邦子が自殺した事は何といつても私の責任だ。それを私は拒まうとは思はない。然し私としてそれは殆どどうにもならない事だつた。若し自殺すると分つてゐれば勿論避ける方法も考へたらう。が、真逆、それ程の事とは考へてゐなかつた。私の油断である。然し私がさう油断する理由は充分にあつたのだ。自殺せねばならぬ程自分が邦子を酷く扱つてゐるとは私は夢にも思はなかつた。私は実際邦子を愛してゐたのだ。その邦子がどうして三人の子を残し、自殺したか、これは恐らく他人には解らない事だ。外見はよくしてゐながら私が余程惨酷に邦子を扱つてゐたか、或ひは邦子が心にもなく発作的に自らを殺して了つたか、その何方かに考へるより仕方ないだらう。が、それは両方とも当つてゐない。実際私は心から邦子を愛してゐたのだ。邦子も、それを信じて居なかつたとは私にはどうしても思へない。然し邦子が死んで見て私は初めて邦子の死は矢張り必然的なものだつたといふ気になつた。
結局、私が邦子を殺した事になるが、さう思ふ事は実際堪へられない。邦子が死んで私はその事ばかり考へて来た。私は私の愚かさを非難しても非難しきれないやうな気になつてゐる。然し只さう悔むばかりが能ではない。一体どう云ふ心持で邦子が自殺したか、私はそれを考へた。それは到底的確には掴めない。「誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない」ある自殺者の手記にもかうあるが、まして当事者ならぬ私にそれが掴めないのは当然だ。然し私とて文筆を業とする戯曲家である以上、只自分の愚かさをのみ非難し、悔恨の情に包まれてゐても仕方がない。私は私の不幸事(「邦子の」と云はず、敢へて「私の」といふ)を書くつもりだが、今、濛々と頭に燃えいぶつてゐる色々な考が、書く事で幾らかでも整理出来れば私は足れりとする。私はこの書で自己弁護をするつもりは少しもない。寧ろ私はこれで自分を本統に非難出来れば却つて心が定まるかも知れない。
邦子は最初から気の毒な女だつた。幼時は乞食こそしなかつたが、殆ど乞食に等しい貧しさの中に育つたのである。私の長男が一昨年の春肺炎で死にかけた。その時、看護婦が非常によく子供の為めに尽して呉れた。邦子はその事に対する自身の感謝をどう現していいか分らずにゐた。そしてその全快祝ひの日に邦子は自身の一番大事にしてゐた真珠の指環を看護婦へ贈り、漸く彼女自身を満足させた。元此指環は私の戯曲が初めて上演された時に記念として求めたものだ。
「ねえ、いいでせう? 貴方には大変悪いんだけど、これでも上げないとお礼が通じないやうな気がするんですもの」邦子は甘えるやうにこんな事を云つた。
「お前の気の済むやうにするがいい」
「ありがたう。北村さんに、それを云ふわ。これはかう云ふ訳の指環だつてことを」
「そんな事は云はなくてもいい」
「いいえ、云ふの。それでなくちや私の心持が通じないから」
此時だつた。邦子は次のやうなことを話し出した。
毎夏大掃除の日には邦子は必ず母親と町へ出、家々の前にうづ高く積まれた塵挨から古下駄、古団扇、襤褸布、硝子罎などを拾ひ集めて歩いた。五つか六つの児にしては勝ち過ぎる大きな包を背負ひ、母親と共に竹の棒を持つて軒並さういふものを丹念に掻き分けて行く自分を彼女は当時みじめとも何とも思はなかつた。寧ろ年中行事の一つとして後には一つの楽みとして居たが、或時、邦子は不図其中に小さな指環を見つけ、非常に価値のある物を見つけたやうに思つた。石はルビーだが、素よりそれは只の赤硝子で、小間物屋で当時十銭か十五銭で売つてゐる品だつたが、それを拾つた時の喜びは此真珠の指環を貰つた時より何倍の喜びだつたか知れなかつた。
「こんな事を云つちや済まないんですけれど本統の事を云つてゐるのよ」邦子は云訳をしながら続けた。そして、彼女はそれを此上ない宝として大切にしてゐたが、僅か二三日して赤硝子を噛んでゐた洋銀の爪がゆるみ、玉を落して了つた。此時は泣いても泣いても泣き足りない位落胆した。
「こんな話は人には云へない事ですけど、私としては一生忘れられない事ですわ」
邦子が一人の肉親であるその母親に別れたのは十三の時だつた。その頃は手で廻す小さな機械でスコッチの靴下をあみ、生活も幾らかよくなりかけてゐたが、直腸癌で非常な苦しみをした挙句到頭母親は死んで了つた。邦子は子供ながらにいよいよ自分で生きて行かねばならぬ事を痛感した。十人並勝れてゐた所から芸者屋へ下地子にやつては、と云ふ近所の者もあつた。然し邦子は世話する人があり、或家へ子守児として入つた。それからは女工になつた事もあり、或停車場の食堂に給仕女として通つた事もある。
私が邦子を知つたのは、夏だけ営業してゐる或山のホテルに邦子が働いてゐた時だつた。私は顔の美しい割に手のきたない女だと思つた。皿を出すその手が毎日気になつた。その手の指には蒲鉾型の指環がはめてあつたが、多少の執着を感じながら私はそれを見て何とも思はなかつた。私はこれが既婚を表示してゐるものか、或ひは婚約を意味してゐるのか知らなかつた。多分それよりは魔除のおまじなひだらうと思つてゐた。
兎に角不即不離の気持で私は此女を見てゐたが、勿論いたづらな気持が全くなかつたとは云へない。私は.既に三十六で未だ独身だつた。さういふ男──女に対して不真面目に習慣づけられた男が恋愛なしに美しい女──殊に可能性のある女を見る心持はろくなものではなかつた。その御多分に洩れなかつたが、扨て積極的に事を可能ならしめようといふ程の熱意も私にはなかつた。
或晩、私は仕事に疲れ、もう続けられさうもない所からそれを切り上げ──然し寝るにしては少し頭が凝り過ぎてゐるので二三十分球でもつき、気持を換へようと、既に十一時を過ぎてゐたから他の客への遠慮もあり、長い廊下を余り足音をたてず、球場の方へ歩いて行つた。
ホールから二三段登つて細い廊下になり、又降つて球場へ行くのだが、その廊下の左側に客がたて込んだ時でないと使はない客室が二間ある。その一間で低くはあつたが、男と女と何か云ひ争つてゐるやうな声がしてゐた。此所は球場へ行く以外人の通る所ではなし、その時間ではあるし、二人の男女は勿論無邪気な関係ではないらしく思はれたが、私も此所まで来ては急に引きかへす事も出来なかつた、それに云ひ争つてゐる調子が、拒む女を男が強ひてゐる感じなので、私は故意に普通の足音をたててその前を通り過ぎようとした。と同時に半開きになつてゐた戸を突き開け、浴衣に伊達巻の湯上りらしい姿をした女が不意に飛び出して来た。それは興奮から醜い程赤い顔をした邦子だつた。戸が開いたので自然私は部屋の中を見たが、其所には同じ食堂に働いてゐる若いボーイがベッドに腰かけ、憎悪に満ちた眼差しで此方をにらんでゐた。私はそのまま球場へ降りて行つた。
翌朝食堂へ出る時、私は二人の顔を見るのが苦になつた。女の方は未だいいとして、男の方は会はす顔がないだらうと思ふと、「なに大した事ぢやあないよ。心配するな。私は誰にも云ひはしない」云へるものなら、かう云つてやりたかつた。実際私はその若いボーイが好きだつた。元気に銅羅を叩きながら廊下を大股に歩き廻る姿は如何にも若々しく、客扱ひも叮嚀で、気も利いてゐたし、それにこんな山の中に一ト夏ゐる若者にとつて、さう云ふ事は仕方ないとも思はれたし、殊に不成功に終つたとすれば咎め立てをする程の事でもなかつたからだ。
