緑蔭夢かたむけてのそりのそり風のながれへ白猫のあゆみ 『螺旋階段』
旗ばかり人ばかりの駅高い雲に弾丸の速度を見送ってゐる
截リキザム白紙ノ艶ヒアタラシキ光ノナカヘ夢ヲナゲコム
まっ白い腕が空からのびてきて抜かれゆく脳髄のけさの快感
莨のけむりからまる幹は伸びたちてわれの左手まひのぼりゆく
青いペンキはあをい太陽を反射すから犬の耳朶が石に躓く
東より雲きたり形くづす幾時か君を恋ひアヴァンギャルド運動を恋ふ 『エスプリの花』
ダミアの歌声ひくく流れ来て裏街の辻に雪は降りつむ
マントかぶり富くじを売る学生に風は粉雪を交じへつつ吹く
馬鈴薯がならんで小さな芽をふけり妻のうしろから朝を呼吸す
眼鏡はづして物象くづれゆく時に聞きたりや世間騒雑の音
絶え間なくさざなみ受けて光る石頸美しき鶴をたたしむ
稚き蛇水の面をすべり逃げてゆく逃げゆくものはなべてかはゆし
石一つ叡知のごとくだまりたる雨のまっただ中にああ光るのみ
億兆の波の反覆をききながら岸壁にしがみついてゐるのは誰だ
子を生みてうつろなひとみアネモネの紫色より更に恋しき
七月の海の光にうちぬれて岩かげの裸婦はおきあがれない
銀行の清き少女の繊き手の無尽にくり出す春の札束
怒りのさく裂 花と閃く ひりひりの 真夏の夜の空の興奮だ 『宇宙塵』
鶴はしづかに一本の脚でたちつづけるわらひのさざなみにかこまれながら
濁流に杭一本が晩秋のあらき光をうけとめてゐる
さしだせばわれの左手舞ひのぼりかなしみはかぎりなき空の青みに
どしゃぶりのぐしゃぐしゃの雨の底の方で弟の骨がぼうっと白い
七階からみおろす午後の がらくたのあ のごみどもの 虫けら達の ああめちゃめちゃの東京の街
眼つむればつねに海鳴りがきこえ来て清き勇気を清き勇気を
あふれ出て路上にみなぎりさらにあふれとめどなしとめどなし春昼の泉
にび色の秘密色の丘の象形文字原始たそがれ永遠未来
雁来紅燃えのきはまり地殻よりわななく声のまっぴるまなり
不気味な夜の みえない空の断絶音 アメリカザリガニいま橋の上いそぐ 『球体』
ボタンは一瞬いっさいの消滅へ、ボタンは人類の見事な無へ、—ああ丸い丸いちっちゃなポツ
永遠は三角耳をふるわせて光にのって走りつづける
雪に埋もれたふかいねむりの石のなかのくらいしずかな力であるか
断絶のよろこび石はふかぶかと大雪のなかにうもれていたる
ぐみいろのしだいにはげしい回転が石の内部に育っていった
あかときの雪の中にて 石 割 れ た
樹氷きららのなだれのはての海のはての空のはたてのきららのきらら
鶴の足 かなしみのあし むらさきのつゆくさ蹴って発つときのあし
つーんとキリコ コンペキ つっ立った鉄の梯子のエスプリ キリコ
春三月リトマス苔に雪ふって小鳥のまいた諷刺のいたみ
縁の下 さび釘 刃こぼれ鉈 われた下駄 ずるそうに笑ってる猫もいる
黒の裂け目をふき出る黄 黄の黒 黒の黄のこころの熱さ
全山ぬるでまっ赤に燃えろ日本の秋のきわまり今日のきわまり
午後 しーんと 動かない世界のこのすばらしい充実 虫の不在
生まれいずる点々無尽れいめいにこだまはふるう未来の空へ
黒の点刻 黄の点刻 黒と黄と 黄と黒とエスプリのなぐりあい
白日下変電所森閑碍子無数縦走横結点々虚実
カットグラスノキラメクハエスプリノハナアタラシキアキカゼデアル
