鼠坂

 小日向こびなたから音羽おとはりる鼠坂ねずみざかさかがある。ねずみでなくてはがりりが出來できないと意味いみけたださうだ。臺町だいまちはうからさかうへまでは人力車じんりきしやかよふが、左側ひだりがは近頃ちかごろんだことのなささうな生垣いけがき右側みぎがはひろ邸跡やしきあとおほきいまつ一本いつぽん我物顔わがものがほめてゐる赤土あかつち地盤ぢばんながら、ここからがさかだとおもへんまでると、突然とつぜん勾配こうばいつよい、せまい、まがりくねつた小道こみちになる。人力車じんりきしやつてりられないのは勿論もちろん空車からぐるまにしてかせてりることも出來できない。くるまりて徒歩とほりることさへ、雨上あまあがりなんぞにはむづかしい。鼠坂ねずみさかしんむなしからずである。

 そのまつえてゐる明屋敷あきやしきひさしく子供こども遊場あそびばになつてゐたところが、去年きよねんくれからそこへおほきい材木ざいもくや、御蔭石みかげいしはこびはじめた。音羽おとはとほりまで牛車うしぐるまはこんでて、鼠坂ねずみざかそば足場あしばけたり、汽船きせん荷物にもつせるcraneクレエヌふものに器械きかいけたりして、げるのである。職人しよくにん大勢おほぜい這入はいる。大工だいくけづる。石屋いしやいしる。二箇月にかげつつかたないうちに、和洋わやう折衷せつちゆうとかふやうな、二階家にかいや建築けんちくせられる。黑塗くろぬり高塀たかべいめぐらされる。とうとう立派りつぱ邸宅ていたく出來できがつた。

 近所きんじよひとおどろいてゐる。材木ざいもくはこはじめられるころから、だれ建築けんちくをするのだらうとつて、ひどくにしてあはせると、深淵ふかぶちさんだとふ。深淵ふかぶちさんとひとおほきい官員くわんゐんにはない。實業家じつげふかにもまだかない。どんなうへひとだらうとうたがつてゐる。そのうちだれやらがどこからかしてて、あれは戰爭せんさうとき滿州まんしうかねまうけたひとださうだとふ。それで物珍ものめづらしがる人達ひとたち安心あんしんした。

 建築けんちく出來できがつたとき高塀たかべいおな黑塗くろぬりにしたもんると、なるほど深淵ふかぶちふ、ぞく隷書れいしよいた陶器たうきふだが、電話番號でんわばんがうふだならべてけてある。いかにも立派りつぱやしきではあるが、なんとなく樣式離やうしきばなれのした、趣味しゆみい、そして陰氣いんき構造こうざうのやうにかんぜられる。番町ばんちやう阿久澤あくざはとかいへてゐる。一歩いつぽすゝめてへば、古風こふうひとには、西遊記さいいうき怪物くわいぶつみさうないへともえ、現代的げんだいてきひとには、マアテルリンクの戲曲ぎきよくにありさうないへともおもはれるだらう。

 二月にぐわつ十七日じふしちにちばんであつた。おく八疊はちでふ座敷ざしきに、二人ふたりきやくがあつて、酒酣さけたけなはになつてゐる。座敷ざしききはめて殺風景さつぷうけい出來できてゐて、とこにはいかがはしい文晃ぶんてう大幅たいふくけてある。肥滿ひまんした、あかがほの、八字髭はちじひげ主人しゆじんはじめとして、きやくそばにも一々いちいち毒々どくどくしい綠色みどりいろれをつた脇息けふそくいてある。杯盤はいばん世話せは ママいてゐるのは、いろあをい、かみうすい、はたらいて、しかも不愛相ぶあいさう年增としまで、これが主人しゆじん女房にようばうらしい。座敷ざしきから人物じんぶつまで、すべ新開地しんかいち料理店れうりてんるやうな光景くわうけいていしてゐる。

