Ⅰ
一九四二年、一月二十八日、この記録をしたためておく。聯合軍はすでにヴァランスに迫っているから、早くて明日か明後日にはリヨン市に到着するだろう。敗北がもう決定的であることは、ナチ自身が一番よく知つている。
今も、このペンをはしらせている私の部屋の窓硝子が烈しく震えている。抗戦の砲撃のためではない。ナチがみずから爆破したローヌ河橋梁の炸裂音である。けれども橋梁を崩し、ヴィェンヌからリヨンに至るK2道路を寸断したところで津浪のような聯合軍は防ぎとめられる筈はない。巴里のフォン・シュテット將軍はリヨン死守を厳命したというが、死守はおろか作戦的後退すらうまくいくかわかつたものではない。
どの顔も兇暴にゆがめられている。聯合軍にたいするナチの憎みは昨日から、リヨン市民に注がれている。死に追いつめられた鼠が猫にではなく自分の一族に飛びかかるように、今日、フランツ、ハンツ、ペーター、といつたナチの兵士たちはリヨン市民たちをくるしめる、それだけの為に街になだれ込んでいる。レピュブリック街で、エミール・ゾラ街で、彼等は娘たちを凌辱し、民家や商店をあらしたりしている。ナチの誇つた軍紀など糞くらえだ。
私は彼等の血ばしつた眼や憤怒にゆがんだ頬を想像するだけで、うすい嗤いが唇にうかぶのを禁じることができない。文化とか基督教とか、ヒューマニズムなどはなんの役にもたたない今日なのだ。ナチに限つたことではあるまい。聯合軍であろうが、文明人であろうが、黄色人であろうが、人間はみな、そうなのだ。今日、虐殺される者は明日は虐殺者、拷問者に変る。明日とはリヨン市民が牙をならして、逃げ遅れたドイツ人、彼等を裏切つた協力者にとびかかる日だ。マルキ・ド・サドはうまいことを云つている。
――かくて人間の血は赤くそまり
その目は拷問の快樂に赫き――
私のつむつた眼の奥で、あの老犬を組みしいた女中イボンヌの弾力ある腿の白さがハッキリとうかぶ。私はそれを人間が、他者にたいする真実の姿勢だと思う。
イボンヌの白い腿――クロワ・ルッスの家の窓から、グリーシヌの花の散る道に偶然みつけたあの小事件は私の少年時代にほとんど決定的な痕をのこした。けれども、他の少年たちならなんでもなく見過してしまつたこの出来ごとが、なぜ、私にだけ焼きつくような極印をあたえたのだろう。今日、佛蘭西人でありながら、ナチの秘密警察の片割れとなり、同胞を責め苛む路を私に選ばせたものを説明するために、幼年時代の記憶まで遡らねばなるまい。
私の父は佛蘭西人だつたが、リールの工業技術学校にいる時、独逸人の母と婚約した。結婚後、彼等はリヨンに住み、私はみにくい子だつた。のみならず生れつき斜視だつた。後年父を思いだすたびに、私はあの十八世紀の卑俗な放蕩児の肖像画を想起してしまう。リヨンのオペラ座の横で、老婆たちがみだらな雑誌と一緒に売つている、拙い猥画の主人公たちの顔だ。實際、彼は、肉づきのよい、背のひくい、こぶとりの男だつた。白いブヨブヨした肉体と、女のように小さな手をもち、涙腺が発達しているのか眼だけは、いつも、泪でぬれていた。後年、自動車事故で死ぬまで、病気らしい病気も、死の恐怖もしらなかつた。
私は父のゴムマリのような肉体に指をあてたことがある。指跡は、いつまでも彼の白い皮膚の上にのこつていた。母がきびしい清教徒になつたのも、考えると父の放蕩にたいする嫌悪からだつたのかもしれぬ。自分の快楽しか顧みぬこの男は、やせこけた斜視の息子に愛情を持つていなかつた。私が決して忘れることのできない仕うちがある。ある日、彼は指を私の眼の前に動かしながら云つた。「右をみろと云うのに、右だよ。」それから彼はワザと大きな溜息をした。「一生、娘たちにもてないよ。お前は。」
自分の顔だちのみにくさをハッキリ思いしらされたのは、この時からだつた。私はそれを残酷に宣言した父を憎んだ。鏡をみることもくるしく、路で少女たちにすれ違う時やあたらしい女中に始めて引き合わされる時、辛かつた。
私は父がどれほど母を愛していたのかも知らない。彼は仕事のためと云つて、一ヵ月の半分は留守にしていた。あれは確か、私が十一歳の時である。母はその日、家にいなかつた。その日父は、工場から突然、ひとりの若い栗色の髪の女を連れてかえつてきた。ながいこと、二人は一室にとじこもつたまま出てこなかつた。女はかえりがけに玄關で私の頭をなぜ、「可愛い子ね」と云つた。そのとき私はこの女を憎んだ。手さげの中から一袋のボンボンをくれた。
女のこともボンボンのことも母には告げはしなかつた。もちろん父へ味方したわけでもない。母に同情したからでもない。私はただこの秘密を、秘密としてかくしておくことになぜか悦びを感じたのである。よる、寝床のなかで、そのボンボンを、音のせぬように口に入れながら、私はこの秘密の甘みをゆつくりと味わつた。けれども誤解しないでほしい。今日の私の無神論は父の教育のためではない。清教徒である母への反抗からはじまつたと云つたほうが正しいのだ。
一九三〇年代のリヨンにおけるプロテスタントの家庭を今日、想像することはむつかしい。父にたいする反動から當然母は私に、きびしい禁慾主義を押しつけた。十歳をすぎてから従姉妹とさえも二人きりでいることを許さなかつた。彼女はなによりも、私を罪に誘うものとして肉慾の目覚めを警戒したのである。夜、床につく時も下半身から眼をそらして寝衣に着かえさせられた。両手を毛布の下に入れることは絶対に禁じられた。母は、既に慾望の血が騒ぎはじめた私の肉体から、その炎をかきたてる一切のものを追い払おうと懸命だつた。
おろかな母、と私は後年屡々思つた。そのように気を配らなくても、私は娘に嘲けられる自分の顔だちを知つていた。彼女はふみくだかれた灰から一層、火の燃えあがるという古い諺を忘れていたのだ。とにかく、私はサン・チレーネ街のプロテスタントの小學校で牧師がわれわれに与えた書物以外は絶対によまされもせず、普通その頃の年齢の子供の愛読する「灰かつぎ」や「アラビアンナイト」すらも、私の官能を刺激させ目覚ませると思つたのであろう、彼女は私がそれらの本を友人から借りることさえゆるさなかつたのである。
一九三〇年頃のリヨンはまだ十八世紀時代のリヨンと殆ど変つていない。ふるい湿気のこもつた、何十年の人間たちの臭気の滲んだクロワ・ルッスの館で、私はなにもせずに独りで、ジッと生きていた。他の子供たちのように女の子とママごとをしたり、輪投げをすることさえ私にはできなかつた。しかし、悪魔の最大の詭計はその姿を見せないことである。彼はすべての罪から隔てられた筈の私にある日、突然、悪の快感を教えてくれた――
家の近所に飼主のない老犬がいた。むかしの飼主は靴屋の老人だつたのだが、それが肺病で死んでからも、犬はもとの家を離れず、毎日、あたりをうろつきまわつていた。私は登校や帰校のたびごとに、彼に出會うのを非常に懼れた。皮膚病のためか毛の抜けた赤い生身がむき出ていたし、のみならず、その犬は死んだその旧主人と同じように、たえず、しわぶきながら歩いているのである。そばに近寄れば、皮膚病菌でなくても、結核菌をうつされるような不安が私をいたくくるしめていた。
あれは春も終りの日である。私は十二歳だつた。その日、私は病気で學校を休んでいた。母は私を二階のベッドにねかせたまま、下の客間で、たまたま尋ねて來た牧師と話をしていた。しずかだつた。
ベッドから退屈のままに外を眺めていた。ベッドは窓ぎわにあつて、すこし端によれば、家の前の路がみわたせたのである。
まひるのこととて路にはだれもいない。向い側の家の高い壁からもれ咲いているグリーシヌの紫色の花が風に吹かれて散りこぼれている。
が、私はふしぎな光景をみた。家の女中のイボンヌがジッと路の隅にしゃがんで、なにかを手招いている。時々彼女は片手から一片の肉をだして、それをふってみせる。私は訝しく思つた。
病犬は咳こみながら、イボンヌの方にヨロヨロ近づいていく。彼は、しやがみこんだ彼女の両脚の間に首をたれて、哀願するような姿勢をとつた。
と、イボンヌは、肉片のかわりに一本の紐を手にした。片膝でもがく犬の首をおさえつけたまま彼女は老犬の口を一瞬にして縛つた。私は窓に上半身を靠れさせたままふるえていた。イボンヌは肉片を、もう開くことの出來ぬ犬の口先に、なぶるように持つていく。犬は両足を痙攣させながら、あとずさりしようとする。イボンヌは右手をあげて、烈しく犬を撲ちはじめた。その首が彼女の白い太い腿で押えつけられているため、犬はただ脚だけをむなしく掻きながら苦しまねばならぬ。やがてイボンヌは片膝をあげ、犬の口を縛つた紐をとくと、何くわぬ顔をして、私の家の玄關に歩いていつた。
今日でも私は何故、あの女中があのようなことを演じてみせたのかわからない。恐らく彼女は、私の家から肉片をぬすんだこの老犬に復讐したのであろう。しかしその行為は、窓からそれを覗いていた十二歳の少年の生涯に決定的な痕跡を残した。私はふるえながら、一切をみていた。しかし、それは恐怖のためではない。可哀想な母が息子に強いた純潔主義の厚い城壁が、その日、音をたてて崩れたのである。私がその時味つたのは、情慾の悦びである。あの肺病やみの老犬の首を押えつけたイボンヌのむつちりした膝がしらは私の眼に焼けつくように白く、あまりに白くのこつた。私の肉慾の目覚めは虐待の快楽を伴つて、開花したのである。
自分のほの暗い秘密を人にかたる程、私は莫迦でもなくもう無邪氣でもなかつた。父も母も学校の牧師も、依然として、この私を悪の悦びを味わぬ一人の少年と思い込んでいたろうが。
聖堂でも私は自分に与えられた影像にしたがつて敬虔に祈るふりをしていた。だが、サン・チレーネのあのカルビン小学校の聖堂で私が仰ぎみたのは決して神ではない。壁にかけられた地獄の想像画、そこでは死んだ罪人は裸のまま、黒い悪魔に、責めさいなまれていた。彼等は鞭うたれ、あるいは手脚をもぎとられていた。かつて私に一種の恐怖をあたえたものは、今日、あやしい快感を疼かせる。私は鞭うつ悪魔の見ひらいた眼のなかに、あの日、はじめて味つた叫びたいようなよろこびをよみとつた。
なぜ、そのような感覚が、他の子供には目覚めず、自分だけにひらかれたのか今でも私はふしぎに思つている。フロイド流にいえば、こうしたサディズムは子供の母にたいするコンプレックスによると云う。もし、その理論通りならば、私は自分をきびしく教育した母を心ひそかに憎んでいたのではあるまいか。子供としての悦びや自由を禁じ、あのクロワ・ルッスの一室に幼年期を送らそうとした母の中に女性のすべてにたいする憎悪を養つていたのだろうか。だが断つておきたいが、私の場合、サディズムはこれら都合のよい精神分析学の理窟通りにはいかなかつたのだ。私はたんに女性にむかつてのみ、自分の加虐本能を感じたのではない。女性のみならず、すべての人間、大袈裟にいうならばすべての人類を苛みたいという慾望を私は後年、感じだしたのである。
先を急がねばならない。もう余り時間はないのだ。ふたたび烈しい爆裂音が、この部屋の窓をゆるがせ、壁や天井から、こまかい粉を落してくる。今、破壊されたのはラファイエット橋だろう。
だが、そういうことは、どうでもいい。ナチが敗走しようが、聯合軍がリヨンを奪回しようが、ファシズムが潰えて、所謂、民主主義が勝利をしめようが、そんなことは、私のあずかり知らぬ.ことだ。抗独運動者、コミュニスト、基督者たちがそこに歴史の進歩、正義の證明を托そうが私は無関心である。
もし、明後日のリヨンの運命で私に関係しているものがあるとすれば、それは、私が独逸秘密警察に協力した裏切者として糾弾されることだけである。マキやその味方を裁き、拷問し、虐待した、あの「松の実町」事件の一味として同胞? から復讐されるだろう。勿論、逃げるつもりだ。私は生きねばならぬ。第一、歴史が、この私を、いや私の裡の拷問者を地上から消すことは絶対にできないのだ。その事實を私はこの記録にしたためたいのである。
Ⅱ
だれも私のほの暗い秘密に気がつかなかつた。なるほど母も教師や牧師も私を天使のような子供とは思つてはいなかつたろうが、それでも、やせて蒼ざめた勉強好きな少年ぐらいには考えていたろう。彼等は瞞されていたのだろうか。いや、そうではない。あのイボンヌと犬との光景が私の存在の底に燃え上らせた情慾はその後、つかの間にせよ、灰の下に埋れていたのである。周囲のものたちが私に描いている影像に自分をあわせていく間に、いつか私自身もあの事さえ忘れてしまつていた――
