「駅おたく」
友だちは、ぼくをそう呼ぶ。
駅が大好きで、ぼくが東京駅にのめりこんでいるのは事実だから、反論はしない。けど、だれだって、すこしは何かに入れこんでいる、とぼくは思う。ラジコン飛行機とか、キャラクターグッズとか、パソコンとか。
友だちに、まんがおたくや、パソコンおたくはいるけれど、最初ぼくは“おたく”じゃなかった。友だち大ぜいといっしょに遊んでいたんだもの。
十二、三人の友だちと東京駅の通りぬけ通路を、だあっと走って丸の内側に出る。出たときの景色がさ、今来た八重洲側とちがって、急にすまし顔になるのがおもしろいんだ。あれ、建物の関係だと思う。
駅を横断するだけで、まるきり違う街になる所って、そう無いんじゃないかな。でも、母さんにいわれた。
「あきらは、もう高学年なのよ。いつまでも汽車ぽっぽあそびは、おやめなさい」
母さんは古い。汽車ぽっぽとは、ポッポッと煙を吐いてた蒸気機関車、SLのことをいったので、今どき、めったにお目にかかれないのにさ。
そのうち友だちはあきてきて、一人二人とへり、東京駅へくるのは、ぼく一人になった。
これで、“一人で好きなものに、こもる者”って感じの、おたくになったってわけさ。SLファンはいるけど、駅好きって、ぼくのまわりには、いない。
けれどぼくは、だんぜん東京駅が好き。いつも何か発見できるし、丸の内側で、すこし離れて眺める駅舎も、胸がどきどきするほど魅力的だし。今日もランドセルを置いて、
「母さん、行ってくるよ、友だちんとこ」
と、いって東京駅へきた。北口からまっすぐ、通りぬけ通路を歩いた。立ち止まると、頭の上にレールが通っていて、列車が、出たり入ったりしているのを感じて、ぞくっ、とする。
丸の内側に出て、道路を横切り、その向こうの広場まで、いっきに走る。くるりと東京駅に向き合う。横に長い駅舎を、右から左へずっと見まわす。赤煉瓦の建物を、きれいだと思う。堂々としていると思う。写真で見た空襲で焼ける前の、美しい王冠型ドームを、駅舎の上に想像して乗せてみたら、また、ぞくっとした。
いつものように、見とれていたら、
「おう、きみ」
急に声をかけられた。うす茶のスーツの上品なおじいさんだ。
「きみは、熱心に駅を見とるなぁ。東京駅、好きか」
「うん、好きだよ」
「そうか。わたしは建築をやっとるが、この建物は、すばらしいと思う。それを、アムステルダム駅をまねた、とぬかすやからがいる」
「知ってるよ」
ぼくは、せきこんでいった。
「だけど、そのうわさ、大正三年の十二月十五日に東京駅が完成してから、三十年もたって流れたんでしょ。ほんとにまねして作ったんなら、もっと早くにいわれるよね」
「おっ、きみは小さいのに良くわかっとるなぁ。たぶん、はじめて外国へ行ったやつが、オランダのアムステルダムで、感激のあまり口走ったのだろう。うわっつらだけ見てなぁ」
「そうだよ。ぼく、知ってる。オランダは石より赤煉瓦造りが好きで、それで、アムステルダム駅も赤煉瓦で造ったんだ。線路にあわせた横長の通過駅型が珍しい中央駅っていうのも東京駅と同じ。それが似てるだけ」
「そう、そう。そもそも、この東京駅は、辰野金吾が設計し、三回案を練り直し、八年がかりの設計なんである。工事は、えーっと工事は……」
「着工から六年間かかったんだよね」
ぼく、このおじいさんが、仲のいい友だちに思えてきて、やさしくいった。おじいさんは、にこりとぼくに笑顔を見せて、いった。
