目次
まえがき
プロローグ 天地創造
はじめの神々
神世七代
第一章 伊邪那岐命と伊邪那美命
伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み
伊邪邪岐命と伊邪那美命の神生み
黄泉国
禊ぎ祓い
まえがき
私は、エリック・サティと「フランス六人組※」の音楽を専門に演奏しているピアニストです。それが、「なぜ『古事記』を?」と、よく質問を受けます。
三年前、『古事記』編纂一三〇〇年をいろいろなところで目にするようになって、『古事記』を語り音楽で表現しようと思いたちました。
もともと母方の祖父が近江神宮の宮司だったので、神社や神様は身近にあったのです。そして私の名前は、神武夏子。結婚して、この姓になりました。
神武一族は、福岡県糟屋郡宇美(この地名も『古事記』に出てきます)の宇美八幡宮(第十四代仲哀天皇の大后神功皇后が、第十五代応神天皇を生んだところ)がある地に住んでいます。そして、神武の先祖は神功皇后が出産される際、その手助けをしたと伝えられていて、宇美八幡宮の社家の筆頭だったとのことです。まさに『古事記』が息づいている地を故郷として、その歴史や風土を大切に思うことが、『古事記』をテーマにしようと考えた大きなきっかけになっています。
『古事記』は、大昔から口伝えに語られてきました。声という音によって人から人へ伝えられた『古事記』。いったいどれほどの年月と人々がかかわったのでしょうか。思いを馳せれば、いにしえの壮大なロマンを感じて、その世界が心から離れません。
そして、ヤマトタケルをはじめ、『古事記』に登場する神々や人物は、今に生きる私たちと同様に人間味にあふれ、思わず共感してしまうほど魅力的です。とりわけ、滅んでいく者たちの立場から描かれていることに親近感を覚えますし、収録されている多くの歌によって、この書は最古の歴史書を超えた、偉大な文芸書でもあるのです。
本編では大まかなあらすじを辿りながら、自分の感じたことも書いてみました。そして、私は音楽家ですので、『古事記』のそれぞれの場面から感じたインスピレーションを音楽にしたCDを付けました。この音楽と語りによって、はるか太古に語り継がれてきた『古事記』の世界を、より深く感じていただければ幸いです。
※フランス六人組‥一九二〇年のパリにできたフランシス・プーランク、ダリウス・ミヨー、アルチュール・オネゲル、ジョルジュ・オーリック、ジェルメンヌ・タイユフェール、ルイ・デュレの六人の作曲家から成るグループです。
※なお、本文の『古事記』は原文を省略している部分があります。また、いくつかの口語訳を参考にしました。原文では敬語法が使われていますが、読みやすくするために普通の書き方にしました。
プロローグ 天地創造
はじめの神々
初めて天と地ができた時、高天原に現れたのは、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)でした。この時、大地は形がなく海月が漂っているようでしたが、葦の芽のように天にもえ上がったものから、宇麻志阿斯詞備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)、天之常立神(アメノトコタチノカミ)が現れました。
この五柱は別格の神で、別天神といいます。これらの神はみな独り神で、姿を見せることはありませんでした。
天之御中主神は宇宙の中心にいて統一をとる神で、高御産巣日神がすべての生成をつかさどる神、神産巣日神が神さまを生む神のようです。これら天神は、自由自在な万能の神のように思えます。
神様は柱を付けて数えます。
なるほど。家族を支える人を「一家の大黒柱」とよく言いますが、神様はこの世界の大黒柱のような存在でしょうか。
別格の神・五柱
(一)天之御中主神
(二)高御産巣日神
(三)神産巣日神
(四)宇麻志阿斯詞備比古遅神
(五)天之常立神
神世七代
続いて、独り神である国之常立神(クニノトコタチノカミ)、豊雲野神(トヨクモノノカミ)が現れ、それぞれが一代。そして、宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)・須比智邇神(スヒヂニノカミ)、角杙神(ツノグヒノカミ)・活杙神(イクグヒノカミ)、意富斗能地神(オホトノヂノカミ)・大斗乃弁神(オホトノベノカミ)、淤母陀琉神(オモダルノカミ)・阿夜詞志泥神(アヤカシコネノカミ)、伊邪那岐神(イザナキノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)が現れ、男神女神が対で一代。これで神世七代です。
神世七代
(一)国之常立神 独り神
(二)豊雲野神 独り神
(三)宇比地邇神 男神 = 須比智邇神 女神
(四)角杙神 男神 = 活杙神 女神
(五)意富斗能地神 男神 = 大斗乃弁神 女神
(六)淤母陀琉神 男神 = 阿夜詞志古泥神 女神
