加茂川にゆりかもめ間近くとびかうは「昔男」の知らざりし景
川岸のバス停に降り暫くをゆりかもめ舞いたつ様を見て佇つ
パン屑を投げ与えいし人去りてゆりかもめ所詮は川瀬に泛ぶ
鴨川のゆりかもめ琵琶湖を塒とす桂川の群れよいずべに帰る
紅しだれ流れに映りゆりかもめ渡りゆきてや姿はあらず
人だかりせるガラスケースに横たわる枯木の如きが楼蘭の美女
楼蘭の美女はかなしも四千年たちしミイラの美女と呼ばれて
一枚の羽根をかざしてよこたわれる楼蘭の美女よ安らかに眠れ
砂嵐に耐えて墳墓を出されし時楼蘭王国は疾く消え失せて
映像はミイラの顔に肉付けし目を開かしめて美女となしゆく
金のなる木利子の如くに葉を落としその葉の更に芽をふきてゆく
鉢植の「金のなる木」の厚ら葉をいらむしは食らう旱天なれば
秋にれもひいらぎも鳥の持て来しもの雑然と庭は自然にまかす
湖岸よりすくい来し砂を鉢にまけば巻貝の細き殻のまじれる
千五百年経し淡墨桜満開なりテレビは映すいきのいのちを
満開の桜の下に野鳩きて散る花びらをついばみている
わが庭に根絶えしものはほととぎす・猩々袴・香にたつ薄荷
退院し帰り来しかば裏庭の鬼百合の花も見るべくなりぬ
玄関の壺に活けたる鬼百合の花咲ける間は人の来たらず
黒揚羽さ庭べに来しが満開の鬼百合に寄らずとび去りゆけり
草をひきていたりし妻が鬼百合の花粉に上衣を汚し入り来ぬ
鬼百合の今年の開花三日おそし一昨年去年と誌すを見れば
アロエのとげ山椒のとげ薔薇のとげ我も幾つかの刺を持つべし
塀ごしの光をあびて柊の葉はかがやけりとげなど見せず
人妻と山坂道を下りきて門ぬけいでしまでの夢にて
夢の中にマントをまとい砂利ふみて少年時住みし家を見に行く
木造校舎の廊歩みゆくわが夢は生徒なりしか教師なりしか
梅雨の晴れ間の郭公の声と聞きつるは家近き交差路信号の音
駅員の早口の訛り聞きとれず新幹線女声アナウンスは明晰にして
北条氏の菩提寺をわれは訪わんとす連歌師宗祇の墓のある故
「世にふるも更に時雨の宿りかな」門入りて先ず句碑に寄らしむ
八十二歳旅に逝きにし宗祇なりわが齢まさになんなんとする
石階の上に宗祇の墓あれば脚弱き妻は下に待ちいる
古びたる宝篋印塔ま新しき「宗祇法師の墓」の札立つ
終焉記のしるす宗祇の葬り所はここならずこの墓は供養塔にや
たかむらの積れる落葉踏みゆけば昔の人に逢う心地する
ちちのみの父が散歩に杖ひきしは比叡・愛宕嶺の見ゆる裡にして
比叡・愛宕・賀茂の流れと歌い来し同期の友ら米寿を迎う
賀茂川の清き瀬音を打ち越えて日々学びにきまた勤めにき
下鴨に移り来し時少年われ窓より比叡山を写生せりけり
平成のわが家よりのぞむ比叡山は家並みの上に頂のぞかす
比叡山の日いずる肩と三階の病室と高度同じらし我のベッドを朝日直射す （警察病院）
比叡山の上を流るる白雲は北に向かえり朝しずかにて雨近きらし
信濃路の宿にて友に教えしは草むらに紅き仙翁の花
いつの間に一人静のふえたるかひそかに花をつけて塀際
一人静と思いいたりし庭草の穂に出ずる見れば二人静にて
裏庭の蕗のとうの数かぞえ来て妻は報告す朝飯時に
伸びすぎたる蕗のとう一つ見いできて妻は惜しむが如く調理す
裏庭の蕗のとう数多芽を出せど二人ぐらしなれば二個つみて入る
