三造さんのうちの馬が宝物をうんださうな、と云ふ大した村中の評判であつた。「虎は死して皮を残すとかいふが、さすがに三造さんとこの馬だけあつて、えらい物をひり出したもんぢやないか」などと、ヘンに唇をひん歪めて言ふものもあつた。……三造は村中切つてのしたゝか者である。三造はそんな話が耳に入るにつけ、業が煮えてならなかつた。
半月ほど前のことであつた。三造は役場で村の元老株三四人と寄り合つて、酒を飲んでゐた。そこへ家から使ひが来て「馬が病気をおこしたからすぐ来て呉れ」と云つた。で、三造は「あの馬鹿野郎が馬に霍乱でもさせたんだらう」とふだんから馬鹿者扱ひにしてゐる倅のことを罵りながら、飛ぶやうにして帰つて来た。馬は厩の中にぐたりと倒れて、目をつぶつて、汗をかいて、肛門から血を出してゐた。三造の顔色が変つてしまつた。彼は倅はじめ家の者たちを罵りわめきながら、本家の三男で今年畜産学校を出た若い獣医を呼びにやつた。獣医が来てさかんに灌腸などしたが、ますます出血するばかしで、それから一時間も経たず息が絶えてしまつた。
「手前、誰かに毒でも喰はされたんだらう。薄ぼんやりだからだ!」と、三造は倅を罵りつゞけた。
「そんなことはない」と倅は抗弁したが、二言目にはおやぢの拳固が飛んで来た。
その日も倅は村の製材所から鋸屑の詰つた俵を積んで、一里ほど離れた隣りの村の林檎の倉庫へ、昼前に一度行つて来た。馬の様子がヘンであつた。ちつとも秣をたべなかつた。豆腐のカラをやつてもたべない。汗をかいて、口から泡を吐いて、歩く勢もない様子であつた。でひどい炎天の日だつたので、やつぱし、霍乱にかゝつたのだらうと思つて、車からはづして家の裏でどんどん水を浴びせかけて厩へ入れて置いたのであつた。
「あした広さんに解剖して貰へば何の病ひだつたかわかるだらうが、俺らのせゐぢやない……」と倅は暗い顔をして呟いた。
「何が俺らのせゐぢやないことがあるか! 手前の使ひかたがわるいから斯んたら病気なぞかゝつたんぢやないか! 今更死んでしまつたものを解剖なぞして見たつて何になる! この途方抜けが! この節、二百や三百の端た金で馬一疋買へるかよ!」とおやぢは身体中をふるはして云つた。
翌日死骸が炎天の川原へ担ぎ出されて、やつぱし解剖されることになつた。直腸が破けてゐて、そこから直径二寸五分ほどのまん円い石ころのやうなものが出て来た。それが出た時、若い獣医はちよつと驚喜の叫び声をあげたが、
「これ僕に呉れ給へね?」といつた。
「いゝとも……」と倅はこたへた。
獣医は川の砂でごしごしと洗つた。まつたく、暗灰色をした、たしかに石ころに違ひなかつた。獣医はそれを手にすると、倅にもまたそこらに集つてゐた子供等にも碌すつぽ見せず、さつさと引きあげて行つた。三造は倅からその話を聞いたが、阿呆らしい石ころなど出たと云ふので、一層侮辱された気がして、苦い顔をした。ほんとに縁起でもない……
三造も近年は不幸つゞきの方である。この十年の間に二度も焼け出されたのは別として、彼のたつたひとりの弟で北海道で教師をしてゐたのが、気ちがひになつて、細君に逃げられて、三人の子供を連れて、二三年前に帰つて来た。そして昨年の暮に二階の薄暗い物置で、碌な手当も受けずに狂死した、村ではいゝ評判を立てなかつた。また彼の死んだ姉の息子の山師者に引つかゝつて、ひどい損をかけられた上に、裁判事件にまでなつたが、やうやうこのひと月ほど前に示談が調つて、それもかなりの額の金を原告へ提供せねばならぬことになつた。
「あの三造さんともあらうものが、どうしてまたあんな山師者なんかに引かゝつたのか。……やつぱし慾得づくだんべ?」
