哲学ノート(抄)

    序

 これは一冊の選集である。即ち「危機意識の哲学的解明」という最も古いものから、「指導者論」という極めて最近のものに至るまで、私の年来発表した哲学的短論文の中から一定の聯関において選ばれたものであって、その期間は『歴史哲学』以後『構想力の論理』第一を経て今日に及んでいるが、必ずしも発表の順序に従ってはいない。程なく『構想力の論理』第二を世に送ろうとするに先立って、私は書肆の求めによってこの一冊の選集を作ることにした。ここに収められた諸論文は如何にして、また何故に、私が構想力の論理というものに考え至らねばならなかったかの経路を直接或いは間接に示していると考えるからである。

 これらの論文はたいてい当初からノートのつもりで書かれたものである。種々様々の題目について論じているにもかかわらず、その間に内容的にも聯関が存在することは注意深い読者の容易に看取せられることであると思う。もとより私はそれらを単に私の個人的な感心からのみ書いたのではない。現実の問題の中に探り入ってそこから哲学的概念を構成し、これによって現実を照明するということはつねに私の願であった。取扱われている問題はこの十年近くの間、少くとも私の見るところでは、我が国において現実の問題であったのであり、今日もその現実性を少しも減じていないと考える。その間私にとって基本的な問題は危機と危機意識の問題であったのである。

 私のノートであるこの本が諸君にもノートとして何等か役立ち得るならば仕合しあわせである。すでにノートである以上、諸君が如何に利用せられるも随意である。必ずしもここに与えられた順序に従って読まれることを要しないであろう、──初めての読者は比較的理解し易いものを選んで読み始められるのが宜い。その選択はすでに諸君の自由である。私が示した問題解決の方向に諸君がついてゆかれるかどうかはもとより諸君の自由である。ただ、これはノートである以上、諸君がこれを完成したものとして受取られることなく、むしろ材料として使用せられ、少くとも何物かこれに書き加えられ、乃至少くとも何程かはこれを書き直されるように期待したいのである。

  昭和十六年(一九四一年)十月廿一日  三 木 清

   新しき知性

 いったい知性に時代というものがあるであろうか。知性には旧いも新しいもなく、むしろつねに同一であるということが知性の本質的な特徴であると考えられるであろう。知性には論理というものがあり、この論理は知性が時間と空間を超えてつねに同一であるように定めているといわれるであろう。しかしながら論埋にも発展がある。我々は論理の歴史をもっているのである。すべて新しい哲学は新しい論理の発見によってはじめて、本質的に新しいものとして構成されるとすれば、哲学に歴史があるように知性にも歴史があると考えることができるであろう。知性にしても純粋な空虚の中で活動し得るものではない。知性が対象を捉える方法は対象の異るに従って異るべき筈である。対象に制約されるということはもとより知性に自律性が存しないということではない。対象が方法を規定すると共に、逆に方法が対象を規定する。対象に対して構成的でないような方法というものはない。しかし自律的であるといっても、知性はそのかかわる対象の異るに応じて自己の新しい側面を発現し、或いは自己を新たに形成し、かくて発展してゆくのである。知性というものも具体的に見ると全体的な人間の一つの作用にほかならない。従ってそれは感覚、感情、衝動、意志などと種々の聯関を含んでいる。これらのものと如何なる関係に立つかということが知性の性格を決定するであろう。そして現実の人間は歴史的社会的な人間である。知性も現実の人間の作用の一つとしてつねに一定の歴史的環境において働くことを要求されている。知性は自律的であり、自律的でないような知性はないが、知性が自律的であるというのは環境から分離して孤立することではなく、それぞれの歴史的環境において自己を確立してゆくことでなければならない。歴史的環境の異るに従って、或る時代の知性は特に批評的であり、他の時代の知性は特に創造的であるというようなことも生ずるであろう。

 かようにして知性に時代の如きものが考えられるとすれば、知性の新時代或いは二十世紀の知性ともいうべきものは如何なるものであろうか。この場合まず知性に対する不信乃至否認こそ我我の時代の特徴であると考えられるであろう。知性の清算、主知主義の克服こそ新時代的であり、自己の退却、自己の王位返上に努力することこそ今日の知性にふさわしいと主張されている。ところで歴史的に見ると、知性の排斥は何よりも近代文化に対する批判の中から生れたのである。近代は機械の時代であるといわれる。しかるに機械の発達は人間を機械の奴隷に化し、人間生活のうちに種々の非人間的なものを作り出した。機械の発達は人間性を破壊するに至ったが、これは科学の発達の結果である。従って人間性を擁護するために機械を排斥し、その基礎である科学、そして知性を弾劾しなければならぬと考えられた。ここに我々は知性の排撃が実に人間性擁護のヒューマニズムの立場から現われたという事情に注意することが肝要である。即ち逆にいうと、今日知性の擁護はまさにヒューマニズムの立場において行われることを要求されている。尤もこのヒューマニズムは新しい知性の確立によって新しいものにならなければならないであろう。

 人間性の擁護が知性の排撃になったということは現代のパラドックスである。人間の人間である本質、それによって人間が動物から区別される特徴は知性であると古くから考えられてきた。しかるに今では人間性を擁護するために知性が排斥されることになったのである。知性は人間の本性に属するよりもむしろこれを破壊するもののように見られている。そして人間性即ち人間の「自然」として主張されるのは本能であり、衝動であり、すべてパトス的なものである。知性は人間をこの自然から離反させ、かくして人間を滅亡に導くものと考えられるようになった。これに対して我々はもちろん当然反問することができる。──単に本能の如きもののみでなく、知性もまた人間の「自然」であるのではないか。知性を自然の反逆者と見るよりも、むしろ本能でさえもが或る知的なもの即ち「自然のイデー」と見らるべきではないか。そしてこのように見ることがヒューマニズムの精神に合致するのではないであろうか。

 いずれにしても今特に次のことが指摘されねばならない。知性の排斥が右の如くいわゆる機械文明に対する批判を通じて現われたところからも分るように、知性は現代においては主として「技術的知性」の意味に理解されるようになったのである。これは知性そのものについての新しい見方である。現代の反主知主義のみでなく、現代の主知主義もまた、知性の本質に関するかような見方によって、旧い時代の反主知主義からと共に旧い時代の主知主義から区別される。プラグマティズムが現代の主知主義はもとより、現代の反主知主義をも種々の仕方で特徴附けているのはこれに依るのである。附帯的な意味を離れて本質的な意味に従って考える場合、プラグマティズムとは知性の技術的本性の理解にほかならないといい得るであろう。近代における人間観の変遷即ち homo sapiens (理性人間)の人間学から homo faber (工作人間)の人間学への推移も、このような知性の本質についての把握の変化によって規定されている。そこで技術の哲学が今日極めて重要な意味を持つことになったのである。科学の哲学はすでに近代社会の初期から存在したが、技術の哲学が顧みられるようになったのは比較的新しいことであり、新時代の特徴的な問題の一つに属している。

 いま科学と技術とを比較するとき、知性は科学において自然から独立になり、そして技術において再び自然に還るということができるであろう。もとより科学は自然の法則を対象とし、その際また科学は経験に基かなければならぬ。しかし知性が自然のうちに沈んでいる限り科学は生れてこない。人間は知性によって自然から独立になり、かくして自然を客観的に眺め、自然について科学的知識を持つことができる。しかるに科学が技術に転化されるということは一旦自然から脱け出した知性が或る意味において再び自然に還ることである。技術において知識は物体化され、科学の抽象的な法則は形のある具体的なものになる。元来科学の法則はそのように形のある具体的な自然の奥深く探り入り、抽象によって得られたものである。自然そのものがもと技術的であって、我々の直観に直接与えられている自然は自然の技術によって形成されたものと見ることができる。物質的生産にかかわりのない我々の精神的技術においても知識は習慣化されることによって「第二の自然」となる。このように知性は技術において自然に還ると考えることができるとすれば、知性を専ら技術的知性の意味に理解しようとする者が知性を自然の反逆者のように考えることは矛盾であるといわねばならぬであろう。技術的知性こそ自律的な知性と自然との間に内面的な関係を建てるものである。知性は単に自然に反逆すると見らるべきでなく、むしろ知性に対して自然といわれる本能の如きものにおいてもその技術性が明かにされ、かくしてその知的性質が示されなければならない。反主知主義者ももちろん、知性を技術的知性と見ることによって知性と自然との連絡を考えている。しかし彼等はそれによって同時に知性の自律性を否定しようとするのである。即ち知性は衝動の記号にほかならず、知性の言語は衝動の記号言語に過ぎないといわれる。しかるにもし知性が衝動の記号に過ぎないとしたならば、知性の産物であるところの文化が如何にして彼等の主張するように人間の自然を抑圧し得るであろうか。人間の作った文化が人間に対立するというには、文化が自律的なものであるということ、従って知性が自律的なものであるということがなければならない。技術の根抵に科学がなければならぬと考えられるのも、そのことを示している。言い換えると homo sapiens と homo faber とは区別されながら一つのものでなければならない。人間は作ることによって知り、知ることによって作る。技術は生産的行為の立場に立っている。科学も元来技術的要求から生れたものであり、またその結果において技術に利用されるのである。科学はその動機において、その帰結において、実践と結び附くにしても、科学が成立するためには一旦実践の立場を離れて純粋に理論的な立場に立つことが必要である。しかもかようにして却って科学は真に技術の発達に役立ち得るのである。

