ぼくの夏休み論
だるま薬局の台所から、妙に人間臭いホルマリンの匂い
がする。言葉や思想を漬けこむとそうなるのだと聞いた。
その証拠には、まだ昼間だというのにトランプカードを
取り合うののしり声。おおかたケンタッキー・フライド
チキンかマクドナルド・ハンバーガーしか知らない《ア
ドレナリン世代》が青春をムダ遣いしているのだろう。
偏差値だけで人生をはかられた腹いせに。しかし、神経
衰弱なんて誰が好きなもんかと、タンカをきってもその
青白い顔が嘘を証明しているのだよ。都市とは公害の代
名詞であると、田村隆一という有名な詩人がいっていた
っけ。そのでんでゆけば、青年とは徒労の代名詞である
か。いや、それは単に、正しい夏休みのすごし方を知ら
ないからにすぎない。だるま薬局の台所で昼寝をしてい
たら、知らない内に心の空地につぐみが夢の種子を運ん
できたという話も聞いた。結論をいおう、だから君たち
は透明になりなさい、と。水よりももっと清冽に、良心
を拡大するレンズのように。アドレナリン世代は不潔だ
というが、夢の中にまで現実を持ち込んだりするから、
アドレナリンの分泌がふえるのだよ。夏休みは透明にな
って、クリザンテームを盛りあげた花屋の車を飛び越え、
野や山や、川の上をスイスイと泳ぐにかぎる。トランプ
なんかしていないで、ツクツクホーシになり、紫揚げ羽
になって、谷川のヤマメと遊ぼうよ。そうすれば、やが
て地球の自転する声さえ聞き分けられる。でも透明にな
るためには、だるま薬局を出て、童心に帰って、心にま
でしみとおる冷たいラムネを、しこたま飲まなければい
けないのだよ。
浜千鳥の奥
浜千鳥に波模様。かき氷の小旗に誘われて入ると
看板娘の「いらっしゃいませ」が手元まで配達さ
れる。気があるくせに、いまだデートにも誘えな
い小心者がさくさくとほおばる涼味は、庶民派向
き。彼女はどこか式子内親王に似てウブだ。きっ
とまだ男を知らないのだろうとあたりをつける。
だからなおさら腰つきが気になるのだと。軒の吊
りしのぶが風鈴をそそのかして冷ややかに笑う。
どこかでリードアウトを間違えて泣き出した赤ん
坊の声が夏を上手に演出する。たちまち熱く膿み
だす風景に、色男になりきれない定家の頬がひき
つる。口ひげも、くわえタバコも似合わない三流
の女ったらしと自嘲するうちに、ガラス戸の奥か
ら烈火。「ひやかしはゴメンだよ。さっさと出て
行ってくれ」胸倉をつかまれ追い出されても、風
まかせ、お天気まかせで夏を横切るあの道この道
とおりゃんせ。アイスクリームのように白い式子
の手の指を思い出しながら、定家は地球からはみ
だしている。
夕方から年の暮れ
夕方からほとんど年の瀬になった
雨ふりのようにざあざあと甘えるばかりの人波。
さざなみのような年輪を
天地無用で抱え込み
パフパフと金勘定しながら絵馬を買ってゆく。
蒲鉾は古い染めつけ角皿にもられ
電話で正月を呼びだすと
障子の外には眩しい雪女が立っていた。
お酌なんてして欲しくないけれど
妻も子供も出払ったあとだから
しかたがないか。
この冷酒は肝を冷やしてゆくだけらしいと
遅ればせながら気づく
年の瀬はさらに押しつまってくる。
押入れにも
トイレにもところかまわず
いやはや蒲鉾も彼女のせいで冷凍だ
このままじゃ、家の中がしんしんと冬景色になってしまう。
どうしたらお引き取り願えるのかと
思案ひとしきり、猫ふた声。
そこで思いついた殺し文句がこれ
「あなたの出番は、来年の方が似合いますよ」
どっと酔いが年の瀬に押し寄せた
白河夜船の
夢のはしけから転げ落ちた。
目をさませば床の間にもたっぷり年の瀬
あがいても年の暮れ
精衛*、海を塡む、とはこのことか。
* 支那の炎帝の娘が東の海で遊んでいて溺れ死んだ。娘は精衛という名の鳥に化して怨みを晴らすために、木と小石をくわえて毎日、その海を埋め尽くそうとした(山海経)――という、徒労に終わる無謀な企てを諷した話。
