幻談

 う暑くなつては皆さん方があるひは高い山に行かれたり、或は涼しい海辺に行かれたりしまして、さうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送らうとなさるのも御尤ごもつともです。が、もう老い朽ちてしまへば山へも行かれず、海へも出られないでゐますが、その代り小庭こにはの朝露、縁側の夕風ぐらゐに満足して、無難に平和な日を過して行けるといふもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極くいゝことであります、深山しんざんに入り、高山、嶮山けんざんなんぞへ登るといふことになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代り又危険も生じます訳で、怖しい話が伝へられてをります。海もまた同じことです。今お話し致さうといふのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます。

 

 それは、西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットといふ処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まつて以来最初に征服致しませうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折つて、さうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス登攀記とうはんきの著者のウィンパー一行でありました。その一行八人がアルプスのマッターホルンを初めて征服したので、それから段々とアルプスも開けたやうな訳です。

 それは皆様がマッターホルンの征服の紀行によつて御承知の通りでありますから、今私が申さなくてもつと御合点ごがてんのことですが、さてその時に、その前から他の一行即ち伊太利イタリーのカレルといふ人の一群がやはりそこを征服しようとして、両者は自然と競争の形になつてゐたのであります。しかしカレルの方は不幸にして道の取り方が違つてゐた為に、ウィンパーの一行には負けてしまつたのであります。ウィンパーの一行は登る時には、クロス、それから次に年を取つた方のぺーテル、それからそのせがれが二人、それからフランシス・ダグラスきやうといふこれは身分のある人です。それからハドウ、それからハドス、それからウィンパーといふのが一番しまひで、つまり八人がその順序で登りました。

 十四日の一時四十分に到頭たうたうさしもの恐しいマッターホルンの頂上、天にもとゞくやうな頂上へ登り得ておほいに喜んで、それから下山にかゝりました。下山にかゝる時には、一番先ヘクロス、その次がハドウ、それからフランシス・ダグラス卿、それから年を取つたところのペーテル、一番終ひがウィンパー、それで段々降りて来たのでありますが、それだけの前古未曾有ぜんこみぞうの大成功を収め得た八人は、上りにくらべては猶一倍おそろしい氷雪ひようせつの危険の路を用心深く辿りましたのです。ところが、第二番目のハドウ、それは少し山の経験が足りなかつたせゐもありませうし、又疲労したせゐもありましたらうし、イヤ、むしろ運命のせゐと申したいことで、誤つて滑つて、一番先にゐたクロスヘぶつかりました。さうすると、雪や氷のおほつてゐる足がゝりもないやうな嶮峻けんしゆんの処で、さういふことが起つたので、忽ちクロスは身をさらはれ、二人は一つになつて落ちて行きました訳。あらかじめロープをもつて銘々の身をつないで、一人が落ちても他が踏止まり、そして個々の危険を救ふやうにしてあつたのでありますけれども、何せ絶壁の処で落ちかゝつたのですから堪りません、二人に負けて第三番目も落ちて行く。それからフランシス・ダグラス卿は四番目にゐたのですが、三人の下へ落ちて行く勢で、この人も下へ連れて行かれました。ダグラス卿とあと四人との間でロープはピンと張られました。四人はウンと踏堪ふみこらへました。落ちる四人と堪へる四人との間で、ロープは力足らずしてプツリと切れて終ひました。丁度ちやうど午後三時のことでありましたが、前の四人は四千尺ばかりの氷雪の処をさかおとしに落下したのです。あとの人は其処そこへ残つたけれども、見る見る自分達の一行の半分は逆落さかおとしになつて深い深い谷底へ落ちて行くのを目にした其心持はどんなでしたらう。それで上に残つた者は狂人の如く興奮し、死人の如く絶望し、手足も動かせぬやうになつたけれども、さてあるべきではありませぬから、自分達も今度は滑つて死ぬばかりか、不測ふそくの運命にのぞんでゐる身と思ひながら段々下りてまゐりまして、さうして漸く午後の六時頃に幾何いくらか危険の少いところまで下りて来ました。

 下りては来ましたが、つい先刻さつきまで一緒にゐた人々がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらはれてしまつたと思ふと、不思議な心理状態になつてゐたに相違ありません。で、我々はさういふ場合へ行つたことがなくて、たゞ話のみを聞いただけでは、それらの人の心のうちがどんなものであつたらうかといふことは、先づ殆ど想像出来ぬのでありまするが、そのウィンパーの記したものによりますると、その時夕方六時頃です、ぺーテル一族の者は山登りに馴れてゐる人ですが、その一人がふと見るといふと、リスカンといふ方に、ぼうつとしたアーチのやうなものが見えましたので、はてナと目を留めてをりますると、ほかの者もその見てゐる方を見ました。するとやがてそのアーチの処へ西洋諸国の人にとつては東洋の我々が思ふのとは違つた感情を持つところの十字架の形が、それも小さいのではない、大きな十字架の形が二つ、ありあり空中に見えました。それで皆もなにかこの世の感じでない感じを以てそれを見ました、と記してありまする。それが一人見たのではありませぬ、残つてゐた人にみな見えたと申すのです。十字架は我々の五輪ごりんの塔同様なものです。それは時に山の気象を以て何かの形が見えることもあるものでありますが、かく今のさきまで生きて居つた一行の者が亡くなつて、さうしてそのあとへ持つて来て四人が皆さういふ十字架を見た、それも一人二人に見えたのでなく、四人に見えたのでした。山にはよく自分の身体からだの影が光線の投げられる状態によつて、向う側へ現はれることがありまする。四人のうちにはさういふ幻影かと思つた者もあつたでせう、そこで自分達が手を動かしたり身体からだを動かして見たところが、それには何等なんらの関係がなかつたと申します。

