(1)認識の精神と支配の精神
人間の創造活動には二つの種類があります。その第一の活動は認識の探求。あるいは広い意味での、私たちの住む世界の生活体験を探求すること。そして第二の活動は、この地球上の自然的かつ物質的力を支配しようとする努力です。
この第一の活動は通常精神文化と呼ばれています。その構成要素であり本質的現象は今回の会議のテーマである人文科学であります。第二の活動は要するに技術です。
人文科学とは通常ギリシャ;ローマの教養の研究、および、この文化伝統との意識的結合という意味で理解されているものでありますが、その概念を私が不当に拡大解釈していると反論される向きもあろうかと思います。しかしながら、ローマの、そしてさらに大きな尺度におけるギリシャの教養とは、それは単に言語でもなく、また単に詩や哲学だけでもありません。それはまた数学、物理学、自然研究、天文学および医学でもあったわけで、現代の精密科学は言語学や修史学と同じ理由でやはり古典的人文主義に属するものです。
近代初頭の古代精神のルネサンスはまた精密科学のルネサンスでもありました。それに反してギリシャ的教養は私たちにほとんど何らの技術的伝統も、物質や自然力をいかに開発し、支配するかの何らの知識も示してはくれませんでした。その意味で私たちはこの話題の枠を踏み越えることなしに世界認識と世界の体験とを理想とする、言葉の真の意味での人文科学と、物質と力の支配を目的とする技術の学問とを相互に対置させることができるのです。
問題はこの二つの大きな活動の間に人為的境界を築こうとすることでもなければ、そのうちどちらが人間の世界にとってより重要かを問うことでもありません。その両者なしには人間生活を動物の水準以上に向上させることができないのは当然であり、また両者の機能が絶えず相互に補完しあって、一方が他方から発生し、あるいは新しい目的や手段を補足していることも確かなのであります。しかし、それにもかかわらず——そして今日、他のいかなる時代よりも強く——これらの二つの最大の人間活動がその基本的傾向において大きく分裂化しているということを意識せざるをえません。人間世界の未来と発展は、まさにこれらの両傾向のうち、どちらがその発展を左右するに足る十分な力を備えているかにかかっています。すなわち、認識の精神か支配の精神科です。
まず、最初に技術を取り上げてみましょう。技術とは物質と自然力とを支配しようとするあらゆる種類の意図であります。疑うまでもなく、技術のあらゆる進歩は一般的に有用であるばかりでなく、人間生活を豊かにさえしますし、またすることができるものです。しかし第二に、あらゆる技術的活動は一定の物質的財を生産はするものの、その財は決してすべての人の所有物とはならず、誰かだけの、つまりある個人の、ある生産者団体の、ある国家の、あるいは、ある民族の所有物となるものです。技術は本来その意図がなくとも、今日の世界情勢ではほとんど不可避的に生産と商売の競争に、天然資源をめぐる争いに、そしてついには経済的国家主義に、勢力拡張に、そして民族や国家間の絶え間ない国境緊張に導きます。生活のための原始的な闘争から生れでた技術は、この野蛮な戦いの道具であることを止めないばかりか、その規模をいっそう拡大していくことでしょう。
技術にたいして以上のような批判があります――技術が生活をめぐる戦いの、つまり近代戦争のより恐ろしい形式の道具にだんだんなっているというのは間違いではありません。しかし、それが本当だとしても、技術が暴力の武器ばかりでなく、暴力に対抗する武器も与えてくれることを忘れないようにしましょう。技術はその恐ろしい手段によって文明世界を滅亡させることもできます。が、自由と権利と人間性に対するあらゆる攻撃から世界を守ることもできるのです。技術の誤りとはいえないまでも、むしろ技術の無力さは別のところにあります。どんなものでも作れるとしても、純粋にポジティブに平和の道具となるものは何も作りえないということです。逆に技術はだんだんと大きな物質的力を支配し、その力を増殖させ、蓄積し、いつでも破壊的な抗争のなかに投入しうるエネルギーの潜在力を恐ろしいまでに高めることになります。技術は要するに人類にたいして途方もない物質的手段を供給するが、それを用いて善をなすか悪をなすかについては、すでに最小限の影響力すらもっていないということです。
技術とは自然の物質と、力との支配だといいました。問題はこの支配する意欲が、いつ、どこで停止するかです。人間も社会階級も民族もまた、見方によっては下僕となり、命令され、かき集められ、効率の極限まで搾取される単なる力学的素材と考えることもできるのです。力を支配する技術の理想は、人間社会にも転用することが可能です。これほど多くの政治的専制主義が突如として巨大な技術の効率にうつつを抜かしはじめたのも、きっと偶然ではないでしょう。自然の力の領域において技術と称されている支配の精神は、人間の力の領域では独裁という名称をもっています。
これと人文科学とを比較してみましょう。人文科学はその性格において普遍的です。その普遍性は実際の範囲にもその本質や使命にも基づいてはいません。私たちに世界を支配することを教えるのではなくて、世界を理解することを教える。さらにもう一つのこと、つまり相互に理解し合うことをおしえます。その益するところはすべての民族に共通であり、すべての国境を越えています。人間社会のなかで作用する力の協調のなかでもっとも分別をもつ力があるとしたら、それは私たち人類を、私たち民族を分け隔てるあらゆるものの上にあって、精神的共通社会を形成する力です。人文科学はそれ自体が力です。それは人類の間の平和の道徳的、精神的道具です。これとて、いつか、己の使命を裏切ることがあるかもしれません。物理的また道徳的支配の精神に仕えることによってです。
しかし、それが可能なのは人文科学をもっとも深く定義しているもの、つまり精神の自由を代償としてのみです。思想の自由を守ることができるかぎり、人文科学はあらゆる時代にとって、人間の自由の手段となるでしょう。普遍性、平和、自由。これは三つの大きな本源的理想であり、人文科学が自らに忠実であリ続けるかぎり、この三つの理想にたいして仕えることになるでしょう。
私たちは人文科学と技術学を、一方を弁護し他方を断罪するという意図なしに対立させてきました。しかし、思うに、すべての人が今日の世界状況のなかで、世界の連帯と平和と人間的自由の手段となりうるものすべてを結集させる切実な必要のあることを痛感しているはずです。