パンプキンな気分になったら
恋文など書いてみませんか
パンプキンな気分になったら
足取りが古風になる。
ボーナスが出た日の夕餉はグツグツと
妻がおいしく煮えている。
鍋の中をのぞくと脂身は
肩身をせまくしている。
でも私はパンプキンを食べたいのだよ
主張が横滑りすると、また我儘が始まったと
妻は上気した顔をいっそう上気させるが
この日ばかりは通ってしまうのである。
なにしろ、ボーナスには魔法の力があるのだから。
でも、知っていましたか
一度甘えてしまったら
慣れがどれほど怖いかということを
彼岸の曲がり角へ残してきた父や弟のことを忘れ
黄色い戦争のことを忘れて、
――はいけないということを。
ぬくぬくと舐めあうヒモ
ほどけやすい平和のヒモは何色だというのですか
リトマス試験紙のように心変わりしやすいそれに
いつまですがり続けていられるか
だから背筋をなぞってゆく寒気は
個人の所有ではないのだよ
妻よ、目からうろこが落ちるとは、このことをいうのですね。
パンプキンのみぞれ煮がいそいそと出来上がると
妻に恋文など、書いてみたくなる。
つゆしぐれ界隈
初老の秋を出る。国立西洋美術館を妻と出る。ラグビーボー
ルが天馬のように肥えてころがってゆく。その概念が叢にか
くれたころ、決まって記憶のスクリーンには、古い活動写真
舘の体質のように雨が降り出す。そこで泣き始めた妻よ――
佐久間ドロップス*の空き缶を握りしめて
逝ったおかっぱ頭の女の子に
記憶が雪崩こんだのですか
感情移入しすぎて
フィルムの雨なのか
自分の内側からしぼりだされる雨なのか
見分けがつかなくなった日曜日ですね。
実写フィルムの焼きの甘さに、カタストロフィーもしみ出す。
ウィリアム・ブレイク展を観たあとだというのに、何もかも
まっ白で、甘さをしぼりきったドロップスの空き缶が少女に
握られたままなのは不幸だ、いくら沾れても、沾れすぎるこ
とはない蛍の灯が妙だとは、スクリーンに向かって手を掬っ
た妻の繰り言ですか。
子供の足元をぐっしょりとつゆしぐれ。
そういえばあの日も同じ色の
コスモスが咲いていましたね。
用済みの麦藁帽子を戸棚にしまいこむと
みえてくるもの
軍靴**の音遠ざかり
しらしらと眠る乙女らに
遊星の未来、ものがなしい。
いよいよ白髪が増えましたね
くたびれた背をしていますよ
年貢の納め時という言葉に選択肢はないのですか。
追いかけてくる画家の声が夢の表面で波打つ。シルバーシー
トを拒否できなくて泣き始めた、おまえに。
* 野坂昭如「火垂の墓」
** 葛原妙子「軍靴みだれ床踏む幻聴のしばらくあり
あかつきのおとめはしらしらとねむる」
一茶、神に背を向けて
神様とは説明不足の紙芝居のヒーローのことだ。時々理不尽な現れ
方をする。
*
その朝、真鍮の風は艶出しニス塗りのおかげで光る胡桃材のテーブ
ルの上に軌跡を残した。確かにその村を通っていったという証の鋭
い爪の形を。あれは木樵の蒲鉾型の音がれんめんと湧いてくる日のこ
とだった。
その人をふりかえると
はかなげに裸足
背は痺れてゆく緋色
色を薄める宵闇の
蠱惑から逃れようともがく
ひとつの感性。
《虹の輪の中に馬ひく枯野かな》*
そうつぶやいてまたとぼとぼと歩きだすしんみりとした貧しさ。歴
史を棒のように呑みこんで、私はこんこんと眠ったままだから、そ
の人の剥落が始まった。
軒下で、
枯野で、
トーストを焼くのを忘れたテーブルの上で、
はがれ落ちる理不尽。
あれは木樵の蒲鉾型の音が、時間の歩廊でりんかんと、すたれてゆ
く日のことだった。すれちがいざま半円弧にはにかんで、夕暮れ、
さらに村はずれで貧しくなるのを見た。
神様に背を向けた、その人よ、
紙芝居の人生よ。