 これで此話はお終ひに致します。古い経文きやうもんの言葉に、心はたくみなる画師ゑしの如し、とございます、何となくおもひうかめらるゝ言葉ではござりませぬか。

 

 さてお話し致しますのは、自分が魚釣うをつりを楽んで居りました頃、或先輩からうけたまはりました御話です。徳川期もまだひどく末にならない時分の事でございます。江戸は本所ほんじよの方に住んで居られました人で——本所といふ処は余り位置の高くない武士どもが多くゐた処で、よく本所の小ツ旗本こツぱたもとなどと江戸のことわざで申した位で、千ごくとまではならないやうな何百石といふやうな小さな身分の人達が住んで居りました。これもやはりさういふ身分の人で、物事がよく出来るので以て、一時はやくづいて居りました。役づいてをりますれば、つまり出世の道も開けて、よろしい訳でしたが、どうも世の中といふものはむづかしいもので、その人が良いから出世するといふ風には決つてゐないもので、かへつてほかの者のそねみや憎みをも受けまして、さうして役を取上げられまする、さうすると大概小普請こぶしんといふのに入る。出るくひが打たれて済んで御小普請おこぶしん、などと申しまして、小普請りといふのは、つまり非役ひやくになつたといふほどの意味になります。この人も良い人であつたけれども小普請入になつて、小普請になつてみればひまなものですから、御用は殆ど無いので、釣を楽みにしてをりました。別に活計くらしに困る訳ぢやなし、おごりも致さず、偏屈へんくつでもなく、ものはよく分る、男もし、誰が目にも良い人。さういふ人でしたから、他の人に面倒な関係なんかを及ぼさない釣をたのしんでゐたのはく結構な御話でした。

 そこでこの人、暇具合ひまぐあひさへ良ければ釣に出て居りました。神田川の方に船宿があつて、日取り即ち約束の日には船頭が本所側の方に舟を持つて来てゐるから、其処そこからその舟に乗つて、さうして釣に出て行く。帰る時も舟からじきに本所側にあがつて、自分の屋敷へ行く、まことに都合好くなつてをりました。そしてしほの好い時には毎日のやうにケイヅを釣つてをりました。ケイヅと申しますと、私が江戸訛えどなまりを言ふものとお思ひになる方もありませうが、今は皆様がカイヅカイヅとおつしやいますが、カイヅは訛りで、ケイヅが本当です。系図けいづを言へば鯛のうち、といふので、系図鯛けいづだひを略してケイヅといふ黒い鯛で、あの恵比寿様ゑびすさまが抱いて居らつしやるものです。イヤ、斯様かやうに申しますと、ゑびす様の抱いてゐらつしやるのは赤い鯛ではないか、変なことばかり言ふ人だと、また叱られますか知れませんが、これは野必大やひつだいと申す博物はくぶつの先生が申されたことです。第一ゑびす様が持つて居られるやうなあゝいふ竿では赤い鯛は釣りませぬものです。黒鯛ならあゝいふ竿で丁度釣れますのです。釣竿のだんになりますので、よけいなことですが一寸申し添へます。

 或日のこと、この人が例の如く舟に乗つて出ました。船頭のきちといふのはもう五十過ぎて、船頭の年寄なぞといふものは客が喜ばないもんでありますが、この人は何もさうあせつて魚を無暗むやみらといふのではなし、吉といふのは年は取つてゐるけれども、まだそれでもそんなにぼけてゐるほど年を取つてゐるのぢやなし、ものはいろいろよく知つてゐるし、此人は吉を好い船頭として始終使つてゐたのです。釣船頭といふものは魚釣の指南番しなんばんか案内人のやうに思ふ方もあるかも知れませぬけれども、元来さういふものぢやないので、たゞ魚釣をして遊ぶ人の相手になるまでで、つまり客をあつかふものなんですから、長く船頭をしてゐた者なんぞといふものはよく人を呑込み、さうして人が愉快ゆくわいと思ふこと、不愉快と思ふことを呑込んで、愉快と思ふやうに時間を送らせることが出来れば、それが好い船頭です。網船頭あみせんどうなぞといふものはなほのことさうです。網は御客自身打つ人もあるけれども先づは網打が打つて魚をるのです。といつて魚を獲つて活計くらしを立てる漁師れふしとはちがふ。客に魚を与へることを多くするより、客に網漁あみれふに出たといふ興味を与へるのがしゆです。ですから網打だの釣船頭だのといふものは、洒落しやれが分らないやうな者ぢやそれになつてゐない。遊客も藝者の顔を見れば三絃しやみき歌を唄はせ、おしやくには扇子せんすを取つて立つて舞はせる、むやみに多く歌舞を提供させるのが好いと思つてゐるやうな人は、まだまるで遊びを知らないのと同じく、魚にばかりこだはつてゐるのは、所謂いはゆる二才客にさいきやくです。といつて釣に出て釣らなくてもいといふ理屈はありませんが、アコギに船頭を使つて無理にでも魚を獲らうといふやうなところは通り越してゐる人ですから、老船頭の吉でも、却つてそれを好いとしてゐるのでした。

