てんてん(抄)

虚空ゆくとりの目ふたつ大旦   平成十一年(1999)

 

わるなれど町内の初鴉なり

 

うれしくも淋しくもなし福寿草

 

粥にぽと落せし黄味や寒四郎

 

野火見つつ人間不信今更に

 

たんぽぽと一本道とあそびをり

 

たくさんの返事を持つて春の雲

 

一礼の衿きよらなり光悦忌

 

目刺一連うまれかけては消ゆる詩よ

 

ひとりこそ自在や花の蕊に虻

 

湖の藻にささめく小蝦こえび涅槃西風ねはんにし

 

先生の春の日記の犬のこと

 

金の虻よろめき出でし牡丹かな

 

茶漬食ふ五月某日薄情に

 

とぼけても眉を上げても油照

 

冷房裡一個の噂成熟す

 

噴水や若者の腰ひよろひよろと

 

くるぶしに触れたる木賊とくさ土用入

 

帚木ははきぎやある日ともしき子規の才

 

空蝉うつせみを拾へば笑ひ天よりす

 

芋の露不意をくらつてこぼれけり

 

秋刀魚さんま食ふつて男は凛たりし

 

桐一葉おもてをあげて落ちにけり

 

舞茸まひたけは雲のごとくに鍋の脇

 

うしろからうむを言はせず秋の暮

 

枯菊の面目めんもくほどの香なりけり

 

弓始ゆみはじめ弓の形の国なれば   平成十二年(2000)

 

我はただ餅の黴ぐむかし者

 

正月やああ少年に帽子なし

 

雪国や蕎麦きしきしと昼の酒

 

春隣帽子取りたるおでこかな

 

寒明や味噌をよろこぶ蒟蒻こんにやく

 

消えかかる身を白魚は寄せ合へり

 

一握いちあくの芹の香けふをはかなくす

 

飯蛸食ふ腹の欲しがるものならず

 

そのくらゐ考へてをる目刺食ふ

 

春疾風はるはやて一本の矢を胸裡にす

 

春風や藪のやうなる古俳諧こはいかい

 

立ててある竹使途不明鯰池

 

暑けれど佳き世ならねど生きようぞ

 

羽蟻一匹文鎮一個灯を消しぬ

 

四五本のほたるぶくろが村境

 

鶏頭が立てり記憶の行止り

 

女人とも淡くなりけり新走あらばしり

 

家にゐて昨日とおなじ秋の暮

 

あたま寒し頭のかたち見えねども

 

牡蠣を食ふ何たる時間不足かな

 

雪の灯を通り過ぎたるこの世かな

 

行きずりの花舗かほの初荷にかがみけり   平成十三年(2001)

 

餅食べて我はいづこへ行着くや

 

只管打坐しくわんたざ寒鯉かんごひこれを倣ひをり

 

豆撒いてから豆を食ふうらがなし

 

あるとしもなく白魚の翳りあふ

 

春蚊打つ思ひつめたる声なれば

 

みつまたの花咲き軍鶏しやもられしと

 

犬の目の高さ切なし春疾風はるはやて

 

春曙はるあけぼの我となるまでわれ想ふ

 

春雷しゆんらいのあと空箱を一つ潰す

 

春の暮死んでから読む本探す

 

わがままの出てきし春や刃物研ぐ

 

あかつきや枝の先まで水の春

 

けふ見たる桜の中に睡るなり

 

雪形を天にあそばせ花林檎

 

座禅草をんなの息に堪へてをり

 

尻上げて山風読むか鴉の子

 

蝸牛ででむしも夕雲燃ゆるときに遇ふ

 

暑ければ慾を半分捨てにけり

 

黄金虫時計屋の灯に狂ひけり

 

ところてん昭和がふつと顔を出す

 

ビヤホール麦藁帽はどこに置くか

 

らい遠し大和の辻の土けむり

 

見えないが沼の鯰にいと垂らす

 

死者とまだわかれてをらず白木槿むくげ

 

秋晴や手間ひまかけず晩年へ

 

酒持たず高きに登る高きは佳し

 

おのもおのも集ひしごとく糸瓜へちま垂れ

 

猪鍋ししなべの忽ち煮ゆる冥加みやうがかな

 

日蔭出て冬川あさく流れをり

 

に置けば木瓜ぼけの実なども取柄とりえかな

 

一対の塔木枯を奏で合ふ

 

