(登場する二人のチャールズのうち、チャールズ・ドジソンは『不思議の国のアリス』の作者として知られるルイス・キャロル、チャールズ・バベッジはコンピュータの前身「解析エンジン」の開発者である。)
わたしがイーストハムにあるN氏の古い家を尋ね当てたのは、一八八五年秋、ある日の夕暮れのことだった。ドアをノックすると中から妙に印象の薄い中年女が出てきて、ちょうど主人は戻ったところだと言い、中へ招き入れた。まるでこちらの訪問を待っていたようなごく当り前の様子に、わたしは少し拍子抜けがして、とはいうものの警戒心は決してとかずに彼女のあとにしたがった。居留守を使われた場合のために用意してきた口上は要らなくなったが、物陰からガツンとやられる恐れは十分あると思ったからである。
通された客間は古びて質素ではあったが、落ち着いて清潔な感じだった。これも意外だったと言わなくてはならない。さんざん友人のチャールズ・ドジソンから悪口を聞かされていて――それもあの大人しくて他人の悪口などほとんど口にしないチャールズが、珍しく激した様子で頬を紅潮させながら詐欺師だ、悪党だとののしっていたことから――しかるべき下司野郎にふさわしく、悪趣味のかたまりのような、けばけばしくて乱雑な部屋を想像していたからである。
事の起こりはこの年のはじめに遡る。ロンドンの大物興行主から、クリスマスの目玉興行として〝アリス〟の劇を上演しないかという話がルイス・キャロルことチャールズのもとに持ち込まれた。話合いの席で、劇だけでなく、昔のオリジナル手書き原本を復刻して出版したらどうかということになったのだ。
この原本は、チャールズが二十年あまり前に、オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジの学寮長ヘンリー・リデルの娘で当時十歳位だったアリス・リデルに贈ったものである。チャールズは、今はハーグレイブス夫人におさまっているアリスに、長い無沙汰をわびつつ懸命に頼み込んだ。『不思議の国』と『鏡の国』がともにベストセラーになった頃から、チャールズとアリスの間には何か気まずい思いが生まれていたのかもしれないが、詳細は知らない。ともかくチャールズはハーグレイブス夫人から原本をうまく借り出すことに成功したのである。
こうして、全ては上首尾にはこぶように予想された。大評判間違い無しのクリスマス興行と復刻版の出版。やがて転がり込む巨額の印税。その一部は気前よく保養施設にいる病身の子供たちに贈ればよい。暖かい慈善行為はやがてさらなる副収入を生むだろう。
だが、チャールズの手紙をわたしが受け取ったのはそれから間もなくのことだった。「厄介な事が持ち上がったので、どうか知恵を貸してもらいたい」という。チャールズは原本を「高い写真技術をもつ旧くからの友人」であるN氏に送ったのだが、それから何カ月たっても返事が戻ってこないというのである。
チャールズは今ではもはや一介の数学教師ではない。いわば「アリス企画プロダクション」の代表取締役という立場にある以上、旧友には復刻用の写真作成のために十分な額の謝礼を前払いの小切手で支払っておいたのだが、幾度依頼してもナシのつぶてらしいのである。
問題はその謝礼が踏み倒されたことよりも、年末のクリスマスまでに復刻版が出版できず、結局アリスの劇もお流れになることがはっきりした点だった。例の大物興行主はさすがに怒りと落胆を隠しきれない。こうなるとチャールズはすっかり昔の気弱な男にもどって、ただオロオロするばかり。それで旧知の間柄で弁護士でもあるわたしの出番となったわけである。
一通りN氏宅の客間を見回したとき、壁にかけてある数枚の写真に気がついた。近寄ってみると、その中の一枚には見覚えがある。チャールズがいつかこっそり見せてくれたものに間違いない。それは少女の半裸の写真で、むかしチャールズが「友情のあかし」としてふるえる指でわたしに手渡してくれたものだ。もっとも、わたしにはそういう趣味はまるで無かったから、すぐに突き返してしまったのだが。残りの写真はわたしが見たことの無いものだったが、明らかにその向きの趣味に属し、しかももっと危うい作品だった。ありていに言えば、それらは少女の全裸ないしそれに近い写真だった。一枚だけはチャールズが見せてくれた写真と同じモデルだったが、その他は別のモデルが写っていた。
