一九四五年(昭和二十年)八月六日、朝、家を出た私は空を見上げた。
いつもと変わらない穏やかに澄んだ広島の青空だった。
先ほどこの空に空襲警報のサイレンが鳴りわたり、すぐに解除になった。誤報だったのだろうか。
庭の杉木立で目覚めたばかりの蝉がチッチッと鳴いている。
今日も暑くなりそうだ。
私は十四歳、女学校三年生。学徒動員で逓信省(戦後は郵政省と電気通信省、現在は総務省・日本郵政グループなど)の貯金支局に勤務していた。
私の家は旧広島市内の北部広島城の近くにあり、一方、貯金局は市内の南部、日赤病院の近くにあった。そのため私は、毎朝一時間かけて市内を縦断し歩いて職場に通っていた。当時、学生たちは電車に乗ることを禁じられていたし、市民たちも二、三キロは徒歩が普通の生活であった。
朝、出がけに空襲警報のサイレンが鳴ったため一旦家に戻った私は、この日は普段より三十分ぐらい遅れて八時過ぎに職場に着いた。
私はいつものように横手の通用門をくぐり、細い裏階段を上って三階の事務室へ入って行った。
貯金局は正方形に近い形の鉄筋四階建てで、はっきりと覚えてはいないが、一階は郵便局など、市民たちへの窓口事務を行っていたのではないかと思う。
二階以上は、二貯、三貯、四貯と呼ばれて、貯金支局としての業務が行なわれていた。
私は三階の三貯に配属され、仲良しの友人たちは二貯と四貯勤務だった。
各階(多分一階以外)の広い事務室の一角の上部は原簿庫となっていた。
原簿は非常に重要なものなので原簿庫は堅牢に造られていて、その中には天井まで届く本棚のような棚に、郵便貯金者の名前の音順に台帳がびっしりと並べられていた。
その棚は、人が二人すれ違えるくらいの間隔で原簿庫いっぱいに並んでいた。
私たち学徒の仕事は、出勤後先ず前日各郵便局からあがってきた郵便貯金の伝票の束を持って、事務室内にある階段を上って原簿庫に入り、伝票の氏名を確かめながら、原簿を抜き出す仕事から始まる。
夕方は処理の終わった原簿を元の位置に戻して勤務が終わるのだった。
昼間の空いた時間は、逓信省独自の算用数字の練習と雑用だった。
貯金局では月一回だったか、職員が一堂に集まりソロバン大会が行われた。
毎回、ずば抜けて一番になる友柳さんという女性がいて、私が配属された部署の人だった。友柳さんは素朴といってもいいくらい自然体で物静かな人だった。
何がきっかけだったのか、私は昼休みなど時間のあるときは 彼女に教わってソロバンの練習に励んだ。
この友柳さんが、被爆の際、私の命を救ってくださったのである。
あの日、あの時、私の友人たちは原簿庫に入っていて無事だったという。
彼女たちは、貯金局に近い南部に家があったので、早く出勤できたのだろう。
前日、蜜柑の缶詰が学徒たちに一個ずつ配給されていた。
当時は蜜柑の缶詰などは贅沢品として、普段は手に入らない貴重品だった。
私の家では、集団疎開で山間のお寺へ預けてある私の弟妹の面会日のお土産にするといって、母が大切に戸棚にしまい込んでいた。
出勤した私は、先ずその代金を持って係長のところへ行った。
係長の席は窓を背にした窓際にあった。
私が係長に近づき、代金を差し出した瞬間だった。
目前の大きな窓が異様に強烈な光を発した。
それは、やや北西方面からだったので私は一瞬、顔を向けてそれを見た。
閃光は、七色の光線の束が百も千も集まった鮮烈な放射光で、目が眩む美しさでもあった。
〈太陽が落ちてきた!〉
〈天体が狂った!〉
とっさに、そう思った。
気がつくと、私は真っ暗で窮屈な場所にしゃがみこんでいた。
失明したと思いながら、日ごろ訓練を受けていた被爆時の姿勢――眼球が飛び出さないように両手の人差指と中指で両瞼を押さえ、鼓膜の破裂を防ぐために両親指で両耳穴を塞ぎ、腹部の破裂を防ぐために腹這う――をとろうとしたが、腹這うスペースはないようだ。
私は、目と耳を強く押さえたまま身を固くして、じっとしゃがんでいた。
物音ひとつしない異様な静寂が周囲に立ち込めていた。
しばらくすると私の右手に、ねっとりとした生温かいものが伝ってきた。
上の階に油脂焼夷弾(ナパーム弾)が落ちて、油がしたたり落ちてくるのだろうか……。
私は、火の海になっているにちがいない、上の階の広い事務室の中を逃げ惑うクラスメートたちを想像し、案じながらなおも身を縮めてしゃがんでいた。
右手から肘にかけて伝う生温かく、ねっとりとしたものの量が、どっと増してきた。
私はそっと目と耳から手を離してみた。
闇が動き、かすかに目が見える。
私は、ゆっくりと両手を目の前に広げてみる。
手のひらには、べっとりと血がついていた。右耳の上部から流れてくるようだ。
怪我をしたらしい。
私の机の中には救急袋がある。
私はそれを取りに行こうと立ち上がって、唖然とした。
あたりには、もうもうと塵埃が立ち込め、部屋中の机、椅子、書棚などが、ひっくり返されて散乱し、重なって山積みになっている。
私は広い部屋の中央の柱の根元にいるようだ。窓際からここまで、はじき飛ばされたらしい。
私の机はどこだろうか。
山積みになっている机や椅子などを、よじ上り掻き分けて、やっと自分の机を探し当てた。
急いで救急袋から三角巾を取り出して、私が右頭部に当てたとき、
「逃げろ!」
誰かが、かすれた声で叫んだ。
