鳬(ケリ)

鳧(ケリ)という鳥

 二〇一四年五月、高円宮家の次女典子さまと出雲大社の禰宜ねぎ千家せんげ国麿氏の婚約内定を伝える記事が新聞紙面を飾っていた。何でも千家家は天照大神の次男天穂日命あまほのひのみことをご先祖とされる家系、さすが太古の昔より出雲大社の祭祀を掌ってきた家柄というべきか。無論、皇室である高円宮家の祖先は天照大神、お二人の先祖は神話の世界では皇祖神に通じるという、何とも浮世離れした、めでたい話である。そしてその二千年以上の伝統を有する両家に生まれたお二人を結びつけたのは野鳥観察、つまりバードウォッチングだったとの由。そのような高貴なバードウォッチングと比べるべくもないが、私にはひそかに楽しみにしているバードウォッチング法がある。

 春、野草が芽吹いて緑色に染まってきた田んぼをトラクターで耕すのが、日曜百姓の私の年中行事である。田んぼの一角に健気に咲いている紫雲英げんげの花つまりレンゲソウを心なくもトラクターで掘り起こす。致し方ないとはいえ、少しばかり胸の傷む話である。いっそレンゲの種をいて、田んぼいっぱいレンゲの花の絨毯で飾ってみようか、などと夢想してみるが、所詮は忙中の合間を縫っての日曜百姓の思いつき、一向に実現できないでいる。

 そのような春の農作業の楽しみはトラクターの上からのバードウォッチングである。トラクターが田を耕すにつれ、近所にいる野鳥たちがトラクターの後ろに集まってくる。椋鳥むくどり、白鷺等々、最近では白鶺鴒はくせきれいも馴染みの鳥になってきた。

 椋鳥たちが掘り起こされた土の中にいるミミズを目聡く見つけ、実に素早くついばむ様には感心させられる。ミミズを嘴に挾んで前方を見据えている姿は凛々しく、戦果を誇る勇士にさえ見えてくる。鷺にいたっては、絶滅の危機から息を吹き返した朱鷺ときこうのとりに勝るとも劣らない優雅な姿である。真っ白な体を黒い羽で覆う白鶺鴒も美しく可愛い鳥である。数羽の小さな白鶺鴒がトラクターの周囲で行き来しては飛び立ち、また舞い戻ってくるようすは、着慣れない白いワイシャツに黒のモーニングコートを着込んだ幼児が無邪気に戯れているようだ。鳥たちは、地中の餌を早く掘り起こしてーとトラクターにせがんでいるようにも思えてくる。鳥たちの鳴き声は、次々に提供される餌に対する喜びの声にも聞こえ、ますます鳥たちとの一体感を覚えてくるのだ。

 今年の春も例年どおり田起こしを行っていたら、「ケケッ! ケケッ!」っと、耳をつんざくようなけたたましい鳥の鳴き声が聞こえてきた。トラクターのエンジン音も相当なものであるから、その鳥の声もかなりのものだ。よく見ると脚が細長く、淡い褐色の羽に身を包んだスマートな鳥が田の中に巣を作っているではないか。どうやら抱卵しているようだ。その甲高い鳴き声、外敵から卵を守るための精一杯の威嚇なのだろう。今までに見たこともない鳥で、したがって名前の見当もつかない。私は我が家の田んぼへの見知らぬ訪問客を歓迎し、改めてトラクターからのバードウォッチングにひとり満悦していた。

 いくら田起こしだといっても、鳥の巣を壊すような無粋さや非情さなど微塵も持ち合わせていない。けれどもそんな私の思いが母鳥に通じるわけはない。彼女はトラクターという怪物から自分の卵を守ろうとして必死なのだ。怪物が近づく寸前のところまで巣に居座っているが、いよいよ怪物が接近するとさすがに卵を残したまま、すごすごと巣を離れる。しばらくして怪物が遠ざかるのを確認すると再び巣に戻る。そうした彼女の抵抗と撤退、回帰が数回繰り返された。そのようすを私はトラクターの上から微笑ましく眺めているのだが、母鳥にとっては突如降りかかってきた大災厄に他ならない。私は「ごめんよ」と心の中で咳きながら、巣の周囲を残して作業することで彼女の許しを乞うしかない。

 農作業を終え、家に帰って調べてみると、それはけりという、聞いたこともない鳥であることが分かった。主に中国大陸で繁殖する鳥で、日本では東北地方に分布していたが近年、関西や中国地方でも繁殖するようになったという。国際自然保護連合からは、軽度懸念(LC)の指定を受けているというから、やはり滅多に見ることができない貴重な鳥であることに違いがない。

 珍しい鳧との遭遇の貴重さを認識した私は、翌日の早朝、カメラをもって鳧の撮影に田んぼに出かけた。いそいそと、まるで愛しい人に逢いに出かけるように胸を躍らせて――。

 ところが母鳥の姿はなかった。卵も消えていた。まったく予期していなかったその空虚な光景に私は落胆した。よく考えてみれば、母鳥としてはそんな危険な場所で大切な卵を艀化させ、雛鳥を育てるわけにはいかないのは当然のことである。彼女はトラクターの危険が立ち去ったあと、安全な場所に巣を移動させたに違いない。私は空になった巣の後を呆然ぼうぜんと眺めながら、久しく忘れていた未練という感情に襲われていた。