「きみは、いいやつだなぁ。それに、ほんとうにこの駅が好きらしい。将来、建築家になるんじゃないか。じつは、わたしが建築を志したのは、東京駅に感激したからなんだ。はじめてこの駅を見たのは、子どものとき。戦争中のむかしの話だ。遠くへ旅立つことになって、この駅の前に立ったとき、わたしは、体中がふるえた。なんて美しいのだろう、立派なんだろう。魂が吸いよせられるおもいがした。その時の感動で、わたしは建築をやることになった」
おじいさんは、ここまでいっきにしゃべった。ぼくは、はじめて大人から、対等に話しかけられている、と思った。
「わたしはねぇ、人生の節目、節目にこの赤煉瓦の東京駅を見にくるんだ。どんなに遠くに住んでいてもね」
そういって、おじいさんは大きな手で、がぼっと、ぼくの手をにぎってふった。
「きみにあえたのは、うれしいよ。今日は、遠い思い出の日なんだ」
おじいさんは、目を細めてぼくを見つめ、ぼくの知らない歌を口ずさんだ。どこか淋しいメロディの歌を。
むらさき においし
むさしの のべに
にほんの ぶんかの
はなさき みだれ……
(すこし、おそくなっちまった)
そっと玄関を開けたら、いつもの、
「あきら、おそいわよっ」
の、かわりに、ちょっとすました母さんの声がした。
「おかえり。うにのおじいちゃまが、見えてるのよ」
三年前に、あの世へ行ってしまった、うちのおじいちゃんの親友が、この、うにのおじいちゃまだ。今、山口県の豊浦に住んでいて、時々、名産のうに、を送ってくれる。
「下関のうにが有名だが、日本一うまいのは豊浦のうにだよ」
が、口ぐせ。うに大好物のわが家で、もてもての、そう、母さんが“おじいちゃま”なんて、ていねいにいうのの、わけ。
「三年見ないうちに、大きくなったなぁ、あきらくんは」
うにのおじいちゃんが目を細めた。ぼく、おじぎをしながら、ぼんやり考えた。
(うにには、目があるんだろうか)
母さんが、とびあがるようなことをいった。
「おじいちゃまはねえ、あきらの帰りを待っていらしたのよ。今夜、きみといっしょにステーションホテルへ、泊まりたいといわれるの」
「え、えっ。ステーションホテル!」
こんな夢みたいなことが、突然おこるなんて!いつも東京駅を眺めるとき、右側のドームを
(うーん、りっぱ)と、
見つめてから、次に見るのが、東京ステーションホテルの入口だ。アーチ型に、TOKYOSTATION HOTELと、浮きあがって書いてあって、どこのホテルにもない、ふんいきなんだ。
(一度、泊まってみたい)
って、見るたびに思うけれど、無理だってあきらめてた。家から歩いて二十分で行けちゃうホテルへ、泊めてもらえるわけがない。
それが、それが!
うにのおじいちゃんが、いった。
「いいのかい?」
「いいにきまってる。ぼく、あこがれてたんです。ステーションホテルに泊まること」
母さんは、小さなボストンバッグに着がえを入れて、よそいきのシャツを出してくれた。
ぼくは、ぱりっとおろしたてのシャツを着て、おじいちゃんとならんで、いま帰ってきたばかりの通りを、ゆっくり歩いた。
ステーションホテルへ着いたぼくは、スキップをしたい気持で入口を通った。入ったらまた、とびあがりたいことが待っていた。おじいちゃんの予約していた部屋は、なんと、二〇五号室!
二階の二〇五号室の真下は、駅長室なんだ。全国一の東京駅の駅長さんの部屋の上で、寝られる、って評判の部屋なんだ。ぼくは、だっ、と部屋へかけこんで、レースのカーテンを開けた。やっぱり!