退院し帰り来たれば裏庭に茗荷の子のびいて日々食わせらる
朝々の食事に茗荷添えてあり裏庭にいでしやせ茗荷にて
いのこずちわが庭に実をつけており何に付ききて芽生えしならん
シーボルトが「お滝さん（ＯＴＡＫＵＳＡ）」と呼びし「あじさい」の花白妙に咲くを恋おしむ
すりがらす越しに映れる藍色のあじさい日々に色を変えつつ
あじさいの枯れし花鞠活けおけばドライフラワーと人はほめゆく
シンビジウム・しゃが・こでまりと白く咲き小園暫しいさぎよきかな
もくれんの花咲きしかば屋根ごしにはつかに見えてすがし白妙
花白く咲ける十薬ひけばすぐ抜くるものあり抜けぬものあり
通院の道沿いに咲く白き酔芙蓉帰途にはすでに赤くなりいつ
沿線の木叢つづきて合歓の花次々と咲けり流れつつ去る
合歓の花けぶるあたりか郭公の幾たびも鳴きて渡りゆきしは
賀茂川の川原の白ばな夾竹桃一夏咲きて未だ終らず
紅白のさるすべりの下くぐりゆく夕かげりたる試歩の道にて
道をはさむ赤と白とのさるすべり赤がよしとも白がよしとも
つぼみ時黄菊と見しが咲き切れる今日見ればまこと白菊の花
蕾あまたつけたる菊の鉢を求め老人ぐるまに妻は載せきつ
ひと年を忘れていたる紅蜀葵今日しも大き花をつけたり
もみじ葵かとろろ葵かと呼びいるに娘きたりて紅蜀葵と事もなげなり
金木犀の黄金の花の地に敷きて後を追うがにつわの咲きつぐ
つわぶきの花の黄色は黄菊よりなお色濃しと佇ちて見つむる
小鳥らの放りゆきたるか芽生ゆるは千両・南天・ひいらぎ・山椒
黄菊咲き長寿梅咲けばこぼれ種の桜草も時を得顔にぞ咲く
わが心沈みてあるにゆすら梅一輪一輪と時をたがえず
比良の蕗、勝野の原の小判草、今津のあやめわが庭に生いて
雲母坂の谷間に採り来し孔雀羊歯今日は春雪の下にかくるる
孔雀羊歯を残し裏庭の羊歯を刈る孰れも胞子をびっしりつけて
のうぜんかずらの名前咄嗟に出でて来ずその花の下を静かに通る
鶴女房の正身か床を並べ臥す妻の寝姿嵩低くして
幾十年床並べきて嵩低き妻の寝姿しみじみと見つ
杖つきて道行く我を見護ると妻も杖つきわがあとにつく
「生きていてくれさえすれば」と妻はいう無為の老耄我に極まる
風邪ひくなと布団をかけしは妻にして時に亡き母亡き姉となる
「風邪ひくな転ぶな義理は欠け」という義弟来たりて老骨われに
夢を見て妻は悲鳴をあげており我にかかわりありやあらずや
子の移りし浦安市明海の夢見街名を聞けば大方新開地ならん
九階のけざやけき冬の富士を見に来よとありしが未だも行かず
長男よりかかりし電話わが耳にききとり難く妻と替わりぬ
「妻よりも早く死ねよ」という言葉老齢の会食に今日も聞かさる
起きいでて先ずゆるゆると靴下をはくが老いわが一日の始まり
煙管寝といわばいうべし老いひとり夜半の寝覚めに目をあけていて
時として人の名、物の名欠落し老いの脳裏によみがえる待つ
杖つきて家ぬち歩めばわが生くる世界はいよよ狭くなるらし
旱天にかまわざりける鉢植の満作も詫助もともにし枯れぬ
つくづくと吐息をするに老いの身の健康法とぞ深呼吸にして
飯一つ炊き得ぬ我を「男にはよき時代を生きて」と冷やかされおり
転倒し壊しし眼鏡新調す罅入りし肋は新調ならず
新しき眼鏡あつらえいる間古き眼鏡は洗われていつ