* 小林一茶
夏、宇宙の芯まで淋しく
夏、宇宙の芯まで淋しく
ひまわりは、枯れるまでの時間を計りながら背のびしてゆく
夏、蝉の抜けがらを松の木の根で拾ったので
失恋した後のように
宇宙の芯まで淋しくなる。
一匹だけの葬式を
ひっそりとやりとげるおまえたちは立派ですよ
二十日間だけ季節の主役になりきって
訂正ばかりを重ねるぼくたち人類を
笑いとばしながら消滅するのだから。
山車を一緒にひいてくれた夏祭りの
べっこう飴を買ってくれた夜店の
カーバイドの灯りと匂いの中に
もみだせば限りなくうずき出す宇宙の芯に過去をつめこみ
蝉の命の重さと較べるのはひきょうですか。
油照りの野に出て
草野球する少年の
肩がボールほどにはずんで遠景のキズになるのを
汗をふきもせず
写真集の奥にまとめたのも
そんな一冊の破けた夏でした。
花びらがじいっと耳をすまして明日の方へめくれていった日
すべての言葉はそこから吐き出され
沈黙だけが花粉となって残ったのです。
沈黙は森羅万象の上に君臨するのだ、と叫んだら
きのう失恋したばかりの娘は
そんな父さんなんて嫌いよと、
ひまわりのように泣いて
夕立のひぬ間に夢からはみ出してゆき
臨海公園のベンチで
「沈黙は悪だったわ」と呟いて
夏の抜けがらを拾うのでしょうか、失恋も癒えぬまま
宇宙の芯まで淋しくなって。
鳥肌のたつ場所
人にはきまって鳥肌のたつ場所がある。ということを知っていまし
たか。たとえばあなたは、鳥肌がこんがり焼きあがる店先で、ヨダ
レをたらしていたことがありましたね。その鳥は、何か悪いことを
して火刑になったのでしょうか。大地が途切れて、人も魚も奈落の
宇宙という滝壺に落ちる地の果てとか、海とみまがう藍色の空に吸
い込まれて自我を喪失する岬とか、夏のきわみにあぶられて声も出
ないひまわりの背景とか、知らない人が突然闇の中から手を握って
くるカビ臭い劇場とか、ひかりものばかり出す寿司屋とか、机の上
でゆっくり草を食むクローン牛のコピーとか、胸から黙って飛び立
つ鳥目の鳩だとか、パンツの神様を崇拝して徘徊する深夜の紳士
だとか、錯乱する実在はいろいろありますが、ぼくは、ホロホロ鳥
がこんがり焼きあがるまで、自立する鳥肌は許してやらないのです。
なぜ鳥肌が立つのか。それは消滅するものの意志がそこに介在して
いるからに他ならないからです。どれもが甘えの応用編であって、
百円玉を握りしめてお菓子屋へ駆けて行く三つ編みの少女の心ほど
純真ではなく、ささやかな喜びをくすねる大人の心理にソックリだ
からです。ほら、その道を曲がればまた新しい、鳥肌のたつ場所に
出てしまうはずなのです。醜い実在という甘えを証明するために。
美しい人は
美しい人は
骨になっても美しい。
月の光を手のひらに広げて思う
初夏は、まだ匂いだけだが
ゴチックふうの不粋な光が、
ヒマラヤ杉の棘を揺らして吹いてくる晩であった。
頬を、肩口を、耳朶を刺している
中央線・歴史の駅前
夜がみるみるふくれあがって
学生らのさんざめきがふくれあがって
巻き戻しのきかない生を鼓動させている。
かつてインターナショナルの列が
ワルシャワ労働歌の列が
行進していった生の
連続の一瞬に変わりはない。
あの初夏はひときわ輝いていたが
それは紅いダリアの蕾から始まったのだ。
サウスカロライナの風に吹かれて
さわやかな恋を知りました。
そんな柔らかな手紙が届いたのは
組んでいた腕をほどいて四半世紀の初夏
月に人が降り立つ時代に生きて
月の光の意味を考えるとは
徒労のような。
墓標のような。
石を学生のさんざめきに投げてみる
さんざめきが裂ける
中央線・歴史の駅前
匂う初夏がうれるのはいつだろう
手紙の印影を重くひきずって、夜が明けてゆく
紅いダリアの中に
あなたの名前を閉じ込めて
美しい人は
灰になっても美しい
と思う。