食堂へ出て見ると、どうしたわけかその朝は二人共ゐなかつた。そして他の女給の一人が、私の所へ皿を運びながら、私の顔を見て微かな笑ひをその頬に現し、暗にその事実を自身も知つてゐる事を私に示した。
若いボーイは、その朝、解雇され、山を下つたのだ。
昼の食事には邦子も姿を見せたが、私の所とは遠いテーブルを受け持ち、出来るだけ顔を合さぬ算段をしてゐた。食後茶をヴェランダへ運ばせ、其所で遠い山を眺めながら巻煙草を喫つてゐると、邦子は赤い顔をしながら近づいて来て、小声で、
「昨夜はありがたうムいました」と叮嚀に頭を下げ、直ぐ引かへして行つた。成程、邦子には偶然陰徳をほどこしたわけだつたが、私に知られた故に、そのボーイが解雇されねばならなかつたとすれば、気の毒な事だと思つた。私に見られたといふ事で邦子は殊更、公にして了つたのかも知れないと思つた。
此事以来、私と邦子との間は不知、近づいてゐた。然し二人の関係はそれから半年程して、邦子が芝のあるカッフェーに働いてゐる時、私から思ひ切つて云ひ出したに始まるので、私としてかう云ふ場所の女を他へ連れ出すのに、それ程思ひ切る要はないのだが、それまでの二人の間が、寧ろ余り綺麗事になり過ぎてゐた点で、云ひ出すのに或飛躍が必要になつて了つたのだ。「あの時は本統におかげで助かりましたわ」こんな事を云ふ邦子は余りに真面目だつた。「恩に着るかね」私も此辺までは云ふが、「恩に着るなら」とは云ひにくかつた。いい児になつてゐる自分が破れないのだ。そしてそれを破るのにつまり半年かかつた、尤もその間私は其所に通ひつめたわけではなく、一週に一度或ひは二度行く位のものだが、私が入つて行く瞬間、邦子の顔に露れる表情が段々私を惹き込んで行つた。邦子が私を愛する。──さう自惚れる事は私の性質として気がさす方だつたが、少くも邦子が私に信頼し、私に会ふ事を喜んでゐる、これだけは明かに感ぜられた。それが自然私の気持を真面目にした。そして益々飛躍が困難にもなつたが、遂に私はそれを飛び越えた。それは私の気持がはつきり一方に片附いたからで、最初のいたづらな気持が愛情に変り切つたからである。嘘から出た誠だつた。
暫くして私達は同棲する事になつた。邦子は顔馴染の多い東京に住むよりは郊外に住みたがつたので、吉祥寺に適当な貸家を見つけ、其所へ引き移つた。
それまで私は青山高樹町に婆やと二人暮しで三年過して来たが、何不自由ないつもりの家財道具も邦子が来て見ると色々足らぬ勝ちで、私達はよく三越とか白木屋とかで、新家庭らしい道具類を買ひ集めて来た。
二年程前、邦子は人の妾になつてゐたことがある。株屋の番頭で、最初却々金離れのいい男だつたが、囲はれて見ると、それが急に変り、非常なしまりやで、邦子としてしまる事に大して不服はなかつたが、総てに出し惜みをしながら、邦子の肉体への要求は益々横暴を極め、それは人間としての扱ひとは思へない程になつた。邦子はつくづくその男が厭になつた。其男は又非常に嫉妬深かつた。嫉妬深いといふ事は一面愛情を意味するやうにも思ひ、最初邦子は一途に悪くは解らなかつたが、段々にそれはさういふ云ひがかりを拵へ、手切れを出さずに別れよう下心であることが分つて来ると、その余りに醜い打算が無闇に腹が立つて来た。今は一日でも囲はれてゐるのが厭になり、邦子から云ひ出し、空手でその男と別れて了つた。が、別れると男の方も幾らか未練が出たらしく、その後時々邦子の出てゐるカッフェーに来ては連れ出さうとしたが、もう邦子は決して応じなかつた。
邦子の部屋の道具は大概揃つた。それらを見廻しながら、囲はれた家では、凡そ貧弱な安物ばかりをあてがはれてゐた事を思ひ合せ、邦子は今更に其頃を腹立たしく憶ひ起してゐた。
「気を悪くしないでね。いいこと? 私はどんなに今、幸福に感じてゐるか、それが申し上げたいのよ。私、こんな幸福な心持つて今まで想像も出来なかつた」
波斯猫とでもいふのだらう、毛の房々した白猫を抱き、それへ頬擦りをしてゐる西洋美人の写真を細い銀縁の額に入れ、壁へかけた。私の好みから云へば、床屋にでもありさうな此額は少し困つたが、それを喜んでゐる邦子を失望さす気がせず、黙つてゐた。趣味の悪さと云ふよりもその幼稚さを私は出来るだけ大眼に見ようと思つた。道具類でも、邦子が喜んでゐる程実際趣味のいい物ではなかつたが、それで満足なら、それもいいだらうと思つてゐた。
私達は如何にも新婚の夫婦らしい暮しをした。私は自分の年を考へ不思議な気がした。二人は恋人同志になり切つてゐた。
婆やが不意に唐紙を開け、両方で困る事などあつた。
「いちやつきが烈しいから、うつかり開けられやしない」婆やは聞えよがしに云つたりした。
婆やと邦子との間はどうもうまく行かなかつた。婆やの家はもと寺侍で、本統かどうか分らないが幼時は乳母日傘で育つた事など、殊更らしく吹聴して、暗に邦子がカッフェーの女給上りだといふ事を意識させようとした。邦子はそれを泣いて口惜しがつたが、私も腹は立ちながら直接に軽蔑を示したわけではないので、婆やを叱りつける事も出来なかつた。
私と二人だけの時はそれ程の婆やではなかつたが、邦子が来て、それが急に変つたのは不思議だつた。女給上りを家へ入れたといふのを私の弱点かなぞのやうに考へ、私に対する態度まで何となく横柄になつた。それからそれは私の留守によくある事だが、「旦那様お一人の頃はかうだつた」と私の為に折角邦子が為て置かうとする事に一々訂正を加へたがつた。聞けばそれは事実の場合もあるが、事実でない場合もあるのだ。私はそんな風に婆やが絶えず意地悪をするなら、何の義理もない年寄を何時までも使つて、邦子を苦しめるのは馬鹿々々しい話だと思ふやうになつた。然しこれまで世話になつた関係もあり、怒つて出すのはいやだつた。そして愚図々々してゐる内に到頭邦子は我慢しきれず、二人の間で事を破裂さして了つた。婆やは、「それぢや私には務まりません」といふし、邦子の方は「どうぞ出て行つて下さい」と云つた。
私はこれまで世話になつた事は認める一方、かうなれば出て貰ふより仕方ない事をよく云ひ含め、遂に婆やを解雇した。
邦子は私達の生活に此上ない満足をしきりに現した。自分の生涯にかう云ふ幸福が来る事は全く予想しなかつた事を繰返して云つた。私も幸福だつたが邦子をそれ程幸福にしたと思ふ事が又幸福感となつて私に還つて来るのだ。私達の生活は甘い感じのものではあつたが、その甘さに私は皮肉な眼を向けようとは思はなかつた。
間もなく邦子は妊娠した。無事な日が過ぎ、男の児が生れた。産も至極無事だつたが、一ト月程すると邦子は身体の工合が少し本統でないと云ひ出し、医者に見て貰つたが、完全に下りたと思つた胎盤が、未だ幾らか残つてゐるとの事だつた。邦子はその為め一ト月駿河台の方の病院へ入院した。
第二の児が生れ、平穏無事過ぎる幾年かが過ぎて行つた。邦子はそれを喜び其所に真の幸福を感じてゐた。そして邦子にとつては子供達の事が日々手一杯の為事となつてゐたから退屈はなかつたが、私としては時々退屈さに堪へられず苛々する事も出来て来た。私には劇作をする傍ら劇団を組織するといふやうな面倒な為事は出来なかつた。退屈が私を殺す以上に、さういふ繁忙が亦私を殺しさうな気がするので、時には誘はれることもあるが、毎時私は尻込みし、それを断つてゐた。総てが段々物憂くなつて来た。
