黒衣の人

 放ったらかしていた家の傷みが、ついに限界にきて、大がかりな補修をよぎなくされた。ことのついでに、かねてから望みだった書庫を、一階の一部を建て増すかたちで造ることにした。

 八月の終わり頃、増改築がすんで、でき上がった鰻の寝床のような細長い書庫に、家人そうがかりで運び入れた本の山を、しつらえの書棚に収める。それがまた大変な仕事だが、そこまで家人の手を煩わせるのは気がひけ、それに好みに合わせ、仕分けながら収めてゆくのも、けっこう愉しいもので、そこは独り作業を、じっくりと堪能するつもりでいる。

 日曜だけの作業で、それにあちこちひっくり返していると、思いがけず面白そうなのが出て来て、つい読み耽ったりするものだから、なかなか事が運ばない。しかし、そこで本の山に埋もれていても、家人の苦情があるわけではないから、いたって暢気なものである。

 そんなある日、またある一冊の本に目が止まって、じっくりと腰を落した。三島由紀夫の「三熊野詣」である。読者には、作者と波長が合わぬとか、虫がすかないとかいうのがあって、私にとっても、作者はその一人だった。だから持ち合わせも、同作者の著作物は、これが一冊きりである。その例外物の購入のいきさつを、私はいまでもはっきりおぼえている。

 もう二十年も昔のことで、そのころ私はまだ独り身だった。神田の古本屋街から少し離れた裏通りで、しもうた屋の民家が軒を並べた一郭に、ぽつんと一軒だけ、小さな本屋があった。いまでは、地上げ屋に底地買いされ、更地と化している。

 その店の、分類もなく雑多に並べられた書棚の片隅に、「三熊野詣」を見つけたのだ。表題に惹かれて手に取ったが、中身を函から出す気もなくすぐ元に戻した。店を出かけたとき、つと藤色の帯に書いてあった「歌人で高名な國文学者」云々の一文が頭に甦り、私は何かに衝かれたように棚に戻り、その本を買い求めていた。

 ある予感があった。何かがしきりと私を促していた。家に着くまでの時間がもどかしく、表通りのとある喫茶店に入った。中二階の背後からステンドグラスの淡い光の差しこむ一郭に陣取り、係りの注文の声もそぞろに繙く。そしていっきに読み終える。三、四時間も経っていたろうか。立て込んでいた店内の人影もいつかまばらになっていた。閉店時間もほど近いようである。疲れた頭に、重苦しい芯のようなものが残った。それはそのまま、小説の読後感でもあった。

 読みはじめてすぐ、作中の藤宮先生と、さる実在の國文学者――すでに故人だが――があっさり結びつく。その予感は、すでに帯文から始まっていたが、読み進むほどに確信を深めていった。

 その学者は、詩歌に長け、特異な学風で、斯界に孤峯を築いた國文学者であり、民俗学者ともいわれていた。詩歌うた詠みには、雅号を称い、その何やらむずかしげな名前を、私は中学生の頃から親しんでいた。叔父がその学者の若い頃の弟子の一人で、むろんその感化によるものだった。叔父の家に入りびたって、書斎に居並ぶその学者の著作物を、拾い読みしていた。ことに詩歌集は、活字の少ないぶんだけ少年のヤワな頭にも親しめて、しきりと頁をくった。そしていたる処にちりばめられてある特異な古めかしい語彙に、意味は掴みかねながらも、胸のときめくのを覚えた。新鮮で強烈な印象が、少年の心を捉え、その摩訶不思議な世界に、ぐいぐいと惹きこんでゆく。

 高校二年のときだったか、初めて全集本が刊行されて、その黒ずくめの装幀を目にしたとき、どきりとしたのを、いまでも忘れない。何か異様な、鳥肌立つ慄えが、身奥から噴きあげてくるようだった。

 そういえばたしかに「死者の書」も黒表紙だったと、私は叔父の書斎の、馴染んだ書棚の一隅に、目を走らせた。

 の人の眠りは、シヅかに覺めていった。まっ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覺えたのである。

 した した した。・・・・

 そうして、なほ深い闇。・・・・ 次いで、氷になった岩どこ。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと岩傳イハツタふ雫の音」

 いつ諳えたのだろう、そんな冒頭の一節が、訥々とながらに、声もなく口中に弾んだ。

 この人は、黒衣を纏った、常世の國の使者まれびとなのだ。つと、そんな観想が湧いた。以来、私はその学者のことを、ひそかに、「黒衣の人」と称ぶようになつた。

 そして私は、叔父の出た大学、いやその黒衣の人の母校でもある大学に、なんの迷いもなく入った。

 書籍も三十年近くも経てば、すっかり変色して、古色蒼然たる趣きだが、「三熊野詣」は、よほど山の奥まりに潜んでいたとみえ、紙肌の斑紋もわりと少ない。いくらか湿りけもあって、開くと幽かに黴臭い匂いが、籠り立つ。

 頭の余白やら文中に、鉛筆で◎やら「 」が記されていて、書き込みもあった。再読の記憶はないから、おそらく喫茶店で読みながらに付けたものだろう。

文中の「 」にこんなのがある。

 「近代的な清明大學の明るい校庭を、先生が數人の弟子を連れて横切られる光景は、大學の名物になるほどに異彩を放った。先生は薄い藤いろの色眼鏡で、身につかぬ古くさい背廣を召して、風に吹かれる柳のような歩き方であるかれる。肩はひどい撫で肩、ズボンはまるで袴のやうに幅廣く、髪はそのくせ眞黒に染めてゐるのを、不自然にきれいに撫でつけてゐる。うしろから先生の鞄を捧げて歩く學生も、どうせ反時代的な學生だから、この大學ではみんなのきらふ黒い詰襟の制服を着て、不吉な鴉の群のやうにつき従ってゆく。先生のまはりでは、重病人の病室のように、大きな快活な聲を立てることができない。話を交わすにしてもひそひそ聲で、それを見ると、遠くから、『又葬式がとほる』とみんなが面白がって見るのである」

 私がその大学に入ったのは、黒衣の人が常夜の國に還られて、すでにみとせばかりが経ってからだった。それでも、先生の残されていった暗く重い翳は、校内のいたるところに、息苦しいほどに漂っていた。