「何でもあの人の姉さんの死ぬ時に、息子の嫁を娶る時の金だと云ふので、えらい大金を預つたのださうぢや。それを三造さんが横領したちふ話もあるがな、或はそんなことかも知れんてな。でもないと如何に甥つこが可愛い云うたつて、あの三造さんがあれだけの馬鹿はせんぢやろ。……やつぱし祟りちふこともあるからな」
村の人達は斯んなやうな噂まで立てた。
「何だこの途方抜け共が! まだまだな、これしきのことではな、三造のかまどにひゞは寄らんぞ!」
三造は斯うその五尺にも足らぬ小さなからだに反り打たせて元気を装つてはゐたが、併しかなりの打撃には違ひなかつた。
馬のゐない厩の中は淋しかつた。怠け者の倅はいゝことにして、野良へも出ずにぶらぶら遊び廻つてゐる。三造はこの頃自分の女房の弟が村長の候補に立つてゐて、自分は村会議員の元老株でもあり、旁々参謀長と云ふ格でその方に忙しいのだが、出歩く元気も無くなつて、毎日引込んでは朝から酒を飲んでは家の者に当り散らしてゐた。
ところがぶらぶらと毎日遊び歩いてゐた倅が、白い長い鬚を生やした村の物識りから、それは馬糞石と云ふもので、非常に貴重な宝物だと云ふことを聞いて来た。
「だから貴様等はどいつもこいつも大馬鹿者だと云ふんぢや。何と云ふ聾たはけ者が揃つてるこつちやな。アハゝゝゝ。広さんこそ大金儲けをした。それと云ふのも貴様等の無学のせゐで、今更ほざいたつて仕方が無いと云ふものぢやよ。広さんが学校の参考品に送るなんて、それは嘘さ。今頃は大方東京の成金にでも売込む分別中だらうよ。何しろ何十万と云ふ値の附けやうのないと云ふ宝物ぢやからな、お蔭で倒産者の広さんうちもこれで盛りかへしだ。虎は死して皮を残すと云ふが、貴様んとこの馬もそれだけの宝物を残して死んだんだに、聾たはけ者だから、それだけの宝物をむざむざと他人に呉れて阿呆面してゐるが、死んで行つた馬に対しても恥かしいと思はんかい? アハゝゝゝ。それと云ふのもみんなふだん強慾たかれの罰と云ふもんぢや。何でも二三年前だつたかな、西郡の方でも二銭銅貨位の円さの物が出て、県庁の技師に鑑定を頼んでやつたところ、技師も馬鹿者で鉄槌で真二つに割つたやつさ。あとでその持主が他から話を聞いて、早速取寄せてセメントで接いださうだがな、それでもなんでも二三千円には売れたと云ふことが、青森の新聞に出てゐたぞ。貴様等は慾たかれで、ふだん新聞も読まんけに、斯んたら馬鹿な目に会ふのぢや。おやぢに帰つてさう云へ──尻までやぶいて死んだ馬に対して申訳があるめえ! アハゝゝ」
村の物識りは白い鬚をしごきながら、好き放題なことを吐いては、七十近い老人の腹からは出さうにもないやうな元気な笑ひ声を響かせて、膝をだいた身体を前後にゆすぶつた。
おやぢとは違つて、身体も大きく、物に動じないやうなうつそりした気性の倅も、さすがに度胆を抜かれて顔色を変へてあたふたと帰つて来た。
おやぢは台所の大囲炉裡に褌一つで胡坐かいて、炉の隅へ七リンを置いて、川雑魚と豆腐の鍋をつゝきながらいつもの長い晩酌にかゝつてゐたが、倅の鈍臭い話しぶりに終ひまで我慢出来ず、
「何だと! この阿呆! 糞垂れ! もう一度云つて見ろ!」
と歪めた下唇をつん出して、ぎらぎらした眼光を倅に向けたが、いきなり手にしてゐた大猪口を、相手の顔を覘つて発矢とばかり投げつけた。が顔へは当らず、障子の桟をかすめて土間へ飛んで砕ける音がした。