鳧(ケリ)との再会

「兄ちゃん、いい車買ったんやなあ」近所に住む甥が家に遊びに来て息子に話しかけてきた。息子は白のBMWを中古で買ったばかりだ。その会話を横で聞いていた私はすかさず割り入った。「おっちゃんも新車買ったぞ。それもオレンジのオープンカーや」と自慢たらしく。「嘘やろ。全然、似合わへんやん」とすでに還暦を迎えた伯父が何をのたまうのかと、呆れ顔で切り返してくる。阿吽あうんの呼吸か、わが息子もわきまえたもので「嘘とちゃう。ほんまの話や」と援護射撃。はじめはかつがれているに違いないと思っていた甥がぐらつく。「ほんまにほんま?」「ああ、ほんまや。トラクターやけどな」「なあんや」

 そんな他愛ないやりとりがあった数日後、トラクターが納車されてきた。ボディのオレンジ色が鮮やかな光沢を放っている。妻の愛車アクアは鮮やかなオレンジ色だが、その新車が家に届いたとき、私の父が「いい色やなあ」と言ったことを思い出した。父にとっては愛着のあるトラクターと同色だったことに気づき合点がいった。早速、試運転といきたいところだが、生憎の菜種梅雨で田んぼはトラクターが使えるような状態ではなかった。春雨のことを草木を芽吹かせ、作物を育むことから「養花雨ようかう」「甘雨かんう」あるいは「膏雨こうう」果ては「万物生ばんぶつしょう」など呼んだりもするが、私にとっては田起こしを阻み、試運転を焦らせる心憎い雨に他ならなかった。

 ようやくのこと、晴れ間が続いた。私はいそいそと乾き具合を確かめに田んぼに向かった。そのとき「ケッ! ケケッ!」っと一際甲高い鳥の声が耳に響いた。もしかして鳧ではないか――私は去年、あっさりとケリ﹅﹅をつけられ、未練を残したまま別れた、その鳧が近くにいることを期待した。目を凝らして周囲を見回した。「いた!」鳧がいるではないか。しかもつがいとおぼしき二羽が――。私は去年の二ノ轍は踏むまいと思い、急いで家にカメラを取りに戻った。飛び去ってはしまわないかと焦りつつカメラを捜し出し、自転車のペダルを漕いだ。

 幸い同じ場所に鳧はいた。ズームレンズを最大の二五○ミリにし、カメラのファインダーを覗いた。鳧まではまだ遠かったが、逃げられてはお終いと思い、とりあえずシャッターを切った。そしてそろりそろりと鳧に近づいては何度もシャッターを切った。ベージュがかったグレーの肩羽が白妙のスリムな躰を覆い、細く伸びた二本の長い脚と山吹色で先が黒いくちばし、そんなおしゃれな鳥がきょろっとした小さな目で辺りを警戒している。つんとしているようでもあり、きょとんとしているようでもある。

 もっとアップで撮りたいとさらに近づいたとき、鳧は私の気配を感じたのか、さっと飛び立った。慌てて力メラを空に向けファインダーで鳧を追った。かなりの速度で羽搏く鳧をかろうじて捉え、夢中でシャッターを押した。オートフォーカスとはいえ、ちゃんと写っているかは運次第。田の上空を舞う鳧は思いのほか白く、翼の先だけが黒くて鴎と見紛わんばかりだ。大空を飛翔する鳧の勇姿を見上げ、私は一年ぶりに再会した鳧に惚れ直した。やがて鳧はどこかに飛び去ったが、私は鳧と再会できたことに加え、鳧を撮影できたことに満悦していた。それで十分だった。

 昨年、取り逃がした被写体を確保できた私は鳧にケリ、、をつけ、気持ちを切り替えた。さあいよいよトラクターの試運転だと勢い込んだ。馬力アップした新しいエンジンはすこぶる快調、久しぶりの春の陽光は眩しかった。すると鳧が田んぼに舞い降りてきた。田起こししたばかりの畝にいるミミズや虫を求めてか、すぐ近くまでトラクターに寄ってくる。白鶺鴒はくせきれい椋鳥むくどりなどの常連に加え、鳧もトラクター・バードウオッチングの対象に加わった。未練を残したまま去っていった恋人が手元に戻ってきたような甘酸っぱさを感じている自分の苦笑い。彼女は警戒心も見せず無邪気にまとわりついてくる。近づいたと思えば遠ざかり、無視したかと思えば、時折、目が合ったりもする。黄色いアイリングに縁取られた小さい愛嬌のある目だ。

 そうするとまたしても「ケケッ! ケケッ!」っという鳴声が響く。見ると大きく羽を広げ、鳧が白鶺鴒を威嚇している。それでも近づく白鶺鴒に対し、鳧は白鶺鴒に向かって飛び立っていった。白鶺鴒も瞬時に飛び立ち空に逃げるが、鳧は満足せずに白鶺鴒を追いかける。まるで空中戦だ。その迫力に圧倒された私は唖然とするばかりで、白鶺鴒に餌場を与えず、執拗に攻撃する鳧の貪欲さに私は失望しかけていた。

 すると小さな雛鳥が二羽、田んぼをよちよちとぎこちなく歩いているではないか。田んぼの土と保護色か、薄めの鈍色にびいろの柔らかい産毛に包まれた羽は小さく可愛い。そうか、鳧は孵化したばかりの雛鳥を必死で守っているのだ。鳥たちが自然の生態の中で必死に生き抜いていることに気づき、私は自分の感傷を恥じていた。