 教壇は、故人を師と仰ぐ弟子たちで溢れ、事あるごとに先生はこう仰った、先生によれば・・・・と師の学説の引用、解説にいとまもなかった。それなりに、師の難解な学問も解きほぐされて、若い学徒の堅い頭にも、抵抗なく入った。しかしそのとき、師の世界の半ばは喪われていた。そのふしぎな魔力は、弟子たちの体を介して、濾過され、毒気を抜かれた上澄だけが提供されていたのだ。

 この毒気を、身にまともに浴びなければ、師の神髄を知ることはできないだろう。しかし師はすでになく、その謦咳に接することも叶わぬなら、せめて師の残された著作物と、じかにむきあう以外ないだろうと、若い私は、健気にも思ったものだ。そして下宿の三畳の、棺桶みたいな寝床だけの部屋に、師の膨大な遺書にもひとしい黒ずくめの、全三十一巻の典籍を積み上げて、魄の慄えるのを感じた。

 孫弟子志願に、民俗学やら何やらの研究室に、出入りを始めた朋輩を横目に、私はひとり孤を囲み、師の直感やら閃きの横溢する文体と、暗夜の格闘を続けた。果てしなく暗い闇に、幽かに息づくものの気配と、つたつたと闇をまさぐり歩くものの、微かな沓音を聞きながら――。

 「いい年こいたおっさんの、ボディビルで鍛えた筋肉隆々たる肉体の、何が美しいというのか。それこそ鼻持ちならぬ、虚飾の美学ではないのか。反吐が出る」

 余白になぐり書きされた一文であるが、年老いた野宮先生の容貌の、余りに醜怪な描写に、思わずカッとなって、書き込んだもののようだ。二十年後の今、拾い読みしただけでも、おだやかならぬものを覚える。

師の古代感愛集「乞丐相」の一連に、こんなのがある。

薄き眉 まなじりりて

低平ヒラみたる鼻準ハナスジ流れ

ホホ骨方クタに、受けクチ薄く

顎張りて 言ふばかりなき えせがたち

みつつ駭く。

 肖像写真などから窺うかぎり、いささか誇張に満ちた自画自虐の像とみえる。作者は師の写真など見ていたろうし、あるいは面識だって多少なりともあったかもしれず、ことの虚実は承知していた筈だ。それを敢えて醜悪化したところをみると、作者の師への悪意が感じられぬでもない。理性では始末のつかない、生理的な嫌悪感、そんなもののはたらきがあるようだ。それはちょうど私が、作者に抱いている拒絶感と同質のものかもしれない。

 ま、その当否はともあれ、師の精神の核のようなものは、一通り描かれていて、作者独特の流麗な文体の底に、悲哀とか憂いといったものが、惻々とすたわってくる。

   人も 馬も 道ゆきにつかれ死にけり。 旅寝かさなるほどの かそけさ

 このかそけさというのは、謂ってしまえば寂寥感だが、悲哀、憂い、孤独、哀愁、そんなものを丸ごと呑み込んだ、そこはかとない侘びしさ、淋しさ、悲しみとでもいおうか、それが先生の詩歌うたの基調をなすものだ――。そう叔父からいたのは高校生のときだった。死など縁もゆかりもない年頃に、どれほど感得できたか怪しいものだが、数ある歌の中で、真先に記憶に留めたのも、その歌だった。人生が孤独で不安な一人旅だと知りはじめたいま、寂寥感は草臥れかけた身の内から、じんわり滲み出てくるようだ。

 藤宮先生には、郷里に秘めた女人がいた。若い恋は、親に仲を割かれてしまう。大学進学のため上京すると、相手はまもなく病に臥し、そしてやがてはかなくなってしまった。

 その女人への追慕の念から、生涯を独身で通すのだが、六十歳になったとき、かって女人と約束していた三熊野詣を果たす。喪き女人を象どった三つの櫛を携え、女弟子を伴い。その三つの櫛を、三熊野の各々の社の境内の一隅に埋めてゆく。その埋葬を、女弟子は、先生が生涯夢みられていた、美しくもはかない架空の物語の完結だと、感得する。

 「三熊野詣」の終焉だが、そのとき私の脳裏に、女人と布由子が重ね合わせに想い泛んだ。布由子が子を妊みながら、私から唐突に去って、すでに五年ばかりの歳月が経っていた。半ばほっとしながらも、理不尽な思いもそれとなく積もって、重く籠ったものを引きずっていた日々だった。三十近くにもなって、まった職にも就かず、転々の浮草稼業アルバイトに身をやつしていたのも、あるいはそんな心の蟠りがはたらいていたからかもしれなかった。

 喫茶店を出て、帰宅先の駅近くの路地裏の屋台で、なけ無しの銭をはたき、一杯ひっかけた。読後の重苦しさに、唐突に泛んだ布由子のこととも重なって、飲まずにはいられなかった。しかし酔いの回った身に、迎える者もいないアパートの己が部屋は、余計うら侘びしかった。電燈を点けるのも疎ましく、部屋の真ん中にごろりと横になって、仄かな窓明りの漂うあたりに、ぼんやり目をくれた。家具など一つ無いがらんどうの一郭に、黒ずんだ小山があって、私の唯一の持ち物だった。師の全集本である。学生時分に買い集めた本は、事欠く実入りに、その都度、筍の皮を一枚ずつ剥がす如く売り払い、それだけが残った。いや、敢えて残していた。これを手放したら、おれはもう終りだ。止めどなくだらけてゆくなかで、その思いにすがり、ぎりぎり己れを支えていた。

 現在ある書籍は、あれから間もなく、いまの女房とめぐり会い、身を固め、定職にも就いて、それ以来の物だ。師の全集を売らずにすんだのは、奇蹟にもひとしい。

 ――仄闇に蹲る黒山を、酔眼にぼんやり眺めているうちに、いつかまどろんでいた。そして夢の中で、私はかって布由子と馴染んだ白山の社に赴き、布由子そっくりの黒ずくめの、五つ六つの少女ちいさごを見かけた。