「この途方抜けが! 手めえが阿呆だからな、あのゴホンケ者にまで阿呆あしらひされて、何だと──馬糞石……? まあまあこの途方抜けがまあ、宝物……どの面こいて──そのしやつ面が見たくもねえ! あのゴホンケにまでかつがれて、のめのめした面こいてやがる……この業晒しが! 寝言ならな、寝床の中へ這入つてこくものだ! 薄馬鹿が!」
三造は酒もそつちのけにして、罵りわめいた。
「だつて、父さんのやうにさう闇雲に怒つてしまつたんでは話も出来ませんがね。併しいかになんぼあのゴホンケかつて、満更根も葉もない嘘はこかん人でごいす。たしかに青森の新聞にまで出たちふことだから、話半分に聴いても、併し兎に角なんぼ程か値のあるものかも知れないと思ふがな。さう云へば……」と倅は云ひ出すのを躊躇したが、
「さう云へば、あの時の広さんの様子に腑に落ちねえところがあつたつけ。あの珠が出るとな、いきなり庖丁をおつぽり投げて、川の砂でごしごし洗つてやがつたが、呉れと云ふからわしあ生返辞してる間に、とつとと駈けて行つてしまつたでごいす。広さんめ──して見るとあいつ学校で知つてたんだな、そんげえらい宝物だちふことちやんと知つとつて、それで奴のぼせあがつて……うぬ! どうするか覚えてやがれ。わしが承知せんぞ!」
倅は横目でおやぢを警戒しながら、離れた炉ばたへ坐つて、煙草を吹かしながら、覚悟の体で口を尖らして云つた。
「何をわし面があるかい! 阿呆が。うぬが承知で呉れてやつて、……なあ、四百も五百もする馬を殺して、その馬から出て来た物だ、して見ればよしそれがたゞの石ころであつたにせよ、こらまあ、斯んな物が出て来たんだがと、一応うちへ帰つて皆に見せると云ふのが、当然の話と云ふもんぢや。三つ児だつてそれ位の才覚は働くものぢや。それを何だ、あの広坊などにうまうまとかたり取られやがつて、今更ほえ面こいて居やがる。野郎それほどうぬが最初から気が附いてゐたと云ふんなら、たつた今のうちに取り返して持つて来て見せろ。それほどの性魂ひがうぬにも出来てゐると云ふなら、たつた今のうちに持つて来て見せろ。……それが出来めえがな。明日になれば、また父さんお前行つて来て呉れだろが? 俺がどの面さげてのめのめと出かけて行かれるか! この鼻たらしが!」
「うゝん、なんでおれにだつて出来ねえことがあるか! わしも呉れてやるとはつきりとは云はなかつただ。わしは裁判問題にしたつて屹度取り返して見せる。よし! わしはこれからすぐ出かけて行つて、喧嘩してもふんだくつて来てやる。本家の兄さんが出たつて誰が出たつて構ふことあねえ、自分の物を自分が取り返しに行くのだ、何もこはいことはねえだ、よし!」
倅は樺細工の筒をポンと鳴らして煙管ををさめて、のつそりと腰をおこしかけた。
「フム、うぬに取り返して来られるやうだつたら、世の中の阿呆ちふのが無い勘定だに」とおやぢは鼻のさきに冷笑を浮べたが、顔色も急に青ざめたほどの真剣さを現はしてゐた。
「本家のやつら、おいそれと云つてすぐには渡すまいて。本家のやつらもなかなか悪党の腹が出来てるでな、うちの阿呆なんかの手にやおへめえて。だが承知するもんぢやねえ。おれは本家へ暴れ込んで行つても、とつ返さずにや置かねえ。あいつらのすることはまるで詐欺だ!」
三造は倅の出て行つたあと、冷めたくなつたのをぐびりぐびり飲みながら、むつかしい顔して斯う女房に云つた。……