 近代の機械的乃至技術的文化の弊害として咎められるものは、単に機械乃至技術の罪でなく、むしろこれを利用する社会の一定の組織の罪である。機械は人間の労働を軽減し、かくして人間がその余剰の時間を自己の人格の、自由な発達のために使用することを可能にするであろう。機械はまた精神的文化財が大衆化されることを可能にするであろう。それ故に技術の発達は新しいヒューマニズムの基礎でなければならない。しかるに反対の結果になっているとすれば、原因は社会にあると考えられる。人類は自然に対しては知性的に活動してきたが、社会に関しては同様に知性的でなかった。知性は今日何よりも社会に向って働かなければならない。技術の弊害といわれるものは技術のより進んだ発達によって、同時に他方この技術を社会的に統制することによって除かれ得るであろう。技術の発達そのもののためにも或る統制が必要である。ところでこのような統制はそれ自身一つの技術に、即ち自然に対する技術とは異る社会に対する技術に属している。今日重要な意味をもっているのはこのいわば技術を支配する技術である。新時代の知性は特に社会的知性でなければならぬということができる。社会的知性はその対象の性質に従って自然に対する知性とは性格を異にするであろう。

 しかるに今日においては社会についても自然が重んじられるようになったことに注目しなければならぬ。そしてこの場合にもまた知性は何か自然に反するもののように排斥されている。例えば民族とはパトス的な結合である。パトスとは主体的に理解された自然のことである。民族はつねに深く伝統に根差している。伝統とは何かというと、パトス的になったロゴスのことである。知的文化も伝統となることによって習慣的になるのであるが、習慣的になるということは知性が自然のうちに沈むことである。民族的知性というものはこのような伝統的な知性である。それ故に伝統とか民族的知性とかが考えられるためには、技術的知性の場合と同じように、自然と知性、パトスとロゴスの結び附きが考えられなければならない。単に自然的なものは文化とはいわれないであろう。文化が生れるためには知性が自然から独立になること或いは知性が自律的に働くことが必要である。伝統といってももとより単に自然的なものではない。伝統があるためには文化が以前に作られなければならぬ。そして文化が作られるためには知性が伝統に対して自律的に活動すること、従ってまた伝統に対して批判的な態度をとることが必要である。科学なしには枝術も考えられないように、知性の自律的な活動なしには新しい伝統となるべき文化の創造はもとより、旧い伝統が文化として存在するということも考えられないであろう。

 知性は空間的なものと見られてきた。時間的なものを空間化し、時間的個別性を捨てて空間的一般性において物を見るのが知性であるといわれてきた。ところで今日強調されている民族の如きものは自然的なものとして固よりどこまでも空間的なものであるが、単に一般的なものでなくて個別的なものであり、従って他方同時にどこまでも時間的なものである。すべて歴史的なものは時間的・空間的なものである。民族の如きも単なる自然でなくむしろ歴史的自然である。歴史的なものは文化的なものでなければならず、文化的なものは知性の自律的な活動なしには作られない。けれども歴史と自然とを抽象的に対立させることも間違っている。真の歴史は却って歴史と自然とが一つであるところに考えられる。新しい知性はかような具体的な意味において歴史的知性でなければならない。歴史的知性とは如何なるものであるかが今日の問題である。

 解決を求められているのは到る処同じ問題である。私は数年来この問題をロゴスとパトスの統一の問題として規定してきた。ヒューマニズムはその本来の意図において全人的立場に立つものとすれば、かようなロゴスとパトスの統一の問題はまさにヒューマニズムの根本的な問題である。現代の反主知主義の哲学は一面的にパトロギー的となることによってヒューマニズムから逸脱している。しかしながらこれに対して抽象的な主知主義を唱えることもヒューマニズムにふさわしいことではない。ヒューマニズムは知性を一層具体的に捉えると共にロゴスとパトスの統一を求めなければならぬ。ヒューマニズムは単なる文化主義ではない。それはむしろ文化が身につくこと、身体化されること、或いは人間そのものが文化的に形成されることを要求している。それ故にここにもロゴスとパトスの統一の問題がある。

 かようにして我々は先ず知性と直観とを抽象的に対立させることをやめなければならない。西洋におけるヒューマニズムの源泉となったギリシア哲学においては知性も或る直観的なものであった。直観的な知性を認めるのでなければプラトンの哲学は理解されないであろう。ルネサンスのヒューマニズムにおいても同様である。デカルトは近代の合理主義の根源といわれるが、彼においても知性は一種の直観であったのであり、直観の知的性質を明かにしようとする現代の現象学はデカルトを祖としている。正しいものと間違ったもの、善いものと悪いものとを直観的に識別する良識 bon sens というものもデカルトの理性 raison といったものから出ていると見ることができる。知性と直観とを合理的なものと非合理的なものとして粗野に対立させることは啓蒙思想の偏見であり、この偏見を去って直観の知的性質を理解することが大切である。しかし今日特に重要な問題はデカルト的直観でなくむしろ行為的直観である。行為的直観の論理的性質が明かにされると共に人間というものの実在性が示されねばならぬ。近代のヒューマニズムは個人主義であることと関聯して人間を単に主観的なものにしてしまった。新しいヒューマニズムは行為の立場に立ち、従って人間をその身体性から抽象することなく、そしてつねに環境においてあるものと見ることから出立して、人間の実在性を示すことができる。しかるに身体性の問題はパトスの問題である。パトスは普通いうように単に主観的なものでなく、それなしには人間の実在性も考えられないようなものである。

 近代の自由主義は批評的な知性を発達させた。自由主義も固より単に批評的であったのでなく、それ自身の創造的な時代をもった。けれどもそれが社会において指導的意義を失うに従って自由主義は次第に創造的でなくなり、知性は単に批評的なものになってしまった。それは批評のための批評、批評一般に堕して行った。この傾向は知性が直観から離れて抽象的になることによって甚だしくされたのである。新時代の知性は単に批評的でなく創造的でなければならない。創造的知性が今日の知性である。批評的な知性が分析的であるのに対して、創造的な知性は綜合的である。抽象的になった批評的な知性は、創造的になるためにパトスと結合しなければならない。知性は民族のパトス、伝統のパトスの中に沈まなければならないといわれている。固より知性がパトスに溺れてしまっては創造はないであろう。創造が行われるためには自然の中からイデーが生れてくること、パトスがロゴスになることが要求される。創造は知性のことでなくて感情のことであるといわれている。その通りであるとしても、創造にはロゴスがパトスになることか必要であるように、パトスがロゴスになることが必要である。

 しかし如何にしてパトスは口ゴスになり、口ゴスはパトスになることができるであろうか。パトスとロゴスの統一は如何にして可能であるか。ロゴスに対してパトスの意味を明かにすることに努めてきた私は、この問題について絶えず考えなければならなかった。そして私は遂に構想力というものにつきあたったのである(拙著『構想力の論理』参照)。カントは感性と悟性の綜合の問題に面して構想力を持ち出した。構想力は、感性と悟性が抽象的に区別されたものとして先ずあって、これらを後から統一するのではない。構想力はそのような仕方で感性と悟性を媒介するのではない。媒介するものは媒介されるものよりも本原的である。構想力のこの本原性に基いて創造は可能である。

 科学が出てくるためには生素な経験主義からの飛躍がなければならないが、かような飛躍は構想力によって可能である。また科学が行為の中へ入るためには知識がパトス的直観と結び附かねばならないが、かような結合は構想力の飛躍によって可能である。知性が自然から独立するためにも、また知性が自然に還るためにも、構想力の媒介が必要である。知性の根柢に考えられねばならぬ直観は構想力でなければならない。構想力は直観的であるといっても単に非合理的なものでなく、それ自身知的なものである。知性の特徴とされる経験の予料、仮説的思考という如きものも、構想力なしに考えられないであろう。創造的知性は単に推理する知性でなく、構想力と一つのものでなければならぬ。

