夜嵐阿衣花廼仇夢

 夜嵐於衣花廼仇夢よあらしおきぬはなのあだゆめ初篇緒言

 

     さきかけ

 

我さきがけ新聞第三百廿号(本年五月廿八日)の紙上を以て其発端を説起し、号をおふて連日掲来かゝげきたりし毒婦阿衣おきぬの伝は、其実録に拠て余が戯れに筆を走らせしに、図らず看客かんかくの喝采を蒙り、新紙の発売多を加ふるの栄を得たれど、既に紙上に示せし如く、俳優市川権十郎が嵐璃鶴りかくたりし時、同人を懲役に陥れ、其身の厳刑に処せられたる大眼目は、只阿衣が末路の一事のみ。其生涯の奸悪を数ふれば数條すでうの珍説奇談多端にわたり、新聞の紙面につくあたはざるのみならず、一場の説話も数号すがうに渉るを以て、看客或は其首尾照応を誤るのかんなきにあらねば、金松堂の主人がこふに応じ、半途にして紙上の掲載を止め、岡本(=勘造)をして之を双紙に綴らせ、こゝに初編を発兌はつだせり。題して夜嵐阿衣花廼仇夢といふ。其顛末を記するや、かつて新紙に掲げしものとことさらに参差しんし表裏を示すを以て、すこぶる看客の心を楽ましむるものあらん。

  明治十一年六月              芳川俊雄記

 

 初編上

  発端

 

夜嵐にうつろひ見せし山桜、八重もひとへに徳川の政事におさまる八百八町、まだ東京も江戸とよぶ頃、本町辺の薬種問屋やくしゆとんやで、人も知る紀の国や角太郎かくたろうといへるは、早く両親ふたおやに別れ、十八歳にして家名を相続せしが、性来歌俳諧茶の湯、そのほか遊藝をのみ好みしかば、兎に角家業をうるさく思ひ、僅か両三年にておとゝ竹二郎へ名跡みやうせきを譲り、自分はかねてしつらへおきし、牛島のほとりなる小梅こむめの別荘へ移りすみて、まだ定まれる妻もなく、あしたには花を楽しみ、夕べには月を賞して、風流にのみ世を送りし。今年は残暑のつよくして、しのぎかねたるより思ひたち、箱根の湯治とうぢから江の島へんを見物せんと、常に出入でいりの宗匠と幇間たいこもちの豆八を引連ひきつれ両掛一荷りやうがけいつかを男に担がせ、江戸をいでしは七月のはじめ、急がぬ旅とて路すがらうちたはむれて興じつゝ、其夕ぐれに神奈川宿じゆくへたどりつき、石井といへる旅籠屋はたごやへ泊り、互ひに滑稽の雑言むだごとに、夜もはや四ツをすぎしころ、隣座敷の女づれの客の内一人の娘が急にしやくをおこしてとぢらるゝ様子にて、其母親とおぼしきが、頻りにお八重お八重とよばいけれど、更にをさまる模様もなければ、皆々当惑の体なるを、角太郎は気の毒に思ひ、家業がらとてさいはひに良薬よきくすりたくはへたれど、見知らぬ女の其中へ、さすがはそれといひかね、宿の女を近く招いで、薬のことをいふふくめ、隣座敷へいひいれしに、此方こなたはことに悦こびて、少しなりともいたゞきたいとのことなれど、強き薬なれば分量がすぎてはならぬと、自身にいつて手づからに、とぢつめられし病人の口ヘ薬をそゝぎこみしに、そのきゝめにや、強くさしこみたる癪も一時にひらきしかば、母は尚さら、附そふ女のたれかれも、神かとばかり角太郎をふし拝み、かはるがはるに礼をのべ、茶など煎じてもてなさんとせしが、女子をなごばかりの座敷に長居をするもいかゞならんと思へば、夜もいたくふけたれば、明朝ゆるりとお目にかゝるべしと其場を立さり、互ひに臥床ふしどへいりたるが、かゝる混雑の中なりければ、双方とも名前などを尋ねることを失念せしとぞ。さて紀角きかく一群ひとむれは、用ある旅にあらねば、日中暑気のはげしき間を休まん程に、涼しき内に少しもゆかんと、その翌朝あさ、となり座敷の人々がまだ起出でぬまへに、支度をとゝのへ、急いで此家このやたちいでしを、少しも知らぬ女づれ、ゆふべお八重の介抱につかれたるのか、但しまた、今日はおそくもうちへ帰ると心にゆるみがいでたるにや、つひ寐わすれて、東なる連枝れんじの窓から朝日のさすに眼を覚し見れば、お八重がおらぬより、母は驚ろき皆々を呼起し、其処よ此処よと探せども、更に知れねば、母親が座敷へかへつて娘の臥床ふしどをあらためると、枕の下から出た一封は、お八重の手跡にて書置かきおきとあるに、胸轟き、先だつ涙のみこんで、急ぎひらいてよみくだせば、わたくし事訳ありて、とてうちへは帰れぬゆゑ、世になきものと御あきらめ被下度くだされたくはゝさまへは不孝の上もなけれど、ひらにおゆるしをねぎまいらせ候云々しかじかと、手短かにかきのこしたる一通を、顔におしあて、母親がワツとばかりに泣伏て、仔細は何かしらま弓、ひいて返らぬ訳あらば、なぜ打あけて此母に、かうしてたべといはねにも、矢のたつためしもあるものを、仮令たとへどのよな事にもあれ、たつた一人の娘じやもの、とほしてやらいでおくものぞ、是ほど思ふ此母の心もしらで、身をかくす其方そなたの心は安かろが、跡に残つた人々の心を少しはくみわけて、無分別なる量見を必らず起してたもるなと、其処にお八重のる様に、かきくどきしが、其内も心せかれて、もしひよつと淵川へでも沈みはせぬかと、宿屋の主人あるじへ頼んで人を雇ひ、諸方へ手わけをして、其近在をくまなく尋ねしが、更にゆくゑが分らねば、ひとまづ江戸へ帰つた上、また兎も角もせんものと、力おとして女連、是非もなくなく此家を立いで、江戸の住家すみかへ帰りける。