 布由子と初めて出会ったのは、私が大学三年のときだった。新学期を迎えた春の桜も散りかけたある日、校門の脇の神殿の前で、私は未だ高校生の影を残した新入生とおぼしき女子学生から声をかけられた。長い髪を、櫛目も鮮やかに梳き流し、上から下まで黒ずくめの姿が、いかにも清楚で初々しく、白木造りの神殿を背景に、この上なく好もしく映った。恥じらいの色を、幽かに面に泛べて、若木寮の所在を尋ねた。行ったことはないが、校内の一郭にその寮のあるのを、私はひとづてに聞き知っていた。

「神社本庁知ってますか、その裏手なんだすが・・・・」

 いいえと、小声に呟く女子学生に、本庁への道順を説明しかけたが、それも何やら覚束無げで、どうせならと、見通しの利く通りまで案内した。

 三日ばかりして、地下食堂の階段口で、その学生とまた出遭った。連れもあり、それにひっつめ髪に和服姿だったから、同じ学生とも思えず、うっかり遣り過してしまうところだった。「この前は、ありがとうございました」と、鄭重な謝辞を受けても、しばらくは、はて誰だったかと、半顔に訝った。が、古風で、控えめな大人びた風情のなかに、どことない初々しげなはにかみが感じられて、ふっと神殿の前で出遭った、黒ずくめの女子学生の姿が、頭によぎった。「あゝ、あのときの」と、遅まきながら出かかったのを呑み込んで、あたふたと辞儀を返した。

 それから校舎の廊下などで、偶々出会ったりなどすると、声を掛け合い、時には短いながら立ち話もするようになった。

 私は授業をサボリ、学校の向かいの氷川神社の石段に掛けて、先師の黒表紙を繙いていた。こんなことはよくあることで、面白くもない講義は、ぎりぎり単位さえ得れればよいとタカをくくり、適当にサボッて、その時間を黒表紙に振り向けていた。

 ふっと本に翳が差し、「まれびと先生ですか」と、女の声。いつもながらの黒ずくめの布由子が、長い髪を靡かせて、横にそっと座った。彼女は、先師のことを、まれびと先生と称んだ。その一言が、私をぐいと布由子に引き寄せた。

「そのご本、家にもあります。兄のですけど」

「ほう。お兄さん、学校の先生?」

 布由子は、幽かに苦笑を泛べ、

「ここの同業者」

「て、ことは、大学の先輩でもあるというわけだ」

「そのようです」

 ふと、布由子が口吟む。

    わが父にわれは厭はえ、

    父が母は我をメグまず。

    兄 姉と 心を別きて

    いとけなき我を オツしぬ。

「幼き春」の一連と、私にもすぐ判った。途中から、私も和した。

    よきキヌを 我は常に著

    赤き帯 高く結びて、

    をみな子の如くヨソホひ ある我を

    子らは嫌ひて、

    年おなじ同年輩ヨチコドチ

    爪弾ツマハジきしつつ より来ず。

「おれにもガキの時分に、似た想い出がある。三つ上の姉の、赤い着物をやたら着たがり、そいつを装けては、嫌がる姉を追かけ回したものだ。姉ちゃん、姉ちゃんと哭き喚きながら・・・・」

 布由子は、口に掌をあて、くっくと忍び笑った――。

 三年も後期になると、卒業後の進路のことが、仲間うちの話題にも上り始め、何かと気忙しくなった。同朋のおおかたは、この大学の特徴の一つでもある教職を目指していたが、私はそのための講座を、一切履っていなかった。深い理由もないが、叔父が高校の教師をしていて、何となく敬遠したかった。

 さりとて、将来に繋がるどんな展望があったわけでもない。やりたいことは、およそ形をなさぬまま、身の内でもやもやくすぶっているだけだった。時に、大学院へ・・・・と思わぬでもなかったが、途端に父のふんと鼻くくった冷笑が泛び、進学熱はたちどころに萎えている。

 大学までは出させてやる。その先の極道は自分の責任ちからでやれ。文学など、世の中、クソの役にもたたない。せいぜい、まともにいって、学校の先生がおちだ。無言の冷笑に、そんな言葉が聞こえてくるようだった。

 大学は、文学部と決めたとき、目をむくかと思っていた父は、そうか、とあっさり頷いた。が、それは肯定でも否定でもない。倅の器の小ささに幻滅したのだ。哀れむような目をむけて、こう言った。

「それも小は小なりの、一つの選択ではある。その当否は問わない。希望通り大学には行かせてやる。後日、そいつを生かすも殺すもお前次第だ」

 そう決まると、父はことが早い。すぐさま年子の妹に、十幾歳か年長の、さる大店の手代格の男を押しつけ、早々、跡目を固めた。よくよく見縊られたものだが、しかしこちらが、それだけの器だというのも確かなようだ。まるで反撥心など起こらないのだから――。よほどおめでたく、暢気にでき上がっているらしい。

 大学進学は、同時に四年間という期限付きで、見棄てられたのも同然だった。うかうかしていると、近い将来、食いはぐれるのは必至である。

 大学院に上がり、研究室に入って、そこに待ち構えているものは・・・・学問という名の、政治力学。ぞっとするような師弟間の、隠微な人間関係。先輩諸氏の講義を聴いているだけでも、それとなく判る。その先師の学説を挙げるときの、あの慇懃な物言い。

 ・・・・と先生は仰いました、とか、・・・・と先生は申されました。畏敬の念が、自ずから鄭重な言辞になるのは当然としても、そのひびきの内に籠ったいいようのない圧迫感のようなものが、聴く者にぞくりと鳥肌立たせるのだ。それは私だけの特殊な感じ方なのかのしれないが、こいつは大変な関係だ、とてもじゃない、おれにはやってられない、という気がしてくる。弟子たちの、私情を排し、へんにとりすました物言いが、はからずもその私情のどろどろを覗かせている。

 師は、カリスマ的な強烈な個性の持ち主だといわれていたから、その身辺に侍り、仕えていた弟子たちは、媚びへつらいはともあれ、己れを空しくすることへの、抵抗やら葛藤があった筈である。師の機嫌を損ねることへの怯えに、日々さいなまれもしたろう。師を慕う情は、同時に憎悪のほむらも掻き立て、その矛盾に懊悩もした。そしてある者は抗い、切りすてられ、将又、自ら師の許を去って行った者も、少なからずいた筈だ。