すると、薄墨を流したような塵煙のなかから、黒い人影が一人、また一人と立ち上がって、のろのろと出口の方へ向かって歩きはじめた。
私たちのいた三階の窓の外には高圧電線が走っていた。
その電線が絶ち切られ、螺旋状になって部屋に飛び込み、部屋の南半分に何重もの輪をつくって吹き寄せられ、天井近くまで盛り上がっている。
私の机は出口から遠い東北の位置にあった。
電線の近くまでくると私はそっと手で触ってみた。感電しない。
私は右手で頭の傷を押さえ、左手で電線をかき分け、くぐり抜けながら進もうとするが、ぐるぐる巻きの電線に足をすくわれて、思うように歩けない。
何度目か転びかけた私の目の前に、ハッとするような白い顔があった。
電線にからまり仰向けになって死んでいるその人の、蝋のように白い無傷の顔は、みんなから蒋介石というニックネームで親しまれていた男性職員だった。坊主頭の形や顔が、中国の国民政府の総大将、蒋介石に似ていたからだった。
私の全身を鋭く凍るような恐怖が走った。
そしてこれが、この日私がはじめて目にした死体であった。
やっと部屋を出てみると、三階の部屋から出た人、四階から下りてくる人、そのだれもが、髪を振り乱し、全身灰を被ったように煤けて、亡霊のような姿だった。
その人たちが、ひしめきあって階段に向かっている。
私もその流れに入って階段にさしかかり、二、三段下りたあたりだったろうか、目の前に裸の子供が倒れていた。
衣服は爆風で飛ばされたのだろう。
子供のお腹は裂け、うす桃色の腸が、もこもこと噴き出している。
お掃除のおばさんの娘で四、五歳、ユキちゃんと呼ばれていたように思う。
いつも母親とやってきて、はたきや箒を持ってお掃除の真似をしていた。
ユキちゃんは色白で、くるくると愛らしく、人なつっこくて、職場のアイドルであった。
特に女性職員たちは、当時は貴重品だった白粉や口紅でユキちゃんにお化粧をして、人形のように可愛がっていた。
そのユキちゃんが裸で倒れている。
ユキちゃんは苦しそうに身悶えをする。
するとそのたびに、桃色の腸が、もこもことユキちゃんの脇に盛り上がり、一瞬、立ち止まった私の見ている前で、ユキちゃんのお腹の高さになっていった。
後から逃げた友人の話によると、ぼろぼろに怪我をした母親が、腸の垂れ下ったユキちゃんを抱いて階段上の広い床に立ち、「この子を助けて!誰か、この子を助けてー!」と、おろおろしていたという。
みんなユキちゃんをまたいで逃げている。人が二人すれ違えるくらいの狭い裏階段である。立ち止まった私も後から押されてユキちゃんをまたいだ。声に出して念仏をとなえながら。
このとき念仏が口をついて出たことは、その後の私が、自分のなかの宗教観を問い直すきっかけとなった。
というのは、私は家父長制時代の長男の長女として生まれたため、忙しい大人たちの足手まといにならないようにか、幼いとき祖母に連れられて近くのお寺へよくお説法を聞きに行っていた。
祖母たちの話によると、「御印家さん」と呼ばれていたそのお坊様は、赤衣か紫衣の高僧だということだった。
お説法はすべて、死後に「極楽浄土」へ行くためで、お説法を聞いた人たちは、心から感じ入った様子で、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と唱えながら帰路につくのであった。
お説法は一、二歳、あるいは三歳の幼児の頃の私にも、よく分かるものであった。
母たちの話によると、私は大変早熟だったようだ。一歳の誕生日前には、もう小走ることもできたし、何事も理解するのが早かったという。
私は初めのうちは、おとなしく聞いているが、飽きてくると、本堂の廊下に掛けてある「極楽繪図」と「地獄繪図」を見に行くのが常であった。
この二つの絵は「ごいんげさん」が説く極楽と地獄を具象化しているのだが、幼い私の心に、さまざまな疑問を投げかけてやまないのであった。
〈これは本当のことだろうか……?〉
〈見てきた人があるのだろうか……?〉
〈死後の世界が本当にあるのだろうか……?〉
そして、その私の疑問をさらに増幅させたのが、大人たちの言動であった。
私の目から見ると、お説法を聞いているときの大人たちは、みんな善人のように振る舞ったが、お寺を出て日常生活に戻ったときの大人たちは、人の悪口を言い、嘘をついている。
〈この人たちは、みんな地獄に行くのだろうか……?〉
こうして私は人間の二面性を知り、また仏様や、それを信じることに謎めいた興味を持ったのであった。
ユキちゃんを跨いで逃げるとき、思わず念仏が口をついて出た私は、宗教というものをあらためて考えてみようと思った。
戦後まもなく広島の焦土にやって来たのは、キリスト教の宣教師や尼僧たちであった。
私はきびしい生活の中で、夜は聖書講座に通い職場の昼休みの時間には、近くの尼僧の講話に通った。私があまりにも熱心なので洗礼をすすめられたこともあったし、結婚後、鎌倉に移り住んだときは、早朝禅寺に通ったこともあった。
しかし、ついに私は宗教では救われない人間だった。
狭い階段に殺到する避難者たち。
気ばかり焦って、なかなか前へ進めない。
少しずつ進んでいると、階段の踊り場からだっただろうか、窓から街が見えた。
なにが起こっているのだろうか?