支配の精神はいつでも暴力と破壊の道具になりうる莫大な力と手段を製造しました。今日は他のいかなる時代よりも多くの、もう一方の力を動員する必要があります。世界の民族が相互に理解しうるための手段、すべての国境を越えた真理、人間存在や民族が支配の単なる対象となることを許さない思想の自由といった精神的価値です。今日、文化生活の均衡が破られています。支配の精神が認識の精神を危険なほど凌駕しています。私たちの努力と知的勇気を一層強めることは、精神文化に仕え、また仕えんと欲する私たちすべての双肩にかかっています。平和と自由もまた、自分の道具を必要としています。それを補給すること、それを手遅れにならないうちに補給すること、それこそが私たちの時代のもっとも緊急な課題なのです。(1936年10月21日)
<訳注>この文章は国際連盟付属、文学・芸術部門常任委員会の企画によるシンポジューム『世界における人文科学の役割』(ブダペスト)における基調講演の草稿である。
(2)発展はどこへ向かうか
この問題にかんする異常なほど断定的な主張を、異常なほどしばしば耳にする。発展は右へ向かう。または発展は左へ向かう。発展は最短距離をへて世界的社会革命に向かう。発展は総力をあげて合理主義へ向かう。発展は大きな帝国主義的独裁体制へ向かう。そして自己の確信にあまりとりつかれていない人でさえもが、多少困惑気味に世界を見渡して、いま、まさに何らかの体制の変更を求めているある国に視線を向けると、深刻な面持ちで頭を振り振り、「じゃ、やっぱり世界の発展は右のほうにしか回らないのか!」とささやくだろう。
ただし、発展について私たちが語るとき、まず、はっきりとさせておかなければならないのは、要は何の発展かという点である。子犬の発展は一年間続く。人間の発展は数十年、そして人類の発展ということになれば、ゆうに何千年ということになる。ヨーロッパの発展にしても十年や二十年の何倍かといった年数ではとても判定しきれるものではない。その上、ヨーロッパはあまりにも古く、あまりにも大きい。もしヨーロッパの発展について何らかのイメージを描こうとするなら、この数千年の間にそこで何が起こったかを見なければならない。もし誰かがヨーロッパの発展は右に向かっていると主張しようと思うなら、カルタゴ戦争から、またはアッティラの遠征から、その方向に進んでいるという証拠を示すよう努めるべきだろう。自然体系のなかで個体の変異や突然変異がまだまだ種や類の発展でもなんでもないのと同じく、個々の歴史的事件や時代は、まだ発展などと言えたものではない。ヨーロッパや世界の現状を歴史的発展の視点にもとづかない見方に決して異議をさしはさむつもりはない。しかし私としては発展がどこへ向かうかについて自説を述べたいと思うなら、せめて、この世界についてのもっとも基本的な、学校教育的な知識だけでもわきまえてからにしていただきたいものだと思うのである。
その例として、わが大陸の地図がこの何千年かのあいだにどのように、そしてどういう方向に変化しているかを見ていただきたい。古代ローマ帝国からはじめて、メロウィング王国の国境、神聖ローマ帝国の版図、ハプスブルク権力支配の歴史上の国境を見てほしい。そして最後に私たちの目は現代のヨーロッパの地図の上に向けられる。その地図のもっとも顕著な特徴は、その政治的国境がすでに、ほとんど正確に民族の居住地域と一致しているということである。古い帝国は民族や人種や文化の境界を越えてあふれていた。時代の経過とともに国家の地図はだんだんと、より明確に民族の地図になっていった。これは必然的歴史的発展の結果とみなさざるをえないほど特徴的な、合法則的な現象である。人類の発展はこの数千年のあいだにまったく明瞭に、一つの民族がもう一つの民族を支配しないような方向を目指して進んでいる。この経過はさらに地球の他の部分においても現われるだろうというあまりにも多くの徴候がある。
今日、ふたたびあちらこちらで侵略的帝国主義、権力的発展、どん欲な植民地主義などなどが鳴り物入りで騒々しく叫ばれているというのは、じゃあ、どういう意味なのだろう? 一つないし三つの帝国の三年あるいは三十年の成功がこの何千年来の世界の発展をくつがえすことができるとでも思っているのだろうか? 現実の発展の観点からいえば、これらのすべての試みはもともと単なる時代遅れ、アナクロニズム、歴史的秩序からの逸脱にすぎず、自らの時代によって、いずれにせよ手ひどく、残酷に清算されなければならないものなのだ。せいぜい、うまくいったとしても、それによって何十年かの歴史的エピソードを挿入するだけの話である。歴史によって評価されるなんて、本当はそれにも値しないのだ。
あるいは、ほかの、このようなゆったりとして、しかも持続的な経過。国際関係の絶え間ない成長と、いっそう明確化してきた国際関係の法制化。世界の歴史を見ると、たしかに民族間にはジンギスカン的な自分勝手と暴力だけは、さすがに少なくなってきた。一つの戦争あるいは五度の戦争といえども、この長い間にわたる文化的かつ政治的発展に異議をさしはさむようなことは何一つなしえなかった。現代の戦争のまさに驚くべき非人間性は、戦争の指導者自身が戦争が野蛮で、自分勝手で、世界秩序の破壊であることを意識していることの無意識の証言である。だから彼らは斧を手にして殺人に向かう人間のように振舞うのだ。世界の発展は妻や子供たちが虐殺され、都市が破壊され、飛行機の爆弾が学校や病院に落とされるような方向へすすんでいるとは、たぶん、誰一人として主張しないだろう。少なくともここでは誰も、人類の進歩といわれているものすべてからの、恐ろしい逸脱が問題になっていることを疑わないだろう。それはもはや今では最大の歴史的異常性の一つとして指摘しうるところ逸脱である。
したがって、私たちは現代の現実のなかの一つ一つをもう一度つぶさに観察してヨーロッパ人類の数千年にわたる発展のなかにそれがどう組み入れられるかを問うことができるだろう。たとえば、この数世紀のあいだに人間の正義は、最高の残酷さと、その世界権力者への盲目的従属の方向へ発展したか——それとも、その正反対の方向へか?! 社会的秩序は歴史の夜明けから今日まで、階級、身分、そして人類のあいだの大きな不平等の方向へ発展したか——それとも、まさにその反対に、人類の歴史の全体の傾向はゆっくりと絶え間なく、いっそう不可避的に人間間の法律的、市民的差別をすべて段階的に平等化する方向への伸展を示しているか? 数千年の発展は個人にたいする人間的、市民的自由を増大させる方向へすすんでいるか、それとも逆に、人間存在の弾圧と奴隷的統制へ向かっているか? シーザーの帝政と封建制から、より広い人間階級の解放へ移行していった私たちの世界があっちの方向へ発展しようとしている、何らかの証拠があるのか? こんなにも途方もなくヨーロッパの歴史を改悪しようと目論んでいる人がいるなどということを、私は疑う。それともさらに、この二、三千年のヨーロッパ文化のなかで人間精神は常により大きな思想の自由へ発展しており、世俗的また教会的権力に基盤を置いていた時代にも、それを求めて戦ったが、それは人間精神の永遠の、ひたむきな努力ではなかったのか、それともちがうのか? この古来の精神の自由を抑圧するどんな原理が現実の発展にかかわりがあるというのだ?