 現代の知性人とは如何なるものであるかという問に対して、「思索人の如く行動し、行動人の如く思索する」というベルグソンの言葉をもって答えることができる(第九回国際哲学会議におけるデカルト記念の会議に寄せた書簡)。ところで思索人の如く行動し、行動人の如く思索するということは構想力の媒介によって可能である。我々の眼前に展開されている世界の現実は種々の形における実験である。相反し相矛盾するように見えるそれらの実験が一つの大きな経験に合流する時がやがて来るであろう。「そこへ哲学が突然やって来て、万人に彼等の運動の全意識を与え、また分析を容易ならしめる綜合を暗示するとき、新しい時代が人類の歴史に新たに開かれ得るであろう。」知性人は眼前の現実に追随することなく、あらゆる個人と民族の経験を人類的な経験に綜合しつつしかも経験的現実を越えて新しい哲学を作り出さねばならぬ。この仕事の成就されるためには偉大な構想力が要求されている。すでに個人から民族へ移るにも、民族から人類へ移るにも、構想力の飛躍が必要であろう。今日の知性人は単に現実を解釈し批評するに止まることなく、行動人の如く思索する者として新しい世界を構想しなければならない。新時代の知性とは構想的な知性である。

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    伝 統 論

 伝統という語は伝え、伝えられたものを意味している。伝え、伝えられたものとは何を意味するであろうか。ベルンハイムは遺物 Ueberresste と伝統 Tradition とを区別している。遺物とは出来事について直接に残存している一切のものをいい、伝統とは出来事について間接に人間の把握によって貫かれ再現されて伝えられているものをいう。この区別はドゥロイセンの「我々がその理解を求めるところのかの現在からなお直接に残っているもの」と「そのうち人間の表象のうちに入り、追憶のために伝えられているもの」との区別に当っている。かくてベルンハイムによると、遺骨とか言語とか制度とか技術、科学、芸術の如きものは遺物に属し、歴史画とか物語絵とか年代記、伝記等は伝統に属している。このように歴史家が史料の分類上設けた区別はもちろん直ちに我々の一般的な目的に適しないであろう。言語の如きものは、我々はこれを普通に伝統と考えている。しかしそれにも拘らず遺物と伝統との区別は重要である。言語などにしても、その痕跡が残っていても全く死んでしまったものは伝統とはいわれず、遺物といわねばならぬ。即ち伝統は、単なる遺物と区別されて、現在もなお生きているものを意味している。しかるに過去のものが現在もなお生きているというには、その間において絶えず「人間の把握によって貫かれ」、「人間の表象のうちに入る」ということがなければならぬ。その限りベルンハイムの規定は正しいのである。かように絶えず人間の表象のうちに入り、人間の把握によって貫かれるということが伝えられるという意味である。言い換えると、遺物が単に客観的なものであるのに反して、伝統はつねに主体的に把握されたものである。伝統は単に客観的なものでなく、主観的・客観的なものである。過去のものが伝えられるというには、主観的に把握されることによって現在化されるということがなければならぬ。伝えるということを除いて伝統はなく、伝えるということは過去のものを現在化することであり、この行為はつねに現在から起るのである。伝統は行為的に現在に活かされたものであるが、現在の行為はつねに未来への関係を含み、行為によって過去の伝統は現在と未来とに結び附けられている。

  二

 普通に伝統は過去から連続的に我々にまで流れてきたものの如く考えられる。伝統は連続的なものであって、我々はその流のうちにあると考えられている。しかしながらかような見方は少くとも一面的である。先ず伝統のうちには連続的でないものがある。或る時代には全く忘却されていたものが後の時代に至って伝統として復活するということは歴史においてしばしば見られるところである。それが復活するのはその時代の人々の行為にもとづいている。伝統をただ連続的なものと考えることは、それをかように行為的なものと考えないで、何か自然的なもののように考えることである。その場合歴史は単に自然生長的なものとなってしまう。歴史を自然生長的なもののように見るかかる連続観は、保守主義的な伝統主義のうちにも、進歩主義的な進化主義 Evolutionism のうちにも、存している。しかるにかくの如き連続観によっては、歴史における伝統の意味も、また発展の意味も、真に理解され得ない。歴史は自然生長的なものでなくて行為的なものであり、行為によって作られるもの、そして行為によって伝えられるものである。伝統は過去から連続的に我々のうちに流れ込んでおり、我々はこの流のうちにあると考えるとき、我々と伝統との関係は単に内在的なものとなる。しかるに行為は、物が我々に対して超越的であり、我々が物から超越的であることによって可能であるのである。伝統を単に連続的なものと考える伝統主義は、如何にして行為が、従ってまた創造が可能であるかを説明することができぬ。そして行為のないところでは伝統は真に伝統として生きることもできぬ。それのみでなく、そのような伝統主義は自己が欲する如く伝統の権威を基礎附けることもできないであろう。伝統が権威を有することは、それが超越的なものであり、我々から全く独立なものであることによって可能である。伝統が単に連続的な内在的なものであるならば、それは我々にとって権威を有することができず、我々はそれに対して責任あるものとされることができないのである。

 かくて伝統主義の本質は、伝統の超越性を強調し、これに対する我々の行為的態度を力説するところになければならぬ。カール・シュミットは次の如く述べている。革命時代の能動的精神に対して、復古時代は伝統や習慣の概念、徐々の歴史的生長の認識をもって戦った。かような思想は自然的理性の完全な否定、およそ行為的になることを悪と見る絶対的な道徳的受動性を結果した。かような伝統主義は遂にあらゆる知的な自覚的な決断の非合理主義的な拒否となるのである。しかるに伝統主義の首唱者ボナルは、永久な、おのずから自分で発展する生成の思想から遠く離れている。彼にはシェリングの自然哲学、アダム・ミューレルの諸対立の混和、或いはヘーゲルの歴史信仰の如き伝統に対する信仰は存しない。彼にとって、個人の悟性は自分で真理を認識するには余りに弱く惨めなものであるので、伝統は人間の形而上学的信仰が受け容れ得る内容を獲得する唯一の可能性を意味している。伝統に対して我々は何等の綜合、何等の「より高い第三のもの」を知らぬ「此れか彼れか」の前に立っているのであり、ただ「決断」のみが問題である。シュミットはかかる決断の概念から彼の独裁の概念を導き出しているのであるが、ここで我々の注意すべきことは、伝統主義がシェリング、ミューレル、ヘーゲルなどの「ドイツ的センチメンタリズム」即ち浪漫主義、或いは連続的生成を考える有機体説、つまり内在論によってはその真の意味を明かにし得ないということである。伝統の概念は内在的発展の概念によっては基礎附けられることができぬ。

 しかしながらまた伝統を右のような仕方で絶対化することは却って伝統と行為との真の関係を否定することになるであろう。伝統の前には決断するのほかないとしても、もし我々の悟性が自分で真理を認識する能力のないものであるとすれば、我々のかかる決断に真の価値があるであろうか。またもしその際我々はただ社会の伝統に従うに過ぎないとすれば、かかる行為を真に決断と称し得るであろうか。伝統を絶対的な真理として立てることそのこと自身、それをかかるものとして立てる我々の行為の結果である。伝統は我々の行為によって伝統となるのであり、従って伝統も我々の作るものであるということができる。創造なしには伝統なく、伝統そのものが一つの創造に属している。伝統となるものも過去において創造されたものであるのみでなく、現在における創造を通じて伝統として生きたものになるのである。その意味において伝統は単に客観的なものではない。単に客観的なものは伝統でなくて遺物に過ぎぬ。伝統と単なる遺物とを区別することが大切である。過去の遺物は現在における創造を通じてのみ伝統として生き得るのである。歴史の世界において真に客観的なものというのは単に客観的なものでなく、却って主観的・客観的なものである。いわゆる伝統主義者は伝統が現在の立場から行為的に作られるものであることを忘れ、かくて遺物を伝統の如く或いは伝統を遺物の如く考えるという誤謬に屡々陥っている。もとより伝統なしには歴史はない。そうであるとすれば、歴史は二重の創造であるということができる。初め創造されたものが再び創造されることによって伝統の生ずるところに歴史はある。この二重の創造は一つのものにおける創造である。そこに歴史が単に個人の立場からは理解され得ない理由がある。

  三

 およそ伝統と創造との関係は如何なるものであろうか。すべて歴史的に作られたものは形を有している。歴史は形成作用である。形は元来主観的なものと客観的なものとの統一であって、歴史的なものが主観的・客観的であるというのは、それがかかる形として形成されたものであることを意味している。形として歴史的に作られたものは超越的である。形において生命的なものは自己を犠牲にすることによって一つの他の生命の形式を発見するのである。それが創造の意味である。「詩とは感情の解放でなくて感情からの脱出である、それは人格の表現でなくて人格からの脱出である」、とティ・エス・エリオットはいっている。作られたものは形として作るものから独立になり、かくて歴史に伝わるのである。伝統とは形であるということができる。伝統が我々を束縛するというのも形として束縛するのであり、我々が伝統につながるというのも伝えられた形を媒質として創造するということである。何等の媒質もないところでは、我々の感情も思想も結晶することができぬ。「感情の『偉大さ』、強度が、素成分が問題であるのでなく、芸術的過程の強度が、いわばその下で鎔和が行われる圧力が問題である」、とエリオットはいっている。伝統はかかる圧力として創造の媒質である。それが圧力を意味するのはそれが形であるためである。創造には伝統が必要である。形が形を喚び起すのであり、そこに伝統があるのである。

