謀反
六甲の山脈の端が
真冬の太陽をすっかり呑み込むと
街は
休息の時間に入った
治療器の音が消え
闇が 傷痕を覆ってしまうと
神経が 光の粒となって
機能の回復を誇示し始める
だが……
切断された大動脈に
血液の流れはなく
応急処置されたバイパスに
ヘモグロビンが犇いているだけ
あの日
大自然は
神の目を盗んで
謀反をおこした
いや
謀反人は
恵まれた自然を破壊して
都市を築きあげた
わたしたちではなかったのか
柘榴
「信じよう」とする心の動きは
「疑い」から生まれる
たったひとつ掛けまちがえた
ボタンのずれの隙間から
容赦なく風が吹き込む
影が方向を変えて伸びる
時間が止まった陽だまり
丸く納められた過去から
真実がはじけて
嘘が無数にこぼれ落ちる
糸車
不確かな感情に
戸惑いを重ねた季節が終わる
安定した不自由よりも
不安定な中の自由を選択した日
心は融合するものと錯覚していた
あれから
時に幾度も染め変えられて
絡み合い
縺れたまま動かない
疲れたふた色の塊
潔く去って行った夏の後ろ姿に
稲妻が突き刺さった夕暮れ
雷鳴と共に糸車が廻りだし
ふたつの心を紡ぎ始めた
そして
激しい雨が
黄ばんだ過去を漂白して行った
家族
姉妹の猫の 姉の方が子猫を産んだ
「眼が開いたら 子猫たちは捨てるんだぞ」
父親は 毎朝同じ不機嫌さで そう娘たちに応えて出勤し
て行った
晴れた日を選んで 娘たちは 母猫とおばさん猫と子猫た
ちをダンボール箱に入れ 鬼怒川を渡り 国道四号を越え
産業道路を横断し 線路を横切って 小さな町の公園の木
の陰に運んだ
母猫とおばさん猫が 子猫たちをかばって生き延びてくれ
るようにと願って ひと晩かけて出した結論だった
次の日から 「行ってらしゃい」の声は母親だけのものと
なり 父親は黙ったまま出勤して行った
一ヶ月余りが過ぎた雨の夜
「ミャー」
顔を見合わせた娘たちは外へとび出した びしょ濡れの母
猫がうす暗い玄関灯の下にいた
植え込みの根元から一匹 二匹 三匹 …… 七つの影
が続いた そして最後に おばさん猫が顔を出した
<母親が幼い次女を車の中に放置したまま パチンコに
夢中になっていた間の事故とみられる>
家の中の騒ぎをよそに 父親はテレビニュースの画面を視
たまま ひとり 深くため息をついている
五月の風に
今日いちにちだけのことしか
考えられない性分が
義母の病を請け負って
一八〇〇日あまりが過ぎた
そして また
先のことを予測できない浅はかさで
両親の余生をひき受けてしまった
ひとり息子の未来に
もう 引き算しかない私の時間を
加えるわけにはいかない
ガラス越しに
色あせかけたつつじの花と
同じ紅のさつきの蕾がゆれている
義兄たちの家の庭にも
弟の住む街にも
期待に違わず 季節は訪れ
花々が咲いているにちがいない
窓を開けると
目にしみ込んでくるプラチナの風
やがては
鉛の渦になるかもしれないが
今日いちにちだけ
輝いて吹いてくれればいい
栞
歳月という薬が効いて
完治していたはずの
心の傷
文庫本のページの隙間から
舞散った桔梗の押し花に
疼く
記憶回路のシナプスがつながり
脳のディスプレイに映る
未整理のまま残された過去
夏に疲れた言葉が
無造作に時間と戯れていたとき
秋をいっぱい含んだ花が
突然音をたてて開いた
あの日の午後
風景は色彩を失くした
今はもう 景色を描き替える絵筆も
失った季節を取り戻す若さもない
心のほころびを繕う光を
眼鏡のレンズが集めている
瑞々しい紫色をした栞を拾って
本にはさんだ指先に
乾いた音が伝わってくる
爪
明日になるまでの時間をもてあますと
なぜか
爪を切りたくなる
光った音が闇に突き刺さり
そこから
鈍い痛みを伴った
伯母の思い出がにじみでてくる
夜 爪を切ってはいけない
と 教えられたことを
親が亡くなってからも
ずっと忠実に守り続け
熱病に患るまえの記憶だけで
与えられた時間を
せいいっぱい生きぬいた人
美しさも 醜さも
歓びも 哀しみも
他の誰よりも純粋にうけとめ
欲もなく 恋もしらず
疑うことなど更にしらず
「あきみちゃん
夜さり爪んた切ったら
あかんよ」
信じることしか知らない目は
いつも優しかった
わたしは
そんな彼女に
十分優しかっただろうか
悔恨の想いを封じるように
息をとめ
薄桃色のマニキュアで
切ったばかりの爪を染めている