赤毛のアンに隠されたシェイクスピア

* 題辞

 

王たちの大理石の墓も、金に輝く記念碑も

この力ある詩より長くは生き残らない

              シェイクスピア、ソネット五十五

 

* まえがき 『赤毛のアン』の迷宮へ

 

 初めて原書で『赤毛のアン』を読んだとき、なんだか不思議な文章がしばしば出てくることに気づいた。いかにも昔風の言葉づかいで、美しい詩のような一節や、芝居がかったドラマチックな台詞がたびたび出てくる。例をあげると、

「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るであろう」

「人生とはなんと味気なく、気の抜けた、生き甲斐のないものだろう」

「過去は忘却のマントで覆い隠そう」

「小鳥たちは歌っていた。まるで今日が、一年でただ一日の夏の日であるかのように」などだ。

 なんともいえずしゃれた言い回しではないか。『アン』には、こうした一節が数知れずある。

 それにしても、これは何だろうか。物語の地の文章とは、明らかに違う文体で書かれている。私は疑問に思いながら、謎めいた文章への知的好奇心にかりたてられた。

 おそらく、過去の英米詩の一節をもってきたものではないか。なぜなら欧米の小説では、有名な詩のよく知られた一節やシェイクスピア劇の台詞を、地の文にまぜて使うことがよくある。これは「引用」と呼ばれるものだ。

 では、どんな詩人たちのどんな作品が『アン』に入っているのだろうか。

 しかし、それがわからない。モンゴメリは、作中に「これはシェイクスピア劇の台詞である」とか、「バイロンの詩である」などと書き残していない。また、どこが引用なのかさえも、わからないことが多い。『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』というタイトルをつけたのは、そのためである。

 私自身も、十年近くの歳月をかけてやっと探し出した、というのが本当のところだ。そこで本書には、どのようにして引用出典を探していったのか、主にパソコンとインターネットを使ったスリリングな謎ときのプロセスも、くわしく書いた。

 本書の目的は、『アン』に、どんな傑作が引用されているのか、一つ一つ解き明かすことによって、未知なる『アン』の世界に読者をさそうことだ。

 それは別の見方をすると、普段なかなか読む機会のないシェイクスピア劇や十九世紀の英米詩の世界へ、文学を愛するおしゃまな少女アンを水先案内人として、ご案内するものでもある。

 この本に取りあげた名詩は、アンとモンゴメリが愛し、好んで口ずさんだ作品ばかりだ。そこには、人生の歓びと哀しみ、死の苦しみ、恋するときめき、生きるすばらしさが、劇的に、豊かに描かれている。『アン』の知的な楽しみを初めて発見して、きっと驚かれるに違いない。

 あなたも、『赤毛のアン』の迷宮へどうぞ、そして謎ときの知的興奮をお楽しみ下さい。

 

第一章 シェイクスピア劇

        ……アンはジュリエットとなって、薔薇の一節を甘く語る

 

『赤毛のアン』にもっとも多く登場する文学作品は、やはりシェイクスピア劇だ。ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)は、ご存じ、イギリスの劇作家、詩人である。

 モンゴメリは、学生時代に英文学を学んでいた。また、『赤毛のアン』(以下、『アン』)を書く前、プロの作家を目ざして新聞や雑誌に短編小説と詩を書き送っていた頃、初めてもらった原稿料でシェイクスピア全集をそろえている。

 彼女の息子、医師のスチュワート博士の回想によると、モンゴメリは、シェイクスピア劇の多くを暗記していて、自由自在にいろいろな一節を暗誦することができたという。

 そんなシェイクスピア愛読家のモンゴメリは、『アン』に、シェイクスピアをどのようにもりこんでいるだろうか。さっそくご紹介しよう。

 

(1)「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」

                     『ロミオとジュリエット』より

 

 この一節が出てくるのは、まだ、『アン』の初めの方である。家族のいないアンは、やっと自分の家ができると喜びに満ち満ちて、孤児院から農家のグリーン・ゲイブルズへやってくるが、マリラ・カスバートに「女の子ならいらない」と断られ、涙に泣きぬれて最初の一夜をすごす。

 次の朝、孤児院へ送り返される手はずになったアンを連れて、マリラは馬車で出かける。その道中、アンは、マリラに問われるままに、自分の生い立ちを語り始める。

 

「この三月で、十一歳になったんです。生まれは、ノヴァスコシア州のボーリングブローク。お父さんはウォルター・シャーリーといってボーリングブロークの高校の先生、お母さんはバーサ・シャーリーよ。ウォルターとバーサ、すてきな名前でしょう? 両親がきれいな名前で良かったわ。もし、ジェデダイアなんていうお父さんだったら、生涯の重荷になったでしょうね」(第五章「アンの生いたち」)

 

 するとお説教好きのマリラに、「人は名前よりも、行いが肝心ですよ」とたしなめられ、アンは次のように返答する。

 

「そうかしら」アンは思いに耽った顔をした。「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇があざみとか座禅草スカンク・キャベツとかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ」(同前)

 

 さて、どこが引用なのか、引用部分を見つけるのは、なかなか難しい。しばしばモンゴメリは引用符クォーテーション・マークを使っていないからだ。しかしここでは、ヒントがでている。

「○○○○○だ、ということを本で読んだけれど」とアンがおしゃべりしていたら、○○○○○の部分は、本からの引用である可能性が高い。『アン』では、そうしたケースがよくある。

 この場合は、「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど」と言っているので、太字のゴシック体にした部分が引用ではないかと目星をつけて、マクミラン社(アメリカ)発行の引用句辞典をあたった。

 引用句辞典とは、小説などによく引用される名句、格言などが、もともとは誰が何という作品のどの章に書いた一節なのか、その出典、出所を明らかにするものだ。とくにマクミラン社のこの辞典は、正式タイトルを『格言、金言、および名句に関するマクミラン社の書物』といい、スティーヴンソン博士の編纂による研究者用の辞典だ。厚さ十センチ、三千ページ近くある。一九九一年に翻訳を始めるとすぐに、この辞書を、アメリカに注文していたのだ。

 『アン』の薔薇の一節は、この辞典で見つかった。

 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』(1595)の第二幕、第二場に、次の一文がある、と出ていた。

 

“What’s in a name? that which we call a rose

 By any other name would smell as sweet.”

 

 訳すと、「名前とは何でしょう。薔薇と呼んでいる花はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るでしょうに」となる。太字のゴシック体にした英文は、アンの台詞と、一字一句たがわない。

 

『ロミオとジュリエット』は、ご存じ、シェイクスピアのロマンチックな悲劇だ。この一節が出てくる第二幕第二場は、どんなシーンなのだろうか。すぐに書店へ行き、小田島雄志訳の『ロミオとジュリエット』(白水社)を買って読んでみた。

 モンタギュー家の息子ロミオと、キャピュレット家の娘ジュリエットは、ジュリエットの家でひらかれた舞踏会で出会う。おたがいの素性を知らないまま、一目で恋におちるのだ。

 ところが二人は長年、敵同士として憎みあってきた両家の跡取り息子と一人娘だったのである。それを知って二人は悲嘆にくれる。しかし敵とわかっても、恋心というものは、簡単には消えない。舞踏会が終わっても、ロミオは家に帰る気になれず、ジュリエットを想いながら、キャピュレット家の庭にひそんでいる。

 一方、ジュリエットもまた、ロミオのことが忘れられないまま、夜のバルコニーに出て、ためいきをつきながら彼への恋しい気持ちを切々と語り、また、愛する人が敵という運命の皮肉を、一人でつぶやく。もしも、ロミオが、モンタギューという名前でなければよかったのに、と思いながら。それが、第二幕の第二場だ。

 小田島先生の御訳は、現代的でシンプルなので、ここは、十九世紀の女の子アンが、ジュリエットの台詞を語っているつもりで、女の子らしい口調で訳してみた。ジュリエットが夜のバルコニーに立ち、一人で恋心を語る名場面だ。

 

 ああ、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオなの?