「なんにしろ、大勢おほぜいつてゐたのだが、本當ほんたう財産ざいさんこしらへたひとは、晨星寥々しんせいれうれうさ。戰爭せんさうはじまつてからは丸一年まるいちねんになる、旅順りよじゆんちると時期じきに、身上しんしやうだけさけにして、漁師れふし仲間なかま大連たいれんおくふね底積そこづみにしてすとふのは、着眼ちやくがんかつたよ。肝心かんじん漁師れふし宰領さいりやうは、爲事しごとあたつたが、かねたいしてまうけなかつたのに、うちではさけならいくらでもれるとところんだのだから、うまつたのだ。」かうつた一人ひとりきやくだいさけいて、はなし途中とちゆうで、折々をりをりした運轉うんてんわるくなつてゐる。澀紙しぶかみのやうなかほに、胡痲鹽鬚ごましほひげ中伸ちゆうのびにびてゐる。支那語しなご通譯つうやくをしてゐたをとこである。

度胸どきようだね」といま一人ひとりきやく合槌あひづちつた。「鞍山站あんざんてんまでさけはこんだちやんぐるまぬししばげて、みちひろつた針金はりがねふところんで、軍用電信ぐんようでんしんつた嫌疑者けんぎしやにして、正直しやうぢき憲兵けんぺいだましてわたしてしまふなんと爲組しくみは、ほかのものには出來できないよ。」かうつたのは濃紺のうこんのジヤケツのしたにはでなチヨツキをた、いろしろ新聞記者しんぶんきしやである。

 このとき小綺麗こぎれいかほをした、田舍出いなかでらしい女中ぢよちゆうが、かんけた銚子てうしつてて、障子しやうじけてすと主人しゆじん女房にようばう目食めくはせをした。女房にようばう銚子てうしせはしげにつて、女中ぢよちゆうに「ようがあればベルをらすよ、ちりんちりんをらすよ、あつちへつておいで」とつて、障子しやうじめた。

 新聞記者しんぶんきしやことばいだ。「それはいが、先生せんせい自分じぶんむちつて、ひゆあひゆあしよあしよあとかなんとかつて、ぬかるみみち前進ぜんしんしようとしたところが、騾馬らばやら、驢馬ろばやら、ちつぽけなうしやらが、ちつともふことをかないで、つながこんがらかつて、高梁かおりやん切株きりかぶだらけの畑中はたなか立往生たちわうじやうをしたのは、滑稽こつけいだつたね。」記者きしや主人しゆじんかほをじろりとた。

 主人しゆじん苦笑にがわらひをして、さけをちびりちびりんでゐる。

 通譯つうやくあがりのをとこは、なにおもして舌舐したなめずりをした。「おかげ我々われわれひさぶり大牢たいらうあぢはひにいたのだ。さけいくらでもませてくれたし、あのときぐらゐぼく愉快ゆくわいだつたこといよ。なんにしろ、兵站へいたんはあんまり御馳走ごちそうのあつたことはないからなあ。」

 主人しゆじんみじか笑聲わらひごゑらした。「きみさけにくさへあれば滿足まんぞくしてゐるのだから、風流ふうりうだね。」

無論むろんさ。大杯たいはいさけ大塊たいくわいにくがあれば、能事のうじをはるね。これからまた遼陽れうやうかへつて、會社くわいしやのお役人やくにんらなくてはならない。じつはそんなことはよして南淸なんしんはうきたいのだが、人生じんせいごとくならずだ。」

きみ無邪氣むじやきだよ。あの鱸馬ろばもらつたときの、きみよろこびやうとつたらなかつたね。ぼくはさうおもつたよ。きみだの、あの騾馬らばれてよろこんだ司令官しれいくわんいさんなんぞは、仙人せんにんだとおもつたよ。おれ騎兵科きへいくわで、こんなふく徒歩とほをするのはつらかつたが、これがあれば、もうてくてくあるきはしなくつてもいとつて、ころころしてゐた司令官しれいくわんも、隨分ずいぶん好人物かうじんぶつだつたね。あれからきみ驢馬ろばをどうしたね。」記者きしや通譯つうやくあがりにうたのである。

「なに。十里河じふりがまでくと、兵站部へいたんぶげられてしまつた。」

 記者きしや主人しゆじんかほをちよいとて、狡猾こうくわつげにわらつた。

 主人しゆじん記者きしやかほを、おなじやうな目附めつき見返みかへした。「そこへくと、きみつみふかい。さけにくでは滿足まんぞくしないのだから。」

「うん。たいしたちがひはないが、ぼく今一いまひとつのにく要求えうきうする。かねわるくはないが、その今一いまひとつのにく手段しゆだんぎない。かねそのもの興味きようみつてゐるきみとはちがふ。しか友達ともだちには、きみのようなひとがあるのがい。」