そのうち、邦子の幸福に一寸した罅を入らした小事件が起つた。
私に十程年の違ふ一人の兄がある。関西の或学校に教師をしてゐたが、或日私は兄嫁から直ぐ来て呉れと云ふ電報を貰つた。何事かと思つた。かういふ場合大概兄自身の名でいつも来るのが兄嫁になつてゐる点で不思議だつた。私は漠然とした不祥感を持ちながら、その晩の急行でたつた。
それは兄が自家の下婢と少し変で、下婢が兄嫁に対し下らぬ事で優越を示す事があるといふのだ。
「私はね、何も嫉妬でいふんぢやないんですよ。お兄さんはそんなつまらん事をやくなと仰有るんですけど、藤が時時私に横柄な事をするの。それが腹が立つて””。それに教職にある人間としてあるまじき事ですからね。私、多喜子の手前も恥かしくて仕方がない。こんな事で遠い所をお呼び立てして本統に済まないんですけど、どうか貴方からお兄さんによくお話して戴きたいの」
「弱つたな。兄貴に怒られるなら分るが、此方から兄貴に忠告するのは少し気がさすな。そんな資格がないんだから。独身時代さういふ事でいい加減兄貴に迷惑をかけてるんだから」
「だから、尚、角が立たなくていいと思つたのよ」
「それもさうだけど””然したしかにさういふ事実はあるんですね」
「そりやあ、何も現場を見たといふわけぢやないけど、それに決つてゐるのよ。兎に角、私は藤が大きな顔をして私達と一緒に暮してゐるのが腹が立つて仕方がないの。私がお兄さんに申し上げるのは藤との関係がどうのかうのいふんぢやないの。藤を直ぐ出して下さいと云ふのよ」
「兄貴がそれを承知しないんですか」
「ええ」
「多喜子は知つてるんですか?」
「どうですか。あの人は暢気だから、若しかしたら気がついてゐないかも知れないわ」
多喜子といふのは兄の一人娘で今女学校の三年に通つてゐる。兄はそれを非常に可愛がつてゐた。
午後兄は学校を済まし、帰つて来た。そして私の来てゐる事を意外に思つたらしく「何時?」とか「何か用で来たのか?」とか云つてゐたが、間もなく兄嫁が私を呼んだといふ事に気がついたらしかつた。
私は兄嫁の依頼ではあるが、そんな事を直接兄に向つて云ふ気にはなれなかつた。
その晩私は多喜子を応接間に呼んでかう云つた。
「お前は今度叔父さんが来たわけを知つてるかい?」
「””””」返事に困つた多喜子は顔を赤らめ、横を向いてしまつた。
「知つてるらしいね。そんなら丁度いいが、お父さんに何にも云はず、只簡単に、(藤を出して下さい)と云つて御覧。お父さんは、(何故)とは屹度云はないだらう。いいかい。分つたね?」
少し卑怯なやうに思つたが、その辺より仕方がなかつた。
そしてそれは私の予期通り成功した。私は兄の素直さに大変いい感じを持つた。兄は矢張り馬鹿ではないと思つた。
私は帰りの汽車で、此話を邦子にどう話さうか、甚く迷つた。私は家で心配してゐる邦子に此話を全然しないわけには行かない。そして、此事は別に隠す必要はないのだが、若し此話をするとすれば、私自身のした同じ事をも打ち明けて了ひさうなのがつらかつた。それは既に過去の事で、今は少しも邦子を悩ます事ではないのだが。
邦子が最初の産をして、入院してゐる間に私は其頃ゐた美しい女中と二三度さういふ不埒を働いた。そしてそれはその女の方の事情で、邦子が退院する前私の家を退つたので、何等跡を残す事なく済み、私も今は殆どそれを忘れかけてゐるのだが、兄の事を話すとすれば──そして若し邦子がその事に不愉快を感じ、兄嫁に同情するとすれば──それは明かにさうに決つてゐるが──私はそれでも自分のした事に口を拭ひ、知らぬ顔は到底出来さうもなかつた。然し結婚してから私がさういふ点で全く堅人になつてゐると信じ切つてゐる邦子を失望さす事は如何にも酷たらしく、気がひけた。
打ち明けるとも打ち明けぬとも決めずに帰つて来たが、結局私はそれを打ち明けて了つた。兄と自分と同じ血が流れてゐる、一方だけを云ひ、他方を隠してゐる事が如何にも感じが悪く、我慢出来なかつたのだ。
邦子は非常に驚いた。私等の一族を所謂良家として幻影を作つてゐた邦子は兄の話だけでも驚いてゐた所に、私のそれを一緒に聞かされ、不意に断崖から突き落された程にも感じたらしかつた。
「過ぎた事だからいいやうなものですけど、本統に私、がつかりして了ひましたわ。.貴方を信じ切つてゐたんですもの。男の方つて、どうしてさう云ふものかしら。お兄様でも貴方でもいい方なのにねえ。どうしてさう云ふ事をなさるんでせう。何だか世の中が白つちやけて見えるわ。そりやあねえカッフェーにゐた時には随分いろんな人達を見て来ましたけれど、さういふ人達はけだものと私思つてゐたのよ。そして貴方とお眼にかかつた時、さういふ人達とは全で別の世界の方だと云ふ気がしたからこそ、尊敬もし、自然お慕ひするやうにもなつたのですわ。それがどうでせう””」
「もうよして呉れ」私は堪らなくなつて云つた。「それはお前の買被りだ。お前は俺が独身時代いい加減色んな事をして来た事をよく知つてゐるぢやないか。その時代の俺は矢張りけだものの仲間だつたのだ。そして今でもさうでないとは云へないんだ。然し責任転嫁をするわけぢやないが、男には大概さういふけだものがゐるのだ。それを放飼ひにしてゐるか、鎖でつないでゐるかの異ひだけで””極言すればそのけだものが男といふものなのだ」
「ああもう厭々。今までそんなひどい事を貴方からうかがつた事はない。それぢやあ、家庭の幸福なんて目茶々々ぢやあありませんか」邦子は身震ひして叫んだ。
「そのけだものが男は少し云ひ過ぎかも知れない。然し男にとつては第一に為事。それから女を愛する事、これは本能だ。その愛し方が、たまたま獣的な感じを与へる事はあるかも知れないが、一途にそれを否定されると、一寸こんな事も云ひたくなるのだ。然し俺のした事は勿論いい事とは思つてゐない。お前に対し全く済まないと感じてゐる。只、自分だけの問題とすると、実はそれ程良心に咎めてゐないのだ。然しこれとても決していいとは思はない。それは確に悪いのだ。だが、習慣的にさういふ良心が麻痺して了つてゐるのだ」
「今まで貴方はそんな事仰有つた事ないわね。私初めてうかがふわ」
「云ふ必要がなかつたからだ。又余り自慢にもならない考だからだ」
「つまり悪い事だと、御自分でも思つていらつしやるんだわね」
「そりやあ、さうかも知れない」
「悪いとお思ひになるなら、これからは決してさういふことは遊ばさないでせう?」
「さう云ひたい」
「それをはつきり云つて下さらなければ、私安心出来ない」
「恐らくそんな事はないだらう。さういふ機会に対しては出来るだけ用心する」
「何だか手頼りない云ひ方ね」
私は此場合、邦子のためにも「決して」と断言したいのだ。然し私の中の正直者に見張られてゐる感じで、どうも、それが口へ出て来なかつた。
「まあ、この位で我慢して呉れ。余り追ひつめると、又何を云ひ出すか分らないよ。窮鼠却つて猫を食むといふ諺もある」
「大変な鼠があつたものね」
「かう云ふ問題では大概亭主は鼠だよ」
