年頭社説 女學雑誌 明治廿四年一月一日

  歳月短きに非ず

 

去歳こぞの一ととせの夢の間に過ぎつるのみにあらず、従来の歳月皆風の如くに行きぬ。今年二十はたちの男女は二十年を何の為めに送り、今年三十みそぢの人は、三十年を何の為に消せる。静かに思ひめぐらすときは前生ぜんせは、ほ夢の如し、後生こうせい何如いかん、雲より出でゝ雲に隠る、天上の星高く遠く小さく暫らくきらめきてすなはち直ちに消ゆるの心地す。

人世じんせいしろ長しと云はず、日月の過行くは数ふるよりも尚速やかなり。れど、人もし此のかんに善をさんことをほつせば、善を為すの余裕綽々としてそんす。ゼレミー、テーロルのいはく、暴君強賊の思ひを満さんが為には、人の生涯ははなはだ短きものなるべし、大ひなる富をむさぼり、痴然たる愚を満足し、敵をことごとく服せんと欲するには、世はむしろ短かゝるべし、左れど、徳を養なひ、温柔謹厳の性を造らんと欲するには、神は十分の余暇を与へ玉へり、もしあしたに夕べにこれを思ふ時は、日月久しく光を垂れて人にその時間あらずと云ふことなしと。ねがはくは人、俗世ぞくせいの事の為にとしいたづらに過行くをたんぜず、徳の立たざるが為に深く年月ねんげつの消行くことをうれひとすべし。

 

  新年の幼稚園

 

ソロモン云はく、働らきの時あり、遊びの時ありと。今は即はち遊びの時なるべし。れ、歳末はほ晩年の如く、春は猶ほ幼時の暁の如し。

人は元来議論せずして信ぜんことをほつす、只だ疑ひの雲胸間に充ち満ち、天上の光明くわうめい其影を隠さんとするによりて初めて議論せざるを得ず、其論ずるや口をかくにし、眉を逆立て、激して怒らずと云ふことなし。れどは只だ信に達せんことを欲するが為めのみ。信を得ざる者は、駅路にさまよへる旅人の如し、心安着あんちやくせざるなり、其の信をはかもとむるや、のみ子の乳を探るが如し、之を得ずんば叫ぶ。

人の人に対するや初めよりやわらがんことを欲す、いまかつ相反あひそむき、相競あひきそはんことを欲せざるなり、帝者ていしや四方を征服し、卓超たくちやうとして一人衆にひいづると云へども、友なくんば無聊ぶりようを消すことあたはず、風にぜうじて宙天に独りひらめくが如く、高き人の慰さめ手なきは、天上の沙漠に独孤の生涯を為すに均し。左れば人は唯富を得んことを欲するにあらず、富んで人と共に楽しまんことを欲する也、唯権威を貪ぼらんとするにあらず、権威ありて自由に人の愛を得んことを欲する也。人の本性はこゝちよく人と楽しまんことを欲す。

こゝを以て、幼な子は未だ人と成らずと云ふといへども、実は人のうちまことの人なり、其邪気無くして人を信ずる所ろ、まことの人也、其の疑がわずして楽しむ所ろ、真の人也、其の貴賎貧富を忘るゝ所ろ、真の人也、幼な子の交わりはまことの人の交わりをへうす、幼な子の戯むれは真の人の戯むれを表す、語にいはく、大賢たいけんの如しと、幼な子は即ちまこと大人たいじん也。

人長じていよいよ邪気に長じ、日に日に真性を磨消す、あしたに夜半よはに名利に狂奔して安き心なく、美なる天地にぢゆうすといへども、さながら、牢獄に囚わるゝものゝ如し、何ものかれ彼等を導びきて其幼なき時に引返すものぞ。

春は実に幼時の暁の如し、新年の楽しみは人をして俄然幼な児とならしむ、今は遊びの時なり。

子女学校より帰り、父は業務を休み、母は料理の為めに笑つて忙がわしく、老父老母は孫と戯むるゝによりて世話し。此時に於ては、室中、議論する声を聞かず、算盤そろばんを弾く音を聞かず、満堂怡々いゝとして幼稚園に似たり。春は人をして幼な児とならしむ、幼な児は即はち真の大人たいじん也、春は人をして暫く真の人にかへらしむ、今は遊びの時也、諸君よろしく無邪気清浄せうぜうさかひに遊悠すべし。