左手の家並が、はらはらと将棋倒しに崩れていく……。
やがて右側が……。
それは、現実とは思えない、儚いほど不思議な光景で、私は自分が放心し、別世界に入っているように感じた。
広島の南部の街は、このようにして爆風に弄ばれながら、はらはらと崩れていったのであった。
貯金局正面の路上に集まった職員たちは全員、亡霊のような姿で、自分たちの上に何が起こったのか分からず、ただ呆然と立ちつくしていたが、二、三人の人が私を見て叫び声をあげた。
私の手から肘を伝って流れつづける血は、たちまち私の足元に血溜まりをつくっていたのであった。
すると、私と同じ係の女性職員、友柳さん(前述)が走り寄ってきて、私を抱えるようにして、向こうに見える日赤病院へ向かって歩きはじめた。
貯金局と日赤病院の間は、建物疎開のため空地になっていた。
ところが、燃えるものの何もないその空地のあちこちが、太い煙突から真っすぐに吹きあげる炎のように火を噴き上げている。
土が火を噴いている!
「火を消せー!」
「火を消せー!」
と走り回っている男性があった。
私も、「水を……」と言ったが、友柳さんは黙ってまっすぐに日赤病院へ急いだ。
日赤病院――その時の様子を表現する力は私にはない。
そこは、悲惨の坩堝だった。
お腹が裂けて飛び出してくる腸を押し込んでいる人びと、その力もなくて、自分の腸を長く垂らしたまま、引きずって歩いている人びと、全身の皮膚がちりちりに細くめくれて灰をかぶったようになっている人、真っ黒く煤けた人、飛び出した眼球を押し込んでいる人……。
みんな、顔や手が、焼け爛れて、赤黒く、でこぼこに、そして倍ぐらいに腫れあがり、目鼻もわからない人、人、人……。
年齢も、性別も、判断できない、全身焼け爛れた人びとは、 誰一人声もなく、焼けてボロ布のように垂れ下がった皮膚の両手を、胸の前に垂らして、ただ、よろよろと歩いている。
頭髪(当時は、みんないがぐり頭だった)を頭の中央部分だけ残して丸く刈った同じ髪型の人が大勢いる。
あの人たちはみんな床屋さんに行っていたのだろうか?それにしても妙な刈り方だ。
帽子をかぶっていた人たちは、帽子の部分だけ頭髪が残り、あとは顔や首や身体と同じように焼け爛れていたのだった。
〈これが人間だろうか。本当に人間なのだろうか?〉
〈どうして、みんな、こんな姿になったのだろうか?〉
〈何が起こったのだろうか?〉
〈これは現実ではない。私はきっと悪夢の中にいるのだ……〉
その悪夢の中に、また、ぞろぞろと、人間の姿を失った人びとが増えつづけるのだった。
友柳さんは、再び意識を失いかけた私を病院の待合室に運び、待合室の中程に横たえた。
私はだんだんと意識がかすみ、瞼が下がり、目を開けている力がなくなっていった。
友柳さんが医師らしい男の人を呼んできたようだ。
「これはひどい!大変な出血だ。眠らせると死にますよ」
そう言って医師の足音が去って行くと、友柳さんは大声で私の名前を呼びはじめた。
しかし、とろけるような心地よい眠りが、私を暗く深い谷底へ、すうっと吸い込んでいく。
すると、遥か上の方から友柳さんの呼び声が聞こえてきて、私を地上へ引き戻す。
そしてまた、呼び声は、だんだん遠くなり、途絶えるかと思うと、遥か彼方から、また、だんだん近づいてくる。
執拗に襲ってくる睡りは、とろけるように心地よく、私は、
〈このまま眠らせてほしい!〉と何度も思う。
このようにして、どれほど時間が過ぎたのだろうか。
消えかけた意識が呼び戻されるたびに、周囲に重傷者が増え、空気が重苦しくなっていくのを体感していた。
――と、急に人びとが騒ぎだした。
敵機が再来したという。
友柳さんは私の体を持ち上げ、引きずるようにして地下室へ避難した。
私の両足が引きずられて、一段、一段と階段を下りていくのを感じていた。
地下室に、簀の子が敷いてある場所があったのだろうか。
私は簀の子の上に横たえられたような気がする。
私の意識は朦朧としていたが、傍らに友柳さんの同僚の女性二人がいるらしく、友柳さんと彼女たちの話し声が、遠くなったり、近くなったりして聞こえてくる。
――何が突然起こったのだろうか?
貯金局に爆弾が落ちたのだろうか?
空襲警報も解除になったのに、どうしてこんなことになったのだろうか?……
そんな話をしていたようである。
私は目を開こうとするが、その小さな試みさえ、すぐに意識を遠くしてしまう。
どれくらい時間が流れたのだろうか。
私は、眠ったり、醒めたりしていたようだが、からだの深いところに、わずかに力が蘇り、かすかに口をきくことができるようになってきた。
「いったい、なにが、あったのでしょう?」
かぼそい声だったのだが、友柳さんは、私が一命をとりとめたことを知ったようだ。
彼女は、うれしさに声をあげて泣いた。
そして、もっと何かを話そうとする私を、「いいのよ、いいのよ」と、母親のように、いたわってくれるのだった。
私のことに安堵すると、彼女は急に、自分の母親のことが気がかりになってきた様子だ。
「私、一度家に帰ってみるわ。
母の安否が分かったら、すぐに戻ってくるから、
ここを動かないでちょうだいネ。
必ず戻ってくるからネ」
言いふくめるように、私に向かって繰り返し言い、二人の同僚に私のことを懇々と頼んで立ち去っていった。
私は話したかった。
口をききたかった。
しかし、さっきの、わずかな呟きで、私の力は再び、すうっと消えて行って、「ありがとう」のひと言も言えなかった。
私は、彼女に対する深い感謝の気持ちと、彼女が去って行く心細さで、胸がいっぱいになりながら、遠ざかって行く友柳さんの足音を耳で追ったのであった。
友柳さんがいなくなった後は、私は、もう目を開けようと試みることもなく、口をきこうともせず、ただ横たわっていた。