 主人しゆじん持前もちまへ苦笑にがわらひをした。「今一いまひとつのにくいが、營口えいこうつたばんはなした、あの事件じけんすごいぜ。」かうつて女房にようばうはうをちよいとた。

 かみさんはうすくちびるあひだから、ばんだして微笑ほゝゑんだ。「本當ほんたう小川をがはさんは、やさしいかほはしてゐても惡黨あくたうだわねえ。」小川をがはふのは記者きしやである

 小川をがは急所きふしよかれたとでもふやうな樣子やうすで、いままで元氣げんきかつたのにず、しよげかへつて、ぜんうへさかづきつたのさへ、てれかくしではないかとおもはれた。

「あら、それはもうえてゐるわ。あついのになさいよ。」かみさんはよこから小川をがはかほのぞくやうにしてかうつて、女中ぢよちゆういてつた銚子てうしげた

 小川をがはえたさけ汁椀しるわんなかけて、かみさんの注ぐさけけた。

 さけぎながら、かみさんはあまつたるい調子てうしつた。「でも營口えいこううちいてゐた、あのには、小川をがはさんもかなはなかつたわね。」

名古屋なごやものには小川君をがはくんにもけないやつがゐるよ。」主人しゆじんそばからくちはさんだ。

矢張やはり小川をがはかほよこからのぞくやうにして、かみさんがつた。「なかなか別品べつぴんだつたわねえ。それにはだくつて。」

 此時このとき通譯つうやくあがりが突然とつぜん大聲おほごゑをしてつた。「そのすごはなしふのを、ぼくきたいなあ。」

「よせ」と、小川をがはするど通譯つうやくあがりをにらんだ。主人しゆじんはどつしりしたからだで、胡坐あぐらいて、ちびりちびりさけみながら、小川をがは表情へうじやうを、睫毛まつげうごくのをも見遁みのがさないやうにてゐる。そのくせかほ通譯つうやくあがりのはうけてゐて、笑談ぜうだんらしい、かる調子てうしはなした。「平山君ひらやまくんはあのはなしをまだしらないのかい。まあどうせとまるとめてゐる以上いじやうは、ゆつくりはなすとしよう。なんでも黑溝臺こくこうだい戰爭せんさうんだあとで、奉天ほうてん攻撃こうげきはまだはじまらなかつたころだつたさうだ。なんとか窩棚くわほうむらに、小川君をがはくん宿舍しゆくしやてられてゐたのだ。ちひさいむらで、人民じんみん大抵たいてい避難ひなんしてしまつて、明家あきや澤山たくさん出來できてゐるところなのだね。小川君をがはくんとなりいへ明家あきやだとおもつてゐたところが、ばん便所べんじよつてようしてゐるとき、その明家あきやなかなに物音ものおとがするとふのだ。」通譯つうやくあがりは平山ひらやまをとこである。

 小川をがは迷惑めいわくだが、もうかうなれば爲方しかたがないので、諦念あきらめてはなさせると樣子やうすで、かみさんのさけんでゐる。

 主人しゆじんはなつゞけた。「便所べんじよれいとほこほつてゐるつちすこしばかりげて、いたわたしてあるのだね。そいつにまたがつて、しりさむいのを我慢がまんして、ようしながら、小川君をがはくんみゝましていてゐると、その物音ものおと色々いろいろ變化へんくわしてえる。どうもねずみやなんぞではないらしい。いぬでもないらしい。小川君をがはくん好奇心かうきしんおこつてまらなくなつた。そのいへおもてからはけひろげたやうになつてえてゐる。かんふちにしてある材木ざいもくはどこかへくなつて、きづげたつち暴露ばくろしてゐる。そのおく土地とちたんつてゐる煉瓦れんぐわのやうなるのがいつぱいげてある。どうしてもおくかべ沿うてげてあるとしかおもはれない。小川君をがはくん物音ものおと性質せいしつさだめようとすると同時どうじに、その場所ばしよさだめようとして努力どりよくしたさうだ。自分じぶんまたがつてゐるあな直前すぐまへ背丈せたけぐらゐ石垣いしがきになつてゐて、となりいへ横側よこがはがその石垣いしがき密接みつせつしてゐる。物音ものおとはその一番いちばんおくところでしてゐる。おもてからたんんだのがえてゐるへんである。これだけことかんがへて、小川君をがはくんはとうとう探檢たんけん出掛でかける決心けつしんをしたさうだ。無論むろん便所べんじよくにだつて、毛皮けがはおほ外套ぐわいたうまゝく。まくつたしりおろしてしまへば、さむくはない。丁度ちやうど便所べんじよあなそばに、をむしりのこした向日葵ひまはりくき二三本にさんぼんしばせたのを、一本いつぽんぼうむすけてある。そのぼう石垣いしがきたふかつてゐる。それにけて、小川君をがはくんおも外套ぐわいたうまゝで、造做ざうさもなく石垣いしがきうへつて、向側むかうがは見卸みおろしたさうだ。そらあをんで、ほしがきらきらしてゐる。そこら一面いちめんゆきつもつてこほつてゐる。よる二時にじごろでもあらうが、あかるいことあかるいのだね。」