オートメーション 人間不在 コツン・コツン、カチン・カチン、コツン、——カチン 『心庭晩夏』
欠乏の美という樹 をするするよじのぼる猫の 胴体のびきる
丸い石たちとんがり石もまじり合い互いにかげを重ねつつある
うもれんか雪に泉のかそかなる春あかつきの音のくぐもり
橋の下まなく時なく現代が過去と未来をかきまぜている
余熱ぼうぼういまか出て来し骨骸の仰臥の位置のたもちありたる
絶対という奴につかまっちまった証拠かこれが 骨片ひと山
岩一つ海面に浮きぬれ光るそのしずかなる存在の朝
ほそ首 かたむけたままにわとりのいっしゅん佇立 冬である
鞦韆のおかっぱの少女が笑ふので白の小犬がはね廻るなり 『青の六月』
やはらかきふらんすとほきいにんじんは部屋隅にひとりうなだれてをり
にんじんの幻想に追はれて駈ける道にんじんの顔のしんこくさあはれ
池はたにかけ出でてひざまづけばおのづから手はあはされてあはれにんじん
をさなさはばけつの水に頭入れ自殺をはかるにんじんあはれ
谿ふかく鳥ありて鳴く声さむし一つの石をまたがんとすも
ほのぼのとあかとき光浴びながら妻と覚めゐて語るしばしを
父にいつき母にいつきて悔ゆるなき八年の妻よちひさき肩よ
うち撓い北へ裸林はけむとなりめたふいじかるな雲とつながる 『万象ゆれて』
とびさりて 鳥は曇りへ 莫々空々一月尽
ふりむけばジャコメッテイの顎ひげのしらむあかつきスタンパの夢
かそか泉のわく音の辺のなよ草のあるなし風も春の闌けゆく
山もとのかすむあたりの遠じろの由良川うねる神の世のごと
竹林を出で来てわれとわが影は光のなかのゆらめきである
照りかげる天からこぼれおちて来て紫羅欄花のはなに雨降る
朝の精海の精とも少年はほそく立ちたりさざなみのなか
恋いくればくれないにおう桃の村 春日おとめら 牛のよぶ声
桃畑に桃の花剪るおとめらの鋏の音も村の日ざかり
天球にぶらさがりいる人間のつまさきほそいかなしみである
竹藪のしたくさくらきにみえかくれしつつかけろの白き二三羽
ゆれやまぬ万象なんぞ茫々と時はおやみなくながれつづける
春雷にころがるレモン、われらかく長く生ききし 食卓のきず
やっさもっさの廃車の山のラジエーター、シリンダー、キャブレターはたディストリビューター
ボンネットばかっと口をあけたまま夏の太陽照りかげりする
古鏡ひずみひそかにニヒリズムしのびこむがに雲を這わしむ
やおよろずの神々 森のざわめきの 風にふかれて薄月がある
青ふかき夕空くぎる岩山の尖り鋭き日本晩夏
太竹のゆるぎなきゆえ高穂先さやらさやらと風をあそばす 『石は抒情す』
わか竹の新肌ほのかくれないのにおうとやさし朝茜さす
くずれまたもりあがりくずれ幾重波あたらしき波億兆の波
夕いたり石は抒情すほのかにもくれないおびて池の辺にある
梅の木下より 石踏む音の近づきて はたと消えたり亡き父の音
石苔か苔石いずれさびさびとたそがれ早く亡父の古庭
北を恋い北に憑かれて能取路をひたはしるわれかきさらぎ二日
雪に燈台埋れんばかりはや近くひしめきよせいる流氷群団
あかときの青の汀の沙鴎 ふりむく一羽まなこするどき
一花揺れ百花千花のゆれゆれて北山なだりかたくりの花
日はのぼり日はまた沈むいつのときもわれに凛たり心の一樹 『ルドンのまなこ』
下枝を中枝上枝へもみあげて風はごうごうと天へふきあぐ
母の部屋にふた夜三夜寝て母は亡しまさしく母はかえり給わぬ