私は他の少年より肉体の発育が遅かつた。リヨンのオペラ座裏のアンリ四世中学校にはいつても、他の友だちが好んで話す女學生のことやガリーエーヌ街の淫売の話に殆ど興味がなかつた。どうせ自分がもてぬぐらいは知つていたのである。この年頃の少年たちが必ず一度はかかる「稚児さん遊び」の熱病にも全く無関心だつたと云つてよい。だが時として春の黄昏、あの十二歳の病気の日にそこに靠れたと同じように、硝子窓から、グリーシヌの花の散る人影ない小路を見おろしながら、体がふるえるのを感じた。心の中で私の手はなにかわからぬものを苦しめるために痙攣していた。寝巻を通してシーツまで汗まみれになりながら、その妄想を追い払わねばならなかつた――
アンリ四世中学校を終える前、その年の夏休、父はいつになく、私を伴つてアラビヤのアデンまで旅行した。それは彼にとつては、商用のためであつた。彼の経営していた工場が、アデンから亜麻を買い入れるためだ。しかし私にとつて、その旅行のあの日は――
あの日、あのことをなしえたのは、道徳、宗教、家庭、学校がそこに住む一切の人間の本能や慾望をしばりつけている保守的なリヨンの重くるしい空気から突然、南東アラビヤの沙漠のなかに自分を発見したためなのだろうか。それともあの八月の紅海から吹きつける、気も狂いそうな暑さのせいだつたろうか。
船は八月中旬、アデンに着いた。そしてわれわれはこの街で唯一つの西欧的な宿舎、イングランド・ホテルに泊つた。父は一日中、契約先の出張商會の連中とかけずりまわつている。私は一人で放つておかれた。もう母の監督もない、牧師の束縛もない。私は自由であり、いかなる行為もなしうる状態にあつた。
目も昏むような熱さの中で生れてはじめてあたえられた、この解放感を私はゆつくりと味わつた。アフリカの黒人、褐色のアラビヤ人、黒布を顔にまいた女たちのみが蠢いている白い迷路もひそかに一人で歩いた。この街の何処からも、青いギラギラと光る海と、その海べりに積まれた城館のような塩田とが見える。太陽は白熱した圓球のように背後の裸山の上にいつも静止している。そして空の色は重く、鉛色であつた。
私はその日、土民たちの往來する迷路で曲藝をみた。曲藝師は、若い、殆ど裸体にちかいアラビヤ娘と一人の少年である。娘の裸体は汗と油とにヌルヌルと光つていた。彼女は銀色の蛇に似た手脚をくねらせておどつた。見物人たちは、五六人の土民だけである。彼等は骸骨のように痩せた脚をくんで、ミノと呼ばれる焼菓子をかじりながら見物していた。
突然、娘はつれの少年を地面に寝かせた。彼の脚は徐々に彎曲してそりかえつたまま、頭の上まで届いた。その姿態は交尾の刹那の蠍のようだつた。裸体の娘は、少年の足と頭との上に飛び上つた。少年の体は、殆ど耐えきれぬ程、弓なりになつた。
「キイ!」
たしかに彼のくいしばつた唇からは苦痛の呻きがもれた。しかし娘は、容赦なく、その頭の上で足ぶみをはじめた。彼女の黒い眼は細く、ながくなり、残忍な光に燃えた。
私は倒れそうだつた。太陽は先程と同じようにギラギラとアデン背後の裸山の上で動かない。重い、鉛色の空の下で空気は膨れあがり、私の体を痺らせていつた。私はホテルまで夢中で走りかえつた――
その翌日、父はポート・サイドまで出向くつもりになつていた。勿論、彼は私にこのエジプト第一の海港を散策することを奨めた。しかし私は断つた。私は父の不在を利用してもう一度、あの迷路まで行かねばならなかつた。
更にまひるである。私はシャツをぬぎ、色模様のYシャツに着かえた。父が食事代にくれた紙幣をポケットに入れ、私はあの曲藝の場所にでかけた。
少年は昨日とおなじ場所にいた。しかし、彼は今日は行きかう通行人に物乞いをする乞食になつていた。片言の英語で彼は私にアデンを案内すると申し出た。
二人は歩きだした。彼は私の前になり、うしろになり、時々意味のわからぬ英語で話しかけた。太陽は今日も白熱の圓球のように重くるしく静止している。突然、少年は「ナイス・ガール」とわめきはじめた。彼は私を咋日のアラビヤ娘の所に案内するつもりらしかつた。不機嫌に私は首をふつた。塩田の近くに來た時、われわれはたちどまつた。二人は汗まみれになつていた。私はYシャツをぬぎ、上半身、裸となつた。それから、我々のいる前面に、塩をふいた褐色の岩壁が厚く不氣味にそびえているのを見てから、初めて、ポケットの紙幣をとりだした。
前面の岩石は熱風に焼け爛れた枯草の中にどぎつい原色のまま転がつている。私は濡れたYシャツを右手に持つたまま進んだ。少年も黙つて從つた。濃い黒色の影を、岩は背後に落している。我々はたちどまつた。首も裸体の胸もべつとりと汗にぬれていた。
私は彼に囁いた。なにを云つたのか覚えてはおらぬ。口はカラカラに乾いていた。少年は私の腕に押されたまま、岩石のうしろの秘密の影のなかに倒れた。
――海は眞青だつた。海から吹きつける熱風を私はあらあらしく吸いこんだ。私は太陽をみた。それはやはり鈍い白い圓板のように静止していた。少年が岩影のなかで氣を失い、灰色の草の中にうつ伏しているのをふりかえりながら、白い路を歩いてホテルに帰つた。しかし、私は痺れた記憶のなかで、私にからまれながら、あのアラビヤの少年の眼が被虐の悦びに光り震えていたのをハッキリと思いだすことが出來た――
アデンの旅行後、ほとんど白痴のような状態になつた。なにをするのも懶い。すべてのことに関心も、気力も持てない。一日中ベッドの上にねそべつて、煙草を幾本もふかし続け、濁つた眼を虚空に注ぎながらジッとしていた。時々、あの原色のなまなましい岩の赫きと、その岩の背後のあまりにも濃い影のなかに、うつ伏しに倒れているアラビヤの少年の裸の姿態が甦つた。私の唇はふるえながら(そうされるに価するんだ。)と呟いた。しかし、少年が、なぜ、そうされるに価するのか、いえなかつた。
新学期がはじまつた。それは、私等、アンリ四世中学校の最高学級生徒にとつては、大学入学資格試験準備のための年でもある。われわれ、哲学級の生徒のために、特にリヨン大学哲学科のマデニエ氏の講義があたえられた。講壇の上にこの老人は、葡萄酒の愛用と肉食とで、薔薇色に色づいたまるい顔をのせ、甘つたるい微笑を唇にうかべて「子供たちよ」としやべりはじめるのだつた。私はその充ち足りた顔が非常にイヤだつた。このカトリックの哲学者が説く、人間の善や徳、人間の精神的進歩、人間の.歴史的成熟という言葉を、私は耳もとで幻聴でも鳴つているように滑稽に思いながら聞いていた。十七歳、十八歳のすべての純情な学友たちはすくなくとも、これらの言葉の真実性と価値とを心の底ではうたがつていなかつたのに、私だけが、なぜそれをおかしく思つたのだろう。もちろん、こちらには、そうしたモラリストの信念をくつがえすだけの理論も思索もあるわけではない。ただ、私は自分が斜視の青年であること、あの十二歳の日にグリーシヌの花の散る窓からみたイボンヌと老犬の光景を知つていた。アデンの迷路で少年の頭に躍り狂った褐色の娘の裸像の記憶をもつていた。そして白く燃えた圓板の太陽の下で熱風に焼けただれた枯草と、岩の下で――、それを思いだすだけで充分だつた。
翌年、父は死んだ。情婦とドライブしていた自動車が樹にぶつかつたのである。一九三八年の夏である。父の死にあつても、私は慟哭も悲哀も感じなかつた。もちろん、もう神や永遠の生命を信じてはいない。私はその秋、ベルナール街にあるリヨン法科大学で行われた大学入学資格試験で、マデニエ氏が我々に教えた「善」「徳」「理性の優位」「歴史的展開」という言葉をあの老人の甘つたるい顔を思いながら答案の上に書いた。試験に合格した時、私の將來に弁護士をゆめみていた憐れな母は泣いて喜んだが、私はくらく皮肉に微笑した――
なにごともどうでもよかつた。あのイボンヌと老犬との思い出以來、兎も角も私は周囲の人間を欺きつづけて來たのではないか。父は私のアデンの秘密を知らずに死んでいる。母は、私がいつの日かレピュブリック街に事務所をひらくのを心に描いている。
もし、すべてが、そのままだつたなら、私は周囲の者たちが抱いている影像に応じながら生きていつたかもしれぬ。
しかし、戦争が起つた。その翌年、ヒットラーは麾下のナチ軍にポーランド進撃を命じたのである。
Ⅲ
その戦争がはじまる一年前、八月下旬の暑くるしい午後、私はぶらぶらとクロード・ベルナール街の法科大学にでかけてみた。大学入学資格試験を合格した私は、そこに九月から入学することになつていたのである。
大学はきびしい残暑の日差しに照しあげられて、療養所の安静時間のようにガランとしていた。ただどこか、遠くで(恐らく学生ホールからだろう。)だれかが、拙いピアノを奏いているのが、きこえた。
通廊下の掲示板に、新学期の講義課目の表がのつている。マデニエが「カントの実践理性批判」を教えるのだ。わたしは、あの人のよい老人の、まるい薔薇色の顔を思いうかべた。あの意味のないふやけた顔が、私のアンリ四世中学時代を支配した。ねむたくなるような午後、教室は、ひるめし時のジャムの匂いが残つている。皆が黙つてペンをはしらせている。人間の良心、倫理的決断――灰色の塵が机の上におおいかぶさる。
ピアノの音はまだ、聞えている。それは幾度も幾度もきいた覚えがあるのに、いつまでもその名が思いだせない曲の一つだつた。私が廊下を曲つたり、それにつきあたつたりすればするほど、それはまるで夢のなかででものように、遠い、もつと別の方向から、ひびいてきた。
ふと、わかい娘の聲を耳にした。教室の内側からである。硝子ごしに私はそつと背のびをしながら覗いてみた。
「駄目よ。マリー・テレーズ、チャンときめなくては。舞踏会に行くの、行かないの。」
教室の机の上に腰をかけて脚をブラブラさせながら、そう訊いた娘は水着の上に白いタオルを着ている。校内のプールで泳ぐため、その教室で着かえているらしかつた。
「そりや、行きたいわよ。モニック、行きたいけどジャックが――」
マリ一・テレーズとよばれたもう一人の娘は、女中のように、相手にクリームの瓶をわたしながら答えた。「ジャックがゆるしてくれないわよ。彼は私に云つたわ。ユダヤ人たちが独逸で血をながしている時、舞踏会を学生が開くのは不謹愼だつて。」
「ジャック? ジャックが何さ。恋人や婚約者ならともかく、たかが神学生じやないの。神学と布教しか、頭にない男じゃないの。あなたの人生となんの関係があるの。あのひと前からあたしをゾッとさしていたわ。陰氣で狂信的な暗さが顔にあるためかしら。」
金髪を肩までたらしたモニックの水着のあいだがら、肉づきのいい眞白な胸や腕がのぞきみえた。「ねえ、ねえ、ねえ。」と彼女はうなだれているマリー・テレーズの肩をゆさぶつた。
「ダメよ。」お世辞にも綺麗とはいえぬマリー・テレーズは力のない聲で答えた。「あたし、ジャックの従妹だけど、子供の時両親をなくしたでしよう。ずつと彼の家にひきとつてもらつたでしよう。今、大学に行けるのも、彼のおかげなんだもの。」
「彼のおかげか。」とモニックは煙草を口にくわえながら嘲けるように笑つた。「あの神学生、貴方を愛しているんじやない?」
「まさか、あたしみたいなものを。――それなら彼、なぜ、神学生になつたの。」
「みにくいからよ!」とモニックはカン高い聲で笑つた。「顔がみにくいから、求愛する勇気もないから、神学校にはいったまでよ。」
(みにくいからよ!)その言葉は突然私の斜視を、あの幼年時代の父の言葉を、蘇らせた。
「右をみろというのに――お前は一生、娘たちにもてないよ、全く。」
娘たちは教室を出ていつた。私はそつとしやがんでいた。むかしみた映画のことが、意味もなく心に浮ぶ。それは兎口の男の話だつた。兎口であるために、彼は女から愛されたことがなかつた。兎口であるために、彼は、自分を侮辱した淫売女を殺したのだ。
(そいつは兎口だつたよ。そいつは兎口だつたよ。)手さぐりでもするように、私は、頭の中でグラグラと湧いている奇妙な聲を捉えようとした。(そいつは兎口だつたよ。)