 小川をがははつぶやくやうにくちはさんだ。「ひとたらめを饒舌しやべつたのを、くそんなにおぼえてゐるものだ。」「いからだまつていてゐたまへ。石垣いしがき向側むかうがは矢張やはりたんんであつてりるには足場あしばい。りていへ背後うしろまはつてると、そこはあたまへかべではない。まどめて、そとからたんふさいだものとえる。しばらくそのそとつていてゐると、物音ものおとはぢきまどうちでしてゐる。いへ構造こうざうからかんがへてると、どうしてもかんうへなのだ。おもてからえる、つち暴露ばくろしてゐるかんは、かぎなりにまがつたかん半分はんぶんで、あと半分はんぶんげたたんかくれてゐるものとおもはれる。物音ものおとのするのは、どうしてもそのあと半分はんぶんたんうへなのだ。かうなると、小川君をがはくんはどうもこのまどうちなくてはまない。そこでたんけて、げになつてゐる障子しやうじうちせばいわけだ。ところがそのたんがひどくぞんざいに、まばらんであつて、とをばかりもおろしてしまへば、まどきさうだ。小川君をがはくんたんおろはじめた。そのとき物音ものおとがぴつたりとんださうだ。」

 小川をがは諦念あきらめてんでゐる。平山ひらやま次第しだい熱心ねつしん傾聽けいちやうしてゐる。かみさんは油斷ゆだんなくさけ三人さんにんさかづきいでまはる。

小川君をがはくんたんひとひとおろしながらかんがへたとふのだね。どうもこれはふさきりふさいだものではない。出入口でいりぐちにしてゐるらしい。しかなかひと這入はいつてゐるとすると、そとからたんんであるのが不思議ふしぎだ。かく拳銃けんじゆう寢床ねどこいてあつたのを、つてればかつたとおもつたが、好奇心かうきしんがそれをりにかへほど餘裕よゆうあたへないし、それをりにかへつたら、いつしよにゐるひとますだらうとおもつて諦念あきらめたさうだ。たん造做ざうさもなくけてしまつた。まどけてすとなんの抗抵かうていもなくく。そのときがさがさとおとがしたさうだ。小川君をがはくんがそつとなかのぞいてると、粟稈あはがらいつぱいにらばつてゐる。それがまどさはつて、がさがさつたのだね。それはいが、そこらにかめのやうなものやら、かごのやうなものやらいてあつて、そのおく粟稈あはがら半分はんぶんまつて、ひとがゐる。たしかにひとだ。土人どじん淺葱色あさぎいろ外套ぐわいたうのやうなふくで、すそところがひつくりかへつてゐるのをると、ひつじ毛皮けがはうらけてある。まどはう背中せなかけてあたま粟稈あはがらめるやうにしてゐるが、その背中せなかはぶるぶるふるママてゐるとふのだね。」

 小川をがはさかづきげたり、いたりして不安ふあんらしい樣子やうすをしてゐる。平山ひらやまはますます熱心ねつしんいてゐる。

 主人しゆじんはわざといて、二人ふたり等分とうぶんはなつゞけた。「ところがその人間にんげんあたま瓣子べんつうでない。をんななのだ。それがかつたとき小川君をがはくんはそれまでまじつてゐた危險きけんねんまつたくなつて、好奇心かうきしん純粹じゆんすゐ好奇心かうきしんになつたさうだ。これはさもありさうなことだね。にいこゑちかられてんでたが、ただふるママてゐるばかりだ。

