“麻薬とセックスに明け暮れるスキャンダラスな青春を題材に、陶酔と幻覚の裏の孤独を描く詩的情感と清潔な感受性。二十四歳のきらめく才能が創る衝撃の「青春文学」”
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の“帯”に書かれてある唄い文句である。この村上の本は、講談社の話では、百三十万部をこえたという。ベストセラーズという“現象”が、小説としての豊かさを示しているとは、思わないが、少なくとも、その作品が、小説として書かれ、また、読者が小説として、それを読んでいる以上、その“現象”を無視するのは、おかしいだろう。そういう意味で、私は、“いま文学に何を求めるか”という題に接したとき、『限りなく透明に近いブルー』という、ベストセラーズの小説と、私の“文学”との関わりで、この問に答えてみようという思いが、頭の中でひらめいたのだ。
この小説が、群像新人賞をとったときに、選者の一人であった埴谷雄高は、この作品を《ロックとファックの時代》を鮮烈に代表するものだと、ほめちぎった。その後、この作品が、さらに芥川賞に選ばれたとき、選者の中村光夫らもまた、大体同じようなほめことばで、この作品を飾った。
そして、私が興味をひいたことは、こうした選者たちが、いずれも“老人たち”であったということである。もう一度、くりかえすが、私は、自分がかろうじて二十代にひっかかっている世代の人間として、このことを非常に興味深いと思った。私は、二十九歳、村上龍よりは、五歳年長である。しかし、五十から六十代の“老人たち”からみれば、私は村上に近いといえる。
その私が、村上の作品に“新しさ”など、感じないのに、なぜ“老人たち”が、新しい文学だなどと、“判ってしまう”のか。私と“老人たち”の感性の違いは、どこからくるのか。
私が、『限りなく透明に近いブルー』に、あえて“文学性”を、みいだすとしたら、村上が“スキャンダラスな青春”という、喧噪のあとに、つまり、床に叩き付けたブランデーのグラスの破片をポケットに入れて、街に飛び出し、夜明けの空気の中で、このグラスの破片を、眼の前にかざしてみたときに、それは“限りなく透明に近いブルー”にみえたので、そのとき主人公が「このガラスみたいになりたいと思った」という、“心象風景”の描き方の才気だけである。つまり、村上が“限りなく透明に近いブルー”の色をしたグラスの破片に、青春への訣別を感じた、その感性は“文学”になっていると思うが、それは“麻薬とセックスに明け暮れるスキャンダラスな青春”という派手な道具だてをのぞいたら、ありきたりな青春訣別の小説にすぎないこの作品の、ただひとつのみどころだ。
それなのに“老人たち”は、この作品に、みいだしていると思われるのは、むしろ“派手な道具だて”の方であって、「ジャクソンの肛門は、巨大で捲れ上がりまるで苺のようだ」とか「薄い金色の陰毛の下に赤黒い性器が垂れている。まるで切り取られた豚の肝臓だ」というようなクソリアリズムの《ロックとファック》の“文学”を、“新しい文学”の出現などと、はしゃいでいる。まさに、村上の“派手な道具だて”は、“老人たち”の若者を“判ってしまう”という、おぞましいポーズを、ひきだし、芥川賞をせしめたし、村上の“老人たち”へのこびは、みごとに成功したのだ。村上は、意図的に、“老人たち”に“驚き”(埴谷雄高)をあたえようとしてこの作品を書いたわけで、また“老人たち”の方も、嬉々としてそれにのって、はしゃいだというわけだ。
ことしは、芥川龍之介の五十回忌にあたり、その記念行事にふさわしい“話題”のある芥川賞作品をつくり出すために、村上の作品は、出版社にとって、まさに恰好の作品となり、その意図通りに、この作品は、ベストセラーズになったのだ。
この村上ブームに、さらに火をつけ、油をまいたのが、江藤淳で、彼は、『限りなく透明に近いブルー』など“文学”ではなく、それ故に、高貴な日本文化を象徴する「芥川賞」に、値するものではないと力説することで、“評論界を二分した問題作”などという“話題”を提供してしまったのである。
しかし、「芥川賞」というのは、その歴史をみれば判るとおり、昭和十年(一九三五年)に創設されて以来、戦前、戦後を通じて、一貫して、時流にのって、あるいは、時流をつくるために“話題”を提供してきたのだし、――たとえば、第一回受賞作品の石川達三の『蒼氓』から始まって、十九回の、朝鮮という題材で「時局に添う」(瀧井孝作の選評)小尾十三の『登攀』や、戦後の「朝鮮」「沖縄」などの問題のクローズアップの中で選ばれた、李恢成の『砧をうつ女』、東峰夫の『オキナワの少年』、それに戦後生れの中上健次の『岬』など――そういう意味でみれば、村上の『限りなく透明に近いブルー』も、典型的な“話題”の「芥川賞」作品といえるのではないかと思うのだ。
江藤淳が、この小説の“文学性の稀薄さ”を、臆することなく、指摘したのは、はしゃぎすぎの“老人たち”よりは、鋭いが、「芥川賞」に対する幻想を、臆面もなく、言い出したのは、“老人たち”と同じような、はしゃぎすぎになってしまっている。