その私の耳に、傍らの女性たちの話し声が、遠く、近く、さざ波のように、とめどもなく聞こえていた。
ささやくようなその話を聞きながら、私は眠ったようである。
「病院に火が廻ったぞ!」
「みんな逃げろ!」
あたりが騒然とし、焦げ臭いにおいが立ち込めて目が醒めた。
「この子を、どうしましょう……」
「とても連れて逃げられないわ」
「でも、あれほど友柳さんに頼まれたのよ」
「だけど……私たちだってこの大怪我のからだで逃げ通せるかどうか、わからないのよ」
「どうしたらいいかしら」
「…………」
傍の二人は、私のことで困っている様子である。
私の体の中には、自分が命をとりとめた実感が、わずかだが湧いてきて、かすかに声を出すことができた。
しかし、とても体を動かす力はない。
「どうか逃げてください。
私は動くことができませんので」
「でも……」
「いいんです。
お願いです。
私を、ここに置いて逃げてください」
二人は、しばらく躊躇していたが、
「ごめんなさいね」
「ほんとうに、ごめんなさい。
私たちが元気だったら……」
「私たちも、こんなに怪我をしていて、あなたを運んでいけないの。
ごめんなさいね」
二人は何度も何度も、詫びながら私から離れて行った。
彼女たちは逃げのびられたのだろうか。
地下室には、もう誰もいなくなったようだ。
がらんと静まった空間に、薄い煙がただよっているのを感じ、焦げるにおいの中で、私はただ横たわっていた。
突然、焦げ臭いにおいが強く鼻を突いた。
いよいよ火が回ってきたようだ。
私は、うっすらと目を開けることができた。
左奥から明かりがさしている。
あそこが出口なのだ、と思いながら眺めていると、新しい煙が風に押されるように入ってきはじめた。
白煙は、初めはうっすらと羽根のように、そのうちに、だんだんと濃く黒くなり、そして一挙に入道雲のように力強い塊となって、わっと飛び込んできた。
〈あの煙の塊が私のところにきたとき、私は死ぬんだな〉
私は静かに死を待った。
苦しみも痛みもなく、恐ろしさもなかった。
死がすぐそこに来て、私は自然にそれを受け入れるだけであった。
黒煙の塊が私の傍までやってきた。
するとその中に、つと人影が走り、大声で叫んだ。
「まだ誰かいるのか!
いたら逃げろ!」
その激しく強い声の勢いに押されるように、私は、ふわりと立ち上がった。
足の裏は床を踏んでいる感覚はない。
雲の上を歩くように、心もとないが、私がふわり、ふわりと出口らしい方向へ歩いて行くと、 煙の中を向こうから、同じように、ふわふわと、こちらへ近づいて来る者があった。
異様な雰囲気をもつ者で、近づくにつれて凄惨な顔かたちが見えてきた。
長い髪を振り乱し、蒼白な顔の半面は鮮血でべっとりと濡れ、その上にも長い髪の毛が垂れ下っている。その下から、おののくような空虚な目が、こちらをじっと見つめている。
私は思わず両手で顔をおおって立ち竦み、相手の襲来を覚悟して待った。
しかし、相手は襲って来なかった。
私は指の間をそっと開いて、恐る恐る相手を見た。
すると向こうも、指の間から、こちらを怖々と見ているではないか。
私は近寄って行き、手を伸ばすと壁に突き当たり、そこに鏡があった。
こうして私は、そのときの自分の姿を見たのであった。
煙の中を這って階段をのぼったような気がする。
地上に出た。
病院の玄関まで行ったところで、偶然家の近所のおじさんを見つけた。
おじさんは病院入口の石段に立って、表の方を見ながら何やら白い綿のようなものを千切っては、自分のからだに張りつける動作を繰り返している。
奇妙に思いながらも、私は、知っている人に会えたうれしさに思わず声をかけた。
「おじさん
文子です。
金行(私の旧姓)の文子です」
おじさんはちらりと私を見たが、すぐにまた、綿を千切っては自分のからだに張りつけはじめた。
「おじさん、何をしてるのですか?」
おじさんは、またちらりと私を見たが、黙って向こうへ行ってしまった。
このおじさんとは、戦後もずっと近所で暮らしたが、お互いに八月六日のことには触れなかった。
母の話によると、おじさんは肺炎で八十一歳の人生を閉じたという。
母の小学校の同級生であり、古い友人だったという。
おじさんに置き去りにされた私は、病院の庭へ出て行った。
土の上に座って、並んでいるような五、六人が在った。
治療をしてもらう列だろうか。
私はその後ろにぼんやりと座った。
ぼんやりと座って、街の方を眺めてみる。
いったい、何が起こったのだろうか。
今朝までそこにあった街は消え失せている。
見渡す限り平らになっている。
私は何度も瞬きをして、自分の目を確かめた。
やはり街は消えている。
これは現実なのだろうか?
私はまだ悪夢の中にいるのだろうか?
私が周囲に目を移すと、私のまわりには、黒い塊となって動かない人間たちや、全身焼け爛れて、赤黒くなり、ふくれあがって、顔の前後も、性別や年齢もわからない人間たちが、ごろごろと横たわっている。
亡霊のように徘徊する人びとも、地面に横たわっている人びとも、みんな襤褸のような姿で、 本当に、一個ずつの襤褸布の塊のように押し黙り、孤独である。
これは、人間ではない。
私は、やはり悪夢の中にいる。
私は、もう一度、街を眺めた。
母、母は、どうしているのだろうか。
もう夕方なのだろうか。色を失った風景。
その遠い向こうに、母がいると思う。
私は、私の前に座ってやはり街の方を眺めている男性らしい人の背中に声をかけてみた。
「白島の方は、どうなっているのでしょうか?」
しかし、その人は呆けたように街を眺めているだけで何の反応も示さなかった。
すると、
「白島のどのあたりですか?」
私の後ろに座っていた少年が声をかけてくれた。
「白島には僕の親戚がいます。
村井といって」
「村井さん?