ぼく、感激して足がふるえた。ガラス窓の向うに、東京駅の三番ホームが見えた。細いわくで、いくつもに区切られたガラス窓ごしに見える三番線。見つめていたら、電車が、すべりこんで来た。大宮行きだろう……。
「あきらくんも、この部屋がたった一つ、駅長室の上だってこと、知っていたのかい。ホームが見えるってことも」
「はい。東京駅のことなら、何でも知っています。ぼく、この駅、大好きなんだもの」
「そうだったね。お母さんがきみのことを、東京駅博士だ、といっていたよ」
「かあさんが……」
ぼく、言葉につまった。汽車ぽっぽあそびなんていってたくせに――わかってるんだ。
「どうする。さっそくレストランで、夕食といくか」
「ううん、まだここにいたい。おじいちゃんさえよければ、食事は、もうちょっとしてから」
ぼくの言葉にうなずいて、おじいちゃんは椅子に座った。小さなテーブルを前に、東京駅のホームが見える窓際で、ぼくらは向き合った。
かすかに、まるで海辺の潮騒のように、ホームの音が伝わってくる。遠方かららしい大きなカバンの人。通勤客、人々の群れ。
ホームの様子は、いくら見ていても、あきない。どのくらい、眺めていただろう。ふと、おじいちゃんの顔を見ると、くい入るようにホームを見ているおじいちゃんの目から、涙が流れていた。
「どうしたの、おじいちゃん」
ぼく、おどろいて叫んでいた。
「ああ、あきらくん。思い出していたんだよ。子ども時代のことを……。おじいちゃんの子どものときの話、聞いてくれるかい」
「はい、いいですよ」
大人が泣くのを、はじめて見たぼくは、どきどきしながら答えた。
あこがれの二〇五号室で、ホームが見える窓辺で、ぼくは、深いわけがありそうな、おじいちゃんの話を聞くことになった。
――うにおじいちゃんの話――
わたしが、あきらくんぐらいのとき、日本は中国と戦争をしていた。その中国と地続きの朝鮮半島を、わたしたちの国は、わたしもまだ生まれていなかった一九一〇年から、統治していた、といっていたが、結局は侵略していたのだね。その、証拠といえるだろう、次に話すようなこともね。
わたしの仲よしに、金くんという朝鮮の男の子がいてね。その金くん、金井くんというのが日本での名前だった。自分の国の言葉を使ってはいけない。名前も本当の名を使わずに、金井のように日本名にしろ、と強制されていた。
だから金井くんは、学校でも家でも、金井くんと呼ばれていた。あるとき、わたしにいったんだよ。
「ぼく、ほんとの名は、金」
それからわたしは、人のいないとき、こっそり「金くん」と呼んだ。金くんは、とてもよろこんだなぁ。二人は、いっそう仲よくなった気がする。
金くんは、とても器用な子でね。当時、はやっていた模型グライダーを、わたしのぶんまで、良く飛ぶのを作ってくれたよ。
そのグライダーで、みんなで遊んでいた時のことだ。金くんのグライダーが、よその庭へとびこんでね。金くんは、
「すみません。グライダー、とらせて、ください」
と、大声でちゃんと挨拶して、木戸から入ったんだ。すると中から、
「お前、チョーセンだな。スパイだろう。人の家へ入りやがって」
って声がして、金くんをつかまえた大男が出てきた。男は在郷軍人だった。在郷軍人というのは、いざというときに軍人になるが、その時までは、自分の仕事をしている者の事だよ。
大男は、金くんを力まかせになぐった。金くん、ひぇーっと悲鳴をあげた。わたしらはかたまって、ぶるぶるふるえていたよ。そいつはわたしたちに向かっていった。
「お前ら、まさかこのスパイの仲間ではあるまいな」
わたしは、小さな声しか出なかったが、
「金井くんは、スパイなんかじゃありません」
と、やっと声を出した。だが、だめだった。
「なにおっ。仲間なら同罪だぞ。スパイとして全員、通報してやる」
大男が、ぼくらに向かって、うでをふりあげてどなった。その時だ。金くんが両手をひろげて、大男の前に立ちはだかった。
「止めてください。この子たち、日本人ですよ、あなたとおんなじ」
そのすきに、わたしたちは逃げた。ひきょうにも、金くんを残して。それだけじゃなかった。次の日から学校で、金くんを、スパイ、スパイといじめだした。
スパイは敵のまわしもの。日本の様子を敵へ知らせる悪人でひきょう者として、当時は一番にくんでいたんだね。誰もが、スパイといわれるのを、おそれていた。
しばらくして金くん一家は、長野に引っ越すことになった。先にお父さん、お母さんが行って住むところを見つけ、あとから金くんが、東京をはなれた。
金くんが、そっとわたしのそばにきて、
「あしたの夕方、六時に東京駅の一番線から」
と、ささやいたのは、わたしに見送ってほしかったのだろう。行きたかった。が、わたしは行けなかった。
東京駅は遠かったし、それまで行ったことがなかった。というのは言い訳で、仲間たちの目が、こわかったのだ。どこかで仲間のだれかに、見つかる気がしてね。わたしは、なんていやなやつだったか。
――アメリカやイギリス、さいごはソ連まで敵になった戦いが敗戦に終わった。金くんは、今、どうしているだろう。しっかりした子だったから、成功しているといいのだが。