 ケイヅ釣といふのは釣の中でも又他の釣と様子が違ふ。なぜかと言ひますと、他の、例へばキス釣なんぞといふのは立込たちこみといつて水の中へ入つてゐたり、あるひ脚榻釣きやたつつりといつて高い脚榻を海の中へ立て、その上にあがつて釣るので、魚のお通りを待つてゐるのですから、これを悪く言ふ者は乞食釣こじきづりなんぞと言ふ位で、魚が通つてくれなければ仕様が無い、みじめなざまだからです。それから又ボラ釣なんぞといふものは、ボラといふ魚が余り上等の魚でない、群れ魚ですから獲れる時は重たくて仕方が無い、になはなくては持てない程獲れたりなんぞする上に、これを釣る時には舟のともの方へ出まして、さうして大きな長い板子いたごかぢなんぞを舟の小縁こべりから小縁へ渡して、それに腰を掛けて、風の吹きさらしにヤタいちの客よりわるいかつかうをして釣るのでありまするから、もう遊びではありません、本職の漁師みたいな姿になつてしまつて、まことに哀れなものであります。が、それは又それで丁度さういふ調子合てふしあひのことの好きな磊落らいらくな人が、ボラ釣は豪爽がうさうで好いなどと賞美する釣であります。が、話中わちゆうの人はそんな釣はしませぬ。ケイヅ釣りといふのはさういふのと違ひまして、その時分、江戸の前の魚はずつと大川へ奥深く入りましたものでありまして、永代橋えいたいばし新大橋より上流かみの方でも釣つたものです。それですから善女ぜんによ功徳くどくの為に地蔵尊の御影ごえいを刷つた小紙片せうしへんを両国橋の上からハラハラと流す、それがケイヅの眼球めだまへかぶさるなどといふ今からは想像も出来ないやうな穿うがちさへありました位です。

 で、川のケイヅ釣は川の深い処で釣る場合は手釣てづりを引いたもので、竿などを振廻して使はずとも済むやうな訳でした。長い釣綸つりいと篗輪わつかから出して、さうして二本指であたりを考へて釣る。疲れた時には舟の小縁こべりへ持つて行つてきりを立てゝ、 その錐の上にくぢらひげゑて、その鬚に持たせたまたいとをくひこませて休む。これを「いとかけ」と申しました。のちには進歩して、その鯨の鬚の上へ鈴なんぞ附けるやうになり、脈鈴みやくすゞと申すやうになりました。脈鈴は今も用ゐられてゐます。併し今では川の様子が全くちがひまして、大川の釣は全部なくなり、ケイヅの脈釣みやくづりなんぞといふものは何方どなたも御承知ないやうになりました。たゞしその時分でも脈釣ぢやさう釣れない。さうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の永代えいたいかみあたりで以て釣つてゐては興も尽きるわけですから、話中わちゆうの人は、川の脈釣でなく海の竿釣をたのしみました。竿釣にも色々ありまして、明治の末頃はハタキなんぞいふ釣もありました。これは舟の上に立つてゐて、御台場おだいばに打附ける波の荒れ狂うやうな処へはりはふつて入れて釣るのです。強い南風みなみに吹かれながら、乱石らんせきにあたる浪の白泡立しらあわだつ中へ竿を振つてえさを打込むのですから、釣れることは釣れても随分労働的の釣であります。そんな釣はその時分には無かつた、御台場も無かつたのである。それから又今は導流柵だうりうさくなんぞで流して釣る流し釣もありますが、これもなかなか草臥くたびれる釣であります。釣はどうも魚を獲らうとする三昧さんまいになりますと、上品でもなく、遊びも苦しくなるやうでございます。

 そんな釣は古い時分にはなくて、みようちだとか澪がらみで釣るのを澪釣みよづりと申しました。これは海の中におのづから水の流れる筋がありますから、その筋をたよつて舟をしおなりにちやんと止めまして、お客は将監しやうげん——つまり舟のかしらの方からの第一の――に向うを向いてしやんと坐つて、さうして釣竿を右と左とへ八の字のやうに振込んで、舟首みよし近く、甲板かつぱのさきの方にわたつてゐるかんこの右の方へ右の竿、左の方へ左の竿をもたせ、その竿尻を一寸ちよつと何とかした銘々の随意の趣向でちよいと軽く止めて置くのであります。さうして客は端然として竿先を見てゐるのです。船頭は客よりも後ろの次の間にゐまして、丁度お供のやうな形に、先づは少し右舷うげんによつてひかへて居ります。日がさす、雨がふる、いづれにも無論のこととまといふものをきます。それはおもての舟梁ふなばりと其次の舟梁とにあいてゐるあなに、「たてぢ」を立て、二のたてぢにむねを渡し、肘木ひぢきを左右にはね出させて、肘木と肘木とを木竿で連ねてとまを受けさせます。苫一枚といふのはおよそ畳一枚より少し大きいもの、贅沢にしますと尺長しやくながの苫は畳一枚のより余程長いのです。それを四枚、舟の表のの屋根のやうに葺くのでありますから、まことに具合好く、長四畳ながよでふへやの天井のやうに引いてしまへば、苫は十分に日も雨も防ぎますから、ちやんと座敷のやうになるので、それでその苫の下即ち表の間——釣舟は多く網舟と違つて表の間が深いのでありますから、まことに調子がよろしい。そこへ茣蓙ござなんぞ敷きまして、其上に敷物を置き、胡坐あぐらなんぞ掻かないで正しく坐つてゐるのがしきです。故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、藝道舞台上では指図さしづを仰いでも、勝手にしなせいと突放つつぱなして教へて呉れなかつたくせに、舟では染五郎の座りやうをとがめて、そんな馬鹿な坐りやうがあるかと厳しく叱つたといふことを、幸四郎さんから直接に聞きましたが、メナダ釣、ケイヅ釣、すゞき釣、下品でない釣はすべてそんなものです。