新しいもの、世界において真に新しいものとは、この古い、とどまることを知らぬ発展をさらに続けることのできるものだけである。それを押しとどめようとするものは新しいものではない。それは単なるアナクロニズムであり、逸脱であり、一時的な転換である。そんなことがいったい何の役に立つのか、いまのところさっぱりわからない。しかし、発展がどの方向を目指すかを真剣に問いつめていくと、今日、自分の刻印を世界に、また、歴史に刻み込もうと最大の努力を傾けて、何がなんでも実現させようとやっきになっているもののなかに、実は、遅かれ早かれ悪魔にとって食われてしまうべく裁きを受けた悪あがきであり、歴史のなかの単なるエピソードにすぎないことが、とっくに見えてくるのである。
この歴史的即興劇がヨーロッパにとってあまりにも高価なものにつかないようにするのは、もちろん、きわめて重大な問題である。ただ一つ、世界の発展は、その数千年の歴史が指し示す方向へ今後も進むだろうということ、この確信だけは、私たちの誰もが放棄する必要はない。それ以外の主張はあまりにも説得性がない。
(3)身震いする世界
<訳注・関東大震災について触れたチャペックのコラム>
いま、この瞬間、わが国から何千マイルもかなたの日本で何が起こったのか詳しいことはわかりません。いままでのところ正確な死者の数も知らせてこないし、これからまだ何千だか何万だかの犠牲者の数が増えるのかどうかもわかりません。記号や名前は受け取っているが、それらの記号や名前が人間なのか文化なのか、民族なのかも理解するのがむずかしいのです。わが国にある地震計は非常に非常に遠くのショックを記録しています。でも、それだけなのでしょうか?
1755年、リスボンが地震で崩壊したとき、全ヨーロッパ文明がショックを受けました。太平の楽天主義から目を覚まし、顔を見合わせて存在の未知の恐怖にうち震えたのです。人間が自分にたいしても社会にたいしても提示する疑問が以前にもまして厳しく、緊急なものとして不意に問われることになりました。十八世紀の人間は神にたいして疑問を提示しました。神よ、あなたがもし在るのなら、どうしてこのような悪を野放しにできるのです?――と。
東京を崩壊させ、横浜を水びたしにし、深川、千住、横須賀を焼き、浅草を破壊し、神田と御殿場と世田谷〈原文・シタヴァヤ〉を瓦礫の原とし、箱根を平らにし、江ノ島を飲み込んでしまった地震は、耳慣れない地名が語り伝えるほど遠くのものではありません。それは、たぶん、私たちの心のとどく範囲にあります。そして、たぶん、私たちの援助の手のとどく範囲にも……。
それにしても、この地震が私たちの脳髄を震撼させ、ぼんやりした居眠り状態から目を覚まさせるほどの身近さであることだけは絶対にたしかです。二十世紀の人間は恐怖に顔を見合わせて、神にたいして「在りや、無しや」なんて疑問は提示しません。しかし人類に向けて「在りや、無しや」を問うでしょう。そしてその質問は、いま、とくに世界大戦(第一次)後のいまだからこそ、かつての神への問いかけよりはいっそう恐ろしく重大なのです。それは人間性の問題ではなく文明の問題です。
「これこれの巡洋艦が救済活動に参加するために横浜に向けて出港した」 それは結構。しかし、もし世界中の巡洋艦がその巨大なボイラーから蒸気を吹き上げて横浜へはせ参じたとしても十分ではありません。それで世界の良心が十分発揮されたことにはならないでしょう。たとえ世界中の政府が募金を募り、哀悼の意を表し、電報を打ち、薬を贈ったとしても、それで十分ではない。たとえすべての弔鐘を打ち鳴らして、半旗を掲げたとしても、それはほとんど、まったく、何の役にも立ちません。
五十万とも六十万ともいわれる人たちが生き埋めになり、火に焼かれ、水にのまれて死んだ。繊細な文化と勤勉な労働の都市がつぶされたのです。世界大戦の恐ろしい大惨禍と比べれば小さいかもしれない。おまけにこんなに離れている。それに襲われたのは言葉も通じない、実際にはほとんど何のつき合いもない肌の色もちがう民族だ……。
ああ、違う。それは遠くではない。日本で地面が振動したその瞬間、他の民族の足もとの地面は振動しなかったとしても、私たちの地球は振動して、ひびが入ったのです。竹の柱や梁が倒れかかったのは微笑をうかべた黄色い小柄な人たちの家族の上にではなく、人類の頭上なのです。もし全世界の人類の一つに合わさった心の波長、すなわち連帯の波長がこの地殻のなかの波長に反応しなかったら、それは恐ろしい、冷酷なことといわざるをえません。
私たちの同情が、もし、われわれ地球上の全人類、全民族は家族であり、兄弟、隣人あるいは親戚、それをどう呼ぼうとかまいませんが、要するに一つであるという輝かしい、まさに目もくらまんばかりの意識によって導かれたものでないかぎり、そんな同情は偽善的感傷となるでしょう。私たちチェコ人もドイツ人もフランス人も、私たち白いものも黒いものも、服を着ていようが裸だろうが、北極や南極に住むものも、赤道上に住むものであろうが、われわれ人類はこの地割れを起こし、燃え上がり、振動する天体の人類同士、労働者同士なのです。それは私たちの国から遠く離れたところでおきました。しかし、それは暗闇のなかにまたたいた悲劇的な広大な閃光なのです。その閃光のなかで私たちは直ちに人間から人間への関係、民族から民族への関係、大陸から大陸への関係を、いままでとは別に、まったく違ったふうに見直さなければなりません。
この恐ろしい閃光のあとで、世界の何かが変わらないとか、浄化されないとかいうことがありうるでしょうか? 私たちを恐怖させたこの瞬間が、私たちのなかの意識を鋭くゆり動かし、かつて思いもおよばなかった広く限りない視界を、一瞬のうちに、私たちの眼前に開けさせないはずはありません。