中上健次、村上龍と、あいついで、戦後生れの世代が、芥川賞をとったが、私も彼らと同じ世代でありながら、彼らの「作品」に、同じ世代の“文学”という感じが、もてないのは、何故だろう。
いま、流行の“文学”とされている、こうした「作品」に、“文学”を感じられないというのは、私が“文学”に何か別のものを、求めているからなのだろうか。私は、ここで正直に、のべておくが、私は中上の「作品」は、ほとんど読んでいるし、それこそ、中上が芥川賞などとる以前から、読んでいるので、その意味では、中上の「作品」の“ファン”でもあるのだ。
しかし、いま私が、共感をもって読み、“文学”として、心酔するような作家の作品といえば、最近では、藤枝静男という“老人”が書いた『田紳有楽』である。この作品は、去年(76年――注)の、最高の文学的営為だと、私は、ひそかに思っている。この作品は、彌勒菩薩の化身であるモグリの骨董屋がでてきたり、池の底に住む“志野筒形グイ呑み”が主人公になったり、また、このグイ呑みが、出目金と恋をし、たわむれているうちに、それが性の衝動に変って、グイ呑みと出目金が、セックスをすることになってしまったり、人間変身術を体得した抹茶の茶碗が活躍したりで、一筋縄では説明しえないあらすじを持った小説である。
それこそ、リアリズム小説を主に書きつづけてきた藤枝が、この期に及んでなぜ、こんなにも柔軟で、荒唐無稽で、したたかなユーモアに裏打ちされた、アバンギャルド精神の横溢した“文学”をものにすることが、できたのだろうか。今刊行されつづけている藤枝の著作集を読めば、この『田紳有楽』が、突如として、出てきたのではなく、彼のリアリズム手法でものにしてきた作品の、いわば、一つの到達点として、出現してきたことが判る。
それよりも、私が興味深く感じるのは、若い世代が書いた『限りなく透明に近いブルー』が、“老人たち”に“新しい文学”の出現として、むかえられ、若い世代の私がそのように感じられず、むしろ、“老人”の書いた『田紳有楽』にひかれるということである。
それは、おそらく日本の現代の“文学”が、まさに、価値の転倒している過渡期にさしかかっており、私の“文学”に対する感性が、あたかもプリズムのように屈折していて、私には、このような“文学”の世界がみえてしまうのだろうか。そのような私の屈折した感性のプリズムを通して、“いま文学に何を求めるか”という、問に答えようとすると、次のようになるのではないかと思う。
私は、いまあるマスコミの社会部の“サツ廻り”(警察担当)の記者をしている。したがって、割と社会の表面と裏面を、みる機会が多いのではないかと思っている。それも、かなり日常的に接することになる。そうした経験のなかで、私は、社会現象というのは、うすい表皮につつまれた肉塊だと感じている。表面はすべすべした、こぎれいな肉塊も、そのうすい皮をむいてみれば、その下には、血みどろの肉塊がある。そうした現実を“文学”として表現する場合に、それをそのまま、クソリアリズムの手法で表現する方法もあるだろう。また、うすい表皮をむかずに、いわば表皮には傷をつけない形で“つきぬけて”、血みどろの肉塊の実在感を、表現するシュールレアリスムの手法もあるだろう。
この分類でみてば、村上の『限りなく透明に近いブルー』や中上の作品なども、クソリアリズムの方に入るだろう。そして、藤枝の『田紳有楽』は、シュールレアリスムの方に入ってくるだろう。
こうした分類の仕方と、それによる私の“文学”に対する価値判断というものは、かなりわがままで、乱暴なやり方だと思うし、この辺のことになると、趣味の問題ということにもなりかねないが、私は、日本の現代の“文学”が、過渡期とか転換期とか位置付けられるとしたら、こうした時期は、価値の多元化がゆるされる時期なので、せいぜい、わがままに、“文学”をみていきたいと思っている。そして、いずれ私も、何らかの作品を書くとしたら、グロテスクで、シュールで、コートームケイで、それでいて、つきぬけたような“リアリティ”のあるものを書きたいと思っている。
転換期のゆえに、多元的な冒険を試みた、“新しい文学”が、出現することを、私は、“いまの文学”に求めてしまう。そういう意味で、藤枝静男の『田紳有楽』に、ひきつづいて、私の眼からみれば、長い間、“沈黙”をつづけているようにみえる、大江健三郎が“奇想天外、変幻自在な暗黒ユーモアで描く”『ピンチランナー調書』が、でてきたのは、楽しみである。
どちらかといえば、去年(76年――注)は、私好みの小説がでており、最近にない収穫の多い年のような気がする。しかし、若い世代の“文学”に冒険がないのは、淋しいし、“中年”や“老人”から、文学の奪還をはかりたいのは、私だけではあるまい。
そのためには、今年(77年――注)は、ほんとうに“若さ”が、“新しさ”になるような“文学”の出現を求めたいと思う。今年、ガラスの破片のむこうに、どのような“文学的な風景”がみえるか……。