 それで魚が来ましても、又、鯛の類といふものは、まことにさういふ釣をする人々に具合の好く出来てゐるもので、鯛の二段引にだんびきと申しまして、たまには一度にガブッと食べて釣竿を持つて行くといふやうなこともありますけれども、それはむし稀有けうの例で、ケイヅは大抵は一度釣竿の先へあたりを見せて、それから一寸ちよつとして本当に食ふものでありまするから、竿先の動いた時に、来たナと心づきましたら、ゆつくりと手を竿尻にかけて、次のあたりを待つてゐる。次に魚がぎゆつと締める時に、右の竿なら右の手であはせて竿を起し、自分のすぐと後ろの方へそのまま持つて行くので、さうすると後ろに船頭が居ますから、これがたま(=たも網)をしやんと持つてゐましてすくひ取ります。大きくない魚を釣つても、そこが遊びですから竿をぐつと上げて廻して、後ろの船頭の方にる。船頭は魚を掬つて、はりはづして、舟の丁度真中の処に活間いけまがありますから魚を其処そこへ入れる。それから船頭が又えさをつける。「旦那、つきました」と言ふと、竿をまた元へ戻して狙つたところへ振込むといふ訳であります。ですから、客は上布じやうふの着物を着てゐても釣ることが出来ます訳で、まことに綺麗事きれいごとに殿様らしくつてゐられる釣です。そこで茶の好きな人は玉露など入れて、茶盆ちやぼんを傍に置いて茶を飲んでゐても、相手が二段引きの鯛ですから、慣れてくればしづかに茶碗を下に置いて、さうして釣つてゐられる。酒の好きな人は潮間しほまなどは酒を飲みながらも釣る。多く夏の釣でありますから、泡盛あわもりだとか、柳蔭やなぎかげなどといふものが喜ばれたもので、置水屋おきみづやほど大きいものではありませんが上下箱じやうげばこといふのに茶器酒器、食器もそなヘられ、一寸した下物さかな、そんなものも仕込まれてあるやうな訳です。万事がさういふ調子なのですから、真に遊びになります。しかも舟はじやうだなひのきで洗ひ立てゝありますれば、清潔此上無しです。しかも涼しい風のすいすい流れる海上に、片苫かたとまを切つた舟なんぞ、遠くから見ると余所目よそめから見ても如何いかにも涼しいものです。青い空の中へ浮上つたやうに広々と潮が張つてゐる其上に、風のつき抜ける日蔭のある一葉いちえふの舟が、天から落ちた大鳥の一枚の羽のやうにふわりとしてゐるのですから。

 それから又、澪釣みよつりでない釣もあるのです。それは澪で以てうまく食はなかつたりなんかした時に、魚といふものは必ず何かの蔭にゐるものですから、それを釣るのです。鳥は木により、さかなはかゝり、人はなさけの蔭による、なんぞといふ「よしこの」がありますが、かゝりといふのは水の中にもさもさしたものがあつて、其処に網を打つことも困難であり、釣鉤つりばりを入れることも困難なやうなひつかゝりがあるから、かゝりと申します。そのかゝりには兎角とかくに魚が寄るものであります。そのかゝりの前へ出掛けて行つて、さうしてかゝりとれ擦れに鉤を打込む、それがかゝり前の釣といひます。澪だの平場ひらばだので釣れない時にかゝり前に行くといふことは誰でもすること。又わざわざかゝりへ行きたがる人もある位。古い澪杙みよぐひ、ボッカ、われ舟、ヒビがらみ、シカケを失ふのを覚悟の前にして、大様おほやうにそれぞれの趣向で遊びます。いづれにしても大名釣だいみやうづりと云はれるだけに、ケイヅ釣は如何にも贅沢に行はれたものです。

 ところで釣の味はそれでいゝのですが、やはり釣は根が魚を獲るといふことにあるものですから、余り釣れないと遊びの世界も狭くなります。或日のこと、ちつとも釣れません。釣れないといふと未熟な客は兎角にぶつぶつ船頭に向つて愚痴をこぼすものですが、この人はさういふことを言ふ程あさはかではない人でしたから、釣れなくてもいつもの通りの機嫌でその日は帰つた。その翌日も日取りだつたから、翌日もその人は又吉公きちこうを連れて出た。ところが魚といふのは、それは魚だから居さへすれば餌があれば食ひさうなものだけれども、さうも行かないもので、時によると何かを嫌つて、例へば水を嫌ふとか風を嫌ふとか、或は何か不明な原因があつてそれを嫌ふといふと、居ても食はないことがあるもんです。仕方がない。二日ともさつぱり釣れない。そこで幾ら何でもちつとも釣れないので、吉公は弱りました。小潮こじほの時なら知らんこと、いゝ潮に出てゐるのに、二日ともちつとも釣れないといふのは、客はそれほどに思はないにしたところで、船頭に取つては面白くない。それも御客が、釣も出来てゐれば人間も出来てゐる人で、ブツリとも言はないでゐてくれるので却つて気がすくみます。どうも仕様がない。が、どうしても今日は土産を持たせて帰さうと思ふものですから、さあいろいろな潮行しほゆきと場処とを考へて、あれもやり、これもやつたけれども、何様どうしても釣れない。それが又釣れるべき筈の、月のない大潮おほしほの日。どうしても釣れないから、吉も到頭へたばつてしまつて、

「やあ旦那、どうも二日とも投げられちやつて申訳がございませんなア」と言ふ。客は笑つて、

「なアにお前、申訳がございませんなんて、そんな野暮やぼかたぎのことを言ふ筈の商売ぢやねえぢやねえか。ハヽヽ。いゝやな。もう帰るより仕方がねえ、そろそろ行かうぢやないか。」

「ヘイ、もう一ヶ処やつて見て、さうして帰りませう。」

「もう一ヶ処たつて、もうそろそろづみになつて来るぢやねえか。」

 真づみといふのは、朝のを朝まづみ、晩のを夕まづみと申します。段々と昼になつたり夜になつたりするりつめた時をいふのであつて、兎角とかくに魚は今までちつとも出て来なかつたのが、まづみになつて急に出て来たりなんかするものです。吉の腹の中では、まづみにてたいのですが、客はわざと其反対を云つたのでした。