それらを眺めながら、わたしは一つの謎がとけたような気がして胸が痛んだ。謎というのはつまり、一見世間知らずのようだが、けっこう世故にもたけているチャールズが、分別盛りの年頃になって一体なぜNなどという詐欺師に引っかかったのか、という疑問である。助力をもとめる手紙を受けとって以来、それが気になっていたのだ。
全裸といっても、写真自体はたいして罪のないしろものではある。とはいえ、チャールズからオックスフォード大学の数学教授という肩書を剥ぎとるには十分だろうし、何より〝アリス〟 のイメージに傷がつく。
誰にも何かしら奇妙な癖はある。わたしは共感も同情もしないが、そんなことでパブリック・スクール以来のチャールズとの友情にひびが入ることはない。
だが詐欺師という連中は、いかなる点も見逃さずに飯の種にするのだ。もしチャールズがこの写真を自分で撮ったとして、それが何らかの理由でN氏の手に渡ったとすれば、チャールズは名誉を左右される急所をN氏に握られていることになる。とすれば事件は詐欺ではなく脅迫になるというわけだ。
――けれども、ただちにわたしは自分の粗雑な推理の誤りに気がついて赤面した。それではN氏がこの写真を壁に貼っておく理由がない。脅迫の種を不用意なところに置いておくような愚かな真似を辣腕の詐欺師がするはずはないからである。
とすれば――考えたくはないことだが――チャールズとN氏のあいだには、こういった趣味をめぐる交際が昔からあったのではないだろうか。チャールズはそんなことはおくびにも出さず、ただ完全な被害者として、弁護士であるわたしの友情と助力を懇請したのだが……。
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そのときわたしはN氏が客間に入って来たことに気づいた。N氏は思ったよりはるかに老人で頭はすっかり白髪だったが、ガッシリした身体つきで背筋もシャンとしていた。穏やかさとともに鋭さを感じさせる明るい眸である。わたしは休火山の噴火口をのぞき込んでいるときのような、一種不可思議な興奮をおぼえた。
型通りの挨拶をすませたのち、こちらからさり気なく用件を切り出した。
――旧友のチャールズ・ドジソンが計画中の “アリス” 原本の復刻はきわめて重要な事業で、巨大な利益も見込まれているが、延期されたことで様々な混乱と損失が発生している。写真の腕前と友情とに期待して協力をお願いしたが、作業の進み具合いはどうなっているのだろうか。大至急、誠意をもって対応してもらえれば、これまでの遅れによる損失には目をつぶるようにわたしからチャールズに頼んでも構わない。また、もしそれが不可能なら、原本と前払い代金とを即刻チャールズに返却して頂きたい。法律には暗い数学教師のことゆえ、確かに契約上の不備が皆無ではない点は認めよう。しかし、友情にもとづいてなされた約束が破られたことがはっきりした段階で、わたしがもし必要な法的手段を取るなら、N氏の立場はきわめて不利なものとなるだろう……。
N氏はわたしの言葉を字義的には一応理解したようだったが、事態の深刻さを受けとめた様子はなく、ぼんやり窓の外を眺めていた。わたしが言うべきことを伝えおわって一呼吸すると、ゆっくりこちらを向き直って口をひらいた。
「物というのは、あの原本もそうですが、いろいろな所を渡り歩いて、いろいろな価値と関わりをもつものじゃありませんか。物がえがく様々な軌跡にまつわるお金の動きというのは、それが巻き起こす多様な変化の中のほんの一部にすぎませんよ。あの原本はわたしにとっても大変懐かしいものでした。あれを眺めていると、若かったドジソン氏や、幼かったアリスや、その他いろいろな人たちと過ごした日々が蘇ってきます。年寄りにはそういう一刻がまるで黄金のように思えるもので……。
とはいっても、もちろんあの原本に執着するつもりはありませんよ。巷で言うように、『写真をとれば同じこと』なのかもしれないし。ただし、わたしはその意見には反対です。コピーというのはあなた、人を欺くものですから。もちろんコピーがオリジナルより劣るといった、凡庸な議論をするつもりはない。まるで逆で、コピーのうちにオリジナルを超えたものが宿る場合もあるし、まるで違ったものになる場合もある。その辺は、あのドジソン氏も昔からよく承知しているはずなんですがね。