わたしは、金くんに、わびてもわびきれるものではないが……。わたしは、一番線ホームの見えるこの窓から、金くんが東京を発った日の午後六時に、一番線ホームに頭をたれてきたよ。長い間、この窓は一番線ホームが目の前だったからねぇ。今は、一、二番線ホームは、高架になって見えないけれど、東京駅のホームは、ほら、見えるだろう」
あ、間もなく六時だ。
うにおじいちゃんは、話し終えると、じっとホームに、目をこらすようにした。
「おっ、あきらくん、見てくれ、あの男の子」
小さく叫んだおじいちゃんの指さす方を見たけど、ぼくには、男の子は見えなかった。
おじいちゃんが、小声で歌いだした。
「むらさきにおいし、むさしののべに」
「あっ、その歌」
ぼくは、どきっとした。
昼間、東京駅広場で出会った老紳士から聞いた歌を、うにおじいちゃんが歌いだしたのだから。おじいちゃんが、教えてくれた。
「この歌はね、“東京市歌”。当時の東京の子どもは、市の行事の時によく歌わされた。母から聞いた話では、東京駅が出来たころ、駅前は、草ぼうぼうの原っぱで、武蔵野のおもかげがあったようだよ。
わたしと金くんは、この歌が好きでね。よく二人で歌った。どこか悲しいメロディに、母国を離れている金くんの気持ちが、よりそったんだろうか」
おじいちゃんの歌声は、ふかぶかとひびいた。
紫匂いし 武蔵の野辺に
日本の文化の 華さきみだれ
月影いるべき 山の端もなき
昔の広野の おもかげいづこ
ミルク色をした昔風のシャンデリアに、歌は、吸いこまれていくようだった。
おじいちゃんのほほを、また、涙がつたった。とつぜん、ぼくの手はおじいちゃんの両手に包まれた。こういうの、今日は二度目。
駅前の老紳士―上品なおじいさんが、ぼくにこうして、むらさきにおいしを歌った。
(あの老紳士は、もしかして金くんかも知れない)
そんな思いが、胸をかすめた。
「あきらくん、あきらくんは、金くんに似ていると思ってきたが、彼と別れた年齢になったきみは、ふしぎなほど金くんそっくりだ。あきらくんを見ていると、昔の自分のうらぎりが、胸をかきむしる。毎年、ホームに現れる金くんは、いつもいつも後姿だ。当然のことだよね、わたしのしたことを思えば。だが、後姿は、つらい。寂しい」
ぼく、あまりのことに、呆然とした。おじいちゃんは六十年以上も、子どもの時のいじわるをくやんできて、今もこんなに苦しんでいるんだ。
ぼくは、なんとかしておじいちゃんを、なぐさめたくなった。
今日あった老紳士の話をして、
「金さんは無事だよ」
って、いってみようか。いいや、それは推測だし、今もホームに子ども時代の金くんを見ようとしているおじいちゃんの、心にそうだろうか。
とつぜん、ぼくは、ひらめいた。そっくりだというぼくが、金くんの代わりにホームで、おじいちゃんに向かって手をふろう、って。
(そんなことまで、なんで……)
とは、思わなかった。ぼくは、おじいちゃんをなぐさめたい気持ちでいっぱいだったから。
おじいちゃんに話すと、おどろいた顔をして、それからちょっとほほえんでいった。
「いいかい。いま、見えてるホームは、三番線だからね」
ぼくは下へおりて丸の内南口のコンコースへ出た。夕方六時前のコンコースは、まだ帰宅の混雑が始まっていなくて、すこし青白い光の中だった。
きっぷ売り場のそばの床に、丸い印がはめこんであるのは、大正十年に首相の原敬が、暗殺された場所の印なんだ。
入場券で、三番線のホームへ出て、ついいま、見下ろしていた窓を目ざして、ゆっくり歩いた。すこし風が吹いていた。
二〇五号室の窓に、はりついているおじいちゃんを見つけて、ぼくは、小さく手をふった。うなずいているようだったおじいちゃんが、とつぜん、手をあわせた。
ぼくの姿に、ぼくをつきぬけたところに、消えないでいる金くんを、おがんでいる……。ぼくは、思い切り大きく手をふった。手をふりながら、なぜかぼくは、泣いていた。
そして、強く思った。
(こんなことは、一時の慰めにしかならない。やっぱり、紫においしの老紳士の話を、おじいちゃんにしよう。あの老紳士が、金くんでなかったにしても、その方がいい)
って、ぼくの手を包むようににぎった二人のおじいちゃんの、長く生きてきた手を覚えているぼくの手を、ぼくは再び、大きくふった。
三番線ホームを走りぬける風が、ほほに少しつめたかった。
(注)東京市歌 紫にほひし 大正十三年十月
高田耕甫・詞 山田耕筰・曲
MARI MORISHITA
Children’s literature author Mari Morishita was born in Tokyo, Japan.Station Hotel Room #205 is the first story from the collection TokyoStation Kid, published by Komine Shoten in 2005. She has receivednumerous honors including the First Children’s Literature Magazine’sNew Writer’s Award for her story Machihazureno Mokeiten (The Hobby Shopat the Edge of Town).