母よ亡し母おわさぬを部屋隅に鏡台はある母の鏡台
背まろめ鏡の前にありたりし朝ゆうべの母かえるなし
核弾頭五万個秘めて藍色の天空に浮くわれらが地球
ルドンの眼いつしかビルの谷に落ち物音絶えて都会は死んだ
いつしかにルドンの眼のぼりいて神宮の森にふくろうのなく
石を洗うごしごし洗うたましいをごしごし洗う朝早く起き
月は無心に走る同じところをはしるひたすらはしる
魂を内にこめんとはっしはっし身をうつ体操朝ごとにする 『天壇光』
たまきはるうちの大野にひとり立ち天衝き地衝き吐く息白く
青深き新宿の空くきやかにビル群立の亭々として 『樹下逍遙』
太陽が雲を破ってガラス窓をしたたる滴どすぐろきいろ
臍の緒の切断されてああここにまさしく男子独立の生
泣くことが精いっぱいの主張とて懸命にひたすらに泣きてうまざる
一樹はや雪にけぶりてぼうと立つぼうと命をこもらせて立つ
ゆるぎなき幹の太きが泰然と無数の枝葉繁らせている
こせつかずおおらかで且つ堂々と自然体やよし単純やよし
いずこより風の吹き来てさざなみは湖面の月をくだきやまざる 『月は皎く砕けて』
デ・キリコが楕円球体かかえ持ち梯子をゆっくりのぼりはじめた
八ッ岳ここは富士見の乙事沢人見ず家なく樹林は続く
なに鳥のなくややさしき山径 あわむらさきの空気はふるう
カッカッとなきて飛び去り走り行き小さいけもの消えて失せたり
夜に入りて大根の葉はつんつんと生気放ちてあやしく並ぶ
太幹に耳あて妖しやなしゅんしゅんとながるる音は樹木のいのち
月が、月が欠けはじめた、時々刻々欠けてゆく、妖しい夜だ
一歩二歩と踏み出し登るという意味を考え三歩四歩とのぼる
意志と登るという行動といつしかいっ体となりリズム持ちて登りゆく
ゆっくりのぼる戒めながら登るいつしか自然体となって意識なく登る
村のはずれの古沼ほとりにあやめ咲く卯月たそがれかなしみはわく
戦の杳き日遠き地に逝きし若きらの墓古りて苔むす
戦に逝きし若きらうちならび苔むす墓となりて傾く
鳥一群林を翔び立ち大空へ右へ左へ方向かえてとぶ
沖縄の空より義弟還り来て挙手の礼せしあけがたのゆめ
ただいま還りましたというらしき義弟の唇動くことなし
銃を肩に完全装備の弟 無惨なり残酷なり 飢と疲労の極限に死す
インパール・ホーライキョウの泥濘のほのじろき骨は弟である
雨やみてひゅるひゅる風の音のして弟の骨あおく炎えいる
子曰 汝なんぞ汲々たる 背をのばせ 額あげて まっすぐ歩け
泰然と巨石がここにあるというこの絶対の存在感は
ふりむくな誰が呼んでもふりむくな後になにがあると言うのか
無患子の大樹の下に口あけて見あげいる老のあご鬚そよろ
身体髪膚之を父母に受く—亡父亡母よ今し我オペ室に入りゆく 『矩形の森』
オペ室のひんやりここにあおむけのたちまち縛され両手両脚
麻酔専門の女医さんの眉秀でたるまじまじ見ていしがふっと現実なくなる
ストレッチャーが物体われをするするするといずこの国へ運びゆくのか
ひとつ命のひとつ蛍がふうわりと草むら出でて草むらに入る
八十路近くにしてようやく「死して後已む」を心構えと励まんとする日々
鯛の目玉も喰い終りたればちょっぴりづもりのぐい呑み酒も終りとするか
神のみ告げとわれによりきて白き鶏 くくと二声かしら傾け
父の踏みし庭飛石のわれもいま同じ音させゆきもどりする
