カズオ イシグロの2017年度ノーベル文学賞受賞は、世界の平和と核ミサイル実験反対を願う者にとって心を癒されるニュースであった。なぜノーベル賞が創設されたかの理由を知るからこそ共感できる。
イシグロのノーベル文学賞受賞に親しみを感じられるのは、彼が6歳の時に両親と共に長崎をはなれて英国に移住し、帰化してイギリス人として作家活動を続ける国際人であるからだ。受賞対象となる小説は『忘れられた巨人』(The Buried Giant 2015)であるが、イシグロの他の小説2作、『日の名残り』(The Remains of the Day 1989)と、『わたしを離さないで』(Never Let Me Go 2005)は同名で見事に映画化されたので、推奨映画として私が関わる「映画と文化データベース」(Movie and Culture Database URL: home.a03.itscom.net/mtart/index.html)に収めてある。このようなこともあって、私は原作の小説に深く興味がある。
ノーベル文学賞受賞者は日本人では、すでに川端康成と大江健三郎がいる。2人とも日本ペンクラブ会員で、大江健三郎は現在も名誉会員である。日本ペンクラブ(The Japan P.E.N. Club 以下ではJ.P.E.N.)と長くかかわったのは、川端康成(1899-1972)で、志賀直哉の後を引き継いで、17年間、J.P.E.N.の会長を務めた。1948年(昭和23)に第4代会長になると、第2次世界大戦で中断していたJ.P.E.N.を、国際ペンクラブ(本部はロンドン)に復帰させ、日本に国際ペン大会を最初に招聘した人物となる。国際的信念は強く、その国際文化活動は、日本が戦争の廃墟から立ち直る過程で大きな文化再生を果たした。
日本初の第29回国際ペン東京大会のテーマ:「東西文学の相互影響」が、1957年(昭和32)に東京と京都で開催された。会長の川端は「政治の対立は平和をも対立させるかと憂えられる。われわれ(日本ペンクラブ)が西と東との相互の理解と批評との未来の橋となり得るならば、幸いこれに過ぎるものはない。」と挨拶した。翌年、川端は国際ペン副会長に選出される。1960年(昭和35)の第31回国際ペン・サンパウロ大会のテーマ:「東西文学の相互評価、国民文学と世界文学」に、ゲスト・オブ・オーナーとして出席する。
その10年後の1968年(昭和43)に、川端康成は日本人として史上初めてノーベル文学賞を受賞する。しかしその当時、受賞対象の作品名は発表されなかった。その理由は、あえて文学賞を設置した、アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833.10.21-1896.12.10)の遺言書に、50年間非公開にすると記されていたことによる。共同通信の要請に応じて、ようやく2016年に、川端康成の受賞理由が公開された。スウェーデンアカデミーは、「受賞対象は『古都』(The Old Capital)」で、「小説『古都』は傑作と呼ぶにふさわしい、感情あふれる丁寧で優雅な文体、洗練された芸術的なニュアンスを絶賛した。」と公示した。(2017.1.4 日本経済新聞)
小説『古都』ときけば、3回映画化された。最初の1963年版では、川端康成が撮影現場で監修したので原作どおりだが、ちなみに後の2回は監督独自の新しい視点による作品にリメイクされた。1963年版の映画『古都』は、第36回米・アカデミー賞外国映画賞にノミネートされ、映画史の記録に残る名作である(「映画と文化データベース」)。 双子姉妹を演じる岩下志麻主演の、映画『古都』によって、川端康成の小説『古都』の理解はことさらに深まる。前述したカズオ イシグロの映画化された2作品についても、映像(image)は言語(language)を超えると言える。
世界中の人々がインターネットを歓迎して、自由に利用する、情報化時代に向き合う現代において、あらためて文学とは何かを問いかける‘鍵’が差し出されているのを実感する。