もっとも、ルイス・キャロルになってから少し意見が変わったのかもしれない。まあ、どうでもいいことだが、”ルイス・キャロル” という名前は、わたしがドジソン氏に進呈したものだったんです。
『いちばん巧みに写真を撮って下さるのは大兄だと存じまして……』という文句の入った手紙を添えて、原本と小切手を彼が送ってきたのは何時でしたかね、そう、たしか今年の春のことだった。あの手紙を読んでわたしは、二十年以上前のドジソン氏――若いチャールズと口をきいているような気持ちにふと戻ってしまった。もう随分会っていないというのに。
あなたは愚かなことだと思われるでしょうが、復刻版をつくりたがっているドジソン氏は、それを商品としてバラまくのではなく、何かしら不壊のもの、われわれ旧知の間柄を象徴する共有財産を創り出したいのではないかと、つい無用な想像力をはたらかせてしまったわけです……」。
「で、写真はお撮りになったんですか?」
わたしはN氏の長弁舌をさえぎって、わざと事務的な口調で尋ねた。
「少しはね。でも、とても全部を撮る気持ちにはなれませんでした。ファインダーをのぞくと、途端にそこから未来の予感が、過去の追憶とともに透けて見えて来るので、ついつい時がたつのを忘れてしまいましたよ。若いチャールズは幼かったアリスの姿をピンで空間に固定しようとしたけれど、時間をとめる装置は、ピンではなくて写真機のファインダーだということです」。
「ですが、そういうことなら小切手はご不要でしょう」と、わたしは追いすがった。
「この年に成りますとね、ますますお金というものの実体や構造がおぼつかないものに感じられてくるんです。若い頃はこれでも人並みに、幸せの一部が換金できる……とは言わないまでも、せめてお金が不幸の一部をあがなう力くらいは持っていると信じていたものですが」。
そう考えた方がかえって蓄財には好都合なんでしょうか――そんなつまらぬ皮肉を言おうとして、わたしはすぐに口をつぐんだ。明らかにN氏は手元が不如意の様子だった。客間に並んだ家具調度類は概して趣味のよい高級品ではあったが、すべて余りにも古く、傷みがはげしかったし、窓から見える庭は荒れ果てて、随分前から手入れをしていないことは明白だった。とくにN氏が身につけている灰色の服はといえば、まあボロと紙一重といったしろものである。ただ、胸ポケットに真新しい真紅のハンカチがのぞいていて、それだけが、過去の靜謐に浸されたN氏の風貌のなかで、かろうじて猥雑な現実につながるスイッチのように見えた。
わたしはほんのチラと眺めただけのつもりだったが、たぶんそこに職業的な特有のまなざしがあったに違いない。N氏は少し頬をこわばらせた。
「わたしはチャールズとの仕事で財産を使い果たしてしまいました。いや、チャールズといってもドジソン氏のことではなく、十四年も前に死んだもう一人の友人のチャールズ・バベッジ氏のことですが。わたしよりだいぶ年上で、初めて会ったときにはもう随分の老人でしたが、それでも実に意気盛んで、器の大きい傑物でした。同じ優秀な数学者でも、神経質で気の小さいルイス・キャロル先生とは大違いだ……いや、失礼」。
とくに気乗りのしない口調で、わたしはそのチャールズ・バベッジ氏なる人物は何者なのかと尋ねた。N氏がバベッジ氏の事業に協力して破産したからには、例の小切手もその関係で使われた可能性が無いとはいえない。
わたしの質問にたいして、N氏は一八六二年のロンドン万国博覧会で評判になった”思考機械” のことを知らないのかと、意外そうな面もちをした。そういえば随分昔、何とかいう年とった数学者が数値や記号を自動的に操作できる機械を発明したというニュースがあったことをおぼろげながら覚えてはいる。わたしにはそれが何のための機械なのか、どうしても理解できなかった。ただ政府や軍当局の一部には、驚異的な機械が現れたという意見もあったようだが。そののち何も出てこないところを見ると、多分たいして役にも立たず、失敗したに違いない。
わたしが要領を得ない顔をしていると、N氏はつと立ち上がり、ついて来るように合図をした。わたしはやむなく従った。
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われわれが入って行った部屋は古い作業場のようなところで、床や棚には歯車やクランクなど、大小さまざまな無数の機械類が雑然と山のように置かれていた。見たところだいぶ長く誰も足を踏み入れたことはないらしく、至るところクモの巣が垂れ下がり、ホコリがぶ厚く積もっている。