それ引替ひきかへ、角太郎の一群ひとむれは、憂事うきこと知らぬ気散きさんじの旅は道くさは早く宿について、箱根なる湯治も、病のあらぬ身は、汗を流すの外ならず、涼しき内はあちこちと、鄙珍らしき見物に、疲れて帰る宿屋の椽ばな、風りよきにすだれを巻あげ、碁など囲んで楽しみけるが、庭の彼方あなたの離れ座敷、はし近く折々立出で、此方こなたを眺め、つきの女中と何やらん囁きあふて打戯れるけだかき婦人は、年の頃二十余りにて縹致きりやうすぐれて麗はしく、起居たちゐの様のしとやかに、折目正しき振舞は、さる大名のお部屋さま、少しの病気をいひたてに、遊散ゆさんながらの湯治とは、其附人そのつきびとの少なきにてぞ知られける。紀角は朝夕顔見合せ、世に美くしき婦人ぞと、かたみに尻などつゝきあひ、又も天女の来迎らいがうと眼を慰むるばかりにて、互ひに心ありそ海、ふかき底意をくみかねて、まだことばさへかはさぬうち、はやおいとまの日限がせまりしと見へ、女中の群は当所を立出で、江戸の方へと帰りしのち、紀角は爰に四五日余り逗留せしが、同所にあきたるのみか、天女が影をかくせし故、せめて天女の岩屋なりとも拝まんものと、二人のつれを促がして、江の島へとこそは赴きける。

此処は東海道程ケ谷宿の裏手にあたり、金澤鎌倉への近路ちかみちなる下大岡の山中にて、まだほの暗き路傍みちばたに、繁る並木の松がえの梢はなれる暁烏あけがらすがあいあいの声きくも、今更此の身につまされて、思ひまはせば人でなし、道にそむける、ぎりある父へよからぬ名をばきせまじと、恩愛深き母親の歎きをあとにやうやうと、人のはなしに聞きおきし、闇路をたどるお八重の心も細き流れの岸にそふ、路のかたへの松の根に、腰うち掛てホツと一息つくづくと、我身ながらも怖ろしや、ようこゝまでは来た事ぞ、かう脇路へまはつては、最早逐手もはやおつては来はすまい、思ひの外に草臥くたびれたれば、日の昇るまで休まんと心に少しゆるみが来しか、宵におこりしつかへの癪が、また胸さきへきやきやとさしこまれては大変と、細帯かたく引しめて、がまんはすれど疲れた躰、こらへきれねば其儘に倒れて苦しむ折もよく、雑色村ざふしきむらかたから爰へ通るは、是も女の独旅、年の頃は二十五六にてどこやら垢抜あかぬけたる都の風俗、だるま返しに髪を結び▲