が、やつぱしおやぢの鑑定通り、その晩倅は空手で帰つて来た。それから二三度も足を運んだが、若い獣医──と云つても学校を出たばかしで、それに狭い村のことで開業も出来ないので役場へ出てゐる彼は「だつて君は呉れると云つたぢやないか。だもんだから僕はすぐ学校へ送つてしまつたんで、今更取返すと云ふ訳には僕としては行かんよ。それに君はあのゴホンケの話をほんとにしてるやうだが、それはたしかに珍らしい物には違ひないけれど、そんなあのゴホンケの云ふやうに金になるもんぢやないんだよ。君達はあのゴホンケにすつかりかつがれてゐるんだよ。昨日も役場へ見えて、わざわざ君の父さんも聴きに行つたさうだがね、大いに煽てて置いたから屹度今に僕のうちへ君の父さんがあばれ込むだらうつて、あのゴホンケ馬鹿口たゝいて笑つとつたが、ほんたうはそんなものなんだよ。それはたしかに馬糞石と云ふと珍らしいものには違ひないが、普通のうちに飾つて置いたつて仕方が無いもので、それよりも学校へ寄附して置くと、君のうちの名も永久に残るし、馬の名誉にもなると云ふ訳さ」とにやにや笑ひながら本気で取りあげなかつた。
「それはさうでもあらうが、或はそれほどの大金にはならんでも、何しろわしんとこでも四百両五百両と云ふ馬を一頭殺してゐる際だで、おやぢの考へとしては幾らかでもその補ひをつけたいちふ考へでね、……それは屹度あんたへはこの間の解剖賃はあげます、屹度相当の解剖賃は払ふで……」
倅はどこまでも相手を疑つてかゝつて、併しふだんから学問者の本家の兄弟には何目も置いてることで、どこまでも下手に出たが、斯う同じやうなことをしつこく繰り返した。
「ほんとに君等にも困るねえ。ほんとにそんな金になるもんぢやないんだよ。ほんとに君達はどうかしてる……」
「ほんとに、まあさう云はないで、……ほんとだ、広さんこの通り頼む! この通りわしが頼むでどうか取り寄せて下せえ。ほんとに幾らかにでも売れれば屹度相当のお礼はします。どんなにおやぢを説きつけてでもお礼だけは屹度させます。わしだって一旦約束したことを反古にするやうな男でもねえでな、……広さんだつてわしの気性も知つてゐなさるべ、……ほんとな、な、ほんとにこの通り頼むでな。わしもほんとにおやぢに責められるのが辛いだでな……」斯う終ひには倅は泣くやうにして頼んだ。
「それでは兎に角学校へ手紙を出して取寄せよう」と相手も云はない訳には行かなくなつた。
「有難い! これでやうやう安心した。ほんとに広さん頼んだ……」と倅は大袈裟に胸を撫でおろして帰つて行つた。
斯んな風で、三造の馬が五万十万と値の知れないほどの宝物をひり出したと云ふ評判が、近村にまでひろがつたのであつた。例の、葬祭などの村の年中行事は勿論、天文地理一切の顧問格を以て任じてゐるゴホンケ(駄ぼら吹きといふほどの意味)は、例の調子でおのれの博聞をほこり歩いた。が話のあとでは「あの三造の慾たかれ、すつかりのぼせてしめえやがつた、アハゝ、慾馬鹿とはよく云つたものだ、アハゝゝ」と例の白い鬚をしごき、薄黒い舌をのぞかせては筒抜けの笑ひ声をひゞかせてゐた。
宝物拝見と出かける村の閑人や、他から来た馬喰などが、三造を訪ねて来た。三造はこの頃はさつぱり義弟の村長候補の運動にも出かけず、苛ら苛らとうちの者どもに当り散らしては、大方朝つぱらから酒ばかし飲んでゐた。倅もおやぢに責め怒鳴られるのを恐れて、この頃は神妙におやぢの寝てるうちに林檎畑へ出かけて行つた。
「お前さまはどこからわしのうちに馬糞石があるちふ話を聞いて来たか知れんが、わしのうちには馬糞石はございせんでがす。馬糞石なら本家へ行つて見せて貰ひなせえ。わしのうちにはそんなものはございせんでがす」
三造は斯う、まるで訪ねて来た人に喰つてかゝるやうな調子であつた。彼も初めのうちは、この馬糞石と云ふ言葉を口にするのが、何やら侮辱されたやうな気がしたが、この頃では幾度それが口にされることだか!