正月の箸紙の一つに蓬莱山と書くこともわれの父より受けつぎしもの
蓬莱山と書きたる新年の祝い箸とんどの火にて妻が処理しぬ
新婚旅行にタヒチより帰りし孫娘「ノアノア」の土産話などはせず
パリマラソンのテレビ画面を見つついるにセーヌの水の濁りも映す
御所車につづき控えのこって牛角ふり気負いてしたがいて行く （葵祭）
「君が代」を声楽家をして歌わせよ美しき歌曲に我は酔いたり
岩波文庫よりも改造文庫に親しみしがその改造社今はあらずも
我が世代は歩兵銃など手にせりき今の学徒よ幸せを思え
丈高く墓碑幾基かの尖れるは村より征きて帰らざりし証
またしても観測衛星打ち上げて宇宙公害起こるを懼る
人工衛星の写せる見れば地球には国境線などひかれておらず
觔斗雲にとびゆきしも釈迦の掌の中といえば宇宙船もかくの如きか
獅子座流星群を皆人はいう我はテレビに見しとは言わず
疳の強き子なりしといえば妻笑う老いたる今も頑冥にして
昔々「当麻の蹴速」と一芸を名乗りいし人をあわれとは思う
サナトリウムのありしあたりと覚ゆるに総合病院となり我の入りゆく
病棟は古代の池に沿いて建つ皐月水無月池見てすごす
リュック背に杖つきて妻帰りゆくを病棟のロビーより見下ろしており
妻と我の二人坐らせこの医師はわが前立腺癌の宣告をせり
医院より退出せんと靴はくに身のよろめくを人に見らるる
五条通を東へ行くと聞きつれど救急車にいねていずくと知らず
「寝たきり」になりたくはなし下ろされたるベッドに手足動かさんとす
心筋梗塞起こしてその字を知らずけり確かめてよりわが身とはなる
涙して妻帰りゆきし病室に酸素発生器の音のみ著し
病棟より病棟にとびくる蝶一羽大川越ゆる気分持つにや
病棟をつなぐ廊下を看護実習生渡りくる朝々を待ち望みおり
実習生らはよき名の名札胸につけ名付けし親御の心偲ばゆ
手術室に入らんとするに担送車に妻のとりたる手のあつかりき
「大丈夫か」当直のナースの口形を幕合いによみ我はうなずく
病棟に四号室九号室はなけれどもベッドの北枕は誰も気にせず
車椅子を妻に押されてリハビリの試歩に呼び出され病廊を行く
病院の外泊を貰い来て秋の彼岸供養の申込書を書く
財布には舌下錠幾つしのばせて発作に備うるすでに幾月
非常階段を医師看護婦は昇降す試歩しつつ我はただに見送る
歩行器に猫背を出して試歩なせる我をナースに注意されおり
「ネコを出さないでね」ペットにあらず衣替えせる我を言う声
新装の京都駅舎はくろぐろと遠目には見ゆ軍艦に似て
病院より遠望せしが改装の駅ビルも都メッセも行かねば知らず
車椅子も歩行器も不要となりたれば杖つきて廊をゆるゆる歩む
ナースらがお守りにくれしは陶製のエジプトの昆虫玉おしこがね
退院し帰りこし我の抽出しに万歩刻まざりし万歩計あり
病みおればあめのうおを見舞いに賜わりぬ有難きかな惜しみつつ食ぶ
街人の得がてにすとうあめのうおを酒の肴に食養生す
十津川の清き流れに鰭ふりしあめのうお甘露煮としてわが膳にあり
あめのうおは熱燗の酒によくあえば身をほぐしつつ味わいており
散歩道に石榴の花を見たりしは入院前にて今日は丸実の風にゆれいつ
篁を透かし見下ろす隠り沼の雲の切れ間を水の面かがやく
宇宙より眺むる地球は青しというさわれ戦火の絶えんとはせず
大尾