いいですか、みなさん、地平線上に大きな不幸が起こったのです。募金活動をはじめる必要があります。でも、小銭や慈善の寄付ではありません。すべての人類のなかの私たちすべて、この震えつつある天球のあらゆる種類の子供たちすべてを一つにつなぐもの、そのすべてを招集する必要があります。すなわち、連帯、友情、すべてのものとすべてのもを統一させる単純で明快な意識です。たぶん——お互いに手をさしのべあいながら——私たち共通の、不可抗力の、しかもはじけ続ける惑星のまわりに堅固な鎖をつなぐために、私たち地上の人間のやさしい、無限の、共通の仕事の資本を集める必要があるのです。
もし、現代文明の苦悩の薄明かりのなかに輝いた閃光が、その狂気の光を悲劇的かつ警告の光として極東のわが兄弟の上にだけではなく、地球上のあらゆる地域の兄弟たちの上にも投げかけたのでないとしたら、その閃光はいたずらに燃え、いたずらに破壊したに過ぎないことになるのです。
(1923年9月6日)
(4)なぜ私はコミュニストではないか
「なぜ私はコミュニストでないか」という問題は、政治談義をたのしむためというよりは、むしろ、どんなことでも話の種にしておもしろがるという連中の集まり<*1>のなかで不意に話題としてもちあがってきたものです。そういえば、一座のなかに「なぜ私は農業党員でないか」とか、「なぜ私は民族民主党員でないか」などという問題を提起する人はいませんでした。「農業党員でない」ことは、まだ、いかなる明確な思想ないしは人生観をも意味していないからです。ところが「コミュニストでない」ということは「非コミュニスト」であることを意味し、「コミュニストでない」ということは単なる否定ではなく、むしろ確固たる信念なのです。
私個人にとってこの問題は息抜きになります。なぜなら、コミュニズムを相手に大論戦を戦わせる必要はなく、私がコミュニストでないこと、そして私がなぜコミュニストになることができないかという問題について、私自身が私自身にたいして自己弁護すればいいからです。
ですから、私がコミュニストだったら、この問題に答えるのはきわめてたやすい御用だったでしょう。私はできるかぎり断固たる決意をもって世界の改善に寄与しているのだと思い込みながら生きることができるでしょうし、富者よりは貧しい人たちの側に、大きな腹をかかえた金持ちよりは、腹をすかした人たちの側に立っていると思い込むこともできるでしょう。何をどう考えるべきか、何を憎み、何を無視すべきかがわかるでしょう。
ところが、そうする代わりに、私はいかなる原理に保護されることもなく、空手で、世界を援助する自分の力のなさを痛感しながら、自分の良心にしたがう術もなく、裸の身を棘のなかにさらしているかのように心の痛みにさいなまれているのです。
もし、私の心が貧しい人々の側にあるのなら、一体全体、どうして私はコミュニストでないのでしょう?
なぜなら、私の心が貧しい人々の側にあるからです。
* * *
私は目も当てられない、言語に絶する貧困を見たことがあります。<*2> それは私がなりうるどんなものになったとしても、痛ましく感じられるものでした。その貧しい人たちの生活を目撃すれば、たとえ私の住家がどんなに貧しくても、私はまるで豪華な宮殿か劇場から駆けつけた部外者みたいに、なす術もない無力な観客というみじめな役を演じざるをえませんでした。
見るだけでは足りない。同情だけでは足りない。私もその人たちの生活を生きるべきなのかもしれない。でも、私はその貧窮のなかで死ぬのがこわい。
この惨めな、非人間的な貧困の問題はいかなる政党の政策目録の看板にも書き出されていません。首をつる鉤もなければ、ベッドにしくぼろ布ひとつないひどいねぐらのなかに向かって、コミュニズムはしかるべき距離をおきながら叫んでいます——その責任は社会の秩序にある。二年後、二十年後に革命の旗がひるがえる。そうなった暁には……
なんだと? 二年後、二十年後だと? この冬のもう二ヶ月を、もう二週間を、もう二日間をこんな具合にして生きろだなんて、いったい、どうしてそんな冷淡なことがいえるのです? ここで援助することもできなければ、援助しようとも思わないブルジョアジーは私には無縁の存在です。しかし同様に、援助の代わりに革命の旗をもち出してくるコミュニズムも私には無縁です。
コミュニズムの究極の言葉は「支配する」です。けっして「救済する」ではありません。その高く掲げるスローガンは「権力」であって、「助力」ではないのです。
コミュニズムにとって貧困、空腹、失業は耐えがたい苦痛でもなければ恥じでもなく、むしろ怒りと反抗が塊となって発酵する、陰惨な力をたくわえるのに絶好の貯蔵庫なんですね。
「その罪は社会制度にある!」
いいえ、違います。たとえ人間の貧困をまえにして手をポケットに突っ込んだまま立っていようが、革命の旗を手にして立っていようが、罪はわれわれすべてにあるのです。
貧しい人々は階級ではなく、まさに階級の外にあるもの、仲間はずれ、非組織者です。たとえどんな人でも権力への階段に自分の場所を占めることがあるとしても、貧しい人々がその階段を登ることは絶対にないでしょう。
腹をすかした者たちは支配することではなく、食べることを望んでいるのです。
貧困との関連でいうならば、誰が支配するかはどうでもよいことで、問題はわれわれ人間がその貧困をどう感じるかということだけです。
貧困は社会制度でもなければ階級でもなく、不幸なのです。人間的な直接的援助の呼びかけに目を向けてみても、コミュニズムの呼びかけには階級支配の冷たい政策というものが、どうしても目につきます。
私はコミュニストになることはできません。
なぜなら、コミュニズムの道徳はは援助の道徳ではないからです。また、現行の社会制度の排除を主張しますが、それは必ずしも貧困という社会悪の排除ではないからです。さらに、また、たとえ彼らが貧困者の救済を望むとしても、それを条件つきで行うからです。その条件はまず最初に支配することです。そしてそのあとであなた方の救済に――たぶん――出向くだろうということです。残念ながらその条件つつきの救済も証文に書いて保証されているわけではありません。
* * *
貧しい人々は集団ではありません。