「ほんとにわしのうちには無えでごいす。わしのうちにあるなら、この主人のわしがひと目もその馬糞石を見ねえちふ筈がねえでがすがな、わしは見て居らん。わしがなんぼほどお前さまに見せたい思うても、無えものは見せる訳に行きませんでな。……併しでがす、お前さまはこれから本家へ廻んなさつても、多分見せては貰えますめえて。何でもそれがな、評判を立てさせるちうて青森の新聞社に送つたとか、東京の大金持のところへもう送つてしまつたとか云ふ話がですがな、大方そんなことでせうて。本家の兄貴の野郎あんな殿様見たいな顔してますがな、なかなか腹黒い質の男で、煮ても焼いても喰へない男だで。……あゝほんとにこのわしも、娑婆が厭になりましたわい。四百も五百もする馬を亡くした揚句、その腹の中から出た物まで横領されるなんて、何と云ふ因果な話だ! 併しわしは、なんて云はれたつてこのまゝでほつては置かん……」
三造はさうと信じてしまつたのだ。本家の今の若い主人は所謂学問中毒と政治道楽の為め、近年すつかり財産を耗つてしまつた。それを挽回しようと云ふので鉱山などへ手を出して悶掻いてゐる。で馬糞石を畜産学校へ送つたなんと云ふことは真赤な嘘で、東京の三井とか大倉とか云ふ富豪へ交渉中か、それとも青森の新聞社へでも送つて大々的に評判を立てさせてそれから売込まうと云ふ計画か、どちらかに違ひないときめてしまつたのだ。
「十万円──いや一万円と見たところが大したものだ。いや千両と見たところが、馬の代りも買へるし、あの忌め忌めしい示談金の埋め合せも出来ると云ふものだ……」
斯う考へて来ると、酒びたりになつてゐる三造の頭はぐらぐらと煮え立たずにゐなかつた。
「いや、それともまたほんとにあのゴホンケの云ふやうに、十万二十万と値の知れねえ程の宝物かも知れんてな、若しさうだとすると……?」
近頃本家の主人達の仲間が、近くの坊主山に亜炭の大礦脈を発見したと云つて騒ぎ廻つてゐるが、そしてこのおれを仲間はづれにしてゐるが、併しそんなことは最早屁の皮でもないと云ふ気がした。そしてふだん馬鹿者あつかひにしてゐるあのゴホンケまでが、何となくえらいところのある人間のやうな気さへした。
三造は、本家の主人が亜炭の用件にかこつけて上京でもするやうな形跡がないかと、うちの者たちにも気をつけさせた。
獣医が学校へ出すと約束した時から四五日も経つたが、やつぱし本家からは沙汰無しである。倅は度々催促に行つたが、獣医は「いや、ほんとに手紙を出したんだがなあ、どうしたんだらう……」と云つた調子で、要領を得なかつた。
朝酒で顔を真赤にして、禿頭を炎天に曝して、小さな体躯に反りを打たして、往来の凸凹石にチビ下駄を響かせながら、三造は上の方へ歩いて行つた。まだ昼前のことで、ポプラやヒバなどの植込みを持つたちよつと小ざつぱりした建物の役場では、窓ガラス戸を開け放して、四五人の村吏たちがテーブルに向つてゐた。
「皆さんお暑うございます」と云つて、三造は這入つて行つた。
「これは築館さんかお久しう……この頃はさつぱり役場をお見限りでしたが、相変らずこの方でお忙しいこんで?……」と、受附のテーブルを占めてゐる巡査部長あがりの年輩の助役は、盃を持つ手真似をしては、笑顔で迎へた。