 伝統的なものは遺物とは異っている。遺物は歴史的世界において独立の生存権を有するものではない。しかるに伝統もまた創造されるものであった。伝統が創造されるというのは、それが形を変化する transform ということである。かくてあるかなきかの形は次第にさだかな形となり、弱い線、細い線は消し去られて太い線は愈々いよいよ鮮かになってくるという風に、種々の形式における形の変化・形成が行われる。あだかも人間が青年から壮年、壮年から老年へと形の変化を行う如く、歴史的なものはそれぞれ固有な形の変化を行うのであって、かような形の変化を行う限りそれは生命的なものと考えられるのである。作品は自己自身の運命を有するといわれるのもその意味である。制作者の手を離れた制作物は独立のものとなり、歴史において自己自身の形の変化を遂げる。もとよりそれは単なる外形の変化を意味するのではない。或るものはその外形までも変化することが可能であろうが、他のものにおいては、例えば芸術作品の如く、外形を変化することは不可能であろう。しかし形とは元来単に外的形式をいうのでなく、主観的なものと客観的なものとの統一を意味している。かかるものである故に、一度作られたものも再び主観的に把握されることによって新しい意味を賦与され、内面的に形の変化を遂げるのである。形の変化は、形が主観的なものと客観的なものとの、特殊的なものと一般的なものとの、パトス的なものとロゴス的なものとの統一であるところから考えられる。もちろん伝統は破壊され没落する。伝統も創造によって伝統として生きるのであるとすれば、伝統を作り得るものはまた伝統を毀し得るものでなければならぬ。伝統を毀し得るものであって伝統を有し得る、なぜなら伝統もまた作られるものであるから。伝統は既に形を有するものである故に、如何に変化するにしても限界がある。その変化の果てにおいて元の形は毀れて新しい形が出来てくる。かくの如く形が変化するというのも、形はもと主観的・客観的なもの、或いは特殊的・一般的なもの、或いはパトス的・ロゴス的なものとして、矛盾の統一であるからである。この統一が根本的に毀れるとき形の内面的変化は限界に達し、旧い伝統は没落して新しい形が創造されてくるのである。尤もこの創造それ自身何等かの伝統を媒質とすることなしには不可能である。一つの伝統を排斥する者は他の伝統によって排斥しているのである。

  四

 歴史は二重の創造であるということ、初め作られたものが更に作られるところに歴史があるということは、歴史の本来の主体が個人でなくて社会であるということを意味している。個人もまた社会から歴史的に作られたものである。歴史は社会が自己形成的に形を変化してゆく過程である。人間は社会から作られたものであって、しかも独立なものとして作られ、かくてみずから作ってゆくのであるが、人間のこの作用は社会の自己形成的創造の一分子として創造することにほかならぬ。従って人間においては自己の作るものが同時に自己にとって作られるものの意味を有している。制作が同時に出来事の意味を有している。そこに歴史というものがある。自己の作るものが自己にとって作られるものであることは特に伝統というものにおいて明瞭である。それだから伝統を我々にとってただ単に与えられたもののように考えるという誤解も起り得る。伝統は我々の作るものであり、それが同時に我々にとって作られるものの意味を有しているのである。いわゆる伝統主義者は人間の独立的活動を否定することによって伝統と単なる遺物とを区別することさえ忘れている。人間の独立性を否定することは社会の創造性を否定することである。社会の創造性は社会から作られる人間が独立なものとしてみずから作るところに認められねばならぬ。独立な人間と人間とは物を作ることにおいて結び附く。我の作ったものは我から独立になり、我を超えたものとして我と汝とを結び附ける。我々の作るものが超越的な意味を有するところに人間の創造性が認められる。かようにして作られたものは元来社会的なものである。我が作ることは社会が作ることに我が参加しているにほかならないのであるから。人間と人間とは作られたものにおいて結び附くのみでなく、むしろ根本的には作ることにおいて結び附くのである。我が作ることは実は社会の自己形成の一分子としての作用にほかならないのであるから。

 伝統は社会における人間の行為が習慣的になることによって作られる。行為が習慣的になることがなければ伝統は作られないであろう。しかるに習慣的になるということは自然的になるということであり、習慣的になることによってイデー的なものは自然の中に沈むのである。かくして伝統は次第に身体の中に沈んでゆき、外に伝統を認めない場合においても我々は既に伝統的である。伝統は伝統的になることによって愈々深く社会的身体の中に沈んでゆく。我々の身体はその中に伝統が沈んでいるところの歴史的社会的身体の一分身である。伝統は客観的に形として存在すると共に主体的に社会的身体として存在する。伝統は元来超越的であると同時に内在的であるのである。身体のうちに沈んだ伝統はただ我々の創造を通じてのみ、新しい形の形成においてのみ、復活することができる。創造が伝統を生かし得る唯一の道である。

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    天 才 論

 天才というものも一つの歴史的社会的現象と考えられるであろう。それは天才運動とか天才時代とかいう言葉で現わされ、人聞社会の一定の状態と結び附いている。かくて例えばチルゼルはイタリアのルネサンスと天才運動との関聯を明かにしようとした。またハィンリヒ・フォン・シュタインはイギリス革命と天才運動との繋がりについて語っている。そしてゲルヴィヌスは天才時代をフランス革命の先駆と称した。これら二つの政治現象のいわば中項として、それら政治史上の出来事を内的に制約している精神的状況の一つの徴候として、あの天才時代が存在した。ドイツではゲーテにおいて近代の天才的人間の典型が見られたのみでなく、カントによってこの天才性の概念の哲学的基礎附けと評価が行われた。シルレルの美的教育に関する第二書簡における、「時代の政治的問題を美学によって解決する」という言葉は、この時代の精神的傾向を特徴的に言い表わしているであろう。

 今日の社会的政治的現象における合言葉は「天才」ではなくてむしろ「指導者」である。この二つの概念が歴史的に含蓄する意味を明瞭にすることは、今日の歴史的現実を把握するために重要であろう。天才の先駆者は「英雄」であった。原始的な英雄崇拝の段階においては人的要素と物的要素とがなお分離していなかった。というのは、崇拝者は彼の英雄と物的目的を共通にしたのである。かくて将軍はその士卒から、予言者はその信者から、学派の頭目はその弟子から驚歎され崇拝されたが、.反対の党派の統領はただ憎悪を喚び起すのみであるというのがつねであった。この党派的な英雄崇拝から段階的に絶えず一層形式的な評価が現われてきた。今や勇敢な敵はもはや増悪をもって見られることなく、むしろ既に或る尊敬をもって見られるようになった。平和な心の殉教者は献身的な闘士と同時に且つ同様に称讃されるようになった。即ちチルゼルの言葉によると、党派的な人物評価は形式的無党派的な人物評価へ推移したのである。実際、我々の時代においては全く違った領域における偉人、全く反対のことがらに奉仕する者が同じように天才と呼ばれている。かような形式化は人々の関心が物よりも人間に、客観的なものよりも主観的なものに向うようになったことと結び附いている。天才の概念の成立は近代の主観主義的傾向と密接な関係をもっている。それは心理的には内的生活に対する反省を前提している。その場合物的な仕事よりも人間的な仕事の能力に、外部からの影響よりも内部の、生得の素質に、また内的生活の種々の面のなかでも最も主観的な、物的に確定するに最も困難なものに注目され、かくて感激や霊感、すべて非合理的なもの、合理的に習得されないものが天才の特徴と看倣される。浪漫的心情が天才主義の出現の地盤であった。人間は個性的なもの、特異なもの、他と共通ならぬものに従って評価され、かくて大衆との関係から切り離されて、孤独であること、理解されないということが天才の特徴であるかのようにさえ思われた。今日の指導者の概念は天才の概念における右の如き形式化と主観主義とを克服するものでなければならぬと考えられるであろう。しかしながら天才の概念がもはや無駄になったのではない。指導者そのものが今日においては天才であるといわれるであろう。天才とは何かという問題は、指導者の問題にとっても決して無関係ではない。指導者が旧い英雄に堕することのないためには、天才の概念を媒介にして指導者の概念が確立されねばならないであろう。かくて「時代の政治的問題を美学によって解決する」ということは、今日或る意味において再び必要になっているのである。

