条御所においても明智光秀の事が取りざたされている。信長気に入りの森蘭丸に光秀の領地丹波、近江をやるとか、光秀はこれから攻め取る不確定の遠隔地に追いやられるとか、家康の接待役で信長に屈辱を受け面目を失ったとか、同僚秀吉の指揮下に入れと命ぜられたとか、光秀は信長に捨て殺しされるのではないかなどの公家達の取りざたである。
「江介は大納言様から何も聞いていないのですか」
「はい」
「其の内、何かお話しが有るでしょう」
江介とお吟、宗智の三人は松姫を案じ語った。そして三人は又別れて行った。
江介は目立たぬ様に路地から路地を歩いて見覚えある中立売通りに出た。此処迄で来れば迷う事もない。門をくぐれば左側が今出川屋敷である。京に来てから今出川屋敷と隣の施薬院しか行ってない。出歩いて葛山信貞と分かると今出川の叔父に迷惑がかかると思っている。東の山々を見ながら歩いていると松姫の事を思い出す。金照庵に送り、別れる前の夜、二人だけの別れを惜しんだ。松姫は自分の胸の中で「松は一生嫁ぎませぬ」と涙して言った。仏道に入りたいとも言った。美しい松姫が尼になる。江介は考えただけで悲しくなって来る。
今出川晴季と里村紹巴は長い事、話し合っていた。
「紹巴殿、愛宕山を選んだ訳を聞きたい」
「はい、日向守様(明智光秀)は廿六日に近江の坂本を立って今日は京にて一泊、明日、居城の亀山に入るつもりで御座いましたが、京にはすでに信忠様が二条妙覚寺に入って居ります。京での行動は目立ちます故、今宵は愛宕山権現に宿を決めて頂きました。表向きは連歌の会と致し、側近二名だけで御家来衆は今日の内に亀山に帰って頂きました。愛宕山なら誰も不審に思う者も御座いません」
「なる程」
「それに、もっと大きな訳が御座います。愛宕権現と加賀白山権現の二神に誓って頂く為に御座います」
「そうであったか、愛宕、白山とは秘密の誓いや、決意のかたい事を表す事であったな。考えたものじゃ」
「江介只今戻りまして御座います」襖の外で江介の声がした。
「江介、入るが良い」今出川が江介を呼んだ。
江介が入ってきて控えた。
「甥の江介じゃ、連歌師里村紹巴殿だ。江介、明日紹巴殿の供をして愛宕山に行け」
「はい」
「甥は剣の方は確かですぞ里村殿。用心の為にじゃ。…‥それから江介、妙覚寺に信忠が入っている、気を付けよ」
「はい」
「奥が案じていたぞ、早よう顔を見せてやれ」
「はい、失礼仕ります」江介が出て行った。
「どうだ良い若者であろう」今出川晴季は自慢そうに言った。
里村紹巴は江介という若者を初めて見たのである。今迄大納言家に出入りはしていたが甥の話など聞いていない。今も大納言が奥が案じていると言った。奥方の縁故の者かも知れぬ。とすると武田信玄と縁の者、それで信忠に気を付けろと言ったのだ。
剣がたつ若者、信長の首を狙う為に大納言が甲斐から呼び寄せたのかも知れぬと思った。
其の日、紹巴を帰した今出川晴季は、江介に公卿姿をさせて京見物に出掛けた。行った先は本能寺であった。明後日信長入京の宿舎に決められていた本能寺には、妙覚寺に入っている信忠の家臣十名が下検分に来て、二人と行き違いに裏門から出ていった。
「信忠の家人だ、下検分に来たのであろう」
「城の様な構えですね」江介が辺りを見回して言った。
「元は寺城として造ったのだ。武者隠し、蔀、高縁、どこを見ても城だ」
二人は若い僧の案内で寺院をくまなく見物して裏門から六角通りに出た。その時、風間二斎が来て大納言に何か耳打ちして去っていった。二人は東に向かって歩いた。烏丸通りの辻で晴季は、