「ケイヅ釣に来て、こんなにおそくなつて、お前、もう一ヶ処なんて、そんなぶいきなことを言ひ出して。もうよさうよ。」

「済みませんが旦那、もう一ヶ処ちよいと当てゝ。」

と、客と船頭と言ふことがあべこべになりまして、吉は自分の思ふ方へ船をやりました。

 吉は全敗に終らせたくない意地から、舟を今日までかゝつたことの無い場処へ持つて行つて、「かし」をきめるのに慎重な態度を取りながら、やがて、

「旦那、竿は一本にして、みよしの真正面へうまく振込んで下さい」と申しました。これはそのつぼ以外は、左右も前面も、恐ろしいカヽリであることを語つてゐるのです。客は合点して、「あいよ」とその言葉通りに実に巧く振込みましたが、心中では気乗薄きのりうすであつたことも争へませんでした。すると今手にしてみた竿を置くか置かぬかに、魚のあたりかごみの中りか分らぬ中り、——大魚に大ゴミのやうな中りがあり、大ゴミに大魚のやうな中りが有るもので、然様さういふ中りが見えますと同時に、二段引どころではない、糸はピンと張り、竿はズイと引かれて行きさうになりましたから、客は竿尻を取つて一寸ちよいと当てゝ、すぐに竿を立てにかゝりました。が、此方こつちの働きは少しも向うへは通じませんで、向うの力ばかりが没義道もぎどうに強うございました。竿は二本継にほんつぎの、普通の上物じやうものでしたが、継手つぎて元際もとぎはがミチリと小さな音がして、そして糸はへなくれてしまひました。魚が来てカカリへくはへ込んだのか、大芥おほごみが持つて行つたのか、もとより見ぬ物の正体は分りませんが、吉は又一つ此処で黒星がついて、しかも竿が駄目になつたのを見逃しはしませんで、一層心中は暗くなりました。此様かふいふことも無い例では有りませんが、あくまでもれた客で、「後追あとお小言こごと」などは何も言はずに吉の方を向いて、

「帰れつていふことだよ」と笑ひましたのは、一切の事を「もう帰れ」といふ自然の命令の意味合だと軽く流してしまつたのです。「ヘイ」といふよりほかは無い、吉は素直にカシを抜いて、漕ぎ出しながら、

「あつしの樗蒲一ちよぼいちがコケだつたんです」と自語的しごてきに言つて、チヨイと片手で自分のかしらを打つ真似をして笑つた。「ハヽヽ」「ハヽヽ」と軽いわらひで、双方とも役者が悪くないから味な幕切を見せたのでした。

 海には遊船いうせんはもとより、何の舟も見渡す限り見え無いやうになつて居ました。吉はぐいぐいと漕いで行く。余りおそくまでやつてゐたから、まづい潮になつて来た。それを江戸の方に向つて漕いで行く。さうして段々やつて来ると、陸はもう暗くなつて江戸の方遙はるかにチラチラとが見えるやうになりました。吉は老いても巧いもんで、頻りと身体に調子をのせて漕ぎます。苫は既に取除けてあるし、舟はずんずんと出る。客はすることもないから、しやんとして、たゞぽかんと海面うみづらを見てゐると、もう海の小波さゞなみのちらつきも段々と見えなくなって、あまずつた空がはじめは少し赤味があつたが、ぼうつと薄墨になつてまゐりました。さういふ時は空と水が一緒にはならないけれども、空の明るさが海へ溶込とけこむやうになつて、反射する気味が一つもないやうになつて来るから、水際が蒼茫さうばうと薄暗くて、たゞ水際だといふことが分る位の話、それでも水の上は明るいものです。客はなんにも所在がないから江戸の何処どこの燈だらうなどと、江戸が近くなるにつけて江戸の方を見、それからずいと東の方を見ますと、——今漕いでゐるのは少しでも潮がかみから押すのですから、みよを外れた、つまり水の抵抗の少い処を漕いでゐるのでしたが、澪の方をヒョイッと見るといふと、暗いといふ程ぢやないが、余程濃い鼠色ねづみに暮れて来た、その水の中からふつと何か出ました。はてナと思つて、其儘見てゐると又何かがヒョイッと出て、今度は少し時間があつて又引込んでしまひました。よしあしのやうなたぐひのものに見えたが、そんなものなら平らに水を浮いて流れる筈だし、どうしても細い棒のやうなものが、妙な調子でもつて、ツイと出ては又引込みます。何の必要があるではないが、合点が行きませぬから、

「吉や、どうもあすこの処に変なものが見えるな」と一寸声をかけました。客がヂッと見てゐるその眼の行方ゆくへを見ますと、丁度その時又ヒョイッと細いものが出ました。そして又引込みました。客はもう幾度も見ましたので、

「どうも釣竿が海の中から出たやうに思へるが、何だらう。」

「さうでござんすね、どうも釣竿のやうに見えましたね。」

「併し釣竿が海の中から出る訳はねえぢやねえか。」

「だが旦那、たゞの竹竿が潮の中をころがつて行くのとは違つた調子があるので、釣竿のやうに思へるのですネ。」

 吉は客の、心に幾らでも何かの興味を与へたいと思つてゐた時ですから、舟を動かしてその変なものが出た方に向ける。

「ナニ、そんなものを、お前、見たからつて仕様がねえぢやねえか。」

「だつて、あつしにも分らねえをかしなもんだから一寸後学こうがくの為に。」

「ハヽヽ、後学の為には宜かつたナ、ハヽヽ。」

 吉は客にかまはず、舟をそつちへ持つて行くと、丁度途端にその細長いものが勢よく大きく出て、吉の真向まつかうを打たんばかりに現はれた。吉はチャッと片手に受留めたが、シブキがサッと顔へかゝつた。見るとたしかにそれは釣竿で、下に何かゐてグイと持つて行かうとするやうなので、なやすやうにして手をはなさずに、それをすかして見ながら、