千人の労働者は一人の労働者の生存の闘争を助けることができます。しかし千人の貧しい人々は一人の貧しい人さえ助けられないばかりか、一切れのパンさえ拠出することができません。貧しい、腹を空かせて途方にくれた人は完全に孤独です。彼の人生は彼だけの物語であり、ほかの人々の物語とまぜこぜにすることはできません。だって、それは不幸だから。たとえその人の不幸がほかの人々の不幸と瓜ふたつに似かよっていたとしても、不幸は個人の上に降りかかるものだからです。どんな方法でもかまいませんから一度、社会をひっくり返してごらんなさい。貧しい人たちはやっぱり一番底に落ちます。そして、せいぜい新顔の人が加わって数がふえるだけでしょう。
私はこれっぽっちも貴族なんて柄ではありません。でも、私は大衆の価値というものを信じません。第一、いずれ大衆が支配するようになるなんてことを本気で主張する人なんか、ほんとはいないんじゃありませんかね。要するに、大衆は一定の目的達成のための単なる物的手段にすぎないのですよ。大衆は他のいろんな色の党員たちよりもはるかに厳しい残酷な意味で、単なる政治的素材にしかすぎないのです。
人間が集団的素材になるためには、人間を一定の型にはめる必要があります。一定の布地、ないしは、一定の理念で作ったユニフォームを与える必要があるのです。残念ながら、理念のユニフォームは、通常、一年半も着ていたらもう脱ぐことはできなくなります。
もしコミュニズムが労働者のところに来て誠意をもって 「君にあることを要求する。しかし何も約束しない。君が工場の一部であり素材であるのと同じに、君がわたしの党の一部となり、単位となり、素材になること。君が工場で黙って服従するように、黙ってわが党に服従することを要求する。
その代わり、ひとたびすべてが変わったら、君があるがままにとどまっていてよろしい。君にとってそれがよくなるか悪くなるか、わたしにも保証できない。世界の秩序は君にとって気前よくも、やさしくもならないかもしれない、しかし公平にはなるだろう」
というとしたら、私も心の底からコミュニズムを見直すかもしれません。
たぶん、ほとんどの労働者がこの提案を前にしていろいろと考えるでしょうね。たしかにこれらの提案は、最大限に率直ではあるが、高度な倫理的観点から見て、それがこれまでのどんな提案よりもましなのか、ましでないのか、誰にもわかりはしないでしょう。
貧しい人々を約束で養っていこうというのは、貧しい人をたぶらかすことです。空手形みたいな約束だって多少の気休めくらいにはなるかもしれませんが、実際問題として現在でも百年前と同様に、お役所の建物の屋根の上の鳩よりは、自分の手のなかにあるスズメのほうがましだし、革命の火の手に燃える金持ちの屋敷の炎よりは、わが家のストーブのなかに燃える小さな炎のほうがましなのは明らかです。
そんな金持ちの屋敷だって、目に階級意識を血走らせている人が考えているよりは、実は、わが国には非常に少ないのです。なぜなら、このことは通常言いわすれられていることですが、きわめてわずかの例を除けば、生活水準からいってわが国ではほとんどが無産者だからです。
貧しいものは犠牲を払おうにも払うものをもっていないとはよく言われることですが、とんでもない話で、ひとたび何かが起これば一番大きな犠牲を払うのは必ず貧しい人たちです。なぜなら、貧しい人が何か犠牲を払うとしたら、それはパンの皮の最後の一切れだからです。貧しい人の最後のパンの一切れまで革命の実験に使うわけにはいきません。
どんな革命も、いったん起こればその負担は少数の人々の肩にではなく、最も大勢の人たちの肩の上にのしかかってきます。たとえ、それが戦争であれ、通貨危機であれ、そのほかの何であれ、その被害を真っ先に、しかももっとも深刻にこうむるのは貧しい人たちです。要するに貧困には限界も底もありません。この世でもっとも傾いた軒に住む人は富者ではなく貧者です。地球をゆすぶってごらんなさい。そしたら、誰が屋根の下敷きになっているかわかりますよ。
それでは何をすればいいのか? 私にかんするかぎり「発展」という言葉ではあまり気休めにはなりません。だってこの世で「発展」しない唯一のものが貧困だからです。その代わり、手がつけられないくらいに繁殖します。それにしても貧困の問題を、いつか実現する未来の制度へ先送りすることがあってはなりません。仮に救済の可能性が少しでもあるというのなら、それはもう今日にでも始めるべきです。もちろん、そのための道徳的資本が今日の世界に十分あるかどうかが問題ですがね。
コミュニズムは絶対にないと言います。そうなのです、わたしたちが意見を異にする対立点がまさにここにあるのです。だからといって、この社会的ソドムに正義が完全に行きわたっていると主張するつもりもありません。しかし、私たちソドムの住民の一人一人のなかに正義の切れっぱしくらいは残っているでしょう。だから、長い苦労と、ああでもないこうでもないと手を振りまわしたあげくに、完全に納得のいく正義にかんする了解を得ることができるだろうと私は信じています。
しかし、コミュニズムは話し合っても無駄だと言います。どうやら大勢の民衆の人間的価値をまったく疑っているようなのです。それでもコミュニズムはこの問題について今後もずっと私に語りかけてくるでしょう。
今日の社会は、失業者や老人や病人にたいして、何らかの保護対策を講じてきました。だから、これまでも破滅することもなくやってこれたのです。それで十分だとは言いません。でも、貧しい人々にとっても、私にとっても重要なことは、少なくとも、それくらいのことなら革命の旗がひるがえる輝かしい瞬間をいらいらしながら待たなくても、今日、いますぐにでも実行できるだろうということです。
貧しい人々の問題は今日の問題であり、けっして未来の秩序の問題ではないと信じることは、当然、コミュニストではないことを意味します。重要なのは二十年後の革命よりは、今日のパンの一切れ、ストーヴの暖かさであると信じることも、また、きわめて非コミュニスティックな気質なのですね。
* * *
