自選詩集

『できるすべて』より

神のサイコロ

そこに 段差のあった偶然が

顔の傷をつくり

そこを 通過した偶然が

刺客のような執拗な黒い影を生んだ

神の指の ほんの狂いが

サイコロの目を違えた

もっと早く出会っていたら

拾えた栗の実

遅く出会った偶然が見つけた

大きな朴の葉

親不知子不知という難所

透明な大気のエアーポケット

海を走る潮の魔術師

それよりも怖いのは

日常生活にひそむ

湿った悪意

絨毯に転がっている

仰向きの画鋲

気をつけろといい

気をつけると応えて歩み出してはみたが―

光と影

白と黒 

愛と憎惡

信頼と疑惑 

昼と夜

みな日没のなかに熔け入る

短歌

執ふかくいまだ嘆かふわたくしの運命を振った神のサイコロ

『紙霊』より

紙霊

「美しき紙霊は立つ一日わが成したる反古を眺めてあれば」―葛原妙子

一枚の白紙をのべる

未分化の

もわっとした

うすずみ色の

意識のなかから

キラッと

目くばせをするキッカケ

を 見つけてすばやく

細い糸の尖端をつかみだし

撚り紡ぎだしたいと

紙に向かう

黒雲のよう

ひろがるぼんやりとした不安

ダムの水門がこらえている

火の水圧

紙はしずかに 

受けとめようと待っている

紙はしずかに 

  つづられてゆくかなしみを

    受けとめようと待っている

紙はしずかに

灰色の脳髄から

ゆらめきたつ

あやしい炎を

まやかしの虹を

受けとめようと待っている

ゆらめき立て

紙霊の柱

まやかしの

紙霊の虹よ

口先三寸筆先一寸の

紙の霊

下半身もたぬクイーンとキングらが

すずろに遊ぶトランプカード

いかにはげしく書かれても

紙は平静

書かれたものが不当なときは

焚書の憂き目を見

いかに切実な思いを

つづろうとも

紙はいつか

ほろほろ風化する

紙の命の尽きるまでの

長い時間でなくても

くずかごに入れる前の一ひねり

紙に書かれた思いは

反古となる―

まやかしの

紙霊よ 来たれ

しろたえの

紙をしずかにのべつつ

紙よ

わたしはお前の霊を待つ

うすむらさきの酩酊者

不機嫌なアーティストが

気まぐれに折り曲げた

鋼鉄のオブジェのように

冬のあいだ無言であった

藤蔓の

太い線条 細い線条

数ヶ月の沈黙を

洪水のように破り

風にひらめく

紡錘形の花房の

先細りつつ

けぶるむらさき

天蓋となりて

垂れつつ揺り揺れる

花かんざしの

芳醇な匂いが引き寄せている

羽をもつものたち

つややかなアンバーいろの蜜蜂・虻

なかでも太った腹の 

クロマルハナバチが

羽音も高らかに

通りかかるものを 

おびやかす

おどろくほど

多くの虫が密集し

たてる羽音の

真昼の眩暈

熟れてゆく五月の陽射に

ほしいまま

吸う

うすむらさきの房の蜜

はてしもない時空のひとすみ

濃密な藤棚の下

虫よりもけだるく

恍惚として

遠いまなざしにたつ

うすむらさきの酩酊者

火は魔術師

薪小屋に

二年間積んであった

薪を燃やす

ほどよい油気と水気をふくんだ薪

火の粉を噴きあげながら

燃えあがる炎

まわりに坐って

おし黙って

炎を見つめる

ああ なつかしい煙の匂い

八ヶ岳の闇は

部厚い

自然石を二段に積んだ

円形の石組み

その中央が凹んでいるだけの炉

「柳生さんの作った炉」

誰かの声

ここから上は家がない山の

夏の木立は

夜空より黒い

闇に抗うため

火を焚いた

古代人のこころ―

火は神のもの

炎は純粋 炎は神聖―

「炎の中心は八百度をこえるでしょう」

山荘の主はいう

さざえの殻を

誰かが投げ入れた

さざえは

真っ赤に透けた火の壷

巻貝の螺旋の

とろけるような美しさ

さざえは

そのままのかたちを頑固に保って

いつまでも炎の下に 

うずくまっていた

主が一本一本手作りにした

薪をくべる

どれほど焚きつづけたろう

さざえは

やがて白く変色して 

急にくずれた

人の骨もこうして焼かれる

また太い丸太をくべる

炎はたちまち

すり寄って

丸太を包みこみ

くどくように

なめるように燃えあがる

新しい恋のエネルギーを得たように

木の時間

薪の時間

人の時間

すべてが

無に還っていった

生き生きと

新しい炎をあげる

火を見つめる

火は魔術師

『花鎮め歌』より

猶予

うしろに置いてきてしまったものがある

あのことも そのことも

どれも置き去りにしたくなかったものばかり

こたつを囲んでむいてたみかん

