白金之独楽・畑の祭より

 白金之独楽 抄 大正三年(1914)十二月初版・金尾文淵堂刊

 

  白金ノ独楽

 

感涙カンルイナガレ、身ハ仏、

独楽ハ廻レリ、指尖ユビサキニ。

 

カガヤク指ハ、天ヲシ、

キハマル独楽ハ目ニ見エズ。

 

円転、無念無想界、

白金ノ独楽音モ澄ミワタル。

 

  掌

 

光リカガヤク掌ニ

金ノ仏ゾオハスナレ。

 

光リカガヤク掌ニ

ハツト思ヘバ仏ナシ。

 

光リカガヤク掌ヲ

ウチカヘシテゾ日モスガラ。

 

  究 竟

 

紅耀ベニカガヤケバ、金トナリ、

黒極マレバ、銀トナル。

 

内心ノラヂウムノ独楽

光リツムレバ白金昇天。

 

  日 光

 

両手モロテソロヘテ日の光スクフ心ゾアハレナル。

掬ヘド掬ヘド日の光、

光リコボルル、音モナク。

 

  夏

 

近景ニ一本ノ葦、

遠景ニ不二ノ山、

不二ヨリモサラニ高ク、

新鮮ニ葦ハソヨゲリ。

 

  ヤサイ

 

ギンノサカナノトビハヌル

ヤサイバタケニキテミレバ、

ギンノサカナヲトラヘムト、

ヤサイアワテテハヲミダス。

 

  金

 

貧シサニ金ヲ借リ、

ソノ金ガ返サレズ。

 

キノフモケフモ、ソノ金ガ

燦然ト天ニ光ル。

 

  貧 者

 

サハサリナガラ食ベズニハ

生キテヰラレズ、御仏ミホトケヨ、

生キムガタメニハイナゴデモ、

取ツテブベシ、カガヤカニ。

 

  薔 薇

 

薔薇ノ木ニ

薔薇ノ花サク。

 

ナニゴトノ不思議ナケレド。

 

 

 畑の祭 抄 大正九年(1920)八月白秋詩集第一巻初輯・アルス刊 

 

  崖の上の麦畑

 

真赤なお天道てんたうさんが上らつしやる。やつこらさと

くはを下ろすと、ケンケンケンケン……

鶺鴒いしたたきめが鳴きくさる、

崖の上の麦畑、

天気はし、草つ原に露がいつぱいだで、

そこいらぢゆうギラギラしてたまんねえ、

九右衛門くゑもんさん、麦は上作だんべえ、

蚕豆そらまめははちきれさうだ。

ええら、いいなぎだな、沖ぢやまだ眠つてゐるだが、

俺ちの崖の下は真蒼まつさをだ、

  そうれ、また、さらさら、ざぶん、ざぶん、んん……

んがり岩に波がぶつかる、

おつかねえほど静かぢやねえかよ、

まるで、はあ、あわびの殻見たいにチラチラするだね。

 

南風はえが吹きあげる。

やれ、やれ、今日も朝つぱらからむんむんするだぞ。

何でも構ふこたねえ、

胸をづんと張りきつてな、うんとかう息を吸ひ込んで見るだ。

れ返つた麦の穂がキンラキラして、

うねつたり、くぼんだり、

扁平ひらぺつたく押つかぶさると、

阿魔女あまつちよでも、何でも、はあ、つ倒してやりたくなるだあ。

 

真赤なお天道さんが燃えあがる、

雲がむくむくわめき出す、

狂ひ出すと、吃驚びっくりしただか

くろの仔牛が鳴き出す、

わあといふ声がする、

村中で穀物をしごき出す、

ぢつとして居らんねえ、

俺ちも豆でももぎるべえ。

 

赤ちやけた麦と蚕豆そらまめ

ぐんぐん押しわけてゆくてえと、

たまんねえだぞ……素つ裸で、

地面ぢべたにしつかり足をつける、うんと踏んばろ、

まん円いお天道さんが六角に尖つて

四方八方真黄色に光り出す。

そこで、俺ちも小便をする。

 

赤ちやけた麦と蚕豆、

ほうれ見ろ、旦那さあが、

手に一杯いつぺえ何だか拡げて、

読んで行かつしやるだ、旦那さあ、

でつけえ新聞だね、東京の新聞けえ、

紙がぷんぷん匂ふだ。

 

おやあ、蝉が鳴いてるだな、

どうしただか、これ、ふんとに奇異ふしぎだぞ、

れ返つた麦ん中で真面目くさつて鳴いてるだ、

あつはつはつ……これ、ふんとに不思議だぞ、

何でも、はあ、地面ぢべたにかじりついて

一所懸命鳴いてるだ。

 

夏が来ただな、夏が来ただな、

海から山から夏が来ただな。

 

あつはつはつはつ……

あつはつはつはつ……

 