「一八六二年の万国博覧会に出品したのは、この中のごく一部です。もっといろんなアイデアがあったんですが、完成に遠いといってチャールズが出品を渋りましてね。わたしが途中で手を引いてからも、あの強情なチャールズは朝から晩まで、細かい工夫に心血を注いでいましたよ。
彼が亡くなったあと、政府の審査委員会は何もかも実用にならないという決議を下してしまいました。ロクに内容も分からないくせに、まったく愚かな連中です。水の泡になったのは、何十年の歳月を費やして積み上げられた機械的工夫の数々だけではない。そこに投影されるはずだった未来の、未知の希望だったんです」。
窓からの光はもうひどく弱々しくなっていた。薄闇のなかで、N氏の眼窩は真っ黒に落ちくぼみ、白髪が逆立って、何か妖気めいたものが漂っている。わたしはふたたび身の危険を感じた。
「もっとも、偉大なチャールズにも悪いところはあったんです。あの人は政府から補助金を引き出そうとして、あまりにも “思考機械” の実用性ばかりを宣伝しすぎました。
一番大切なのはね、あなた、絶対者とわれわれ人間との関わり方じゃありませんか。全能の絶対者というものは、決してわれわれ人間のさかしらな知力で捉えられるようなものじゃありませんよ。絶対者は無限で人間は有限です。人間が努力によって絶対者に近づけるなんて、そんな真っ赤な嘘をよくつけるもんですよ。無限の絶対者、それを正しく認知する手段は唯ひとつ、分析的な論理ではなくて知的な直観によるほかはない――これがわたしの信念です。そして、知的直観とは常に数学的な形式によって表現されるのです」。
N氏は、遠くはるかな暗闇の奥に灯をともして、そこから一つひとつ言葉を引っ張り出してくるように、暗さのなかに華やかさを閃かせながら言葉を続けた。
「思考機械こそは、この問題にたいする最良のアプローチでした。われわれ個々人の揺れ動く心象から独立した、確固たる認識の数学的形式。それを具現する機械……。
具体的には、思考機械をつかって、有限個の単語群から無限個の文章をつくりあげることがわたしの最終課題でした。ご承知のとおり、地上には無数の言語があるけれども、その根底には共通の基本概念が存在するはずです。共通の基本概念構造に一定の数学的な規則が適用され、記号操作が行われて、無限の文章が織り上げられていく。意味の世界が開かれていく……。あなた、この考えに間違いがあるでしょうか。
だから、そういう数学的規則を探って行く営為こそが、絶対者を直観する正しい行為に他ならないんですよ。厳密な数学的規則によって自動的に言語記号を操作できる “思考機械”、まさしくそれは、『絶対者と人間との正しい関わり方』を示唆する存在なんです……少なくとも、わたしはそう信じて、際限もなく資金を投入し続けました」。
いったん話をやめ、N氏は静かにため息をついた。
「とはいえ、わたしはやがて自分の誤りに気づきました。言葉は、それが発せられたとたんに、発した当人のものではない、何か不定形なものに化けてしまう。同時に、わたしという人間も、言葉を発したとたんに、わたしでない何者かに化けてしまう。わたしがわたしでなくなって、バラバラに飛び散ってしまうんですよ。あなたは、そんなことはとうに分かっていたと仰しゃるかもしれない。だが思考機械は、皮肉なことに、そういう言葉の無根拠性や虚妄性を、これまでになく明確に立証してみせたんです。
文法的には正しい英語でありながら、まるきり意味をなさないグロテスクな文章を次から次へと作り続ける思考機械。自分の知力を限界までそそぎ込んだ機械からぞくぞくと出て来る、全くの無意味性のあかしを前にして、わたしがどんな思いをしたか、あなたには想像がおつきになるでしょうか。ピッタリと概念や意味を表す言葉なんてものはこの宇宙に存在せず、ただただ墨汁のような混沌が広がって行くだけだという無惨な真実がお分かりになりますか」。
N氏が首を曲げてこちらの目をのぞき込んできたので、わたしは思わず顔をそむけた。
「それで 〝アリス〟が生まれたというわけですか……」
「ご名答」と叫んで、このとき初めて、N氏は晴れやかに声をたてて笑った。
「おっしゃるとおり、あれは思考機械創造の苦悩をやわらげるために生まれた逆説的な寓話にすぎないんです。