衝立のかげに、娘たちは下着を泡のように脱ぎすてていた。甘い匂いが、その桃色の、うすい、ヴェールから漂つていた。それを、つまむと、たよりない感触が指を伝わり、私の掌のなかに、そのまま、はいりこみそうである。細いレースにふちどられたパンティー、蝋をぬつたように不透明なスチアン・ゴルジュは滑らかで、やわらかかつた。
(みにくいからよ――顔がみにくいから――求愛する勇氣もないから――)突然、私は手に力を入れると、その下着を引き裂いた。嗄れた、嗤うような音が指の下を走つた。それは「キイ!」という響きをたてた。
「キイ!」という響きは、私をふたたび、あのアデンの迷路、灼熱の太陽の下で、年上の娘にふまれながら、それと、おなじ呻き聲をあげたアラビヤの少年の世界に引き戻した――
だれかが唾液を呑む音がした。戸口の壁に靠れながら、その男は私の一挙一動を凝視めていた。うしろの窓からふりそそぐ夕陽をまともに顔にうけて、眼鏡がギラギラと光つている。額が汗でぬれているのがわかった。
ひどく痩せた男で、動くたびに粗い修道服が、乾いた、奇妙な音をたてた。
(この男だな、さつき、女学生たちが話していたのは。)
学生ホールで、ピアノを、また奏きはじめた。こんどの曲は何だろう。これも、何処かで聞いた奴だ。ふしぎなことに、私は目の前にいる神学生より、その曲の名を思いだすことに、気をとられている。
「豚!」と彼は呻いた。「豚! 豚! それを下におき給え。」
思わず、自分の両手をみた。はじめて恥しさが熱湯のように顔から頭にのぼつてきた。
「なぜだい。え、なぜ、おかなきや、いけないんだ。」
「みてたぞ。」神学生は尻ごみでもするように、机と机との間をさがつた。「みてたんだ。」
「みてたからどうした。」
「知つてるんだから。肉慾の罪でも一番、いやらしい――君がなぜ、それをしたか、知つてるんだから。」
私は茫然と相手の顔をみた。彼の汗のにじんだ額は、はげ上つて、頭の上には、あわれな赤毛が残つていた。この男は、斜視の私よりも兎口の男よりもみにくかつた。
(求愛する勇氣もないから、神学校にはいつたまでよ。)
私は嗤いたかつた。なぜかしらぬが、大聲をあげて嗤いたかつた。
「肉慾の罪の中でも一番、いやらしいか。」
私は下着を床に投げつけると、だれもいない廊下にでていつた。
Ⅳ
十月二日、大学で入学式があつた。法科の学生たちは、慣例によつて、赤いリボンのついたベレー帽をかむつて講堂に集つた。マデニエ老人が、講師のガウンの上に、レジオン・ドヌールを飾つて得意げに坐つていた。教授席には、厳粛な顔、深刻な顔、栄養のないやせこけた陰氣な顔が並んでいる。そして、学生たちは、客員としてよばれた作家のジュール・ロマンの話をきいた。
「戦争がくるかもしれませぬ。」とロマンは芝居げたつぷりな聲をだして云つた。悲劇的な顔をして額に指をあてて考えこんだ。
「ヴァレリイや私たちは、既に、戦争反封の決議文を独逸に送りました。けれども、この決議文は、私たちの善意は彼等によつて、ふみにじられるかもしれぬ。拒絶されるに違いない。しかし、よし、ふみにじられるにせよ、われわれの意志は残るでありましよう。われわれはいわねばならぬのです。」
萬雷の拍手。「そうだ。」「フランス萬歳。」という感動した聲。一九三〇年代の佛蘭西は、まことに、のどかだつた。馬鹿馬鹿しかつた。
入学式のあと、ヴィズウがあつた。ヴィズウとは、上級生と新入生との親睦パーティである。
学生たちは、父兄から寄附された白葡萄酒を飲んだ。音楽がなり、慣例による「王様えらび」を遊んだ。
赤いリボンをつけた法科生、黄色いリボンをつけた文科生、酔つて顔を薔薇色にした女学生までが走りまわり、笑いこけたりする群のなかに、紅色のマフラーをしたモニックが泳ぎまわつていた。
「アルベールがでていつたよ。」
「そうよ、そちらの番よ。」
どの娘たちも、斜視の私を誘つてくれなかつた。それならば、この騒ぎのなかから、早く引きあげれば良いのに、私はこの自分のみじめさ、暗さを味い、たのしんでいた。私は慣れている。學生ホールの窓から、秋の陽が内庭のオーギュスト・コント像を金色に照しているのがみえた。哲學教室のドームから鳩が曲線を描いて飛びたつた。
だれかが肩に手をおいた。私はふりむいた。キラキラと光る眼鏡の奥で、眼をシバたたかせながら、神學生がたつていた。
「君。」と彼はかすれた、くるしげな聲で囁いた。「君、こないか。」
「なんのためだ。」と私は答えた。
「むこうに、静かなところがあるんだ。君、こないか。」
「なんのためかね。」と私は亦、云つた。
「ぼくは君と話がしたい。」
彼は先にたつて歩きだした。ホールを抜け、もう弱い秋の陽が、それでも精一杯、光を注いでいる内庭を通り抜けた。私は彼の、羊羹色に焼けた修道服のうしろを黙つてついていつた。
地理學教室の、黝い圓柱と圓柱の間に、窓から、こぼれた陽が、花のような縞目をあんでいた。成程、ふしぎなほど、静かな所だ。
「僕の呼名はジャックだ。」と彼は恥しげにうつむいた。あの日と同じように、この男のはげ上つた額には汗がたまり、唐辛子のような赤毛が縮れて残つていた。
「話つて、なんだね。」
私は自分の名を云うべきかを考え、それから名のつた。
ジャックは両手を修道服のポケットに入れて林檎をとりだした。
「たべないか、君。」
「禁断の木の実か。」私は笑つた。くるしげな聲で彼はうち消した。
「僕はフルビェールの神学生なんだが、ここに聴講にきてる。教会法の論文を書くためだ。」
圓柱の下に腰かけて彼は林檎を噛つた。
「あの日、ぼくは君にもつと、しやべるべきだつたな。君をとがめる資格はなかつた。」
私はその時神学生が、自分の事を「僕」と云い、私のことを「君」と云つているのに始めて氣づいた。
「そうさ。」と私は答えた。「あんただつて、俺とおなじように、女学生の話、たちぎきしたんだからな。」
「きくつもりはなかつたんだ。ただ、あの前を通つた時――」
「もういい。」私は彼の横に腰をかけた。「俺は神学生を信用しない。カトリックの奴は自分にまで平気でウソをつける人間だからな。」
「自分に?」林檎を噛るのをやめて彼は開きなおつた。「なにを?」
「なにかな。あんただつて聞いたんだろ。女学生が云つてたじやないか。あんたが神学校にはいつた動機のこと。」
私は林檎を持つている彼の両手がふるえているのをみとめた。(兎口の男は自分の顔にウソをつくために情婦を殺した。マデニエ氏は人間の顔にウソをつくために「進歩」とか「向上」という観念を創つた。そしてジャックは――)
「ウソをついたんじやない。」突然、彼は林檎を下におとしてたち上つた。「ぼくは醜い。子供のときから醜かつた。だから、わかつたんだ。斜視の君がなぜ、あんなことをしたのか、ぼくは自分の中にもそれと同じ嫉妬があるのを知つていた。」
(俺は、嫉妬で女の下着を裂いたのだろうか。)と私は考えた。(ちがう、嫉妬だけではない。たしかに嫉妬だけではない。)
「醜いことは辛い。」ジャックは呻いていた。「辛いよ。子供の時、ぼくは母や姉さえ、ぼくの顔から眼をそむけるのを感じた。だが十四歳のとき、僕は自分の顔だちが十字架であることを知つたんだ。基督が十字架を背負つたように、子供のぼくもそれを背負わねばならぬことを知つたんだ。」
彼の額には、また汗が溜つた。はげ上つた頭蓋骨の上に、血管がふとく、蒼く、膨れていた。のみならず、眼鏡の奥の瞳は腐魚の眼のように濡れだしていた。
嫌悪を感じて私は彼の泣き顔をみまいとした。だがその時、地理学教室の圓柱と圓柱とのあいだにたゆとう、弱い秋の陽影のなかから、やつぱり、白い肉の膨らんだ父の手がうかび上つてきた――
(右をみろと云うのに、右を。お前は一生娘にもてないね。)
ホールの入口から中庭に、三、四人の男女学生が大聲で笑いながら走りでた。なにかを奪いあつているらしかつた。開かれた戸口から甘いロッシイのレコードがながれてきた。
薔薇のはなは、若いうち
つまねば
凋み、色、あせる――
「神学校にはいつた。十字架を背負うことを考えた。」ジャックは、私のためではなく、自分を押えつけるように、一語、一語呟いた。
「十四歳の時の十字架は変つた。ぼくは、基督のように、ぼくの顔だけではなくこの世の顔を、みにくい顔を背負うつもりだ。」
青空は、まひるのうち
行かねば
陽が翳る、夜がくる――
「新聞によれば今日もユダヤ人たちがナチスによつて殺された。悪はヨーロッパ中、充満している。戦争はいつ起るか、わからない。それなのに、ああして学生たちは歌つている。」
私は、やさしく、彼の手から先ほどの林檎をとつてかじつた。青くさく、酸かつた。
「あんたが。」と私は云つた。「いくら十字架を背負つたつて、人間は変らないぜ。悪は変らないよ。」
「しかし、ぼくのほかに、君も十字架を背負つてくれたら。せめて、君が、君の斜視のかなしみだけでも背負つてくれたら。そうした人がふえていつたら。」――と彼は両手で顔を覆つた。
「俺がかね。」陽のたまりに、にがい林檎を投げると、林檎はコロコロところがりながら中庭に落ちていつた。
「俺はあんたのように、自分の顔のみにくさに酔つたりしないさ。十字架だ、なんだと叫ばないさ。そりや、俺だつて女学生の下着を破つたりする弱さはあるだろう。しかし十字架の効用を俺は信じないからな。」私は庭におり林檎を足でふみにじつた。
「それだけかね、あんたの話は。」
その時、背後からジャックは手で顔を覆つたまま、ほとんど吐き捨てるように、次のような言葉を呟いた。
「祈つているよ。君。たとえ、君が神を問題にしなくても、神は君をいつも問題にされているのだから――」
学生たちは、どこかに引き上げたらしい。しずかだつた。ふりかえると、ジャックは柱に崩れるように靠れ、それに顔を押しつけたまま、動かない。その姿勢、そのみぶりは私に突然、基督を思いださせた。基督のように彼も亦、私の斜視の傷を背負い、ひきうけようとして酔つていた――
Ⅴ
彼は攻撃してきた。十月五日、講義はじめの日、自分の机の上に一冊のブルウ・クロア版の「基督のまねび」が置かれてあるのに氣がついた。のみならず、その表紙の裏には、あまりウマくない字で、私の名と、聖ヨハネ福音書からとつた句とが書きつけてある。
翌日の朝、はやめに大学に行き、その本を彼に返そうかと考えた。けれども、私はそうしなかつた。別に戻す理由もみつからなかつた。
この子供らしい遊戯はしつこく繰りかえされた。一週間ごと、正確な時計のように私の机にはドニャック師の「聖テレジア傳」や聖ロヨラの「霊想」などが運ばれてきた。
もとより私はその本も開かなかつたし、この莫迦莫迦しい児戯に乱されることはない。だが、彼の存在はやはり氣にかかる。あまつたるい神学生の誘惑などはなんでもないが、兎に角、あの男は、二ヵ月前、人影のない教室で、私の秘密を見たのだ。「肉慾の中で一番いやらしい。」と叫んだ奴の聲は、錐のように私をえぐつていた。
「君は斜覗だ。斜視のくるしみは、ぼくにはわかるのだ。」このアーメン輩の憐憫ほど私を傷つけるものはなかつた。
私は黙つて機會を待つことにした。
その月の終りのことである。偶然、その復讐の機會がやつてきた。放課後、私は法科図書室にとじこもつて、黒い細かい活字の並んだ法律書の前で二時間ほど坐つていた。日が暮れてきた。窓が既に灰色にかすみはじめる。リヨン特有の黄濁した霧がそろそろソーヌ、ローヌの両河から這いあがる季節がやつてきたのだ。私はいろいろなことを考えてみた。法律の本を伏せ、鞄から、その日、ジャックの奴が亦、持つてきた「信仰の歓喜」とかいう本をめくつてみた。
所々に奴が、赤い鉛筆で線を引いたり、丸を書いたりしている。私は好奇心をもつてそれを読んだが、イイ思案はうかばない。退屈し、本を閉じようとしたが、その時、ふと、自分がある大事なことを読みすごしたのに気づいた。
それは、最後の頁の余白に書いてあつた奴の読後感とも云うべきセリフである。
「基督がくるしまなかつたと云うのか。基督はその生涯に二度の心理的苦痛を味わされた。」味わされたと奴は受身形に表現していた。
「ひとつは明日の迫害、拷問を予感したゲッセマニアの園で、主が血のごとき汗をながし給うた瞬間である。今ひとつは、彼がユダに裏切られた時だ。ユダを基督が愛さなかつたと誰が云えるか。」