「目立たぬ様に堺町通りを帰ろう」と、六角堂の前をさらに東に歩いた。三つ目の辻で、「これが堺町御門に通じる堺町通りだ。下々の暮らしなど見て行こう」
と北に向かって足早に歩いた。江介はその後ろを行きながら、本能寺見物の事を思い出してみた。広い寺内を角から角まで見物させてくれた大納言の心意が分からなかった。
「江介、明日の愛宕山は行かなくて良い事になった。紹巴殿は今日のうちに立つそうな」
「江介楽しみにして居りました」
「又行く折りもあろう。先程の辻から御門まで十六町じゃ」
堺町御門が見える頃になって、今日の京見物の目的がなんで有るか江介にも分かりかけて来た。信忠家臣の下検分とは、信長の入京に備える為かも知れぬ。甲府で見た得意気な信長の顔が浮かんで来た。
「江介急ごう、雨になるかも知れぬぞ」大納言は急ぎ足で言った。
雨は夜になっても止まなかった。陽光院は晴季と紹巴の話を黙って聞いていた。
時は今 雨がしたしる 五月かな
晴季は明智光秀が作った発句の写しを読んでみた。
「日向守決意の句に御座います」晴季は発句を陽光院に差し出した。
水上まさる庭の夏山
庭の夏山とは加賀の白山のことである。紹巴は自分の句を読んで陽光院に差し出した。
「日向守様、頷かれまして愛宕白山に誓われました」
「結びの句は誰が読んだか」
「はい、日向守様結の句に御座います」
紹巴から結びの句を受け取ると陽光院が読んだ。
国々はなほのどけかるとき
「末に有る明智光慶とは」
「日向守様は長男の名前を書きまして御座います」
陽光院は明智光秀の発句と結びの句を見比べて、
「紹巴大義であった。疲れたであろう。下がって良いぞ」
里村紹巴が下がると、
「大納言、信長の入京は明日か」
「近臣十数人と本能寺に入ると、妙覚寺の信忠から、情況の知らせが有りまして御座います」
「公家衆も信長の入洛を賀しに参るのであろう」
「はい、一日と決めておりまする」
「大納言もその折り、甥を連れて行くが良いぞ」
「御意に御座います」
「明日は、お吟と宗智に来る様に庭師に言っておけ」
庭師とは風間二斎の事である。
今出川晴季が帰って行くと、一人誠仁親王は光秀の結びの句を見詰めていた。
〈日向守許せよ〉陽光院は心の中で光秀に詫びた。
光秀は先の事を考える余裕などなかったであろう。信長を倒す事が出来れば、政務を子の光慶と婿の細川忠興にゆだねるつもりであろう。それで結びの句に子の名前を入れたのだ。武田信玄と日本の将来構想を練ってみたかった。それが自分の夢であった。父正親町帝もそれを望んでいた。武田の若者を連れて行けと晴季に言っておいたが、信長はその者に討たせてやりたいと思った。
明くる五月廿九日、信長が近臣五十人を従えて本能寺に入ったのは申の刻(午後四時)を過ぎていた。警護の者達と女房達は先に着いていて、信長が来るのを待っていた。信長は雨の中を本能寺に入ると、
「蘭丸、風呂じゃ、風呂に入るぞ」
信長は森蘭丸の案内で荒々しく湯殿に歩いて行った。近習がその後を追う様に付いて行く。
「九郎次郎を呼べ」湯気の中で信長の声がする。
「九郎次郎ここに控えておりまする」津田九郎次郎が湯殿の外から答えた。
「家康はどうした」
「信忠様の御案内で京見物を終わり、昨日のうちに泉州堺に穴山梅雪様を連れ立ちまして御座います」
「猿から何ぞ言って来たか」
「羽柴秀吉様からは今日はまだ何も知らせが御座いません」
「珍しいのう、猿め、毛利に手古摺っているのであろう。ハゲ(明智)は立ったのか」