小川君をがはくんたんうへへ飛びがつた。をんなかたけて、おこして、まどはうけてると、まだ二十はたちにならないくらゐな、すばらしい別品べつぴんだつたとふのだ。」

 主人しゆじんまたいて二人ふたり見較みくらべた。そしてゆつくりさけ一杯いつぱいんだ。「これからさき端折はしよつてはなすよ。これまでのやうなめずらしいはなしとはちがつて、いつだれがどこでつてもおなことだからね。一體いつたい支那人しなじんはいざとなると、覺悟かくごい。くびられるときなぞも、尋常じんじやうられる。をんな尋常じんじやう服從ふくじゆうしたさうだ。無論むろん小川君をがはくん好嫖致はおびやおちところも、をんな諦念あきら容易よういならしめたには相違さうゐないさ。そこでをんな服從ふくじゆうしたのはいが、小川君をがはくん自分じぶんかほ見覺みおぼえられたのがこはくなつたのだね。」ここまではなして、主人しゆじん小川をがはかほをちよつとた。あかかつたかほあをくなつてゐる。

「もうよしたまへ」とつた小川をがはこゑは、ちひさく、異樣いやう空洞うつろひびいた。

「うん。よすよよすよ。もうおしまひになつたぢやないか。なんでもそのをんなには折々をりをり土人どじん食物しよくもつをこつそりまどからはこんでゐたのだ。をんなはそれをなかにつたり、かめなか便べんしたりすることになつてゐたのを、小川君をがはくんけたのだね。かほ綺麗きれいだから、兵隊へいたいせまいとおもつて、かくしていたのだらう。ひつじ毛皮けがは二枚にまいてゐたさうだが、それで粟稈あはがらなかもぐつてゐたにしても、かんかれないから、隨分ずいぶんさむかつただらうね。支那人しなじん辛抱しんぼうづよいことは無類むるゐだよ。かくそのをんなはそれ粟稈あわがらなかからきずにしまつたさうだ。」主人しゆじん最後さいご一句いつくを、特別とくべつにゆつくりつた。

 違棚ちがひだなうへでしつつこいきん装飾さうしよくをした置時計おきどけいがちいんとひとつた。

「もう一時いちじだ。ようかな。」かうつたのは、平山ひらやまであつた。

 主客しゆかくしばらくぐずぐずしてゐたが、それからはどうしたことか、はなしえない。とうとう一同いちどうるとふことになつて、きやく二階にかい案内あんないさせるために、かみさんが女中ぢよちゆうんだ。

 一同いちどうがるとき小川をがは足元あしもとだいあやしかつた。

 主人しゆじん小川をがはつた。「さつきのはなし舊暦きうれき除夜ぢよやだつたときみつたから、丁度ちやうど今日けふ七囘忌しちくわいきだ。」

 小川をがはだまつて主人しゆじんかほた。そして女中ぢよちゆうあといて、平山ひらやまならんで梯子はしごを登つた。

 二階にかい西洋せいやうまがひの構造こうざうになつてゐて、ちひさい部屋へやいくつもならんでゐる。大勢おほぜいきやくめる計畫けいくわくをしててたいへえる。廊下らうかにはくら電燈でんとういてゐる。女中ぢよちゆう平山ひらやまに、「あなたはこちらで」とひとつのゆびさした。

 つまみにけて、「さやうなら」とつた平山ひらやまこゑ小川をがはにはひどく不愛相ぶあいさうきこえた。

 女中ぢよちゆうはずんずんさきつてく。

「まださきかい」と小川をがはつた。

「ええ。あちらのはう煖爐だんろいてございます。」かうつて、女中ぢよちゆう廊下らうかまりのまでれてつた。

 小川をがはけて這入はいつた。瓦斯ガス煖爐だんろいて、電燈でんとうけてある。本當ほんたう西洋間せいやうまではない。小川をがはくに這入はいつてゐた中學ちゆうがく寄宿舍きしゆくしやのやうだとおもつた。かべ沿うてたなつたやうに寢床ねどこ出來できてゐる。そのした押入おしいれになつてゐる。煖爐だんろがあるのに、枕元まくらもと眞鍮しんちゆう火鉢ひばちいて、湯沸ゆわかしがけてある。そのそば九谷燒くたにやき煎茶道具せんちやだうぐいてある。小川をがはのどかわくので、急須きふすいつぱいをさして、ちやてもなくてもいとおもつて、ぐに茶碗ちやわんいで、一口ひとくちにぐつとんだ。そしててゐたジヤケツもがずに、きなり布團ふとんなか這入はいつた。