(ユダ。)と私は首をひねつた。窓のむこうにドローヌ街の教会の塔が蒼黒く浮んでいる。藍色になつた夕空を斜めにきつて鳩の群が帰るのが見えた。なぜ、今までこれに気がつかなかつたのか。なぜ基督者をくるしめるには聖書を逆さまによむことが一番いいと考えなかつたのか。だがユダとはジャックの場合、だれであるか。
図書室を出ようとして、傘を教室に忘れたことに気がついた。私は、あの八月の午後のように、ひとり、誰もいない廊下を戻つていつた。
ふしぎなことには、亦、人聲が教室から洩れてきている。なにもかも、あの日と舞台装置が同じである。私はなにか、あるな、ジャックがいるなと予感した。廊下と教室とのあいだの硝子から、ひそかに中を窺つた。奴は背中をこちらにむけていた。その彼にモニックが向きあつている。
はじめ、彼等がなにを云い争つているのかわからなかつた。
そしてマリー・テレーズは泣いていた。栗色の髪をおさげにして十四、五の少女のように肩にたらして、やせこけた体を灰色のスカート、白いブラウスに包んでいた。弾力ありげな白い胸と腰とをもつたモニックにくらべる時、その体は固く青くさく貧しかつた。
「マリー・テレーズ」とジャックが叫んだ。マリー・テレーズは撲たれたようにピクッと震えた。「先週の教会で司教の御言葉をきいただろう。今日基督信者は、いつよりも犠牲を捧げなくてはいけないことだ。独逸でくるしんでいる人々と、それから戦争が起らないために信者が行を慎むことを聞いただろう。」
「舞踏会がなぜ悪よ。わるいのよ。」とモニックは眉をあげてひきとつた。「マリー・テレーズ、あんた、どうして、この神学生のまえで脅えるの。そんなに脅える必要があるの。」
モニックの云う通り、ジャックが一言、叫ぶたびにマリー・テレーズは、仔犬のように顔をそむけ、一歩一歩、友だちの背後にかくれた。
「君に云つているのじやないよ。」神学生は興奮のあまり、聲をあらげて云つた。「君には、ぼくは責任がないよ。しかし、マリー・テレーズは違うからね。マリー・テレーズが大学にきたのは舞踏会にでるためじやないからね。」
「じや、なんのためよ。きかしてもらいましようよ。」
奴はしばらく黙つた。彼のはげ上つた額がまた、あの時と同じように汗で光りはじめたのがわかつた。
「なんのためよ。」モニックはつめよつた。
「ぼくは云わないさ。」ジャックは答えた。「それはマリー・テレーズが答えるからな。」
娘は両手で顔を覆つて椅子に崩れ落ちた。三人はしばらく、無言のまま、身じろがなかつた。
「あたし、行かない。行かないわ。モニック、心配しないで。」
小娘はすすり泣いていた。
「そう、そうなの。」拍子抜けがしたようにモニックは呟いた。それから彼女は軽蔑のこもつた眼でマリー・テレーズをみつめ、
「さよなら――」といつた。
私は素早く、隣の教室の入口に身をかくした。バタンと大きな響きをたて、廊下を走つていくモニックの足音がした。
教室は既に夕闇に灰色となり、その中でジャックと女とは石像のようにみえた。非常にしずかだつた。
「マリー・テレーズ。」神学生は彼女の肩に手をおいて囁いた。「行きたければ行つていいんだよ。」
その聲は、ふしぎなほど優しくなつた。「ぼくがとめたと思わないでくれ給えな。ぼくはただ、君が――」
「あたしの魂のためと云うんでしよう。」突然、マリー・テレーズはたち上り、憎しみのこもつた眼で神学生をみつめた。 「あたしの魂のため、あたしの信仰のため、あたしの義務のため――」
「マリー・テレーズ、君は――」
私の唇にはウス嗤いがうかんだ。ジャックにとつてユダがだれであるかが、私にはその時わかつたのである。
翌日、私は大学前、ローヌ河岸のプラタナスの樹かげに身をひそめて校門からはきだされる学生たちの中に、マリー・テレーズを待ち伏せしていた。無茶苦茶にあたたかい日だつた。一日の授業で疲れた学生たちが、もの憂げな、だるそうな表情で出てくる。やがて、奴も、黒い修道服の腕をくみながら、はげ上つた額と眼鏡とをギラギラ光らせ、マリー・テレーズにつきそつて、あらわれた。
二人はギローネ橋の方向に歩いていつた。私は時々、プラタナスの樹かげにかくれながら、あとをつけていつた。
橋のたもとの聖ベルナール教會に二人ははいつた。十分ほど、私は鳩の糞のついた教會の壁に靠れていた。
赤い鞄をかかえて、女だけが独り、教會の戸口から出てきた。そして、レピュブリック街のバス停留所にむかつた。
バスが來た。発車するまぎわに、私はとびのつた。
「マリー・テレーズ。」私は聲をかけた。彼女はふりむいた。その、ソバカスだらけの顔を赧くした。
「こちらの方角ですか。」
「ええ。」
つり皮にぶらさがり、彼女は窓の方ばかりむいて、ききとれぬほど、弱い聲で答えた。男に話しかけられた経験なぞ、ないのである。
「明後日、行きますか。舞踏会。」
当惑と不安で彼女はうつむいた。「あたし――」
「どうして。」
マリー・テレーズは唇を噛んだ。
「どうして。」と私は亦、たずねた。
「だつて――」
バスは市役所とオペラ座との間を曲つた。よろめいた拍子に私は彼女の体にぶつかつた。それはヤセて、ゴツゴツと骨つぽかつた。
「ぼくは貴女におどつて頂こうと思つてね、この間ですがね、ジャック君にたのんだんですよ。」
私の汗ばんだ掌が彼女のそれに触れると、マリー・テレーズはあわてて手を引つこめた。
「ジャックとぼくは議論しましたよ。貴女のことでね。」
そういって彼女によつていつた。
「ぼくは彼のカトリシスムが狭いと云つたんです。きびしすぎると云つたんです。カトリシスムとはあんなものじやない。もつと寛大なもの、ひろびろとしたもの、貴女、そう思いませんか。」
狙いはまず、この醜い娘の自尊心をなでることにあつた。彼女が舞踏会に行かなければ、私も行かないといつた。
「ねえ、貴方が悪いんじゃありませんよ。」
「でも――」彼女は耳まで赧くした。「あたしでなくても。ほかの方が澤山いらつしやるじやありませんの。」
ラファイエット街には、曲馬団が来ていた。大きな天幕が、並び、人の群が雑踏していた。退屈だつた。非常に退屈だつた。
「だれが――」と私はくるしそうに答えた。「だれが斜視の男と――」
突然、マリー・テレーズは憐憫のこもつたかなしげな眼で私を眺めた。
「そんなこと――」
「じや、おどつてくれるのですか。貴女は。」
「でも、ジャックに知られると――」
バスは広場前でとまつた。彼女はここでおりる筈だつた。
「いいでしよう。」
私は彼女の耳もとに口をよせ、小声で囁きつづけた。マリー・テレーズのギスギスした体が曲馬団見物のかえりらしい子供や母親たちの群のなかに消えていつた時、私はほくそえんだ。兎も角、あの女はジャックに小さな秘密をもつたのである。小さな秘密は次のウソ、次の秘密を生み、それは裏切りの谿に地響きをたてて崩れ落ちることを私は知つていた――
Ⅵ
舞踏会の夜、ベルクール広場のルイ十四世銅像の下で彼女とおちあつた。滑稽にもまだらに白粉をつけ、唇にはルージュさえぬつたこの道化のような顔をみたらジャックでさえ、顔をそむけただろう。どこから、引きずりだしたのか、黒いビロウドのケーブをまとつた彼女は、私を見つけると、媚を浮べて微笑したのだ。私は裏切りと秘密とがこの娘を一人の女に創り変えた手際に驚いた。
(今頃、ジャックの奴、フルビエール神学校の寄宿舎で神学大全<スマ・テオロジカ>にでもしがみついているだろう。)
ホテル・ラモのホールからは既に甘いタンゴの響き、サキソフォーンを調節する音、陽気な聲が洩れていた。窓から灯が春のよるのように、うるんでいる。私が彼女をつれてロビイにはいつた時、受附の學生たちが袖を引き合つてひそかにしのび笑いをした。
「モニック、來てるかしら。」
「まあ、いいじやないか。あとで行つた方が彼女、驚くだろう。」
私はわざとこいびとのようにぞんざいな言葉を使つた。酒場にはボーイがコップをふいているだけである。
「コニャック。」
「だめよ、飲めないんだもの。」
女がケープをとると鎖骨がみにくいほど、はつきり見えた。胸は七、八歳の少女のように扁平だつた。
「一寸、口、つけてみろよ。なんでもないからな。ところで、ジャックには黙つていた?」
彼女はくるしげに眉を顰めた。「あたし、貴方を信じたのよ。」
「大丈夫さ、大丈夫だよ。」
酒がまわるにつれ、女の顔は、次第に火照り、汗で崩れた化粧が流れはじめ、ソバカスが浮きだした。こわれた人形のように、首さえ、ぐらぐらとしてきた。「信じててよ。」と彼女は廻らなくなつた舌で云つた。私は階上のホールからワルツのきこえるのを待つた。タンゴやスロウよりもワルツをえらんだのは考えがあつたからである。
「さりげなく」という新曲がジャック兄弟たちによつて演奏された時をころあいとみた。赤、黄、青、独楽のように女学生たちの衣裳の渦まいている群の中に私は女を押しこんでいつた。
「信じててよ。」と馬鹿娘は口ばしつた。「信じててよ。」できるだけ細かくターンした。相手が息がつけないようにするためである。
彼女は私の胸に顔を押しあてた。その汗化粧の残骸で私の一張羅が臺なしになる。
「駄目、もう駄目、くるしいの。」
マリー・テレーズは私の腕の中でグッタリとした。犬のようにあけ放しにした口から桃色の舌をのぞかせ、ハッ、ハッと喘いだ。
「水がほしい。」
ホールの左隅は庭園に出る入口となつている。庭園には、まだ、誰もいない。茂みのかげのベンチに彼女をすわらせた。
そこからはベルクール広場の電気ニュースがはつきりと見える。私はバーから相当量のジンを水に入れて運んできた。マリー・テレーズは咽喉の乾きに一気にそれを飲んだ。彼女の両腕を左手で押えるようにかかえて、私は右の掌で顔をもち上げた。
「あたし、今まで男のひとにかまつてもらえなかつたの。」と女は私にしがみついた。「だれも愛してくれなかつたの。」
電気ニュースが消えては、現われ、亦、消える。「ナチは・ケルンにて・五十人のユダヤ人を・虐殺せり」ホールからはジルバの曲、トランペットの間のびした音、爆竹の響きがした。
「ナチは・ケルンにて・五十人のユダヤ人を・虐殺せり」「そうかね、そうかね。」と私はウツロに呟いた。
――――――
夜風が私を覚ました。女は死体のようにベンチに横たわつている。アデンのまひる、褐色の岩かげにアラビヤの少年も亦、このような姿勢で倒れ伏していた。寂寞としたものが私の胸をしめつけた。なぜだかわからない。悲しみというよりは疲労に、非常に深い疲労にちがいなかつた。埋めるべき空間を埋めたあと、もはや、なにを為していいのかわからない。鉛色のアデンの空で圓球のような太陽はふちだけ鈍く赫き上つていたが、私の魂は今、それに似て、青く燃えつづけていた。
ひとりロビイに戻った。ロビイの椅子と椅子との間に神学生が、こちらを凝視めながらたつていたが、今の私には、どうでもよかつた。
「何処だ。」ジャックは私の肩をゆさぶつた。「何処にマリー・テレーズをやつた。」
「庭だろ。」疲れた聲で私は答えた。肩に奴の指先の烈しい力が加わつた。
「まさか、君は。」
「よしてくれよ。指一本ふれなかつたぜ。俺が彼女の下着を引き裂いたからか。だが、あんたは、あの女のもつと大切なものを引き裂いたじやねえか。」
「なぜ、ぼくを――」と云いかけて彼は口をつぐみ熱病患者のように震えた。
「悪魔!」と彼は叫んだ。叫びながら拳をむなしくふり上げたが、それは力なく、おろされた。
それつきり二人に会わなかつた。翌日からは夏休だつたのだ――
Ⅶ
夏休みのあいだ、母は保養のため、私を連れてサボアの避暑地コンブルウに赴いた。彼女は脳溢血を神経質なほど懼れていた。あの千米にちかい高原の気圧が、彼女の血圧に良かつたのか、どうか。われわれは村はずれの小さなホテルに二部屋を借りた。私はここで、ジャンセニスムの書物をよんで暮した。幼年時代から、私を、ともかくも形成したこの思想をみなおしたかつたのだ。そこに関心があつたのは、人間は原罪によつて歪められているということだけだ。人間はいかに、もがいても悪の深淵に落ちていく。いかなる徳行も意志もわれわれを純化するに足るものではない。ジャンセニスムのこの考え方こそ、まさしく私の人間観を裏づけるものだ。
