永久にこんな手わざが続くやうに無月の窓に米を磨ぎゐる 『日常璃璃』
町なかに僅か残りてゐし田圃稲そよぎゐつ しつかり実れ
病院とふ組織に落ちてひと粒の雨滴のやうなわれなりしかな
「そんなにお利口なら猫なんかしてないね」いひつつ猫の小さき頭を撫づ
かの地の小さき穴より来し蝉の炎天に啼く声よ、ひりひり
蝉啼けり頻りに啼けり身の内に悲しみいつぱい詰め込み過ぎて
墜ちて来し蝉の臨終を掌に載するいかに翔びいかに啼きて来たりし
衰へし柘榴の木大き実をふたつ陽に光らせり遺言のごと
着流しの和服で君が逢ひに来し新宿の夜は若かりしかな
地球の終末説くひとのゐてしんしんと紅き蜻蛉は舞ひやまぬなり
亡きひとは父とかさなり男として秋の林を透きて佇む
箱根路をわが越え来れば亡きひとの声するごとき駿河碧海
不機嫌な山の稜線雪雲の下にせまりて京都が近し
杉の闇に紅葉ちり来る高山寺みちを過去より少年が来る
冬茜川原に射せり年老いし〈漂流小町〉に逢ひたきゆふべ
紅梅に雪降るあさは思ひゐるビンラディンの生死 にんげんのゆくへ
多摩川に夕焼けてゐる白鷺の胸ふくらみて焔を抱く
北風の荒ぶ街より帰り来て注ぎをり五月のいろ濃き緑茶
しだれ梅なだるるごとくみんなみへ向きて咲きをりうつくしき傘
花喰鳥の落してゆきし梅のはな暮しのうつくしき汚点のやうな
雪後の陽窓より射せば染めしわが髪もはつかに燃えそめにけり
花遅らする術も知らなく木蓮は春浅き日の北風に逢へり
木蓮の白散りそめて樹々の上にムンクの〈叫び〉のやうな花びら
〈冨士みなみ〉とふことばがありてその昔わが縁側より富士山が見えき 『日常璃璃』以後
みつばつつじの群落映ゆる鳴沢の火山灰地に土筆摘みゐき
鳴沢の土筆茹でればほのぼのとみつばつつじの紫を帯ぶ
傘さして薔薇園に来しわが傍へ濡れて尾垂れし犬が歩めり
若き父が捕へて蚊帳に放ちたる蛍光りき はるかなる岸
朝の庭葉裏にひそかほのじろく蝉は震へて脱皮を終へぬ
落ち梅を拾ひジャム煮ぬ髪乱しジャム煮てゐしは魔女かわたしか
人といふこの不可思議な生きもののせつなさのため窓に陽は来る
細竹を四本切り来て盆棚を囲ひわが家の結界とする
底ごもり太鼓のひびき聞こえ来る盆の夜は暗し、暗し死者らよ
盆をどり月下に妖精舞ふといへり 八雲すなはちラフカディオ・ハーン
人を頼りしかも抗ひ梅雨晴れの紫陽花の花殻切りてゐにけり
つくづくと寺山修司の瞳の暗さ彼さへ死ぬと哭きて蝉墜つ
裏返しに干せる盥の底の陽に猫が寝てをりばかな顔して
大き甕に鈴虫のゐて盛大に悲しみを啼く 闇截るばかり
体力落ちしわれは憎めり「あかあかと冬も半裸のピカソ」なんぞは
隣り家の柿鈴なりの赤き実の鳥も剰せばひたすら熟れつ
冬の夜半肩叩き器の音させてゐる娘の日常も〈明〉のみならず
捕はれしサダム・フセインの表情の激変 人は生きながら死ぬ
汚れはて人らしくなれるフセインを非情に朝の新聞は見す
西新宿四十八階に学ぶ古典バーチャルならぬ風景に満つ
漕ぎいでな潮もかなひぬと詠ひたる世にもまつろはぬ人はゐにけむ
ともしびの明石大門にあらねどもレインボーブリッジは夜の海に照る
椎の葉に盛られし飯はいかなりしいまは柿の葉のすしなど食みて
友は手術、われには深き疲れありて見上ぐればひとり匂ふ紅梅
病院より抜け来しきみが縁側にてじつと見てゐし庭の紅梅
かくて今年も庭木に肥料撒きてをりわれよりも長生きせむもののため