 お父様と縁を切り、どうかロミオという名を捨てて。

 それができないなら、私を愛すると誓って。

 そうすれば、私もキャピュレットという家の名を捨てます。

(ロミオの台詞、一行略)

 敵といっても、それはあなたの名前だけ。

 モンタギューという名前を捨ててもあなたは変わらない。

 モンタギューとはなに? それは手でも足でもなく

 腕でも顔でもない、人の体の

 どこでもない、だから別の名前にして。

 名前ってなんでしょう? 薔薇と呼んでいる花は

 たとえどんな名前で呼ばれても、甘く香るでしょうに。

 だからたとえロミオという名前を変えても

 その呼び名はなくなっても、あの素晴らしいお姿は

 そのままでしょう。だからロミオ、その名をどうか捨てて……

                               (筆者訳)

 

 ジュリエットのつぶやきを、ロミオは庭で、ひそかに聴いている。彼は感激に打ちふるえ、暗闇からジュリエットに声をかける。そして、十六歳と十四歳の若き二人は、心をうちあけあい、悲劇のロマンスが始まるのだ。アンが唱えていた台詞は、こうした劇的な場面で語られるジュリエットの台詞だったのである。

 第二幕第二場、このバルコニーのシーンは、胸ときめくロマンチックな美しい場面として有名だが、同時に、若い二人が、死へとふみだしていく悲劇の始まりである。この晩から、わずか一週間後には、すでに彼らは、この世の人ではない。激しく愛しあい、求めあい、しかしすれ違って、結ばれぬまま死へと旅だっていく。

 アンはドラマチックな悲劇が大好きで、『アン』には、愛や正義のために死をむかえる作品の一節をしばしば語る。これもいかにもアンが引用しそうな一節である。

 さて、ジュリエットは、バラはどんな名前で呼んでも、またロミオにどんな名前がついていても、すてきな魅力は変わらないと語っている。つまり、名前という、ある種、文学的な形式よりも、ものの実体の方を重んじる。

 しかしアンは違う。薔薇も人も、美しい名前がついてこそ、魅力がひきたつと考える。つまりアンという少女は、言葉というものの響き、意味、言葉それ自体の優雅な魅力を愛し、信じるロマンチストであると、モンゴメリは読者に伝えているのだ。たとえばアンは、自分の名前を呼ぶときには、Anneと、最後にeの字を綴って呼んでヽヽヽほしいと頼む。これもまた、アンがなみなみならぬ言語感覚の持ち主であるとして、モンゴメリが創り出した個性なのである。

 

『ロミオとジュリエット』の舞台は、イタリア北部のヴェローナだ。シェイクスピアは、イタリアに古くから伝わる物語を元にして、この芝居を書いた。

 ヴェローナについては、いくつか思い出がある。

 一九九四年の夏、『くまのプーさん』の作者A・A・ミルンが住んでいた村をたずねて、イングランド南部サセックスにあるハートフィールドへ、ロンドンから列車で出かけた。その帰り、事故で列車のダイヤが乱れ、ロンドンへまっすぐ戻れなくなった。途中で乗り替えをしなければならない。しかし、路線がよくわからなかったので、隣に座っていた若い女性にたずねた。すると、彼女はイギリス人ではなく、イタリア人だった。EU(欧州連合)の交換留学でイギリスに来ている大学院生で、あたりの土地堪がないという。栗色の髪に、薄い緑色の瞳をしたその女性は、ヴェローナ出身だという。

「ヴェローナというと、『ロミオとジュリエット』の街ね」と、私が言うと、彼女も喜んで、車中、話が弾んだ。ヴェローナには、モンタギュー家とキャピュレット家のモデルになった名家があり、それだけでなく、紀元前の古代ローマ時代につくられた円形劇場もあるという。ぜひ行ってみたいと思った。

 この日、私たちはロンドン市内まで一緒に戻った。それまでの私は、ロンドンでは、いつもタクシーを使っていた。地下鉄の様子がわからないのと、オースティンのクラシックな黒いタクシーに乗りたかったからだ。いつものように駅からタクシーでホテルに帰ろうとすると、彼女は、ロンドンは地下鉄が便利だからと、切符の買い方、乗り方まで教えてくれた。彼女は、甘い瞳に微笑みをうかべ、優しい声で話すチャーミングな女性だった。ラテン系の女性に、アングロ・サクソン系の女性とはまた違う細やかな温かさを感じるのは、私だけだろうか。果たしてジュリエットは、こんな可憐な人ではなかったかと、ひとしきり思った。

 それから二年後、私はイタリアへ飛び、ついにヴェローナを訪れた。ヴェローナは、ヴェネチアとミラノの中間にある古い街だった。

 たしかに中世のこの街には、モンタギュー家とキャピュレット家のように敵対する二つの名家があったという。今は、それぞれがロミオの家、ジュリエットの家となっている。ジュリエットの家の屋敷には、二人が恋を語りあった例のバルコニーがあり、金色のジュリエットの像も立てられていた。観光客でにぎわっている。しかし、ロミオの家は、あまり人も行かないという。彼の館も訪ねたいと、石畳の古い街を探し歩いた。

 

(2)「気がぬけていて、味気なく、生き甲斐のない」

                               『ハムレット』より

 

 アヴォンリーの学校で、学芸会が開かれることになった。グリーン・ゲイブルズに引きとられるまで、養家で子守りに追われてあまり学校に通わせてもらえなかったアンにとって、初めて本格的に参加する学芸会だ。当然、アンは、はりきって練習にはげみ、本番では花形スターになる。しかしその反動で、学芸会が終わると、がっくりきて、日常生活が退屈になってしまう。

 

アヴォンリーの子どもたちは、なかなか元の平凡な生活に戻れなかった。ことに、この何週間か興奮の酒杯を味わいながら暮らしていたアンにとっては、何もかもが味気なく、気のぬけた、生き甲斐のないものに思えた。

(第二十六章「物語クラブの結成」)

  ゴシック体太字のところは、原文では、flat, stale and unprofitable となっている。

 三つならんだ形容詞は、十一歳の女の子が話す言葉にしては、格式ばっているように思えたので、引用句辞典で探してみた。

 しかし、なかった。この一節のように、文章にも熟語にもなっていない形容詞の並びは、引用句辞典には出ていない。先にも書いたように、引用句辞典とは、名句、警句、美しい一節の出典を明らかにするものだから、この「気がぬけていて……」のように、ことさらに名句でもない一節は、収録されていない。どの引用句辞典にもなかった。

 つまり引用句辞典では、探すことのできない句や文もあるのだ。ここで壁にぶつかった。しかし、文学の女神ミューズは、私を見放さなかった。

 ちょうどその頃、私は、五木寛之先生のトークショーに、ゲストとして出演することになり、三重県の鈴鹿市に出かけた。主催する市役所の方たちと雑談をしていたとき、たまたま、『アン』の引用探しに苦労している話をすると、職員の方が(たしか玉木さんという男性だった)、すばらしい情報を教えて下さったのだ。

 パソコン通信ニフティーサーブの英文学フォームに、電子図書館があり、そこにシェイクスピア劇などの電子データが、英文で収録されているという! それを元に、デジタル検索をすれば、『アン』と同じ英語の一節がシェイクスピア劇にあるかどうか、見つかるかも知れない、というのだ。当時一九九二年は、まだインターネットは普及していない時代だ。

 あれから十年たった今では、インターネット上に、著作権が切れた過去の作品が、多数、テキスト化されて載っている。全世界のそうしたデータを対象にして、『アン』の中の引用と思われる節を入力して、一致する言葉がサイトにあるかどうか、検索をかければ、数秒で結果が出てくる。

 しかし、私が翻訳していた一九九一~九二年頃は、デジタル化された 文学データを探すのは、とても難しかった。ただ幸いなことに、私は一九八九年からパソコン通信をしていた。鈴鹿から帰宅すると、すぐパソコン通信にアクセスした。

 すると本当に、シェイクスピア劇がテキスト化され、全文が出ていた。全戯曲ではなく、シェイクスピアの四大悲劇や四大喜劇、史劇などの代表作が電子化されていた。

 そこで一作一作、ダウンロードして、何枚ものフロッピーに保存していった。当時はデジタル回線もなく、通信に時間がかかった。

 データをフロッピーに保存するとは、奇妙に思われるかもしれないが、当時のパソコンには、まだWindowsは影も形もなく、MS−DOSだった。ハードディスクの値段も信じられないほど高かった。そもそも当時、使っていたパソコンは、もともとハードディスクがついていない機種だった。今の感覚からすると、ハードディスクがないパソコンなど、存在自体が信じられないが、あの頃は、ワープロソフトや通信ソフトは、フロッピーから立ち上げていたのだ。さすがにハードディスクがないのは不便なので、別売りで買い、パソコンの内部に自分で接続したが、確か二十メガバイトで五~七万円くらいした。今は、一ギガ(一○○○メガバイト)で一万円くらいだろう。電子技術の進歩のすばらしさに感動する。

 内蔵したハードディスクは容量が少ないので、ソフトのプログラムを記憶させるために使い、文書などのデータはフロッピーに保存していた。だからシェイクスピア劇の数々も、何枚ものフロッピーに保存した。それを対象にして、『アン』の中の引用と思われる一節を、一つ一つ、検索をかけていった。