 

 初編中

 

▲白地の浴衣を高く端折はしよつて、笠を片手にすたすたと通りがゝつて、お八重を見つけて立どまり、独りでうなづき、帯の間の紙入から何やら薬を取出して、お八重の後へ廻り、いだき起して背をなでおろし、すゞの中なる薬を少しお八重の口ヘふくませ、かたへの流れに手拭をひたして、其水をしぼりこみなどせし手厚き介抱に、やうやう開きがつきしかば、お八重は地獄で佛の思ひ、厚く礼をばのべけるに、女はさのみ恩ともせず、旅する人はあひたがひ、女子をなご同志はわけての事、よい塩梅あんばいに薬がきいて私も嬉しう思ひます、お供の衆はお薬にてもかひにばしゆかれしかと問はれて、お八重は涙を払ひ、私や独りで鎌倉へゆく者で、供をもなんにもつれません、それゆゑ猶さら病気などには困ります、お蔭でさつぱり治まりましたといふに、女は不審顔、みればこゝらのお方でなし、独りで旅をなさるとは、何か仔細のあらましを、苦しからずばはなしてと、他事なきことばに、お八重も今さらその親切にほだされて、包みもならず鼻うちかみ、じつわたくしは江戸本石町ほんこくちやうの呉服だな松坂屋の八重ともうす者なるが、先年親父おやぢが亡なつて、と聞いて女はうちおどろき、さうおつしやればどうやらおみうけもうした事もある、元わたくしが日本橋へんにおりし頃、お宅はかねて知ております、あの御大家ごたいけ娘子むすめごが、供をもつれず只独り、こゝらあたりへまいらるゝ仔細は大方おほかた分りましたが、爰は山中やまなか、朝風は身にひやひやとからだの大毒、おめしも夜露にぬれてあるゆゑ、里へ出て乾かしながら、ゆつくりとおはなしもうすこともあり、兎にかくわるくはいたしませぬゆゑ、あとへお返りなされませと、無理にすゝめて程ケほどがやかたへとこそは伴なひける。

さても角太郎は残暑しのぎに、いまだ見ぬ箱根の湯治場から江の島鎌倉とうきを知らぬ湯散ゆさん旅、二人のつれの興ずるを、笑ふてうかうか日数ひかずもたち、はや秋風の身にしむ程になりしかば、土産のしなじな買とゝのへ、馴し隅田の牛島わたり、小梅の寮へ帰りしは、八月なかばの頃なりし。角太郎はたゞ風流にのみ心をよせ、浮世の事をいとふより、奉公人ひとは多くつかはず、庭の掃除や植木の手入は自分もしたり、折々は出入の者があれこれと程よくするに任せおき、小女こをんな一人を手元に使ひ、食事の世話などさせおきしが、旅の留主るす中は不用心ぶようじんなりとて、本町の本宅に年久しく召使ふお芳といふ四十二三の心きゝたる女を留主居におきしと知るべし。

今朝は角太郎おそく臥所ふしどをおきいでゝ、椽ばなにたちいであたりを見廻し、少しの間みずにゐたれば、庭の景色がかはつたと、のびあがつて隣りの寮をのぞきこみ、不審な顔でお芳をよび、隣は是まで明家あきやであつたがどなたか越してこられしかと、尋ねにお芳は両手をつき、まだ申しあげねど、つひ此頃さるお大名のお妾にて、たしかお名前はおきぬ様とか、その殿様がなくなられたので御隠居をなさるため、此玉屋の寮をお買なされたとかきゝました。余程うつくしいお妾さまでござります、それについても昨晩一寸申しあげましたが、先生や豆八さんの前をかねて、詳しくおはなしいたしませなんだが、こりやわたくしから折入てお願ひ申すも、もとはといへば長い咄しを一通りお聞きなされて下さいまし。