「昨日のうちに亀山を立たれた事と思われます」
「薄鈍が、何をさせても駄目だ。その為に此度も遅れてしもうたわ」
安土で徳川家康を歓待した折り、その役目を言い付かった光秀に手落ちが有り、その為に二日程が遅れた事を信長はまだ根にもって怒っていた。
「明日の日取りはどうなっておる」
「書院にて茶会で御座います」
「明後日は」
「御公卿衆が参られます」
「宮内法印が居るであろう」
「それがお留守に御座います」
「公卿共の守りなど窮屈でかなわぬ。纏めて致せ、蘭、背中じゃ」
「はっ」森蘭丸の返事と信長が湯から上がる湯音を聞くと、津田九郎次郎は湯殿の戸を閉めた。武田を降してから殿はずい分変わられたと九郎次郎は思った。
江介は今出川晴季夫人お菊に手伝ってもらって装束と髪形を整えた。
「うむ、これなら誰が見ても公卿に見える。よいか江介、隙をみて武者隠の天井に潜んでおれ。明智勢が攻め入った時が機ぞ、成就なれば首を持って走れ、一昨日の通り堺町御門を入るのだ。麻呂の名を言えば門を開けてくれよう。支度が出来たら参るぞ」叔父晴季が高ぶっているように江介には映った。
「江介、成就祈って居ります」
「叔母上様、かたじけのう御座います」
江介は、祖父信虎より拝領の大刀左文字を腰にして晴季の後を付いて行った。
烏丸通りに出ると、一条、日野、烏丸、勧修寺、穂波、綾小路、西園寺、清水谷、近江や久我、堀川、徳大寺、花園といった各公卿衆の列が下がって行く。丸太町通りの辻を抜けると、さらに九条、正親町、二条、三条といった公卿衆が加わってさながら公卿行列の様である。丸太町の辻で江介は三条実綱と出会った。江介は実綱の顔を見ると黙って頭を下げた。実綱もそれに気付いて微笑した。多勢の公卿の中で輿を使っているのは一条、近江、九条卿位で其の他の公卿は梅雨の晴間を歩いて行った。
後ろから騎馬が二騎泥水を跳ねながら走って行った。妙覚寺に駐留している信忠の使い番であろう。
公卿衆は信長を憎みながらも、その権力を恐れ入洛を賀さねばならなかった。公卿達は四条烏丸の辻を西に曲がって行く。
その頃明智光秀の軍勢一万三千は亀山城に結集して出陣を待っていた。天正十年六月一日の事である。
信長入洛の挨拶を済ませた大納言は、院に報告の為、二条御所に立ち寄った。御門前で出てきた本因坊算砂と、ぱったり出会った。
「大納言様、本能寺はお済ませに成ったので御座いますか」
「算砂殿、信長は有頂天になって居ったわ。これから何方に参られる」
「本能寺に参ります。鹿塩利堅殿との対局を観戦したいとの事で、これから参るところで御座います」
「対局は書院で行なうのであろう」
「その様で御座います」
「遅くなっても泊まらぬが良いぞ」
「心得ております。…‥大納言様お耳を」
算砂が何事か大納言の耳元で囁く。首肯く大納言。
「堺町御門じゃ」大納言が言った。
「心得ました」
二人は内と外に別れて行った。
昼か夜か真っ暗で分からない。江介は本能寺の武者隠の天井裏に潜んだまま、じっと体を横たえていた。腹が空いた。大納言夫人の叔母が握ってくれた飯を懐中から出してほうばった。静かすぎて不気味な感じさえする。今し方迄、この下で碁の対局が行なわれたらしい。算砂殿とか、鹿塩殿とか話し声が聞こえ、碁石を打つ音が聞こえた。「劫が三ヶ所もでたではないか。勝負無しじゃ」信長らしい声がした。
「失礼をば致しました」二人の丁重なる声が聞こえた。信長が去って行く気配がした。
「本因坊は此処にお泊りですか」