何も知らぬ母は、私が久しぶりに宗教書をひもといたことに満足していた。あわれな母、彼女は、あのクロワ・ルッスの家で、少年の私に課したきびしい宗教教育が、今、どのような実を結んだかを、まつたく知らなかつたのである。
しずかな日が続いた。夏は高原のすべてのものを碧くそめてしまうほど深く濃かつた。私は二枚の繪葉書を買い、ジャックと、マリー・テレーズ宛に「よい休暇を」と書いて送つた。もとより返事は來ない。九月になつた。霧がたちこめ肌寒くなつてくる。母は、今度は喘息を怖れはじめた。私たちがリヨンへ戻る準備をしていた九月一日の未明、ドイツ軍はポーランドに侵入を開始した――
十月の一日、夏休みが終ると同時に、すぐ、大学にとんで行つた。だがしずかだつた。新学期の講義案紙が平和の日と同じように構内掲示板でパタパタとなつていた。五六人の断髪女学生たちが、しきりと首をかしげながら、それを手帖にうつしている風景も、少しも変つていなかつた。
プラトン――マデニエ講師
その名をふたたび、見た時、私は、あの老先生の葡萄酒やけのした、丸い薔薇色の顔、いつも唇にうかべている、甘つたるい微笑、煙草のヤニで黄ばんだ、あごひげをはつきりと思いだした。かつてアンリ四世中学校の生徒だつた時、老人はこの顔を机の上にのせて、倫理学概論を教えた。今、戦争と大量虐殺との日が、目の前に迫つている時にさえこの老人はとぼけた微笑を口にうかべてプラトンを説く。マデニエが生きつづけており、その人生が許されており、のみならず、その人の好い笑が大学の教室を、支配している。今でさえも可能なのだ。
――文科大学をでて校庭の芝生を横切りオウギュスト・コントの像の前まで来た時、私は、赤い鞄を持つたマリー・テレーズがモニックと何か囁き合いながら、校門をくぐつてくるのをみとめた。
「今日は、モニック。」
私はわざと、モニックに挨拶をした。それからつばをのみ、ゆつくりとたちどまつた。
「今日は、マリー・テレーズ」と私は相手の眼をじつと眺めながらいつた。
女は手を差しださなかつた。小娘のようにすこしずつ後すざりしながら、マリー・テレーズはモニックの背後にかくれていつた。
「あれからどうしたのさ。舞踏の日、ズッとホテルにいたの?」
私はわざと狎れ狎れしく云つた。
「どうしたのさ」
モニックが思わずハッとふりむいた程、烈しい聲で、マリー・テレーズはなにか叫んだ。私にはそれがなにか聞きとれなかつた。どうでもよかつた。
「もう舞踏会なぞ、永遠にないやね。戦争がはじまるんだからさ。」
モニックだけに笑いながらそういい捨てると、私は二人をそこにのこして、たち去つた。
母が脳溢血で倒れた。自分の國と、夫の國とが、敵同士となつたショックも、その原因だろう。「あたしはドイツ人じやない。フランス人なの。」ウワ言のなかで彼女はそう叫んだから。ゆめのなかで夫をみているらしかつた。その聲はあるなまめかしさ、あまえた調子さえおびていた。夫に自分の愛情、自分の潔白を弁解しているようだつた。枕もとにはべりながら私は、憐れみをこの女に持つこともあつた。
彼女の病気を口実に、私は大学を休学することにした。健康の時ならば決して許さない、この申出を、母は私の孝行と思いこんだ。そこにもちいさな、通俗的な幻影があつた。
幻影はまだリヨンの街にしがみついていた。ポーランドを一挙に征服したナチ軍はじつと独佛國境侵入を待ちかまえている。「みろ! マジノ線がこわいものだから、奴等、手が出せねえぜ。」新聞はそう書きたてたし、マロニエの葉々が金色に散る秋の陽ざしのなか、キャフェのテラスで、市民たちは、あくびをし、老人たちは第一次大戦のころの思い出をしやべり合い、食前酒を何時間もかかつて飲んでいた。
秋が暮れた。黄濁色のリヨン特有の霧が、ソーヌ、ローヌの両河からはいのぼり、街を舐めまわす季節がやつてくる、母の病気はだんだん悪くなる。「坊や、坊や、教会に行かなくてはいけないよ。」彼女はベッドの上でうつろな眼で私をながめて呟く。私を十五年前の天使のように純真敬虔な少年と錯覚しはじめたのだ。「もう、死ぬな。もう駄目だな。」と私は思った。附添看護婦が帰つたあと、私は、床ずれで膿をもつた彼女の背中に藥をつけてやりながら、母が死んだ日に自分にかえされる自由について考えた。それは、あのアデンに泊つていた時、ポート・サイドに父が出張した日、私が獲た自由を思いださせた。それなのに、汗にまみれ、土気色となつた母の顔をのぞきながら、なぜか私は悦びを感じなかつた。私は無感動になつていた――
霧雨と氷雨の続く一九四〇年の二月、彼女は遂に死んだ。母は父と同様、遂に生前、息子の黝い秘密をしらなかつた。天使のような子に手を握られながら息をひきとつた。
一人になつた。遺産は、今後十年の私の生活を保証している。私は自由である。
ふたたび、もの狂おしい春がやつてきた。ひとり、二階の窓から、グリーシヌの花の散る路をみるとあの時と同じように一人の人影さえない。ひそまりかえった静けさのなかにうすむらさきの葩が散つている。もとよりあの老犬はとうの昔に死んでいた。女中のイボンヌの消息も聞かない。
ジャックとマリー・テレーズが、どうなつたかも私は知らない。彼等のことはもうどうでもよかつた。大学には二、三度出かけたが、むかしの級友は、既に、私を忘れかけている。
だから、モニックから、マリー・テレーズのその後の消息をきいた時、私はとくに驚きもしなかつた。
「まあ、知らなかつたの、マリー・テレーズは、聖ベルナデット会の修道院に寄宿しているわよ。」
「ジャックの命令かい。」
「でしよう。聖ベルナール教会に午後、五時に行つてごらんなさいよ。お二人が一緒に祈つているわよ。」
皮肉な笑いを唇にうかべて、この当世風の娘は教えてくれた。
一週間ぐらいして、やつぱり私は聖ベルナール教会に出かけた。けだるい夕暮である。一年前の五月、私はマリー・テレーズをここに追いかけた。それから二度とここを訪れたことはない。
教会の横には大きな白蓮の樹が白い花を咲かせている。灰色の夕靄のなかで葩はそこだけ、白く浮きあがつて見える。内陣にはいつたが彼等は、まだ來ていない。内陣のすり切れた祈祷臺の一つに腰をかけて、ジッと待つていた。
祭壇には聖燭臺が赤い灯をつけている。その灯に熱しあげられながら、一つの十字架が置かれている。みにくい、痩せた、裸の基督が、両手両脚を釘づけにされたまま、うなだれた頭をこちらにむけていた。足座には、「吾、汝等の生、たらん。」というラテン文字が彫りつけてある。その足座のかたわらには聖母マリアが半ば、悲しみに倒れかかりながら手を合せていた。
私はその日まで、このような十字架を随分みなれてきた。プロテスタントの家庭に育つたとはいえ、私はカトリックの美術をしらぬわけではない。この聖ベルナール教会の十字架が特に藝術的にすぐれたものでないこと、むしろ通俗的なものの最たるものであるぐらいはわかつた。しかし、その夕暮、ジャックとマリー・テレーズとを窺いみるためにのみ、この教会にやつてきた私に、この基督像は、ある烈しい誘惑をした。
私があらためて知つたのは基督の生涯が、拷問されて完成したということである。この男も流石に、拷問するものと拷問されるものから成りたつている世界をよけて生きることはできなかつたのだ。今日、幾億の信者たちは日曜ごとに、ポケットをチャラ、チャラといわせて、教会の門をくぐつていく。十字架の前にひざまずく。神父や牧師の説教をぼんやり聞く。しかし、彼は目の前の十字架が語ろうとしていることに耳を傾けない。あの大工の息子がこの地上でおくつたのはとどのつまり、あのクロワ・ルッスの、女中と犬との姿勢、アデンの太陽の下で、私が岩かげに少年を押し倒したものと同じ世界であることを認めようとはしない。
(そうだろ、そうだろ。)と、その基督像は私に囁いた。私は首をふつた。基督は今私のもつともよろこびそうな部分から誘惑しかかつてきているのだ。(その手にのるものか。)と私は呻いた。
われにかえつたとき、周囲を見廻した。奴等は來ていた。二年前とおなじように、聖母寄進臺の前で蝋燭をあげていた。
女は痩せていた。女学校の老嬢教師でも着るようなダブダブの黒服を着て、黒靴下をはいていた。両拳を顔にあてて、歯をくいしばつていた。それなのに、ジャックはその傍で昔のとおり腕をくみ、眼をとじたまま、たつている。はげ上つた頭にあわれな赤毛が汗で光り、顔をうごかすたびに寄進臺の燭臺の火影が、その縁なし眼鏡が、キラッ、キラッと光るのも同じだつた。
私にはなぜ、マリー・テレーズだけがこのように変つたか、わからなかつた。おそらく、彼女はあの舞踏会の夜からジャックに裁かれたのだろう。追いつめられたのだろう。私と肉慾の罪を犯したという汚れを消すため彼女は、痛責を身に課すことを要求されたのだろう。だがたしかなこと、重大なことは、この娘が、今、ジャックの暴君的な支配に從つていることだ。私がつき落したこの娘の過去は、逆に神学生の狂信の好餌となつたにちがいない。彼女はふたたびジャックの、この神学生の手に戻つたのである。
内陣の、太い、つめたい石柱に、頬をあてて、私はいいようのない怒り、情けなさを感じた。それは彼等にたいしてというよりはこのマデニエやジャックの世界のなかで、ひとり生きている自分にたいしてであつた――
五月十日、遂にナチ軍はオランダとベルギーの國境を突破した。マジノ線の幻影は、響きをたてて崩れおちた。
リヨンの停車場は北佛から、巴里から避難する人群、召集された将兵やその家族で大混乱していた。街は空襲にそなえて五時以後は無用な外出が禁じられた。
六月二十五日、遂に巴里は陥落した。そしてそれから一週間もたたぬある黎明に、リヨン市民は、ローヌ河の朝霧のなかからナチ軍の整然たる靴音と戦車の響きにあわてながら目を覚したのだ。
占領時代がその日から始まる。商店も住宅も、かたく戸をとざした。キャフェも映画館も午後四時からでないと開かない。市民たちは街に出ることをおそれている。プラタナスの街路樹が七月の灼熱に生気なくたれているレピュブリック街を、ただ、ナチ軍のサイド・カーのみが布を裂くような鋭い音を立てて走つていく。
私といえば家にとじこもつていた。待つていた。なにかが訪れてくるのを待つていた。 処刑、拷問、虐殺の日が近づいている。人間世界が、文明や進歩の仮面を剥いで、真実の面貌を曝けだす日がやつてくる。イボンヌと老犬の世界、アデンのアラビヤの娘と少年の世界、動かない白い太陽の下、焼けただれた褐色の草原と岩石とが本來の姿をとり戻す日がやつてくる。私は知つていた。
八月のまひる、私はジュランの街を用事で通りすぎた。占領にも幾分狎れはじめた市民たちは、ホッとしたような顔で、そこを歩いていた。
その時である。突然、背後で、呻るような独軍サイド・カーとトラックの響きをきいた。本能的に、私は前にある商店の閉じた戸のかげに身をひそめた。
けたたましい女の叫びがした。武装したナチ兵はトラックからとびおりると、狼狽、四散する通行人のなかに走りこんだ。手あたり次第、彼等は、ぶつかつた五、六人の市民の腕をとり、撲つたり曳きずつたりしながら、車の上に押しあげた。アッという間もない。彼等の車はそのまま通り過ぎていつた。
私たちにはなぜだか、その理由がわからなかつた。捕えられた市民が、全く偶然で選ばれたのはたしかである。「あの人たち反独運動者だつたのかしらん。」やがて街路のアチコチにかたまつて助かつた者はヒソヒソと話しあつた。ヴィシ一派の佛蘭西警官が来て、われわれに即刻、帰宅するように云つた。ひとびとは、うしろを振りむき、振りむきちらばつていつた。
翌日、私たちは、この狩りこみの理由を知つた。街角の至る所に五人の逮捕者のつぶれ凹んだような顔を写した写眞が告示された。
「リヨン占領軍は、忠誠なる独軍軍曹、ハンツ・ミューラを殺害せる反独運動者への復讐のため、左の五名の佛人を処刑することに決定した。我等はここに今後も独將兵の一人の血にたいし、五人の佛人の血を要求することを告示する。」
私は、ナチスのテロリスムの深謀に感歎した。彼等が市民の上に恐怖と不安を拡がらせ萎縮させる方法は、まことに科学的というより他はない。
十九世紀までの恐怖的政治や拷問は、むしろ衝動的、動物的なものである。血にうえた者、怒りや恐怖にくるつたものが、その衝動にかられて敵を拷問し、殺害する。この原始的なやりかたは宗教裁判やフランス革命にみられる通りである。