旦那のお留主へ預かつた娘といふは、その以前、此わたくしが下総しもふさから初めて江戸へ出て来たおり、草鞋わらぢをぬいだおしゆうさま、本石町の呉服だな松坂屋さまの娘子にて、十四の時に父御てゝごなくなり、母御は後家をたてんとて、夫々それぞれ覚悟をなされしが、まだうら若き後家だては、却つて世間の口もうるさし、手広き家業に女主をんなあるじは届かぬがちと、親類方のすゝめにより、店をあづかる番頭の弥兵衛といふを入婿に跡へなほした其頃は、此わたくしはいとまになり、それも誰ゆゑ、番頭の弥兵衛は四十に近き身で見かけによらぬ色好み、間がなすきがなわたくしを捕へていやなことばかりいふのをすげなく断はりしを、遺恨に兎や角ないことをいひこしらへて追出いだせし、夫から旦那の処へ上り、今日が日までも御恩にあづかる嬉しさに、又引かへてつらの憎きは弥兵衛にて、仮にも親とよばれる身で、いはゞ主人の娘子へ無体な恋慕、あさな夕なにつけまはるうるさき仕打を、母親へ咄さば必らずことのもと、父とよびなす其人へ恥かゝするは子の道ならず、殊に世間の外聞をいとふものから、身一ツにうきを忍んで日を送る深閨女おぼこむすめの気苦労から、つゐに病を引おこし、ぶらぶらなやむその上に、癪まで知て折々に煩ふことの多かりければ、医者の勧めで五月雨のやゝはるるころ、母ごとほかに女中二人を引つれて、伊豆の熱海へ湯治の保養に二月ふたつきあまり、世の中のうきをわすれし甲斐あつて、顔の色つや身体の衰ろへもとの通りに全快せしとて、先月初めに女づれ四人で江戸へ帰る時、神奈川宿の泊りにて、明日あしたは我家へ立帰り、又も弥兵衛に種々いろいろとかき口説くどかるゝこともやと、思ひまはせば廻すほど、このよにあられぬ悲しさを、誰に語らん人もなければ、こよひひそかに此家このやをぬけ出し、かねて往来ゆききに見ておいた鎌倉道みちを左りへ入り、松ケ岡なる尼寺へ其身をよせんと覚悟はしても、娘気の案じわづらふあとやさき、久しく忘れた持病の癪にとりつめられ、開きのつかぬを隣座敷のお客に救はれ、疲れてつれの寝入りしころ、身を隠すとのみ書置して、その庭口から忍び出し、たしかにそれと見ておいた程ケ谷宿の横道から迷ひいつたる山中で、其夜も明て烏のなく頃、又もや癪にとりつめられ、悩む所へ通りかけしは、本店ほんだなの四郎吉どんの一件で此方こなたへは顔出しかねる私の姪のお吉が、在所から此地こちらへ帰る途中にて、種々介抱をした上で、名前をきけば伯母の私が大恩うけたおしゆうの娘なれば、その儘にしてもおかれず、さりとてうちへは帰らぬ覚悟、うかうか街道へつれて出ば尋ねる人に見つけられんと、神奈川宿の裏手を通り、野毛の知音しるべへ立より、芝浜へ出る押送りへ便船して、此地こつちへつれては来たものゝ、お吉も今は他人の家の居さふらふ、人の世話まで届かぬゆゑ、旦那のお留主と少しも知らず、此わたくしを外へ呼いだし、以前のはなしを委しく語り、その娘子をわたくしへ渡して、のちの計らひは万事よろしく頼むといへど、弥兵衛めがなきとがきせてわたくしにひまを出したるその後は、一度も今に尋ねぬ事ゆゑ、本石町の様子も知れず、又なまなかに此事を知らさば、却つて娘子のなんぎになるも計られねば、旦那のお帰りなされた上で、よい御分別もある事と、かくまひおきし娘子にあふて力をそへて下されと、昔しの恩を忘れざる、その深切があらはれる長物語りを、角太郎感心しながら聞き終り、咄しの次第は分つたが、もしもその娘はお八重といふではあるまいか、と問ふにお芳はびつくりし、如何どうして旦那がそのお名を、と不審するのは尤もなれど、お八重といへば、神奈川で泊りあはせて癪にとぢられ、母御はゝごがお八重とよびいけるさわぎを見かねて、此私が進ぜた薬で、漸々やうやうと開きがついた娘子ならん、何にしても不思儀な事と、お八重を爰へ呼よせて、互ひに見かはす願とかほ、尽せぬえにし、またこゝであふとは誰か白髭しらひげの神ならぬ身を如何にせん、世をうし島とふりすてゝ、尼になるみの浴衣ゆかたのまゝで、癪にとぢられ取乱したるその様を、見られし方かと思へば今さら恥かしく、礼のことばもあとやさき、只この上はよき様に、力になつてたまはれと、優しきことばに、角太郎、お前がたよりに思はるゝおよしは、私しがちひさい時から世話になり、知つての通り何事も家を任せておくほどなれば、及ばずながらおよしと共に力になつて、どの様にか、お前が難儀をなさらぬやうしませうほどに、不自由なりとも心おきなくおられよと、情の言葉に、お八重はなほさら、およしも嬉しく、一日ひとひ一日と送るうち、互ひに心ありま山、いなの笹はらいなならぬ、二人はいつか下紐のとけてうれしき中となり、日に睦まじき有様を、およしは知れど今さらせんなく、却つてお八重の仕合せならんと心の内に喜こべど、人の娘を沙汰なしに、かうしておくはよからねど、なまなか先へはなしをなさば、又もお八重の身の上と思へば、そのまゝすておいて、そのうち首尾をせんものと、千々ちゞに心を苦しめつゝ、うかうか送る秋の空、梢の紅葉はや散て、手洗水てあらひみづ薄氷うすごほりはるや来ぬらん師走のなかば、忙がしきとて本町より迎ひをうけて、およしは一先ひとまづ本宅へこそ立かへる、年のはじめの賑ひは、昨日きのふにひきかへ何となく庭の景色もとゝのふて、さきがけみせる梅の花、東風こちのまにまににほひける。