村井さんは、私の近所ですが……」
それから何を話したのだろうか。突然、
「きみ、いくつ?」
少年が私に年齢をきいた。
「十四歳」
すると彼は、急に黙ってしまい、潰えた街の遠くへ目をやったまま、もう何も話さなくなってしまった。
座って並んでいたみんなは誰も治療を受けなかったし、それを求めているふうでもなかった。
ただ、ぼんやりと座って街のあった方を眺めているだけであった。
やがて日赤病院にも裏手から火が廻ってきた。
歩ける人たちは歩いて、這える人たちは這って逃げた。
崩れ、潰れ、消えた街が炎になっていった。
私は歩く力も這う力もなく、逃げる気持ちもないまま、少年に助けられて、日赤病院の前庭の植え込みの中へと身を移した。
少年は額に負傷していた。胸にも傷があるらしく、上半身裸の胸に、血のにじんだ布を斜めに掛けていた。
彼は歩くことができた。
しかし、なぜか彼は逃げる気持ちは全くないようであった。
夜になった。
重くよどんだ闇の中を担架で避難させられる人たちがいた。
当時、日赤病院は軍部に使われていたのだろう。
担架で運ばれる人たちは、みんな兵士たちのようだった。
「軍医どの!」
「立てるか?」
「はい!」
立ち上がったようである。
「よし。そのまま火のない方へ向かって歩け。
立ち止まるな!
立ち止まったら、おしまいだぞ!」
「はっ!」
闇の中から、また別の声があがった。
「軍医どの!」
「腹の手を離せ」
「手を離すと、腸がはみ出すのであります!」
この兵士は、置いていかれたようであった。
闇の中に横たわる人びとの口からは、苦痛の呻き声が洩れたが、兵士のほかには、助けを求める声はなかった。
逃げた人たち、担架で救出されて行った人たちは、果たして生きのびることができたのだろうか。
その夜、
潰れ果てた街は、夜を徹して燃えさかった。
日赤病院も、裏側から猛火に襲われ、鉄筋の建物の窓々は雄叫びをあげながら、太い炎を噴いた。
火は風を呼び、風は火を呼んで、天のとどろきと地鳴りのような轟音が、あたりに響きわたり、この世のものとは思われない黄金の業火が、私たちの頭上に猛り狂っていた。
私たちは、植え込みの低い木の下に身を寄せ合って、言葉もなく、ただこの凄まじい光景を眺めていた。
黄金色の天からは、絶え間なく金の火の粉が降りそそぎ、私の耳もとで、植え込みの松の葉がパチパチと弾け、私の髪の毛もチリチリと音をたてて燃えた。
彼が、どこからかシーツを拾ってきた。
一枚のシーツを二人でかぶって火の粉をよけながら、私たちは、ただ黙って炎の狂宴に見入っていた。
私は、生きることも、死ぬことも考えていなかった。
すべては天が決めてくれるだろう……。
やがて彼が、静かに自分の名前を告げ、私の名を尋ねた。
彼の名は、飯田義昭。十六歳。
「ヨシは忠義の義、アキは昭和の昭です」
「趣味は?」
と訊いた。
「読書――」
私が答えると、
「僕も読書。そして音楽です。
音楽は神の言葉です」
彼の話は静かに続いた。
彼は今朝、妹と二人で自宅にいて被爆した。
崩れた家屋の下から自分はどうにか這い出すことができたが、妹が見つからない。
妹は崩れた家屋の深い底にいるようで、かすかに声がするが姿は見えない。
彼は懸命に、壊れた屋根や壁などを取り除き妹を掘り出そうとするが、屋根は自分の家のものと、隣家のものとが二重に覆いかぶさっていて、さらにその下に壁があった。
昔の日本家屋の壁は、「木舞」といって、細く裁ち割った竹を縦横に組み合わせて藁で編んだ上に、二重、三重に壁土を塗って作ってあった。
この壁を素手で破ることは不可能である。
しかも妹は、声はするが姿は全く見えてなかった。
必死になって掘り出そうとする彼の周囲に、火が回ってきた。
崩れた家の下から、妹が叫ぶ。
「熱い!熱い!
お水をかけて!」
彼は近くの防火用水槽から、バケツに水を汲んできては、妹の声のするあたりに、ざぶざぶとかけた。
その彼に、姿の見えない妹が、息たえだえに言った。
「ありがとう……」
火は足元までやってきていた。
その炎の下から、妹がきれぎれに叫んだ。
「兄さん、逃げてちょうだい!
お願い!