漸く其場は二人で笑へる迄に漕ぎつけたが、この事が邦子の心に与へた打撃は予期以上だつた。私は云はなくてもいい事を云つたと後悔した。実際これは何のよき結果をももたらさず、単に邦子の捧げてゐた幸福の玉に罅を入らしたに終つたが、勿論その幸福は虚偽の上に完全だつたもので、然し女が何所までその幸福を真実の上に確立出来るかは問題だ、殊に邦子のやうな弱い女には。
私は自分がこの事をもう少し早く気づいてゐたら或ひは邦子を殺さずに済んだかも知れないのだ。私のかういふ考は不真面目極まるものだが、一人の女をそれに依つて殺さずに済んだなら、それも悪いとは云へないだらう。
然し私は考ではルーズである割には堅かつた。邦子も私の現在にさういふ事のない事は信じてゐた。
そして無事な三四年が過ぎ、私は為事の上で行き詰つて来た。妙に感激がなくなり、心身を打ち込んで行くと云ふ事が出来なくなつた。或材料、或テーマに一寸興味を持つ。然し書いて行くうち、直ぐそれが厭になつて了ふ。つまり書く事に興味が持続しなくなつたのだ。自然私は怠けてばかりゐたが、それでも時々思ひ出したやうに一ト幕物などを書いてゐた。そして書けば前から惰性的に好意を持つて居て呉れる人達は相当讃めても呉れたが、私自身は嬉しくなかつた。
私は前にも或時期少しも書けない事があつて、その時にはそれを真正面に解し、煩悶したが、或時、又書けるやうになつた経験を持つてゐるので、今度も大体同じにたかをくくつてゐた。一時的の現象を生涯の行詰りと思ひ込む必要はない。そのうちにはどうかなる──かう云つた暢気な気持も私にはあつた。前の場合には一身上多少真剣になるやうな出来事で、本統に気持が動き出した。今度も何かしらさういふ事が起るかも知れない。私はそれが家庭内に起る事は恐れてゐたが、何かの意味での嵐、さういふものが私の身に吹きつけて来れば厭でも起ち上る気になるだらうと思つてゐた。
或批評家が、私のさういふ状態を作品の上から洞察して「好人物の平和」で終つては困るといふやうな事を書いた。私も同感だつた。私はそれを邦子に見せると、邦子は、
「好人物の平和だらうが、何の平和だらうが、余計なお世話ぢやありませんか。家庭の平和が困るといふ理窟は私には分らない」と云つた。
「好人物の平和」といふのは私の家庭の小事件をスケッチ風にまとめた一ト幕物で或劇団で上演した時、一部の者に評判のよかつたものだ。邦子は此批評家が、家庭的には何時も無事でなく、細君の他に愛人があり、この愛人の他に又別の愛人があるといふやうな話を噂で知つてゐたのだ。
「何も家庭の平和を破れといふのぢやない。俺が余り引込思案で独善主義に納まつて居る点を忠告してゐるんだ。俺に浮気をしろと勧めてゐると解るのは気が早すぎる」
「いいえ、それが慥にあります。貴方だつてその点で同感していらつしやるんだわ」
「馬鹿な事を云へ。他人に勧められてそんな事を同感する奴があるものか。兎に角お前にとつては、亭主が浮気をせず、子供達が丈夫で、家庭が無事なら、申分ない生活だらうが、男から云へばそれだけぢやあ困ると云ふ意味で俺は同感したのだ。実際近頃、俺の気持には変に弾力がなくなつた。何か、かうだらけ切つた空気に被ひかぶさられ、手も足も出ない感じだ。自然、味も素気もない作品を惰性的に出してゐるが、そんな事でお茶を濁してゐる俺を激励するつもりで批評家は書いてゐるのだ。何も浮気を勧めるの何のと云ふ、そんなのとは異ふんだ。然しお前がさう邪推するのは仕方ないとして、俺が同感した事までそれで解釈するのは乱暴だよ」
「為事の事をよく仰有るけど、これだけ条件がよくて、どうしてそれがお出来にならないんでせう。それが分りませんわ。子供達は丈夫だし、家の中はうまく行つてゐるし、後顧の憂なしで、為事を遊ばすには一番いい状態だと思ふわ。貴方は子供が一寸風邪をひいてもすぐ為事に身が入らないおたちぢやありませんか。家の中の平和が破れたりしたら、それこそ、為事どころか何だつてお出来になる筈ないと思ふ」
「それはさうだ。さういふ後顧の憂があれば俺は直ぐ為事が出来なくなる。慥にそれはさうだ。然し俺のいふのは別の事なのだ。どうも困るな。お前は今の状態で文句を云ふ所はないと思つてゐる。文句を云ふだけ、何か余計な事を望んでゐるやうに思つて、不服らしいが、俺から云はすと、何年となく続いて来た此平穏無事で、水蜜桃ぢやないが、尻の方から腐つて来たやうな気がして居るんだ。これは俺自身の生活が悪いんで──つまり心掛けが悪いんで、お前の知つた事ではないのだが、俺が、今の生活をもう少しどうかしたいと思ふと、お前は直ぐ、これで文句を云ふのは贅沢すぎる、俺が何かもつと他の快楽を望んでゐるといふ風に解して了ふらしいので、直ぐ話がちぐはぐになるんだ。お前が思つてゐる事と俺が思つてゐる事とは全く別なんだ」
「別かどうか知りませんが、一度、先のやうな事があると、直ぐ其所へ気が廻つて了ふのよ。悪い癖と分つてゐるんですけど、仕方がない」
「幸、不幸を総てその問題だけにお前はかけてゐる。女として尤もな事だが、わきから見てゐると何だか危つかしい気がしてならない」
「何が危つかしいのかしら。貴方さへ堅くして居て下されば何にも心配ない事ぢやあありませんか。危つかしいといふのは私が貴方に云ふ事ですよ。御自分が危つかしい気持でいらして、いつ何時その事で私を不幸にするか分らないと云ふ気があるもんだから、それでそんな事仰有るんだわ。私馬鹿ですけど、さう云ふ事は大概見当がつくわ」
邦子は亢奮し毎時に似合はず荒つぽい事を云つた。私も痛くない腹を探られる不愉快さから腹が立つて来た。
「少し落ちつきなさい。お前の云ふ事は仮想敵に対して実弾を発射してるやうなものだ。実に下らない事だ。俺が釣り込まれないからいいやうなものの、俺の気持が少しも分らず何時までもそんな事を云つてゐると仕舞には俺も怒るよ」
怒るつもりはなかつたが、私の語気も自然荒くなつてゐた。邦子は静かになり、急にぼんやりした顔つきをして黙つて了つた。
翌朝、邦子は私の寝てゐる所へ来て切りに前夜の不嗜を謝つた。
「分つたよ。俺は何とも思つてやしない」
「全く私は邪推深いのよ。それといふのが、前の境遇が悪かつたからで、昨晩寝てから考へて本統に済まなかつたと、実はそつと来て見たら、よくお寝みなんで、やめちやつたけど、それが気になつてよく眠れなかつた」
「馬鹿な奴だな。お前も総てにもう少し暢気になれよ。一方暢気になれる性質があるんだから」
「暢気な時は暢気なんだけど、あの事だけはどうしても暢気になれない。私の悪い癖よ。それはね、随分悪い境遇に慣れて来たんですから、悪ければ悪いでそれに堪へる力はあると思ふの。だけど今の自分が此上ない幸福な自分だと思ひ込むと、それに一寸でもいやな事が入ると、迚も我慢出来なくなる。実際其所は我儘に出来てるのよ。いい加減と云ふ事が嫌ひなのね」
「本統はそれはいい性質だが、お前のは部分的な事を直ぐ全体へ展げて了ふ感じがして、不安心なんだ」
「よく分つてよ。それが私の一番いけない所でせう? 私、何も彼も貴方に信頼して、安心して居ていいのね。さうでせう?」
「それでいいんだ」
「安心してるわ。私、これから決して変な邪推なんかしないわ。世界中で自分が一番幸福な人間だと思つてゐるわ。貴方も決して私に心配さすやうな事、なさらないわね。──さう決めて置くの」
話は結局もとの杢阿弥だつたが、面倒なので私は合槌を打つて置いた。