 

 初編下

 

四季のながめの色々と変る浮世をうし島と、表を飾る菩提心ぼだいしん、つまぐる数珠の袖の内、とめきのかをり煩悩ぼんなうの花の色ある小梅の里、紀角がすめる別荘に、隣る玉屋の寮をかひうけ、引移ひきうつり来し其人は、元浅草鳥越とりごえの甚内橋のほとりに任む原田それの娘おきぬとて、幼少をさなきころより手品を習ひ、その藝名げいみやうを鈴川小春とよびなして、江戸町々の寄席よせせきで美人と評判高かりければ、諸大名のたちへも召され、座敷手品の御所望ごしよまうに、愛敬あいきやうふくむ手先の早業、御意ぎよいかなつて、十七の春のなかばに、大窪家の若殿が妾にかゝひ玉ひしより、其両親そのふたおやも浮み出でしが、其翌年コロリといへる病のため、枕を並べて両親とも、此世をさりし跡々は、ほかに親族もなきものか、残りしいもとのお峯まで、御殿の内へ引取て、栄耀ええうに送る春秋はるあきも、はやふた替り三年みとせ目に、寵愛うけし殿様がとみ卒去みまかりたまひし後は、此世をうしと一間ひとまに籠り、嘘かまことか看経かんきんにたじなく月日を送るのみ。痩衰へて食事さへほそきときいて、後室こうしつより二週間ふたまはりかんいとまを賜はり、箱根の温泉いでゆで保養をせよと有がたき仰せを受て、侍女こしもと其外つきの侍諸共もろとも、宮の下なる奈良屋といふ旅宿に暫し逗留する頃、対ひ座敷の相客を見初みそめて頻りに慕はしけれど、いひよるすべもながきいとまにあらぬみは、はや日限の迫りきて、やしきへかへる思ひでに、せめてはこがるゝ其人の名所などころだけもとひたしと、宿の女へひそかに頼み、探つて聞けば、本町の紀角といへる薬種問屋やくしゆどひやの若隠居といふを頼みに、心残してたちかへる。江戸の屋敷の究屈きゆうくつを厭ふが上に、湯治場のざんじの保養が身にしみて、折目正しき礼式をうるさく思ふのみならず、今は屋敷に用なきからだ身儘みまゝになつて彼人あのひとにあふよしもがなと、物思ふ心しつたる婢女はしためのおさよといふは四十の上を二ツ三ツこしぢの雪のとけやすく、腹いと黒きおきぬの合口あひくち、始終を聞て容易たやすく引うけ、小者こものへ頼んで紀角が上をくはしく探り、今は小梅の別荘に住むよし知て、奥向の首尾をつくろひ、おきぬを病気と云做いひなして、保養かたがた亡君なききみ後世ごせとぶらふ庵室にと、こゝへは移り住みしにて、其時屋敷の重役おもやくから、もし此後こののち良縁あつて方付かたづくならば、屋敷で世話もしてとらせん、又一生をいさぎよく送るとあらば、扶助もせん、身の振方ふりかたいづれとも心の儘に任せよと、月々に多く手当を賜はりければ、妹のお峯とお小夜のほかに、下婢はしため二人、男といふは此頃新たに抱へたる下部しもべの甚八のみにして、主従六人豊かにこそは暮しける。