コミュニズムの最も不可解で非人間的なところは、その独特の陰険さです。悪ければ悪くなるほどよいのです。仮に、自転車に乗った人が耳の不自由なおばあさんにぶっつかったとします。するとそれは現代社会の秩序の腐敗の証拠になります。労働者が機械の歯車に指をはさまれたとします。すると彼のかわいそうな指を砕いたのは歯車ではなくてブルジョアジーということになり、おまけに、それにたいして血なまぐさい快感をさえ覚えるのです。
彼らに言わせば、何らかの個人的理由からコミュニストでないすべての人々の心は、オデキのように鼻もちならない、嫌悪すべきものなのです。そして現代の全社会秩序のなかに善なるものは毛の一筋ほどもなく、存在するものすべては悪だということになるのです。
イジー・ヴォルケル<*3>はあるバラードのなかで「貧しき者たちよ、君たちの心の最も奥のおく底に、私は憎悪を見る」と述べています。これは恐ろしい言葉です。ところが滑稽なのはそれが見当ちがいだということです。貧しい人々の心の底には、むしろびっくりするほどの、また、ほれぼれするほどの陽気さがあります。機械のそばの労働者は工場主や工場の監督よりもはるかに好んで冗談を言います。建築現場の煉瓦積み職人は建築主や家主よりは多く人生をエンジョイしています。そして家のなかで誰かが歌をうたうとすれば、それは断然、床を拭いている女中たちのほうであって、けっして彼女のご主人さまのほうではありません。
いわゆるプロレタリアは本来はほとんど歓喜にみちた、子供のような純真な人生観をもつ傾向があります。コミュニズムのペシミズムと陰険な憎悪はプロレタリアのなかに人為的に詰め込まれたものであり、しかも不純な誇張によってうわ塗りまでされているのです。この救いようのない陰鬱さの注入は「革命への大衆教育」とか「階級意識の強化」と呼ばれています。コミュニズムはそうでなくてもわずかしかもっていない貧しい人たちから人生の原始的喜びまでも奪おうとしているのです。それはよりよい未来世界のための初回の掛け金だというのでしょう。
思いやりのなさ、人間味のなさというのがコミュニズムの風土です。ブルジョアジーの極寒と革命の炎のあいだに中間の気温というものがないのです。それはけっしてプロレタリアが喜んで、心ゆくまで身をゆだねることのできる気温ではありません。この世には昼食とか夕食とかいったものはなく、あるのは貧しい人たちのカビの生えたパンの皮か、金持ちの贅沢な料理です。
愛はもはやなく、あるのは金持たちの変態性欲かプロレタリア階級の出産です。ブルジョア階級はブルジョア的腐敗を吐き出し、労働者は結核菌を吐き出す。これだけで清浄な空気は何となく、なくなってしまうような気がします。
いったいジャーナリストや作家はこのような馬鹿げた世界像を本気で語っているのでしょうか? それとも意識的に嘘をついているのでしょうか?
そのへんのところは私にもわかりませんが、ただ私にわかるのは、素朴でうぶな人間――そのほとんどがプロレタリアであるわけですが――が住んでいるこの世界は、彼らにとって根底からくつがえす以外に、実際、なんの価値もない腐敗しきったものとして描き出されているということです。しかしこんな世界は単なるフィクションなのですから、早々に根底から、いわば、ある種の革命的行動によってひっくり返したほうがいいのです。そんな場合なら私も熱烈に賛成します。私たちの住んでいる「涙の谷間」は口には言い表せない不幸や悩みごとがあまりにも多すぎますし、生活のゆとりもどちらかといえばあまりない。それに楽しいことときたらあまりどころか、皆無といってもいいくらいです。
私にかんするかぎり、私の習慣からいっても、世界をなんの理由もなく、ことさらにバラ色に描こうとは思いません。しかしコミュニズムの非人間的否定性と悲劇性にぶっつかったときは、いつも、それはほんとうじゃない、絶対そんなふうには見えないと激しく抵抗の叫びをあげたくなります。私はほんのわずかですが救済の玉ねぎの一切れさえ恩恵にあずかれない人たちがいることも、また、多少とも正気で思慮のある神さまなら、燃えさかる硫黄の火を頭からぶっかけてやりたくなるような人間が、たとえわずかでもいることを知っています。
世の中には実際上の悪よりも、偏狭さのほうがはるかに多く存在しているのです。それでも、この人間世界に見切りをつけてしまうのは気が早すぎます。そこまでしなくても、この世には多少なりともまだ共感や信頼,やさしさや善意があるのも確かです。現在の人間にしろ未来の人間にしろ、人間が完全無欠であるとは私も思いません。世界は善意によっても革命によっても、それどころか人類を根絶やしにしたとしても楽園にはならないでしょう。
しかし、もし、われわれ罪深き人間の一人一人のなかに、最後の最後に残された善なるものをみんなかき集めることができたら、そしたら、それをもとにして、これまでよりははるかにやさしさのある世界を作り上げることができるでしょう。それは愚かな人間愛だとおっしゃるかもしれない。そうです、私は人間であるがゆえに人間を愛する愚か者の一人なのです。
たとえば、森は黒いということがきわめて安易に言われます。しかし、森のなかに黒い木などありません。むしろあるとしたら赤茶色の木と緑の木です。なぜって通常はマツとトウヒだからです。
社会が悪いということが気軽に言われます。しかしそこへ駆けつけて基本的に悪いという人間を探してごらんなさい。非人間的な普遍化にとらわれることなく世界を判定してごらんなさい。とたんにあなた方の原則なんてものは、まったくナンセンスなものになってしまいますよ。
コミュニズムの前提となっているのは、人為的ないし意図的な世界にたいする無知なのです。もし誰かがドイツ人を憎むと言ったら、その人にドイツに行って彼らのあいだで生活してごらんと、私なら言ってやります。そして一ヵ月後にドイツ人の下宿屋のおばさんを憎いと思ったか、ドイツ人のハツカダイコン売りを切り殺してやりたくなったか、あるいはマッチを売ってくれたチュートン人(ゲルマン民族の一種族)のお婆さんを絞め殺してやりたかったかとたずねてやりますよ。