 教壇では聴かれない先師の奇異な性癖、私生活の奇行ぶりなど、学生の間にも伝説、風評のかたちで、それとなく伝わり、囁かれていた。妙に甲高い女みたいな声だったとか、食器をアルコールで拭くような病的な潔癖性だったとか、何かの呪術師のような黒褌を常用していたとか、そしてその黒褌が連想を拡げて、男色説に繋がってゆく。生涯、独身で通したのは周知の事実だが、それは女を不浄の者と忌み嫌ったせいだとか、将又ますらおに溺れたせいだとか・・・・。

 いつだったか、私はその男色のことを、叔父に訊いたことがある。すると叔父は、薄く笑い、返答に窮したふうに、

「おれは映画が好きで、早くに先生から離れたからな・・・・」

 と、口尻をにごした。

 戦前、叔父が同郷の小林一三氏に請われ、それまで勤務していた中学の教職を辞し、東宝で映画制作に携わっていたことは、父から聞いていた。

 「三熊野詣」では、師と愛弟子との私生活を、何やら秘儀めかせ、誇張して描いているが、実際それに近い現実があったとしても、ふしぎではない。いや、師の世界には、そうした連想を掻き立てずにはおかぬ、魔が棲みついているようだ。

 師が死して十年。それまで生前の威光に気後れして、実相を禁忌の闇に閉じ込めていたものが、「三熊野詣」を契機に、師と起居を共にしたこともある愛弟子の中から、告白めかせた回想記などのかたちで出始める。

 就職は、マスコミ関係と、ぼんやり決めていた。しかし実際その機が到来してみると、これはとめぼしを付けた出版社に公募はなく、強力なツテもない身には、取り付く島もなかった。名だたる新聞社は、苛烈な競争の上、教授の推薦状を要した。その栄誉に与る学業成績でもなく、日頃からの教授の信任も、まるでなかった。

 私は入学の折り、叔父の懇意にしていた教授、助教授たちへの紹介状を、幾通か携えていた。そいつを持って、件の面々に挨拶回りをせよというのだ。知遇を得ておけば、後日、就職の折りなど、何かと役立つ筈だと、叔父の示唆をぼんやり感じていたが、どうしてもその気になれず、さりとて叔父の厚意を無にするのも気重く、半ばもてあまし気味に躊躇っていると、いつか機を失い、すべて握り潰していた。持ち前の人見知りもさるものながら、そういった行為が、いかにも人におもねているようで、どうにも堪えがたい。そんなだから、学問の道に進んだところで、師弟関係など結べるわけもなかった。

 時はこちらの思惑をよそに、あっという間に過ぎて、身も定まらぬままに、学校を押し出されていた。同時に、家からの仕送りもぱたりと絶え、懼れていた現実が寒々と眼前に立ちはだかる。しかしそれが四年間の遊学の条件だったから、いまさら泣き喚いてもはじまらない。尻尾を巻いて、家に転がり込んだところで、すでに跡目を継いでいる妹夫婦に、身の置き所もなかろう。

 たぶんこうもあろうかと、それなりに下準備はしていた。在学中から始めていたアルバイトで、当面の口過ぎを細々ながらに保持し、一方で新聞広告を頼りに、就職活動を続けた。

業界新聞の記者である。マスコミ関係に拘わり、人のツテもアテにしないとなると、そんなものしかなかった。それだって初めは、世間知らずの、ぽっと出の青二才にはありがたく、胸はずませて飛びついたものだ。追々、実情が判るにつれ、そのいかがわしさに、落胆しおよび腰にもなったが。

 新聞ないし雑誌記者の募集の三行広告が、生命保険、ミシンの外交員とともに、連日、紙面を賑せていた。

 木造のアパートまがいの、二坪ばかりの小穢い事務室に、経理か何かの、妙にいじけた風情の年増が一人、それに年齢不詳の、インテリ崩れの男が、ひとり二人。何処もたいてい似たり寄ったりで、こじつけ記事をネタの、強請り、恐喝たかりが生業と、見当もつく。しかし、他にすがるところもないから、目は自ずと三行広告に走り、もしかしたら、少しはマシな所があるやもしれぬと、幽かな望みにこれを託した。そうして出向いたある日のことだ。面談の相手にむかうなり、熱にでもうかされたように、口走っていた。

「あなたたちは、社会のダニです!」

 拳のひとつも飛んでくるかと思っていると、相手はにたりと笑い、やんわりと切り返す。

「そういうお前さんは、何です。ダニにたかるダニですか――」

「そうなんです。ダニのおこぼれに与ろうと、のこのこ出かけて来たんです。お蔭さまで、遅まきながらやっと判りました。そんな自分のあさましさが・・・・」

 ぼっとなった頭に、自分でも、何を言っているのか、よく判らなかった。捨て台詞さながら事務所を飛び出し、街中を夢遊病者のごとく彷徨った。

 それが契機になって、マスコミへの拘りが、ウソのように消えていた。同時に、定職に就かねばという焦りも薄れていた。食うだけなら、何とかなる。当分は静観とゆくか。まだ若い。機会はいくらでもある。焦って手近なところで妥協し、悔いを残すのもつまらぬことだ。

そんな矢先、布由子から思いがけぬ告白を受けた。

「できたみたい――」

 白山の社の石段にかけて、私は思わず固唾を呑む。この前会ったとき、こんどの日曜日、家に来てくれないかと言われた。そのときの、どこか口籠った物言いを、つと想い起こした。

 背後の杜の梢が、風に鳴いていた。ときおり起こるつむじ風が、きざはしを駆け上がり、足元に砂塵やケヤキの枯れ葉を吹き寄せる。その一枚を布由子は掌に取り、指先に弄ぶ。いつもながらの黒ずくめの衣の内で、幽かに息づくものがあるかにみえた。

 人離れた下宿の、暗闇の中で、唐突に布由子を擁きすくめた。あれが初めてだった。そしてただ一度きりだったのに――。

 在学中は、二階の大部屋をベニヤ板で間仕切りした三畳間に、他学生と一緒に暮らしていた。卒業してからも、その下宿を出そびれて、一階の物置小屋を改造した一間に、移り住んでいた。