 この場合私はカントの天才論を顧みようと思う。カントの天才論が興味があるのは、先ずそれがいわゆる天才時代の哲学的反省の産物であるためである。この時代のドイツの天才論はフランス、殊にイギリスの文学や思想から大きな影響を受けているが、カントの天才論も同様であって、とりわけジェラードの『天才論』の影響が認められる。しかしまたカントの天才論において興味があるのは、彼があのシュトゥルム・ウント・ドゥラングの天才運動に対して他方、例の如く冷静な、批評的な、懐疑的な態度をとっているということである。それは天才主義的ならぬ天才論として興味が深い。もちろんカントの天才論が重要であるのはその哲学的内容のためである。一般的にいうと、カントによって確立された主観主義の哲学はドイツにおける天才運動の地盤を準備したと見られ得るのであって、カント哲学から出立したドイツ浪漫主義の哲学、フィヒテの自我哲学、シェリングの芸術哲学等が天才時代の思想的背景となった。カントの天才論は『判断力批判』の中で最もまとまって取扱われている。しかしシュラップの研究が明かにしているように彼はたびたびの人間学講義の中で既に天才について論じている。天才の問題は彼にとって元来人間学の問題であった。他方彼の論理学講義が示すところによると、美的完全性或いは後にいう美的判断に関するカントの説は、論理学と感覚論との対比から出てきている。かようにしてカントは『判断力批判』において人間学と論理学とに分れて存在する材料を内面的な統一にもたらすという興味ある試みをなしたと見られ得るのであって、これによって天才論と美的判断の批判とは相互に豊富にされることになった。即ちカントの天才論は心理学と論理学とを統一するものとして重要な示唆を含んでいるであろう。しかるに翻って考えると、カントが彼の先験的批判主義の立場から感覚論と論理学との関係を最も根本的に論じたのは『純粋理性批判』においてであり、そしてその中で彼は感性と悟性とを根源的に媒介するものとして構想力を考えたのである。ちょうどそのことに相応して、カントにとって天才の問題は構想力の問題であった。天才の論理は構想力の論理でなければならぬであろう。これがまた私には重要と思われる点である。

 さてカントは、ニコライによって伝えられる人間学講義の中で、人間の心を資質、才能及び天才に区別した。資質は物を把捉する力をいい、才能はしかし物を生産する力をいう。資質は教育されることの容易さであり、才能は物を発明することの容易さである。即ちカントはすでに才能タレントについて、物を作る力に関してのみこれを認め、単に物を容易に理解する力は才能とは別の資質ナトゥレルのことであると考えた。生徒に必要なのは資質であるが、教師にはしかし才能が必要であるとも彼はいっている。教師は自分で形態と作品を産出し得る者でなければならぬ。才能にしてすでにそうであるとすれば、天才はもちろん物を作るという見地から見らるべきものである。天才は創造的才能である。才能は教育を必要とするが、天才はその必要がなく、むしろあらゆる技巧クンストを代位する、それに属するものはすべて生得のものであり、従って技巧とは反対のもの、自然のものである。自然は物を理解しないであろう、物を理解するということは人間の資質である、しかし自然は絶えず物を作る、天才はかかる自然の如きものであると考えられる。天才が創造的才能であるというのは、カントによると、あらゆる規則なしに物を作るということである。それだから天才でないのに天才と思われようと欲する者は、規則を捨て、これによって天才の外観を与えようとする。しかし規則はその価値を保有している。天才でない者は僭越にも規則を捨てようとしてはならぬ。天才は教育によって作られない、ひとは天才を喚び起すことはできるが、才能を天才にすることはできない。「かようにしてひとは何人にも哲学を教えることができぬ、けれども哲学に対する彼の天才を喚び起すことはできるのであって、その場合彼が天才をもっているかどうかが明かになる。哲学は天才の学である。」天才は創造的才能と呼ばれ、また発明の概念と結び附けられた。「学問の発明には天才が、その修得には資質が、それを他に教えるには才能が必要である。」あらゆる芸術は言うまでもなく天才のものである。中位の天才というのは矛盾である。かような者は能才に過ぎず、天才は或る異常なものである。天才は稀である、言い換えると、毎日何物かが発明されているわけではない。尤も発明というものにも、才能を教育によって完成させ、かようにして規則の導きに従って発明するという場合があるであろう。しかしながら新しい方法を発明するということは教育によって学ぶことができぬ、とカントはいっている。天才は規則に束縛されるのでなく、彼が規則の模範である。天才が規則なしに物を作るということは、彼の作ったものが規則に合っていないということではなく、むしろ反対である。「作られるあらゆるものは規則に合うものでなければならないから、天才は規則に合っていなければならない。」それだからひとは彼の作品から規則を作り得るのであり、かくして天才は模範となるのである。天才は規則の意識なしにしかも規則に合うものを作り出すのである。

 ところで天才は人間の特に如何なる能力に関係するであろうか。人間学についてのカントの講義は一致してこれを構想力に帰している。天才には独創的な構想力が属する。構想力のみが創造的である。あらゆる天才は主として構想力の強さとその創造性に基いている。かようにして『実際的見地における人間学』の中では、「構想力の独創性は、概念に一致する場合、天才と呼ばれる、と定義的に記されている。概念に一致しない場合、それは単なる空想もしくは妄想に過ぎぬ。概念に一致するというのは規則に合っていることであり、また悟性に適っていることである。悟性は規則の能力にほかならない。「天才にとっての本来の領域は構想力のそれである。なぜならこのものは創造的であって他の能力よりもより少く規則の束縛のもとに立ち、そのためにそれだけ独創的であり得る。」しかし構想力の自由な戯れは悟性から導来されたのではないとはいえ悟性に適ったものでなければならず、そうでないとそれは妄想に過ぎないことになる。同じ箇所においてカントは「発明」と「発見」とを区別している。発見というのは、以前から既に存在していて単にまだ知られていなかったものを見出すことであって、コロンブスによるアメリカの発見はその例である。しかるに発明というのは、例えば火薬の発明の如く、それを作った技術家によって初めて存在するようになったのであって、それ以前には全く知られていなかったものを見出すことである。そしてカントは「発明の才能」が天才であるといっている。

 さて美と芸術の問題を主題とした『判断力批判』においてカントの天才論はだいたい次のような形をとっている。芸術は規則を必要とする、規則なしにはおよそ芸術は考えられない。けれども芸術の本質はこの規則が概念から導来されるのでないということを要求している。なぜなら美についての判断は美的(感覚的)であって、その規定根拠は主観的な感覚、感情であり、概念ではないから。ところで芸術はその規則を対象から概念的に導来することができないとすれば、そのものは必然的に主観のうちに、言い換えると、創造する天才の自然のうちに与えられていなければならない。「天才は生得の心の素質であって、これによって自然は芸術に規則を与える。」これがカントの有名な天才の定義である。この言葉のうちには全く深い形而上学的問題が含まれている。そこに言い表わされているのは自然と自由との綜合であり、そしてまさにその点に判断力批判がカントの哲学において占める決定的に重要な体系的地位が存している。芸術は天才の芸術としてのみ考えられ得る。天才の第一の性質は言うまでもなく独創性である。彼は模倣によって作るのではなく、模範なしに作るのである。しかも第二に、天才のこの独創性はそれ自身模範的であり、他に対して規範或いは典型として役立つのでなければならぬ。第三に、創造的天才は自己自身にとっても秘密である。彼は学問的に彼の方法を示し、これによって直接の模倣を可能にすることができぬ。彼は無意識に、彼の自然の、生得の素質に従って、いわば彼を噂く保護神ゲニウスの天来の影響のもとに創造するのである。天才は自然として芸術に規則を与える。第四に、天才は学問の領域即ち概念の領域には存在せず、ただ芸術にのみ属している。天才が自然として芸術に与える規則は概念的に導来され定式化され得る法則ではない。それは、既に出来上った芸術作品から、批評と趣味に対する規矩として役立ち得るために、読み取られねばならぬ。.天才の作品はその場合にも精密な、小心翼々の「模作」にとっての手本であるよりも、「模倣」即ち競争的な継承にとっての例である。言い換えると、それは継承者の同じ性質の精神の生産性を刺戟し、これによって「原理を自己自身のうちに求め、かくして自己自身の、屡々より善い道を取る」ように導くのである。ただ天才の作品においてのみ芸術は一つの世代から他の世代へ伝えられる。天才の作品は芸術的理念にとって唯一の伝達手段である。