「旦那これは釣竿です、野布袋のぼていです、いもんのやうです。」

「フム、然様さうかい」と云ひながら、其竿の根の方を見て、

「ヤ、お客さんぢやねえか。」

 お客さんといふのは溺死者できししやのことを申しますので、それは漁やなんかに出る者は時々はさういふ訪問者に出会ひますから申出まおしだした言葉です。今の場合、それと見定めましたから、何も嬉しくもないことゆゑ、「お客さんぢやねえか」と、「放してしまへ」と言はぬばかりに申しましたのです。ところが吉は、

「エヽ、ですが、い竿ですぜ」と、足らぬ明るさの中でためつすかしつ見てゐて、

野布袋のぼていまるでさア」と付足つけたした。丸といふのはつなぎ竿になつてゐない物のこと。野布袋竹といふのは申すまでもなく釣竿用の良いもので、大概の釣竿は野布袋の具合のいいのを他の竹の先につないで穂竹ほだけとして使ひます。丸といふと、一竿全部がそれなのです。丸が良い訳はないのですが、丸でゐて調子の良い、使へるやうなものは、稀物まれもので、つまり良いものといふわけになるのです。

「そんなこと言つたつて欲しかあねえ」と取合ひませんでした。

 が、吉には先刻さつき客の竿をラリにさせたことも含んでゐるからでせうか、竿を取らうと思ひまして、折らぬやうに加減をしながらグイと引きました。すると中浮ちゆううきになつてゐた御客様は出て来ない訳には行きませんでした。中浮と申しますのは、水死者に三態あります、水面に浮ぶのが一ツ、水底に沈むのが一ツ、両者の間が即ち中浮です。引かれて死体は丁度客の坐の直ぐ前に出て来ました。

つまらねえことをするなよ、お返し申せと言つたのに」と言ひながら、傍に来たものですから、其竿を見まするといふと、如何いかにも具合の好さゝうなものです。竿といふものは、ふしと節とが具合よく順々に、いゝ割合を以て伸びて行つたのがつまり良い竿の一条件です。今手元からずつと現はれた竿を見ますと、一目ひとめにもわかる実に良いものでしたから、その武士も、思はず竿を握りました。吉は客が竿へ手をかけたのを見ますと、自分の方では持切れませんので、「放しますよ」と云つて手を放してしまつた。竿尻より上の一尺ばかりのところを持つと、竿は水の上に全身をりんとあらはして、あたかも名刀のさやを払つたやうに美しい姿を見せた。

 持たないうちこそ何でも無かつたが、手にして見ると其竿に対して油然いうぜんとして愛念あいねんが起つた。とにかく竿を放さうとして二三度こづいたが、水中の人が堅く握つてゐて離れない。もう一すん一寸に暗くなつて行く時、よくは分らないが、お客さんといふのはでつぷり肥つた、眉の細くて長いきれいなのがわづかに見える、耳朶みみたぶが甚だ大きい、頭は余程禿げてゐる、まあ六十近い男。着てゐる物は浅葱あさぎ無紋むもん木綿縮もめんちゞみと思はれる、それに細い麻の衿のついた汗取あせとりを下につけ、帯は何だかよく分らないけれども、ぐるりと身体からだが動いた時に白い足袋を穿いてゐたのが目にみて見えた。様子を見ると、例へば木刀ぼくたうにせよ、一本差して、印籠いんろうの一つも腰にしてゐる人の様子でした。

「どうしような」と思はず小声で言つた時、夕風が一ト筋さつと流れて、客は身体の何処かが寒いやうな気がした。捨てゝしまつても勿体もつたいない、取らうかとすれば水中のぬしが生命がけで執念深く握つてゐるのでした。躊躇のさまを見て吉は又声をかけました。

「それは旦那、お客さんが持つて行つたつて三途川さんづのかわで釣をする訳でもありますまいし、お取りなすつたらどんなものでせう。」

 そこで又こづいて見たけれど、どうしてなかなかしつかりつかんでゐて放しません。死んでも放さないくらゐなのですから、とてもしつかり握つてゐて取れない。といつて刃物を取出して取る訳にも行かない。小指でしつかり竿尻を掴んで、丁度それも布袋竹のふしの処を握つてゐるからなかなか取れません。仕方がないから渋川流しぶかはりうといふ訳でもないが、吾が拇指おやゆびをかけて、ぎくりとやつてしまつた。指が離れる、途端に先主人せんしゆじん潮下しほしもに流れて行つてしまひ、竿はこちらに残りました。かりそめながら戦つた吾が掌を十分に洗つて、ふところがみ三四枚でそれを拭ひ、そのまゝ海へ捨てますと、白い紙玉かみだまは魂でゞもあるやうにふわふわと夕闇の中を流れ去りまして、やがて見えなくなりました。吉は帰りをいそぎました。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ナア、一体どういふのだらう。なんにしても岡釣をかづりの人には違ひねえな。」

「えゝ、さうです、どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川、真鍋河岸まなべがし萬年まんねんのあたりでまごまごした人とも思はれねえ、あれはかみの方の向島むかうじまか、もっと上の方の岡釣師ですな。」

成程なるほど勘が好い、どうもお前うまいことを言ふ、そして。」

「なアに、あれは何でもございませんよ、中気ちゆうきに決まつてゐますよ。岡釣をしてゐて、変な処にしやがみ込んで釣つてゐて、でかいさかなひきかけた途端に中気が出る、ころげ込んでしまへばそれまででせうネ。だから中気の出さうな人には平場でない処の岡釣はいけねえと昔から言ひまさあ。勿論どんなところだつて中気にいゝことはありませんがネ、ハヽヽ。」