“Station Otaku.”
That’s what my friends call me. An”otaku” is someone who shuts himself in, obsessed with something, ageek.
I like train stations, and it’s truethat I’m into Tokyo station, so I won’t argue that. However, I feelthat everyone has something they’re into, like radio-controlled planesor “Pokemon” stuff or personal computers.
Among my classmates there are cartoonotaku and computer otaku, but I wasn’t an “otaku” at first. I playedwith lots of friends.
I used to dash through the maincorridor of Tokyo station to the Marunouchi side with twelve orthirteen friends. It’s interesting to see the change from the Yaesuside, the surrounding buildings seem so suddenly formal. There aren’tmany towns with a station with such different characters within itself.
My mother scolds me,” You are alreadyin the upper class in elementary school. Stop playing choo-chootrains.” She is old-fashioned. Choo-choo trains are the smoke-puffingsteam engines, the steam locomotives, which we rarely see nowadays.
Eventually my friends lost interest,leaving the group one by one until I was the only one who came to Tokyostation. That’s how I became an “otaku”. There are many steamlocomotives fanatics, but there aren’t any train station otaku here.
Despite this, I love Tokyo station. Inotice something new every time I visit, and the view of the stationfrom the Marunouchi side is so inspiring that it makes my heart beatquickly. Today too I went to Tokyo station. I left my school bag athome telling my mother, “I’m going to my friend’s house.” I walkedstraight through the corridor from the north entrance, the Yaesu side.When I stopped, I could feel the trains coming and going on the railsabove my head. It gave me a shiver.
I ran without stopping, crossing thestreet from the Marunouchi side to the square beyond. Turning around, Ifaced the station, gazing at the rectangular station building fromright to left. The red brick building is beautiful. It’s majestic. I’veseen photos of the original, beautiful crown-shaped dome before it wasburnt in an air raid in the war. Picturing it in my mind gave meanother shiver.