 いまカントが判断力批判において芸術にのみ天才を認めて、他の領域には天才は存在しないと考えたことは、我々の一般の考え方に一致しないであろう。カント自身、人間学の中では、既に記したように、例えば哲学を天才の学と称している。また彼は天才を発明の才能とも規定したのである。実際我々はあらゆる領域において、発明と独創の存在する場合、そこに天才を考えることができるであろう。カントは天才の芸術のみが芸術であると考え、このように天才というものを重く見たのであるが、同時に彼は天才でなくて天才を気取る者、いわゆる天才的人間、「見たところ今を盛りの天才」を「天才猿ども」といって軽蔑し、非難し、警告した。彼等は訓練馬に乗ってよりも狂い馬に乗ってより善く行進し得ると思っている浅薄な頭脳であり、あらゆる規則を放擲しさえすればそれで既に天才であると信じているのである。「極めて細心な理性の研究に関することがらにおいて誰かが天才の如く語り、決定するならば、それは全く笑うべきことである。」カントが芸術以外の領域においては、天才というものを認めず、芸術においても或る箇所では天才はただ豊富な素材を供し得るのみで、その加工即ち形式は学校風の才能を必要とするという意見を漏している如きことは、彼の、天才論がその時代のいわゆる天才運動に対する彼の抗議的な態度に影響されていることを示すものと解し得るであろう。

 天才はカントによると美なるものを作り出す生産的才能である。これに対して趣味は美なるものを判断する能力である。美的判断は趣味判断にほかならない。カントの判断力批判の主題は美的判断であった。それでは天才と趣味とは如何に関係するであろうか。趣味は単に美なるものを判断する能力であるとすれば、芸術作品の生産にとっては趣味のみでは足りないといわねばならぬ。ところがカントは他の場合には芸術作品を趣味の生産物といっている。これは矛盾であるように見える。しかしこの矛盾は外見上のものである。天才は自然として芸術に規則を与えるというカント自身の定義に従うと、趣味との一致は天才から離すことができず、むしろ本質的なものとして天才に属しなければならぬ。天才の作品は趣味に反するとは考えられ得ない。趣味のない天才は模範的でも典型的でもなく、規則を与えるものでなく、判断の規矩となるものでなく、従っておよそ天才ではないであろう。趣味判断の規定根拠はカントによると美的合目的性である。即ち経験的直観において与えられた対象の形式が、構想力における対象の多様の把捉と悟性の概念の表出との一致するような性質のものである場合、悟性と構想力とは単なる.反省において相互にその仕事の促進のために調和し、そして対象は単に判断力にとって合目的的なものとして知覚されるのである。ところで「その結合(一定の関係における)が天才を構成する心の力は構想力と悟性である。」天才は構想力と悟性という「彼の認識能力の自由な使用における主観の天賦の模範的な独創性」である。そして「構想力がその自由において悟性を喚び起し、また悟性が構想力を概念なしに規則に合った戯れにおく場合、表象は思想として伝えられないで、合目的的な状態の内的感情として伝えられるのである。」天才はただ気儘な構想力であるのではなく、そのいわば相関者として悟性が絶えず注意されている。美的理念は多くのことを考えさせるようにする構想力の生産的な、含蓄的な表象にほかならないのである。

 私はここにこれ以上カントの天才論を追求することを要しないであろう。天才は自然として芸術に規則を与えるという定義、或いはまた芸術作品は自然の生産物として現われ、逆に自然もまた芸術として見られる場合にのみ美と呼ばれ得るという、あの「自然の技術」の思想とも関聯すべき説などに含蓄されると思われる形而上学を展開することは他の機会に譲らねばならぬ。今日我々が指導者の問題を考えるに当ってカントの天才論から学ばねばならぬのは、およそ次の如きことであろう。もとよりすべての指導者が天才であるのではない。指導者は先ず何よりも能才でなければならぬ。人を教え得る能力は才能に属するとカントもいっている。能才ですらない者が天才を粧うが如きは甚だ笑うべきことである。

 天才は──能才もすでに──物を作る能力においてのみ考えられる。それがどのようなものであろうと、単に芸術作品に限られることなく、社会の組織とか制度の如きものであるとしても、物を作るということにおいてのみ天才が考えられる。指導者も何等か天才的なものとして物を作り得る人間でなければならぬ。単なる口舌の徒は指導者の資格を有しないであろう。しかるに「作られるあらゆるものは規則に合うものでなければならないから、天才は規則に合っていなければならない。」もちろん天才は、既に存在する規則に従って作るのではない、彼は創造的である。彼が創造するものはしかし規則を与えるもの、従って悟性に適ったものである。指導者にはかような合埋性が要求されている。その行為に如何なる合理性も認めることができない者は指導者とは考えられない。尤も天才の作品は精密な、小心翼々の「模作」にとっての手本であるよりも、継承者の同じ性質の精神の生産性がそれによって刺戟され、それと競争するという意味における「模倣」にとっての例である。模倣はこの場合単なる模写ではない。継承者は先駆者の遣り方によって、「原理を自己自身のうちに求め、かくして自己自身の、屡々より善い道を取る」ように、「先駆者が汲んだのと同じ源泉から汲み、彼等からはただその際彼等が如何に振舞ったかの仕方を学び取る」ように、導かれるのである。「天才はただ天才によってのみ点火され得る」、とレッシングはいった。指導者においても同様であって、彼の天才が他の人々の精神の同じ性質の創造的才能を刺戟し、喚び起すという仕方で彼は模倣されるのでなければならぬ。芸術は模倣であるという場合、模倣はまさにかくの如き意味であるであろう。例えば美しい風景や人物は芸術家の創造的才能を刺戟し、喚び起し、生産的活動に駆り立てる。その際彼は単に自然を精密に、小心翼々として模写しようとするのではなく、却って自然と同じ源泉から汲み、且つ自然の如く創造しようとするのである。自然そのものが天才的であるといい得るであろう。カントのいう「自然の技術」は天才的なものでなければならぬ。構想力の独創性は自然の技術のうちに存在し、しかもそれは概念と一致している。構想力は世界形成的な原理である。天才が自然の如く働くように、自然は天才の如く働く。単にいわゆる天才のみが天才的であるのではない。あらゆる人間は何等かの程度、何等かの仕方で天才的であり、創造的であり得る。『純粋理性批判』において宇宙論的意味を与えられた構想力、そしてその実現と見られ得る『判断力批判』における自然の技術の思想は、カントの天才論の帰結をここまで持ってくることを可能にするであろう。そこでまた指導者は他の人々の創造的才能を抑圧するのでなく、彼等のうちに存在する天才に点火してこれを生産的にするものでなければならぬ。ソクラテスにおけるダイモニオンの思想は後の天才の概念の端初と見られるのであるが、そのソクラテスの天才はまさにかくの如きものであった。かくの如き意味において模倣され継承されるものが真の指導者である。指導者は規則であるよりも精神であるといわれるであろう。精神ガイストとは何であるか、精神は「生命的にする原理」であるとカントはいっている。美的意味における精神は心における生命的にする原理であって、心の諸力を合目的的に活溌に活動させるものである。この生命的にする原理即ち精神は美的理念の表出の能力にほかならず、美的理念というのは多くのことを考えさせるようにする構想力の生産的な、含蓄的な表象である。ところで天才は天才を喚び起すという場合、各々の人間は一つの創造的世界のうちにある創造的要素と考えられねばならぬであろう。天才はこの創造的世界或いは歴史的自然の深みから汲んでくるのである。すべての人間はかかる世界から作られたものであるが、しかもすべての人間がそれぞれ独創的なものであるとすれば、天才が天才を喚び起すという場合、かかる世界の構造はライプニッツのモナドロジーの如きものと考えられねばならぬであろう。発明と模倣の法則によって社会現象を説明したタルドの社会学の根柢にかかるモナドロジーが存在するのは興味深いことである。またあのドイツにおける天才時代の天才論に哲学的根拠を与えたものがライプニッツのモナドロジーであったのも注目すべきことである。カントの天才論はライプニッツのモナドロジーによって発展させられねばならぬ。同時にそこに今日の指導者の概念の展開にとって一つの重要な契機が見出されるであろう。

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   指導者論

   一

 指導者という言葉は今日の合言葉である。政治、経済、文化のあらゆる方面に於て、指導者理念が掲げられ、指導的人物が求められている。これが現代の特徴である。もとより指導者というものはいつの時代、どこの社会にも存在する。それはすでに動物社会においても認められるのである。しかしながら、ちょうど天才というものはあらゆる時代に存在するにも拘らずただ一定の時代の一定の社会──例えば浪漫主義時代のドイツ──において天才理念が掲げられ、そこにいわゆる天才時代を出現したように、今日我々の時代は特に指導者時代と称し得るほど指導者の思想がこの時代を特徴附けているのである。