  遠 樹

 

遠樹は金のかぶとなり

明るけれども影ふかく

高きにをれども眼に低し

ただ秋風ぞ彼を吹く。

 

遠樹にかかる三日みかの月

遠樹にのこる昼の雨

遠樹の暮れてかがやくは

かうかうとしてかつさびし。

 

遠樹のかげをゆく人は

身も金色こんじきに光るらむ

遠樹の雨を眺むれば

かすけき煙、野にぞむ。

 

遠樹の上にちらばるは

これ釣舟つりふねの銀のかい

消ゆがにしては、またいくつ

光りて鳥も飛びゆけり。

 

遠樹にかかる三日の月

遠樹にのこる昼の雨

遠樹の空にわだつみの

波かぎりなくうちつづく。

 

遠樹の赤さ、野の暗さ

かうかうと吹く秋の風。

遠望の中、かげゆれて

祈るがごとし、いつくしく。

 

遠樹は遂に遠樹なり

明るけれどもゆめふかく

高きにゆらげどなほ重し

遠樹の背にぞ虹かかる。

 

  新 月

 

断崖きりぎしの松の木に

月ほそくかかりたり、

ほそき月、

金無垢きんむくの月。

 

入海いりうみの波間にも

また、月はしづきゆく、

沈沈と

金のはり

 

金無垢のするどさよ

絹漉きぬごしの雨ののち、

しんじつに

走りいづるその蒼さ。

 

島黒く、海黒き

真の闇、

舟ひとつすすみゆく、

そのうへにほそき月。

 

なにかわかね、

魚族うろくづは目をさまし、

鈴虫は一心に鳴きしきる。

つつしみきはまり。

 

闇の夜は、断崖きりぎしも、松の木も、

かげわかず、ゆく舟も見えわかず、

ただ光るほそき月、

金無垢のほそき月。

 

  雨中小景

 

雨はふる、ふる雨の靄がくれに

ひとすぢのけぶり立つ、たれ生活たつき

銀鼠ぎんねずにからみゆく古代紫、

その空に城ケじやうがしま近く横たふ。

 

なべてみなあだなりや、海のおもて

輪をかくは水脈みをのすぢ、あるは離れて

しみじみと泣きわかれゆく、

その上にあるかなきふる雨のあし

 

遥かなるみさきには波もしぶけど、

絹漉きぬごしの雨のうち蜑小舟あまをぶねゆたにたゆたふ。

さをあげてかぢめりゐる

北斎のみのと笠、中にかすみて

一心に網うつは安からぬけふの惑ひ。

 

さるにてもうれしきは浮世なりけり。

雨の中、をりをりに雲を透かして

さ緑に投げかくる金の光は

また雨に忍びる。には刻めど

絶えて影せぬ鶺鴒せきれいのこゑをたよりに。

 

  海 雀

 

海雀うみすずめ、海雀、

銀の点点、海雀、

波ゆりくればゆりあげて、

波ひきゆけばかげする、

海雀、海雀、

銀の点点、海雀。

 

  野茨に鳩

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

春はふけ、春はほうけて、

古ぼけた草家くさやの屋根で、よ。

日がなく、白い野鳩が、

啼いても、けふつて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

庭も荒れ、荒るるばかしか、

人も来ぬむぐらかげに、よ。

ばらが咲く、白い野茨のばらが、

咲いても、知られず、散つて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

何を見ても、何をてもよ、

ああいやだ、寂しいばかり、よ。

椅子が揺れる、白い寝椅子が、

寝椅子もゆさぶりや折れて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

日は永い、真昼は深い、

風は吹いても尽きず、よ、

ただだるい、だるい、ばかり、よ。

どうにもかうにもんで了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

空は、空は、いつも蒼いが、

わしや元の嬰児ねんねぢやなし、よ。

世は夢だ、野茨のばらの夢だ、

夢なら、めたら消えて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

気はふさぐ、身体からだは重い、

おおままよ、ねんねが小椅子、よ。

子供げて、揺れば揺れよが、

溜息ばかりが揺れて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

昨日きのふまで、堪へても来たが、

明日あすゆゑに、今日はくらし、よ。

人もいや、聞くもいやなり、

それでもひとりぢや泣けて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

心から、ようも笑へず、

さればとて、泣くに泣けず、よ。

煙草でも、それぢや、ふかそか、

煙草も煙になつて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

春だ、春だ、それでも春だ。

白い鳩が啼いてほけて、よ、

白いばらが咲いて散つて、よ、

かうしてけふ日も暮れて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

日は暮れた、昔は遠い、

世も末だ、傾ぶきかけた、よ。

わしや寂びる、いのちは腐る、

腐れていつかと死んで了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

ほろほろ、ほろろん、

おお、ほろほろ。……

 

  (大正七年・小田原お花畑にての暮春吟)

小田原文学館