 母屋の差し下ろしの一郭を、板壁で囲ったにわか造りの小屋で、西向きに明り取りの小窓が、それも嵌め殺しのが一つあるきりだ。昼なお暗き独房さながらだが、人離れした所が、救いではあった。栖み慣れると、仮の庵でも結んだ気分に満更でもない。布由子も「ここ閑かでいいじゃない」と言い、学校の帰りしな立ち寄ったりする。その日の講義の整理やら、読書などしてゆく。密閉されたあなぐら同然で、読書に耽っていると、陽の移ろいも判じかね、私の帰宅に「あら、もうそんな時間」と、喚声をあげる。

 その日はいつになく帰宿が遅かった。まさかと思っていた布由子が居たので、私は驚いたが、当人はさらに驚き、「あゝ大変、兄貴に怒られる」と叫び、あたりの物を慌しく掻き集め、上框に走り寄る。そいつを私は、魔でもさしたように擁きすくめていた。アルバイト先の上司に誘われて、したたかに飲んでいた。細々たる実入りに、自前では滅多に口にできなかったから、気後れしながらも、意地汚くずるずると流し込んでいた。――しかし、布由子は「お酒臭い」と呟きながら、私に身を委ねた。

 闇の中で、白い柔肌が、ぎこちなく反り、幽かな声をあげる。声はとぎれとぎれに続いた。いま布由子が変身をとげているのだと、私はぼんやり思った。

 夜分に、布由子を家まで送った。身を寄せ合い、腕を組んで、黙々と夜道をたどった。初めてのことに、互いに少しばかり照れ臭い。街燈の下に差しかかって、思わずどちらからともなく離れ、暗くなるとまた擦り寄っていた。そして互いに苦笑を洩らした。付きつ離れつするたびに、布由子の胸のふくらみが、肘に当たり小さくはじける。そのつど唇に銜えた乳首の感触が甦り、私を疼かせた。路地奥の暗がりで、唇を合わせて別れた。

「それで、どうするつもりだ」

「どうするって・・・・」

「生むつもりか」

「そんな――」

 布由子は絶句する。いやな言いぐさだと、私は自分に呆れる。布由子ひとりに、責を負わせるつもりか。

「ごめん。始末してくれないか」

「手術ってこと?・・・・。そんなの、怖いし、恥ずかしいし・・・・」

「酷なようだけど、他にとる道はなさそうだ」

「・・・・・・」

 布由子は、足元に目を落としたなり黙り込む。私は煙草に火を点け、苛立つ思いを煙に紛らせた。

「できることなら、殺傷沙汰は避けたい。でも、今のおれたちに、何ができる。きみは学生だし、肝心なこのおれは、職も定まらぬ身だ。子供はおろか、この身一つ養うのさえ汲汲たるありさま。まったく、だらしない次第で、こんなの、おんな孕ませる資格ないよな」

「そんな言い方、きらい」

「・・・・・・」

「わたし、学校やめたっていいんだから。あなたについて行きたいの。二人で暮らせるなら、どんな生活だっていいんです」

 何だか布由子が急に大人びて感じられた。

「そのことはおれも考えている。いますぐにも、きみと暮らしたいくらいだ。・・・・でも、それには最低限、生活の基盤は必要だ。おれが定職さえ持てば、学校だって続けられる。だからそれまで、待ってほしい。子供は、それからということにして、今度だけは、あきらめてくれ。おれたちは、まだ若い。この先だって、子供はいくらでも、きる」

「いやな言い方するのね。いちど喪ったものは、にどと還らないのに――」

 たしかに布由子の言うとおりだが、しかし私はやはり、差し迫った現実を懼れる。

「おれの知り合いに、学生結婚したのがいて、子供が生きちゃって、産んだはいいけど、育てるのに汲々で、結局、ふたりとも学校やめちゃった。それも、中途半端な身で、ろくな職もなく、土方するには、へんなプライドがあって、そこまでは堕ちきれず、体裁ばかりの半端な仕事では、実入りも少なく、それだけでは食えなくて、血を売って、ミルク代稼いでいる。子供に、己れの血を啜らせているようなものだ。それが親業というものなのかもしれないが、奥さんが病弱で、余計そうなってしまうのだろうけど、おれには、そんなマネできそうにない。勇気もない」

「そうまでして、女を、愛せないんでしょう」

 痛烈な一撃に、私は、言葉を失う。

「生活のレベルのことだけじゃないの。女は、色んな生臭いものを身に纏っているから、女と暮らすということは、その泥をまともに浴びることでもあるのよね。・・・・まれびと先生、それがいやなものだから、一生独身を通した。考えようによっては、すごく卑怯だわ」

 先師批判にかこつけて、こちらの卑劣さをなじっているようだが、話はさらに飛躍する。

「まれびと先生、男色者だって、ほんと?」

 私は布由子のとっぴな質問に、いささか面食らう。

「そんな伝説もあるね。・・・・真偽のほどは、知らないが。蜑の村十三首だったかな、あれなんか、その気で詠めば、そういう歌として読めぬでもない。蜑男おのこを見つめる、あの熱っぽい視線まなざし、あれは男色のものか。一般に、男が女の柔肌にむける視線ではある。身辺に囲っていた愛弟子たちは、そんな師の心眼に堪えるような、美丈夫なますらおたちなのだろう。養子に迎えたのも、その一人だった。

 その弟子に、赤紙が来て、養子の金沢の実家に赴いた折りの一コマを、室生犀星は『我が愛する詩人の伝記』の中で、興味深く描いている。金沢での二人が、夫婦のようにも、母子のようにも見えたという。戦に赴く夫への、将又、愛子へのけなげなほどの振舞い。妻、母親の役どころに徹していたとみえる。

 母親役は、追悲荒年歌、乞丐相、幼き春なんかの、実母への満たされぬ情の裏返しでもあったか。その捩れた母情と絡みあって、男色の性癖を醸し出す・・・・」

「母親って、いやな生きものだから。いま、わたしも、そのいやな生きものになろうとしているのかしら・・・・」

 ふと上げた目に、白袴の神主が映る。布由子の異腹の兄で、年も倍ほど違う。二人に気づいてか気づかぬでか、伏目がちに鳥居の前を横切り、向かいの路地に消える。袋小路のどんづまりが、神主の住居である。布由子の実家は、水戸市の郊外だが、彼女は高校の時から、その兄の家に寄宿していた。