『アン』の中で、引用かどうかは定かではないにしろ、妙に詩的で古風な一節には、ラインマーカーをひいて、リストを作っていた。その数は、七百カ所をこえていた。その七百の文章と語句をタイプして、フロッピー一枚一枚を対象にして、一致するかどうか調べたのだ。

 何日検索しても、一致ナシ、という非情な結果が、パソコンの画面に現れるだけだった。まったくの徒労が続いて、何も見つからなかった。

 この一節「味気なく、気のぬけていて、生き甲斐のない」という一節も、シェイクスピア劇のデータでは、一致しなかった。しかし諦めずに、三つの単語を別々に検索した後、その複合検索を試してみたのだ。

 すると、私のパソコン画面は、一致アリ、という夢にまで見た結果を告げた。『ハムレット』の第一幕第二場を示している。

 画面に出てきた英文をみると、『気のぬけていて、味気なく、生き甲斐のない(stale, flat, and unprofitable)』とある。モンゴメリが『アン』に書いた一節と、単語の順序が違っているが、間違いなく、同じ三つの言葉だ。モンゴメリは、『ハムレット』の言葉を『アン』に入れていたのだ。

 この時の感激は、今でも忘れられない。涙が出るほど嬉しかった。以後、私はデジタルで引用元を探すという方法にむかって、さらに進んでいくことになる。

 私は急いで外に飛び出し、大型書店にむかった。小田島雄志訳の『ハムレット』(白水社)を買うためだ。フロッピーに入っているのは英文戯曲だから、まずは物語の全文を日本語で読んで、この一節が出てくる場面の背景をつかみたかった。モンゴメリは、ただ単に美しい名文や個性的な言葉づかいを引用しているのではなく、引用元の作品の主題や場面の意味を、『アン』に重ねあわせている。よって私も引用出典の作品名や章番号を示すだけではなく、出典元の作品を読むことを自分に課し、モンゴメリの引用意図を考えることにした。

 

『ハムレット』は、中世デンマークの王宮を舞台とした悲劇だ。

 デンマークの国王が謎の死をとげてから一か月もたたないうちに、王妃は、亡き夫の弟と結婚する。息子である王子ハムレットにしてみれば、父の死後、間もないうちに、母親が叔父さんと再婚したことになる。彼は、それを深くなげいて、厭世の言葉を口にする。それが、引用のある第一幕第二場だ。ここは小田島先生の訳でご覧頂こう。ハムレットの苦悩が雄々しく若々しく表現されている。

 

 ああ、このあまりにも硬い肉体が

 崩れ溶けて露と消えてはくれぬものか!

 せめて自殺を罪として禁じたもう

 神のおきてがなければ。ああ、どうすればいい!

 おれにはこの世のいとなみのいっさいがわずらわしい、

 退屈な、むだなこととしか見えぬ。(気がぬけていて、味気なく、生き甲斐ない)

 いやだいやだ! この世は雑草の伸びるにまかせた

 荒れ放題の庭だ、胸のむかつくようなものだけが

 のさばりはびこっている。こんなことになろうとは!

 亡くなってまだ二月ふたつき、いやいや、二月にもならぬ、

 りっぱな国王だった、いまの王とくらべれば

 獅子と虫けらほどもちがう。母上をこの上なく愛され、

 外の風が母上の顔にあたることさえ

 許さぬほどだった。それが、なんということだ!

 (略)そう、母上もあのころは

 父上を一時いっときも離さず、満たされてますますつのる

 貪欲な愛にひたっておいでだった。それが一月ひとつきで――

 もう思うまい――心弱きもの、おまえの名は女!――

                      (小田島雄志訳)(ルビの一部は筆者追加)

 

 最後の行は、明治時代の坪内逍遥つぼうちしょうようの訳で、「弱き者よ、汝の名は女なり」でよく知られている。

 これは、ハムレットが世を嘆く名場面だ。モンゴメリは、そうした重厚な場面から、『アン』に引用していたのだ。かようにハムレットは、母親に裏切られた思いで、人生と女に絶望している。

 それに比べると、アンは、演芸会が終わってがっくりきて、ハムレットの苦悩の言葉を真似しているのだから、なんとも大げさであり、それが逆に、アンのおませな愛らしさを引きたてている。『アン』を原書で読んだ英米人のどの程度が、これを引用だと気づいたかわからないが、文学の素養のある読者は、ハムレットが世をのろう名台詞だと気づいただろう。そして、アンの可愛い嘆きの迷台詞とのギャップに、大爆笑したことだろう。これはモンゴメリの卓越したユーモアなのだ。

『ハムレット』の複合検索に感激した私は、物語に興味を持ち、都内で芝居を観た。さらに二年後には、舞台となったデンマークの古城まで出かけていくのである。

 

(3)「美しい花を、美しい乙女に」 『ハムレット』より

 

 アヴォンリーでは、春が訪れると、子どもたちと先生が、メイフラワーと呼ばれる花をつみに、野原へピクニックに出かける。

 花つみの様子を、家に帰ってきたアンは、マリラに楽しそうに話して聞かせる。日頃、生徒に嫌みばかり言っているフィリップス先生が、美人の教え子プリシー・アンドリュースに、花を贈ったことも話す。

 

「フィリップス先生は、つんだメイフラワーをみんなプリシー・アンドリュースに贈ったのよ。『美しい花を、美しい乙女に』って言っていたのが聞こえたけど、これは本から取った言葉なのよ。私、知っているもの。でも、あの先生にも、多少は想像力があったということね。」 (第二十章「豊かな想像力、道をあやまる」)

 

 ここもまた、「本から取った言葉なのよ」とアンが言っているので、引用であろう。

「美しい花を、美しい乙女に(Sweets to the Sweet)」とは、わかってみると、古典に明るい人には、まことに有名な台詞だったのだが、私はさっぱり見当がつかなかった。何しろその頃の私は、『アン』の翻訳のために、二十代半ばにして、初めてシェイクスピア劇を英語と日本語で読み始めたばかりのシェイクスピア初心者だったのだ。まずは、sweet を手がかりにして、マクミラン社の引用句辞典を探した。すると、シェイクスピア劇『ハムレット』第五幕第一場の一節だった。

 英語を母国語とする人は、どのくらい知っているのだろうか。興味があったので、アメリカ人の男性と女性に聞いてみた。大学と小学校の教員である。すると、

「スイーツ・トウ・ザ・スィート……、ウーン、知らないわねえ、でも、イタリア人の女たらしが言いそうね」というのが、大学教員(経済学)の返事であった。もう一人の国語教員も、知らなかった。

 かつての英米において、国語教育とは、古典の暗誦が主とされていた。『アン』でも、学校で子どもたちが詩の暗誦をしている。そうした時代の人々は、小説の中の引用をわかっただろうが、今では英米人でも必ずしも知らないようだ。

「美しい花を、美しい乙女に」は、イタリア人の女たらしの台詞ではなく、ハムレットの母親、デンマーク王妃の言葉だ。

『ハムレット』は、先にもご紹介したように、苦悩の王子、ハムレットの物語だ。父を急に喪い、母であるガートルド王妃がすぐに再婚したために、ハムレットは厭世にひたる。だが、新国王となった叔父が父を殺したようだと気づいたハムレットは、亡き父親の復讐を果たそうとして、狂気を装う。そうとは知らない恋人のオフィーリアは、彼の狂気、そして自分の父親の死に錯乱し、世をはかなんだまま溺れ死ぬ。花のような乙女の死である。オフィーリアの葬儀の場面で、ガートルード王妃は、墓に花をまきながらつぶやく。

 

 美しい乙女に、美しい花を。さようなら。

 ハムレットの妻になってくれたらとの願いも

 いまはむだ、新床を飾るつもりのこの花を

 お墓にまかねばならぬとは。 (小田島雄志訳)

 

 ガートルード王妃にしてみれば、オフィーリアは、息子ハムレットの嫁となるはずだった令嬢だ。その死を悼んで、王妃がしみじみと語る台詞だ。フィリップス先生の言葉は、ここから取られていたのだ。

 この台詞、イタリア人の女たらしの言葉みたいだ、という推測は、実は、いいところをついていた。なぜなら、引用句辞典をよみすすんでいくと、これは、シェイクスピアのオリジナルではなく、イタリアをはるかさかのぼる古代ローマに、ラテン語の元歌があったからだ。

 

“Florentem florenti.”