打はやす拍子も同じ七種なゝくさの声のかたからあけそめて、霞たなびく庭の戸を、押て入来いりくる二人の客は、かの宗匠と豆八にて、年首ねんしゆの礼はそこそこに、今日は節句に初卯はつうを持込み、殊に恵方もうまかた、是非とも出初でぞめのお供をせんとそやしたてるに、角太郎さらば初卯に詣でんと、世を忍ぶ身の是非なくも、お八重をうちへ残しおき、二人をつれてふらふらと出かけた跡へ、引ちがへとひ来し人は、日頃から隣の寮や此家へお幇間たいこ半分出入する橋場辺りの藪医にて、其名を黒林玄達と呼者よぶものなり。案内もせずに庭先から、ヤア御慶ぎよけいでござる、大将宅うちかな、美人のそばにばかりはんべつて居ては健康を害します、是から初卯へ御出馬とは如何いかゞと音なふ声に、お八重は奥から走りいで、年首の礼を一通り述て、只今斯々かくかくにて三人伴立つれだち、初卯へ参ると出たばかり、まだ其辺におりましよと聞て、玄達のそのそ座敷へ上り、辺り見廻し、それでは美人はお留主居るすゐか、隣へいつても初卯の留主、此方こなた主人あるじも又お留主、是で漸くよめた読た、貴嬢あなたは何も知られぬが、主人は隣のレコと湯治場からのお馴染で、末は夫婦と約束のしてあることも知ております、貴嬢あなたはどうしたお方やら、度々お尋ね申しても、おはなしないのは余程不思議、何を頼みに此宅このうちにおらるゝことやら、是も分らぬ、今に苛酷みじめを見らるゝかと思へばまことにお気の毒、早う分別なされよといふはまことか、底気味わるく、お八重は何と言葉さへなくよりつらき胸の内、さし俯くを玄達は得たりと側へにじりより、其所そこを愚老がよい様に主人へうまく説得して、隣の縁をきらして進ぜる、お礼の印に、お八重さん、たつた一度でよい程に、ウンとおいひ、といだきつく手先を払ふて飛退く所へ、下女があわてて障子を引あけ、本町から四郎吉しろきちどんが御年首に見へました、と聞て驚く玄達は、七種なゝくさなづな遠どのとこをお早々、ドレドレ、此地こつちへござらぬ先に、ストントンと足ふみならし、残りおしげに帰りける。

それとは知らぬ角太郎、二人の末社まつしや引伴ひきつれて、柳島から亀井戸の梅には少し早けれど、此所まで来るついでにと、梅屋敷をも見物せうに、こゝあひしは玄達からはなしのあつた隣の主婦あるじ、箱根で去年見知りたるおきぬの一群ひとむれ、春のはじめといひながら、いと嬋妍あでやか着飾きかざつて、休らふ床机しようぎも隣あひ、始めて爰で言葉を交へ、つきの女中と豆八がたはむるる事の面白さに、遂打解つひうちとけて、夫からは此二群ふたむれが一ツとなり、料理店れうりや橋本にて一酌を催ふし、互に興を尽せしは、兼ておきぬがねがひにて、如何なる神の引合せにや、是まで度々玄達からよるなと遊びに来られよ、と云送りしが、物堅く女子をなごばかりの其宅うちへ出入するのは如何いかゞぞと断はりおりし其人が、かうまで和らぎ玉ひしとは、春はありたきものなりと、おきぬは痛く酒を過して苦しき様子に、其場を切あげ、打伴うちつれだつて帰り路、角太はおきぬをたすけつゝ、隣の寮へ送り込み、二人のつれかどから返してる座敷に、しよんぼりとお八重が物を案じるは、いつもの事と角太郎、側へすわつて顔打眺め、かうポカポカと陽気になつたに、外へ出られぬお前の身の上、気分のふさぐは尤もじや、其内お芳の働きで、どうとかはなしきまるであらう、少しの間辛抱すれば、表向むいての夫婦めをととなれる、今日は計らずお隣のおきぬさんの女中づれに出あひ、橋本で一杯やつたが、七種なゝくさの初卯のせいか、近年にない人の出、といふ端々が玄達の云しことばに思ひあたれば、さてはとお八重は驚けど、口はしたなく云出いひいでて、軽蔑さげすまれては恥しと、かの玄達がみだらなる振舞せしも押包み、只本宅から番頭が年首に越せしことなどをつげて、其場を取なせしが、角太はそれより折々に隣の寮へ往通ひ、親しく交はる其内に、恋に手鍛錬てだれのおきぬの取なし、夫といはねど情あることの葉草の露けきに、春風うけて靡けてふ、おさよが軽き媒酌とりもちに、つの打解けてから、角太郎、以前に変つて日毎の様に、隣へばかり入込いりこむにぞ、お八重は始めて玄達のうそまことと鳴海潟、汐干に見へぬ沖の石、人こそ知らぬ朝夕に便なき身のみかこちつゝ、袂の乾くひまとてもなくよりほかに、此事を相談するはおよしのみ、夫も此頃いへにおらねば、只此上は身を慎み、怨を包んでいつまでも、身を任したる角太のぬしへ仕へた上で、見捨られなばそれまでと、諦めて見ても、娘気の又もやかう行末を案じ出しては、物思ふ心の内ぞ憐れなり。