「さうかなア。」

 それでその日は帰りました。

 いつもの河岸に着いて、客は竿だけ持つて家に帰らうとする。吉が

「旦那は明日は?」

「明日も出る筈になつてるんだが、休ませてもいゝや。」

「イヤ馬鹿雨ばかあめでさへなければあつしやあ迎へに参りますから。」

「さうかい」と言つて別れた。

 あくる朝起きてみると雨がしよしよと降つてゐる。

「あゝこの雨をはらんでやがつたんで二三日れうがまづかつたんだな。それとも赤潮でもさしてゐたのかナ。」

 約束はしたが、こんなに雨が降つちややつも出て来ないだらうと、その人はうちにゐて、せうこと無しの書見しよけんなどしてゐると、昼近くなつた時分に吉はやつて来た。庭口からまはらせる。

「どうも旦那、おになるかならないかあやふやだつたけれども、あつしやあ舟を持つて来て居りました。この雨はもうじきあがるにちげへねえのですから参りました。御伴おともをしたいとも云出いひだせねえやうな、まづいあとですが。」

「アヽさうか、よく来てくれた。いや、二三日お前にムダぼねを折らしたが、おしまひに竿が手に入るなんてまあ変なことだなア。」

「竿が手に入るてえのは釣師にや吉兆きつてうでさア。」

「ハヽヽ、だがまあ雨が降つてゐるうちあ出たくねえ、雨をませるあひだ遊んでゐねえ。」

「ヘイ。時に旦那、あれは?」

「あれかい。見なさい、外鴨居そとがもゐの上に置いてある。」

 吉は勝手の方へ行つて、雑巾盥ざふきんだらひに水を持つて来る。すつかり竿をそれで洗つてから、見るといふと如何いかにも良い竿。ぢつと二人はあらため気味にくはしく見ます。第一あんなに濡れてゐたので、重くなつてゐるべき筈だが、それがちつとも水がみてゐないやうにその時も思つたが、今も同じく軽い。だからこれは全く水が浸みないやうに工夫がしてあるとしか思はれない。それから節廻ふしまはりの良いことは無類。さうして蛇口へびくちの処を見るといふと、素人細工しろうとざいくに違ひないが、まあ上手じやうずに出来てゐる。それから一番太い手元の処を見ると一寸ちよいと細工がある。細工といつたつて何でもないが、一寸ちよつとした穴を明けて、その中に何か入れでもしたのか又ふさいである。尻手縄しつてなはが付いてゐた跡でもない。何か解らない。そのほかには何のかはつたこともない。

「随分めづらしいい竿だな、そしてこんな具合の好い軽い野布袋のぼていは見たことが無い。」

「さうですな、野布袋といふ奴は元来重いんでございます、そいつを重くちやいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きてゐるうちに少し切目きりめなんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないやうに片つ方をさういふやうに痛める、右なら右、左なら左の片方をさうしたのをかたうきす、両方から攻めるやつをもろうきすといひます。さうしてこしらへると竹がじゆくした時にやしなひが十分でないから軽い竹になるのです。」

「それはお前俺も知つてゐるが、うきすの竹はそれだからしなびたやうになつて面白くない顔つきをしてゐるぢやないか。これはさうぢやない。どういふことをして出来たのだらう、自然にかういふ竹が有つたのかなア。」

 竿といふものの良いのを欲しいと思ふと、釣師は竹の生えてゐるやぶに行つて自分で以てさがしたりえらんだりして、買約束かひやくそくをして、自分の心の儘に育てたりしますものです。さういふ竹を誰でも探しに行く。少し釣がこふて来るとさういふことにもなりまする。たうの時に温庭筠といふ詩人、これがどうも道楽者で高慢で、品行が悪くて仕様がない人でしたが、釣にかけては小児こども同様、自分で以て釣竿を得ようと思つて裴氏はいしといふ人の林に這入はひり込んで良い竹を探した詩がありまする。一径互いつけいたがひ紆直うちよくし、茅棘ばうきよく亦已またすでに繁し、といふ句がありまするから、曲りくねつた細径ほそみちかやいばらを分けて、むぐり込むのです。歴尋れきじん嬋娟せんえんの節、翦破せんぱ蒼莨根さうらうこん、とありまするから、一々この竹、あの竹と調べまはつた訳です。唐の時は釣が非常に行はれて、薛氏せつしの池といふ今日まで名の残る位の釣堀さへ有つた位ですから、竿屋だとて沢山有りましたらうに、当時持囃もてはやされた詩人の身で、自分で藪くぐりなんぞをしてまでも気に入つた竿を得たがつたのも、すきの道なら身をやつす道理でございます。半井卜養なからゐぼくやうといふ狂歌師の狂歌に、浦島が釣の竿とて呉竹くれたけふしはろくろく伸びず縮まず、といふのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あつたとかでおほいに節のことをめてゐまする、そんなやうなものです。それで趣味がかうじて来るといふと、良いのを探すのに浮身うきみをやつすのも自然のいきほひです。

 二人はだんだんと竿を見入つてゐるうちに、あの老人が死んでも放さずにゐた心持が次第に分つて来ました。

「どうもこんな竹は此処こゝいらに見かけねえですから、よその国の物か知れませんネ。それにしろ二間にけんもあるものを持つて来るのも大変な話だし。浪人らうにんらくな人だか何だか知らないけれども、勝手なことをやつて遊んでゐるうちに中気が起つたのでせうが、何にしろい竿だ」と吉は云ひました。