しかし、ナチはもつと近代的、二十世紀的だつた。人間を弱者とし、奴隷とする方法をつめたく、論理的に心得ている。おなじ拷問、おなじ虐殺でも、そこにはモルモットを殺す医師のような非情さ、強さがある。
たとえば、ポーランドの収容所では捕虜たちに塩分を與えなかつたという事實がそれだ。烈しい強制労働につかれた人間が塩を摂らねば、次第に衰弱していく、やがては疲労死をする。疲労死はおもてむき虐殺ではなく國際法上病死と宣言することができる。のみならず、この方法は一挙に大量の人間を死亡せしめるのに手間どらない。
私が見た「狩り込み」はもつとも熟慮されていたのだ。無実の市民たちは、狩り込みの日に、偶然、外出したため、偶然、その路を、その時刻に通り過ぎたため、死の犠牲者とならねばならない。偶然が彼等に死をもたらすという事實は、なににもまして恐怖を拡がらせる。ある生死をきめる法律規則が定まつているならば、人は、自分の運命をその法律、規則に順応させて救うことができる。しかし、偶然だけには、どうにも、たちむかうことはできぬ。リヨンの市民たちは、もうその日から一歩も外出することができぬ。外出すること、それは、あるいは死を意味するかも知れぬからだ。
抗独運動者の抵抗もその頃からポツポツ、烈しくなつたが、処刑されたマキの名は、必ず、目抜き通りに貼りだされる。私は、ユダヤ人であることがいつも処刑者の條件であることに驚いた。「ピエール・バンは、ユダヤ的人間である故に処刑す。」フランス人は、独逸人たちがユダヤ人を憎悪していることを知つていた。しかし、その告示を見る彼等は、内心、自分がユダヤ的血統でないことにホッとする。その時、彼等は、既にひそかに殺されたピエール・.バンを裏切り見捨てたのだ。バンがユダヤ的血統であれ、おなじ佛蘭西人であることを忘れるのだ。ナチは、こうして、佛蘭西人の卑怯な自己保全本能を利用し、彼等を分裂させることを企てたのである。
このことに氣づいた日から、私は好んで、黄昏、リヨンの街におりていつた。夕陽が、生けるもの一つない大道路を赤くそめている。街は幾世紀前に滅び捨てられたように死んでいる。それをみながらマデニエが今どう生きているか、ジャックやあの女がなにをしているかとフト思つたりした。けれども、その血でそめられたように赤い、だれもいない、一本のアスハルト路、その荒野や砂漠のような風景は私を感動させた。私は真実をそこにみたような気がした。
十月の上旬のこと、ナチに押えられたプログレ紙の下段広告のなかに、私は独軍使役の通訳、事務員の募集広告をみた。しかし、その日の広告は何時ものものと違つていた。それはリヨン占領軍の秘密警察部のものだつたからである。
ドイツ人を母に持つた私は、少しはこの國の言葉を話すことができた。私は、にがい、砂糖のない代用コーヒーを飲みながら、一時間あまりその広告を凝視めていた。この仕事が、自分に何をもたらすかを知つていた。ふと母が、死ぬ前に譫言のなかで叫んだ、「あたしは独逸人じゃない。佛蘭西人として生きます。」という言葉が、臓腑の底から苦い味をもつてこみあげてきた。およし、お前は裏切るつもりなの、およし、母は必死で叫びつづけていた。
だが、やつぱり私はソーヌ河のほとり、リヨン市裁判所の裏の黒い寒い建物にでかけた。拳銃を持ち、市民証をみせることを要求した独兵に、私は、今朝新聞をみたのだといつた。尿の臭いのする小室につれていかれた。口ひげをはやし頬のやせこけた一人の男がションボリすわつていた。スペィン人だと名のつた。右の耳が欠けていた。
「革命戦争の時、なくしたんだよ。」と彼は云つた。私たちは、それつきり黙つて夕暮の陽溜りの中で向い合つていた。
彼のあとで私は呼ばれた。むきだしの壁にとりかこまれた寒々とした部屋のなかで、机を前にして、太つた、中年の中尉が一人、腰かけていた。彼のたるんだ皮膚が印象的だつた。この男が秘密警察に勤めているとは考えられなかつた。前歴をひとつ、ひとつ訊ねるたびに彼は大儀そうに眼をしよぼしよぼさせた。その眼は浜辺にうちあげられた腐魚の眼のように、濁りぬれていた。(アル中かナ。)と私は考えた。父の眼が思いだされた。
午後の光が窓から引いていく。卓上の燈をともし、中尉は書類に私の返答を書きこむ。
突然、遠くで野獣の呻きにも似た悲鳴をきいた。聲は、瞬間、途絶えたが、次に烈しい叫びに変つた。それつきり、非常にしずかになつた。中尉は顔もあげなかつた。私は採用された。
Ⅷ
松の実町はリヨンのフルビェール丘陵とクロワ・ルッスとの丁度、境界にあるながい坂路である。私は独逸秘密警察がここを訊問所にえらんだことを至当だと思う。人目につきやすい市内や無数のアパート、人家の集中している他の街々とちがい、ここは長い褐色の土塀が内部の家を全くかくしている。いかなる拷問の絶叫、悲鳴も、ひろい庭に妨げられ、恐らく外に洩れ聞えることは、まずあるまい。
占領前は、リヨンの有力な地主が所有していたこの館は、館というより、むしろ大きな農家に似ていた。広い庭には小作人たちの宿る二軒の小屋があり、その小屋から母屋の厨まで、地下廊がつないでいる。秘密警察が訊問に使つたのは厨である。私はそのほかの部屋のことは殆ど知らない。彼等は私が勝手に歩きまわるのを禁じたからだ。
はじめて、その家に連れていかれたのは四十一年の一月のことである。中尉は私をサイド・カーにのせ、ローヌ裁判所裏のゲシュタポ東部から突然、この人影ない松の実町を訪れた。
それは夕暮のことだつた。リヨン特有の黄濁色の霧が、もつれ合い、からみ合いながら、二三日前ふつた残雪の上を舐めるように這つている。凍み雪は、夕闇のなかで、そこだけ蒼黒く光つていた。私は凍み雪をふむ中尉の長靴が、かすれた音をたてて鳴るあとを、無言でついていつた。中尉も、何故ここに来たのか、何をするのかを一言も云わない。
館の窓々は、ペンキの剥げた鎧戸でかたくとじられている。時々冬枯れた庭の林のなかで、木の割れるような音をきいたが、そのほかはすべて静まりかえつていた。海鼠色の家壁には、刺のある灌木が這いまわつていたが、それを見た時薔薇だナと思つた。なぜか、クロウ・ルッスの路にまひる、散つていたグリーシヌの花が心にうかんで、すぐ消えた。
厨の前に行くと、外套を着て拳銃を持つた独逸兵が戸口に靠れていた。若い兵士である。挙手の礼をすると彼は大きな鍵を戸の穴に入れて中尉と私とを通した。
灯もともさぬ厨の翳のなかに、二人の男が粗末な木椅子に腰をおろしていたが、私たちを見るとたち上つた。中尉が、二人と聲をひそめて話しあつている間、私は、この壁にかけられた大きなフライパンや、厨の真中にある煤煙で、もう何十年來燻ぶり煤けた壁を眺めていた。ながしには、独逸兵のギャメル(飯盒)が三つ並べてある。
中尉は私を呼びそして二人の男に私の名を言つた。彼等は独逸人ではない。灰色の夕闇のなかで、頬のこけ落ちた長い汗まみれの眼だけが熱つぽく光つている一つの顔をみた。
「俺、肺病なんだ。」アレクサンドル・ルーヴィッヒと呼ぶそのチェッコスロバキヤ人はポケットに手を入れたままなまりのあるドイツ語でそう云つた。
もう一人の男、アンドレ・キャパンヌは私の顔をただ白痴のようにながいこと凝視するだけだつた。すき通るほど白い顔である。差し伸べた私の手を受けとろうともせず、血管でにごつた眼で私をながめた。
「どうして、挨拶しないんだ。」アレクサンドルは嗄れた聲で、く、くと笑つた。「あんたら、佛蘭西人じやないか。」空咳をして彼は床に唾をはいた。しかし、アンドレ・キャパンヌは、ふたたび部屋の隅に戻り、壁に靠れたまま動かなかつた。
厨では訊問や拷問が行われた。
そのうち厨の隣にある小窖からひきずり出された容疑者が戸口にあらわれた瞬間から、私にはこの男が、拷問に耐えうるか、否かがわかるようになつた。マキの一味をかくまつた農民、抗独運動者の連絡書を受け継いでやつていた若い銀行員、反独宣伝文を秘密に刷つた印刷屋など、彼等は叫んだり失神したりする。歯をくいしばつた時、苦痛にたまりかねて呻く容疑者の顔は美しいこともある。
だが私はただ、丁寧に大儀そうに訊問する中尉の言葉を佛蘭西語で相手にきかせる機械にすぎない。
「かくまつたマキの名をいえよ。」
「知らねえな。藥と食料をくれてやつただけですしね。」
「じや、なぜ、そのマキは、君の家を選んだんだね。」
「十二日の夜、だれかが戸口を叩いたんだ。妹が出てみたら、負傷したマキだつたんでね。藥と食物を持つて、そのまま出て行きましたよ。」
「そうかね。手数をかけるね。」
中尉は、最後の言葉まで大儀そうに云う。アレクサンドルはゆつくり上衣をぬぐ。容疑者は、まだ拷問されるということが信じられない。彼は中尉のねむそうな顔を不安げにうかがう。ホースの一撃で椅子からころげ落ちた肉体から、鈍い、しかしずつしりと重量のある打音が規則正しく響く。しばらくの間は、黙つて耐える容疑者たちもいるものだ。最初の呻きが洩れると、それは、丁度、酔つぱらいの鼻のように加速度に悲鳴をたかく上げていく。ピシッ、ピシッとなる乾いた間隔的なリズムにあわせて、高くだんだん高く彼は叫ぶ。顔を腕で覆う。顔を覆つたまま芋虫のように床をころげまわる。アレクサンドルの顔も汗まみれになり、その眼は痺れるような快感でギラギラ光りはじめる。撲たれる者の聲さえ、その時は、撲たれることにある情慾的な悦びを感じているみたいだ。呻きがドス黒い咆哮に変るとき、息づかい荒くアレクサンドルは撲る。「ハッ、ハッ、ハ。」と彼は叫ぶ。叫びながら時々くろい痰を吐く。薄暗い厨の隅で、中尉はそれを、ぼんやり凝視めている。「これじやあ、俺も、もうすぐ死ぬなあ。」痰で唇を汚しながら肺病の拷問者は譫言のように呟く。
やがてアレクサンドル自身は口をきくことも出來ず、腕をやすめると、肉慾の悦びが突然引き退いた時のように、その眼は黒く空洞のように凹むのだ。
それからアンドレ・キャパンヌがたち上る。彼はながしから水を入れた飯盒をとつて、それをうつ伏している男の顔にかける。
拷問者の性格によつて、被拷問者の呻き、悲鳴、絶叫の聲音が違うのを、私ははじめて知つた。アレクサンドルが撲る時、そこにはたんなる拷問だけではない、なにかいまわしい情慾の遊戯が感ぜられる。撲つこと、一人の人間の肉体を、責めることに肺病やみは、快感と陶酔とを感じている。容疑者にも、その情慾が伝わるのか、呻きや悲鳴のなかにもなにか、痺れるような刺激があつた。
けれどもアンドレ・キャパンヌの場合はそのような陶酔は感ぜられない。ホースを振りおろすたびに、にぶい、かたい音が、相手の肉体から響くだけである。アレクサンドルのように、わめきも、罵りもせず、額に栗色の髪をおとし、蒼い顔をうつむけたまま、事を運ぶこの男に、私はなぜか、興味を覚えた。アレクサンドルと違い、キャパンヌが陶酔しないためだろうか。佛蘭西人に生れながら、佛蘭西を裏切り、といつて、独逸人にもなりえないノケ者の影が、その蒼白なやせた顔を削りとつていた。拷問のにぶい音をききながら、私は屡々、キャパンヌが相手だけでなく、自分を撲つているのだなと考えた。他人からだけではない。自分でも自分を呪わねばならぬ運命が、たしかにこの男を歪めていた。
けれども、また私は、彼等と交際しているうちに、拷問者というものは、一般に考えられているような単純な野蛮者、暴力者ではないとはつきりわかつた。
ある黄昏、私は、中尉が松の実町の邸に棄てられてあるピアノを奏いているのを見たことがある。先ほどの拷問の時に、腐魚のように濁つてみえた彼の眼は、その時イキイキと赫いていた。夕陽がその額と銀髪とを薔薇色にさえ、そめていた。
「音樂をお好きですか。」と私はたずねた。「俺か。」と突然、彼は顔をゆがめて答えた。「モツァルトが好きだなあ。俺は召集されぬ時、毎夜、妻と子供と合奏したものだ、モツァルトは素晴らしい。」
松の実町で訊問のない日、私は中尉の事務室でタイプを叩きカードを整理した。