「このこと、兄さんには告らせたのか」

「そんなこと言ったら、わたし、追い出される。大学に入るのだって、渋々だったもの」

 布由子は肩をすくめ、吐息を洩らす。竦めた肩口に、ケヤキの落葉が、ひとひらふたひら。

「それなら、尚のこと、始末したほうがいい。・・・・それとも、手遅れとでもいうのか」

「さあ、どうかしら・・・・」

「さあって、医者から訊いているだろう」

「病院なんて、行ってませんよ。恥ずかしいもの――」

 布由子は、ぼっと顔を赤らめ、

「でも、間違いないの。ずっと無いんですもの」

 そういえば、布由子はきたみたい、という言い方をしていた。それをこちらが勝手に、医者の診察結果と、早合点していたのだ。たぶん彼女の自己診断に、間違いはなさそうだが、もしかすると思い過ごしのような気もして、闇に光明をまさぐる。半信半疑ながら、焦りも募った。

「ためらっていても仕方ない。いずれ医者にかからぬわけにはいかないのだから、それなら早いほうがいい。どう、明日にでも・・・・」

「あなた、一緒に行ってくれる?」

「あゝ」

 産婦人科など、あまりゾッとしないが、責はもっぱらこちらにある。布由子が恥を忍ぶ決意をしたのなら、こちらも、応分の恥はかかねばなるまい。同伴することで、彼女の負担が少しでも軽くなるのなら、そうしてやりたい。

 その日、布由子は上下のスーツに、黒のストッキングと、いつもながらの黒ずくめの出立ちだった。ただ髪は、和服の時のように巻き上げていて、そのぶんいくらか大人めかせていた。

 産婦人科は、その気になって見ると、小さな町にもそれなりに在るものだが、近場はいやだという布由子の意を酌み、ターミナル駅に出る。恥は、どこか知らぬ土地に、紛れ捨てたい。そんな布由子の心情が、私にものり移ったかのようだ。

 繁華な街中のビルの、窓に映る産婦人科の文字を、目で追いながら、踏ん切りのつかぬまま遣り過ごしていると、いつか閑静な通りに入っていた。ふと左手に、小さな公園があった。銀杏並木の木の間隠れに、蔦を這わせた古めかしげな洋館風の建物が目に留まる。近づいてみると、産婦人科医院だった。古ぼけて、陰気臭い風情に、何やら不振を囲っているかに見え、二の足踏むていに、暫し顔を見合わせた。ややして、布由子が意を決し、玄関口に足を向けた。恥をかき捨てるには、かえって好都合な所に思えぬでもなかった。

 内に入ると、それが思いがけず、まあ、花の賑い。待合室、廊下と腹の膨らんだ女たちで溢れていた。うら若いのから、産みずれ顔の中年女と、年のころも様々なのが、長椅子にどてりと鎮座して、どでかい腹を気だるげに突き出し、はれぼったい胡乱な目が、一斉にこちらに注がれる。何とも異様な雰囲気に、私は思わず居竦んだ。場所柄か男気はさらになく、身の置き所にも窮する始末。尻からげて逃げ出したくなるのを、何とか踏んばり、調剤室の脇の植木鉢の影に、そっと身を潜めて、布由子の戻るのを待った。

 しかし布由子は診察室に入ったきり、なかなか戻らなかった。煙草を喫うのも憚れる気配に、余計じりじりしてくる。ひょっとしたら、布由子のやつ、産院の異様な雰囲気に呑まれて、生むのをあきらめ、手術でも受ける気になったか。などと、あらぬことまで妄想おもいめぐらせた。

 向かいの長椅子の女と、ふと目が合った。というか、女のへんにとげとげした目に、さっきからじっと睨まれていたようなのだ。四十前後の女で、細身の体に、妊婦の風情ではない。すぐ横に、中学生ぐらいの少女が寄り添っていて、どうやら受診者は、その少女のほうらしい。あの、暗く沈んで、苛立った風情は、不始末しでかした娘に付き添う母親の趣き。そんな女の、謂われない挑戦に、私は、いささかたじろぐ。少女の不始末の相手が、布由子のこととも重なって、自分だったような錯覚さえおぼえ、わけもなく顔が火照った。

「わたし、生みます」

「もう、手遅れなのか」

「三ヶ月――。でも、わたし、生むことに決めたんです」

「そんな――」

 絶句したなり、私はしばし言葉に窮した。布由子の強い意志が、それとなく感じられて、焦るほどに、私は、言葉を喪う。色づいた銀杏の葉が、しきりと降り注ぎ、その一枚が、布由子の黒い脚に、危うく止まって、金色の扇模様を描く。

「ねえ、お願い、生ませて――。あなたに、迷惑かけないから」

「そんなことじゃないだろう」

 私は、思わず強く言い返す。が、布由子の哀願するような眼差しに、昂ぶりかけたほむらも、一瞬にして萎える。

「学校、どうするの?」

「やめます――」

 それきり二人は押し黙ったまま、公園をあてどなく彷徨った。そして布由子を家まで送った。

 白山の社に、二人並んで、拍手を打つ。いつもながらの、たいした意味もない慣行ながら、布由子は、どんな思いを祈りこめたか。路地の奥に消えてゆく、布由子の黒い背中に、私は不吉なものをぼんやり感じた。

 その予感の通り、それが布由子との、最後の別れとなった――。

 その夜、布由子は事の次第を、兄に告白いうと言った。そのほうがいいと、私も思った。彼女とは、おそらく反対の意味で。布由子は身内の情にすがって、事を甘く見ているようだが、彼女の青臭い意志など、ひとたまりも無く一蹴される筈だ。私は、半ば投げたはてに、ささやかな望みを、その兄に託した。だが、そういう私こそ、その兄を、甘く見縊っていたようで、子を懼れるあまり、元も子も喪うことに気づかなかった。

 社の前で別れて以来、半月ばかりが経っていた。その間、布由子からは、何の連絡もなかった。無いことが、どこかで私を、ほっとさせているところもあった。何となく布由子から逃げていたい、いや、いっそうのこと、このまま有耶無耶になってしまえば、それに越したことはない。あの時、社に掌を合わせて、そんな事を念じていたような気もする。

