小田原の文芸愛好会で今年の秋の文学散歩は神奈川県二宮町と決まった。
二宮町は徳富蘇峰記念館や、南駅前に建つガラスのうさぎ像で有名だが、わけても夭折の作家・山川方夫終焉の地であることに心を惹かれる。
電子文藝館では昨年12月にその彼の短編小説『待っている女』が掲載された。また『他人の夏』が中学2年生を対象にした<読書の時間に読む本>に載っていることも興味深い。私がこの作家に出会ったのは35年ほど前で『夏の葬列』だったが、いつの頃からかこの作品が中学校の教科書にも取り上げられているという。少年の記憶の中で海辺の夏の日が鮮烈に描かれていて、その物語性にも惹かれ、私はこの短編を何度か朗読した事もある。
『クリスマスの贈物』で直木賞候補に、『愛のごとく』が芥川賞候補になった翌年の1965年、二宮町の国道で交通事故という災禍は何とも痛ましい。
本棚の奥にあった文庫『安南の王子・その一年』(昭和48年初版)の解説文で、作家の坂上弘さんはこんなふうに書いている。―――山川方夫の評価は年々高まっている。また若い人の中には卒論に取り上げたり、都会的で流麗な作品群を愛読する人が増えているようだ―――。(原文のまま)
坂上氏が三田文学の事務所ではじめて山川方夫に会ったのは大学2年の頃だったそうで、熱心な彼の勧めで小説を書かされる事になった、と回想する。
先輩作家に無理矢理にでも書かされたという事実を私は羨ましく思う。
他人をつかまえて書かせるという仕事がいかに難しいものか、という点で山川方夫の名編集者としての高い評価は少しの誇張もない、と坂上氏は振り返る。
再三、原稿の提示をうながし、江藤淳の『夏目漱石論』を三田文学に分載したことでも頷けるのだと。
人と人との邂逅も作品との出会いも偶然か必然か、運命的なものなのかも知れない。坂上さんとは、昨秋「ペンの日」を祝う会場でお話させて頂いたばかりだったので、殊のほかそれらの解説の文が親しく染みて来たのだった。
瑣末な日常のなかでふと一つの作品に出会ったことで、その作家の周辺を掘り起こすきっかけとなり、思いがけない連鎖を生むのは不思議なことだと思う。
昔、年嵩の人が「目がかすんで本を読むのが億劫になった」と嘆くのを聞いたときには、そんなものかと信じられなく、私はそんなふうにはならない、と眦を決したものだった。まさに今私もその域に達したのだが、いやいや本に囲まれた情景は矢張り至福の刻なのだと言えると思う。
2016年5月3日 櫻井千恵