「拙僧はこれにて帰ります。鹿塩様、何れ此の勝負は又に致しましょう」
二人の話声が去って行くと、夜具が運び込まれる気配がする。大広間から鼓を打つ音が聞こえる。
人間五十年下天のうちにくらぶれば
歌ったのは信長の声であろう。甲斐での武辺話も聞こえた。
「勝頼と名乗る武田の甲斐もなく、戦に負けて信濃なければ」
大広間では酒宴が始まったようだ。誇らし気の声には聞き覚えが有る。恵林寺の赤門前で指図していた津田九郎次郎だ。短い酒宴が終わると静かになった。下に人の気配が又する。信長が寝床につく気配だ。「殿お休みなされませ」若い声が聞こえた。この下は紛れもない織田信長。江介は緊張した。
勝頼兄の首級がなくなった事はまだ信長は知らないらしい。信長を恐れて、知っていても誰も言わぬのであろう。余り静かすぎて寝返りもうてない。明智勢は本当に来るのか、まだ夜明けになっていないのか。江介は甲斐の事を思った。お婆(美祢)は今頃、何処で眠っているだろう。全応院は無事であろうか。お婆が案じられてならぬ。松姫は本当に尼になる心算なのか、別れる前の夜、禁断の接吻のあと、「江介と一緒に死にたい」と言って、強く取りすがった。あれが松姫の精一杯の勇気だったのであろう。たまらず松姫を抱き締め。女として生きよ。と言い聞かせた。姫はそれも許されぬと悟って、「尼になります」と悲しそうに言った顔が、今でも脳裏から離れない。生涯妻は娶らぬ。自分も心に誓った。「お松を頼む」父信玄が臨終時の言った顔が、快川の顔と重なり合って浮かんでくる。苦しみもがく僧達の声が、紅蓮の炎の中に自らを投じた快川の声が、耳の奥から聞こえてくる。緊張の余り取り留めない事が脳裏を過る。自分は今何の為に此処に居るのか、あらためて自覚する。その時、表の方角から、ただならぬ気配を感じた。聞き慣れた軍勢の騒ぎ立てである。武者隠しに休んでいた護衛の者達が飛び出して行った気配がした。江介は隠し持っていた太刀を握って起き上がった。
「誰かある!」信長の声が下から聞こえて来る。
「明智日向守謀叛で御座います!」
「何?ハゲめが」又信長の声らしかった。
寺内が急に騒がしくなった。閧の声が聞こえて信長に付いてきた女達の逃げ出す様子が手に取る様に分かる。
信長の荒々しい足音が高縁の方に急ぐのが分かる。江介は今だと思い、出口の方角に這って行き、信長が寝ていた書院の襖を開けた。蝋燭の明かりで薄暗い誰も居なくなった書院に入った。廻わり廊下の外で戦が始まっているらしかった。
「上様!蔀の内へ!」聞き覚えの有る声がした。
江介は信長がここに戻って来ると思った。
素早く襷をかけて、床の間に腰を下ろして待った。明智勢は高縁で手古摺っている様である。
「上様こちらに!」
又聞き覚えの声が近付いて来た。恵林寺の赤門で指図していた声である、その時、真っ白な白綾の単衣をまとった影が入って来た。暗くてはっきり分からぬが、甲府で見た信長らしかった。手には弦の切れた弓を持っていた。
「何者だ!」影が床の間を背にして立っている江介を見て言った。
「武田の遺子武井江介。信長殿か」江介は太刀を腰に構えて、信長を見据えた。
答えぬ信長は後退りしながら吼えるように、
「九郎次郎、此奴を斬れ!」と叫ぶ。
信長を庇い、九郎次郎と呼ばれる影が抜き身の太刀で江介を目掛けて突いてきた。体を交わした江介の腰から白刃が斜めに光った瞬間、生温い飛沫が上がって九郎次郎の首が夜具の上に転がった。同時に首の無い影が鈍い音をたてて前に倒れた。