「美しい花を、花のように美しい乙女に」 

 

 ローマの喜劇作家プラウトゥス(紀元前二五四?~一八四)による『ペルシャ』(紀元前二〇〇頃)の一節だ。

 シェイクスピアは、生まれ故郷のストラットフォード・アポン・エイヴォンで、グラマースクールに通い、ラテン語のさまざまな作品を読んでいた。その中に、プラウトゥスも入っていたようである。

 実際、シェイクスピア劇の『間違いの喜劇』は、プラウトゥス作『メナエクムスの兄弟』を元にして書かれている。私も以前、シェイクスピアが通ったグラマースクールへ行き、見学したことがあるが、当時、エリザベス朝イギリスにおいては、こうした田舎街でも、ラテン語を学んでいたことに驚いた。海外覇権を握り、七つの海へと出ていった十六世紀イギリスの底力は、こうした教育に支えられていたのだ。

「美しい花を、美しい乙女に」は、英文学では盛んにパロディとして使われている。

 たとえば、アガサ・クリスティの『予告殺人』(一九五○)の第十五章。女性がお菓子の小箱を「スィーツ・トウ・ザ・スィート」と渡される。スィートには、ご存じのように「甘い」と「可愛い」と二つの意味があるから、ここでは、「甘いお菓子を、甘く可愛いひとへ」となる。

 

『ハムレット』は、デンマークの王宮エルシノア城が舞台だ。この物語は、古くから北欧民族に伝えられていたものだ。

 私は一九九四年に、モデルとなった城(クロンボルグ城)を訪ねた。翻訳を始めてから、物語の背景をなすカナダの風土と歴史を理解するために何度かカナダへ渡ったが、同時に、『アン』に引用される作品の舞台も一つ一つ訪ねて、イギリス、ドイツ、デンマーク、イタリア、スペインなどを旅している。引用元の作品を深く理解して、モンゴメリの引用意図、目的をつかみ正しい『アン』の翻訳をするためだ。

 デンマークの首都コペンハーゲンから列車で北に向かうと、最北端に、ヘルシンガーという町がある。ヘルシンガーでは、シェイクスピアが書いたエルシノア城とは違うと思ったが、ヘルシンガー(Helsingor)は、フランス語読みで「エルシノア」となる。やはりここはハムレットの魂が漂う土地なのだ。

 ヘルシンガの海辺に立つと、すぐ目の前の対岸は、スウェーデンの町ヘルシングボリだ。海峡の幅は数キロしかないから、スウェーデン側の家並みがよく見える。

 つまり、海峡の町ヘルシンガーにある城は、外部からの侵入を防ぐ要塞だったのだ。だから城壁も、お堀も、いかめしかったが、内部は、強固な中にも優美さがあった。フレデリック二世によって建てられた城だ。

 城のパンフレットによると、この城には、かつて王子アムレス(Amleth)が住んでいた。シェイクスピアは、アムレスの綴りの末尾のhを頭にもってきて、ハムレット(Hamlet)にしたという。今では夏になると、各国の演劇関係者が城に集まり、『ハムレット』が上演されるらしい。

 私が訪ねたのは、四月の終わりだった。北欧に遅い春が到来したところだった。

 デンマーク人の学生ビアン、その兄で中学教師のオーラ、そしてデンマークに詳しい日本の女友だちの四人で、コペンハーゲンから電車で行った。

 驚いたことに、オーラは、自宅からポットに熱いコーヒーをつめ、四人分のお昼とおやつも用意していた。可愛い敷物も持参していた。男の人にお弁当の支度などしてもらったことのない私は、本当にびっくりした。感激もした。ビアンとオーラは、男女平等がすすんでいる北欧ではあたり前だとこともなげに言ったけれど……。

 『ハムレット』の城の庭に、その敷物を広げて座った。海峡の向こうのスウェーデンを眺めながら、四人で食事をした。いい天気だった。海には、ヨットが白い帆を立てて、強い風の中を走っていた。ビアンとオーラの金色と茶色の髪が、海風にはためいた。食後、草の上に、ごろんと横になった。みんな、黙っていた。つい数日前に会ったばかりなのに、また会うことはないのに、そのせいか、年下の美青年オーラのしずかな寝息が、少し気になった。つまり私は、ほの甘いような、けれど少し切ない午後をすごしたのだった。『ハムレット』というと、重々しい悲劇のはずなのに、つい、この海辺でのセンチメンタルな昼下がりを思い出してしまう。まだ独身だった日のひとこまである。

 

(4) 「蜂起して反乱をおこせるだろう」

              マーク・アントニオの演説、 『ジュリアス・シーザー』より

 

 アンが通う学校のフィリップス先生が、村の演芸会で、悲劇『ジュリアス・シーザー』を朗読する。本文を引用しよう。

 

 フィリップス先生は、シーザーの亡骸を前にして、マーク・アントニーが、ローマ市民に演説する場面を、暗誦した。一ふし言うたびに、プリシー・アンドリュースの方を見つめながら、めんめんたる調子でやった時には、アンはすっかり感動して、たった一人の市民でも先導してくれるなら、すぐさまその場で蜂起して、反乱を起こせると思ったくらいだった。 (第十九章「演芸会、悲劇、そして告白」)

 

 前項の(3)で書いたように、プリシー・アンドリュースは、先生のお気に入りの美少女だ。フィリップス先生は、彼女に好かれたい一心で、色目を使いつつ、はりきってマーク・アントニーの演説をしたのだろう。

 シーザーに、マーク・アントニー、ローマ市民といえば、このシーザーは古代ローマの武将ジュリアス・シーザーのことだろう。彼について書かれたものは多いが、フィリップス先生が朗読したのは、多分、シェイクスピア劇だと思い、小田島先生の御訳で読んでみた。まずは、史劇『ジュリアス・シーザー』について、簡単にまとめておこう。

 古代ローマ帝国の政治家シーザーは、敵であるポンペイの残党を征伐して、ローマの都に凱旋してくる。

 しかし、勝利に酔って独裁政治を狙うシーザーを、キャシアスはねたんでいる。そこでキャシアスは、ブルータスを使って、シーザーを殺そうとはかる。ブルータスは、シーザーとは親友の仲だが、政治に高い理念を持つブルータスは共和制政治を理想としていて、シーザーの暴政圧政を憂いていた。そんなブルータスに、キャシアスは、ローマは危機にあると説いて丸めこみ、シーザーを暗殺させるのだ。

 殺害後、ブルータスは、シーザーの死骸を前に、ローマの民衆にむかって演説する。私は親友のシーザーを殺した、しかしそれは、シーザーを愛する以上にローマを愛したからだ、と理由を告げる。

 次に、マーク・アントニーが演説する。彼は、ローマの危機を救ったブルータスをさして、「ブルータスは公明正大な人物だ」と持ち上げながらも、シーザーは独裁者ではなかった、野心も持っていなかったと訴えていく。

 このアントニーの演説は、「わが友人、ローマ市民、同胞諸君、耳を貸してくれ。」で始まる(第三幕第二場)。小田島先生の訳から抜粋して、お聴きいただこう。

 

アントニー わが友人、ローマ市民、同胞諸君、耳を貸してくれ。

 (中略)

 シーザーは私にとって誠実公正な友人であった、

 だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、

 そしてそのブルータスは公明正大な人物だ。

 シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰った、

 その身代金はことごとく国庫に収められた、

 このようなシーザーに野心の影が見えたろうか?

 (中略)

 だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、

 (中略)

 私はシーザーに三たび王冠を献げた、それを

 シーザーは三たび拒絶した。これが野心か?

 だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、

 そして、もちろん、ブルータスは公明正大な人物だ。

 私はブルータスのことばを否定すべく言うのではない、

 だが私が知っていることを言うべくここにいるのだ。

 諸君もかつては彼(筆者注・シーザー)を愛した、それも理由あってのことだ、

市民1 アントニーの話もなかなか筋かとおっているようだな。

(中略)

市民4 いま聞いたろう? シーザーは王冠を拒絶したんだ、

 だからたしかだよ、野心なんかなかったことは。

                               (小田島雄志訳)

 

 アントニーは、「ブルータスは公明正大だ」と繰り返しながらも、シーザーは野心を持たず独裁者ではなかったと訴える。市民たちは、次第にアントニーの名調子に引き込まれていく。

 

アントニー

 (中略)

 だが、ここにシーザーの印を押した文書がある、

 彼の部屋で私が見つけたものだ、彼の遺言状なのだ。

 (中略)

市民一同 遺言状だ、遺言状だ! シーザーの遺言を聞かせろ。

アントニー 許してくれ、友人諸君、読んではならないのだ。

 シーザーがどんなに諸君を愛したか、諸君はそれを

 知らないほうがいい。

 (中略)

諸君が彼(筆者注・シーザー)の遺言相続人であることなど、諸君は

 知らない方がいい、知れば、ああ、どうなる?