(七)伊邪那岐神 男神 = 伊邪那美神 女神
第一章伊邪那岐命と伊邪弘美命
伊都那岐命と伊都那美命の国生み
さて、天神はイザナキノ命とイザナミノ命に、「この漂っている地を固めて国に作りあげよ」と命じて、天の沼矛を授けました。二柱は天と地に架けられた天の浮橋に立ち、海に矛を突き下ろして、「こおろこおろ」とかきまぜました。引き上げた矛の先から潮がしたたり落ちて、淤能碁呂島ができました。二柱はその島に降り立ち、天の柱を立て、御殿を築きました。
イザナキノ命はイザナミノ命に尋ねます。「お前の身体はどのように出来上がっているか?」
「私の身体はよく出来ているのですが、欠けているところがあります」とイザナミノ命が答えると、イザナキノ命は「私の身体もよく出来ているが、一つ余っているところがある」と言いました。そこで、お互いの足りないところと余っているところを繋げて、国を生むことにします。
そしてイザナキノ命が左から、イザナミノ命が右から天の柱を回って出会ったところで、イザナミノ命は 「あなにやしえおとこを」、続いてイザナキノ命が「あなにやしえおとめを」、とお互いに声をかけます。
それから、寝所に入って共に寝ましたが、生まれた子は不完全でした。どうしたものかと高天原に上って天神に相談すると、天神は太占(牡鹿の骨を焼いて、その形で吉凶を判断する)で占って「女が先に声をかけたのがよくない」とのことでした。
そこで、地上に戻って天の柱を回って、今度はイザナキノ命から声をかけ、前と同じようにして八つの島を生みました。こうしてこの国は、大八島の国と呼ばれるようになりました。
その後、さらに六つの島を生みました。
『古事記』には露わな表現が多くあります。このイザナキとイザナミの場面は、ドキッとするくらい率直でおおらかです。
「こおろこおろ」という擬態語は、なんて心地よい響きでしょう。ゆったりとした、無邪気な二人の仕草が目に見えるようです。
「あなにやしえおとこを」は「なんていい男でしょう」、「あなにやしえおとめを」は「なんてすてきな女なんだろう」という意味です。この言葉も、まろやかで優雅な言い回しです。
女性から声をかけるのはよくないそうですが、現代では肉食女子に草食男子があふれ、女性から行動を起こさないと進展はなさそうです。
万能であるはずの天神が占い? と意外に感じました。私たちは、占いというと何か安易な感じを受けますが、神世の時代では正当な方法なのですね。
大八島の国・六つの島
大八島の国
淡路之穂之狭別島(淡路島)
伊予之二名島(四国)……伊豫国・愛比売
讃岐国・飯依比古
粟国・大宜都比売
土左国・建依別
隠伎之三子島(隠岐島)・天之忍許呂別
筑紫島(九州)………………筑紫国・白日別
豊国・豊日別
肥国・建日向日豊士比泥別
熊曾国・建日別
伊伎島(壱岐島)・天比登都柱
津島(対馬)・天之狭手依比売
佐度島(佐渡島)
大倭豊秋津島(本州)・天御虚空豊秋津根別
六つの島
吉備児島・建日方別
小豆島・大野手比売
大島・大多麻流別
女島・天一根
知詞島・天之忍男
両児島・天両屋
※六島ついては諸説あり、比定される島は確定していません。
伊邪那岐命と伊邪那美命の神生み
次に、二柱はこの国に住む神々を生みました。
その途中、イザナミノ命は、火の神の火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を生んだ時、ホト(陰部)に大火傷を負い寝込んでしまいます。
それでも神を生み続け、最後に豊字気毘売神(トヨウケビメノカミ)を生んだ後、亡くなってしまいました。
生まれた神の数は三十五柱になります。
神生み
伊邪那岐命=伊邪那美命
──十七神
大事忍男神
石土毘古神
石巣比売神
大戸日別神
天之吹男神
大屋毘古神
風木津別之忍男神
海の神 大綿津見神
水門の神 速秋津日子神=妹 速秋津比売神
──八神(河海を持ち別けて生みし神)
沫那芸神
抹那美神
頬那芸神
頬那美神
天之水分神
国之水分神
天之久比奪母智神
国之久比奢母智神
風の神 志那都比古神
木の神 久久能智神
山の神 大山津見神=野の神 鹿屋野比売神(別名・野椎神)
──八神(山野を持ち別けて生みし神)
天之狭土神
国之狭土神
天之狭霧神
国之狭霧神
天之闇戸神
国之闇戸神
大戸惑子神
大戸惑女神
鳥之石楠船神(別名・天鳥船)
大宜都比売神
火の神 火之野芸達男神(別名・火之炫毘古神/火之迦具土神)
吐鳴物から生まれた神
金山毘古神
金山毘売神
大便から生まれた神
波邇夜須毘古神
波邇夜須毘売神
尿から生まれた神
彌都波能売神
和久産巣日神──豊宇気毘売神
この神生みでは、イザナミノ命が嘔吐したもの、大便や尿から神が生まれます。私は五年はど母の介護をしていました。『古事記』を初めて読んだ時はびっくりしたのですが、排泄物から神が生まれたことを知ってからは、排泄物に対する考えが少し変わりました。
