文壇では私の処女作を知つて居つたものは殆んどない。紅葉が知つて居つただけであるが、それすら故人となつたから、今では闇から闇に葬れるものとなつた。
処女作は『天魔』といふので、二十一年頃であつたと記臆する。穿ち専門の、極めて洒落た畑で。其頃京伝あたりの鋭い軽い筆つきを、面白いと思つて連りと愛読して居つたものであるから、自然其調子が乗つて居つた。五十枚ばかりの短篇もので、其内容は変に厳格らしい人が婦人に対して至つて頑固な、何となく釈迦を真似たやうなをかしさを写したものである。
これは今日現存して居る人の影でもあり、固より世に問はんが為めの作でもなかつたのであるから、何時かしらん反古になつてしまつた。
私がこの『天魔』を持つて、さる人の所へ行つて居ると、丁度そこへ紅葉が来合はして、紅葉も読んで見る、お互に笑つたといふやうな訳で、紅葉と顔を合したのも、この時が始めてゞあつたので、妙な縁になつて居る。
それから始めて世に出た『露団々』とこの『天魔』との間に「和想兵衛」「夢想兵衛」風のものを二つ三つ書いた。別に名前もない短い読切物で、これも何時しか反古になつた。
近頃では小説を書くにも、先づ名前を作る、段取をする、それからそこへ持つて行つて、それそれに充て填めるものを拵へるといつたやうな順序で、どちかといふと専門的な、寧ろ実業的なやり方で、感興的といふ風でないが、自分等が小説を書き始めた頃は、感興によつて筆を起すといふ風で、全く今日とは其趣が異つて居る。だものだからこの当時の作物には名前のないのなぞも往々にしてある。
主張、そんなものはない。主張だとか覚悟だとかいふことは近頃盛んに流行するやうであるが、小説は何処までも小説で、自分の感興を写す外に小説の目的はない。主張といつたやうな事を、発表したいとならば、他になほ幾等も適当な方法があるだらう。『露団々』を世に出したのは唯あゝいふ感興をあゝして書物にしたといふ迄である。
然し感興といつても、私共は感興が湧いたから書く。面白い想が浮んだから、それを直ぐ筆にするといふのではない。種を寐かすといふことをする。どうもこれは一般の作物の上に必要な事であらうと思ふ。
こゝに一つ面白い想が浮んだとする。すると暫くこれを寐かして置く。寐かして置いても、それが真に面白い想であると、何時かしらん又頭を擡げる。それでも構はず、又寐かす。寐かしても寐かしても、それが良い種であると、必ず幾度でも又幾年の後でも、芽を萌き出す。其時これを筆にして決して遅くないのである。然るにそれが良くない種であるといふと、遂に秀でずに終る。即ち秕である。
誰であつたか、何処かの雑誌に、宵に書いた時は馬鹿に巧いやうに思つたものが、朝になつて見ると誠に拙いのに驚くといつたやうな事を話して居つたが、これは誰しもある経験であらうと思ふ。故人も、文章初めて稿を脱するとき、弊病多く自ら覚らず、数月を過ぎて後、始めて能く改竄すべしといふやうな事を言つて居るが、どうも浮んで来た感興を直に捉へて、これを筆に写すといふやうな場合には屡々斯ういふことがある。
然し世の所謂達者側の人は、多くが第一想を取るやり方で、私は必ずしもこれを不可としないけれど、それと同時に又唯達者にのみ走つて、選種しないといふ事も感心せられぬことである。
故人森田思軒なぞは第一想、第二想、第三想といつたやうに、幾つもの想を並べて見て、其中から一番良い想を選ぶといふことをした。例へば、「花は」といふのと、「花が」といふのと、「花や」といふのとがあるとすると、これを「は」にしたものであらうか、それとも「が」にしたものであらうか、又「や」にしたものであらうかといふやうに工夫する。即ち選ぶので、この選ぶ事も亦必要である。
思軒の如きは又推敲改竄非常に力めたもので、選んだ種をこんどは大に練るといふことをした。故人にも文を為りて成ると、書して壁に貼り朝夕観覧して幾度か改め、僅に其半を存するもあれば、改め復改めて原本の一字も存せざるに至るものもあつたといふが、思軒の如きは恰もそれで、紅葉あたりにも同様の傾向があつた。