「うえ!、助けてくれ!」恐怖に引きつった顔が微かな明かりではっきり見えた。信長であった。
江介は首のない九郎次郎の手から太刀をもぎ取ると信長の前に放った。
「見苦しいぞ信長殿、太刀を取られよ」江介は落ち着きはらって言った。
信長は握っていた弓を江介に投げ付け、江介がかわす隙に太刀を拾い、江介に振りかぶってきた。それを受けとめた江介が信長の顔を睨め付け、
「師の遺恨受けてみよ!」
信長の力をささえていた江介の右足が後に引くと同時、太刀が円を描きながら横一文字に光った。信長の首が胴から離れると同時に白綾の単衣が真っ赤に染まり、鈍い音をたてて崩れた。
「天誅!」江介は力のかぎり叫けぶと、信長の首を敷布に包み寝所を出た。薄暗い廊下で袴を掴まれて振り返ると、自刃して死にきれない侍が「頼む」と凄い形相で数珠を江介に差し出す。
「原宗安、頼みが御座る、これを息子の順安に渡してほしい。近江の草津に居る。駿河芝川の西山本門寺に逃げろと。頼む。出口は…‥‥」侍は出口を指差して息絶えた。
江介は侍の手から数珠を取ると懐に入れ、侍が指差した方角に走った。
暁前の堺町通りを何か抱えた公卿衆姿の影が御門に向かって走って行く。御門の近くから出てきた影が公卿衆姿の前に立ちはだかった。
「若者!待ちなされ、拙僧は寂光寺の僧、算砂じゃ。その形で御門に入っては成りませんぞ。拙僧に付いて来られよ。朝になればお身内の二人も来る」
昨夜碁を打っていた一人であると江介は閃いた。二人とはお吟叔母と宗智叔父であると思った。
「首尾は」算砂が振り返った。
「成就致しました」
「誰かにお会いなされたか」急ぎ足の算砂が聞く、
「書院を出る時、自刃した侍から足を取られて。頼まれ事をした」
「その侍の名は何と申されました」
「原宗安と申された」
「拙僧の知り合いじゃ。」後程ゆっくり聞きましょう。明るくならないうちに拙僧の寺に急ごう。
早暁の町並に早鐘が鳴り続いた。表通りに出て来きた人影が右往左往しながら、辺りを見回している。
「火事は本能寺の方角だ」屋根の上から叫び声がした。
「妙覚寺の方から軍勢が来るぞ」又屋根からの声が聞こえた。
堀川通りを夥しい数の軍勢が駈けてきた。信忠が指揮する五百騎である。
「二条御所に入れ!陽光院が居る。光秀も手を出さぬであろう」先頭の織田信忠が叫ぶ。
軍勢をやり過ごすと、二人の影が西に急いで行った。
二条御所から本能寺が燃えているのが良く見えた。陽光院は縁に立ってその炎を見ていた。別棟の方からお吟と宗智が走って来て、
「申し上げます。信忠の軍勢が二条御所に立籠る兆しに御座います。陽光院様には上の御所にお移り下さいませ。里村紹巴殿、輿を用意致し、裏門にてお待ちで御座います」
「宗智か、お吟、その方も供を致せ」
宗智とお吟は陽光院の供をして裏御門から掘川下立通りを下立売御門に急いだ。
門前は町中からいち早く避難してきた人々で大騒ぎであった。
「御門を閉めよ」内侍所の御門守りが叫びながら走って行った。
嵯峨小倉山の麓、寂光寺の庫裏で宗智、算砂、江介、お吟の四人が開け放された座敷から洛西を望んでいた。巳の刻(午前十時)になっても、一里半先の本能寺から、まだ煙が見えた。庭に干してある公卿衣裳が風に揺れている。騎馬の一隊が下の街道を街に向かって疾走して行く。明智軍の後詰めで有ろう。
「今頃は光秀殿、信長の首、探しているであろう」算砂が呟く。
「白い煙は燃え尽きた証し、遺体も灰に成っているであろう」宗智が言った。
「明智勢は今日中に近江に入るでしょうか」算砂が宗智に聞く。