「いや、そんなことでもござんせんが……」と三造は無愛想にこたへて置いて、こちらに顔を向けずに突俯したやうになつて筆を持つてゐる獣医のテーブルの方へつかつかと歩いて行つた。
「広さん、今日はお前さまに少し訊いて見たいことがあつて来たんでごわすがな、併しお前さまの係りだちふ戸籍のことについてではごわせん……」三造は酒臭い息を吹きかけながら、自分を抑へつけた皮肉な調子で出た。
獣医は鉄縁の眼鏡のかげの細い眼が、おびえたまたゝきにパチパチした。
「一体その……馬糞石のことについておめえさまが三本木の学校へ手紙を出して呉れてから、もう幾日頃になりますべ?」
「もう四五日も前で……」
「一体その三本木とこゝとで郵便の往復するには幾日かゝることでごわすかな? へい、わしはまた三本木とこゝとでは三日もあればもう、余つて返る頃だと思ふんですがな、……へい、してまだ何とも返事がごわせん? へい……ふふん?」
三造は斯うねつこい調子で云つて、鋭く眉を立てて下唇をやけにひん歪めたが、
「……でな、広さん、わしもおめえさまとは他人の中ぢやねえ、切つても切れねえ親類同士だでな、……それに、ここにはこの通りの大勢さまの実証の聴き人も居ることだで、わしもその馬糞石が何万両に売れようと、わしもその決して、自分の懐ろばかり肥すやうなそんな見つともねえ真似はしねえだ、それでな、広さんて、兎に角にな、一応は、その馬糞石はわしの方へ返して貰はにやならん理窟になるでごわせう? わしの耳にもな、世間の噂はいろいろ這入つてこねえこともねえでごすがな、併しそんな詮索はしたくはごいせん、親類同士で血と血を洗ふやうな真似はしたくねえでな。……まあおめえさまがた確かに学校へ送つたと云ふからには、それに違へごわせんべ。……このことについては、全くうちの馬鹿野郎にも落度がねえとは云はねえ、……つまりおめえさまがそれを参考に研究するから貸して呉れえと云ひなさつた時に、いや一寸でもわしに見せてえ、嬶にも見せてと云ふ位ゐの分別は途方抜けでねえかぎり屹度出るにちげえねえだが、そこが途方抜け野郎のことでごいす、──へい、よろしうごいす、お貸し申しやせう──一寸斯う口をすべらしたばかしで、こんな面倒なことになつたんでごわすが、併し元々が本家分家のことで、わしもおめえさまの兄さんへ対して強い口はたゝきたくはごわせんでな、それでな、おめえさまもうちへ帰つてよく兄さんに云つて下せえ、……分家の三造が斯う申してゐやしたとな。頼みますぞ。それで今日が今日すぐと云つても何でごわせうから、あと三日の期限と云ふことにして、間違ひのねえところで、返して貰ひてえだ。でな、わしは決して呉れて下せえといつてるのではごわせん、立派に返して下せえとこの通り云つてるでごわすぞ、……この通り大勢の実証の聴き人ちふものも居ることだて」
室内の人たちの物ずきな耳目は、三造の這入つて来た時からの恐ろしく勿体ぶつた態度や、目じろぎもせずぢりぢり詰め寄るやうな調子の一言一句に、ひきつけられずにゐなかつた。
「三造さんいよいよどうかしてるな……?」誰もがさう思つた。少年の小使などは三造の顔にすりつけるやうに覗き込んで、少年らしい物ずきな目を輝かしてゐる。
まだまるで子供らしい顔した二十一二の若い獣医も、最初おびやかされた気持をいつか無くしてゐて、ぷかぷか敷島を吹かしながら、擽つたいやうな無邪気な顔を打俯せて、聴いてゐたが、