「時にお前、蛇口へびくちを見てゐた時に、なんぢやないか、先についてゐた糸をくるくるつといて腹掛はらがけのどんぶりに入れちやつたぢやねえか。」

「エヽ邪魔つけでしたから、それに、今朝それを見まして、それでわつちがこつちの人ぢやねえだらうと思つたんです。」

「どうして。」

「どうしてつたって、段々細だんだんぼそにつないでありました。段々細につなぐといふのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いの又それより細いのと段々細くして行く。この面倒な法は加州かしうやなんぞのやうな国に行くと、あゆを釣るのに蚊鉤かばりなど使つて釣る、その時蚊鉤がうまく水の上に落ちなければまづいんで、糸が先に落ちて後から蚊鉤が落ちてはいけない、それぢやさかなが寄らない、それで段々細の糸を拵へるんです。どうして拵へますかといふと、はさみを持つて行つて良い白馬の尾の具合のいゝ、古馬にならないやつのを頂戴して来る。さうしてそれを豆腐の粕で以て上からぎゆうぎゆうと次第々々にこく。さうすると透き通るやうにきれいになる。それを十六本、右りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳無く出来ますことで、片撚りに撚る。さうして一つ拵へる。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順々に本数をへらして、右左をちがへて、一番終ひには一本になるやうにつなぎます。あつしあ加州の御客に聞いておぼえましたがネ、西の人はかんがへがこまかい。それが定跡ぢやうせきです。此竿は鮎をねらふのではない、テグスでやつてあるけれども、うまくこきがついて、順減じゆんべらしに細くなつて行くやうにしてあります。この人も相当に釣に苦労してゐますね、切れる処を決めて置きたいからさういふことをするので、岡釣ぢや尚のことです、何処どこでも構はないでぶつ込むのですから、ぶち込んだ処にかゝりがあればひつかゝつてしまふ。そこで竿をいたはつて、しかも早くらちの明くやうにするには、竿の折れさうになる前に切れどこから糸のきれるやうにして置くのです。一番先の細い処から切れる訳だからそれを竿の力で割出して行けば、竿に取つては怖いことも何もない。どんな処へでもぶち込んで、ひつかゝつていけなくなつたら竿は折れずに糸が切れてしまふ。あとは又直ぐ鉤をくつつければそれでいゝのです。この人が竿を大事にしたことは、上手に段々細にしたところを見てもハッキリ読めましたよ。どうも小指であんなに力を入れて放さないで、まあ竿と心中しんぢゆうしたやうなもんだが、それだけ大事にしてゐたのだから、無理もねえでさあ。」

などと言つてゐるうちに雨がきれかゝりになりました。主人は座敷、吉は台所へ下つて昼の食事を済ませ、遅いけれども「おなさい」「出よう」といふので以て、二人は出ました。無論その竿を持つて、そして場所に行くまでに主人は新しく上手に自分でシカケを段々細にこしらへました。

 さあ出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と違つて釣れるは、釣れるは、むやみに調子の好い釣になりました。到頭たうとうあまり釣れる為におそくなつて終ひまして、昨日きのふと同じやうな暮方くれがたになりました。それで、もう釣もお終ひにしようなあといふので、蛇口へびくちから糸を外して、さうしてそれをしまつて、竿は苫裏に上げました。だんだんと帰つて来るといふと、又江戸の方にがチョイチョイ見えるやうになりました。客は昨日からの事を思つて、此竿を指を折つて取つたから「指折ゆびをリ」と名づけようかなどと考へてゐました。吉はぐいぐい漕いで来ましたが、せつせと漕いだので、艪臍ろべそが乾いて来ました。乾くと漕ぎづらいから、自分の前の処にある柄杓ひしやくを取つて潮を汲んで、身を妙にねぢつて、ばつさりと艪の臍の処に掛けました。こいつが江戸前えどまへの船頭は必ずさういふやうにするので、田舎ゐなか船頭のせぬことです。身をねぢつて高い処から其処を狙つてシャッと水を掛ける、丁度その時には臍が上を向いてゐます。うまくやるもので、浮世絵好みの意気な姿です。それで吉が今身体を妙にひねつてシャッとかける、身のむきを元に返して、ヒョッと見るといふと、丁度咋日と同じ位の暗さになつてゐる時、東の方に昨日と同じやうに葭のやうなものがヒョイヒョイと見える。オヤ、と言つて船頭がそつちの方をヂッと見る、表の間に坐つてゐたお客も、船頭がオヤと言つて彼方あつちの方を見るので、その方を見ると、薄暗くなつてゐる水の中からヒョイヒョイと、咋日と同じやうに竹が出たり引込ひつこんだりしまする。ハテ、これはと思つて、合点しかねてゐるといふと、船頭も驚きながら、旦那は気が附いたかと思つて見ると、旦那も船頭を見る。お互に何だか訳の分らない気持がしてゐるところへ、今日は少し生暖なまあたゝかい海の夕風が東から吹いて来ました。が、吉はたちまち強がつて、「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はありあしねえ、竿はこつちにあるんだから。ネエ旦那、竿はこつちにあるんぢやありませんか。」

 くわいを見て怪とせざる勇気で、変なものが見えても「こつちに竿があるんだからね、何でもない」といふ意味を言つたのであつたが、船頭も一寸ちよつと}身をかゞめて、竿の方を覗く。客も頭の上の闇を覗く。と、もう暗くなつて苫裏の処だから竿があるかないか殆ど分らない。かへつて客は船頭のをかしな顔を見る、船頭は客のをかしな顔を見る。客も船頭も此世でない世界を相手の眼の中から見出みいだしたいやうな眼つきに相互に見えた。

 竿はもとよりそこにあつたが、客は竿を取出して南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言つて海へかへしてしまつた。

          (昭和十三年九月)