さてもおきぬは去年こぞの秋見初みそめた恋が漸々やうやうに叶ふて嬉しき此上は、世間晴ての夫婦とならば、又楽しみも格別ならん、屋敷のかた縁付えんづきの願もすめど、恋人にお八重といへる附者つきものあれば、角太のかたが面倒なり、只此上はお八重さへ除かば、此方こつちの望は叶はん、何か手段はないものかと、胸に余つた相談に、おさよもこうじて那是あれこれと思案に其夜の更行ふけゆきて、燈火ともしび暗き一間から、怜悧りこうな様でも女は女、二人で一晩考へても、出る物とては座睡ゐねむりばかり、是でも愚老は男だけ、すぐに浮んだ一工夫、智恵をおかし申さうかと、のつそり出たは他人にあらず、かの黒林玄達にて、兼て此家このやへ出入する内、おさよといつか馴染なれそめて、人目を忍び語らふを、おきぬは知れど、二人とも腹いと黒きさがなれば、何かの用にたつことあらんと見て見ぬふりで、慈悲なさけをかけておいたるも、是等のことを謀らんためと、おきぬは心に黙答うなづきて、手箱の内から黄金こがねを取出し、紙にひねつて玄達が前に差おき、仕上しあげた上の褒美は格別、是は手附じや、お八重を除く手段といふを、早く早くとおきぬとおさよが急立せきたつるを、じらしておいて小声になり、夫は斯々かうかうなされよと、聞て二人は顔見合せ、暫しことばもなかりしが、おさよが又も声をひそまし、夫を其儘にしておかば、ことの露顕の本にもならん、夫ゆゑ跡は根性を見抜ておいた下部しもべの甚八へ頼んで、斯々かうかうするならば跡腹あとばらやまぬ上策ならん、左様さうじやと三人囁きあふ、たくみの程ぞ怖しけれ。

今日とすぎ、昨日と遊ぶ、春の日の長きも暮て、今日ははや二十日といふて仕舞正月、骨牌かるたの遊びの名残とて、おきぬは文もて紀角のもとへ、今日は少しく用意もあれば、まだおめもじをせぬお八重さまをもおつれなされて、夕刻から是非ともおいで下されと、いひこしたるゆゑ、承知の旨を答へおきしに、お八重は心もすゝまぬと断りいはゞ何とやら、吝気りんきの様に聞へもせんと、わざと悦び支度したくを調へ、角太と共に隣なるおきぬの寮へ到りしに、今日は殊更座敷を飾り、おきぬは御殿にありし姿のうちかけに、四方あたりまばゆく見ゆるほどつくたつたる容体やうだいにて、しとねに座をしめ、お八重を近づけ、初対面の会釈して、今年十五のつぼみの花、善か悪かは白絲のまだ馴染なき妹のお峯を呼出して引合せなどする内に、かゞやく数の燭台と共に持出す酒肴さけさかな、おさよが始終座敷を取持とりもち、勧むる杯の廻るにつれ、おきぬは角太を側へ引寄ひきよせ、是見よがしの振舞に、お八重はねたく思へども、自分のをつとといふではなく、此方こつちも元は徒事いたづらごと口惜くちをしけれど胸をさすつて忍ぶ所へ、おさよが別の徳利を持出し、是は甘いでのめますと、無理な勧めに二三杯、お八重がのむと忽ちにまなこ暗んで、手足が慄ひ、胸の辺りが苦しくて、何分座敷にたへられぬ様子を、おさよが見て取て、以前の徳利を取方付とりかたづけ、お八重様にはあがらぬせいか、余程お酔なされた御様子、お休みなさるがよからうと、おさよがいへば、角太郎、少しものめ不意気ぶいきな女、お手数てかずながら一寸宅まで送つて下され、役にたゝぬと構ひもせぬを、お八重はくやしと思へども、胸苦しきにたへかねて、挨拶とてもそこそこに、女中の肩に扶けられ、我家の座敷へ入るや否や、其儘そこへ打臥して、正体なければ、下女は驚き、むりに臥所ふしどへ担ぎ込み、風をひかせぬ手当して、おのれ臥床ふしどの用意をする時、隣の女中が言伝ことづてに、貴家あなたの旦那は私方へお泊りなさると聞て、其所爰そここゝ戸締とじまりしておのが臥床にいりにける。