青空ににじんで消える垂直の飛行機雲

母の白い額

もうはるかに置いてきてしまったものたちは

ときおり記憶にかえってくる

若い日の苦い悔恨や

胸を刺すような痛みとともに――

それらにむかっていつまでもふりつづける

白いハンカチ

そして今

なにげないこの今に別れつづける――

瞬間は

永遠のかけらとは実感しないが

別れつづける瞬間の

出会いつづける瞬間の

手の指の間からこぼれおちる

渇いた砂粒 

白い花びら

許された地上の時間を

漆黒に塗りこめてしまった喪失――

宇宙のかなたに消えてしまったものたち――

おとずれる終焉までの

猶予の今が

ああ しいん しいいんと流れてゆく

異形の春

行きたいときにトイレにゆけ

トイレにゆく回数を考えずに

水を飲めることがあたりまえと思っていた

入りたいときにお風呂に入れて

下着を替えられるのが

あたりまえと思っていた

そうした基本的な生理的欲求が

あたりまえでなくなった

今回の災害

マグニチュード9・0――聞いたことがなかった

人智の防潮堤をやすやすと

乗り越えた津波――

余震ですら

マグニチュード6や7

遠く関東ローム層の台地に住み

一ヶ月たった今も

ときおり揺れているような感覚

なお深刻なことは

原子炉がまだ鎮まっていない

チェルノブイリと同程度の甚大な事故だが

放射線量の漏洩は十分の一――

そんなことで自己満足していいはずはない

チェルノブイリは重大な被害を与えたが終息した

福島原発はいつ終わるのか――

神も予測がつかない

大津波となり怒りを示した海は

浅薄な人智の 

どうしようもない

垂れ流しを

黙々と受け入れて

青い

それでも震災から一ヶ月もすれば

東京のそこここで

ライトアップのない満開の桜の下

青いシートに立てた蠟燭に

赤黒く照らされながら

車座になって

ひそひそと飲食おんじきをする

異形いぎょうの春

『夢の鎌』より

時の翼

時の翼は白と黒

光と闇との縞模様

斜めにさす冬の陽射しに半身を照らされて

ゆりの木の街路樹に沿って歩いてゆく

私の生の照り翳り

天頂まで一気に駆けあがる飛行機雲

吹く風は冷たいけれど

空には滴るような春立つ光

けれど西には険しい表情の

灰色の雪雲もみだれ飛んで

記憶の川のように

あいまいに

飛行機雲はにじみはじめる

きさらぎの日を反しつつ歩く私は

光度計

錫の箔

回転する世界の静止点

一生ひとよはそこから拡がってゆく円

日常の外に時折り遊び

想像力の時の翼に酔っては験す

円のふち

不透明な先行きよ

蒼穹に吸われていった飛行機雲

経験は

力を与えてくれたろうか?

白と黒との時の翼

だんだら模様の同心円

夢の鎌

夢を重ねながら

日々は雲のように消える

果てしもなくひろがってゆく夢の尖端を

誰か見知らぬものの手が握っている

絶えず滅びてゆくものに取り巻かれながら

ひと日ひと日を生きて

雨上がりの野の

遠い虹を見上げながら歩く

内部のどうしても動かない部分は魂と呼ぼう

すべては永遠なるもののひと刻み

空が静かに傾いて

夜がふくらむ

ただ一樹 

野にたつ榛の木の上

鎌のような三日月がしだいに鋭さを増してゆく

いつになったら季節はめぐってくるのだろう

生の花はどこかでひらいていたのだろうか

私自身のどうしようもなさの鎌で

夢を刈る

夢の化石の日々を刈る

三日月の鋭い鎌で

刹那のポエム

音――

ズシンと身体にひびく振動

暗い空の華

の火でした

炸裂は炸裂を生み

瞬時に開いた万華まんげ

赤、みどり、紫、オレンジの 雫 雫 雫 雫 雫

ふりかかる雫の滝は

地上の私を吸いこんで 消えた

あとの 空の漆黒

雄物川の河川敷沿い――

放射性フォール降下物アウトではないよ

きよらかな幻視の華

意識から

この世を消す華

花火師が夜空に描いた

刹那のポエムの

万華の氷と

火の虚ろ

雄物川の川音がふたたびもどってくるでしょう

命の光

忘れられない瞬間がある

最後という思いに

見つめあった時の間の

いつまでも心に残る

目の光

もうふたたび

まみえることはできないと思う時の

生から死への

海境うなさかを落ちてゆく

目の

最後の光

一つの空間から

いずこともしれないかいへの

移ろい

ここには

ふたたび戻れない予感の

まなじりに

きらりと走る

諦念の光

向き合って生きてきた

命と命の

このうえもないあたたかさと

このうえもないやさしさにみちて

かたみに見つめあった

許しの光

最後に点った

命の光