 

   歳暮悲しからず新年更に楽し  中島とし子

 

開花もとこれ落花の風、毎歳雀鴉じやくあよろこばしく、梅柳ばいりう色麗はしく、旭旗きよくき門松共にいかめしく、将来多望の年少がもてあそ紙鳶しゑんの空にうなる、紅緑さいある手球てだましつに響く、いつとしてよろこばしげならざるはなし。かれどもこのよろこばしげなる現象は、葉落ち、霜降り、山痩せ、水枯れ、乾坤けんこん何となく粛殺惨憺しようさつさんたんたるの現象を呈するのちの原因なるらめと想ふ時は、春来きたるとて喜ばしきものにあらざる如くなれど、悲歓ひくわんは時々の感情なるを以て、人間生るれば死するのゆえを以て生るゝをよろこばざる者はあらず、ついには悲みに帰するを知るの故を以て、喜ぶべきに喜ばざるは人の常を失するものなり。されば、山痩せ水枯れ寒風凛烈たるの時節きたるの故を以て、花笑ひ鳥歌ひ軽暖けいだん人に可なるの新春をよろこばざるものもまた人の常を失するものなるか、只奈何たゞいかんせん、この一悲一歓のうち緑鬟りよくくわん霜を生ぜしめ、花顔くわがん皺を添へしめんとす、いたづらに霜を生じ徒らに皺を添ふるのみにしてごうも世に対して功益のなかりせば、その最終の日に於て、いとうらみ多きものあらん。しかして今日我が婦人社会を観れば、日一日より、年一年より、進化しつゝあるをおぼふを以て、一年の最終に逢ふともいさゝうらむところなく、かへつて新春更に新進化を添へん事のたのしみを有せり。こゝに於て、婦人の注意せざるべからざるものは、婦人が往時に比して、人物の進み、地位の高まるに随つて、婦人の非難せらるゝ事また多くきたるを覚悟せざるべからず、其の智識の未だ進まざる、地位の未だ高からざる日に於ては、非難すべき事をも非難せざりしは、男姓だんせいが婦人を子児こども視して容赦すればなり。以後は必ずからず、而して其注意すべきものは、いづれにあるか。必ず種々あるべけれども、まい(私)の希望する処は、女学校の女学生に対してもつとも深く注意を乞ひたきものなり。まいは深く女学校の女学生を敬愛するものなり。女学生の誉れを、吾が身の誉れとひとしく感ずるものなり。女学生のそしりを、吾が身の毀りと斉しく感ずるものなり。女学生自身は、魂潔いさぎよきを以て、行ひ正しきを以てごく安心に、極平気に挙動ふるまひ玉ふ事にむかつて、非難を蒙り玉ふ事なきをすべからざれば、春宵しゆんせう月に歩する如きも、良晨りようしん花を探ぐるが如きも、病に臥するの友をふ如きも、愁に沈むのかくを慰むる如きも、猶注意せざるべからず。是を以て、其他注意すべき事の多きを知り玉ふならん。まいは挙げて言はず、筆及ばざればなり。之を略言すれば、今日こんにち迄は、婦人がほめらるゝの時代にして、今日以後は暫く非難を受くるの時代たるべし。其誉ほめられし真に誉められしに非ず、かつて久しく、婦人に学問さすも無効ならん教育するも無駄ならめと想像せし軽侮心けいぶしんよりほとばしいでたる誉言よげんなればなり。最早もはや此誉言の時代も過ぎ去りたれば、必ず非難の時代に遭遇せざるべからずと想ふ、しかして、この非難の衝に当るものは、けだし夫れ女学生にある宜矣むべなり、女学生最も注意を要すること。まいは女学生を愛する事の深くして、望を属する事の重きを以て、新年早々此の如き無体むたいなる注意を乞ふに至れり。女学生が幾分の日月じつげつを経過して、遂には光輝ある時代をきたらしむると思へば、をさの如く飛び去る歳月何のうらみかある。歳暮悲しからず、新年更に楽し。