市民一同 遺言状を読んでくれ、聞きたいのだ、アントニー。

 (中略)

アントニー (中略)

 この話をしてしまったのは、私の行きすぎだった。

 私か恐れるのは、シーザーを刺した公明正大な人物(筆者注・ブルータス)を

 そしることになりはしないかだ、それを恐れるのだ。

市民4 やつは謀反人だ! 公明正大なんかであるもんか!

                               (小田島雄志訳)

 

 こうしてアントニーは、少しずつ、民衆を反ブルータスへと煽っていく。続いてアントニーは、シーザーの血に染まった亡骸を、市民に見せる。わざわざ、ブルータスがシーザーを刺し殺した傷はこれだ、と示すのだ。

 聴衆のブルータスへの反感は、ますます高まる。にもかかわらずアントニーは、心と裏腹に、暴動を起こすなと言う。

 

アントニー 友人諸君、親愛なる友人諸君、私のことばに激し、

 一挙に暴動を起こすようなまねはしないでほしい。

 (中略)

 (私は)ただ諸君自身のすでに知っていることを語り、

 シーザーの傷口を示し、あわれな物言わぬ傷口に

 私のかわりに語れと命じるのみだ。もしかりに

 私がブルータスで、ブルータスがアントニーであれば、

 そのアントニーは諸君の胸に怒りの火を点じ

 シーザーの傷口の一つ一つに舌を与えて語らせ、

 ローマの石という石も暴動に立ち上がらせるだろう(rise and munity)。

                               (小田島雄志訳)

 

 この演説が終わると、民衆は、ブルータスを討つ暴徒となり、暴動に立ち上がる。独裁者シーザーを殺して英雄になるはずだったブルータスは、一転して国賊となり、身を守るためにローマを脱出して第三幕第二場は終わる。

 以上が、マーク・アントニーの演説だ。これを学校の教師フィリップス先生は、めんめんたる調子で、演芸会の舞台で語ったのだ。

 私も読んでいて、アントニーの雄弁に舌を巻いた。まるで、聴衆の一人一人に語りかけるような口ぶりだ。

 先生の暗誦を聞いたアンが、「すっかり感動して、たった一人の市民でも先導してくれるなら、(自分も)すぐさまその場で蜂起して、反乱を起こせると思った」という意味がわかる。

 つまりアンは、ローマ市民と一緒になって、ブルータス打倒へむけて蜂起しそうになったくらい先生のスピーチに感動した、という意味だ。先生の弁舌は、マーク・アントニーさながらに真に迫っていたのだろう。感激屋で、少々、のぼせ屋のアンらしさがここにも現れていて、愛らしい。

 ちなみに太字の部分、アンが「蜂起して、反乱を起こせるだろう」(she could rise and mutiny)と思うところは、このアントニーの演説の最後の一文「ローマの石という石も蜂起して反乱を起こすだろう」と、同じ表現が使われている。

 

 さて、長い演説を引用したのには、理由がある。暴徒を恐れてローマから脱出した後のブルータスが、『アン』に出てくるからだ。

 ローマ市民たちは、アントニーの言葉に誘導され、ブルータス支持から、ブルータス憎しへと反転する。そしてブルータスはアントニーらと戦い、敗れて、自ら死を選ぶ。しかし不思議なことに、すぐに扇動される大衆、移り気な市民たちは、後になると、ブルータスの不在を嘆くことになるのだ。

 そのくだりが、イギリス十八世紀の詩人バイロンのイタリア紀行『チャイルド・ハロルドの遍歴』第四巻に書かれ、それがさらに『アン』に引用されている。これは、後ほど、本書『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』第四章「イギリス文学」の(5)にて、ご覧いただこう。

 

 イタリアの首都ローマには、シーザーが執政した古代ローマ帝国の中心地「フォロ・ロマーノ」が遺跡として、残されている。一九九六年の春、この古代の栄華の跡を訪れてみた。

 はるか紀元前一世紀、この地面に、この石畳に、シーザーとブルータスが立ち、歩いたのだと思うとしみじみと感慨深かった。

 フォロ・ロマーノには、さまざまな建築遺構や当時の石畳が残っているが、シーザーが執務をとった元老院、シーザーの暗殺後、その死を悲しんだローマ市民たちが彼を火葬し、その跡に建てられたシーザーの神殿などが今もなおある。それらは、二千年の歳月に倒壊し、風化し、今は一部の石柱と礎だけが残っている。白い石の瓦礫は、まるで過去の華やかな都を葬送した墓碑のように、生い茂る草むらに転がっている。日の光はすんで、強い。スイスアルプスを越えてイタリア北部から南下してローマに着いた私には、南の陽ざしが、強烈に感じられた。まばゆい陽光に照らされながら、遠い昔の石の間を歩いた。

 シーザーやブルータスの偉大さと悲劇が、千五百年の時をこえてシェイクスピアが生きたイギリスにまで遠く伝えられたのは、歴史書と文学書の力である。古代から、ラテン語で書かれた多くの書物が、シェイクスピアを史劇『ジュリアス・シーザー』の執筆にむかわせた。そうして生まれたシェイクスピア劇がまた、モンゴメリを、『アン』への引用に駆りたてたのだ。私自身もまた、シェイクスピアとモンゴメリの記述によって、シーザーを読むことになった。人は死に、堂々たる大理石の神殿や宮殿もいつか必ず崩れ落ちるが、書かれた言葉は生きのびて、次の世紀へ、次の千年へと、過去を伝えていく。そんなことを思いながら、つわものどもの夢の跡を散策した。抜けるような青空には春のヒバリが飛んで、いつまでも高い声で鳴いていた。

 

(5)「一さらいにして」 『マクベス』より

 

 グリーン・ゲイブルズのマシューは、アンへのクリスマスのプレゼントに、パフスリーブのドレスを贈ろうと考える。既製品のないこの十九世紀末、そのためには、服地を店で買わなければならないが、女性恐怖症のマシューは、女性とうまく話ができないため女の店員がいる店に行けない。そこで、男の主人が応対してくれる店に入ったところ、思いがけず、新しく雇われた女性店員がいて、うろたえる。

 しかも女性店員は、とびきりおしゃれで、ぴちぴちした若い娘だったから、マシューは一目見ただけで、茫然自失となる。彼女は、腕輪バングルを何本もはめていて、それが腕を動かすたびに、きらきら、ぴかぴかと光り、じゃらじゃらと盛大な音までする上に、彼女が華やかな顔でニッコリほほえみかけるものだから、マシューはすっかり上がってしまい、理性は「一さらいにして」吹き飛ばされてしまう。

 服地を買いにきたはずなのに、ほしくもない熊手や黒砂糖を山ほど買って帰り、妹のマリラに呆れられる、というユーモラスな場面だ。(第二十五章「マシュー、パフスリーブにこだわる」)

 

「一さらいにして」は、英文では at one fell swoop となっている。これは、swoop(飛びかかる、引っさらう)の意味を、研究社の大英和辞典で引いたら、たまたま出ていた。 at one fell swoop として、「(一たまりもない)恐ろしい襲撃で、一挙に」という意味であり、シェイクスピア劇『マクベス』第四幕第三場、二一九行参照、と書いてあったのだ。

 またも、すぐさま小田島先生訳の悲劇『マクベス』を読んでみた。この一九九二年頃、私は、NHK衛星放送の書評番組『BS週刊ブックレビュー』の司会をしていて、小田島先生は時々、書評ゲストとして出演なさっていた。そんなある日、私はNHKの控え室で、「今、『赤毛のアン』を訳しているのですが、シェイクスピア劇からの引用がいろいろとあるようです」と先生にお話しした。すると先生は、「昔の小説にはたくさん出ているから、ぜひ探してご覧なさい」とおっしゃり、私も張り切っていたのだ。

 さて、『マクベス』である。マクベスは、スコットランドの国王ダンカンを殺して、自分が王の座についた。しかし悪事を働いて人の地位を奪った者は、今度は自分が同じ目にあうのではないかと、疑心暗鬼にかられるものだ。マクベスもまた、領主マクダフが、自分を倒そうとたくらんでいるのではないかと疑う。

 そこでマクベスは、マクダフの妻子はもちろん、召使もろともみな殺してしまう。「一さらいにして」殺すのだ。「恐ろしい一度の襲撃で」殺す、あるいは「一網打尽にして」殺す、という意味だ。