 しかしまた一方で、焦燥感に駆られ、電話に飛びつき、ダイヤルを回しかけては、躊躇い、止め、またかけ直しては止め、そんなことを果てしも無く繰り返していた。そして時には、何かに取り憑かれたみたいに、社の前の路地に迷い込み、板塀の内に、耳を澄ませた。戸口に手をかけたものの、押し開く勇気はなく、すごすごと引き返してばかりいたが。

 そんなある時、路地に入って来る者があって、引っ込みがつかなくなり、思わず内に声をかけていた。即座に応答があって、現れたのは、見知り顔の兄嫁だった。

 来客が私と知って、相手は一瞬、戸惑いの色を見せた。顔に歪んだ微笑を泛べ、すぐ内に引っ込む。が、ややして戻ると、

「神主さんが、お話がございますそうで」

 布由子が居るのか、居ないのか判らないが、神主の話というのは、その布由子のことに違いない、と私は直感する。躊躇いながらも、私は兄嫁に誘われて、奥の間に入る。兄が、神事の姿に身を装み、座卓を前に正座していた。不吉な神託でも賜る気配に、私は畏まった。

「布由子のことは、今日かぎり忘れてくれ。不浄な失事は、無かったものと、水に流す。ですからきみも、過去の事は一切忘れて、これからのきみの人生を、存分に生きてほしい」

 前置きもなく、いきなり言われて、私は、茫然となった。体ががくがく慄え、いっとき私は、忘我の境を彷徨う。

 兄が、何か言ったようだった。私ははッと顔を上げ、兄を見据える。が、それはどうやら私の空耳だったようだ。そんな時、私は、上ずり声に、「布由子さんと、結婚させて下さい」と、叫んでいた。それもまた、虚ろな錯覚だったか。自分では、確かに声に出したつもりだったが、言葉は、口元から出た途端、宙にはじけ飛んでいた。焦るほどに、言葉を喪い、息が詰まり、全身に冷汗が滲み出る。そしていつかそれも萎えしぼんで、虚脱状態に、吐息を漏らす。もう、神託は下されたのだ。いまさら、そんな御託をならべて、何になる。

 ・・・・でも、布由子には逢いたい。布由子の本心が知りたい。いや、ひとめだけでも――。

「布由子さんは・・・・」

 吃りぎみに、それだけがやっと出た。が、すかさず、止めの一撃。

「布由子は、実家に帰した。学校も止めさせた――」

 驚き、落胆した私を尻目に、神主はやおら腰をあげ、

「明日、神嘗祭でしてね、多事多忙、これで失礼させて戴きますよ」

 何を思ったか、私は咄嗟に畳に額づき、

「すみませんでした」

 と、口走っていた。屈めた背中に、神主の無言の視線が、ひりひり感じられた。伏せたなり、遠ざかる衣擦れの音を聞いていた。

 つた つた つた

 体の中に、穴があいたみたいだ。暗く空ろな穴。果ても無く底くらい虚しさ。その空ろの裡で、猛り立つものが、声なき怒りの声を、轟かせていた。

   うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを

そんな先師の歌が、紛れ聞こえた。

布由子と、ふたりの国を造りたかった。もうそれは不可能なのだろうか。布由子は、すでに、黄泉の比良坂を越えてしまった――。

 こう こう こう

 魂呼びの行者の声を、夢に聞いた。その声に誘われて、私は起きぬけの、うつろな目を瞬かせながら、ふらりと外に出た。電車に乗った。

 その幾時間か後、私は、水戸駅の駅頭に立ち、出入りするバスを、ぼんやり眺めやっていた。煙草に火を点ける。その火輪の中に、黒衣の布由子が、ぼっと泛ぶ。よし、行こう――。

 話にだけ聞いていた、おぼろな空想の地図を頼りに、郊外行きのバスの一つに乗り込む。

 布由子の魂に誘われてか、迷うことも無く実家にたどり着く。胸ふくらませ、半ば怯えながら、おずおずと内に声をかけた。閾の奥の仄暗がりに、家刀自らしき女のかおが、茫と泛び、私を剣呑に見据えた。布由子さんはと、問いかけるや否や、「居ません」と、ぶっきらぼうに吐き捨てて、闇に紛れた。こちらが何者か瞬時に見抜いての早業。なす術も無く、引き下がるほかなかった。

 家刀自の掻き消えた闇に、私は、一瞬ながら、黄泉の國を、垣間見た気がした。布由子は、あの闇に紛れて、おれから身を晦ませてしまったのだ。そして、もう二度と還ってはこないだろう。おれは、おれの中にぽっかりできた暗い穴に、布由子の脱殻おもいでを閉じ込めたまま、生きねばならぬのか――。

 高台の家の裏手の坂道を、私は、黄泉の比良坂を転げ落ちるように、駆け下りた。畑道をぬけ、土手に上がった。左手に鉄橋が見える。往時のバスでその橋を渡ったのかどうか、定かではないが、その先に水戸駅があるだろうと、見当をつける。

 家刀自の憎悪を滾らせた目が、いつまでも追って来るようだった。ひょっとすると、布由子もまた、あの同じ目で、黄泉の國の闇に葬られたのかもしれない。母親って、いやな生きものよ。ため息まじりの、布由子の懐かしげ声が、追憶の耳に甦る。

 筑波颪が、音立てて、吹き抜けてゆく。

 をゝう をゝう をゝう

 黄泉の國を垣間見た者への、怒りの声か。私は、肩をすぼめ、コートの襟を立てる。

 ふっと、背後に人の気配。にきび面の少年が、自転車を軋ませ、横合いになだれ込む。

「姉ちゃん、よそに、貰われていった――」

 変声期のかすれ声が、風に散った。気恥ずかしげな目を瞬かせて、ごくりと頭を下げると、慌しく風下に走り去る。私は茫然と見送った。引き留めようにも、咄嗟のことに、言葉も泛ばなかった。玄関口に立った時、家刀自の背後の暗がりに、ぼっと立つ少年の姿を、私は垣間見ていた。たぶんその少年であろう。中学生か、布由子にそんな弟がいたことを、私は知らなかった。