「をぢさん、併しそれは……それは無論取り寄せますがね、併し……」と微笑を浮かべて、もぢもぢ云ひ出した。
「何? 何が、併しでごいすだ?」と三造は体をひとゆすりして云つた。
「いや、併し、をぢさん、それは屹度間違なく取寄せますがね、……多分今日あたり着く頃だと思ふんですがね、併し……」
「ほう? それではわしが一寸おめえさまとこへ廻つて見てもいゝがな……」
「えゝそれはもうどんなに遅れても二三日中には屹度来ますがね、併しをぢさん、あれはですね、あれは確かに馬糞石と云つて珍らしいものには違ひないですがね、併しをぢさんの考へてるやうなそんな金になる──ハゝ、僕はどうもをぢさんとこの運造さんが、あの寺田の爺さんにかつがれた……」
「何だと! この聾たはけめが! もう一遍云つて見ろ!」
三造は歯をがちがちさせながら云つた。
「うゝん……阿呆もな、休め休め吐くもんだぞ。おれがあのゴホンケにかつがれてる……? この鼻垂れが、生意気こくとはり飛ばすぞ。俺もな、まだまだあのゴホンケにかつがれるほど耄碌はしてゐやせんて。人を薄馬鹿だと思つてやがるかよ、この青二才めが! 余り識つたかぶりするもんぢやねえぞ。てめえもな、そんなこんでは碌な人間にはなれせんぞ。どいつもこいつも騙りめが揃つてやがつて、ざまあねえや! ……よし! おれはてめえの兄貴に云ひ分がある……見てやがれ!」
三造は恐ろしい権幕で出て行つた。……
その今にこの貧乏村にも成金を沢山出すに違ひないと云ふ取沙汰のやかましい亜炭の大礦脈だつて、較べものにはなるまいと云ふ、十万二十万の値の知れないほどの稀代の宝物の馬糞石は、三造が本家へ怒鳴り込んで行つてから二三日して、学校から送つた小包のまゝで、本家から届けられた。三造はうやうやしく刷物の御尊像のかゝつた床の間へ、間に合せに紫メリンスの風呂敷をたゝんで、その上に飾つた。そして誰彼の差別なく、座敷へあげこんで、酒を出して手は触れさせないが、拝見は許した。夜は箪笥の底深くしまひ込んだ。
「いや、斯うして拝見を許すのもやつぱし評判を立てさせるひとつの術だつてなあ。婆さんよ! 酒などけちけちすることねえだ。おめえなぞにはわかるめえがな。新聞社などへ送つて評判を立てさせれば、それは一番早いこんだがな、それでは騙り取られる心配があるよ。あいつらと来ては、どいつもこいつも娑婆の悪党だでなあ。……今度だつて、もうちつとのとこで騙り取られるとこだつたでねえかよ?」
斯うしたものの売買ごとには慣れつこの本家の主人と喧嘩してしまつたことは、今更に三造にも心細い気がされたが、併し斯うして訪ねて来る多くの人たちに拝見させて評判を立てさせてゐるうちには、屹度明日にも東京の三井とか大倉とか云ふ大金持から人が出張して来るに違ひないと云ふ気がされて、三造は朝から酒の飲み場を台所の大囲炉裡のわきから、座敷の床の間の前へと移した。
「さうに違えねえだとも! あの多吉さんところの畑から出たアイヌのこさへたちふ壁人形でせえ、東京の博士から百両出してもちうて所望して来たさうでねえかよ。わしんところの馬糞石はそんたら壁人形などとは事訳が違ふぞ。……けちけちするな」と、酒にけちけちする女房を、三造は叱りつけずにはゐられなかつた。
(大正八年六月)