 それを『アン』に当てはめると、面白い。

 マシューは、男の店員がいると信じて店に入ったのに、思いかげず女性の売り子がいて、さらには彼女がじゃらじゃら、ぴかぴかする腕輪をたくさんはめていた。そんな華やかな若い娘さんに、女性が苦手なマシューの理性は店に入るやいなや、一網打尽にして、一さらいに、すべて吹き飛ばされてしまった、という意味だ。『マクベス』で、マクダフの一家がみな殺しにあったように、マシューの理性も、若い娘さんのまぶしさに全滅してしまったのだ。だからこそ、要りもしない熊手や黒砂糖を買うはめになる。

『険しい道――モンゴメリの自叙伝』によると、モンゴメリは、一九一一年に新婚旅行でスコットランドへ渡ったとき、マクベスに殺され王位を奪われる役回りのダンカン王の墓を訪れている。

 私も二○○○年の秋に、モンゴメリの足跡を訪ねてスコットランドに渡り、ダンカン王が埋葬されている墓地へ行った。スコットランド西海岸の街オーバンから船でマル島へ行き、またさらに船を乗りかえてたどりついた小島アイオーナ島の聖コロンバ教会の墓地に、ダンカン王をはじめスコットランドの王たちが眠っていた。激しい風の吹きつける海辺の墓だった。

 

(6) かたつむりとは似ても似つかぬ軽快な足どりで、いそいそと学校へかけていった 『お気に召すまま』より

 

アンとダイアナは、毎日、仲良く、楽しく、学校へ通っている。とくに、足首を骨折して、しばらく学校を休んでいたアンは、久しぶりの通学が嬉しくてたまらない。木々は紅葉し、森に朝もやが立ちこめている。プリンスエドワード島の秋の朝が美しく描かれているので、引用しよう。

 

 二度めの十月がめぐりきて、アンは、ようやく学校へ戻れるようになった。あたり一面、赤と金に色づいて輝くような十月。夜が明けると、柔らかな陽ざしをあびて、淡いもやが谷間に立ちこめる。朝もやは、紫水晶の色、真珠の色、銀色、薔薇色、そして青灰色スモーク・ブルーと、まるで、秋の妖精が、太陽にのみほさせようと谷間に注ぎこんだ美酒のようだった。朝露が一面におりた野原は、銀で織った布のようにきらきらする。落葉樹にかこまれた窪地は、かさこそする枯葉にうずもれ、かけ抜けるとぱりぱりと音がする。そして《樺の道》は、黄色くなった葉の天蓋てんがいにおおわれ、道にそって羊歯が、茶色く干からびていた。少女たちの胸を弾ませるぴりっとする芳しさが、秋の空気には漂っていて、二人は、かたつむりとは似ても似つかぬ軽快な足どりで、いそいそと学校へかけていった。

(第二十四章「ステイシー先生と教え子たちの演芸会」) 

「かたつむりとは似ても似つかぬ軽快な足どりで(tripping, unlike snail)」という比喩がなんとなく不自然に感じられたので、引用ではないかと調べてみた。しかしこれも名句のたぐいではないので、引用句辞典では見つからない。

 すると、パソコン通信の電子図書館を教えて下さった、あの鈴鹿市の玉木さんから、郵便が届いたのだ。

 シェイクスピア劇の全文をデジタル化したCD-ROMがアメリカで販売されているというのだ。手紙には、その英文カタログが同封されていた。それは、マック用のCD-ROM版シェイクスピア戯曲全集だった。今ではもちろんマイクロソフト社のWindowsでもCD-ROMを使えるが、訳していた九二年当時のMS−DOSでは使えなかった。本当の話である。

 私はMS−DOSだったので、マッキントッシュは使ったことも触ったこともなかったが、編集者に秋葉原を探してもらい(当時は大阪に住んでいた)、CD-ROMを購入した。さらにマックを持っていないので、お客さんのいない土曜日の午前、大阪梅田のショールームに仕事道具を全部持っていって、説明員のお姉さまに使い方を教えていただき、検索をした。今から思うと大胆なことをしたものだが、当時は必死だったのだ。

 そのCD‐ROM版シェイクスピア全集で、かつたむり(snail)、学校(school)の二つの単語が、シェイクスピアで一緒に使われている文章があるかどうか、複合検索してみた。

 すると、なんと、『お気に召すまま』第二幕第七場と表示されたのだ! この時も、ヤッターと叫びだしたくなるくらい、感激した。

 原文で比較する。

 

「かたつむりとは似ても似つかぬ軽快な足どりで(tripping, unlike snail)、いそいそと学校に通う(willing to school)」 『アン』

 

「かたつむりがはうように(creeping, like snail)、いやいやながらに学校に通う(unwilling to school)」 『お気に召すまま』

 

 英語がきれいに対応している。まずもってパロディだろう。

 これは、『お気に召すまま』では、厭世家のフランス貴族ジェークイズが語る台詞だ。

「カバンを下げて、輝く朝日を顔に受け、かたつむりがはうように、いやいやながら学校に通う」という語りだ。

 戯曲を全部読んでみると、有名な台詞が背後にあった。つまり、

 

 この世界はすべてこれ一つの舞台、

 人間は男も女も問わずすべてこれ役者にすぎぬ、

 それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、

 そのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる、

(人生は)年齢によって七幕に分かれているのだ。 (小田島雄志訳)

 

 この後、ジェークイズは、人生の七つの幕とは何か、説明していく。

 人生の第一幕とは赤ん坊、第二幕は学校通いの小学生、第三幕は恋する若者、第四幕は名誉と功名を求める軍人、第五幕はワイロを受けとりつつ格言をたれる裁判官、第六幕はやせこけた老人、そして最後は、再び赤ん坊にもどる。

「かたつむりがのろのろとはうように、いやいやながらに学校に通う」とは、人生の第二幕、小学生について、ジェークイズが語る言葉だ。それを使って、モンゴメリは、アンたちの通学風景を描いていたのだ。

 しかしアンは、ジェークイズのような皮肉っぽい厭世家ではなく、むしろ正反対。生きる希望に満ちた元気いっぱいの女の子だ。だから、いやいやながら通学するのではなく、いそいそと自分から進んで通学する、とモンゴメリは書いたのだ。

 

 ちなみに、ジェークイズが語る小学生の登校のようす「カバンを下げて、輝く朝日を顔に受け」という部分は、今訳している続編の『アンの青春』にも出てくる。

 アンが、教師になった初日、教室に入ると、子どもたちが、輝く朝日をそれぞれの顔に受けて、新任教師を待ちかまえているのだ。シェイクスピア劇では、顔(face)は単数だが、『アンの青春』では、教室に生徒がたくさんいるので、「それぞれの顔」(faces)と、モンゴメリは複数に変えている。子どもたちが、真新しい先生アンの登場に注目して、いっせいに顔をむけている様子が感じられて、ほほえましい。

『お気に召すまま』は、フランスの貴族と騎士が、領地の相続などで揉めながらも、最後は四組の結婚で、めでたしと終わる喜劇だ。舞台はアーデンの森である。

 アーデンの森とは、フランスとベルギーの一帯に広がっている広大な森だ。その一方で、シェイクスピアの故郷の森も、アーデンの森と呼ばれている。

 

(7)「烏の羽のような黒髪」 「アラバスター」など

 

 CD−ROM版シェイクスピア全集の検索では、他にも、『アン』とシェイクスピア劇に共通する表現が、いくつか見つかった。『アン』において引用と思われる一節はリストアップすると七百くらいあり、それを全部検索したので、いろいろな符合が見つかったのだ。

 たとえば、『アン』によく出てくる、古風な表現「幾度となく(many time and oft)」が『ヴェニスの商人』と『ジュリアス・シーザー』にあった。

 また、マシューが亡くなった通夜の夜ふけ、マリラが、アンにむかって「私はあんたのことを、血と肉を分けた実の娘のように愛しているんだよ。グリーン・ゲイブルズに来たときからずっと、あんたは私の歓びであり、心の慰めだったんだよ」と、初めて素直になって愛を告白する感動的な場面で出ていくる「自分の血肉を分けた人(my own flesh and blood)」は、『ヴェニスの商人』にあった。

 しかしこれらは、シェイクスピア劇からの引用ではなく、単に慣用句が一致しただけだと思われる。なぜなら、言葉の由来を英英辞典で調べると、シェイクスピアより古い時代から使われているからだ。

そして以下は、英文聖書の電子ブックとシェイクスピア劇のCD-ROM全集を検索したときの裏話。

 

