「文学」の力 ~「生(バース)」が「人生(ライフ)」になるとき~

 高等学校教諭の職を辞し、本格的な文学研究を志して大学院に入学した時、私は研究対象として泉鏡花を選んだ。なぜなら、泉鏡花は「天才」「日本語の魔術師」と称される偉大な作家だから、という至極単純な理由による。それから私は、当時、明治文学研究の第一人者と目されていた故岡保生先生に師事し、仲間たちと共に鏡花文学に親しみ、自分なりに考えたり、調べたりする、充実した日々を過ごした。それだけではない。泉鏡花と出会ったことで、私は「私」にも出会うことができたのである。いま、あらためて、そのことを振り返ってみたい。
 泉鏡花を賞賛した作家を挙げれば、枚挙にいとまがない。夏目漱石、谷崎潤一郎、芥川龍之介、小林秀雄、久保田万太郎、川端康成、堀辰雄、折口信夫、太宰治・・・。日本近代文学史に名を連ねる作家たちが、こぞって鏡花文学を讃えている。近年、芥川賞を受賞した作家たち、例えば、川上弘美や平野啓一郎らが雑誌の対談などで鏡花文学に心酔していたことを告白しているように、鏡花文学には計り知れない魅力がある。なかでも、その表現の豊かさには目を瞠るものがある。鏡花自身も、郷里の金沢に帰省する度に、高名な作家となった鏡花に声をかける近隣の人々に「私は字を書く職人」と答えたというから、鏡花の日本語に対する愛着は並々ならぬものがあったと思う。そのためだろう。鏡花作品はまず一読しただけでは理解できない。それで再読すると、ようやく人物像やストーリー展開が見えてくる。さらに三読すると、鏡花文学の奥深さに近づけたような気分になる。だから、鏡花作品は、必ず三読以上が強いられる。
 鏡花作品は難解である。やむなく、繰り返し、繰り返し、一つの作品を読む。ひたすら読んで考える。この、一語一文を味わい、考えるという作業は、いつの間にか日本語を母語とする「私」という存在そのものへの意識を深めていった。日本語の奥深さ、〈ことば〉が背負ってきた日本の文化、自分が日本人であるという自己認識。「字を書く職人」と自称した鏡花の足跡や情念を辿りながら、私も〈ことば〉で考え、〈ことば〉を選び、〈ことば〉を探しながら、自己との対話を続けているうちに、私が何者であり、その私はどこから来て、どこへ向かっているのかを考えるようになっていった。そうして、私は「私」という存在を探究するかのように、鏡花文学と共に歩み始めていった。
 それまで何となく生きてきた私は、鏡花文学を読み味わうことで、〈ことば〉が有している歴史や文化を知り、それによって形成されている自分を見つめることを学んだのである。お陰で、鏡花文学と出会う前の私より、今の私の方が「生きる」ことに対して自覚的になったと思う。もし、あの時、鏡花を選んでいなかったら、いまなお私はただ何となく生きていたかもしれない。鏡花文学は私を変えてくれた。だから、「天才」とか「日本語の魔術師」という鏡花文学への評価は、私にとって特別な意味を帯びたものに聞こえるのである。つまり、鏡花文学と出会ったことで、私の「生(バース)」は「人生(ライフ)」になった。それは、〈ことば〉によって自己確認や認識が行われ、「私」という唯一の「生」が「私の人生」として立ち上がってくることの実感に他ならない。鏡花文学に限らず、それこそが「文学の力」だと、つくづく思う。
 ところで、電子文藝館には、三百篇以上もある鏡花作品の中から「龍潭譚」と「海神別荘」という二作が掲載されているが、これらは「水」という一点で深く繋がっている。鏡花文学における「水」とは、固体にも気体にもなる変化自在の液体というイメージであったり、あるいは、胎児を優しく包む羊水を思わせるものであったり、彼岸と此岸を結ぶ境界であったり、という象徴的なモチーフとして扱われることが多い。もう一つ、鏡花文学に通底するテーマは亡母憧憬といえるのだが、初期作品の「龍潭譚」はそれを最もよく表している。
 「龍潭譚」に登場する九つ谺の美女は亡母の化身であり、その亡母のイメージは、のちにさまざまな女性像として昇華されていったと考えられる。母恋いは、鏡花文学の主要テーマであると同時に、早世した実母への鏡花の熱い思いなのである。
 文学には色々な見方、読み方があると思うが、「黴菌恐怖症」や「強迫観念症」だったという鏡花の人となりも含めて、是非とも鏡花文学に親しんでもらいたいものである。