毛虫とアリスの対話や、気違いティー・パーティーの場面を覚えておられるでしょう。それからハンプティー・ダンプティーとアリスとの 〝言葉の意味〟をめぐる会話も。そればかりではなく、物語すべてが……」
「チャールズ――といっても、ドジソンのほうですが、チャールズもその “思考機械” とやらに関わっていたのですか?」
「いいえ」N氏はゆっくりかぶりを振った。
「あの男は、わたしの哲学的な意図をまったく理解しようとはしませんでした。わたしがつくりあげた寓話から苦汁を抜きとって、かわりに甘い果汁を注ぎこみ、見たところ子供むきのメルヘンに仕立て上げてしまったんです。頭の回転もよく、文才もあって、それにきちょうめんな男でしたからね。わたしの話を一生懸命メモにとってましたよ。
むしろあの男は少女を撮る写真機のファインダーのなかに、あの男自身の答えを見つけ出そうとしてたんじゃないかな……。
たしかに、少女写真の世界へドジソン氏を導いたのはこのわたしですよ。けれどもそれは、やさしさと自由を裏側から照らしだすシンボルとしての少女写真だったんです。宇宙の万物の価値をさだめるのは、個々の魂のやさしさと自由、それも精確な機械的形式にのっとったやさしさと自由じゃないでしょうか。あの男のように狭い官能性に偏したものであってはならないんです」。
N氏は狂気と英知とが入りまじった、恐ろしく威厳のあるまなざしでわたしの目を突き刺した。わたしは沈黙をつづける他はなかった。
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「ああ、それで例の原本のことですが」突然N氏は我にかえったように、はっきりしたカン高い声で言った。
「ここにあります。どうか一刻も早くドジソン氏を安心させてやって下さい。それからお金のほうは、残念ながら借金の返済に当ててしまったので、今日お返しすることはできません。今のわたしの財産といえば、長年住み慣れたこの古い家だけでね、ようやく抵当からはずすことができて喜んでいたんですが。
たしかにあなたのお立場からすれば、わたしが “アリス” から生まれる巨大な財貨のほんの一部でも自分のものにするというのは、非合法な犯罪にあたるんでしょう。事情がどうあれ、わたしはそれに文句をつける気持ちはまったく無い。ただ、こちらにつまらぬ意図が無かったことだけでも分かって頂ければ十分です。よろしい、お金は二週間以内に必ずルイス・キャロル氏にお返ししましょう。なに、こんな家でも、あの男からもらった小切手の額よりはずっと高く売れるはずですから」。
N氏の口調は相変わらず穏やかだったが、そこには明らかに鋭い蔑みの陰影が感じとれた。もはやそれ以上、わたしに何が言えただろうか。もし二週間以内の返済についての証文を要求したりすれば、それはすなわち、わたしが事業家ルイス・キャロルのつまらぬお雇い弁護士に過ぎないことを立証するだけだったからである。
わたしは屈辱感とともにN氏宅を後にした。N氏からあずかった〝アリス〟の原本はすぐチャールズ宛に郵送し、ついでに前払い代金も近々返済されるはずだという短い手紙を投函しておいた。
その後チャールズとは会っていない。一度だけ向こうから手紙が来たが、読む気になれないまま放っておいたら、いつのまにか紛失してしまった。
実際に金が返却されたかどうか、N氏があの家を手放したかどうかも知る由がない。翌一八八六年の暮れに上演されたアリスの劇は大好評で、復刻版の売行きもなかなかのものだったらしいが、それらはわたしにはどうでもよい事だ。いずれにしろ、N氏に支払った前払い代金以上の利益は確実に上がったのではないだろうか。
わたしはむしろあの日の出来事を忘却したいと思っている。人から聞いた話では、思いだしたくない事を紙に書き綴ると、それは本人の記憶から離れて独り歩きをはじめ、すみやかに忘れてしまうことができるそうだ。そうなればよいと希望を持ちつつ、こうしてペンを走らせている。
N氏は実務ずれした弁護士さえたくみに言いくるめる手だれのペテン師なのかもしれない。もし金が返却されなかったとしたら、文学史はそう書き、そしてわたしには作家の親友に値しない無能で情けない男という烙印が押されるだろう。あるいは、もしN氏の話にかなりの真実が含まれているとしたら、わたしは一人の親友を永遠に失うことになるだろう。
いずれにせよ、わたしは貧乏くじを引いたのだ。