 赤い髪のアンはつややかな黒髪に憧れていて、「カラスの羽のような黒髪」になりたいと、いつも語っている。この一節も麗しいので、引用ではないかと検索した。

 するとシェイクスピアのソネット(詩)のほか、旧約聖書の『雅歌』第五章十一節にも、「烏の羽のような黒髪」という表現があった。

 日本語で黒髪というと、「ぬばたまの」とか「烏の濡れ羽色」という形容をつける。英文学でも、黒髪の枕詞まくらことばは、「烏のような」となるらしい。

 

「アラバスターのような額」という言葉も、『アン』には何度か登場する。

 アラバスターは雪花石膏せっかせっこうと訳されるのが一般的だが、石膏とはまったくの別物だ。アラバスターは、すべすべしてつややかで、少し透き通った大理石のような素材だ。イタリアのおみやげに、アラバスター製の小物入れや花瓶がよくある。

「アラバスターの額」も優雅な響きがあるので、この語句で、シェイクスピア全集と聖書を検索したが、まったくなかった。

 そこで次は「アラバスター」の一語でサーチした。すると、シェイクスピア劇にも聖書にも、たくさん登場していた。

『リチャード三世』では、殺される美しい王子たちの腕は「アラバスターのように白く」、『オセロー』で殺されていく貞淑なオセローの妻の肌も「アラバスターのようになめらかで白い」と書かれている。ということは、アラバスターとは、悲劇的な美の象徴なのであろう。

 モンゴメリも、アラバスターを、悲劇的な意味あいで物語にもりこんでいる。『アン』第二十六章に出てくる「アラバスターのような額をした」美少女ジェラルディン・シーモアは、急流で溺れ死ぬ。第二章でも、生涯の悲しみを抱いた少女が「アラバスターのような額」をしていると描かれている。

 聖書の全文を日本語と英語で収録した電子ブック『聖書』を検索したところ、アラバスターは、旧約聖書にも、たくさん登場していた。

 旧約聖書には、香料、香油、鉱石、宝石、貴金属がきらびやかに登場するが、検索でヒットした部分を読むと、香油や香料といった当時の貴重品を入れる壷は、すべてアラバスターでできていた。そこからアラバスターというと、なんとなしに、高貴なイメージも浮かんでくる。

 

 ここまでの引用は、各種の引用句事典、そしてCD-ROM版シェイクスピア全集などのデジタルデータで探して調べたものだ。以上を、一九九三年発行の拙訳単行本『アン』にて、訳者による注釈として入れた。『アン』翻訳としては、日本で初めて、詳細な注釈をつけたものだ。

 私がイメージした本は、『注釈付き「不思議の国のアリス」』だった。『アリス』もまた、『アン』と同様、パロディや掛詞かけことばが、たくさん文中に紛れこんでいるため、イギリスでは、マーチン・ガードナーの編集で『注釈付き「不思議の国のアリス」』が発刊され、注として、文中の引用や掛詞の説明がついている(高山宏氏によって邦訳されている)。

 同じように『アン』も引用が多いのだから、詳細な訳註が必要であると考えて、注釈を付けた『赤毛のアン』を、一九九三年に出したのだ。

 後になってからわかったが、私が訳していた頃、カナダではすでに、引用研究をしている学者がいた。リア・ウィルムズハースト氏(一九四一~九六)だ。彼女の引用リストが、拙訳発行後の九六年に手に入った。カナダのトロント公共図書館に勤務する梶原由佳氏がご提供して下さったのだ。すばらしいリストなので、本書の第四章「イギリス文学」以下でご説明したい。しかし、ウィルムズハースト氏は、シェイクスピア劇については、私が見つけた以外の新たな引用元は見つけていなかった。

 さらに九七年には、ついに『アン』の本国カナダでも、『注釈付き「赤毛のアン」』(The Annotated Anne of Green Gables)が発行になった(邦訳は『完全版・赤毛のアン』山本史郎訳、原書房、一九九九)。たまたま発刊直後の九七年秋にカナダに行ったので、現地で買った。そこには、さらなる引用出典が書かれていた。これは、アメリカとカナダの文学研究者が編集し、すばらしい注釈がついてる。

 以下の(8)と(9)は、『注釈付き「アン」』に出ていたシェイクスピア劇からの引用をご紹介しよう。さらにワクワクするような引用が、まだ『アン』には隠されていたのだ。

 

(8)「目に見えない風」 『尺には尺を』より

 

 美しいもの愛するアンは、マリラが持っていた紫水晶アメジストのブローチに、うっとりして見とれる。「紫水晶って、優しいすみれの花の魂のようね」なんて可愛いことを言うのである。マリラにとっては、亡くなった母親の形見で、大切なものだ。しかしそのブローチが、紛失してしまう。

 マリラが問いただすと、アンは、マリラの留守中にさわったと答える。でも、取っていないと言いはる。しかしマリラは、アンがなくしてしまったと考え、「自分が取ったと正直に言うまで、二階の部屋から出しません」とアンに言いわたす。かくしてアンは、二階の自分の部屋に閉じこめられた。食事も二階で取ることになった。

 だがしかし、翌日は、アンが楽しみにしていたピクニックの日。マリラは、「正直に言うまでは、ピクニックだろうと、どこだろうと、行かせない」と厳しい。そして夜が明け、ピクニックの朝がきた。

 

 まるでピクニックのためにわざわざあつらえたかのように、晴れわたった好天気となった。グリーン・ゲイブルズのまわりでは小鳥たちがさえずり、庭の白百合マドンナ・リリーはぷんと甘く香った。その芳香は目に見えない風にのって戸と窓から家中に流れこみ、神の祝福の精のように、玄関ホールや室内を漂った。  (第十四章「アンの告白」)

 

 この「目に見えない風(viewless winds)」は、シェイクスピア劇『尺には尺を』の第三幕第一場の一二四行に出てくると、『注釈付き「アン」』にあった。

 まさか「目に見えない風」というわずか二語が引用だとは思わず、デジタル検索をしなかったので、この情報には興奮した。

『注釈付き「アン」』は、引用出典の作品名を示しているのみで、それ以外の説明は書いてないので、引用の意味はわからない。モンゴメリはなぜこの二語をここに使ったのであろうか。そこでまた調査を始めた。

 まず最初に、この言葉が、本当にシェイクスピア劇にあるかどうか、原典にあたった。

 といっても、この時点では一九九七年だったので、かつてのようにCD-ROM版全集は使わない。私は一九九五年から、インターネットを始めたのだ。理由は、インターネット上で、著作権が切れた古い文学作品がデジタル化され公開されるようになったので、それを対象にして引用を探すためだ。

 シェイクスピア劇も、全作品が英文で公開されている。たとえばこの二つをよく使う。

「The Oxford Shakespeare」http://www.bartleby.com/70/

「The Complete Works of William Shakespeare」http://tech-two.mit.edu/Shakespeare/

 九二年には、秋葉原で一万円したシェイクスピア全集が、今や無料で閲覧できる。すばらしい進展だ。

 このシェイクスピア全集にアクセスして、『尺には尺を』の本文をひらく。そして、第三幕第一場を読む。

 このシーンは、「監獄の一室」と名づけられている。ということは、部屋という監獄に閉じこめられているアンと同じではないかと、期待にドキドキしながら文章を探していくと、たしかに次の一文があった。

 

  To be imprison’d in the viewless winds,

 

 日本語にすると、「目に見えない風にとらわれて」となる。「目に見えない風」が、『アン』と同じだ。しかし短い言葉なので、たまたま偶然に一致した可能性もある。文脈が一致していなければ、引用とは言えない。

 そこで、『尺には尺を』(小田島雄志訳)を最初から読んでみた。『尺には尺を』で「目に見えない風」を語る人物の状況、その場面の意味を、『アン』でのそれと比較した結果、モンゴメリは意図的に引用したと、確信した。

『尺には尺を』で、「目に見えない風にとらわれて」と話すのは、クローディオという男だ。彼は、婚約者のジュリエットを妊娠させた、という罪にもならないような馬鹿らしい罪で、監獄に閉じこめられ、翌日に処刑されようとしている。

 面会にきた妹のイザベラにむかって、死ぬのが怖いと、死後の世界の恐ろしさを長々と語る。これが「監獄の一室」という場面である。クローディオは、死んだ後は「目に見えない風にとらわれて、止むことのない荒々しい力でふき飛ばされる」(筆者訳)と言う。

 そして『尺には尺を』の結末は、どうなるか。筋書きが込み入っているので、クローディオにしぼっていうと、彼は晴れて監獄から出て、恋人のジュリエットと結婚する。めでたしめでたし、となる。