第三の児が生れ、不相変無事退屈な日が続いた。これは私自身の生活が悪いのだと云ふ事は百も承知しながら、尻の持つて行き所がないと、自然私は邦子に無理な事を云つた。
「お前は俺を家畜だと思つてゐるだらう」
「まあ、どうして?」
「少くとも家畜にしたいと思つてるだらう」
「そんな変な事、どうしてお考へになるの?」
「吉沢の親爺が吉沢に何も望まず、只自家の財産を無事に守つて行く人間にしたがつてゐるのをお前はよく悪口を云つてゐるが、お前自身、俺に望んでゐる所もそれと少しも変りはないんだ。流石お前は金には淡白だが、それが家庭の幸福と代つてゐるだけで、一人の人間を自分の都合のいいやうに骨ぬきにしたがつてゐる気持から云へば全く同じなんだ」
私は自分のかういふ云ひがかりが可笑しくなつた。
「それぢやあ、貴方は御自分が私の為めに骨抜きにされさうな気がしていらつしやるの?」
「ああ。背中の真中辺が少し腐つて来たやうな気がする」
「それは脊椎カリエスといふ病気ですわ」と邦子も笑ひ出した。
「だから早く手あてをしないと可恐いと云つてるんだ。未だ手遅れでないから焦つてるんだ」
「さうなると、つまり私が病菌みたやうなものね」
「それに違ひないんだ。次の間で毒が薬を煎じてゐると云ふ川柳がある」
「それはどう云ふ意味?」
「分らなければ丁度いい」
私の云ひがかりも、うまく行くとこんな風に笑談に終る事もあるが、一寸こじれると自分でも時々法がつかなくなる事がよくあつた。
更に無事平穏な月日が過ぎた。然し此無事平穏は私の気持から云へば決して無事平穏ではなかつた。私は泥沼に落ち込んだやうな気持で、いくら藻がいても足掛りとなるべきものがない為め、それから脱け出る事が出来なかつた。総てが退屈でどうにもならない。
私は錦魚の玉子をかへしたり、小鳥を飼つたり、冬は袖のない半纏の背を丸くし、日あたり縁で障子の切りばりをしたり、堆肥を作つて置いて、花壇に、ダリヤや菊を植ゑて見たり──それは隠居爺と少しも変りない暮しだつた。
私は子供から字を書く事が好きだつたから頼まれれば気楽に半折でも色紙でもよく書いたが、近頃は頼み手がなくても毛氈を開き筆をとる事が多くなつた。此調子が五六年続くと劇作家よりも書家になるかも知れぬと思つたりした。
邦子は娘は決して文学者にはやらないとよく云つた。私もそれには同感だつた。文学者といふものが皆私のやうな人間だとは思はないが、文学者で私のやうな心の状態になつたら、たしかにそれは家庭としては危険人物である。「それが自分を成長さすものならば」といふ気持で、私は自然、何か異常の事柄を望むやうになつてゐた。私は前に立派な口を利いてゐたに拘はらず自分を夢中にさすやうな恋愛事件でも起つて来ないものかといふやうな空想をした。
私は女を書く場合、常に唯一人の女しか浮んで来ない。一つの戯曲に三人四人の女性を出す事はあるが、結局生々と現せるのは一人しかないのだ。然も此女性は私の如何なる戯曲にも現れて来る人間で、作の上での話ではあるが、私は此女性には、もう飽々して了つた。つまり私は女性といふものは結局一人しか識つてゐないといふ事が作家としては腹立たしくさへなるのだ。実際私は、邦子以外の女性といふものは如何しても全体的には浮べる事が出来ないのだ。──こんな気の毒な戯曲家といふのがあるだらうか。私は時々自分で自分が気の毒になつた。
ここで私は、自分がどれだけの作家かといふ事を問題にする。
今から云へば二十何年か前、島崎藤村が「破戒」といふ小説を書きつつあつた時、どんな犠牲を払つても此為事を仕上げる決心で出来るだけ生活を縮小し、家族達はそのため営養不良になり、何人かの娘が一人々々死んで行く事を書いた事がある。私はそれを見て、甚く腹を立てた。「破戒」がそれに価する作物かと云ひたくなつた。何人かの娘がその為め死ぬといふのは容易ならぬ出来事だ。「破戒」が出来る出来ないの問題どころではないではないかと思つたものだ。
然し今私自身に就て人は同じ事が考へられるに違ひない。お前のやうな戯曲家が一人の女性しか書けないとか書けるとかいふ事は吾々にとつて何事でもない。それよりその為め、その一人の女性を少しでも不幸にしないやうにして貰ひたい。錦魚の玉子をかへすのもいいだらう。障子のきりばりもよからう。ダリヤを綺麗に咲かして見るのもいい事だ。何も今更お前が力瘤を入れなくても若い戯曲家は後から後から幾らでも出て来つつある。お前が此まま朽ち果てた所で誰も何とも思ひはしない””。
私が第三者だつたとしてもかう云ふかも知れない。所がそれが私自身の事であると、私は却々さうは考へられないのだ。私位の素質を持つた戯曲家は何時の時代でもさう手軽く出るものではない。天才と云ふ言葉は嫌ひだが、選ばれた稀なる才能を天才と云ふなら私とて正にその一人だ。未だ未だ自分はそれを完成してゐない。自分が此儘で終ると云ふ事は、此世界に与へらるべき運命を持つたものが永遠に葬られる事だ。自分はこんな生活をしてゐるべきではない。男の冥利に尽きる話だ。──かう思ふのだ。
近頃はかういふ芸術至上主義は流行しないやうだが、昔の文学者は大概こんなに考へた。藤村の「破戒」とても同じ事だ。男の為事に対する執着にはかういふ誇張された気持があるからこそ、それによつて人類は進歩するのだ。寧ろかういふ気持だけが人類を進歩させるのだ。
私が戯曲家としてどれだけの作家かといふ事は結局分らなかつたが、私の気持は正にそれだつた。然しかういふ気持ももう四五年今の生活が続いたら、或ひはどうなつたか分らない。私はさういふ所まで来てゐた。然しこの生活が続き私が無為無能の一市井人で終つたとしても、或ひはその方が私の為め幸福だつたかも知れないのだ。邦子に死なれて私はつくづくさう思つた事がある。
久しぶりで私の作物──それも自分では忘れかけた旧作が、或劇団で上演される事になつた。私は同じ上演されるなら、もう少し自信のある物にして貰ひたいといつたが、
俳優の都合があつて、是非それにして呉れとの事で、不得止承知した、私は他人の物でも見るやうな心持で其戯曲を読み返して見たが、如何にも幼稚で読むに堪へない所があるかと思ふと、一方では書いてる自身が本統にそれを面白がつてゐる所に、今の自分では到底出せない味もあると思つた。為事そのものに本統に興味を持てる事は実にありがたい事だと思つた。今の私には全然さういふ事はなくなつて了つた。何を書いても直ぐ、つまらないと自分で思つて了ふ。これでは先の続けやうがない。所がそれは主題でも技巧でも幼稚極まるものではあるが作者がむきになつて非常な傑作ででもあるつもりで書いてゐる。滑稽といへば滑稽だが、その気持を失つた現在から顧みると私は昔なつかしい気持になつた。
その稽古が始まつたからと当然のやうに度々勧誘が来たが、私はどうしても出掛ける気がせず、そのままほつて置いた。そし芝居が開くといふ二三日前の晩だつた。私は突然浅間雪子といふ女優の訪問を受けた。女優は自身の持役の腹、そんな事を云つてゐたが、私には何も云ふ事はなかつた。
「至極単純な女ぢやありませんか。日本には一番多い型ですよ。それとも貴女方の中にはああいふ型はもうないかな。前世紀の遺物と云ふ事になつて了つてるかな」
「””””」女優は肩をすぼめ、笑つてゐた。
「貴女達の眼から見れば、ああいふのは骨董品かしら。さうなると主人公も同様骨董の部だらうが””」