今宵わが幼な魂よみがえりゆらゆら首ふりふらふら遊ぶ
かなしむななげくな今日が過ぎ去れば必ず明日がやってくるのだ 『樹液』
いかなる世の近づく音かどろんどろんといずこともなく底ごもるがに
青ふかき宙空鋭く貫きて一鳥無限をめがけ翔びゆく
空は青、青のきわまり まほらにぞ、突きささりたる尖塔の鋭
こは花、こは神なるや、純白の大輪風にほのゆれている
春の愁いのほどろほどろの降る雪のそこはかとなき悲しみである
眉びきの横山辺ろをほめきつつ離れんとして月はためらう
わが魂{たま}は夜なよな病窓をぬけ出でて螢となりてあいにゆくなり 『游魂』
由良の川音ふるさとの音幼な日々あそびほおけし川みずの音
どの部屋を歩いてみてもどこにもいないおーいと呼んでも答えてくれない
病室をそっとのぞくとにっこりと笑みて待ちいしわが妻あわれ
また明日来るよと言えば 私もいっしょに帰りたい といつも言いたりしわが妻なりき
諏訪坂は悲しい坂だ もうあの坂を——われに悲しき諏訪坂あわれ
父母よ隆子がおそばに行きましたあたたかくむかえたまえな亡き父母よ
妻の戒名慈徳院静安隆昌大姉と申します迷わずおそばへ行けますように
いつしかに風の生れきて草々のそよろそよろとそよぎやまざる
ふたたびを還ることなき川波にのりてはるかのはてにうせしか
庭に出て踏飛石をこつこつと行きつ戻りつたそがれは来る
父母の位牌にまもられまなかなる妻の位牌の灯に光る愛し
かなしみはかぎりもあらずふくろうのほうほうとなく秋の夜ながし
小さい雲がまうえの空に浮いているこの墓石の下に妻がいるのか
どこからか風の吹ききてローソクのまたたくあわれあわれまたたく
夜が来てまた夜が来る必ず夜が独りのわれにまた夜が来る
入院時取っ手付コップに書いてやったカトウリュウコという片仮名の文字
仰向けに寝たままの妻に少しずつのませてやりし吸呑みのさ湯
首まで湯ぶねにつかり目つむるとふっと六十年つれ添うた妻の顔必ず浮かぶ
悲しい時は悲しめ淋しい時はさびしめと仏さまがおっしゃったではないか
米をとぐねんごろにとぐ魂を磨ぐなどといわずきのうもきょうも
いち膳のあしたあしたをかみしめてひとりのわれは生きねばならぬ
寝たままの顔をヘチマコロンで軽くたたき乳液ちょっぴりにこっと笑いし
どの部屋をあるいてみても誰もいない父母妻よ線香三本鉦三つたたけばかなしむなしこの世の
おーいと呼んでこたえなくふりかえり顔みせくるることさえあらぬまひるわが庭
ほのあかる林の奧のかの世とも思いみつめて深草をゆく
よべどよべどこたえのあらぬこれの世のいずへの方へゆきてしまいし
かなしみは波音とともによせてくるひたひたひたひたたゆることなく
ふり仰ぐ雪は灰色一片一片あとからあとから雪ははいいろ
雪は地上に着くやいなやまっ白となる不思議な魔力
あやしやな右を見左みおもむろに白老猫の池に近づく 『森と太陽と思想』
猫と池もの音もなく天日はとろりとくもりまうらがなしも
雪はいい実にいい見上げると灰いろ見おろすとまっ白どこもここもまっ白
丸い石もとがった石もみんなふんわりつつむ雪はやさしく美しい
逝きてかえらぬよびてこたえぬ遠山のあなたの空へ消え失せたりしよ
なんとなく勇気のようなものがわき三角月がぐらりとゆれた
恋しくば万葉集を読みふけりふた晩くらいは眠らずにいよ 『遠とどろきの』
ふいにやまとたけるを恋うなるはしきり桜のふぶくただなか