中尉はまだ、私を信用しきつていなかつた。彼の事務室から勝手に出あるくことは禁じられていた。けれども、私は、まわされてくるカードを分類し、コッピイしながら、秘密警察の能力がかくも精密をきわめているのを知つて鼻をならしたものだ。カードはたんに占領軍に物資を納入する佛商人、リヨンに転入する難民たちの経歴調査にすぎなかつたが、それは履歴、人相、特徴だけではなく、行きつけの料理屋、交際する友人の名、親類の職業等に至るまで、時には情婦や妾についても洩れなく調べあげられている。「俺のことも――。」と私は考えた。彼等が私の外出中、ひそかに調査に来なかつたと、どうして云えよう。母の死後、私は身の周りを一週三回、リシイーヌと呼ぶ家政婦に世話をさせたが、この家政婦も奴等か、抗独運動者の手先さえかも知れない。疑おうと思えば、通行人さえ疑わねばならぬ日である。しかし、中尉や秘密警察や抗独運動者がいかに私の身辺を詳細洩れなく調べあげても、彼等は私の過去の思い出を、私を育てたもの、イボンヌと老犬の光景、アデンの少年との事件を知ることはできまい。そこに、中尉、アレクサンドル、キャパンヌさえも私から奪うことの出來ぬもの、私と本質的に違うものがあつたのだ。
四一年の一月と二月もこうして終つた。ここの所、私たちは久しく松の実町に行かなかつた。けれどもある日、私がタイプを叩いていた時、中尉が事務室にはいつて來た。例によつて彼はくたびれた様子をしていた。その態度で私は今日、訊問があるなとわかつた。中尉は拷問の前には、いつももの倦げな表情をうかべる。
「君、リヨン大学に一九三八年にいたな。」と彼はたずねた。私はタイプに指をおいたまま、黙つていた。彼等は私について何か洗いだしたのか、疑いはじめたのかという予感がしたのだ。
「この男、知つているかね。」
投げ出された一枚の写真は私の机の上に落ちた。焼きつけと洗いが悪いのか、輪郭の曖昧な、黄色に変色した一人の青年の写真である。そいつは心持ち、首をかしげたまま、縁のない眼鏡の奥で、暗い小さな眼を見開いたまま、おびえたように、こちらを眺めていた――
私は「ほーう。」と叫んだ。
「見覚えがあるかね。」
「あります。」と私は答えた。「神学生でしてね。」
「ジャック・モンジュといわなかつたかね。」
「いいましたよ。」
「やつぱりそうか。」
「どうして、こいつ逮捕されたんです。」
「奴か。第六区のマキの連絡員をやつていたのさ。カトリックの坊主たちが、どんなに狡猾か、奴等はミサをあげながら、内乱運動をやつているのだからな。」
「訊問ですか。」
その午後、中尉は私をサイド・カーに乗せた。すべてが、いつもと同じようだ。リヨン特有の黄濁した霧は、松の実町を既に包んでいた。このしずかな坂路を歩いている佛蘭西人は一人もいない。(ジャック、お前が。)お前はマキの一味だつたのかと心のなかで云いかけて、私はそれを殺した。(いや、お前のやりそうなこつたな。お前なら、そうするのが當然だつたかもしれないな。)私は二年前の秋窓から陽の束が流れ落ちる教場で、「肉慾のなかでそれは一番怖しい。」と叫んだ、あの男の汗にぬれた顔を思いだしてみた。
サイド・カーをおり中尉は皮靴を軋ませながら、蕭條たる風のなかを無言で先にたつて歩いた。鎧戸をしめた窓々は、犠性者たちの叫びを外に洩らさぬため、固くとじられている。背後で冬枯れた林の樹々が寒気に、皹割れる乾いた鈍い音を聴いた――
何時ものように厨の戸口には鉄兜をかぶり、厚く外套の上に帯皮で拳銃を肩からつるした兵士が待つていた。厨のなかを咳きこみながらアレクサンドルが歩きまわり、ジャックは隅の壁に靠れていた。
「やつたかね。」
と中尉がきいた。
アレクサンドルは肩をすぼめた。
風が厨の窓硝子をカタコトならしている。私は目をつぶり、灰色に渡つてゆく風の姿を思いうかべる。私には、もう何千年もの間、亦、何千年もの後も、風はこのように吹き渡り、窓硝子にカタコトと鳴りつづけるように思う。そして、この厨だつていつの日か灰塵に帰す日はあつても、私がジャックを拷問する姿勢は風のように残る。中尉、アレクサンドル、キャパンヌは死んでも、次の奴等が亦生れてくる。ジャックは、この不変の人間姿勢がいつかはなくなると信じている。しかし私は信じない。私はかかる人間を変えられぬものと思うし、その人間を軽べつしている。
厨の戸が軋み、私は夕翳のなかで、そこだけ夕顔のように浮び上つている布片を見た。白い布片は彼の黒い修道服の胸もとから裂け落ちた皮膚のように垂れ下つている。
頬から顎にかけてジャックの顔は赤黒く光つていた。眼鏡を奪われた上に、急に明るみから翳のなかに突きだされたためか、彼は真正面にいる私を見わけることが出來ない。その眼には何の感情もなかつた。
ただ三年前と同じように頭ははげ上り、赤毛が僅かにそこに残つていなかつたら、私は彼を見まちがえたかもしれぬ。彼は床にしやがみこんでうつむいていた。
夕風がまだ吹きつづいている。先程までながしの硝子窓から僅かに洩れていた、淡い陽はもう殆ど息たえている。私は暗紫色の翳にすわつて、地面に横たわつているジャックを見ていた。しずかだつた。中尉、アレクサンドル、キャパンヌは一息入れに、母屋の何処かに珈琲を飲みにいつていた。「一晩中かかるな、これは。」戸口を出しなにアレクサンドルはそう云つた。
拷問中ジャックは殆ど呻かなかつた。私は最初、キャパンヌが、次にアレクサンドルが撲りつけるのを見ながら、ジャックは恐らく耐えるだろうナと思つた。彼の肉体に、くい込むかたい、鈍い響きを聞きながら、その肉体がどこまで耐えるかを待つた。ふしぎに私は一方ではジャックが絶叫するのを待ちながら他方では、耐えろ、耐えろと念じていた。だがもし彼が拷問に屈し中尉の嗄れた低い聲が甘くやさしく問いつめるままに、リヨン第六区の他の連絡員の名を云つたならば、私は勝つ筈だ。人間はやはり信じられぬ。人間は自己の肉体の苦痛の前にはやはり、すべての人類への友情、信義をも裏切る弱い、もろい存在である。
窓の外で、また、冬枯れた枯木が冷い鋭い音をたてて皸割れている。二年前、あの教場でマリー・テレーズの横に坐つていた彼、授業前のひととき、ノートを指さし、なにかを説明してやつている彼、彼とともに、あの教室で一緒に、腰かけた、いろいろな学生たち、その若いあかるい笑い聲、たとえばモニックの微笑が一時に甦つて來ないでもない。
床の上でジャックは四肢を痙攣させていた。ながしの飯盒に水を入れ、私はそれを、少しずつ彼の顔にたらしてやつた。
修道服からはみでた下着には血が溝のように滲み流れている。
「ジャックうー。」私は小声で低く云つた。彼はえぐられたように凹んだ眼をあけた。はげ上つた額と頭とは油を流したようにドロドロとしていた。
「ジャック、俺だぜ。」
やつと唇をふるわせた。なにを云つているのか、わからない。舌が一つの生きもののように、鼻や顎に残つている水滴を求めた。
飯盒を私は彼の口にあてがつてやつた。「俺のこと覚えていたかね。」
かすかに彼は肯いた。
「覚えていたかな。」私は彼の横にしやがみこんだ。
血のりを拭つてやる、飯盒の水を、ふたたび、口にあてがう、その私の動作の一つ一つをジャックは空虚な眼をして、されるがままになつていた。
「お前、俺を覚えていたかな。」と私はまた訊ねた。
彼は肩で喘ぎながら呟いた。なにをいつているのかわからなかつた。
「なんだつて?」と私は彼に耳をよせて彼の呟きを聞きとつた。
「え、そうか、俺がいたからか。お前が拷問にたえたのは俺がいたからだな。」私は低く嗤つた。私はそのような心理を計算してはいなかつた。そう、そうかも知れぬ。
「煙草を喫むか。」
私は配給の黒ゴロワーズを二本、ポケットからとり出し、その一本を彼に与えた。
「お前、俺がそんなに憎いか。」
「憎くない。」虫のような聲で彼は答えた。
「憎まずに何故、抗独運動に参加したんだ。」
「基督者、憎悪のため闘わない――正義の――。」
私は嗤つた。正義のため? ジャックはまたふたたび、あの教場で、私に説法し、床にひざまずいて祈つた男の面貌をとり始めた。
窓の外で樹々の枝が、亦皹割れる音がする。私は、先程、自分の前を凍雪をふみつけ歩いた中尉の皮靴の軋みを思いだした。(そうだ、ジャックを拷問するのはアレクサンドルやキャパンヌではない。この俺でなければならないのだ。)早くせねばならぬ。彼等が帰つてくるまでに話をつけておかねばならぬ。
「君、ここで――」
煙草を持つている彼の右手はかすかに震えていた。
「俺か? 俺はA・SやF・F・Iに参加したリヨン大学の学生を調べる仕事をしているのさ。ナチは目的のために手段を選ばぬからな。佛蘭西人である俺は旧リヨン大学の学生であつた限り、結構飯をくわしてくれるのさ。」
ジャックは小さな、暗い眼を私の方にむけた。それから「君こそぼくを憎んでいたのだな。」といった。
「うむ、俺はお前を憎んでいるよ。それをお前は、あの大学時代から知つていたろうが。」
「なぜだ。なぜ、ぼくが。」と彼は喘いだ。「ぼくが憎いんだ。」
「お前が現代の英雄になりたいからさ。」私は自分の煙草にゆつくりと火をつけて考えこんだ。
「お前が、もし、俺たちの責道具に口を割らぬとしたらだ、そりや英雄主義への憬れ、自己犠牲の陶酔によるものじゃないか。酔う。恐怖を越えるためになにかに酔う、死を克えるために主義に酔う。マキだつて、お前さん等基督教徒だつて同じことだぜ。人類の罪を一身に背負う。プロレタリヤのために命を犠牲にする、この自分、この自分一人がという涙ぐましい犠牲精神がお前さんを酔わしているんじやないか。ナチの協力者、裏切者のこの俺が、お前の肉体をいかに弄ぼうと、お前はユダのように魂を売りはしない、そう思つているんだろう。そう信じこんでいるんだろう。だが、そうは問屋がおろさない。」
闇は次第に迫つて來た。それは波のようにながしの向うの窓硝子を濡らし、それを浸しはじめた。私は黙つているジャックの顔のほの白い輪郭しか、もう見えなかった。しかし、見えなくても、その表情はわかつていた。
「俺のあの学生時代から、お前が、英雄になろう、犠牲者になろう、としているのを知つていた。だから、俺は、お前の、その英雄感情や犠牲精神をつき落してやろうと考えた。考え続けた。俺は今、それがやつと自分にわかつたんだ。お前だけじやないさ。俺は一切そのような陶酔や信仰の持主が憎いんだ。彼等はウソをつくからな。他人だけではない、自分にもウソをつくからな。
ジャック、ナチスムは政治だぜ。政治は人間の英雄感情や犠牲精神を剥奪する方法をちやんと知つているんだ。犠牲感情だつて、自尊心がなくつちや存在しない。だが、この感情はもろく砕いてみせられる。お前、ポーランドのナチ収容所の話をきいているだろ。はじめは、そんな陶酔に酔つた闘士が沢山いたらしいな。彼等は、お前と同じように、一人で殺されるのを待つていたらしいな。そこには英雄の孤高、英雄の死という、くすぐつたい悦びがあるからな。所がだ。ヒットラーはちやんとそれを見抜いていた。奴等を無名のまま集団で殺した。ヒットラーはそんな文学的、感傷的な死に方を彼等に與えてやらなかつたのさ。」
私はたち上つて、厨の壁をまさぐり、スイッチを上げた。六十燭光の電光は、はじめてジャックの顔を私にはつきりと見せた。その顔には全く影がなかつた。影のない顔には、いかなる心の動きもあらわれぬ。それはひらたく凹み、マスクに似て、憎みも苦痛もなかつた。
このマスクに烈しい怒りを感じた。その顔をゆさぶり、歪めたかつた。私の眼はおのずと、床にころがつているアレクサンドルのホースに注がれた。
「わかるのか。文学的、個人的な死などは十九世紀までの被告の特権だぜ。殉教者、ルネッサンスの反抗者、革命時代の貴族階級、彼等は死ぬ時でもこんな特権を持つていたのさ。
だが、今日はそうはいかない。何しろ二十世紀だからな。万事、集団の二十世紀だからな。お前さん等、個人、個人の英雄的な死、文学的な死まで与えてやる余裕なんぞ、ありはしない。」
「しかし君だつて。」ジャックは突然ひきつつた声で叫んだ。「君だつて悪に陶酔しているじやないか。信じているじやないか。」
「悪は変らないさ。」
ジャックの手は、裂けた修道服の間をまさぐつていた。「変る部分はない。」と私は大声で叫んだ。細い白い彼の指のあいだがら、私は、銀色の金属が、キラキラと光るのを見た。それは十字架だつた。修道服の裏帯につけられたコンタツの先の十字架だつた。
「お前が、拷問をしのべたのは、俺がいたからではなくて、その十字架を握つていたからだな。」私は体が震えるのを感じた。.