「主人公は先生御自身なんでせう?」
「いや私はあんな人間ぢやあない」
つく
「嘘。笹山さんは先生をモデルにして扮つてゐますわ」
「悪いいたづらをするな。どうせ見には行かないが、つまらない事はよすといいがな」
「それはね、必ずしもいたづらぢゃ、ありませんわ。何か拠りどころがあるのとないのぢやあ、大変仕勝手がちがふんですもの。第一台辞に先生の癖が入つてますわ。お眼にかかつてさう思ひましたわ」
「作者のカリカチュァを作り上げるのは悪趣味ですよ。今更差しとめるわけにも行くまいが、これからは承知する時、さういふ事をしない条件をつけるんだな」
「私困つてしまふな」
「どうして””」
「困つた事があるんですの」
「云つて御らんなさい」
「実はお宅の奥様にお眼にかかりに参りましたの」
「ああさうか」私は笑つた。「益々それは悪い道楽だ。今丁度子供を寝かしつけてるやうだが、さういふ事なら此所には出しませんよ」
「あら。困るわ、それぢやあ」
「そんな勝手な奴があるものか」
「本統に一寸でいいんです。大変お綺麗だといふ事はかねてお噂に承はつてゐるんですけど””」
「はははは」
「ねえ先生。お願ひですわ」甘えるやうな眼つきをして云ふのだ。
「それはさうと御両親はお達者なの?」
「いいえ」
「叔母さんは?」
「叔母? 叔母は皆で三人ムいます」
「それぢやあ、その叔母さんをモデルにおしなさい。それで沢山です」
「まあ! ひどい」
「私の書く女なんか、それで沢山ですよ。──叔母さんには失礼な申分だが””」
「それぢやあ、どうしてもお眼にかかれませんのね」女優は拗ねて見せるのだ。
「貴女は馬鹿だ。家内だつて、女優さんは大いに興味があるんだから黙つてても出て来るのに、貴女がそんな事をいふからもう出て来やしませんよ」
「だつて奥様には未だ分つてないぢやありませんか」
「此廊下の彼方へ寝てるんだから筒抜けに聞えてますよ」
「いやだ。随分人が悪いわね」女優は大きな声で笑つた。私は邦子が嘸不快な顔をしてゐるだらう、一緒にいい気になつて若い女とこんな笑談口をきいてゐる私を苦々しく思つてゐるだらうと思ふと気がひけた。もう少し初めから厳格な態度で会つておくのだつたと後悔した。
私が黙ってゐると、女優も邦子に会ふ事は断念したらしく、
「先生はどうして、稽古を一度も見にいらつしやらないんですの」こんな事を云ひ出した。
「見ると不愉快になるからです」
「””私達の演り方がお気に召さないだらうと思つていらつしやるのね」
「それもあるが、それよりあの脚本が自分では興味がないからですよ」
「私、随分いいものだと思ひますわ」
「あんなものに感心してちやあ、仕方がないな」
「ええ、仕方がなくても私、いいものだと思つてますの」
女優は切りに翌日の舞台稽古を見に来いと勧めた。一方の望みが駄目なら、せめてこれだけでも承知してくれといふのだ。
「何時からですか」
「十時から」
「午前ですね」
「ええ」
「それぢやあ、その時間までに出掛けます」
「屹度ね。どうもありがたうムいました」
「いいえ」
女優は急に小声になり「奥様も御一緒にね」といたづららしい眼つきをしながら舌の先を一寸出して見せた。
間もなく女優は待たせて置いた俥で帰つて行つた。
私が若し小説家であつたら、此女優とのそれからの関係を細々と書くべきだらう。小説家でなくても書くべきものかも知れないが、私にはその興味もなくまた根気もない。兎に角私はそれから暫くしてその女優に夢中になつた。腹から夢中になつたかどうか、自分でもよく分らないが、兎に角夢中になつた。
浅間雪子は私を決して愛してはゐなかつた。それなのに何故彼女が積極的に私に近づいて来たかと云へば、私との関係で世間的に自分が有名になりたかつたのだ。もう一つはそれまで同棲してゐた彼女よりも若い男との関係をそれではつきり片をつけたかつたからだ。私は二人の作つた幾月分かの借金や家賃の借りを総て払はされた。二人はそれまで共同で作つた借金の為め、毎日喧嘩をしながら離れられずに居たのである。
私は若い男が立ち退いたと云ふので、或日その家へ行つて見たが、それはこれでも人間の住家かと思はれる程乱雑なものだつた。そのまま用をなす物は一つもなかつた。火鉢は巻烟草の吸がらばかりでなく、果物の皮、活動写真の番組、鉛筆のけづりかす、コーヒー茶碗のかけら、──そぴろ,どれは芥溜と何等選ぶ所がなかつた。夜具といへば天鵞絨のかけ襟もなくなつた汚れきつた物が一人分しかなくタウルを巻いた坊主枕はとぢ目が破れて、其所から蕎麦がらが流れ出してゐた。欠けた電燈の笠、畳の焼あと、使つたままの食器類、何も彼もが話にならぬ有様だつた。
「よくこんな所にゐられたもんだな」
「さうよ。だからちつとも家に落ちついてゐられなかつたわ」
「当り前だ、これぢやあ鼠の住家と云ひたいが、狐狸妖怪でも住めるからな」
「蚤がゐて迚もやりきれないの」
「で、此家はこれからどうしようといふんだ」
「火をつけて焼いちまひたいわね」
「笑談いふな」
私は暗い廊下から台所の方へ行かうとすると、何か軽い物を蹴飛ばしたが、それが、ころころと丁度戸が開放しになつてゐた便所の中へ転げて行つた。
「何か蹴飛ばしたぜ」
「何を?」
「何だか知らないが、小便所へ転げ込んだ」
雪子は立つて便所へ行つた。
「あら、私の帽子ぢやないの””?」
私は大きな声で笑つた。「然しどうせ、もう被らない奴だらう」
「未だ買つたばかりよ。たまらないわね」
雪子はこんな事を云ひながら、朝顔の下のジメジメした所からそれを拾ひ上げると、一寸臭ひを嗅いでから「日光消毒だ」と云ひながら陽あたりの木の枝にそれを掛けた。
「呆れた真似をする奴だな。おい、それこそ、火をつけて焼いちまへ。きたないぢやないか」
「いやよ。これ私に一番似合ふのよ」
半年程して私は此事を憶ひ出し、雪子の頭にはそれが一番似合つていいわけだとつくづく感じたが、実を云ふと、そんな事は当時から百も承知の上で、私は雪子の勝手になつてゐたのだ。
その属してゐる劇団が地方興行に出た場合、雪子はよく其所へ私を呼び出さうとしたが、私は一度も応じなかつた。私は邦子に此関係を知られる事を非常に恐れた。幸ひ私の周囲の人達はよくそれに気をつけてゐて呉れたし、私も新聞の演芸欄などに出るゴシップは神経質に注意してゐたから、三四ヶ月の間は邦子も私達の関係に就ては何も知らなかつた。
所が、或日それが突然三面記事として写真入りで新聞に出て了つた。雪子とすれば、これで二つの目的は完全に達したわけだが、私は一時少し当惑した。私は邦子が未だ見てゐないらしいのを幸ひ、直ぐ書斎へ持つて行つてそれを隠して了ひ、大概これでいいだらう、新聞でも一度出したら、こんな下らない事を再び出す筈もなく、又わざわざ細君の談話を聞きに来る程馬鹿な記者も居まいから、と一と先づ安心はしたが、其日一日は何かしら邦子の前に頭の上らぬ、いやな気持がしてゐた。
然しそれは翌日女中が近所の者に聴かされ、それを又邦子に話した事で総て水泡に帰して了つた。
