18歳から京都大学人文科学研究所の多田道太郎研究室に出入りしていた。「民俗学」が農村漁村の習俗を対象とするなら、「風俗学」は都市部の変化する日常をテーマに現代風俗研究会(現風研)が設立され、多田研究室が事務局だった。教授らは人々の風俗からテーマを見つけようと私が持つカバンや服装、言葉遣いまで興味深く観察された。多田研では大学時代6年間、私設秘書としてバイトした。電話番、スケジュール記入、原稿を清書する。パソコンどころかワープロもない時代、すべて手書き。先生の達筆な連載原稿を読みやすくしてFAXする。中には鶴見俊輔先生の原稿も清書した。ミミズが這ったような原稿は編集者でも読み取るのが大変だった。
学位論文のテーマを相談したら、鶴見先生はお好み焼推し、多田先生はたこやき推し。結局私はたこやきを選び、初の著書『たこやき』の解説を鶴見先生、講談社文庫になったときは多田先生にお願いした。難しい本が嫌いで資料しか読まず、聞き書きに徹したことを「彼女のたこやき論は(中略)シミュラークル論と同じ線を独自に描いていたんですが」(多田道太郎)、「たこやきをたのしむ気分は、欧米列強にならぶ強大な国家をつくろうとした明治の日本人の気概からほど遠い。(中略)平成の真実はたこやきの中にあり。」(鶴見俊輔)
日本コナモン協会は食文化継承を目的とするため無謀と言われたが、現風研をイメージしながら何とか20年以上継続できた。2017年文化芸術基本法に食文化が明記され国の環境が整うなか、文化庁とともに鉄板会議など各地の庶民の食文化掘り起こしも進む。そして先生方も会員だったペンクラブに入会、佐久間委員長の電子文藝館の会議に参加させて頂きながら、43年前参加した桑原武夫先生の文章教室の第一声を思い出す。
「皆さん、文章を書くときは、迷惑をかけない文章を心掛けな、あきまへん」。