早く逃げてー!」
そこまで話して、彼は絶句した。
しばらくたって、ぽつんと言った。
「妹は、十四歳でした」
彼は逃げる途中、やはり倒れた家屋の下から助けを求めていた近所のおばさんを掘り出した。
そして足に怪我をしていたその人を背負って、川原にたどりついた。
川原には大勢の人が避難していた。
彼は、おばさんをそこにおろして、一人で水の中を歩いて川を渡った。
広島の川には干満がある。
そのときは干潮だったのだろう。
彼の家は市内南西部の河原町にあるといった。
彼の母は主婦動員で、市内最南端にある軍港、宇品町の工場で働いていたという。
母の所に向かった彼は、元安川を歩いて渡ったのだろう。
ここ日赤病院の前までくると、大勢の人が集まっていたので入ってみたという。
額と胸に大傷を負っている彼自身の体力も限界にきていたのかもしれない。
穏やかな、静かな話し方だった。
炎に照り映えている彼の顔は、苦痛の極を超えた者の静けさがあった。
私も何か話したのだろうか。
私は、彼の静かな話し声を聞きながら、嬰児のように安らかな眠りに誘われていったのであった。
私は寒くて目が醒めた。
頭上の炎は去り、黄金の明るさも消えて、あたりは闇に沈んでいた。
重い闇の底を埋める屍、その中から湧いて、地を這う瀕死の呻き声……。
私の体の上には、二つ折りにたたんだシーツが掛けてあったが、傍らに彼はいなかった。
私の体の中を寒さと恐怖がつらぬいた。
今朝から、初めて私を襲った恐怖感だった。
〈彼はどこへ行ったのだろうか……〉
いまは、ただ、彼のみが、私のよりどころであり、彼がいないことによって、私の恐怖感はますます耐え難いものとなっていった。
私は彼を探そうとしたが立って歩く体力はない。
座ったまま目で彼の姿を探した。
しかし、彼の姿は見当たらない。
〈呼んでみよう〉
〈でも、何といって呼ぼう〉
私は口の中で、小さく〈お兄さん〉とつぶやいてみた。
そして、今度は大きな声で、
〈お兄さあーん〉
と呼んでみた。
するとその声は、屍と瀕死の人びとの上を、なまなましい生きた人間の声となって、不気味に尾を引きながら、闇の中を遠ざかって行った。
私はその恐ろしい自分の声に怯え、もう二度と呼ぼうとはしなかった。
病院の待合室の奥の方がまだ燃えている。
あかあかとしたその空間に、影絵のように黒いひとつの人影があった。
彼だった。
何をしているのだろうか。
ゆっくりと動いている。
彼は片手に薬缶を持ち、水を求めて死んでゆく人びとに、一口ずつ水を与えて歩いているのであった。
かがんでは立ち上がり、二、三歩、歩いては、またかがむ。
優しく悲しげで、そして終わることのないその動作。
「音楽は神の言葉です」
と言った彼の姿に、私は神そのものを見た。
いま、この地上で、立って歩いている人間は、彼ひとりであった。
彼がいたことに安心したのか、私は再び眠った。
次に目覚めたときは、夜明けだった。
とても寒かった。
青く湿った朝靄と、くすぶりが立ち込めた中に沈んだ残骸の街。
まるで深海の底にいるようだ。
あたりに立ち込める紫の靄と、やや青みがかった灰色のくすぶり。
ただただ、静寂。
微動する生物すら、全くいない。
死の街の夜明けだった。
傍に彼が静かに眠っている。
蒼白なその顔、額には一筋の血痕が黒く凍りついている。
〈死んでいる!〉
私の胸を恐怖がつらぬいた。
額に、そっと触ってみる。
氷のように冷たい。
鼻と口に掌を当てて息づかいを確かめてみる。――ない。
はっとした私は、彼の裸の胸に自分の顔と耳を押し当てた。
深い底の方で、かすかに鼓動の音が聞こえてくる。
〈生きている!〉
痛いほどの喜びが私の心を突き上げた。
すると彼は、静かに目をあけ、かすかに微笑んで私に言った。
「僕は、もう、駄目です。
もし、あなたが、生きのびることができたら、母に伝えてください。
僕が、ここで死んだことを。
母は宇品の軍需工場に勤めています」
「死なないでください!
お願いです!
生きてください!」
しかし彼はもう一度
〈もうだめです〉というように、わずかに首を振り、ふたたび眠りに落ちていった。
その寝顔には悲しみの色はなく、疲れや、苦痛の表情もなかったが、私は不安でたまらず、じっと彼を見つめていた。
彼は静かに眠りつづけ、かすかだが呼吸も聞こえてきた。
それはすべてのものを受け入れるような、穏やかな眠り。
一九四五年八月七日の広島の夜明けだった。
周囲が次第に明るくなってきた。
縹渺とした朝靄のなかを、襤褸のような人間たちが、一人、二人と、日赤病院に戻ってきた。
私はふと強い喉の渇きを覚えた。
ずっと前から、何か月も前から喉が渇いていたような、そんな気がする。異常な渇き。
〈どこかに水がないだろうか……〉
私はそっと立ち上がってみた。
立てた!!
右足をそっと前に出してみる。
今度は左足を。
歩けた!!
私は、ゆっくりと植え込みの中から出て行き、丸い植え込みに沿って、よろよろと歩いて行った。
すると、ちょうど植え込みを半周したところに撒水栓が見えた。
私がのろのろと近づいて行くと、ひとりの大きな男の人がやってきて、撒水栓の上に体ごと、 かぶさるようにして水を飲みはじめた。
獣のように、がぼがぼと大きな音を立てて水を飲んでいる。
その頭は、三日月型に大きく割れて、赤茶けた粘っこい脳味噌が、ひくひくひくと規則正しく動いているのが見える。
〈この人は、これでも生きている!〉
私は感動に似た驚きをもって、その人が水を飲み終えるのを待っていた。
私のすぐ後ろで、ひとりの男の人が大きな声で誰かの名前を呼びながら探し歩いている。
地面を埋めて横たわる人びとは、年齢も性別も分からないほど焼け爛れていたので、こうして名前を呼ぶ以外にはないのだろう。
振り向く体力のなかった私は、遠ざかるその声を聞きながら、父も、このようにして私を探しに来てくれないだろうかと思った。
実は…… それが父だったかもしれないのだ。
後日、父から聞いた話によると、そのとき父は私を探して日赤病院に来ていたのだった。
その朝父は、まだ明けやらぬ街の燻りのなかを縫って、まず貯金局へ行ってみたという。
貯金局には男の人がいて、
「女学生?