 弟の姉を思いやる情が、家刀自の無情と重ね合わせになって、私の胸を衝いた。

 ありがとう。姉ちゃんを頼むよ。

 私は、心の言葉こえを風に乗せて、彼方の少年に送った。

 いつだったか、遠い姻戚すじから、養女に望まれているという話を、布由子から聞いたことがある。その時は、笑い話にすませていたが、此度の不始末がもとで、事が急に纏ったようだ。布由子には、負い目に抗い切れなかったか。とすると、子供はやはり始末した。不浄のものを抱えたまま、養女に行けるわけもなかろう。いくら子欲しさの相手でも、馬の骨のタネまで抱え込むとも思えぬ。

 しかし、あんなに生むことに執着していた布由子が、その嚢中のうちゅうの秘胤を抹殺してまで、相手に身を委ねるだろうか。布由子は一見、ひ弱で、控え目な女だが、あれでけっこう依怙地なところがある。ひとつこうと決めたら、梃でも動かぬ。そのへんは何やら、なよやかな中に、芯が一本、びしりと貫かれているのだ。子を孕んで、更なる女の靭さ、腹をぽんと叩き、ふてぶてしげに、この身まるごと引き取って戴けるのでしたなら、養女にも参りましょう、なんて居直ったやもしれぬ。

 そんな訝りが起きるのも、布由子から何の連絡もないためだ。半端でない彼女の意志が、その沈黙の中に、ずしりと感じられた。そしてその意志は、あなたに迷惑はかけない、と言ったとき固まる。またそれは、訣別の辞でもあったのだ。貧しい現実に拘り続けた男への、限りない失望感を抱いて、布由子は、私の手の届かぬ闇に紛れてしまった。安手の現実を保持するため、私は、得がたいものを捨てて顧なかった。

 いま、その喪ったものの大きさに、私は茫然と立ち尽くす。

 「三熊野詣」との奇遇で、水底に沈めていたうつそみの面が、ぼっと透き見え、その翌日、私は、白山の社にでかけた。

 社に寄り付かなくなって、何年が経ったのだろう。たいした歳月でもなかった気もするのだが、あたりはすっかり様変わりしていて、同じ社かと、訝るほどだった。石段の脇の、ケヤキの大樹に、以前には無かった囲いが廻らされ、天然記念物指定の立札が立っていた。そのせいか、どことなく精彩を欠き、老骨に鞭打ちながら気張っているような、痛々しさがあった。

 この社の祭神は、伊邪那美命である。神仏合祀の社には、脇侍佛に、観世音菩薩が祀られていたが、明治の廃仏毀釈で、近くの寺に移されたと聞く。

「加賀國の白山の山頂に、奥宮が坐りましてね、白山比媛シラヤマヒメ神社と称うんです。泰澄大師という坊さんが、開山したもので、祭神は白山比媛大神、別名、菊理媛ククリヒメ神。伊邪那美命になったのは、両部神道が、本地垂迹を解くようになってからの、伝記だといわれている。その菊理媛も、もとは高句麗媛で、『こうくり』の発音が『くくり』に、転訛したというわけです。いや、受け売りですが・・・・」

 と、布由子の兄は、笑いながらそんな社の由来を、話してくれた。

 その兄は、この社に、いまも奉へているのだろうか。神社本庁の所轄で、神主には、サラリーマンと同じ転勤もあるから、何とも推りかねる。それに、路地奥の住居も、氏子の所有ものなのだ。

 路地は、身の内に抱えもつ空洞うろのごとく、疎く暗かった。ぼっと翳んだ小暗がりの、轡をならべた民家の、閾戸の一つが、すっと音もなく開いて、そこからいまにも、あの黒ずくめの布由子が顕れるかと、息をつめ、目を凝らした。が、あたりは昼下がりのしじまにことともしなかった。

 煙草に火をつけ、ふっと顔をあげた時、どん詰まりの家の板塀の内に、幼き者の掻き消える姿が、ちらりと視界をよぎる。ほんの一瞬のことだが、確かな存在感が、網膜にしかと焼きつく。夢まぼろしに見た、あの少女ちいさご。五、六歳だろうか、黒ずくめの装いに、白いリボンが鮮やかだった。

 私は、路地に走った。少女の消えた板塀に張り付き、耳をそば立て、内を窺う。這わせた目の先に、見覚えのある表札があった。しかし、文字は幽かに墨跡を留めるばかりで、名乗るのを、拒んでいるかのようだ。

 あの頃、布由子の兄には、遅くにきた女の子がいた。五つか六つだった。さっきのは、その後に生れた妹か。しかしその頃、兄嫁にそんな風情など微塵もなかった。だいいち四十七、八にはなっていた筈で、それから生んだとも思えない。

 とすると、あの子は、誰・・・・。そう、布由子の・・・・そして、おれの・・・・。

 にわかに体がこわばり、痙攣でも起こしたようだった。慄えは沓底に流れ、かちかちと微かな音を立て、抑える術もなかった。そのひびきに和するように、少女ちいさごの独り遊ぶ声が籠り聞こえてくる。・・・・あゝ、あれは布由子の声だ。何とも侘しげなひびき。うつそみのひとは

 さびしも。・・・・

「おかあさん!」

 少女ちいさごの、唐突な一声。続いて、向いの家の、ガラス戸を引く高いひびき。家内から人の出て来る気配に、私は慌てふためき、路地を飛び出る。その背に、母子ははこの囁きが追いすがる。

 おとうさんに、あった。

 うん。すこしだけね。あのひと、きらい。

 どうして。

 だって・・・・おかあさん、すてたんだもの。

 声は、私の空洞なかで、いつまでもこだましていた。

 その前夜、私は独居の闇に紛れ寝ぐされて、夢とも幻ともつかぬものの裡で、その少女ちいさごのおぼろ姿を垣間見ていた。その夢まぼろしに誘われて、社に赴いたのだ。あるいは、それもまた、昨夜来の虚妄の続きだったのだろうか・・・・。

 老いかけの身に、遠い記憶も頼りなくなった。藤宮先生が、櫛埋めの儀式で、孤独な人生のしめくくりに、たび重ねた伝説の最後の夢物語を、自ら演じてみせたように、私もまた、喪った者とのありし日を、夢の裡に紡ぎ織ることで、それを別れの儀式としたい――。

     〔引用は中央公論社版・折口信夫全集。三島由紀夫著「三熊野詣」新潮社に拠る〕