「安土城攻めは明日になるでしょう。今日中に順安とか申す、原宗安殿の子供を連れ出さなければ、手遅れになるかも知れません。算砂殿、これより立ちましょう。私も急ぎ此の事を甲斐に知らせなくば」
「宗安殿は嫡子の孫八郎殿と信長公に従って来ていたのです。西本門寺は宗安殿の縁故寺だと聞き及んでいます」
「申し訳御座いません。頼まれた江介が出来ずに」江介が言った。
「芝川の西本門寺の十三代日春上人は、我ら武田家の出身で、武田家の外護を受けていたで、この宗智も良く一宿のお世話に成りました。これもご縁で御座ろう。お吟、院のお許しが出ても、すぐには甲斐に戻らぬが良い。江介もだ。甲斐には河尻勢が居よう。この報が伝われば河尻は甲斐から逃げ出すで有ろう。それ迄、駿河の西本門寺で坊暮らしでもしておれ。迎えの者が行くまで動いては成らぬぞ」
「信長殿の首どうなさいます」江介が宗智に尋ねる。
「宗智が甲斐に持って行く。勝頼と信勝は、お吟と江介がお連れ申せ。これから妙心寺に立ち寄り、其の事を伝えておく」宗智は腰を上げた。
その頃、堺に通じる街道を一騎が疾走していた。伏見にいた柳生宗厳であった。堺に居る徳川家康に知らせる為であった。
六月五日、明智光秀が安土城に入城したその日、お吟と江介は勝頼と信勝の遺骨を抱いて、不安の空気が漂う京を立った。
六月十五日。宗智からの報せを受けていた甲斐の郷民が蜂起して河尻秀隆を殺害した。その頃、お吟と江介は西本門寺の坊に到着した。順安と名乗る少年が宗智の書状を届けにきた。
「叔母上、宗智叔父の手紙、何とありますか」
「信長殿の首の事です。甲斐に持ち帰っても、まだ勝頼の墓もない故、一先ず寺の本堂裏のヒイラギの根元に埋めたと認めてあります。武井一族の誰かが迎えに見えるまで此の寺に居る様にと有ります」
「叔母上、本堂の裏に行ってみましょうか」
二人は少年の案内で本堂裏に行ってみた。樹齢五六十年位の柊の根元に真新しい小さな土饅頭があった。二人は合掌して頭を下げた。
「柊の根元とは宗智さまも考えたもの、あの人らしいわ」
「柊に何か所以でも有るのですか」
「柊を密教では魔除けに使います。信長の怨霊を封じ込めるにも、人を寄せ付けない為にもと、宗智さまは考えたのでしょう」
「そう言う、いわれが有ったのですか」
「宗教を弾圧し続けた宗敵、信長への恨みなのかも知れ無いわね。江介も快川様の仇を討つことが出来て、これからは一族供養の為に法に生きると良いわ。お吟も得度する心算。院からも言われたの」
明くる日、武井政介が甲斐から宗智の使いで本門寺にきて、河尻秀隆を討ち、弟次郎の仇を晴らし、美祢達も全応院を引き上げ室伏村に帰り、殿江介の戻ってくるのを待っていると告げて、忙しく戻って行った。政介は、武田生き残りの家臣達が結束を固める中心に選ばれたと言っていた。次の領主に備え、召し抱えてもらう為の準備であろうとお吟も江介も思った。
天正十年六月廿日、柳生宗厳の知らせで堺から逃げ帰った徳川家康は、甲斐入国の軍勢を率いて甲駿路を芝川の本成寺に本陣を置いた。一昨日甲府の河尻秀隆が農民に討たれたと知らせが有った。家康は堺から逃げ帰る途中、はぐれた穴山梅雪が土民に殺された事を知っていただけに、甲斐への入国に神経を使っていた。
「申し上げます。此の東の本門寺より理恵尼なる尼僧が参り、親鸞の掛軸の事で殿にお目通りを願って居ります。如何が取り計らいましょうか」服部半蔵が知らせに入って来た。