ああ、あの学徒の生徒たちは、みんな似島へ運ばれました」
と言い、父が何を尋ねても、それ以外は何も分からなかった。
似島は、貯金局からずっと南下した瀬戸内海に浮かぶ小島だ。
その島の美しい形から瀬戸富士とも呼ばれていた。
父は、今朝日赤病院へ来るまでの市内の惨状を見て、絶望的になっていた。
その上、似島へは船で渡らなければならない。
白島に、重症の弟、母、祖父母一家を残している。
〈似島へは、日をあらためて行こう〉
でも、〈あるいは日赤病院にいるかもしれない〉
父が日赤病院に入って行き、前庭の植え込みの撒水栓のところまできたとき、ひとりの大きな男性が水を飲んでいた。
ふと見ると、その頭が大きく割れ、中から脳味噌が見えている。
〈気の毒に…… この人は、あと二、三日と、もたないだろう〉
父は、そう思ったと言う。
日赤病院の庭に、ごろごろと横たわっている人びとは、ぼろぼろに焼け爛れて、衣服も着けておらず、顔の識別もできない状態だった。
それで父は、私の名前を呼び始めたそうだ。
すると、やはり家族を探しにきたらしい男性が、父にならって名前を呼び始めたという。
私が耳にしたのは父の声だったのか、あるいは、その人の声だったのか、朦朧として、辛うじて生きている私には、それを聞き分ける力すらなかった。
ただ、頭の割れた大きな男の人を同じときに、同じ場所で見たことを考えると、その声は父だったと思う。
父は私の傍を通ったことになるが、あのときの私の容姿では、我が娘とは思わなかったに違いない。
私も、声の方を向く体力さえなかった。
私は水を飲んだのだろうか。
飲まなかったような気がする。
突然、激しい腹痛に襲われた私は、物影を探して、そこを離れた。
物影はなかったが、少し離れたところで、ひどい下痢をした。
それが、私の最初の原爆症状であった。
向こうの方に荷車がきていて、何人かの人が集まっているので、のろのろと近づいてみると、カンパンを配っていた。
父が日赤病院にたどりついたとき、この荷車がやってきたところだったという。
カンパンというのは、ビスケット状の堅く焼いたパンで軍用の保存食であった。
空腹感は、まったくない私だったが、飯田さんと私、そしていつ会えるかわからない弟のために、三袋もらった。
小学校一年生だった弟は、当時だれもがそうだったように、いつも、いつも飢えていた。
毎日の食事も、大豆油をしぼった大豆粕だけになっていたし、それですら満腹にならない日々であった。
肉、魚はもちろん、砂糖や、甘いもの、菓子などは口にしたことはなかった。
弟にこのカンパンを食べさせたら、どんなに喜ぶだろう。
弟の痩せて日焼けした顔と、くりくりとした目が、嬉しそうに笑うのが見えるようだった。
しかし私は、この小さく軽い三袋のカンパンすら持つ力がなかったのだろう。
飯田さんのもとに戻ったときは、手に何も持っていなかった。
彼も私を探していた様子だった。
私の姿を見ると、ほっとしたように近寄ってきた。
私は、彼が元気になっているのが、とてもうれしかった。
「僕の母が勤めている宇品の方は、焼けていないかもしれません。
これから、そこへ行って、傷の手当てをしましょう。
あなたの体力が少し回復したら、僕が白島まで送って行ってあげますから」
昨日から彼だけを頼りにしていた私は、素直に彼に従って病院を後にした。
多分、昨日のどの時点かで、私は上着を脱ぎ捨てたのを、おぼろに覚えている。
びっしょりと血を含んで、血生臭く、重くなったのが、体力的にも支えられなくなったのであった。
しかし、少女の私には、ズボンだけは脱ぎ捨てることはできなかった。
そのズボンが、血糊でかちかちに、板のように固まっていて、動くたびに足の産毛に触れて痛い。
私は両手で、ズボンが肌に触れないようにつまみあげながら、一歩、一歩を進めた。
日赤病院の前には、広島文理大学があった。文理大学の建物は昨夜、私たちの目の前で燃え落ちていったが、彼は、ぐんぐんと瓦礫を踏んで構内に入って行き、焼け跡の一か所に立ち止まって、長い時間うつむいて佇んでいた。
体力のない私は、道に残って彼のその物思いに沈んだ、淋しく、悲しそうな姿を眺めていた。
私が喉の渇きを訴えたのだろうか。彼は牛乳瓶の首に紐をつけ、ぶら下げて歩いていて、破れた水道管から水が噴きだしているのを見つけると、瓦礫を踏んで水を取り替えにいった。
しかし、二人は一口も水を飲まなかったと思う。
広島電鉄前の電車通りに、一頭の馬が倒れて死んでいた。
若馬なのだろう。傷ひとつない艶やかな美しい毛並みだ。
〈怪我もしていないのに、なぜ死んだのだろうか?〉
ぼろぼろに焼け爛れて死んでいった人間たちを、昨日から、どれだけ多く見てきたことだろう。
馬の美しい死体に、異様な戦懐を覚えて立ちつくす私を、彼は静かに促して歩き始めた。
広島電鉄の裏の方、御幸橋の近くの家が、数軒、焼け残っていた。
母の叔母の家があるあたりだ。
私は、彼に御幸橋のたもとで待ってもらって、ひとりで叔母の家へ行ってみた。
叔母は、壊れた家屋の隙間で生きていた。
頭に真白い布(包帯?)を巻いていたが、昨日から黒く焼けたものしか見ていない私の目には、その白さが痛かった。
叔母は私を見ると、へなへなと崩れるようにその場に座り込み、わなわなと震えながら後ずさりをはじめた。
叔母は私を、幽霊だと思ったのだそうだ。
三十分くらい前、私の父が叔母を訪ねてやってきて、
「どうしても、文子を見つけることができませんでした。
今日は、もう諦めて帰ります。
家族と土井(母の実家)のみんなは、負傷していますが、生きています。
消息が分からないのは、文子だけです」
と言って、帰ったばかりだという。
〈みんな生きている。
母が生きている!〉
私は、たまらなく母に会いたくなった。
飯田さんは、御幸橋のたもとで私を待っていた。