「十字架をこちらに出せ。」
「イヤだ。」と彼は叫んだ。血と汗とでドロドロになつた顔をこちらにむけた。
「十字架が、お前に陶酔を教えるんだ。」
私は平手で撲つた。ジャックは十字架をかたく握りながら、左手で顔を覆い防いだ。私は今度はホースをふりおろした。彼の肉体にそれがぶつかる時、私の掌は、焼きつくような熱を感じた。太陽はアデンの空に、ギラギラと燃えていたのだ。ただれた褐色の草の向うに、岩は濃い翳をおとしていたのだ。私は少年を、ジャックをそこに押し倒した。私が踏みつけ、撲り、呪い、復讐しているのは、その少年、このジャックだけではなかつた。それはすべての人間、幻影を抱いて生れ、幻影を抱いて死ぬ人間たちにたいしてであつた。彼は床の上を芋虫のように転げまわつた。転げまわるたびに、下着がちぎれた。「悪魔。」と彼は叫んだ。「悪魔 !」奴の白い皮膚は私の情慾をあおつた。
「もういい、あとは俺たちがやる。」
ふりむくと、戸口に中尉、アレクサンドル、キャパンヌがたつていた。
「中尉!」と私はホースを投げだして叫んだ。「この男に口を割らしてみましようか。」
彼は私を疑わしげに眺めた。
「マリー・テレーズという女学生がいます。その女を責めるのです。この男の前で。」この夜私はユダをまた利用した。
Ⅸ
私がベッドの端に腰をかけている間、マリー・テレーズは、追い迫られた獣のようにあとすざりをしていく。
その指はドアのノブをまさぐりながら、カチッ、カチッと、奇妙に、かたい音を響かせた。ノブはむなしく廻つただけである。
彼女はソバカスだらけの頬をクシャクシャにして泣きはじめた。まるで六つか、七つのいたいけな幼女の泣き聲にそつくりである。
黒いケープが、彼女の体から灰でも崩れるように、地面に落ちた。私には、そのビロウドのケープが見覚えがある。二年前、あの舞踏会の夜、彼女は、この黒色のケープに身を包みながら、ジャックの代りに私を選んだのだ、だが、今夜、彼女は、生きのびるためにはふたたび、ジャックを裏切らねばならぬ。
私は耳をそばだてたが、隣の厨から、咳ひとつ、きこえない。奴は気絶したのか。もし、今度、口を割らねば、アレクサンドルは私に合図することになつている。そして私はその時――
夜がきた。灯をつけた。一匹の蝿が部屋の中をとびまわつている。この部屋には前の持主の趣味らしいニセのバロック風のシャンデリアがぶらさがつていた。光がマットだけのベッドや、手垢でふちのよごれた椅子の長い影を床に落した。壁には、十八世紀の服装をした男女たちの遊ぶ、ふるいリヨンの風景画が、いくつか、かけられてある。ナチたちは、この部屋をそのままにしておいた。三年前、ここは客用の部屋か、あるいは娘たちの寝室だつたのだろう。
マリー・テレーズは片隅で肩を震わせてしやくりあげていた。
「本当になんとか、ならないものかなあ。本当に困つちやつたな。あんた。帰りたいだろ。ジャックさえ、チャンと話してくれれば、あんたも彼も無事ですむんだがな。」そんな風にひとりごちながら私は時間をつないだ。彼女の泣聲と部屋をとびまわる蝿の羽音がいつまでも長くつづき途絶えない。
二年前、あの舞踏会の夜、私が計算し、演出した戯曲は、大詰に近づいている。摂理という言葉がある。人間の不測の運命にたいする基督教の考え方だ。なるほど、私が、ナチの拷問者の一味に加わり、その拷問の場所にジャックとマリ一・テレーズがまき込まれるということは、この私が考えたことではない。ハッキリ云えば、私はあのサン・ジャンの教会で彼等が祈つているのを見た黄昏から、この二人の運命とは別れたつもりでいた。彼等を棄てた気でいた。けれども、奴等は、また、私の運命のなかに舞い戻ってきたのである。私の意志をこえて誰がそうしたのかは知らぬ。
私は指を噛みながら、ジャック、マリー・テレーズ、私という人間が互に相結ぶ三角形が、次第に収縮していくのを感じた。マリー・テレーズが、無事に、この部屋から出るためにはジャックは同志を裏切らねばならぬ。リヨン第四区の連絡員の名、住所を口割らねばならぬ。その時、彼が裏切るのは同志だけではない。彼が腰にさげた銀色の十字架、その十字架にたいしてである。
だが一方、このソバカスだらけの顔をゆがめて泣いている娘は、私にどう云う関係をもつのだろうか。ジャックが裏切らねば、アレクサンドルやキャパンヌは彼女を凌辱するだろう。ジャックだつて凌辱という行為が、たとえ、強要されたものにしろ、若い娘に決定的であるぐらいは知つている筈だ。所詮、今夜、二人は互に裏切るか、裏切られるかの位置におかれている。そして、私はジャック、ジャックだけではない、基督者に革命家にマデニエに、ジユール・ロマンに勝つか、まけるかわかるだろう。だが、このように、私たち三人をピンセットで実験臺におき人形のように賭を強いたのは私ではない。決して私ではない。私でないとすれば、それは――
やっとシャンデリアのまわりを廻転しつづけていた蝿が、暖炉の上の壁に、とまつた。すると静寂が一挙に、この部屋にやつてきた。蝿は羽をたたみ、前脚をながく揃えて擦り合わせる。その滑稽な身ぶりを私は指を噛んだまま眺めた。
彼はまた飛び上った。しかし今度はシャンデリアの方にはむかわずに、その映像の反射している窓硝子に体をぶつけ、腹だたしげに駆けずりまわつた。
突然、私は、その窓硝子に、さきほどのジャックの銀色の十字架を、その幻をみたような気がした。私が描いた三角形に、なぜか、計量し足らぬ一点があるような気がした。思わず、私は不安にかられ、マリー・テレーズをふりかえつた。
だが、彼女は、泣きやんでドアの下に崩れ落ちている。地面についた膝から、床に、ほとんど平行に両脚が投げだされていた。
私は今まで、この娘のやせた、ソバカスだらけの顔しか知らなかつた。彼女がこのように形のいい若鹿のように伸びきつた脚をもつているとは思つたことがなかつた。のみならず、まくれたスカートと、灰色の靴下とのあいだから目にしみるほど眞白い太腿がハッキリのぞいていた。
私は唾を飲んだ。あのグリーシヌの花のちるクロワ・ルッスの坂路で、老犬をくみしいたイボンヌの腿もこんなに白くはなかつた。のぞきみえた、彼女の腿の一部分は朝がたに口をつけたばかりの乳のように純白であり、恥しげだつた。
自分のあらい息づかいを聞いた。私がそそのかされたのは、たんに情慾だけではない。ただ私には、このソバカスだらけの娘がこのような純白さを肉体にせよ、持つていることに烈しい妬みを感じた。それはたしかに私が生れてから持たなかつたもの、神から奪われたものだつた。羽を拡げた蝙蝠のような私の影が暖炉から戸口にちかづいた。その時、厨から、響きがした。
そいつは肺病やみのアレクサンドルの空咳だつた。からんだ痰を吐きだすため、彼は、引きしぼるような咽喉音をたてた。
「しぶといなあ、神父さん。」
それから、隣室の私たちには、ききとれぬヒソヒソとした囁きがつづいた。私はマリー・テレーズの肩に手をおいたまま、ジッとしていた。蝿はまた窓硝子にぶつかり、乾いた腹だたしげな音をたてはじめた。
「君が叫べば。」と私はひくい聲で云つた。「ジャックは裏切るぜ。裏切らせたくないなら。」私の手は、彼女の、ひきしまった膝の肉に触れた。
まだ、アレクサンドルがなにか呟いていた。こちらの指は、虫のようにマリー・テレーズの膝の上を這いまわつた。
隣室から、溜息とも呻き聲ともつかぬ聲が洩れた。泣き聲だつた。一時間に渡るさきほどの拷問にも、聲一つ洩らさなかつた奴が、今、泣きはじめた。あの男、泣いているな。あの男が、ジャックが、他の人間たちと同じように、遂に肉体の苦痛に負けた時、殆ど子供にも似た聲で悲鳴をあげているなと私はぼんやり思つた。
リズミカルな硬い音が、泣き聲のあいだに、正確に加わると悲鳴はそのたび毎に高くはずんでいつた。それは落下速度を増す雪なだれににていた。ジャックは崩れていく、崩れていく。
女はもう私をふせごうとはしない。彼女の眼はひきつつたように見開かれている。その膝がしらだけがはげしくふるえた。
女の耳もとで、私はなにかを囁いた。なんでもない、叫ぶな、と云つたのかも知れない。覚えていない。譫言のように、囁きつづけた。女の方は魂の抜けた人形のように私の顔を凝視していた。私の聲を聞いているのか、どうかも、わからなかつた。
覚えているのは、その時、彼女が、力の抜けた病人のようにたちあがつたことだ。
「ゆるしてくれよう。ゆるしてくれよう。」厨からジャックが子供のようにすすり泣く聲がきこえた。「ゆるしてくれよう。彼女をはなしてやつてくれよう。」声は途切れ、なにもきこえなくなつた。
「気絶だろ。」中尉のだるそうな聲がした。「水をかけてみろよ。今度で口を割るだろう。」
突然、マリー・テレーズは、両手でブラウスのホックをはずし始めた。私には最初、その意味が、ほとんど、理解できなかつた。彼女は眉と眉のあいだに、くるしげな皺をよせて、胸を大きく開いた。それから突然、そこを両腕で覆おうとこころみた。
「ぶたないで。ぶたないで。」と彼女は白痴のように唇だけを動かした。
「え、なんだつて、え、」私は耳をさしのべた。突然、一切の意味がわかつた。私の想像していた戯曲、私の演出する芝居は、もつと悲壮なもつと悲劇的なものの筈だつた。しかし、今この娘までが、ムーラン・ルウジュ的な喜劇の女優になりたがつていた。聖女になりたがつていた。.
ブラウスの胸もとにふるえる手をかけて、私は烈しくそれを引き裂いた。うすい胸をかくしたレースの下着も引き裂いた。三年前、あの陽光の注ぐ法科教室で、私は今とは別の気持で、しかも、本質的には同じ衝動で泡のようにやわらかな下着を引き裂いた。あの時、私はなぜそれをしたのか、自分でさえ、理解できなかつた。しかし、今、私は自分の手のなかでブラウスと下着の引き裂ける鋭い音をききながら、くるしげに歯をくいしばりながら耐えている彼女の顔をましたに見おろしながら、はじめて、処女強姦の意義、意義といつて妙ならば、その使命を理解した。――泥沼の底から熱湯が吹き上げて――(俺は、犯す、俺は犯す。)と私は呻いた――歯をくいしばつた私の眼底にはもはや、マリー・テレーズは存在しなかつた。私が、今、凌辱し、汚すのはすべての処女、その処女の純白さ、無垢の幻影であつた。男性は純潔の幻影を破壊するために存在するのだ。純潔の幻影のなかには、ジャックの十字架像がかくれていた。基督者、革命家、マデニエのような人間が、未來に、歴史に抱く愚劣な夢想、陶酔がひそんでいた。
――私は木片のように、波に押しながされ、水底に吸いこまれた。
死んでいた。幾世紀も死んでいた。部屋の蝿は唸りながら電燈の周囲を駆けずり廻つていた。
「気絶したのか。」
「いや、気絶したふりをしているのでしよう。」
ヒソ、ヒソととりかわす中尉とアレクサンドルの聲が壁を通してまた洩れきこえてきた。女は白い片腕で眼を覆つて私の眼の下に横たわつている。私がその死体のような肉体に、ふたたび、衣服をまとわせる間、彼女は人形のように片脚を持ち上げられたり、寝がえりをうつたりされるままになつていた。
「死んだ?」
「死んでます、これは。」
バタバタと走る音、飯盒に水を注ぐ、するどい響きにまじつて、
「舌を噛みきりやがつたんだ。」
と叫ぶアレクサンドルの聲がした。私は壁にかけより耳をあてた。彼等がジャックの体をゆさぶり、ひつくりかえす身ぶりも手にとるようにわかつた。
そうか、舌を噛んだのか、私は壁に頭を押しつけた。固い重い音が頭で響くのを聞いていた。しらぬまにその頭をいくども壁にぶつけながら拍子をとつていた。悲哀とも寂寞ともつかぬものが胸をしめつけはじめた。かつてホテル・ラモでマリー・テレーズを屈服させた瞬間、私はこれと同じかなしみを味わつた。かなしみというより、非常にふかい疲れに似ていた。埋めるべき空間に埋めたあと、もはや、なにをしてよいのか、私にはわからなかつた。(母を喪った時、私は決してこのような感情を味わなかった。)まるで、私がジャックをながいこと愛しつづけ、その愛に裏切られ、喪つたような気持だつた。
そうか、舌をかんだのか、ほんとうに私はそれを予想していなかつたんだ。自殺はカトリック教徒には、絶対に行つてはならぬ大罪であつたからである。
(お前、神学生じやないか、それなのにお前は、この永遠の刑罰をうける自殺を選んだのだ。)
悲哀にみちた灰色の海の上でしずかな腹だたしさが次第に荒れはじめた。
(意味がない。意味がないよ。)と私は呟いた。(お前は自殺によつて俺から脱れたつもりなんだろ。同志を裏切るべき運命やマリー・テレーズの生死を左右する運命からも脱れたつもりだろ。ナチも俺も、もう、マリー・テレーズをお前のために使うことはできない。だが、それがなんだ。お前は俺を消すことはできない。俺は今だつてここに存在しているよ。俺がかりに悪そのものならば、お前の自殺にかかわらず、悪は存在しつづける。俺を破壊しない限り、お前の死は意味がない。意味がない。)
マリー・テレーズは片腕を顔にあてたまま、みじろがなかつた。彼女が今の厨のもの音、叫びをきいたか、どうかは知らぬ。ただ、私は、彼女の腕のあいだがら、透明な泪が、すこしずつ、すこしずつ、流れていくのをみた。(意味がない。意味がない。)
「ジャックは死んだよ。」
私は兄のようにやさしい聲で告げた。彼女の唇はふるえながら、なにか答えようとしていた。
「え、なんだつて。」耳をその口もとに近づけたが、それを聞きとることはできなかつた。ウワ言のような、しかしウワ言ではない奇妙な旋律をまじえながら、この娘は歌を歌つていた。
私は非常に、非常に疲れていた。肉体の疲労だけではないらしかつた。もう、なにも私を動かさなかつた。
薔薇のはなは、若いうち
つまねば
凋み、色、あせる
唄はどこかで聞いたことがあつた。ああ、あれはリヨン大学の入学式の日だつたな。しかしそれも、もう意味がない。(気が狂つたな。マリー・テレーズは気が狂つたよ。)私は彼女の歌聲をききながら考えた。だがそれにも無感動だつた。
耳の底で戸をあけたり、しめたりする音がきこえる。「坊や、坊や、」それは臨終の刹那に私をよぶ母の聲だ。「悪魔!」ホテル・ラモのホールでジャックは片手をあげて叫んだ。
「右を見ろと云うのに、右を。」(そいつは兎口<みつくち>なんだ。そいつは兎口なんだ。)
私はたち上つて、さきほど、あの蝿が脱れ路を求めて、おろかにも頭をうちつけ、戸外に幻影を抱きながら、かけまわつた窓に近づいた。闇のなかでリヨンは燃えていた。ベルクール広場もペラッシュ駅も、レピュブリック街も、あのイボンヌが老犬を白い腿でくみ敷いたクロワ・ルッスの坂路も眞赤に燃え上り、その火はこの街の夜空を無限に焦がしていた。
(昭和三十年五月、六月「近代文學」)