I was gazing at the station whensomeone called out to me. “Hey, you.” It was an elegant old gentlemanin a brown suit.
“You‘ve been observing the stationrather intently. Do you like Tokyo station?”
“Yes, I do.”
“I see. I’m an architect, and I thinkthis building is magnificent. There are people though who say that thestation is a copy of Amsterdam station.”
“I know,” I said impatiently. “But theystarted saying that more than thirty years after the completion ofTokyo station on December 15th, 1914. If it really was a copy, then wewould have heard it earlier.”
“My, you know a lot for your age.Perhaps, those people who went abroad for the first time were soimpressed by Amsterdam station that they just blurted it out withoutknowing the history. They were looking only at the surface.”
“Yes, I know,” I said. “In theNetherlands there are a lot of buildings made of red brick, Amsterdamstation uses them. The only other similarity is that they are bothcentral stations with train lines passing through, which was unusual atthat time. Usually those big stations were terminal stations, the endof a line. That’s all.”
“That’s right,” he agreed. “Thearchitect Kingo Tatsuno spent eight years working out the design of thestation, revising it three times. The construction took, um…”
“Six years from the beginning, right?”I said gently to the old gentleman, who started to seem like a closefriend.
He said with a smile, “You are a goodkid, and you seem to really appreciate this station. Maybe one dayyou’ll become an architect. Actually, when I saw Tokyo station for thefirst time I was deeply moved. I was a child when I first saw it, along time ago during the war. My family was moving far away, and when Istood in front of the station, my whole body shook. How beautiful, howmagnificent I thought. It took my breath away. That strong impressioninspired me to become an architect.”
The old man said this all in onebreath. For the first time I thought I was being treated as an equal byan adult.
“I visit the red brick Tokyo stationregularly to mark the different stages of my life, even when I live faraway from it.”
He took my hands with his big hands,shaking them.
“It’s nice to meet you. Today is ananniversary of sorts for me.”
He narrowed his eyes and sang a song Ididn’t know. It had a somewhat sad melody –
Purple flowers are fragrant
In Musashino Fields
Cultures of Japan
Blossoming wildly…
I’m home a little late, I thought tomyself.
I quietly opened the door, and insteadof the usual “Akira, you are late!” I heard my mother say gently,”Welcome home. Mr. Sea Urchin is here visiting us.”
My grandfather passed away three yearsago, and his best friend was this Mr. Sea Urchin. He lives in ToyouraCity in Yamaguchi Prefecture, and he occasionally sends us sea urchin,a specialty of his hometown.
“Sea urchin from Shimonoseki is famous,but the best sea urchin in Japan is from Toyoura” he always says. Myfamily loves to eat sea urchin, so Mr. Sea Urchin is always welcome andthat’s why my mother politely calls him ‘Mr.’.
“Akira, you have grown big in threeyears,” Mr. Sea Urchin said, narrowing his eyes. Bowing to him Iwondered, do sea urchins have eyes?
Then my mother said something thatalmost made me jump out of my skin.
“Mr. Sea Urchin has been waiting foryour return. Tonight, he would like you to stay at the Station Hotelwith him.”
“What? The Station Hotel?!”
I couldn’t believe my dream was comingtrue! When I go to Tokyo station, I first admire the dome on the rightside and think, how magnificent; then I look at the entrance of theTokyo Station Hotel. TOKYO STATION HOTEL
stands out on the arch, and the hotel has an atmosphere unlike anyother. I always thought I wanted to stay there one day, but I gave upon the idea thinking it was impossible. There was no way that I wouldbe allowed to stay at a hotel which is just twenty minutes on foot awayfrom my home.
But … but!
“Is that O.K.?” Mr. Sea Urchin asked me,
“Of course. I have been dreaming aboutit, staying at the Station Hotel.”
My mother packed my bag with clothesfor the next day and pulled out a formal looking shirt for me.