事情を話し、
「これから白島に帰ります」
と言う私を、彼は強く引き止めた。
「その体では、とても無理です。
とにかく一度、僕の母のところへ行って、傷の手当てをしましょう。
あなたが少しでも元気になったら、必ず僕が白島へ連れて行ってあげますから」
確かに、焼け野原の向こうの白島よりも、彼の母がいるという宇品の方が、ずっと近かった。
それに、宇品の方が焼け残ってもいるようだ。
白島に帰るには、いまも燻っている街を、南から北へと縦断しなければならない。
それでも私は、どうしても母に会いたかった。
「そのからだでは、絶対に無理です」
彼は私を説得し続け、私はどうしても帰ると言い張った。
ついに彼は、諦めるしかなかった。
「これを……」
彼は、ズボンのポケットからジャックナイフを取り出して、私に差し出した。
私は、彼の手のひらの上のジャックナイフと、彼の顔を交互に見つめた。
そして初めて、彼が若い男性であることを意識した。
男女の交際は禁じられ、学生といえども、口をきくことすら不良行為と見なされていた。
品物をもらうことなど、罪悪であった。
私は、強く首を振った。
彼は、もう一度ジャックナイフをのせた手を差し出した。
私はふたたび頭を振って、彼に背を向けて走り出した。
気持ちは走っていたが、たぶん、よろよろと歩いただけなのだろう。
後ろから、不安そうな彼の叫び声がしたが、私はそのまま歩きつづけた。
だいぶ歩いたところで振り返ってみると、彼は、まだ私に手を差しのべたままの姿勢で、橋のたもとに立っていた。
私は歩いた。
ひたすら歩いた。
見わたすかぎり焼け野原の街。
黒々とした瓦礫の街のあちこちに、まだ燻煙があがっていた。
その中に、細々と、白く道が続いていた。
北へ、北へ、白島の方へ。
私はとぼとぼと、その白い道の上を、ひたすら歩いた。
歩みを止めたら、そのまま、そこに倒れてしまいそうな気がした。
行く手に、一本の電柱――当時はみな丸太棒でできていた――が立っている。
瓦礫の街に、一本だけ立っている、黒焦げの木柱――木炭になった電柱が、なぜ倒れないで、突っ立っているのだろうか?
私は一種の恐怖心をもって、電柱の傍を走るように――実際は走れなかったが――通り抜けた。
しばらく行くと、道端の防火用水槽のなかに、白骨遺体があるのが目に留まった。
その遺体は、若い母子のようで、水槽の壁にもたれて両脚をのばした大人の白骨が、小さな子供の白骨を胸に抱いていた。
二体とも、生きていたときの形のまま白骨になっていて、子供――多分嬰児――をかばうように、うつむいた母親の頭蓋骨には、優しく、悲しい表情すら漂っていて、私は強く胸を突かれた。
と同時に、
〈何故この白骨は崩れないのだろうか〉
と、不思議に思った。
木炭になったまま立っている電柱。
生前の姿のままの白骨……。
私は、自分が、また現実から遊離して、悪夢の中を浮遊しているような気持ちになっていた、
よろよろと歩きながらも、私は防火用水槽があると、のぞき込んだ。
どの水槽の中にも白骨遺体があった。
水槽の内壁に寄りかかって、立ったままの白骨。
水槽の隅に背を丸めた白骨。
やっと水槽にたどり着いて、水槽の根元で焼けた遺体。
上半身を水槽の中、下半身を外にして、水槽の縁に吊り下がっている遺体は、不思議なことに、上半身が白骨、下半身は半焼けで、衣服か、あるいは焼けてぶら下がった皮膚を、まとっていた。
ただ――どの水槽にも、一滴の水もなかった。
私は、憑かれたように水槽をのぞいて歩きながら、いまはもう、祈る気持ちも消えてしまっていた。
白神社――昔は白神神社といったと思う。私たちは白神さんと呼んでいた――あたりから、遺体が見当たらなくなったようだ。
爆心地に近い、このあたりに遺体がなかったのは何故だろう、と私はずっと不思議に思っていたが、何年か前、原爆のアニメーション映画――『ピカドン』というタイトルだったと思う――を見たとき、原爆爆発の瞬間、人間が他の物体とともに、塵挨となって空中に消えてゆく場面があり、そういうことだったかと思うようになった。
また後日、宇品にあった暁部隊が、遺体処理に来たという話も聞いたが、私が、そこを歩いたのは夜が明けたばかりの早朝だった。
私が白島に辿りついたのは、何時頃だったのだろうか。
何時間かかったのだろうか。
この日の行程で、人間はもとより、犬や猫、鳥、蝶など、生きて動くものを、私はまったく見なかった。
もちろん、風にそよぐ草木もなく、物音ひとつない、それは真実「死の街」 であった。
やっと、八丁堀の福屋百貨店まで、たどりつくことができた。
福屋百貨店は、外部だけが焼け残っていた。
恐る恐る中をのぞいて見ると、真っ黒だった。
健康体であれば、あと十二、三分歩けば白島に着くことができる。
あと少しだ。
あと少し、そう思いながら、福屋百貨店を後にすると、向こうの方にL字形に湾曲したユニークな建物、逓信局が見えてきた。
なつかしい、その建物。
L字の向こうに、私の家があるのだった。
帰ってきた!
私は、帰ってくることができたのだ!
私は、逓信局のL字に沿って道を曲がった。
すると、向こうから、三人の人間が、もたれ合い、ひとかたまりになって、よろよろと、こちらへ歩いてくるのが見えた。
その真ん中の人が履いている、ぶかぶかの大きな白い靴が、真っ先に目に止まった。
白――まっしろ!
この世には、もう無い色となっていた白。
〈生きた人間が、歩いている〉
私は、不思議なものを見るように立ち止まった。
今朝、飯田さんと別れて以来、生きて動くものを目にしたのは、このときが初めてだった。
〈私は、また夢を見ているのだろうか?…‥〉
「文子じゃあない!?」
私に近づいて来た三人の中の一人が、叫び声をあげた。
それぞれが重傷を負って、見るかげもないが、それは、母、姉、叔母の三人だったのだ。