悉く人に名のある寒さかな

 

垣に鍋釜干しし世ありき還らざる

 

餅焼いてをり美しき不安あり

 

月光もほおの冬芽も矢の如し

 

綿虫や人は旅してひとと逢ふ

 

大年おほとしの口慰みの梅法師

 

豆撒きし枡二三日ありて消ゆ   平成十四年(2002)

 

死ぬ人の歩いて行くや牡丹雪

 

鶴かへる空ありガラス割れにけり

 

土手すこし駈けあがりたる野火の果

 

白日に蝶のさかりしうつつかな

 

古雛ふるひいな雨夜あまよおもてあげてをり

 

我のほか人の居らねば地虫出づ

 

加賀にあり田螺たにし煮る火を見てゐたる

 

蝸牛ででむしと生れて奈良の竹垣に

 

一塊のででむし動くああさうか

 

ゆふぞらの白鷺のみち魂迎たまむかへ

 

昼寝覚紙のごとくにふはと

 

夏の山見てどんみりと男なり

 

炎帝や蔵書もひそかなる息す

 

マクベスの科白せりふがふつといなびかり

 

鉄瓶のだんだん重き夜長かな

 

冬蝶と亦逢ふ何か起るらん

 

夕景の森あり寒き距離と思ふ

 

天丼や暮も十日の馬喰町ばくろちやう

 

水仙や明日あしたの晩といふ期待   平成十五年(2003)

 

鬼の死のこと伝はらず鬼やらひ

 

餅腹や大往生を父に謝す  一月十七日父死す。百一歳なりき

 

涅槃図に顔寄せ俳句亡者かな

 

恋猫のふくろふがほの難儀かな

 

春の炉や寝鳥のこゑの一度きり

 

町角や次の角より春の人

 

ぺしやんこの紙風船の時間かな

 

皆がみな途方に暮れて葱坊主

 

昼花火空威張からゐばりして終りけり

 

稚魚たちの鰭はねむらず夏の月

 

一笊に青梅満たし懈怠けたいなし

 

考への行止りより黒揚羽くろあげは

 

雪渓せつけいを雲行き大き無音過ぐ

 

草の名にくはしき老女夏休

 

雁渡老いて筆絶つ人のこと

 

いわし雲虚子と遍路をしたかりし

 

秋の蜂堂々と行く何やある

 

枯山へわが大声の行つたきり

 

寒念佛かんねぶつ材木置場から出発   平成十六年(2004)

 

一月はどどどと過ぎぬ昼のめし

我痩せて鴉太りぬ寒の内

 

丘ひとつ越え探梅たんばいのつもりなり

 

斑鳩いかるがの道や総出のいぬふぐり

 

美しきひとの案内あないや涅槃像

 

浦ひとつ灯をゆたかにす桜鯛

 

更衣ころもがへ寄席よせへ行く日を胸づもり

 

眼を閉ぢて穂麦の痛さ記憶せり

 

町を出て道くつろげり山法師

 

松蝉に絵本は王の死ぬ頁

 

鷹孤ひとり夏夕ぐれの避雷針

 

ひとすぢの風が月から夕黄菅きすげ

 

わが痩躯立てば従ふ甚平かな

 

大雷雨ぺんぺん草は立ち向ふ

 

かやつり草蚊帳かや無くなつてしまひけり

 

炎天の雀翔ぶときほの白し

 

こつてりと鶏頭は色厚うせり

 

秋の蚊の金切声を落しけり

 

手術経し腹の中まで秋の暮

 

種採の嗟々々あああ零してしまひけり

 

遠方に椋鳥むくの群落つ生きたしよ

 

大山だいせんや枯は怠惰の色ならず

 

幾つかは遺品とならむ冬帽子

 

凍鶴いてづるが動き四五人うごきけり   平成十七年(2005)

 

文藝に修羅無くなりぬみやこ鳥

 

野道からぬかるみが消え小正月

 

薄氷うすらひの居ながらにして消えにけり

 

春夕好きな言葉を呼びあつめ

 

今以つて寝巻と言ふやあたたかし

 

木蓮の声なら判る気もすなり

 

墨東に食ふこと稀や蓬餅

 

月細し隣近所の春のこゑ

 

死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ  無季

 

億万年声は出さねど春の土

 

われのゐぬ所ところへ地虫出づ

 

草川の水の音頭も春祭

小田原文学館