I put on the brand new shirt, andwalked slowly with Mr. Sea Urchin on the same street down which I hadreturned just minutes ago.
When we arrived at the hotel, I enteredexcitedly, but there was something else which almost made me jump outof my skin. The room Mr. Sea Urchin reserved was #205!
Exactly below room #205 is thestationmaster’s office. This hotel room is the room where you can sleepabove the highest ranked train stationmaster’s office of all Japan. Iran into the room and opened the curtain. Just as I expected!
My legs shook with excitement. Beyondthe panes of the window I could see the platform for track 3. As Ilooked out, a train slid in next to the platform. That train wasprobably Omiya-bound.
“Akira, did you know that this is theonly room that sits right above the trainmaster’s office? Did you knowthat you could see the platform also?”
“Yes. I know everything about Tokyostation. I love this station.”
“Yes, that’s what your mother told me,that you are Dr. Tokyo Station.”
“My mother?” I was at a loss for words.My mother who tells me to stop playing choo-choo trains? Sheunderstands me.
“What do you want to do?” asked Mr. SeaUrchin. “Shall we go to the restaurant for dinner?”
“No. I want to stay here. If you don’tmind, I want to wait a little longer before dinner.”
Nodding at my words, he sat down on achair. We faced each other across a small table by the window with theview of Tokyo station.
Very faintly like the sound of theocean, the noise from the platforms reached us. People from far awaywith big bags, commuters, a crowd of people.
I was fascinated. I didn’t realize howlong I had been observing the platform. When I turned to look at Mr.Sea Urchin, I noticed tears running from his eyes, also gazing out atthe platform.
“What’s wrong?” I blurted out insurprise.
“Oh, Akira. I was just rememberingsomething. Something from my childhood… Will you listen to a storyfrom my childhood?”
“Yes.”
It was the first time that I had seenan adult cry, so I answered him with my heart racing.
In my dream hotel room, by the windowwith a view of the platform, I found myself listening, anxious, as Mr.Sea Urchin began to tell his story.
-Mr. Sea Urchin’s Story-
When I was your age, Japan was at warwith China. The Korean Peninsula which is adjacent to China was in factinvaded by Japan, and since 1910 had been governed by our country.
Among my close friends was Kim, aKorean boy. Kim had a Japanese name, Kanai. Like all Koreans at thattime he was not allowed to use his own language. He was forced tochange his name to a Japanese one.
Therefore, he was called Kanai at homeand school. One day he told me, “My real name is Kim.”
After that I secretly called him ‘Kim’when no one was around. Kim seemed very happy about this. We becameeven closer.
Kim was a very skillful kid. At thetime model gliders were popular, and he made me one which flew verywell.
One day we were playing with the gliderwith our friends and Kim’s glider flew into a neighbor’s backyard.
“Excuse me. Would you please let me getmy glider,” Kim asked with a strong voice, opening the wooden door.
From inside the house a voice calledout “Hey you, you’re the Korean. You must be a spy, entering my house.”A big man came out grabbing Kim. The man was a reservist. A reservistis a person who becomes a soldier when called upon by the government,but until then continues with his regular job.
The big man punched Kim with all hisstrength. “Ow!” Kim screamed. We were all shaken, huddling together.The man said to us, “You kids, you aren’t friends with this spy, areyou?”
I could hardly speak, but finally said,”Kanai is not a spy.” But that didn’t help the situation.
“What? If you are friends with him, youare guilty, too. I will report all of you as spies,” he yelled,swinging his arm.
That’s when Kim stood in front of thegiant, spreading his arms out. “Please stop. They’re Japanese, justlike you.”
Meanwhile we ran away like cowards,leaving Kim behind but that’s not all we did to him. From the next day,we started to taunt Kim, calling him a spy.
A spy is a secret agent of the enemy.We hated the villains and cowards who betrayed Japan. Everyone wasafraid of being called a spy.
Later, Kim’s family decided to move toNagano. His father and mother had left Tokyo first to look for a placeto live, and Kim was to follow them later.