私のやうな者が雪子のやうな女優に関係があるとかないとか、これ程の些事を何故新聞で記事にするか私には不思議だつた。私は自分がこんなに出された事では──その為め邦子は非常な犠牲を払つたが──別に弱りもどうもしなかつたが最近或詩人が、あした洋行しようといふ日の夕刊に不良少女──恐らく雪子よりも不良であるかも知れない──との関係を出された時、私は他事ながら甚く腹を立てた。あした洋行しようといふ前日の夕刊を選んでそれを出した新聞記者の惨忍な気持が不愉快だつた。出発の前日といふものがその家庭で、又交友の間でどんなものかといふ事を知つてゐるものには到底出来る事ではないからだ。若し出さねばならぬものなら、何故出発してから出さないのだ。出発と時を同じうした所に新聞記者としての得意がありさうだと思ふと、馬鹿につける薬のない事を痛感した。その詩人のやつた事は、私と雪子との関係同様ほめた事ではないだらう。然し相手が相手である。何も純潔な処女を弄んだといふのとは異ふ。私娼と五十歩百歩の女ではないか。私はそんな事よりも、新聞記者が出発の前日といふ何れの意味でも一番効果のある時をねらつてさういふ記事を出したといふ行為の方が、どれ程、憎むべき事であるか知れないと思つた。妻子と暫く別れて海外へ行く人間の気持を余りにも惨酷に扱つてゐる。
出発の日、見送りに行つた人の話に詩人は眼を泣きはらしてゐたといふ事を私は聴いたが一体普段から泣きはらしたやうな眼をしてゐる男だつたから、それはあてにはしなかつたが、兎に角その災難に同情した。所が此詩人が間もなくその新聞にロシヤからの通信のやうなものを出してゐるのを見て、私は又不思議に思つたものだ。
それは扨置いて私の家の場合ではさういふ記事が出た事で私自身は実は何とも思はなかつたし、雪子の方は口でこそ甚く迷惑らしい事を云つてゐたが、それは望んでゐた事ゆゑ却つて喜んでゐるらしかつた。雪子などいふ女優はこんな事でもなければ、芸から云つても容貌から云つても人の注意を惹く女ではないのだ。かういふと又私自身、有名なやうにも聞えるが、少くも二十何年間物を書いてゐれば、なしくづしに浅間雪子の名よりは世間的になつてゐる。雪子とすれば自身の名をそれに結びつけさへすればいいので、悪評にしろ、物笑ひの種にしろ、兎に角それで自己宣伝が出来れば望みは足りるわけだつた。そして一番貧乏籤をひいたのは何といつても邦子だつた。
「もう私、何にも云ひませんわ。只私には今までの事が何も彼も夢のやうな気がするの。自分で考へてゐた事は皆本統ではなかつたと思ふと、自分だけ異つた人間のやうに思はれて、淋しくつて仕方がないの。──一口に云へば私が馬鹿だつたのね。勝手に物事を綺麗に考へて、それが本統だと思つてゐたのはね。私は自分がつくづく馬鹿な人間だつたと思ふばかりよ」
「お前は何でもその問題だけで考へるから困る。お前の口うらだと、此世の中にはもう真実なものは何もないと決めて了つたやうだが””」
「一寸待つて頂戴、貴方の仰有る事大概分つてます。それはそれでいいの。私のやうに何事もその事だけから割り出して考へるのは危つかしいし、他には幾らも真実なものがある。──それは分つてます。だけど私の身としては、それはそれ、これはこれといふやうに分けて考へる余裕は迚もないのよ。貴方はお利口な方だし、私は馬鹿だし、お話をうかがつて居ればそれは云ひくるめられるに決つてるの。だけど、実を云ふと後で、何時でも又貴方に誤間化されたといふ気がしますわ。誰よりも偉いと思つてゐる貴方に対してそんな事を思ふのは本統にいやなんですけど、どうしてもさう思ふの。全体どうしたら、いいんでせう。私、自分だけが異ふ人間みたやうに思へるのが一番淋しくて仕方がない」
「さう云はれると、一言もないよ」
「今度の事もどうなるんだか分らないけど、これから先、一生さういふ事が絶えないのかと思ふと、何だか先が真暗になつたやうな気がするわ」
「俺には云訳もあるが、お前をさういふ気持にさすといふだけでも、慥に俺のしてゐる事は間違つてる。お前の前でこんな事を云ふのは変だが、俺にして見れば最初から、雪子などいふ女は鉛位にしか考へてゐなかつたのだ。金或ひは銀を持つてゐるものが、何故その上に鉛を欲するかといふ心理はどうも説明出来ない。然しこれだけはお前も信じてくれないと俺も浮ばれない。お前を銀とすれば、俺は雪子を最初から鉛以上には考へてゐなかつたといふ事をね。俺は俺のした事を悪かつたと認める。同時にお前も、俺が最初からその程度の気持しかなかつた事を信じなさい」
「それで、其女優との事はどうするお心算なの?」
「別れる。新聞にでも出れば、女優からいへば目的を達したわけだ」
「貴方のお気持はどうなの?」
「うむ」
「どうなの?」
「正直にいへば少し未練があるかも知れない。然し別れると云ふ事は大した苦痛にはならない」
「少しはおつらいんでせう?」
「分らない。その時になつて見なければ分らない」
「それぢやあ別れられないかも知れないの?」
「いや、別れる事は屹度別れるが、お前が気持の事を訊くからさう云つたんだ」
「貴方が何時までもさういふお気でいらしたら、どうなるの?」
「そんな事は絶対にない。その当時だけ幾らか未練が残るかも知れないと考へたまでなんだ」
私は私一人で考へてゐる時と、邦子とその事を話し合ふ時と、不思議な程事の内容が変るのを不思議に感じた。雪子のやうな女との関係は自分だけで考へれば如何にも気軽な何でもない事なのを、邦子と一緒に話し合ふ場合、甚く六ヶしい、重苦しい問題になつて了ふ。考へれば実に当り前な事ながら、事の内容が変つたやうに感ぜられるのが不思議だつた。私は間もなく雪子と別れる事にした。一年間生活出来る金を与へ、話は簡単に済んだ。
所で、かういふ事を書くのは憚られる事であり、且私自身としては恥づべき事だが、雪子との関係で、兎に角私は一種の生気が感ぜられるやうになった。此四五年間藻がき抜いて出る事の出来なかつた泥沼で、それが一寸した私の足掛りとなつたのは事実だ。私は私の為事に頭が向き、其所に興味が生れた。全体的にいへば今までの変にとぢ込められた生活から、解放されたやうに感ぜられるのだ。私は漸く自分の為事に還つた。私は此機を外さず、前から考へてゐた少し大がかりな戯曲を書いて了はうと決心した。
それは「築山殿」といふ時代物で、その史実を調べるだけでも容易でなかつた。「築山殿」の話にはそのまま劇として見られるやうな面白さがあつた。築山殿は淀君に較べ、ああいふ華やかさはないが兇暴にして陰性な気味の悪い感じがあつた。その子の信康の変に刺戟の強い病的な性格もうまく書ければ面白いものになる。酒井忠次の信康に対する私怨、家康の信康に対する愛着、それから信長と家康との関係、築山殿の勝頼への内通、支那人の医師減敬といふ人物、それからそれと入組んだ筋が、一つにうまくまとまれば、それは新しい感じの芝居とは云へないが、通し狂言として力強い感じのものになりさうだつた。
私は今の自分として「兎に角為事をした」と思へる為事がしたかつた。そして私は全くこの為事に没頭した。実に近来稀なる事であつた。
私は雪子を案外早く忘れる事が出来た。僅一ト月前までは一日も忘れられない雪子だつたが、今はそれが純然たる過去の女としか思へなくなつた。雪子ばかりではない。邦子にも、又子供達にも私は同じやうに冷淡になれた。これはいい事だと思つた。それと一緒にしては気の毒だが、錦魚にも、小鳥にも、ダリヤにも、私の心は非常に遠くなつて了つた。私は朝から書斎に入り午後一寸散歩すると、又書斎で夜寝るまで其処に籠つた。家族とは食事で一緒になる位のものだつたが、さういふ時の私は決して機嫌がよくなかつた。子供達が騒ぐと私はよく怒鳴りつけたし、邦子が家事の相談を持ち込むと私は腹を立てて返事もしなかつた。