芭蕉の如きも、十分に選び、十分に練つた一人である。若い間はそうでもなかつたらうが、彼が晩年の句に至つては、尽くこれ腐心槌練の余に成つたものである。彼が句の琅々すべて誦すべきものゝみなるは、実にこれが為めで、仮令それがさまでにないものでも、噛みしめて味のないものはない。其角の如きも、あゝ見えてゐて、なかなか推敲したものである。併し其角の句の尽くが改潤の余になつたものばかりではなく、第一想を取つてこれを置いたものも少くないことは云ふ迄もない。
固より第一想、第二想、第三想と工夫して行くうちに、其選びに選んだ末が、最初の第一想に帰るといふやうな事は敢て珍らしくないことで、前言つたやうに、決して第一想を斥くべき理由はない。一筆に写し成して点綴を加へざるものに神来の妙がないでもないが、然しながら第一想常に神到の文字ではない。
又西鶴の如きは発句にはこれぞといふやうな句もないが、附句の技倆に至つては古今独歩で、人の句を巧に運用して之を働かす才は恐るべきものがあつた。それであるから西鶴の附合を見ると、西鶴の附句があつて後、発句なり、第三の句なりが、これに従つて出来たのではあるまいか、西鶴の句の為めに他の句が置かれてあるのではあるまいかと思はれるやうな事も屡々である。この物に応ずる才といふものも、決して侮る可からざるものであつて、人の平凡な想からして、更に自分の高邁な想を生み出すといふやうな事も、往々にしてあるものである。されば人各々其独特の才に応じて動くといふ事も亦必要で、必ずしも何人を問はず同一規矩のうちに入れやうといふのではない。
私は大に練り大に選ぶ方であるが、さればとて、それが決して一様ではない。洒々落々たる淡白水の如き人を描くには、自分の筆も自ら鬯達簡明に、些の渋滞がないやう、初めから多くの濶削を加へぬやうに書く。又物を話すにも考へ考へ語るといふやうな人を描くには、筆も粗笨を戒めて、考一考しながら落さねばならぬ。学校や会堂のやうな、がらつとした大きな建物を書くには、筆自ら紙を走つて、奔放といつたやうな形にならうが、さて利休の茶室のやうなものを書くには、書くもの先づ一思案してかゝるのであれば、筆自ら精緻に、変化もあり、烹煉もあるといつたやうなもので、一文の頭より尾に至るまで、剛潤必ずしも平等ではない。
それ故、私の原稿には所謂一気呵成に成つて、全く改竄を加へぬ処もあれば、句々竄易し去つて、初造意の時の文字は全く見るべからざるものもある。要は事と物とに応じて筆致を異にすることはあるが、然しながら一時潦草し去つたまゝで、亦顧みないといふやうな天才肌の事はしないのである。
近時小説に筆を執るものゝ傾向のうちに、真といふ側ばかりを究めようといふものと、美といふ側を主として書かうといふものと、即ち写実にのみ走る者と、趣味にのみ赴くものと、二つがあるやうであるが、何れも偏したものは喜ぶべきことでないと思ふ。
泰西の学問が入り込んで、智の眼は大に開かれた。それが為め兎角何事も解剖に傾いて、小説の如きもどうかすると、科学の範囲内に踏み込みさうなこともある。智は譬へば燭火の如きもので、それを以て照らす所は明かに見ることが出来る。既に見えれば見えたゞけの所は自ら筆にも上る道理であるが、さればとて自分はこゝに燭火を持つて斯う照らして居るぞといふやうな書き方は、面白くないと思ふ。
何も見えるものを眼かくしゝて、強ひて、見ないにも及ぶまいが、其上それを説明するのは愚たるを免れない。世間では漱石といふ人の小説を、悪罵する人も多いが、私はそんなに批難すべきものでないと思ふ。
私が小説を作るのは前言つたやうに感興によつて筆を執るのであつて、或特種専門の事に渉つた研究の外、斯ういふ事を書かうといふので、特別に感興を作るべき道具立をするといふやうな事はしない。
(了)