 かように今日指導者というものが前面に現われるようになったのは、如何なる理由にもとづくであろうか。すべての時代、すべての社会に指導者は存在している。しかるに社会の有機的時期即ち均衡と調和の時期においては、その指導者は特に指導者として社会的に自覚されることがない。彼等はいわゆる「自然的指導者」に属するであろう。このものは今日いわれる自己意識的な指導者とは違った性質、違ったタイプのものである。その場合、指導者は殆どみずから指導者として意識することなく、彼等に従う者も全く自然的に従っているのである。或いはむしろ社会生活は特別の人間の指導に特に負うことなしに自然的な調和を示している。それは習慣乃至慣習によって秩序附けられている。習慣とか慣習とかは、「没人間的」なものである。そのような場合、例えば我々の倫理的生活は、嘗て論じた如く、没人間的な格率において定式化された常識的倫理に従って規律されている。かくの如き時代においては指導者という特定の「人間」の重要性が社会的に自覚されるということはないであろう。指導者の観念が特別の含蓄をもって現われてくるのは何よりも社会の危機的時期においてである。明瞭なリーダーシップは最もしばしば危機から生ずると社会学者もいっている(ヤング「社会心理学」)。危機的時期においては従来通用していた常識ではもはや処理することのできないような新しい問題が現われてくる。新しい環境に適応する新しい方法を見出すために、人々は指導者を求め、またその指導者というものが現われてくる。このような場合倫理においても没人間的な格率的倫理に代って、模範と考えられるような「人間」に従ってゆくという人間的倫埋とも称すべきものが生じてくるのである。この人間が倫理上における指導者なのである。政治、経済、文化のあらゆる方面において同様の事態が認められるであろう。今日指導者の観念が前面に出てきたということはまさに現代が社会の転換期といわれるような危機的時期であるということに相応している。

 かくて指樽者というものは社会的状況との関係なしには理解することができない。リーダーシップは一定の状況の函数であると考えることができるであろう。もとより指導者となる者はその個人において一定の特質を具えているのでなければならない。指導者には指導者として必要な天分とか素質とかがある。しかしそれだけが指導者を作るのではない。他面指導者は一定の歴史的社会的状況に制約されて現われてくるものであり、その産物であると見ることができるであろう。ところであの天才時代においてはすべての人間が天才に憧れ、また天才を気取るということがあった。それは単に多数の天才が輩出した故に天才時代と呼ばれるのでなく、むしろ一般の人間が天才を憧憬し天才を気取る傾向が普遍的に存在した故にそのように呼ばれるのである。同じように、今我々の時代が指導者時代と称せられるのは単に多数の指導者が出現しているという理由に依るのではない。この時代においてはすべての人間が、従って何ら指導者としての資格を有することなく、また真の指導者の如何なるものであるかを理解しない人間までもが指導者顔をし、指導者を気取るという一般的傾向が認められる。そして天才時代における弊害が真の天才でない者の天才を気取るところに生じたように、今日の弊害も真の指導者でない者が指導者を気取るところに生じている。それ故に真の指導者が如何なるものであるかを明かにするということは、現代の特徴を把握するためにも、その弊害を匡救するためにも、必要なことでなければならぬ。

   二

 すべて転換期には人間の新しいタイプが現われてくる。指導者というのもかくの如きものであろう。しかし何故に今の時代は、例えば天才の時代でなくて特に指導者の時代であるであろうか。天才崇拝のうちに現われたのは個人の自覚、その特殊性、独自性、根源性の自覚であった。それは封建的全体主義的秩序からの人間の解放を意味した。ルネサンスにおけるイタリアの天才時代がそうであったし、またあのドイツにおける浪漫主義の天才崇拝も近代市民的意識の覚醒と結び附いたものであった。社会史的に見ると、天才時代は近代の個人主義の先駆であったのである。しかるに今日はそのような個人主義的社会からの転換期なのである。この時代はもはや天才の時代ではなく、却って指導者の時代である。今日の指導者理念は個人主義的社会から新しい全体主義の社会への転換期にあたって生れたものである。従って指導者の観念そのものが個人主義的なものでなく、新しい全体主義の理念をそのうちに表現しているのでなければならぬ。個人的に、天才を気取ったり、自己の優越性を誇示したりする者は、真の指尊者とはいい得ないのである。

 もとより最高の指導者は天才でなければならないであろう。しかし天才という場合と指導者という場合とでは、評価の仕方に差異があることに注意しなければならぬ。最高の指導者は天才であると語られる場合すでにその差異が現われている。即ちそれはあらゆる種類の最高の指導者をいずれも同様に天才と認めるのであって、そこに天才の概念における評価の仕方の或る形式主義が見出されるであろう。歴史的社会的に見ると、「天才」に先行したものは「英雄」であった。しかるに原始的な英雄崇拝においては、崇拝者は彼の英雄と目的を共通にしたのである。客観的な目的の評価と主観的な能力の評価とが分離していなかった。将軍はその士卒から、予言者はその信者から、学派の頭目はその弟子から崇拝されたが、反対の党派の統領はただ増悪をもって見られるのが通例であった。英雄崇拝はその根源において党派的であった。このような内容的で党派的な人物評価は歴史的において次第に形式的で無党派的な人物評価に推移していった。天才の概念はこのような形式主義を示している。かくして近代においては全く違った領域における偉人、全く反対のことがらに奉仕する者が同じように天才と呼ばれる。このような形式化は近代における主観主義的傾向と関聯して生じたことである。それは人々の関心がものごとよりも人間に、客観的なものよりも主観的なものに、仕事そのものよりも仕事の能力に向けられるようになったことと関係しているのである。いま指導者の概念は天才の概念における右の如き形式主義と主観主義とを越えたものでなければならないであろう。指導者の概念は或る意味においては英雄の概念と同じである。即ちここに再び或る内容的な党派的な人間評価が現われる。一つの党派の指導者は他の党派に属する者にとっては何等指導者ではない。或ることがらにおける指導者はそれとは無関係なことがらについては何等指導者ではない。全く形式的に指導者というものを考えることはできない。そして天才が自己の主観的なものを発揮しようとする者であるとすれば、指導者は自己を超えた客観的なものに仕える者でなければならない。もとより今日の指導者は昔の英雄の如きものであることができないであろう。天才主義的な指導者が真の指導者でないように、英雄主義的な指導者も真の指導者ではないであろう。新しい指導者は天才の概念における主観主義や非合理主義の弊害を克服すると共に、天才の概念並びにそれを生んだ近代主義における積極的なもの、価値あるものを生かすものでなければならず、これによって古い英雄の概念とは区別されて真に新しいものであることができるのである。

 かようにして指導者に先ず要求されるものは創意である。真の指導者は発明的でなければならぬ。しかるにこの創意とか発明とかいうものはまさに天才の概念を規定するものである。上にいった如く指導者が指導者として前面に現われるのは危機の時代である。それは従来通用してきた常識や理論ではもはや間に合わなくなった時代である。このような時期に要求されるものとして、指導者は創意的発明的でなければならない。何等の創意もなく、教えられたことをただ繰り返しているような人間は真の指導者であることができぬ。次に天才というのは、他の場合に述べた如く、本来物を作る能力についてのみ認められるところのものである。カントはすでに能才について、物を作る能力についてのみこれを認め、単に物を容易に理解する力は能才ですらないと考えた。天才はもちろん物を作るという見地から見るべきものである。物を作るということは単に知るということと同じではない。天才の概念がそうであるように、指導者もまた物を作り得る者でなければならない。そして実践というのは広い意味において物を作ることであるとすれば、指導者は本質的に実践的でなければならぬ。科学の如きにおいても、真の指導者は与えられた科学的知識をただ理解しているというに止まることなく、みずから科学的研究を実践する人、しかも創意的に、先駆者的に実践する人でなければならぬ。単なる口舌の雄は真の指導者ではない。指導者は高くとまっているのでなく、国民の中に降りて来て、共に実践する人でなければならないのである。ただ単に知っているだけでは指導者ではない。みずから実践する人、物を作る人、他と同じように働く人、いわゆる「パーソナル・リーダーシップ」をとる人であって真の指導者である。