汚い物ではなく大切なものとして母の世話をする時、それほど苦痛を感じなくてすんだのです。昔からお百姓さんは、排泄物を肥料に作物を育てました。神の恵みとなっているのです。
黄泉国
残されたイザナキノ命は大変悲しみ、ついにイザナミノ命を追って黄泉国に出かけていきました。イザナキノ命が扉に立って、「いとしい我が妻よ、お前と私の国はまだ完成していない。一緒に帰ろう」と呼びかけると、イザナミノ命は次のように答えました。
「もう少し早くいらして下さればよろしかったのに。私は黄泉国の食べ物を口にして穢れてしまいました。でも、せっかくあなた様がいらして下さったのですから、黄泉国の神に相談してきます。その間、決して私を見ないで下さい」
しかし、いくら待っても戻ってこないので、待ちかねたイザナキノ命が中に入ってみると、なんとイザナミノ命は体中に蛆が湧いた変わり果てた姿になっていたのです。そのうえ、頭から大雷(オホイカヅチ)、胸から火雷(ホノイカヅチ)、腹から黒雷(クロイカヅチ)、ホトから拆雷(サクイカヅチ)、左手から若雷(ワキイカヅチ)、右手から土雷(ツチイカヅチ)、左足から鳴雷(ナルイカヅチ)、右足から伏雷(フシイカヅチ)が鳴り出ていました。恐ろしくなったイザナキノ命は逃げ出します。
イザナミノ命は、「私の恥ずかしい姿をご覧になりましたね!」と叫び、醜い女神や黄泉の軍勢に後を追わせました。逃げる途中、桃の木があったので、イザナキノ命が桃の実を投げると、軍勢はすべて退散してしまいました。イザナキノ命は桃に向かって、「私を助けてくれたように、葦原中国の民が苦しむ時は助けてやってくれ」と告げました。
最後にイザナミノ命自身が追ってきて、黄泉比良坂で二人は向かい会いました。イザナキノ命が絶縁を言い渡すと、イザナミノ命は「いとしい我が夫よ、そのようにひどいことをなさるのなら、あなたの国の人々を一日千人殺しましょう」と言いました。これに対してイザナキノ命は、「それならば私は一日千五百の産屋を立てよう」と答えました。
ですから、この世では一日千人亡くなり、千五百人生まれるのです。
「私を見ないで下さい」のくだり。民話の『鶴の恩返し』を思い出しますが、『古事記』にもこれから「見てしまう」お話がいくつか出てきますし、世界中でこれに似たお話があります。
なぜ人は「見てしまう」のでしょう。心理学的にも学説はあるようですが、ダメと言われるとやってみたくなるのが人間ではないでしょうか。
それにしてもイザナミは、すさまじくグロテスクですし、イザナキが追われる様子は、思わずゾンビが追ってくる映画を想像してしまいました。
でも私のイザナミのイメージは、可愛らしくがんばり屋の女神で、このように変わり果てた姿でいることを描いた「黄泉国」は、少し悲しい思いで読みました。
幼い頃、病気になると母が、元気になるからと桃を食べさせてくれたのを思い出します。
禊ぎ祓い
イザナキノ命は国に帰り、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊ぎ祓いをしました。そして、身に着けていた物や体から、次々と神が生まれました。
最後に、左の目を洗った時に生まれたのが天照大御神(アマテラスオホミカミ)、右の目を洗った時に生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に生まれたのが建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)です。
ここにおいてイザナキノ命は、「私はたくさんの子を生んできたが、最後に三人の尊い子を得た」と心から喜びました。
そして、玉飾りをアマテラス大御神に手渡し、「お前は高天原を治めよ」、このように命じました。次にツクヨミノ命に「夜の国を治めよ」、それからスサノヲノ命には「お前は海原を治めよ」と命じました。
水には「清める」という作用があります。神社にお参りする時も、まず手水舎で手と口を清めます。
伊勢神宮の天照大御神をお祀りしている内宮では、御手洗場として、内宮の西端を流れている五十鈴川で手や口を清めることができます。五十鈴川で洗うと、心まで清められたようで感動します。
楔ぎ祓いから生まれた神々
禊ぎの行為で生まれた神
体を濯ぐ 八十禍津日神
体を濯ぐ 大禍津日神
災いを直す 神直毘神
災いを直す 大直毘神
災いを直す 伊豆能売神
水底で濯ぐ 底津綿津見神
水底で濯ぐ 底筒之男命
中程で濯ぐ 中津綿津見神
中程で濯ぐ 中筒之男命
水上で濯ぐ 上津綿津見神
水上で濯ぐ 上筒之男命
体から生まれた神
左目を洗う 天照大御神
右目を洗う 月読命
鼻を洗う 建速須佐之男命
衣を脱ぐと生まれた神
杖 衝立船戸神
帯 道之長乳歯神
裳 時置師神
衣 和豆良比能宇斯能神
袴 道俣神
冠 飽咋之宇斯能神
左手の玉飾り奥疎神
左手の玉飾り奥津那芸佐毘古神
左手の玉飾り奥津甲斐弁羅神
右手の玉飾り辺疎神
右手の玉飾り辺津那芸佐毘古神
右手の玉飾り辺津甲斐弁羅神