其夜もふけ丑満うしみつ頃、庭の籬根かきねを乗越て、忍びいつたる一人の曲者くせもの、手拭まぶかにおもてを包み、もすそを高くひつからげ、庭石伝ひに椽先えんさきの雨戸を一枚こぢ放し、お八重の臥床を伺ふて、ひとりほくほく打点頭うちうなづき、有あふ手拭引延ひきのばし、正体もなきお八重の口へ猿轡さるぐつわ、帯にて体をぐるぐるまき、やおら起して肩へ引かけ、急いで庭の切戸から、裏を廻つて田甫路たんぼみち、いきせきかけて、牛島の堤へ登つてあたりを見廻し、こゝは名ばかり長命寺の前の岸、又候またぞろ小堤こどてへ担ぎあげ、爰らでよいと思ひしか、肩にかけたるお八重をおろし、足と首とへ両手をかけ、ちうつるして南無阿彌陀佛の声もろとも、隅田のながれへざんぶとこそはなげこんだり。こゝの小舟に棹さす男は何者にて善なるや悪なるや二編をよみてしりたまふべし。

 

 二編上

 

花見小袖の色さへとくうつろひて、今ぞひとも思ひあはせ着る頃なん、夜半よはの嵐にあへるてふ、きぬのやれにし跡をものせよといはれぬ。遮莫さはれ、まだすぢつまもそぐはしかねし身のおもなきわざながら、たゞよし川うしの仕附苧しつけを(苧=そ)を便たよりとして、漸く初篇をつゞくりしに、僥倖しあはせにも後をとの促しありときゝ、そゞろに編をつぎあてがひくらき手元の夜なべ仕事に、またポツポツとつゞりいだしつ。

  明治十一年七月下浣

              岡本勘造題

 

さても角太郎は思はずもおきぬが相手に、夜のふくるまで酒をのみ酔つぶれたるまゝ、其所へ打臥し、まだおきもせぬ其翌朝よくてううちに留守せし婢女はしためが、いと慌たゞしく取次もて、お八重さまには昨夜ゆうべの内どこへかおいでなされしのみか、雨戸が一枚外れたまゝ、椽のあたりに泥の足跡つきたるは、常事たゞごととも思はれねば、早うお帰り下され、といふをきけども、角太郎、昨夜の酒がまださめねば、是はお八重が事をこしらへ、早く帰つてくれとの事ならんと、兎や角なして、漸々やうやううちへ戻れば、いひしに違はず、雨戸がはづれてゐるのみならず、庭の切戸も破れており、曲者いりし様子にて、お八重がおらぬは殊にいぶかし、夜半よなかに何処へ行べきぞ、扨は此身がおきぬのもと通路かよひぢしげきを恨みに思ひ、便りなき身はいとゞなほ胸にせまりて、もしひよつと悪い覚悟をしはせぬか、何にもせよ不思議ぞと、お八重の臥床ふしどを調べしに、あたりに落たるふみ切端きれはし、これはと取あげよく見れば、男の手跡で始めはなけれど、此程申しあげし通り、今宵こそ首尾してまたれよかし、あひづはかねておはなし申せし通りなれば、必らずとも人にさとられぬ様お支度なされよ、まづは用事のみ、取いそぎあらあらかしこ、と筆はとめても、留らぬは此道ばかりといふものゝ、お八重に限つて其様な事のあるべき様子はなけれど、現在男の此手紙は、心せくまゝ取落せしに相違なし、アヽ七人の子はなすともと古人がいひしも今更に思へば憎き女ながらも、伴出つれだせし男はぞ、

          (以下・割愛)