人間精神のもっとも非道徳的な贈物は普遍化の贈物です。経験を蓄積するかわりに、一事が万事、単純に普遍化してすべてを見てしまうのです。みなさん方はコミュニストの新聞のなかで、最初から終わりまで世界は悲惨だということ以外に何も読み取ることはできないでしょう。認識の山の頂上に立って目をふさがれずに物を見ている人間にとって、これではちょっと説得力が不足です。
憎悪、無知、徹底的不信。
これはコミュニズムの心理的世界です。医学的診断ならば全否定症候群とでもいうんでしょう。人間が群集になったら、たぶん、この病気にはかかりやすいかもしれません。しかし個人生活のなかでこの病気を引きずったまま生活するのはむずかしいのではないでしょうか。街角で乞食のそばにしばらく立っていてごらんなさい。通行人のなかでポケットから二十ハーレシュ玉を取り出して与える人のうち、おそらく十人中七人までは、自分自身が貧困の境目をうろうろしている人たちで、残りの三人は女性です。
この事実からコミュニストはきっとブルジョアは冷酷な心をもっていると判断をくだすでしょう。しかし私ならこの事実から、もっと美しいこと、つまりプロレタリアはほとんどが思いやりにとんだ心をもっている、そして基本的に、やさしさと愛と犠牲的精神への傾向が強いと判定します。
コミュニズムはこのような人たちまでも、その階級的憎悪と怒りによって、卑しい人間に作り変えようとしています。このような屈辱をまずしい人たちが喜ぶはずがありません。
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今日の世界に憎しみは必要ありません。必要なのは善意であり、好意であり、協調と協力です。世界には温暖な道徳的風土が必要です。ごく普通の愛と誠実さがほんの少しあれば、まだ奇跡が起こる余地があると思います。私はいま在る世界を支持します。なぜなら世界が金持ちのものであるからではなく、同時に、今日、人間的価値の最大部分をやっとの思いで支えている貧しい人たちや、さらに中間層の人たち、資本家の碾臼の下に押しつぶされている人たち、そしてプロレタリア階級の人たちのものでもあるからです。
私は例の一万人の金持ちのことはほとんど知りません。だから彼らについて判定をくだすことはできません。しかし私はブルジョアジーと呼ばれている階級は批判しました。その結果、私は汚らしいペシミズムの汚名を着せられました。だから、それだけに、その欠点や罪について、良識あるブルジョア階級の人たちを弁護する権利を保有するために、次のように申しましょう。
プロレタリア階級はブルジョア階級に取って代わることはできませんが、その階級に入ることはできます。あらゆる綱領的いかさま発言にもかかわらず、プロレタリア文化は存在しません。今日では民族文化も貴族文化も宗教文化さえもほとんど存在しないといっていいでしょう。文化価値として評価に耐えうるものは、したたかで、しかも保守的な、そして同時に強烈に個人主義化されたブルジョア階級に根ざした文化です。
もしプロレタリアートがこの伝統にたいする自己の関与を主張して、たとえ「よろしい、今日の世界を引き受けよう。そしてこの世界に存在するあらゆる価値を維持するようにつとめよう。たぶん、どんなんなことがあっても、われわれなら何とか切り抜けられるだろう」と請合ったとしても、もし、コミュニズムがいち早く先頭にしゃしゃり出てきて、ブルジョア文化といわれているものすべてを不要なガラクタだといって一切合財拒否したとしたら、もう万事休すです。そうなったら、多少とも責任感のある人が、もし、いたらなら、このようにして破壊される文化的価値がはたしてどれくらいになるか、さっそく計算しはじめるでしょう。
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わたしはすでに、現実の貧困は制度ではなく不幸であると言いました。すべての制度をひっくり返すことはできるでしょうが、ひっくり返したところで人間が不幸にならないように、とか、病気にならないようにするとか、空腹と寒さを耐えしのばなくてもいいようにするとか、援助の手を必要としないようにすると言うようなことはできないでしょう。いずれにせよ、不幸が人間に提起するのは道徳的課題であって社会的課題ではありません。
コミュニズムの言葉は情け容赦もありません。同情、好意、援助、人間的連帯の価値については語りません。感傷はなしと自信をもって言います。しかし、まさにこれ、「感傷はなし」ということが、わたしには最悪に思えるのです。なぜなら私はあらゆるお手伝いさんや、あらゆる 愚か者、あらゆる正常な人と同じに感傷的だからです。感傷的でないのは悪党とデマゴーグだけです。感傷的な理由がなければ隣人に水の入ったコップなどさし出しませんし、足をすべらせた人の介抱に合理的理由で駆けつけるようなことは絶対にないでしょう。
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次に暴力の問題があります。私は「暴力」と聞いただけで十字を切るようなオールド・ミスではありません。正直のところを申しますと、私も以前、ある男を殴ってやりたくなったことがあります。つまらぬ言い訳をしたか、嘘をついたからです。しかし、そうはなりませんでした。なぜなら防衛するには私のほうが弱かったからか、彼のほうがあまりにも弱すぎたからです。
ごらんのように、私はまったく強健とは言いかねますがね、もし市民たちが貧しい人たちを皆殺しに行こうなんて呼びかけはじめたら、私はきっと勇気を出して、貧しい人たちの応援に駆けつけるでしょう。普通の人なら脅迫する人と一緒にいることには耐えられません。闘争だってフェア・プレーです。扇動家はプロレタリアートの武装を叫ぶけれども、同様の熱心さで小商人から銀行の頭取にいたるまでの市民にたいしては武装を呼びかけません。そのような扇動家は暴力ではなしに、ごく自然の、単純な誠実さを損なうことによって人間社会を転覆させているのです。