『アン』とよく似ている。というのは、アンもまた、盗んでもいないブローチをとったという無実の罪、つまり濡れ衣をきせられて、部屋という監獄に閉じこめられている。さらに翌日は、生まれて初めてのピクニックなのに行かせてもらえない、という重罰が待っているのだ。しかしアンの罪は消える。ブローチは、マリラのショールに引っかかっていたことが判明して、盗みの疑いは晴れ、ピクニックに出かけ、愉快きわまりないひとときをすごすのだ。

 クローディオもアンも、罪ではない罪で閉じこめられ、翌日に罰が下される予定だか、ラストには罪が晴れる、という状況が一致している。よって引用だと判断した。

 この引用は、囚人のクローディオとアンが一致するだけでなく、閉じこめる側の事情も、共通する。

『尺には尺を』で、クローディオを監獄に入れるのは、公爵の代理人アンジェロという男だ。アンジェロは、クローディオの妹イザベラが「兄を釈放してほしい」と頼みにくると、「お前の肉体とひきかえに、兄さんを監獄から出してやろう」ともちかける。つまり、監獄に入っているクローディオと同じ、姦淫の罪をおかそうとする。ここでは、囚人も閉じこめる側も、同罪なのだ。

 一方、『アン』でも、アンを部屋に閉じこめているマリラに罪がないわけではない。物語を読んだ人はおわかりの通り、ブローチが紛失したのはアンが取ったのではなく、マリラの不注意だ。にもかかわらずマリラは、アンが盗んでなくしたと信じて閉じこめている。マリラもまた同罪なのだ。読めば読むほど状況が一致している。

「目に見えない風」という、わずか二つの単語にも、出典元のシェイクスピア劇と見事にだぶらせて、伏線をはっているモンゴメリの技に、脱帽した。

 こうした細かな一致を探し出した『注釈付き「アン」』の三人の編者に、私は、深い共感と親近感をいだいた。私にとって彼女らは面識のないカナダ人とアメリカ人だが、私と同じように、コンピュータ検索をくりかえし、なかなかヒットしない徒労感と闘いながら、引用を一つ一つ探していったに違いないからだ。孤独な検索作業の仲間を遠くはなれた北米に見つけた喜びと、同志のような深い親しみをおぼえた。

 

(9)「ひときわ輝かしい花形スター」

              『終わりよければすべてよし』より

 

 本章の(2)で、学芸会が終わってがっくりしたアンの心情吐露は、ハムレットの厭世と絶望の台詞が使われていることを書いた。

『注釈付き「アン」』によると、学芸会の場面には、もう一つ、シェイクスピア劇の言葉が使われていた。

 

 演芸会は夕方から行われ、大成功だった。小さな公会堂いっぱいに客が入り、出演した子どもたちはみなすばらしいできえだった。中でもアンは、ひときわ輝かしい花形スターだった。ねたみやのジョージー・パイですら、認めざるをえなかった。 (第二十五章「マシュー、パフスリーブにこだわる」)

 

 アンは「ひときわ輝かしい花形スター」だった、は、英語では、Anne was the briht particular star. だ。直訳すると、「アンは特別に輝かしい星だった。」となるが、演芸会なので、「ひときわアンは輝かしい花形スターだった」と訳した。

『注釈付き「アン」』によると、シェイクスピア劇『終わりよければすべてよし』の第一幕第一場の九十七行目にあるという。

 シェイクスピア劇にあるかどうか、またインターネットで探した。『終わりよければすべてよし』のデータを対象にして、星「star」で検索をかける。すると確かに、あった。

 

  …………Twere all one

  That I should love a bright particular star

  And think to wed it, he is so above me:

 

 ただし、これも語句が一致するだけでは、引用と言えない。また小田島先生の日本語訳で最初から読んで、文脈が一致するかどうか考えてみた。

『終わり良ければすべてよし』は、医者の娘で親を亡くしたヘレナが、王の難病を治すことによって、身分ちがいの恋を成就させて、伯爵家の息子バートラムと結婚する、というハッピーエンドの喜劇だ。

「花形スター」の一節は、ヒロインのヘレナが、伯爵の息子バートラムへの叶わぬ恋心をせつなく語る台詞だった。先にあげた英文三行を訳すと、

 

「私があの方を愛するのは、ひとえに、

ひときわ輝く星に恋して、

結婚したいと思うようなもの。あの方は、それほどはるか高いところにいらっしゃる」                                              (筆者訳)

 

 はるかに身分が高い男性を愛した女の、叶わぬ思いの苦しさを語っている。

 これだけでは、まだ引用かどうか判断がつかない。そこで、研究社の引用句事典(英語版)と英和辞典『リーダーズ+プラス』を調べ直した。

 すると「ひときわ輝く星」とは、「賞賛または敬愛を一身に集める人物」という意味で、もとはシェイクスピア劇の言葉だが、今やイディオムとしても使われている、とあった。ということは、モンゴメリはシェイクスピア劇から引用したと『注釈付き「アン」』には書いてあるが、単にイディオム(熟語)として使った可能性もある。

 いずれにしても、この用法は、『アン』の描写にドンピシャリだ。学芸会で華々しい活躍をしたアンは、まさに聴衆とほかの生徒たちの「賞賛と敬愛を集める人物」だったのだ。

 この戯曲『終わり良ければすべてよし』を読んでいると、登場人物たちの名前にも、ドキドキした。

 なぜなら主人公のヘレナは、アンと同じ孤児の娘だ。おまけにヘレナという名はアンから派生した名前なのだ。さらにヘレナの親友は、ダイアナ(!)なのだ。ご存じのようにアンの親友もダイアである。シェイクスピア劇でのダイアナは、『アン』でのダイアナと同様、ヘレナ(アン)を励まし助ける良家のお嬢さまだ。また、ヘレナが結婚するバートラムの名は、アンが第二十六章で創作する物語で出てくる。ヒロインのジェラルディンが恋する相手が、貴族の息子バートラムなのだ。ちなみに『アン』では、ジェラルディンとは、アンが自分で名づけた別名でもあり、イギリスの詩人サリー伯(一五一七?~四七)の恋愛詩『ジェラルディン』にうたわれた女性にちなんでいる(本書第二章参照)。

 そうしてみると、モンゴメリは単にイディオムとして「輝かしい花形スター」を使ったのではなく、やはり『終わりよければすべてよし』を念頭に置いたのだろう。

 

 以上、『アン』に、シェイクスピア劇は、少なくとも九か所、引用されているようだ。

 こうした引用を知らなくても、『アン』は本当に面白く読める。しかし『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』の物語が織り込まれていることを知ってから読むと、さらに知的な愉しみが味わえるだろう。物語の深いところに、十六世紀から十七世紀イギリスのシェイクスピア劇の世界が、厚みのある地層となって広がり、『アン』という土壌に、豊かさと深まりを与えていることに気づくからだ。

 シェイクスピア劇の一節を使う英米作家は少なくないが、モンゴメリの用例は、単にシェイクスピアと同じ美的な言葉を使うだけにとどまらない。引用元となった戯曲をきちんと読んでみると、元にある芝居の筋書き、文脈にそって『アン』にとりいれ、伏線をはるという引用技法であり、凝った工夫がなされている。

 つまり『アン』は、モンゴメリが書いた文章という表層だけでなく、その下にシェイクスピア劇という地層が横たわり、重層的な構造になっているのだ。私は可愛い物語は好きだが、そうした少女向けのストーリーだと思って訳し始めた『アン』への理解も、モンゴメリに対するイメージも、シェイクスピア劇の引用が次々と現れるたびに、大きくくつがえされ、身のひきしまる気持ちになった。ただならぬ小説と作者に向き合うことになったと身震いしたものだ。

 その頃は『アン』の翻訳を始めたばかりで、まだ出典探しに慣れなかった私だが、シェイクスピア劇の引用は、比較的容易に探すことができた。

 理由は、この章に書いたように、シェイクスピアの一節はほかの作家がよく取りあげるため、引用句事典に大概、載っていること。もう一つは、文学作品がさほどデジタル化されていなかった一九九二年頃でも、シェイクスピア劇はすでにデジタル化したCD-ROM商品があったため、精度の高い電子検索ができたからだ。

 この感動から、私は、英米の詩の引用調査にも踏みだしていく。しかし、英米詩のデジタルデータが極端に乏しかった一九九○年代前半当時、その道のりは、予想外に険しく、英米の図書館に何度も出かけさらに八年の歳月を費すことになる。