 よこになつてから、あたましんいたむのにいた。「ああ、さけへんいた。だれだつたか、まるはないで三角さんかくふとつたが、おれ三角さんかくつたやうだ。それに深淵ふかぶちがあんなはなしをしやがるものだから、不愉快ふゆかいになつてしまつた。あいつめう客間きやくまこしらへやがつたなあ。あいつのことだから、賭場とばでもはじめるのぢやあるまいか。畜生ちくしやう布團ふとんやはらかでいが、いや寢床ねどこだなあ。かんのやうだ。さうだ。丸でかんだ。ああ。いやだ。」こんなことおもつてゐるうちに、ゑひつかれとが次第しだい意識いしきくらましてしまつた。

 小川をがははふいとました。電燈でんとうが消えてゐる。しか部屋へやなか薄明うすあかりがさしてゐる。まどからさしてゐるかとおもつて、まどれば、まどくらだ。「瓦斯ガス煖爐だんろあかりかな」とおもつてると、なるほど礬土はんどくだ五本ごほんならんで、したはしだけ樺色かばいろえてゐる。しかしそのひかり煖爐だんろまへ半疊敷はんでふじきほどとこいろに照らしてゐるだけである。それと室内しつない靑白あおじろいやうな薄明うすあかりとはちがふらしい。小川をがはかく電燈でんとうけようとおもつて、からだ半分はんぶんおこした。そのとき正面しやうめんかべ意外いぐわいものがはつきりえた。それはこはいものでもなんでもないが、それがえると同時どうじに、小川をがは全身ぜんしんみずあびせられたやうに、ぞつとした。えたのは紅唐紙べにたうしで、それに「立春大吉」といてある。そのきち半分はんぶんけて、ぶらりとがつてゐる。それをてからは、小川をがは暗示あんじけたやうにをそのかべからはなすことが出來できない。「や。あのけた紅唐紙べにたうしれのぶらさがつてゐるしたは、一面いちめん粟稈あはがらだ。そのうへながかみをうねらせて、淺葱色あさぎいろ着物きものまへひらいて、鼠色ねずみいろによごれた肌着はだぎしわくちやになつて、あいつが仰向あふむけにてゐやがる。あごだけえてかほえない。どうかしてかほたいものだ。あ。下脣したくちびるえる。みぎ口角こうかくからいとのやうに一筋ひとすじながれてゐる。」

 小川をがははきやつとこゑてて、半分はんぶんおこしたからだ背後うしろたふした。

 翌朝よくあさ深淵ふかぶちいへへは醫者いしやたり、警部けいぶ巡査じゆんさたりして、非常ひじやう雜遝ざつたふした。夕方ゆふがたになつて、布團ふとんかぶせた吊臺つりだいされた。

 近所きんじよひとがどうしたのだらうとさゝやつたが、吊臺つりだいなかひとだれだかからなかつた。「いづれ號外がうぐわいませう」などとふものもあつたが、號外がうぐわいなかつた。

 そのつぎ新聞しんぶんを、近所きんじよひとねてた。記事きじおな文章ぶんしやう諸新聞しよしんぶんてゐた。多分たぶんどの通信社つうしんしやかのまはしたのだらう。しか平凡へいぼんきはまる記事きじなので、んで失望しつばうしないものはなかつた。

小石川区こいしかはく小日向臺町こびなただいまち何丁目なんちやうめ何番地なんばんち新築しんちく落成らくせいして横濱市よこはましよりうつりし株式業かぶしきげふ深淵ふかぶち某氏宅ぼうしたくにては、二月にぐわつ十七日じふしちにちばん新宅祝しんたくいはひとして、友人いうじんまねき、宴會えんくわいもよほし、深更しんかうおよびした爲{た}め、一二名いちにめい宿泊しゆくはくすることとなりたるに、其一名そのいちめいにて主人しゆじん親友しんゆうなる、芝区しばく南佐久間町みなみさくまちやう何丁目なんちやうめ何番地なんばんちぢゆう何新聞記者なにしんぶんきしや小川をがは某氏ぼうし其夜そのよ腦溢血症なういつけつしやうにて死亡しばうせりとふ。新宅祝しんたくいはひ宴會えんくわい死亡者しばうしやいだしたるは、深淵氏ふかぶちしめ、どくなりしと、近所きんじよにてうはさへり。」

文京区立森鷗外記念館