「親鸞の掛軸とは埋蔵金の掛軸で有ろう。すぐ通せ、いや待て、尼でも女、この体ではまずいのう」
家康は上半身を出して小姓に扇を使わせていた。あわてて袖を通すと、
「茶を持て」と言った。
家康が陣中で初めての客に茶を出せと言ったのは珍しい事である。半蔵に案内させて尼僧が入って来た。お吟であった。
「御目通り叶い、かたじけのう存じます。西山本門寺に宿をとります理恵尼と申します。本日はお願の儀、御座いまして参上致しました」
家康は美しい理恵尼のお吟を見て目尻を下げて微笑した。是非にも欲しいと思い、手を尽くしたが、その在処さえ分からぬ親鸞の掛軸の事で来たのだから大切な客である。
「家康じゃ、願いとは何んで御座る」
「これなるは、親鸞御聖人が残せし掛軸に御座います。徳川様を見込んで、貰って頂きたく持参致しました」お吟は家康の前に掛軸を置いた。
「黄金の謎を秘める掛軸とはそれで御座るか」
「左様に御座います」
「それを予にくれると申すのか」
「はい。三つの願い事と引き換えに御座います」
「それは」
「一つは、武田の遺臣を召し抱えて頂きとう御座います」
「二つは」
「信長殿に焼かれた甲斐の寺々を再興して頂きとう御座います」
「三つは」
「この前を流れて居ります富士川を開発して頂きたく思います」
「富士川の開発とはどうすれば良いのじゃ」
「甲斐の国は山国故、貧しく、物を運ぶのに不便で御座います。川に舟が入れば国も栄えましょう」
「川の開発など出来る者が居ろうか」
「居りまする、堺の角倉了以が致しまする」
家康は前の二つだけは自分が望んでいた事でもある。
「分かった約束致そう。して、その謎とは」
「莫大な黄金の山に御座います」
「謎が解けねば黄金も手に入らぬではないか」
「武蔵の国、八王子に、金照庵なる寺が御座います。そこに居ります大久保長安なる金山師が、掛軸の謎を解くただ一人の者に御座います」
「その者も武田遺臣の一人か」
「左様に御座います」
家康は信玄を学びたいと思っていた。それ故武田の家臣達を大事にして来た。二股城で敗れ高天神城に逃れて行った依田信蕃を、信長の眼のとどかぬ伊豆の山奥へ逃がしたのも家康である。
茶を運んで来たお紅は、尼姿のお吟を見て驚いた。
「お吟様では御座りませぬか」
「まあ、お紅、この様な処で」
「お紅、そなた理恵尼を知って居るのか」
「はい、共に陽光院にお使えしていた頃、剣の姉弟子で御座います」
「陽光院とは正親町帝の親王‥…」
「はい。元の名をお吟と申します。此度、陽光院様より暇を頂き甲斐に参る途中に御座いました」
「そうであったか。約束、朱印状を以て致そう。甲斐への路、望みとあらば輿を用意しても良い」家康は上機嫌であった。
その時、赤子が泣く声がした。
「お紅、子が乳を欲しがっているのであろう。行くが良い」
「はい。…‥お吟様、では後程」お紅は家康に一礼すると下がっていった。
家康は甲斐入りに際し、自分の食事を賄うお紅を連れての用心深さであった。
金照庵にいる松姫も、これで保護されるであろうとお吟は思った。今頃、夫宗智は武蔵の金照庵に松姫を尋ねている筈である。
富士川に沿った街道を徳川の軍勢が甲斐に向かって行く。その軍勢から少し離れて二人連れの僧が付いて行った。一人は尼で一人は若い僧である。
「叔父上は甲斐に戻りましょうか」若い僧が尼に言った。
「其の内、家康様が、恵林寺再興にと宗智にお声を掛けるでしょう」尼の方が答えた。
二人は白い小さな包みを大事そうに抱えて行った。夏の太陽が街道を行く将士達にふりそそいでいた。
完