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私は「相対主義者」といわれています。それは私がすべてのものを理解しようと努力しているという特別の、そしてかなり重大なインテレクチュアルな罪によるのです。私はあらゆる学問、そして黒人の民話にいたるまであらゆる文学に熱中しています。しかもどんな人種であれ、信仰であれ、あらゆる人々を何とか理解できることを神秘的な喜びを持って発見しています。そこにはある種の共通の人間的倫理と蓄積された共通の人間的価値、たとえば愛、ユーモア、食欲、楽天主義、それに、それなしでは生きていくことのできない、そのほかの多くのことがあるのがはっきりわかります。
ところが、そんなとき、どうかすると私はコミュニズムとは理解し合えないなという恐怖にとらえられます。私はその理想は理解できます。しかしその方法論が理解できないのです。ときにはコミュニズムは外国の言葉でしゃべっているような、その思想は何か私にはまったく無縁の原理にしたがっているような、そんなふうに思われてくることがあります。ある民族が、人類はお互いに仲良くすべきであると信じ、別の民族は、人類はお互いに食い合うべきであると信じているとします。するとこの対照は実に鮮明ではありますが、信念の表明という点で原則的に違いがあるわけではありません。
ところがコミュニズムが、人を背後から撃つのは犯罪ではないと信じるとします。するとそこには、なんとも私には理解しがたいものがあるのです。実をいうと、コミュニズムはこういうふうなことを私にたいしてあけすけに言っているのです。これじゃ、けっして話し合ってもダメだなという、恐ろしいほどの困惑と不安を覚えるのです。
私はこれまで人間が人間を理解するための一定の道徳的で合理的なよりどころがあると信じてきました。コミュニズムの方法は広範に展開された国際的無理解の努力であり、人間世界を相互に無関係な、相互に語り合う言葉をもたない断片に分解しようとする努力です。彼らに言わせれば、一方にとって善いことは、他方にとって善いことではありえないし、あってはならないのです。それは肉体的にも道徳的にも同一の人間がここにいると同時に、あそこにいるということがありえないのと同じです。
わたしのところに最も正統的なコミュニストを寄越してごらんなさい。もし彼が私を即座にぶちのめさないなら、私は彼とかなりの点で同意できるよう願っています。もちろんそれがコミュニズムと関係ないかぎりはです。そうはいっても、コミュニズムはコミュニズムに無関係なことについてさえも基本的に他人には同意しませんがね。
コミュニズムと脾臓の機能について話してごらんなさい。彼はブルジョアの学問だと言うでしょう。同じようにしてブルジョアの詩、ブルジョアのロマンティシズム、ブルジョアのヒューマニズム等々です。どんな小さなことについても見られるコミュニストの信念の強さはほとんど超人的ともいえるものです。それは、その確信がそれほどまでに彼らを勇気づけるからではなく、むしろ彼らにとってのぞましいものではないからです。それとも、もしかしたら、それは信念の力ではなくて、ある種の祭祀的行動指針か、究極的には職業なのでしょう。しかし、このようにして革命の歓喜にたいする魅力的な展望以外には何も与えられずに、ほかの知的世界から切り離されているのがまさにプロレタリアなのです。私にはこの点がとくに残念に思われます。
コミュニズムはプロレタリアと一般世界とのあいだに非常線を張りめぐらします。そして、このプロレタリアと新しい参入者として予定されている大勢の人たちとのあいだに立ってけばけばしい色を塗った看板を掲げて旗振りをしているのは、君たちコミュニスト・インテリなのだよ。しかし、平和の鳩のための場所はまだ残っている。もし君たちのあいだニでなければ、それこそ君たちの頭の上方に、それとも天上から君たちの頭のほうにかな。
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私はこれですべてではないにしても、少なくともこれだけのことを言ってしまったので気が楽になりました。私は率直に言ったと思います。私はいかなる徒党も組んではいません。だから私の議論は原則論の論争ではなく、個人の良心の論争です。そして原則についてではなく、良心の問題として論争するのなら、少なくとも私の意見が理解されないことはないと信じます。そして、そのことについてならもう十分に論議をつくしたと思います。
(1924年12月4日)
〈*1〉……おもしろがるという連中の集まり――チャペックは1924年秋からいろいろな専門分野や思想の知識人を自宅に招いて、自由な雰囲気のコーヒー・パーティーをひらいており、パーテチュニーク(金曜会)として有名になった。これは厳格に男性だけの集まりだった。つまり「男性だけの集まり」という規則を厳として守り、例外を認めなかったというところにもチャペックの茶目っ気とユーモアを感じる。このエッセーが書かれたのが十二月だから、発足後間もない頃の集まりで話題に上ったのだろう。だが、コミュニスト作家V.ヴァンチュラもメンバーだったというから、チャペックの偏らない人づき合いのほどもうかがわれる。この会には当時のチェコスロバキア大統領マサリクも何度か参加している。なお、男だけの集まりという点にかんしては本エッセーを収録した拙訳編『カレル・ャペックの闘争』社会思想社刊に収録されている「小話の博物学に寄せて」(44頁あたり)をご参照いただきたい。チェコないしヨーロッパにも日本の若衆宿のようなものが昔あったらしい。チャペックはそれにあこがれ、それを気取ったのである。
〈*2〉言語に絶する貧困を見たことがあります――チャペックは1921年3月末、プラハ郊外にある貧民住宅の英札の査察に同行し、「シャヴリーン住宅」と「251番地の家」というルポルタージュを書いている。(拙訳編『コラムの闘争』社会思想社刊参照)
〈*3〉イジー・ヴォルケル(1900~1924)その才能をおしまれながら、若くして死んだコミュニスト詩人。