Kim came to me and whispered,
“I’m leaving tomorrow evening at sixo’clock from track 1 of Tokyo station.”
He probably wanted me to come see himoff. I wanted to go, but I couldn’t.
Tokyo station was far and I had neverbeen there, but these were just excuses. I was afraid of what myfriends might think. I thought I might be seen by someone. What aheartless child I was !
-America, England and at the end of thewar the Soviet Union became Japan’s enemies, and Japan eventually lostthe war. I wonder what Kim is doing now. Since he was a strong willedchild, I hope he’s been successful.
I know I cannot apologize enough toKim. Since then, on the day of Kim’s departure at six o’clock in theevening, I have come to this window and lowered my head toward track 1.This window used to be in front of track 1. Now tracks 1 and 2 areelevated and you cannot see them, but you can still see the platform.”
It was almost six o’clock.
When Mr. Sea Urchin finished his story,he stared at the platform.
“Yes, there he is. Akira, look at thatboy.”
He pointed, but I didn’t see anyone.
He started to sing softly.
Purple flowers are fragrant,in Musashino Fields
“That song!” My heart jumped. It wasthe same song that the gentleman I met this afternoon at Tokyo stationwas singing.
Mr. Sea Urchin told me, “This song isthe Tokyo City Anthem. Children in Tokyo at that time were encouragedto sing this song at municipal events. According to my mother, whenTokyo station was built, the field in front of the station wasundeveloped and it looked just as it did in the old days of Musashinofield. Kim and I liked this song, and we used to sing it together. Thesad melody I think resonated with Kim’s feelings for his home country.”
The old man’s singing voice rang outdeeply.
Purple flowers are fragrant
In Musashino Fields
Cultures of Japan
Blossoming wildly
There is no mountain
For the moon to hide behind
Where is the memory
Of the old field
His voice seemed to rise up into themilk colored chandelier above.
Another teardrop traveled down hischeek. Suddenly my hands were enveloped in his. This was the secondtime today that this had happened. What a strange coincidence !
The old gentleman, that elegant old mansang the song like this.
“Akira. I always thought that youlooked like Kim, but you look just like him now that you are at hisage. Looking at you, the betrayal is ripping my heart. The boy Kim whoappears at the platform every year shows me only his back. Rememberingwhat I have done to him, I understand why. But it’s hard for me to seeonly his back. It makes me lonely.”
I was shocked. For more than sixtyyears, this man has been regretting what he had done as a child, stillstruggling.
I wanted to comfort him somehow.
I thought about telling him about theold gentleman I met today, and telling him “Kim is doing fine.” But,no, that’s only a hunch, and I don’t know if telling him that wouldease his mind.
Suddenly I had an idea. Since I looklike Kim, why don’t I stand on the platform and wave to him?
I didn’t think, why should I do such athing? I was overwhelmed with the desire to comfort him.
When I told him my idea, he lookedsurprised, and said to me with a smile, “The platform that we are nowlooking at is track 3, all right?”
I went downstairs and came out on theSouth Marunouchi Concourse. It’s a little before six o’clock, the rushhour hasn’t started yet, and the concourse is bathed in a pale bluelight.
Near the ticket machines on the floor,there was a round sign marking the spot where the former Prime MinisterTakashi Hara was assassinated in 1921.
Using a ticket, I entered the platformfor track 3, and I walked slowly toward the window from which I wasjust looking. It was breezy.
I saw Mr. Sea Urchin pressing upagainst the window of room #205, so I waved to him briefly. He wasnodding at me and suddenly brought his hands together.
He was praying in my direction, for Kimwho still exists somewhere beyond myself.
I waved my hand vigorously, crying. Ithought, what I’m doing now might only comfort him temporarily, I’mgoing to tell him about the old gentleman who sang his song. Even ifthat gentleman wasn’t Kim, I should do that.
Again I waved the hand which had beentaken by two old men’s hands, hands which have lived long lives.
The breeze on the track 3 platformbrushed against my cheek, a little chilly.
translated by Koaki Sinkai