私は絶えず気が立つてゐた。殊に信康を書いてゐる時は変に苛々した狂暴な気持が幾らか乗り移るのを感じた。踊りを見ながら下手だといつて自ら弓を取つて射殺したり、鷹狩で坊主に会ひ、今日の不猟は此坊主故だと、首に縄をかけ馬に引かして殺して了つたりする狂暴さをその気持になつて現さうとすると、自然自分までが少し変になつた。私は疲労から亢奮し易くもなつてゐた。
邦子は雪子の事件だけでも参つてゐる所に引続いて私のさういふ状態が堪へられないらしかつた。毎日淋しさうな顔をして、それでも、子供達が私の為事の邪魔をしないやう戦々兢々として気をつけてゐるのが、気の毒でもあり、又時には、そのいぢけた様子が腹立たしくも感ぜられるのだ。
「もう少しハキハキしたらどうなんだ。此方が気が立つてゐるからつて、お前までビセクビクする必要はないぢやないか。家の中の空気がジメジメして不愉快だ。俺が積極的な気持になると、それだけお前の気持が後じさりするのは可笑しいよ。もう少し元気になれ。静かにしろといつたつて何もさういぢけなくたつて、いいんだ」
「私、すつかり自信がなくなつて了つた。こんな事をいふと又叱られるかも知れないが、家の中をどういふ風にしていいのか全く見当がつかなくなつたの。今まで、家中が何か一つのもので結び合つてゐたやうな気がしてゐたのが、近頃は貴方は貴方、私は私、子供達は子供達、といふ風に妙に離れ離れになつて何だか淋しくつて仕方がない。どうしたんでせう? 若しかしたら神経衰弱になつたのかしら」
「俺が折角元気が出たと思ふと、お前がそんな事を云ふのは困るな。俺はそんな事には関つちやゐられない。俺は俺、お前はお前で結構ぢやないか。俺が為事に没頭したからつて、お前までがそれと一緒になれないのは当り前な話だ。お前はいつもの通りにしてればそれでいいんだ。それを変に元気のない顔をしてるんで、此方も気が立つてるだけに腹が立つんだ」
「貴方がお為事に夢中におなりになるのは私も嬉しいんですけど、これが何にもなしにさうだつたんだといいんだけど、いやな事があつて引きつづきなんで少し弱つて了つたのよ。一遍二人の気持がすつかりよくなつてからだといいんだけど、何だかそれが済んでないやうな気がするんで””」
「二人がお前の望むやうな気持になつて了ふのはお前としたらいいかも知れないが、俺は今はそれは困るんだ。そんな事には遠い気持なんだ。何故お前は俺だけを独りにさしてくれないんだ。お前は気持で何所までも俺の気持を追ひかけて来る。今の俺の気持をお前が追ひかけて来た所で何にもならない事なんだ、幾ら夫婦でも、さういふ事まで常に一緒でなければいけないといふ話はないよ。勝海舟は、昔日本人だけで亜米利加へ航海をした時、一寸見送りに行くと云ひ置いてそのまま米国まで行つて了つた。気まぐれでやつたんぢやない、初めから行く気で家を出たのだ。その時代の事で、命がけの航海だつたが、それでいいんだ。お前ももう少し、俺が為事に気乗りのした場合には気持で交渉しないだけの余裕を持てよ。うるさくてかなはない」
「つまり貴方のお為事には私は邪魔なのね」
「さうだ。お前が邪魔といふより、わけも分らずに無闇と追ひかけて来るお前の気持が邪魔なのだ。何の為めに俺の為事をする気持にお前はくつついて来るのか、分らないよ」
「お為事に私、少しも交渉はしてないつもりよ」
「つもりでも、交渉してる事になるんだ。もつと無関心になれよ、無関心に。そして自分だけ晴れ晴れした気持でゐてくれればそれで此方も暢び暢びと為事に没頭出来るんだ。それを何所までもついてくるんで、何だか苛々してかなはなくなる」
「私、どうしても仰有る事よく分らない。私、少しもくつついて行く気ではないんですけど、貴方が今さう仰有るとそんな気もして来るし、それに近頃はどうしても晴れ晴れした気になれない所を見ると、貴方の仰有るのが本当かも知れない。でも、それならどうすればいいか。又それが仮りに分つても、さう自分がなれるかどうか私少しも自信が持てないの」
「もううるさい。お前はお前でどうとでもするがいい。俺は俺で、お前とそんな気持の上の交渉をしてゐるのはいやだ。もう少ししたら何所かへ行つて独りになつて為事をする。海舟ぢやないが、散歩するといつて、そのまま半年でも一年でも帰つて来ないかも知れない。それがいいんだ」
私は堪へ性もなく、悪意を含んだ眼つきで邦子を正視しながら、こんな事を云つた。私は本統にそれがいいんだと思つた。
「””””」邦子は少し青い顔をして凝つと私の顔を視つめてゐたが、
「私、どうしてもよく分らない。分つてゐるやうで分らない」
「分らなければ、分らないでいいぢやないか」
私達がこんな事を云ひ合つて四五日してからの夜だつた。それまで邦子は別に変つた様子もなく、淋しい風をしてゐる事は同じだつたが、前よりは幾らか落着いたやうに思へたので、私もなるべく気持の上の交渉は避けて来た。その晩も私は二階の書斎で仕事をしてゐると、下の座敷で先刻からから邦子が眠つかれずに時々起きては便所へ行つたり、押入れを開けたり、台所の方へ行つたりして居るのを私は知つてゐた。もう二時だと云ふのに如何したのだらうと思ひながら、声もかけなかつた。が、その内、静かになつたのでねむれたのだらうと思つてゐた。が、どれだけかして私は不図階子段をミシリミシリ、まるで忍んで登るやうな足音を聞き、邦子だなとは思つたが、又此間のやうな話になつては困るので、寧ろ故意に強く、
「誰だ」と声をかけて見た。返事がなく、そのままミシリミシリ登つて来る。私は黙つて書きつづけた。襖が開いても私は振り向かなかつた。
「今、何か話は困る」云ひながら、初めて私は邦子の方を見た。邦子は一尺程開けた唐紙に両手をかけて立つてゐたが、その顔を見て私はぎょつとした。死相──邦子の顔は正しく此世のものではなかつた。口はへの字なりに、眼は細めに凝つと私を見てゐるが、視線の焦点が如何にも覚束なかつた。私は邦子が取り返しのつかぬ事をしたことを感じた。私が立つて行くと、邦子は倒れるやうに唐紙の間からいきなり私にかじりついて来た。
「お前は馬鹿な真似をしたらう!」私は亢奮と腹立ちから震へた。
邦子は眼をつぶつたまま全身で私にからまりついた。私は立つてゐられず、邦子を抱いたまま坐つた。邦子は二三度何か吐きさうな様子をした。
「何を呑んだ。何を呑んだ」
邦子は私の胸へ顔を埋めたまま何か吐いた。私は力で邦子を自分から引き離した。昇汞の結晶らしいものが混つてゐた。邦子は尚、私の胴へしつかり抱きついてゐた。私はその手をほどき、二階をかけ下り、女中達を起した。そして一人を直ぐ医者へやり、昇汞の結晶を呑んだ事、二つだけは吐いたが、あと幾つ呑んでゐるか分らぬ事、そして既に様子は大変悪いと云ふ事を云はした。
私が再び二階へ来た時には邦子は真青になつて、身体を右に左にうねらしながら唸つてゐた。
「邦子。邦子」もう邦子が助かるとは思へなかつた。私は女中を呼び、水を飲まさうとしたが、駄目だつた。
邦子は非常な苦しみをした。医者が来て、胃洗滌の用意をしてゐる間に、邦子はたうとう息をしなくなつた。
(昭和二年十月)