 しかしながら実践には知識が必要である。とりわけ今日の如き複雑な世界においては、知識なしには実践することができない。もちろん知るということは単に過去のことを知ることではない。却って知ることは発見することであるというのが、近代科学によって把握された知識の理念である。知ることが予見することであるということによって、知識は実践的意義を有し得るのである。政治は予見である、と誰かが言った。予見することができない者は真の指導者であることができない。例えば今日の国際情勢はたしかに複雑である。しかしそれをただ複雑であるとのみ言っているのでは、指導者の資格はないであろう。そこに何物かを予見し、我々の進むべき進路を示し得る者であって、真の指導者である。今日の指導者に向って求められるのは何よりもこの予見の能力である。その見通しが次から次へ絶えず間違っているようでは指導者の資格に欠けているものといわねばならない。なるほど今日の事態は正確に見通すことが困難である。そこには従来の常識で判断することのできないものがある。しかしそれだからこそ指導者が要求されるのであって、もしそうでないならば「指導者」というものが特に現われてくる理由もなかったであろう。ところで予見には知識が、科学が必要である。もとより既存の知識、既成の科学だけでは十分ではないのであって、そこに指導者の要求される危機というものの本質があるであろう。従って指導者の知識は発明的、創造的でなければならない。またその場合単に合理的に思惟するのみでは足りないであろう。指導者には直観が、天才的な直観が必要である。特に彼にとっては単に知ることでなく行為することが目的であるとすれば、行為はつねに具体的な、歴史的に特殊的な状況におけるものであるということから考えても、指導者にはすぐれた直観力がなければならないであろう。しかし真の直観は合理的思惟を尽した後に出てくるものである。最初から科学を軽蔑するというような態度からは真の直観は生じない。カントの考えた如く、天才は無意識的に働く構想力の独創性であるが、それは悟性の概念や規則に適ったものでなければならない。そうでなければ天才ではなく、妄想に過ぎぬ。しかも、天才は無意識的に作るものであるにしても、指導者はつねに目的意識的でなければならないのである。自分自身何処へ行くのか分らないような者は他を指導することができぬ。もとより歴史における必然性は単なる必然性ではなく、必然性が同時に可能性の意味を有している。運命というものもかようなものである。従ってそれは我々にとって如何ともし難いものではなく、我々の意志と行為によって変じ得るものである。歴史は我々の作るものである。それだから指導者には決意と行動とが要求されている。決断力を欠ける者、非行動的な人間は指導者としての資格を有しないものといわねばならぬ。指導者は決断の人でなければならない。そこに危機といわれるものの本質がある。危機は連続に対して非連続、断絶を意味し、この非連続、断絶は、決意によってのみ越えることができる。しかるに指導者は唯一人行動する者でなく、他を動かして一緒に行動する者である。そこに唯一人で物を作る天才とは異る指導者の資格が必要であろう。天才は世の中から理解されないのがつねであるというように言われている。しかるに他から理解されないような指導者は何等指導者ではない。指導者であるということのうちには他から理解されるということが含まれている。そしてまた指導者は自己の行動を他に理解させ、これによって他の協力を得るようにしなければならぬ。そこに天才の概念とは異る指導者の概念における知的な、合理的な性格が現われるであろう。彼等の行動は天才的な直観にもとづくにしても、これを他の人々に理解させるために、できるだけ合理的に説明して教えることに努力しなければならないのである。指導者は独善家或いは独断家であることを許されない。協力者をもっているということが指導者の概念に欠くことのできぬ要素である。

   三

 指導というものは関係である。それは一方的なことでなく、そこにはつねに指導する者と指導される者とがなければならない。即ち指導者は応えられなければならない。応えられない者は天才であり得ても指導者ではないのである。

 リーダーシップは関係として道徳的関係でなければならぬ。なぜなら指導者は単に知ることでなく行為することを目的とすべきものであり、リーダーシップは人と人との間の行為的関係として成立するものであるからである。指導する者と指導される者との間に道徳的関係の存在しないところにリーダーシップは存在しない。指導被指導の関係において何よりも必要なのは信頼と責任である。信頼と責任とはあらゆる道徳的関係の根本である。信頼され得るために指導者の具えなければならぬ道徳的資格には種々のものが数えられるであろう。利己的でなく全体のために計るものであって信頼されるのである。自己の金儲けや立身出世を考えることなく全体のために自己を犠牲にするものであって信頼されるのである。ただ世間の風潮に追随するのでなく自己の信念にもとづいて行動するものであって信頼されるのである。率先して実行するものであって信頼されるのである。謙譲の徳を有するものであって信頼されるのである。責任を重んじるものであって信頼されるのである。そして指導者はこの信頼に応える責任をもっている。強い責任感を有するということは指導者にとって大切なことである。他を信頼するものであって自分が信頼されるように、自分から責任を重んじることによって他に責任を重んじさせることができる。指導者は自己の行動に対していつでも責任をとる覚悟がなければならない。自己の行動に対して責任を負うということは、ただその動機さえ純粋であれば宜いというのでなく、またその結果に対して責任を負うということである。かようにして責任を重んじる者はその行動が結果において成功的であるように努力しなければならない。動機さえ純粋であれば宜いと考えることは、個人の良心を満足させるにしても、社会的に見ると無責任ということになる。そして指導者の行動はつねに本質的に社会的見地に立っているのである。社会的良心は自己の行為の結果に対して責任を負うことを要求する。ところで成功するためには知識が、予見が必要である。どれほど動機が純粋であっても──動機の純粋性はもちろんあらゆる場合に先ず要求されるものである──無知であったり予見力が全くなかったりしては不成功に終るのほかない。ここにおいて道徳は知識もしくは智能と結び附かねばならぬ。知識と道徳とは、元来分離し得べきものではないのである。

 リーダーシップは本質的にリレイションシップである以上、指導者はつねに指導される者の協力を必要としている筈である。従って如何なる独裁者も人心を把握することを心掛けざるを得ない。実際また今日の独裁者はそのことを特に重要視しているのである。その点において如何なる独裁者もデモクラティックでなければならないといい得るであろう。そしてそこにあの英雄とは異る指導者の近代性がある。いわゆる官僚的でなく、国民的でなければならぬ。尤も指導者が国民的基礎の上に立つということは必ずしもいわゆるデモクラティックな方法によるのではなかろう。人の心を捉え得るということは天分に属する問題でもある。指導者はそのオーソリティとプレスティッジュとによって指導者となる。しかるにこれらのものはデモクラティックなものでなく、また単に知的な、合理的なものではない。しかし指導者とは単に命令するものではなく、むしろ自己に向って憧憬させるものである。権威も国民的基礎の上に立たないものは真の権威ではないであろう。指導者の権威は、彼がより高いものに仕えているというところから生じる。そして指導する者と指導される者との真の協力は、両者が共により高いものに仕えるところに真に成立し得るのである。そして協力においては、指導者の創意が重要であると同様に、指導される者の創意を重んじることが大切である。各人の有する天才を発見することは指導者の任務であろう。

 国民を把握し得るために指導者は国民心理を把握しなければならぬ。彼はすぐれた心理学者として、国民の外形を観察するに止まることなく、その内部に入って理解しなければならない。指導する者と指導される者との関係が道徳的関係であることを考えると、これは甚だ重要である。ところで指導者が人心を掴むために用いる主要な手段は宣伝と教育である。宣伝は特に近代的な手段である。それは有効であるだけ危険も多いのである。宣伝は理智よりも感情に、各人の判断よりも群衆心理に、うったえるのがつねである。一層大切なのは教育である。宣伝そのものも教育的でなければならない。もとより感情の意義を認めないということはあらゆる場合において間違っている。行動には感情が必要である。大いなる行動は大いなる感情を要するであろう。しかし宣伝の効果がその場その場のものであるのに反して、教育の効果は持続的である。教育は指導する者と指導される者とが共通の理解をもって共通の目標に向って働くことを可能にする。この理解ある協力こそ最も大切である。宣伝はその場の効果をねらうものとして、ひとが現在もっている感情乃至知性にうったえる。宣伝はただ現在にあって、未来を知らない。これに反して教育は現在ある人間を作り変えることを目差している。教育は新しい人聞の形成である。真の指導者は国民を新たに作り直すことによって目的を達しようとするのである。彼は政治は教育であるということを理解して実践するものである。

 指導者の時代は危機或いは転換期として、リーダーシップは「人間」にあるのがつねである。しかし、人間は、指導する者も指導される者も共に組織されなければならない。指導者に必要なのはこの組織力である。ところで組織の発展につれてリーダーシップは次第に人間から制度の中へ入ってゆき、ここにいわば「制度化されたリーダーシップ」或いは「組織された権威」が生ずるに至るであろう。指導者はそのリーダーシップを安定させるためにもこのようにそれを制度化することを求める。それが制度化されると共に組織の自働性が生じ、かくして「指導者」というものは影を没するようになる。もとより指導者が一般になくなるのではない。既にいった如く、どのような社会にも指導者は存在している。しかしその場合、指導者は今日考えられるような意味においてはもはや表面に現われないようになる。かようにして指導者の重要な目標が組織を作ること、リーダーシップを制度化することにある限り、指導者の活動は自己否定にあるということができるであろう。指導者は自己否定的であることによってその目的を達し得るのである。彼等がいつまでも「指導者」であろうとする限り、彼等は組織の力を認めないことによって浮いたものになり、従ってまた真に指導力をもつことができない。もちろん、ここにいう組織とか制度とかは指導者の新しいイデーに従って新たに作られるものである。既成の制度の中にあってその制度の権威に依頼して指導者顔をするが如き者は論外である。

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